『恭也の全国武者修行の旅』






 〜 第一章 「桜舞う季節」 〜



  第2話





恐る恐る目を開けた音夢の視界に、大きな影が飛び込んでくる。
逆光の中、微かに見えた瞳は心配そうにこちらを見ていた。
ようやく何が起こったのか分かった音夢は、慌てて立ち上がろうとする。
それを察し、少年は音夢に手を貸すようにして立たせる。
音夢が立ち上がったのを見てから、少年は口を開く。

「大丈夫ですか?」

「え、ええ。ありがとう」

音夢が礼を言うと、そこへ純一が駆け寄ってくる。

「音夢、大丈夫か」

「ええ、こちらの方が助けてくれたので」

「ああ、そうだったな。ありがとうな」

「いえ、こちらこそ少し余所見をしていて、気付かずにぶつかってしまいまして」

「いえ、私の方こそすいません」

「そうだぞ、音夢。はしゃぎ過ぎるからこういう事になるんだ」

「分かってますって」

そう言ってから、音夢は再び少年に礼を言う。
それに続き、純一が少年に名乗る。

「俺は朝倉純一」

「私は朝倉音夢と言います」

「ご丁寧にありがとうございます。俺は高町恭也と言います」

「高町さんは、観光か何かで?」

「まあ、似たようなものですね」

「観光って、この島には桜以外何もないぞ。
 それに、見たところ、俺たちとそんなに年も違わないように見えるけど、学校とかは?」

音夢の質問に答えた恭也に、純一が不思議そうに尋ねる。
その純一の制服の裾を音夢が引っ張り、不躾だよと諌めるが、恭也は別に良いですよと続ける。

「学校の方は、卒業式を終えて休みに入ったので。
 後、この島にはその桜を見に来たんですよ」

「へー。もう卒業式が終ったのか。良いなー、早くて」

「朝倉さんの所はまだなんですか」

「ああ。ったく、かったりぃよな」

「もう、兄さん」

ぼやく純一を睨み付ける音夢に、当の純一は軽く手を振っていなす。
そんな二人のやり取りを見ながら、

「朝倉さんたち…」

「おっと、俺の事は純一で良いよ。朝倉だと、どっちがどっちか分からないしな」

「分かりました。では、純一さん…」

「あー、悪い、ちょっと待ってくれ」

恭也が言いかけたのを、再び純一は遮ると、少し考え込む。

「男に名前にさん付けされるのも…」

「兄さん、何を勝手なことばかり言って、高町さんを困らせているんですか」

「いや、しかしだな、これは結構、重大な事だぞ」

「あのね〜。はぁ〜、もう分かりました。
 では、兄の事は苗字で、私の方を名前で呼んでください。
 兄さんも、それなら良いでしょう」

「ああ、そうだな。って、初めからそうしてれば良かったじゃないか。
 音夢も、もっと早く言ってくれよな」

「あのね……。はぁ」

純一の勝手な言い草に、音夢は呆れたように何か言おうとするが、すぐに諦めたのか溜息を吐き出すだけに留める。
そんな二人のやり取りを半ば茫然と眺めていた恭也へと、純一が話し掛ける。

「ああ、すまなかったな高町で良いか」

「ああ、構わない。朝倉」

「うん、そっちの方が落ち着くな、やっぱり」

「もう、兄さん、また話が逸れてますよ。それで、何か言いかけていたみたいですけれど」

音夢に促がされ、恭也はさっき言いかけた事を口にする。

「ああ、そうだった。お二人とも時間の方は大丈夫なんですか?
 通学途中の様ですけれど」

「「あっ」」

恭也の言葉に二人が短く声を出し、慌てて音夢が腕時計を見る。

「音夢、どうだ」

「え〜、走らないと間に合わないかも…」

「くっ。悪いな、高町。それじゃあ、俺たちはこれで失礼するよ」

「すいません、高町さん。助けて頂いたのに、何のお礼も出来ませんで」

「いえ、お気になさらずに。それに、ぶつかったのは、俺にも非がありますから」

「じゃあな、高町。ひょっとしたら、また会うこともあるかもしれんがな」

「ああ、朝倉も音夢さんも気を付けてな」

「ありがとうございました」

そう言うと走り出す二人の背中へと恭也が声を掛けると、走りつつ二人は律儀にも答えてくる。

「ほら、音夢急ぐぞ」

「ま、待ってよ、兄さん」

「ほら、鞄寄越せ」

「あ、ありがとう」

「良いから、もう少し急げ」

「う、うん」

遠ざかっていく二人の背中を何となしに眺めてから、恭也は頭上に咲き誇る桜を見上げる。

「…綺麗なもんだな」

小さく感想を呟くと、そのままゆっくりと桜並木を歩き出す。
暫らく歩いていくと、不思議な音が恭也の耳に聞こえてくる。

「……木琴?」

あまりにも不思議な音に足を止めて耳を澄まし、その音の正体に予想を付ける。
ゆっくりのテンポに、時折、大きく外れる音。
その発生源を見つけて、恭也は思わず信じられないものを見たような目になる。
恭也の視線の先では、ゆっくりと微かに左右にフラフラと揺れながら歩く一人の少女の姿があった。
その少女は胸の前に木琴を吊るし持ち、
手には丸い先端に棒が付いたような形をした打楽器を演奏するのに使うわれるマレットと呼ばれるものを持っていた。
そのマレットで木琴を演奏しながら歩いている少女。
ただそれだけなら、これでも充分驚く事ではあるが、恭也もここまでは驚かなかっただろう。
恭也が真に驚いたのには訳があり、それは、その少女の目が閉じられているという事だった。
ただ閉じられているのではなく、微かに寝息のようなものも聞こえてくる。
好奇心と心配からその少女に近づいた恭也は、その少女が本当に寝ている事に気付き、またしても驚く。
この少女は、どうやら眠りながら歩き、尚且つ、木琴を演奏しているようだった。

「ま、まあ、世の中には様々な特技を持った人がいるからな。
 寝ているから、音が外れるのかな」

そう呟きつつ、恭也はどうしたものかと悩む。
やはり、起こした方が良いのだろうが、いきなり触れる訳にも行かず。恭也はとりあえずは横に並んで歩く。
何かあればすぐに動けるように隣の少女に気を配りながら、今来た道を引き返す。
少女は本当に寝ているのかと思うほど、障害物を避けながら上手に歩いて行く。
ひょっとして、本当に大丈夫かもしれないと思いかけた所で、その少女が石か何かに躓いたのか、転びそうになる。
恭也はそれを見て、少女を慌てて支える。

「はれ?」

その衝撃で目を覚ましたのか、少女は辺りをキョロキョロと見渡し、恭也と目が合うと、とろけるような笑みを見せる。

「おはよ〜ございます〜」

「えっと、おはようございます」

思わず挨拶を返した恭也をじっと見詰めた後、恭也に掴まれている自分の腕へと視線を移す。

「えっと〜。もしかして、痴漢さんですか?」

「違います!」

少女の言葉に、恭也は力一杯否定すると、まだ足元が覚束無い少女を立たせて、事情を説明する。

「あら〜、そうだったんですか。それは、それは、ありがとうございます」

「いえ、大したことはしてませんから」

「そんな事はないですよ〜。もし、あなたがいてくれなければ、私はまたこけている所でしたから」

(またという事は…)

そこまで考えて、恭也は首を振ってそれ以上考えるのを止める。

「と、とりあえず、危ないですから、もう眠りながら歩くのは止めた方が良いですよ」

「そうですね〜。でも、眠たいんです……。ふぁぁ〜」

そう言うと、少女は本当に眠そうに欠伸をする。
それに苦笑をしつつ、恭也はもう一度だけ念を押して踵を返そうとした所で、少女に呼び止められる。

「所で、まだお名前をお聞きしてませんでしたね。
 私は、水越萌と申します〜」

「あ、高町恭也といいます」

「高町くんですか。本当にありがとうございますね。
 何かお礼を〜……」

「い、いえ、お礼なんて良いですから」

「でも〜。あ、そうだ。お礼に、お昼をご馳走しますから、お昼休みになったら、屋上に来てください〜」

「はい?」

「ですから〜、屋上ですよ〜」

「い、いえ、そうじゃなくてですね…。
 あの、俺は水越さんの学校の生徒じゃないんですけど…」

「……そう言えば、制服を着てませんね〜」

「ええ」

「それじゃあ、どうやってお礼をしたら…」

おっとりと話す萌に、恭也は若干ペースを狂わされつつも、何とか持ちこたえる。

「いえ、本当にお礼は良いですから。それよりも、急がなくても良いんですか?
 遅刻になりますよ」

「ああ、それなら大丈夫ですよ」

恭也の言葉に、萌はニッコリと笑って答える。
先程の朝倉兄妹の様子を見ていたから、恭也がいった言葉だったが、萌から返ってきたのはそんな言葉だった。
改めて萌の制服を見ると、確かに音夢のとは違う制服だった。
つまり、違う学校という事なんだろうと恭也は納得すると同時に、随分とゆっくりとした時間に始まるんだなと考えていた。
そんな恭也の考えを嘲笑うかのように、萌はゆっくりと言葉を紡ぐ。

「もう既に遅刻ですから〜」

「……それって、全然大丈夫じゃないですよ」

「そうですか?」

「ええ。って、何を落ち着いているんですか。
 だったら、尚更急がないと」

「でも〜、今から急いでも遅刻。ゆっくりでも遅刻。
 だったら、ゆっくりと行った方が安全ではないでしょうか」

「確かに一理あるかもしれませんが…」

「ですよね〜」

「いや、しかし…」

「それよりも、どうやってお礼をしたら……」

遅刻する事をそれよりもの一言で済ませると、萌は再び考え始める。
そんな萌に恭也は声を掛ける。

「いえ、本当にお礼は良いですから。
 それよりも、少しでも早く学校へ行った方が良いですよ」

「でも…」

「本当に」

「そうですか。そこまで仰られるんでしたら、これで失礼しますね」

「あ、はい」

やっと納得した萌に胸を撫で下ろしつつ、手を振る萌に恭也も思わずつられるように手を振り返す。

「それでは、また」

「はい、それでは」

本当にまた会う事になるかどうかは分からないながらも、恭也はそう返すと、今度こそ踵を返すのだった。
その後ろで、また木琴の音が聞こえてきて、恭也は少しだけ後ろを振り返るものの、
萌が寝ていない事を確認すると、そのまま歩いて行く。

(遅刻しているのに、あの余裕。ある意味、大物かもしれんな…)

妙な感心をしつつ歩いて行く恭也の耳に、遠ざかりつつある奇妙なテンポの木琴の音が、大きく外れる。

「別に寝ていたからという訳ではないのか…。でも、楽しそうに弾いていたな」

恭也は苦笑しつつそう呟くと、聞こえなくなった木琴の音を少しだけ名残惜しく思いつつ、この場を後にした。







 〜 つづく 〜








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