『ごちゃまぜ3』






他の都市から独立した都市、海鳴。
全ての物語はここから始まる――

それまで、平凡に暮らしていた異族とのハーフ少女ヘイゼルは、
軍事機密が収められた義眼『救世主』を埋め込まれた事により、その運命を大きく変えることとなる。



同じ頃、海鳴軍G機関の最新技術を持って建造されていた『疾風』が暴走する。
何の因果か、軍との交戦を始め、その姿は闇へと消える。
その後、一人の少女の背中にその姿が見られたとの噂が出るが、真偽は定かではなかった。
軍は躍起になって『救世主』と『疾風』の行方を追う。
当然、軍の手はヘイゼルにも伸びる。
だが、彼女の身を案じた者により、内密に助け出された彼女は、
海鳴の外へと逃げるために、一人の青年を紹介される。
その青年は、まだ学生でありながら、その傍らで何でも屋を営む人物だった。

「あの〜、貴女が高町恭也さんですか」

「ああ、そうだ。貴女が、ヘイゼル・ミリルドルフですか」

一人の青年と一人の少女の出会い。
ヘイゼルと『疾風』
この両者の捕獲を目的に、G機関が遂に動き出す。
そこへ更にG機関の計画が加わり、二人は望まずとも一つの時代のうねりに巻き込まれることとなる…。



「私だけ切り捨てられるんですか?」

予言者が託した『救世者』創出の悲願。その鍵を握る事となった少女、ヘイゼル・ミリルドルフ

「漆黒とは、全てを飲み込むもの」

神具『漆黒』の担い手、何でも屋 高町 恭也

「疾風とは、何者よりも疾く(はやく)走り抜ける風」

その背に疾風との融合を果たした翼を持つ少女 フィアッセ・クリステラ

「英雄とは、何事にも負けぬもの」

G機関空軍部所属、巨大な強臓式義腕『英雄』を持ち、空間を自在に組み替える男 ヘラード・シュバイツァー

「皇帝とは、決して引かぬもの」

G機関陸軍部所属の五行師にして重騎師 アルフレート・マルドリック

「運命とは、決して変わらず流れ行くもの」

敵か味方か。謎の言動を繰り返す少女 高町 美由希

さまざまな思惑が乱立する中、その中に見え隠れする一つの言葉。
海鳴を“言詞的に強化”する計画、機甲都市化計画。
その名がチラチラと背後に見え隠れする中、恭也はヘイゼルと共に、その運命に翻弄されるのか!?

機甲都市海鳴 プロローグ 「疾風逃走」 



   §§



≪来たれ……。今こそ、目覚めの時……≫

不意に聞こえてきた声に思わず後ろを振り返る高町恭也。
しかし、深夜という時間帯もあり、歩いている人物は恭也以外には居ない。
気のせいかと首を傾げつつ、恭也は日課となっている鍛錬の帰り道を再び歩き始める。
普段なら横に居る妹にして弟子の美由希は、
二学期に入って最初の一年生のイベント、合宿のために今日はいない。
その為、いつもよりも少しだけ早めに切り上げての帰り道、恭也はまたしても声を聞いた気がして足を止める。
と、不意に視界いっぱいに光が広がり、恭也の視界を覆い隠すのだった。



「ふぁぁぁ〜」

終業のチャイムが鳴り響くと同時に、これでもかというぐらいに大口を開けてあくびをする一人の少年。
その少年の横に、一人の男性が音も立てずに立つ。

「大河くん、そんなに私の授業は退屈でしたか」

「あ、あははは」

乾いた笑みを浮かべて誤魔化す大河を、呆れたように、怒ったように、
まるで我が事のように恥ずかしそうに、とそれぞれに反応を見せながら見詰める少女たち。
そんな中、唯一無表情だった少女がふと目を細めると、宙の一点を見詰める。

「…誰かがこちらの世界に来ようとしてます」

「えっ、まさか、また救世主が見付かったの、リコ!?」

長い金髪に神に仕えるべき者の服を身に纏った少女の言葉に、しかし、リコは首を横に振る。

「いえ、そのような報告はありません。
 ですが、空間に揺らぎが生じているの確かです。大河さんたちと同じ現象かも」

リコの言葉を聞き、赤毛のローブ姿の少女が目を吊り上げる。

「まさか、またこんな馬鹿が来るんじゃないでしょうね!」

「誰が馬鹿だ、誰が! このエセ魔導師が」

「なんですってー!」

「やめなさい! あなたたちは教室を壊すつもりですか!」

最初に大河へと注意をした、恐らく教職者なのだろう人物が二人を嗜める。

「それよりも、あなたたちは召喚の塔へ行きなさい。
 私は学園長へと連絡をいれます」

言って踵を返していく男を見送ると、大河たちは召喚の塔へと向かうのだった。



「…救世主候補の試験を受けるとは確かに言った。
 しかし、これは酷いんじゃないだろうか」

そう一人ごちると、恭也は周囲を見渡す。
周囲は白い体毛で覆われた狼、いや、狼の姿をして後ろ足で立つ人狼に、
ぶよぶよと特定の形を持たないスライムと呼ばれるモンスター、
果ては石で作られたと思われる巨大な人形――ゴーレムなどがうようよと恭也に襲いかからんと機を窺っている。
闘技場らしき場所の中央でそれらを見渡した後、恭也は視線をその奥、観客席となっている場所へと飛ばす。
そこには、思わず目を逸らしたくなるような胸元が大胆に開いた服を着た女性が、
一人の女性に説教を受けている所だった。

「ダリア先生、一体、何を考えているんですか!」

「ごめんなさい、学園長。でも、決してわざとじゃないんです〜」

「当たり前です! わざとで、あんな大量のモンスターをけしかけられてはたまりません!」

「あ、あのお義母さま、それ所じゃないんじゃ…」

学園長の娘らしい赤毛の少女の言葉に、ようやく全員が恭也の状態に気付く。

「反省や説教なら後でして欲しいものだ」

ぼやきつつ、迫る人狼の攻撃を躱し、すれ違いざまに八景を一閃。
地に倒れる人狼の事など気にも止めず、次のモンスターが襲い掛かる。

「あー、もう。中心に居るんじゃ、大きな魔法が使えないし」

ぼやく赤毛の少女――リリィの言葉に、大河は感心したような声を上げる。

「それにしても、あいつ中々やるな。全然、攻撃を喰らってないぞ」

「確かに、師匠の言う通りでござるな。あの動き、さぞや名のある戦士では」

「って、お兄ちゃんにカエデさん、感心している場合じゃ…」

未亜の言葉にようやく事態を思い出したのか、今更のように動き始める大河たちだった。
恭也目掛けて攻撃を繰り出してきたモンスターたちの動きが急に鈍る。
いや、正確には攻撃が分散される。
見ると、輪の向こう側で大河たちが攻撃を開始したらしい。
それぞれの動きを視界に捉え、恭也は思わず感嘆の声を洩らす。
輪の中と外の攻撃により、どんどん数を減らしていくモンスターたち。
しかし、いつの間にか死角に忍び込んでいた人狼の爪が、弓を構えた未亜の背後に現れる。
思わず上がる悲鳴。
咄嗟に目を閉じてしまったが、一向に痛みが襲ってくる事がなく、未亜は恐る恐る目を開く。
と、その目に見えるのは、彼女が最も安心する背中。

「ありがとう、お兄ちゃん」

「馬鹿。もっと周りを把握しろ。でも、無事でよかった。
 それと、礼なら後であいつに言ってくれ」

大河は恭也の方へと視線を向け、状況を説明する。
未亜の背後に迫った人狼へと恭也が何かを投げ、それに怯んだからこそ、間に合ったのだと。
大河の言葉に頷きかけた未亜だったが、その口が驚きに開かれる。

「危ない!」

叫びと共に弓を放つ未亜。
見れば、未亜を助けるべく投げた飛針の所為で、恭也はその隙を付かれる形となっていた。
未亜の放った矢が人狼を倒すが、その隙を狙っていたのはその人狼一匹だけではなかった。

未亜の矢によって倒れた人狼の後ろから、人狼ごと砕かんと人の胴体ほどもありそうな腕を振り上げるゴーレム。
それだけでなく、左右、後ろと人狼に囲まれ、最早逃げ道を防がれた形となる。

(神速を使うか…)

この状況で、右膝への負担は後が怖いが、かと言ってここで使わなければもっとやばいと感じ、
恭也は神速を使う事を決意する。
と、そこへ恭也の脳裏に直接語りかけてくる声が届く。

≪駄目だよ! 神速を使ったら、駄目ー!≫

(一体、誰だ…)

≪待ってて、私がすぐに助けてあげるから。
 恭くんは私が守るんだから!≫

その声が頭の中一杯に響くと共に、恭也の脳裏に門が浮かび上がる。
同時に、恭也の目の前に光が溢れ出す。
まるで、そこから光を生み出そうとせんばかりに膨大な光が。
これには、モンスターも大河たちも目を手で庇うしかなかった。
光が収まっていく中、未だに目を開けることの出来ない状況下で、
恭也だけは不思議と目を開けることができていた。
そして、その恭也の目の前には年の頃は恭也と同じぐらいか、少し下の少女が、
その手に棒状のものを持って立っていた。
それは、先端は翡翠色の奇妙な曲線を描く形をしており、恐らくは杖なのだろう。
黒を貴重としつつ、肩に羽織ったケープのようなものは白地に縁が薄い青。
胸の前で結んばれた小さなリボンは薄い紫で、蒼い髪を首の後ろで一つに纏める白い翼を象った髪飾りが、
リボンのように、静かに大きく翼を広げている。

「君は……」

「えっ!? 酷いよ、恭くん。私の事、忘れちゃったの?」

「えっと…」

「あ、でも、仕方ないかも。小さい頃のことだし…」

「とりあえず、名前を教えてくれると助かるんだが…」

「あ、そうだね。私の名前はユーフォリア。悠久のユーフォリアだよ。
 でも、恭くんにはお父さんやお母さんと一緒の呼び方、ユーフィって呼んで欲しいかな」

「分かった。ユーフィだな」

「うん♪」

「で、君は一体…」

「うーん、その辺は時が来ないと教えられないの。ごめんなさい。
 やっぱり、それじゃあ駄目かな?」

涙目になりながら見てくる少女に対し、恭也が断る事ができるはずもなく、ただ頷く。
それを見て、ユーフォリアは嬉しそうに破顔すると、手にした杖を恭也の肩にそっと置く。

「今、この時より私は恭くんの剣に、盾になるからね。
 恭くんは私が守ってあげるから、何も心配しないでね」

「守られるだけというのは、あまり性に合わないんだが…」

ぼやく恭也の言葉にもう一度笑みを形作ると、一転して鋭い眼差しで周りのモンスターを見詰める。
その顔は、さっきまで恭也と話していたあどけない少女のソレではなく、完全に戦士としてのソレだった。
恭也は直感的に、少女が自分よりも強く、また実戦経験が多い事を悟る。

「とりあえず、今はこいつらを何とかしないとね。
 恭くんが選択する事になるその日まで、私が守ってあげないと」

小さな呟きは恭也の耳には届いてはおらず、またユーフォリアも聞かせるつもりはなかったのか、
手にした杖を掲げると、ようやく光が収まり始めた中、口の中で何かを呟く。

「いくよ、悠久。力を」

ユーフォリアの言葉に応えるように、手にした杖、悠久が一瞬だけ輝く。

「マナよ、集い来て散れ。闇夜を切り裂け!
 サンダーブレイク!」

ユーフォリアの鋭い声が響くや、天より幾本もの雷が降り注ぎ、意志を持っているかのごとく、
モンスターのみを打ち払う。
地面へと落ちた雷は、土を巻き上げ、地面に穴を開け、向きを変えて飛ぶ。
地面から横へ、上へと伸びる何本もの雷に、先ほどは攻撃を逃れたモンスターたちが、その身を焦がされる。
天へ、横へと向かった雷は再び折り返すと、地面へと降り注ぎ、ようやく消える。
耳をつんざく轟音が鳴り止むと、あれだけ居たモンスター全てが消滅していた。
ユーフォリアは少し自慢げに恭也へと向き直ると、胸を張ってみせる。
驚きで言葉を無くしていた恭也だったが、ピンチを救われたと気付き、慌てて礼を言う。

「気にしなくてもいいよ。さっきも言ったでしょう。
 恭くんは私が守ってあげるって」

言って腕に絡み付いてくるユーフォリアを、振り払う事も出来ずに困り果てていると、
ようやく他のものも視力が回復したのか、薄っすらと目を開ける。
そして、目の前の惨状に揃って声を無くす。

「まさか、彼一人でこれをやったというの…」

その力の凄まじさに声をなくす学園長のミュリエルだったが、その横に見知らぬ少女が居る事に気付く。
全員が恭也の元へと集まると、ミュリエルが疑問を口にする。

「高町恭也。召還器は呼び出せたのですか?」

「呼び出せませんでした」

「では、あれをやったのは、この少女…」

言ってユーフォリアを見るミュリエルだが、いつの間に来たのかという疑問が浮かぶ。
そこへ、リコが口を挟む。

「…よく分かりませんが、その少女は彼が呼び出したみたいに感じられました」

「…もしかして、召喚士なのですか?」

聞き慣れぬ単語に首を傾げる恭也を見て、その可能性が消える。
ならば、本人に聞くのが早いということで、ミュリエルはユーフォリアへと視線を変える。

「貴女は誰ですか」

「私はユーフォリア。恭くんの剣にして盾。
 あらゆるものから、恭くんを守るもの」

「まさか、女の子の形をした召還器か!?
 恭也、俺のトレイターと交換してくれ! 今すぐ! さあ、早く!」

興奮して叫ぶ大河の後頭部を、未亜の弓が、リリィの肘が、ベリオの杖が襲う。
鈍い音を立てる頭を押さえ、しゃがみ込んだ大河を無視し、リリィが睨むように恭也を見詰める。

「どういう事なのよ、これは!」

「俺に聞かれましても、自分も何がなんだか」

大河のように言い返してくる訳でもなく、丁寧に正論を返してくる恭也にリリィも言葉に詰まる。
困ったようにミュリエルを見るも、ミュリエルも判断しかねるように恭也とユーフォリアを見詰める。

「どうしたものかしら。恐らく、召還器は手にしてないのでしょうけれど…」

さっきの恭也の動き、ユーフォリアの魔法を思い出し、ミュリエルはこの二人をどうするべきか考えあぐねる。
だが同時に、もしかしたら、召還器なしで破滅とやり合えるかもという希望を二人に見出す。
その嬉しさを悟られないように、いつもと変わらぬ表情のまま、

「召還器は呼べませんでしたが、あなたたち二人の戦力は、破滅と戦うのに大いに力になります。
 勝手な言い分かもしれませんが、力を貸して頂けませんか」

「さっきも言ったと思いますが、破滅を何とかしないと俺たちの世界も、大切な人たちも危ない以上、
 出来る限りの事はさせてもらいます」

恭也の返事にミュリエルは感謝を述べつつ頭を下げると、今度はユーフォリアを見る。
見詰められたユーフォリアは、僅かに首を傾げると、

「恭くんがそう決めたのなら、私も付き合うだけだよ」

そう応えるのだった。
これに真っ先に反論したのは、リリィだった。

「お義母さま、召還器も持たない者たちを救世主クラスにするのは、無理です!」

「ええ、そうね。でも、彼らの戦力は手放すには惜しいわ。
 恐らく、現状では彼らはあなた達よりも強い。実戦経験も含めてね」

「そんな…。あの馬鹿と同じ世界から来た人間なのに、私たちよりも実戦経験があるって言うんですか」

「ええ、そうよ。逆に言えば、大河くんたちと同じ平和な世界に居ながら、彼は常に戦いに身を置いていた。
 いえ、常に戦いを忘れていなかったって所でしょうね。
 どうしても不服だというのなら、あなたたちの誰かが彼らと一対一で戦って勝ちなさい。
 それで彼らが勝てば救世主クラスに、負ければ一般クラスに入ってもらいます。
 恭也くんたちもそれで良いかしら?」

ミュリエルの言葉に頷く恭也とユーフォリア。
次いでリリィを見ると、リリィも納得したのか頷いてみせる。
今日はもう遅い上に疲れただろうという事で、この対決は明日となった。
こうして、恭也のアヴァターでの一日は静かに終わりを……。
この後も、寝床の問題などですんなりとは終わらなかったのが…。

御神流師範代、高町恭也。
本人は至って普通に生きてきたつもりだったが、この日を境に破滅との戦いへと身を投じる事となる。
そして、それよりも厄介な連中との戦いにも巻き込まれていくことになるのだった。


Duel Heartof Eternity Sword



   §§



ある祭りの夜。
恭也は少し静かな場所で落ち着こうと人気のない境内まで来ていた。
先程まで、何かを競うように恭也の周りに居た少女たちを上手く躱し、ようやく人心地つく。

「はぁー。賑やかなのも悪くはないが、こういったのも良いもんだな」

遠くから聞こえる祭囃子に耳を澄ませる恭也。
と、不意にその背後から声が掛けられる。
驚いて振り向いた先には、屋台が一つ。
いや、屋台と呼べるようなものではなかった。
一畳ほどの広さに広げられたブルーシート。
そこに木箱をひっくり返して置き、その上に座っているだけの男。
いや、声から男と判断しただけで、その顔は深く被られた帽子によって見る事は出来なかった。
今まで気付かなかった事に驚く恭也へと、男は静かに一つの箱を取り出す。
一番上に丸い穴があけられたそれを恭也へと差し出しながら。

「一回、100円だけれど、やらないかい?」

「くじか? 一体、何が当たるんだ」

このような人の来ないような場所でやっている男に興味を覚え、恭也が問い掛けると、男は小さく笑う。

「何でも願いが叶うんだよ」

男の言葉が気に入ったのか、恭也は祭りだからと百円玉を渡すと一つ引く。

「大当たり〜。お兄さんには、この何でも願いが叶う本を差し上げよう」

言って一つの本が手渡される。
その本を受け取って表紙を開いた途端、恭也は眩しい光に襲われて目を閉じる。
最後に、男の「頑張って」という声を聞いたような気がしたが…。



目が覚めた恭也は、さっきまでとは全然違う場所に居た。
いい加減、こういう事にも慣れたもので、恭也は自分の体に異常がないかをまず確かめる。

(慣れたくもないんだがな…)

「いらっしゃいませ!」

と、そんな恭也の耳に明るい声が。
そちらを振り向くと、恭也の目の前に一人の褐色肌の少年が居た。
いや、浮かんでいたと言うべきか。
少年は背中に生えた翼を使って恭也の目の前に飛んでいた。
20センチ程の大きさの少年は、その身体よりも大きなグラスを両手で抱えていた。
中には水が入っており、恭也のために持ってきた事が何となく分かり、恭也はそれを受け取る。

「僕の名前はティレクと申します、マスター」

「はい?」

それが、恭也とティレクの最初の出会いだった。



「つまり、俺が魔王って事か?」

「いえ、正確には、魔王代理ですね」

魔王の代理として、世界を征服しなければならない事に!?

「って、モンスターを作るのにもお金が必要なのか」

「はい…。しかも、我が城も今では赤字続きで…」

魔王になって世界征服しなければいけないのに、肝心の資金がない!?

「ふぅ〜。こうして太陽の下で身体を動かすのは気持ちいいな」

「マスター! 向こうのトマトも穫れごろです」

資金を稼ぐために恭也が打ち出した秘策とは……。

「はい、シュークリームお待ち」

「あ、僕が運びます」

軽食も出来る喫茶店?

「毎度〜。野菜の納品に伺いました〜」

産地直送の野菜作り?

「しかし、従業員も増え、経営も順調。そして、世の中は平和。
 まさに言う事もなしだな」

美味しい野菜造りから、お菓子作りまで。
手広くやります、高町商店。
世間に広まる高町商店の名前!
当初の目的である世界征服は一体どこへ!?

「うーん。次はカブ辺りにでも手をつけてみるか…」

恭也の経営心は何処まで行くのか!?

「…あの、マスター。当初の目的覚えてますか?
 このままだと、元の世界に帰れませんけれど……」

本人よりもティレクの方が事態をしっかりと把握!?
一体、どうなる!?

「いや、何かこのまま商売しながら、休みの日にはモンスターたちに囲まれて、
 盆栽に手を掛けるという生活が中々性に合っていたみたいでな。
 こうゆっくりとした時間というものは、良いもんだぞ」

「は、はぁ…」

本当にどうなるのか!?

世界征服物語 〜恭也の隠居生活〜
もとい、
世界征服物語 〜恭也の大冒険〜 



   §§



非常に変わったシステムを採用している四年制の私立風芽丘学園。
そのシステムとは、必要な単位さえ取れば進学できるというものだった。
その代わり、単位を一つでも落とせば即留年。
理由の如何に問わず、留年決定となる。
情けも何もない厳しいところでもあった。
更に変わっているのは、この学園は15歳以上なら誰でも通えるという事。
そのため、上は70過ぎの高齢の方まで居るという少し変わった学園。
更に更にもう一つ、最も変わっている所があって……。



「恭ちゃん、具合悪いんだったら保健室に行った方が良いよ?」

「いや、大丈夫だ。だが、薬だけでも貰ってくる」

「うん、そうした方が良いよ」

美由希と分かれて保健室へと向かう恭也。
その背中を心配そうに見詰めつつも、次の授業の準備をする為に自分の教室へと美由希は戻る。
あまり人と関わらないようにしてきた二人は、噂話など殆ど知らず、それ故の選択だったのだが…。
これが、今後の命運を大きく分けることになろうとは、この時は知る由もなかった。

不運(?)にもこの日、恭也は保健室の扉を開いてしまった。
そこは、この学園に通うものならば全員が全員知っており、避けて通る場所だったにも関わらず。
何故なら、そこには……。



「すいません」

少しだるそうな顔で保健室の扉を開けた恭也の目に、ショートカットの少女がこちらへと振り向くのが見える。

「いらっしゃい。お客さん?」

「客? まあ、客と言えば客ですが」

「そうなの。いらっしゃいませ!」

恭也の言葉を聞くなり、少女の後ろから派手な格好をした少女が現れる。

「ふーん、へ〜」

少女は恭也を無遠慮に眺め回すと、奥へと引っ張っていく。

「じいさまー。お客さんだよー」

その少女の声に、奥のカーテンが開き、ぞろぞろと現れてくる。
年配の老人が一人。美由希と同い年ぐらいの少年が二人。
それから、20歳半ばぐらいの男性が二人。
計七人の者が恭也の前に姿を見せる。
呆気に取られている恭也の前で、老人が口を開く。

「ようこそ。して、今日はどういった用件で?」

「えっと、薬を貰いに来たんですけれど」

『薬!?』

恭也の言葉に七人が一斉に素っ頓狂な声を上げる。
と、更に奥にあって閉まっていたカーテンが勢い良く開く。

「おー! つまり、君はこの保健室に用があって来たと」

そこからは美しい白衣を来た女性が姿を見せる。
この中でようやく保健医らしい人物を見つけ、恭也は頷く。
それを見てその女性は感動を顕にするように両手の拳を握り締めて目を閉じると顔を天に向ける。

「サキちゃん、何してるんだろう」

「多分、あれは初めての保健室利用者に感動してるんだろう」

派手目な少女が小さく呟いた言葉に、男がタバコを加えながら答える。
二人の少女が顔を顰めたのを見て、その先を指差す。
火は点けていないという事らしい。

「という事は、彼は僕たちのお客さんじゃないって事ですね」

「なーんじゃ、つまらんの〜。折角、事件かと思うちゃのに」

好き勝手に話し始めた七人を見遣りつつ、恭也はどうしたもんかと悩む。
そして、出た答えは暫く待つだった。
ようやく我に返った早輝子が恭也の前の椅子に腰を降ろす。

「ああ、すまなかったな。何せ、ここの生徒で保健室に普通の理由で来る者はいなかったからな。
 そんな状況を夢見ていた私としては、少し感動を覚えてしまったのだよ」

「は、はぁ」

保健室に他の用事って何だと思いつつ、恭也は大人しく頷く。

「何か飲むか? コーヒーなら今すぐ出来るが」

「いえ、遠慮します。それより…」

「ああ、そうだったな。ふむ、自分で思った以上に浮かれているらしいな。許してくれ。
 さて、それでどういった症状だ」

何か引っ掛かるが、恭也は取り合えず症状を言おうと口を開きかけ…。

「お、おじいさぁ〜〜ん! 助けてください〜!」

言って新たな人物が現れ、老人へと向かうかと思いきや、早輝子の姿を見つけてそちらへと膝ま着く。

「早輝子さん、今日も大変うつく……な、何で?」

最後まで男が言い切る前に、その顔面に遠慮も何もない拳骨が落ちる。
それを見ていた他の者たちは、馬鹿だと口々に言いながら肩を竦める。

「折角、初めての保健室利用者が来て、その仕事をいざって時にね〜。
 ほっ〜んっとに、タイミングの悪い男ね」

派手目の少女、みさおの悪辣な言葉に、地面に倒れ込んだ男は急いで起き上がると、恭也をまじまじと見る。

「えっ!? ほ、保健室に!?
 お、お爺さんに用事とかじゃなくてですか!?」

今にも詰め寄ってきそうな雰囲気の男に引きながらも恭也は頷く。
その内で、この保健室はそんなにやばいのかと思いつつ。
同時に、目の前の男に何処か見覚えがあるような気がして観察するように見詰める。
そんな恭也の思考を遮るように、目の前の男は老人へと顔を向ける。

「お爺さん、それよりも」

「何じゃ、依頼か!?」

いきなり目を輝かせ始める老人こと、慈吾朗に男は言いにくそうに頷く。

「本当は頼みたくないんですよ〜。でも、今うちも人手が足りなくて」

「形振り構ってられないってか」

咥えていたタバコを吸うのを諦めてポケットに仕舞いながら、兵悟が呟く。

「ええ、その通りです」

「前置きは良いから、さっさと言え」

急かす慈吾朗に促され、男は話を始めるのだった。
どうも、男は警察の者らしく、何かの調査を頼むという事らしい。
そのやり取りを一部始終聞いていた恭也は、何で保健室に探偵がと疑問を浮かべる。
しかし、その思考も続く言葉に遮られる。

「さて、今から調査する訳じゃが…。お主、名は?」

「高町恭也ですが…」

「そうか。じゃあ、お主はみさおちゃんと一緒に行動してもらおうかの」

「はぁ?」

訳が分からないという顔を見せる恭也に、黒髪の少年が同情する目を向ける。

「ここでは、仕事の話を聞いた者は仲間って事になるんだ」

「……いや、ちょっと待ってくれ」

「そうだぞ、爺様。折角、保健室に来てくれた者を、むざむざ餌食に出来るか。
 そんな事では、益々生徒が寄り付かなくなる」

恭也の応援をするように早輝子が口を挟むも、それを知らん顔で聞き流し、
慈吾朗は他のメンバーに行動開始を告げる。
みさおは恭也の腕を掴むと、やや強引に外へと引っ張り出す。
簡単に振りほどく事も出来たが、怪我をさせかねないと恭也は大人しく付いて行くしかなかったのだった。
こうして恭也は、この学園に居る者なら誰もが暗黙の了解としてしっている、
保健室へは近づかないというルールの意味を、その身を持って知る事となるのだった。
そう、紀井津滋吾郎探偵事務所の海鳴学園支部と化している保健室に入ったばかりに。
しかも、その実体はギャング兼用の探偵団だと言う真実を恭也はまだ知らない…。

海鳴S黄尾探偵団 プロローグ「ようこそ保健室、魔の巣窟へ」



   §§



「う、うぅ。もう、朝か」

目覚めの良い恭也にしては珍しく、寝起きが悪い。
それもそのはずで、昨夜は鍛錬から帰り、美由希の後にシャワーを浴びたのが一時過ぎ。
その後、今日提出しなければならない課題を思い出し、寝たのはほんの二、三時間前なのだ。
と、不意に恭也の鼻腔に良い香りが漂う。
同時に、少し温かく柔らかなものを感じ、恭也はふと顔を横へと向ける。

「#$%A$Y!」

恭也は声に鳴らない声を上げる。
いや、実際には驚きのあまり声など出ておらず、ただ口をパクパクとさせていた。
そんな恭也の動きに気付いたのか、恭也の隣りがもぞもぞと動く。

「ん、もう朝か。しかし、お主は早いのだな」

「…………」

恭也は無言で横を、正確には隣り、それも同じ布団で眠る少女をじっと見詰める。
じっと見詰められて少女は、少し頬を紅くする。

「そんなに見詰めるでない。流石に、照れる」

恥らう少女の美しさに見惚れつつも、恭也は現状が全く理解できていない。
そこへ、恭也を現実に引き戻す声が部屋の外から聞こえる。

「恭ちゃん、どうしたの? もう鍛錬の時間、結構過ぎてるけれど」

「ほう、鍛錬か。私の事は良いから、行くがよい」

「あ、ああ。…じゃなくて、あなたはだ…」

「恭ちゃん、開けるよ?」

「っ!?」

言いながら扉が開かれる。
恭也は咄嗟に少女もろとも布団を掛けて隠れる。

「あれ? まだ寝てるの?
 恭ちゃんが寝坊なんて珍しいというか、初めてじゃない?」

言いながら、美由希の気配が恭也の横へと移る。
その手が布団に伸び、捲り上げる。
それを恭也は強引に引っ張る。

「恭ちゃん、起きてるの?」

「ああ。起きてる」

「じゃあ、早く鍛錬に行こうよ」

「さ、先に行っててくれ。後から行くから」

「どうしたの? ひょっとして、風邪?
 だとしたら、無理しなくても」

美由希の言葉にしめたとばかり肯定しようとした恭也だったが、先に隣りの少女が反応する。

「何、それは真か? 大丈夫なのか」

「あ、ああ。別に風邪ではないからって、何喋っている!?」

「恭ちゃん、今の声、誰。女の人の声みたいだったけれど。
 よく見れば、布団のふくらみ方も可笑しいし。恭ちゃん、捲るよ!」

「止めろ、美由希。今のはきっと風邪による幻聴だ」

「そんな訳ないでしょう。私は風邪を引いてないんだから!
 もし仮に、恭ちゃんが風邪を引いて幻聴を聞いたのだとしても、それが私に聞こえるはずないでしょう!」

言うと同時に布団を取り上げ、そこに広がる光景に美由希は固まる。

「…………きょ、恭ちゃん?」

「ご、誤解だ。これは何かの間違いだ」

「ふう。朝からこうも騒がしいとは。やれやれだな」

「恭ちゃんの……」

少女の言葉を誰も聞いていないのか、美由希は背中より小太刀を取り出して振り下ろす。

「馬鹿ーー!」



あの後、暴れる美由希を落ち着かせている間に、謎の少女は居なくなっており、
二人はいつもよりも少し遅いが鍛錬へと出てきていた。

「まったく信じられないよ。女の人を連れ込むだなんて」

「だから…。それはそうと、何故、そこまでお前が怒るんだ?」

言って溜め息を吐きつつ、ふと浮かんだ疑問を口に出す。
途端、美由希はギクシャクとした動きになり、簡単に一本取られる。

「ず、ずるいよ」

「油断するお前が悪い。…にしても、今朝の女性」

「何、やっぱり心当たりがあるの!?」

「幾ら疲れていたとは言え、簡単に侵入を許すなんて。
 それに、気が付いたら居なくなっていた事と考えると…。
 まさか、幽霊」

「ちょ、や、止めてよ恭ちゃん。朝からそんな事言うの」

「しかしだな」

「男らしくないよ。ちゃんと非を認めないと」

「本当に身に覚えがないんだが。その前に、別に非でも何でもないだろう。
 お互いに同意していたのなら、お前にそこまで言われる覚えはないはずだが」

「うっ。そ、それは。って、同意って。やっぱり知り合い」

「いや、本当に知らん。と、その話はお終いだ。そろそろ戻るぞ」

まだ不満そうな顔をしつつも、これ以上は無駄だと悟ったのか、美由希は大人しく従うのだった。



美由希とギリギリまでドタバタしていた所為か、珍しくギリギリの登校となった恭也へ、
クラス委員長の榊が話し掛けてくる。

「おはよう、高町くん。珍しくギリギリね」

「ああ、おはよう委員長。まあ、ちょっと色々あってな」

「別にちゃんと来てるから良いけれどね。
 まあ、例によって月村さんはまだみたいね」

「あいつは本当にギリギリだからな。まあ、そろそろ来る頃だろう」

二人して笑っていると、その噂の主が現れる。

「あれ、どうしたの二人して」

「いや、別に」

「そうそう、気にすることじゃないわよ」

「ふーん。まあ、いいけど。あ、そうそう。そう言えばさ」

言って忍が話し出すと、廊下からガランゴロンという鈴の音が響いてくる。

「珠瀬さんね」

「恭也が付けたあの鈴、いい加減に外せばいいのにね」

「まあ、俺も冗談のつもりだったんだがな。
 まさか、あれほど気に入るとは思わなかった。まあ、たまらしくて良いんじゃないか」

話している間にも鈴の音は大きくなっていき、教室の扉が勢いよく開く。

「ま、ま、ま…」

「たま、とりあえず落ち着け」

「は、は、はいぃ」

恭也の言葉に深呼吸を繰り返し、ようやく落ち着くと珠瀬は恭也を見上げる。

「間に合いました」

「…ああ、そうだな」

苦笑しつつ答える恭也に、忍や榊も苦笑する。
そこへ、新たな人物が姿を見せる。

「彩峰か。珍しいな、こんな時間に来るなんて」

「……そう?」

「ええ、珍しいわよ。一体、どういう風の吹き回しかしら?」

彩峰へといきなり噛み付かんばかりに言い寄る榊を無視し、彩峰は恭也を見る。

「気紛れ?」

「いや、俺に聞かれても」

「というのは嘘。本当は、今日は売店で焼きそばパンが特売。
 今から並ぶ」

「って、待ちなさい! もうすぐHRが始まるのよ!」

「ちっ!」

榊は素早く彩峰の腕を掴んで席へと引き摺っていく。
それを呆れたように見遣りつつ、担任の神宮司まりもの登場により恭也たちも席に着くのだった。

「さて、今日は皆さんにお知らせがあります。
 三年のこの時期ながら転校生を紹介します」

「珍しいこともあるな」

「そうなのよ。朝、私が言おうとしていたのは、この事なんだけれどね」

「そう言えば、何か言おうとしていたな」

「まあね。朝、職員室の前を通る時に聞いたのよ。
 結局、言えなかったけれど」

忍と小声で話しているうちに、件の転校生が教室へと入ってくる。
その姿を見た恭也は、声を無くしてただ呆然と教室の前を見る。
そこには、恐らく刀の入っているであろう袋に手を置き、背筋をまっすぐに伸ばした朝の少女が居た。

「朝の幽霊……?」

「恭也? どうかしたの?」

そんな恭也の不審な態度を不思議そうに見ていた忍の耳に、転校生の自己紹介の声が聞こえてくる。

「御剣冥夜だ。以後、見知りおくがよい」

「それじゃあ、席は高町くんの隣りで」

「承知している」

冥夜は真っ直ぐに恭也の前まで来ると、隣りの席に腰を降ろすことなく、そこで立ち止まる。

「そなたに感謝を。昨夜は、夢心地であった。
 傍らに恭也、そなたの温もりを感じて、眠れたのだからな。
 そのことを、大変嬉しく思うぞ」

途端、教室の空気が間違いなく凍り付く。
数人の女子生徒からの視線と、ほぼ全員に近い男子の視線を一身に受け、恭也は冷や汗を流す。
そんな周囲の空気に気付いていないのか、冥夜と名乗った少女は席に着く。
HRが終わり、最初の授業までの間にと、忍たちが恭也に詰め寄る。

「恭也、一体どういうことよ!」

「高町くん、どういうこと?」

「高町、やるね」

「恭也さん、御剣さんとはどういう関係なんですか?」

「…いきなりだな、お前たち」

「そんな事はどうでも良いのよ! さっきの言葉の意味はなにって聞いているの!?」

忍が机をバンバンと叩き、恭也へと詰め寄る。
そこへ、教室の扉が開いて美由希が顔を出す。

「恭ちゃん、朝言い忘れていたんだけれど、今日のお昼……。
 って、ああーー! 何で、どうして、あなたがそこにいるの!?」

「何々? 美由希ちゃん知っているの?」

忍がすぐさま美由希を教室へと引っ張り込んで尋ねると、美由希は特に考えることもなく、
驚きのまま告げる。

「知ってるも何も、恭ちゃん、どういうこと!
 朝、知らないって言ってたのに!」

「だから、俺にも何がなんだか…」

「だったら、何で、恭ちゃんと一緒の布団で寝ていた彼女がここに居るのよ!」

『っ!? な。なにぃぃーーー!!』

G組の生徒が一斉に上げた悲鳴にも似た声は、大きく学校に響く。
そんな中、恭也は美由希を手招きして呼ぶと、その頭に拳骨を落とす。

「いたいぃぃ! な、なにするの!」

「何もくそもあるか! お・ま・え・は、何を大声で言ってる!」

言って何度も拳骨を落とす。

「や、やめ、きょ、恭ちゃん。ちょ、まじで止めて、お願い」

涙目で頭を押さえる美由希を睨みつつ、恭也は大きな大きな息を吐き出す。

「恭也、このクラスは中々楽しそうだな」

「そうか? まあ、確かに今日は騒がしいけれど。
 って、御剣さん、どうして俺の名前を?」

「冥夜で良い」

「いえ、しかし…」

「冥夜でよいと申すに」

「ですが、御剣さん」

「冥夜でよいと言っておろうに。なぜ、名を呼んでくれないのだ? 」

徐々に近づいてくる冥夜に、恭也は少しだけ後退りながら躊躇う。
その躊躇いを見て取った冥夜は、悲しそうな顔をする。

「この願い、どうしても叶わぬというのか」

「えっと、め、冥夜」

「っ! 何だ、恭也!」

名前で呼んだ途端、冥夜は嬉しそうに恭也へと更に詰め寄る。
ぴったりと寄り添う冥夜に、恭也はやや上ずった声を上げる。

「その、ちょっと近づき過ぎじゃ…」

「何を申すかと思えば。私とそなたの距離に、近すぎるなどと」

「恭ちゃ〜〜ん?」

殺気を纏った美由希、いや、忍までもが恭也の前に立ちはだかる。
同様に、風紀がどうこう言いながら榊までも立つ。
少し離れた所では、彩峰が楽しそうに事の成り行きを見守り、珠瀬はおろおろとあちこちを見渡す。
そんな騒乱の中、冥夜は美由希の殺気に反応したのか、その手を包みに伸ばす。
美由希は剣士の勘からか、一足飛びに後方へと飛び退き、冥夜の握った獲物の間合いの外へと出る。
それに感心したように短く声を上げつつ、その袋を開けようとする冥夜の手を恭也が押さえる。

「よせ、冥夜。こんな所で、そんなものを出すつもりか」

「そうであったな。許すが良い。予想外の反応に、つい体が反応してしまったのだ。
 だが、それもこれも、そなたが窮地と思えばこそ。
 そなたの窮地は私の窮地だからな。そなたのために、私はあるのだ」

その台詞が益々火に油を注ぐこととなっているのだが、冥夜は気付いた様子はなかった。
恭也は理由は分からないまでも、美由希たちの反応に朝から疲れたように肩を落とす。
と、その視線が冥夜とぶつかる。
見れば、冥夜は少し頬を紅くし、照れたように恭也の顔と下へと視線を忙しなく動かす。
正にもじもじといった感じで照れる冥夜に、恭也も何故か照れつつ、その視線を落とせば、
そこには未だに冥夜の手を押さえる恭也の手があった。

「すまん」

「いや、良い。むしろ、もう少しこのままで」

「えっ?」

「あ、いや、すまん。確かに、このままという訳にはいかんからな。
 だが、安心するがよい。
 今、この手が離れようとも、そなたと私は絶対運命という固い絆で結ばれているのだから」

そんな二人の様子に、美由希と忍の目付きが更に上がっていく。
教卓では、既に一限目の授業の教師が来ているのだが、この雰囲気に口を挟めずに居た。
こうして、一人の転校生の出現により、恭也の日常は更に騒々しいものになっていくのだった。

muvheart



   §§



少年はいつも通りの時間に目を覚ます。
すぐには起き上がらずに周囲を確認する。
特に問題がない事が分かると、ゆっくりと眠っていた場所、
ベッドの下から出てくる。
やけに静かな朝だと思いつつも、その手はてきぱきと慣れた手つきで武器を整理していく。
必要なものを全て装備すると、少年はマンションのドアを開けて外へと出る。

「……何だ、あれは」

マンションの外へと出た第一声が、それだった。
目の前には彼の知り合いが住んでいるマンションがあるはず。
いや、マンションはある。
ただ、そのマンションが巨大な人型の機体によって潰れているのだ。

「千鳥!」

少年、相良宗介は慌ててマンションへと向かおうとするも、すぐに足を向ける。
少女が住んでいる部屋は既にぼろぼろに壊れており、もしそこに居たのなら生存は難しい。
勿論、それでも確認したいという欲求がない訳ではなかった。
しかし、問題はマンションを壊した機体だった。
仮にこの機体の仕業だとして、何故、自分に何の連絡も来ないのか。
連絡がないという事は、少女は無事なのでは。
そんな楽観的な考えも浮かぶが、それを否定する。
もし、自分たちが敵対するものの仕業なら、とりあえず少女の身は安全だ。
そう、とりあえず。
奴らの狙いは、彼女の命ではなく、彼女の知識にあるのだから。
そう言い聞かせて自分を落ち着かせると、宗介は目の前の機体を見る。

「見たこともないが、新型のASか。
 それに、警察が来ないというのもおかしい」

分からないことばかりだ。
宗介は上官へと連絡を取るか悩み、先に学校へと行く事にする。
連絡を入れるにしても、もう少し情報が欲しい。
そう考えたのである。
それにしても、と宗介は思う。
いつもこの時間は通学や通勤で人が賑わうのに、今日に限って人を見かけない。
それどころか、所々に壊れた建物が目に付く。
駅へと着いたが、電車も走っていないようで、仕方なく宗介はそのまま線路沿いに歩く。
そうこうしてようやく陣代高校へと辿り着いた宗介は、その前で足を止めて感心する。

「ほう。ようやく、皆にも安全に対する心構えが出来たのか」

塀の上に付けられた鉄条網に、監視カメラ。
校門は堅牢な門扉へと変わり、その前に二人の監視が銃を所持して外を見張っている。
その事に満足して宗介は門へと近づき、校内へと足を踏み入れようとする。

「おいおい。幾らここの者だからって、素通りはしないでくれよ」

「そうそう。これも規則なんだから、ちゃんとIDを出してくれ」

「む、それは失礼した。いや、しかし、ここまで変わるとは」

「ほら、感心してないで、IDを」

「ID? 悪いが、俺はそれを貰っていないんだが」

「なに? お前、どこのもんだ」

宗介の言葉に二人の門番が銃を宗介に向ける。
宗介は逆らわずに大人しくしながら口を開く。

「待て。確かにIDは持っていないが、ここの所属だ」

「ここに所属していてIDを持っていない訳がないだろう」

「本当だ。俺は二年四組…」

「少し黙っていろ」

宗介の言葉を途中で遮ると、一人が銃口を向けたまま、もう一人が宗介の身体を調べる。

「こいつ、武器を所持しているぞ」

「なに!? 動くなよ」

宗介は大人しく従う。
その間にも、男は宗介の服や鞄から武器を取り出していく。
手榴弾に催涙弾。プラチック爆弾に無線機。
銃が十数丁に、大小ナイフが数本。
流石に二人は呆れつつも、宗介の武装を完全に解除する。

「お前、こんなに武器を持ち込んで何をする気だった」

「誤解だ。それは単に護身用で…」

「怪しいな。兎も角、来てもらおうか」

宗介の腕を拘束する男に、宗介は思わずその腕を解いてしまう。

「こいつ、逆らう気か」

「いや、すまない。そんなつもりは…」

銃口を額に押し付けられ、宗介は口を閉ざす。
こうして、男二人に拘束された宗介は、そのまま牢屋へと入れられるのだった。



それから三日後、宗介は牢から出され一つの部屋へと連れて行かれる。
そこに居る人物を見て、宗介は驚愕する。

「た、大佐殿。どうして、こちらへ」

まさか、自分がヘマをして捕まったせいで、大佐に迷惑がと考える宗介の前で、
大佐と呼ばれた少女は眉を顰める。

「大佐? いいえ、私は大佐ではありませんが」

「はい?」

そこでの会話から分かった事は、ここは宗介が元々いた世界ではないということ。
ベータと呼ばれる異星人と戦争をしている事だった。
そして聞かされるオルタネイティヴ計画のこと。
その要となりうるのが、宗介自身の存在だという事。
テッサ博士の協力の元、宗介はこの訓練校のとある訓練部隊へと入隊する事となる。

果たして、宗介は人類を守れるのか!

「問題ない」

フルラヴ 第一話



   §§



一つの教育機関があった。
ただし、それは世間一般で言う所の教育機関とは異なり、
学校教育法上の定めに則って作られた機関ではなかった。
そもそも、この国の公文書のどこを探してもその機関の名前はなく、
どんな地図を紐解いてみたとしても、その機関の所在地は載っていない。
つまり、世間一般的には、それは存在し得ない機関であった。
だが、確かに存在している。
そんな教育機関。
現代の社会を築く上で、切り捨ててきた、見捨ててきたものが堆積して出来上がった機関。
不可思議なる技を会得するための場所。
誰にも知られる事のないその教育機関を、関係者は様々な想いよりこう呼ぶ。

現代に隠れ住みし超常なりしものたちの学園
 <マジシャンズ・アカデミイ> と



「みゅみゅ! タクト、タクト。我と一緒に遊びに行くのである」

やや癖のある真っ赤な髪に同じく紅い瞳。
南国の育ちを思わせるような褐色の肌に尖った耳をした野生児という事を、
雰囲気全体で伝える少女が一人の少年に絡みつく。
それを見た、お下げ髪に眼鏡という、文学少女を思わせる出立ちの少女が手にしたスケッチブックを振る。

『こらタナロット! タクちゃんから離れなさい』

スケッチブックに描かれたその文字を見せるように、タロットの前に出す。

「みゅ。我はスズホの言葉に従う義務はないのである」

『義務って何よ! 義務って』

少女は慣れた様子でスラスラと次の文字を描く。
その間も、タナロットは拓人に絡みつくのを止めない。
拓人を挟んで言い合う、正確には一人は筆談だが、しているうちに、二人の少女は徐々に熱くなっていく。

「あらあらあら〜。ご主人様、このままだとここは危険ですから、あちらへ参りましょう」

そう言って、新たに現れた少女はのほほんとした口調で拓人の腕を取ると、その場を立ち去ろうとする。
いつの間にか腕を離していたタナロットも、スケッチブックに次なる言葉を書いていた鈴穂も、
お互いに動きを止めて第三者の少女の名を呼ぶ。

「ファルチェ!」

『ファルチェ!』

その声におっとりと振り返るファルチェの腕を両側から掴むと、困ったように笑う拓人から引き離す。

「ずるいのである。ずるっこなのである」

タナロットは言いながら拓人へと近づこうとして、その鼻先に切っ先を突き付けられる。

「で、お前はそう言いながら何をする気だ?」

その切っ先の先、奇妙な形の武器らしきものを構えた少女へとタナロットの視線が向かう。
その顔は鈴穂とそっくりで、唯一違う点を上げるとすれば、蒼い色をした髪だろう。
雰囲気こそ違うものの、それ以外は、外見は全く同じだった。
それもそのはずで、彼女は鈴穂のもう一つの人格で、名を鈴果といった。
鈴果へと変わると、鈴穂は言葉を話す事が出来る上、彼女の特異体質が発動される。
それは、周辺の魔力を吸い上げるという、魔法使いたちにとっては天敵とも言える能力。
故に、彼女は≪宵藍の侵奪者(ミッドナイト・ブルー・ヴァンパイア)≫の別名で呼ばれることもあった。
ともあれ、この少女たち三人による騒動は、ここ学園では日常になりつつあり、
その甚大ならざる被害もまた日常と化しつつあるのには、困ったものだが。
未分化魔神であるタナロットの拳と、鈴果の持つ武器ワルプギスがぶつかり合う。
二人の攻防によって地面には穴が開き、建物の壁には皹が入る。
お互いに一旦離れて距離を取ると、力を溜めて更なる一撃を叩き込もうと地を蹴る。
何かがぶつかる音がして、二人の拳とワルプギスの刃が間に立つ人物によって受け止められる。

「ったく。お前たちは毎度、毎度。暴れるのなら、周りに迷惑の掛からないところでやってくれ」

「みゅみゅ。キョウヤ、おっはー、なのである」

「ああ。まあ、今は昼だがな」

「…悪かったよ」

鈴果は素直に詫びるとワルプギスを仕舞い、リボンをする。
すると、猛々しい印象から大人しい印象へと変わり、髪の色も黒へと戻る。

『恭也さん、ごめんなさい』

「ああ、気にするな。今回は近くにいたお陰で、すぐに止めれたしな」

「ありがとうございます、恭也さん」

「拓人もたまには自分で止めろよ」

「あははは。それはちょっと、いや、かなり難しいです」

恭也の言葉に苦笑で返す拓人に、恭也も小さく笑う。
拓人たちと親しそうに話すこの青年の名は高町恭也といい、彼もまたこの学園へと在籍する生徒である。
彼もまた、鈴穂たち同様に一風変わった生徒として有名であった。
魔法を学び身に付けるこの学園に置いて、剣術の鍛錬を重視しているのだから。
勿論、魔法とは何も闘う術を指すわけではない。
故に、表の顔として剣術家をやっていたとしても可笑しくはないのだが。
それに、彼がここに在学しているのは、魔法を学ぶためというよりも、鈴穂と立場が似ていたりする。
先天的な特異体質。
魔術無効化(マジック・キャンセル)という体質のため、秘匿されるべき魔法の存在を知られても、
記憶を操作する事が出来ず、結局は抱き込むような形で在籍する形となったのだから。
彼はその体質を魔法という術でコントロールするための努力を惜しまなかった。
結果、彼が武器を振るえば、魔法の炎を切り裂き、魔法の弾を弾き返すという荒業をできるまでになっていた。
魔法使いにとっては、これまた天敵と言える存在である。
もっとも、無効できる魔法量にも限度はあるらしいのだが。
ともあれ、こうして異質な存在に囲まれた一見、平凡な少年拓人だが、ある意味、彼が一番の特異だと言える。
≪始原的神魔創造者≫
それが彼の持つ、この世界にはあってはならないとさえ言われる能力だった。
この物語は、そんな特異な体質を持つ二人の少年の物語…。



「我が名と技を背に我は実行す――」

超常の担い手、≪始原的神魔創造者≫ 羽瀬川拓人

「とりあえず、拓人に害をなすっていうのなら、ぶった斬るのみ!」

≪宵藍の侵奪者≫ 羽瀬川鈴穂&鈴果

「みゅ? みゅみゅみゅみゅ!」

拓人により生み出されし未分化魔神 タナロット

「あらあらあら〜。大変ですね〜」

拓人に仕える可変型魔法機杖(ヴァリアブル・ワンド) ファルチェ

「いやいや、中々面白い事になってきたじゃないか。なあ、エーネ」

天才魔法使いにして、究極の趣味人 佐久間榮太郎

「……当人たちにとっては、それは不適切な言葉かと」
榮太郎に仕える使い魔、エーネウス

「先輩、面白がっている場合じゃないと思うんですが……」

何故か苦労を背負い込む事の多い青年 高町恭也

個性的なキャラクターが織り成す、ドタバタコメディー(?)

マジカル・ハート・アカデミイ



   §§



その時、空が裂けた。
何の前触れも何もなく、そう、それは唐突に起こった出来事だった。
その裂け目から、物語や神話などでたまに見かけるドラゴンという生き物に似た生物が現れた。
いつの間にか気を失っていた恭也が気が付くと、そこは無数の本に囲まれた部屋、そう、巨大な図書館だった。

「美由希あたりなら喜ぶんだろうがな」

そう一人ごちると、恭也は何がどうなったのかを思い出そうとする。
しかし、少し前の記憶がなく、気を失った事のみ憶えていた。

「あー、兄さん、兄さん」

と、不意に恭也へと掛けられる声。

「鳥?」

鳥に話し掛けられ、一瞬だけ戸惑うもすぐに尋ね返す。

「何か用ですか」

「ほうほう。兄さんは中々人が出来てらっしゃるようですな」

「そんな事はないですよ」

「いやいや。普通、人っちゅーんは外見でまず判断しますさかいな。
 と、申し送れました。わてはケンちゃん言います」

「高町恭也です」

「ほう、記憶を持っているとは…」

珍しいものでも見るように見てくるケンちゃんに、恭也は思っていた事を尋ねる。

「所で、ここは…」

「それを今から説明させてもらいましょう」

そうして語られる事実に、恭也は流石に耳を疑う。
この図書館が世界の全てを収めている場所で、恭也の世界はここに無数あるうちの一冊の本だと言うのである。
そして、恭也の世界である本が壊れかけていて、戻る事が出来ないと告げられる。
修復するためにも、散らばった世界(本)を探し出し、その中にある世界の欠片を探す事になる恭也だった。



ヤミと剣士と本の旅



   §§



いよいよ明日から夏休みという日。
当然の如く、午後近くには浮かれまくる生徒たちが校門からぞろぞろと出てくる。
その近くを一台のトラックが走り抜けていく。
トラックはそのまま市街地を走り、住宅街へと進路を変えて走り続ける。
やがて、立派な門構えの日本家屋の前に止まる。
トラックから降りてきたのは、男性と小さな女の子だった。
二人はそこで待っていたらしき、背の高い男へと近づく。

「ジャンボ! 久しぶりだなー!」

女の子の言葉にジャンボと呼ばれた大男が答える。
男もまたジャンボと二言、三言言葉を交わすと、二人はトラックの荷台へと向かう。
そこに詰まれた家具を括りつけていたロープを解くと、男は日本家屋の隣に建つ家の門を開ける。
どうやら引っ越してきたらしく、男二人は二台の荷物を家へと運び込んでいく。
男二人が荷物を運び込むのに集中している間に、女の子はいつの間にか居なくなっていた。

「よつばはどこだ?」

不意に気付いたジャンボの言葉に、女の子――よつば――の父親だろう男があっさりと答える。

「いなくなった。
 まあ、腹が減ったら帰ってくるだろう」

「そっか。んじゃ、見つけたらひろっとくわ」

そう言ってトラックへと乗り込むジャンボに、窓越しに男が声を掛ける。

「おい、引越しの挨拶で近所に配る物なんだから、変なものは買ってくるなよ」

男の言葉に小さく手を上げて応えると、ジャンボはトラックを発進させた。

ジャンボが居なくなり、一人になった男は引越しで出たゴミを前に、いつ出したら良いのか悩んでいた。
そこへ、一人の少女が話し掛けてくる。

「こんにちは。もしかして、引越ししてきたんですか?」

「はい、そうですけれど」

男の言葉を聞くと、少女は頭を下げる。

「私、隣に住んでいる高町美由希と申します。
 宜しくお願いします」

「あ、いえ、こちらこそ」

挨拶を交わすと、美由希はゴミに関して出す曜日などを教える。
幾つかの世間話をしていくうち、よつばという女の子が何処かに行った事を知り、
美由希は出かけるついでに、それらしい子がいないか注意してみる事を約束するのだった。
これが、後に美由希とよつばが出会う切っ掛けとなった出来事であった。



何とかよつばを見つけるも、誘拐と間違われて逃げられる美由希。
走って逃げるよつばの誤解を解こうと、美由希もその後ろを追う。
あっさりと追いつくかと思われたが、よつばは小さい身体を利用し、狭い通路や穴を潜り抜けていく。
後一歩の所で届かないまま追いかけ続ける美由希は、いつしか見覚えのある場所に来ていた。

「あれ、ここって。このまま行くと家に…」

考え込んで走っている所為で、速度をやや落としよつばとの距離が僅かだが開く。
それを見て、美由希は走る速度を上げる。

「ふふふ。ここから先は何もないからね。
 ようやく捕まえられるよ」

一方、前を走っていたよつばがちらりと後ろを振り向くと、怪しい笑みを浮かべて速度を上げる美由希の姿が。

「おおお! たーすーけーてー!」

叫びながら逃げるよつばの前、一軒の家から一人の青年が姿を見せる。
突然の悲鳴にそちらへと向けば、小さな女の子を追いかける自分の妹の姿が。
事情が分からないものの、何故か口から溜め息が零れる。
青年――恭也がそちらへと向くと、美由希がよつばを捕まえるように頼む。

「どうかしたのかい?」

走ってくるよつばへと優しく声を掛ける恭也の元へと走り寄ると、よつばは背後の美由希を指差す。

「た、助けて。悪い奴に捕まる!」

言って恭也の服の裾を掴み震えるよつばと、必死で違うと首を横へ振る美由希を交互に見詰める。

「悪い奴は懲らしめなければいけないな。もう大丈夫だから」

「ホントか!?」

勢い込んで尋ねるよつばへと笑いかけると、恭也は美由希の頭へと拳骨を落とす。
あまりの痛みに言葉を無くして蹲る美由希を見て、よつばは目をきらきらさせて恭也を見上げる。

「すげー! つえー!」

純粋な子供の言葉に若干照れつつ、ようやく立ち上がった美由希へと視線で何があったのか問い掛ける。

「な、何があったのかも分からないのに、この仕打ち……」

「まあ、諦めろ。こうするのが一番だと思ったんだ。
 実際、上手く収まったみたいだしな」

「うぅぅ。私の被害は無視してない?」

兄妹でそんな会話をしていると、隣の家から男性が姿を見せる。

「お、よつば」

「あっ! とーちゃんだ!」

男の姿を見て、よつばは嬉しそうに駆け寄る。
男は恭也と美由希を見て、よつばを連れてきてくれたのだと理解して礼を述べる。

「いえ、俺は何もしてませんから」

「うぅっ。痛かった」

訳の分からない事を言う美由希に不思議そうな顔を見せる男性へと、恭也は自己紹介をする。

「自分は高町恭也と申します。これの兄です」

「ああ、ご丁寧にどうも。
 引っ越してきた小岩井です。で、こっちがよつば」

「ああ、お隣に引っ越してきたんですか」

「ええ。これからよろしくお願いします」

「こちらこそ」

男二人がそんな会話を交わしているのを、よつばは不思議そうに眺める。
そんなよつばへと、小岩井が優しく言う。

「ほら、よつばも挨拶しなさい。
 このお兄ちゃんたちは、お隣さんだ」

「え? おとなりさん?」

「そうだよ、よつばちゃん。ね、誘拐犯じゃなかったでしょう。
 ほら、そこが私たちのお家。ね、お隣さん」

美由希の言葉に不思議そうな顔で小岩井の顔を見上げると、よつばはトラックで来た方へと指をさす。

「違うよ。よつばの家はもっともっとずーーっと遠くにあるんだよ?」

よつばの言葉にこちらも不思議そうな顔で小岩井を見詰める。

「あっ!! こいつ何も分かってなかったのか!」

尚も不思議そうな顔を見せているよつばの頭に手を置き、そのまま自分の背後の家へと顔を向ける。

「いいか、よく見ろよ〜。今日からここがよつばの住む新しい家だ」

暫くじっと家を見詰めていたよつばは、今度は驚いたような顔を見せる。

「おおー! 今日からここか!」

「そうみたいだね。で、こっちが俺たちの家だよ」

恭也が隣に立つ日本家屋を指差して見せる。

「おおっ。とーちゃん、お隣さんだ!」

「そうだ、お隣さんだぞよつば」

ようやく納得したよつばと小岩井を、二人は何とも言えない表情で眺める。
そんな二人に、よつばが満面の笑みを見せる。

「よろしくな!」

そんなよつばへと、恭也と美由希は顔を見合わせると声を揃える。

「「よろしく」」

こうして、高町家の隣にちょっと元気な女の子が現れたのだった。

よつばと高町家! 第一話「お引越し!」



   §§



ある晴れた休日。
海鳴市にほど近い場所に出来たテーマパークへとやって来た高町ご一向。
桃子が仕事で来れなかったものの、兄と姉に挟まれてご機嫌ななのはを連れて少し休憩していた。

「流石に疲れる」

「恭ちゃん、年寄りくさいよその台詞」

「ほっとけ。なのは、口元にクリームがついてる」

美由希の言葉に力なく答えながら、
恭也は二人に挟まれてソフトクリームを食べていたなのはの口元をハンカチで拭う。
それに礼を述べつつ、なのはは不思議そうに首を傾げる。

「でも、お兄ちゃんもお姉ちゃんもいつもずっと鍛錬で動いているじゃない。
 あれに比べたら、全然たいした事ないと思うんだけれど」

そんななのはの疑問に二人は苦笑を浮かべるだけで何も言わず、なのはもまた答えを期待していないのか、
すぐに溶け始めているソフトクリームへと集中する。
そんななのはを二人して見た後、同時に二人の視線は前方やや上空へと向かう。
ここから少し離れた場所に浮かぶ、レールの上を今丁度、四角く長細い物体が走り抜けていく。

「晶とレンもよくやるね」

「あれで、四、いや五回目か?」

「えっと……。うん、五回目だね」

二人が見詰める先では、さっきの物体――ジェットコスーターが音を立てて、
ぐるぐると輪になったレールを走り抜けていく。

「あの二人は何処にいても勝負したがるからな」

「あははは。でも、ジェットコースター耐久勝負って……」

「どっちが先にギブアップするからしいが…。あの行列に並んでいる間に回復しそうだがな」

苦笑して見詰める二人の間で、なのはもまた何とも言えない顔をするのだった。



結局、晶とレンの勝負は付かないまま、恭也たちは次のアトラクションへと向かい、
久しぶりに兄や姉と過ごす休日をなのはは堪能するのだった。
既に日も傾き始め、最後に観覧車に乗りたいといったなのはに付き合う恭也たちだったが、
そこへ向かう途中、恭也は怪しげな人物を見咎める。
全身を真っ黒な服で包み、これに関しては恭也もとやかく言えるようなものではないが、
だが、それなりに暑さも感じるというのに、黒のロングコートにサングラス。
おまけに顔を隠すように襟を立て、帽子を深く被った男二人連れというのは可笑しすぎた。
男たちは手に銀色のアタッシュケースを持っており、腕時計で時間を確認すると歩き始める。
その様子を訝しんだ恭也は、なのはを美由希たちに任せて男の後を付けるのだった。



物陰から男の様子を窺うと、新たに現れた男へとアタッシュケースを開いて見せていた。
そこには、ぎっしりと札束が詰まっており、恭也は声を潜める。

(何かの取引か…)

黒尽くめの男へと何かが渡される。
それを見ようと僅かに身を乗り出した恭也は、背後の気配に気付いて振り返る。

「ほう、気付いたか。だが、遅い」

前に注意を払いすぎており、周囲の警戒が薄くなっていた隙を付かれた恭也は組み伏せられる。
だが、力では恭也の方が上らしく、抜け出せそうであった。
それを相手も気付いたのか、すぐさま内ポケットへと手を入れると、一本の注射器を取り出し、
恭也の首筋に当てて針を刺す。
何かの薬品だろうか、それが恭也の体内へと入り、恭也は息苦しくなり喉を押さえる。
その音を聞きつけたのか、取引をしていた男もこっちへとやって来る。

「兄貴、こいつは」

「どうやら、付けられていたみたいだな。
 捉えようとしたんだが、予想以上に鍛えられていてな。ついでだから、例の新薬を使った」

二人が見下ろす先で、恭也は身体を痙攣させやがて動きを止める。
呼吸が停止した事を確認すると、男二人はその場を立ち去るのだった。



どのぐらいの時間が経過しただろうか、恭也はだるい身体をゆっくりと起こす。

(くっ、油断した。しかし、何故殺さなかったんだ。
 それに、例の新薬とは何だ)

まだ霞が掛かる頭で必死で考える恭也へと、この遊園地の警備員だろうか、一人の男が声を掛けてくる。

「ぼく、大丈夫かい? お父さんかお母さんは?」

「……俺に言っているのか?」

「そうだよ。それにしても、どうしてそんなにだぼだぼの服を着て」

男の言葉に首を傾げつつ立ち上がろうとした恭也だったが、何かに足を取られて躓く。
下を見れば、自身のズボンの裾が伸びていて、どうやらそれに足を取られたらしい。

(違う! ズボンが伸びるわけないだろう。つまり、これは……」

改めて恭也は自身の身体を確かめるように触り、立ち上がった視線の高さを確認する。
それは、いつも見慣れたものではなく、それよりも低い位置にあった。

(俺が縮んだ!?)

信じられない出来事に驚きつつ、恭也は未だに声を掛けつづける警備員に気付かずに走り出す。
園内をくまなく走り回り、ようやく恭也は目当ての人物を見つける。

「美由希!」

「え、恭ちゃん? もう、どこに行ってたのよ。皆心配して……って、あれ?
 恭ちゃん、どこ?」

「ここだ、下だ!」

そう言われて下を見た美由希は、そこに小さな男の子を見つける。
じっと見上げてくる男の子の目線に合わせるように屈み込む。

「ぼく、どうかしたの? ひょっとして、お父さんやお母さんとはぐれちゃったのかな?」

「まあ、その反応が普通なんだろうが。
 美由希、お前から見て俺は何歳ぐらいに見える?」

「ん〜。九、十歳って所かな。って、駄目だよ、目上の人にそんな口の聞き方しちゃあ。
 ちゃんと美由希お姉ちゃんとか、美由希さんって言わないと……。
 って、どうして私の名前を知ってるの?」

「はぁ。どう説明したもんかな。とりあえず、落ち着いて聞けよ。
 俺の名前は高町恭也だ」

「私の兄と同じ名前だね。でもね…」

「同じ名前なのではなく、同一人物だ!」

「へっ?」

「信じられんのも無理ないが…」

言って恭也は自分が恭也だと証明するために幾つかの事を話し出す。
元々は不破という姓を名乗っていたこと。
御神流という剣術のこと。美由希とは本当は従姉妹だということ。
他にも、なのはや晶、レン、今は海鳴にいないフィアッセに関する事なども。
それこそ、恭也自身じゃないと知らないような事まで。

「後は…、そうだな。美由希がおねしょをしていたのは…」

「わーわーわー! そんな事まで言わなくてもいいよ!
 うぅぅ。この意地悪さは恭ちゃんだよ…」

「信じてくれたか。…まあ、信用のされ方がちょっと不満だが」

ぶつくさ言う恭也へ、美由希は真剣な顔を見せる。

「でも、どうしてこんな事に?」

「ああ、実は…」

そして恭也は自分が見た事を全て話す。

「だとしたら、その人たちを捕まえて解毒剤を作らせれば」

「ああ。
 だが、こんな薬を作り、ましてや何かの取引をしていた事を考えると、何らかの組織という可能性もあるな」

「しかも、平気で人を…」

「ああ。だから、当分俺は身を潜める事にする。
 奴らは俺が死んだと思っているみたいだったからな。
 俺が小さくなるとは思っていないみたいだったし。
 下手に本人だと認識されると、周りに被害が及びかねん」

「そうだね。私は兎も角、おかーさんたちを巻き込めないし」

「ああ。そういう訳だから、俺は暫くは留守という事にしてくれ」

「うん、分かったよ。でも、これからどうするの?」

「問題はそこなんだが…」

恭也は少し考え込むと、美沙斗へと助けを求める。
電話で事情を説明すると、美沙斗は少し考えた後、

「元々、その薬の効果が小さくなる事ではなく人を毒殺だと分からずに殺す事にあるんだとしても、
 そんな薬を開発している組織に心当たりはないね。
 勿論、我々としても全力で探ってみるけれど…」

「お願いします。勿論、そちらのお仕事もあるでしょうから、率先してとは言いませんから」

「ああ。それじゃあ、こっちは任せて。恭也も頑張ってね」

幼い頃の恭也を思い出してやや口元を緩める美沙斗だが、それは電話で話している恭也たちには分からない。
連絡を終えて電話を切った恭也は、これからどうするかを考える。

「俺自身でも探すつもりだが。さて、どうしたもんか」

「やっぱり情報を集めるとなると、リスティさん辺りに協力してもらうしかないんじゃないかな」

「出来れば、あまりこの格好で会いたくはないな。
 何となくだが、玩具にされそうだ。それに、俺が恭也だと知っている人間ほど危険になる」

それでも、結局はリスティに頼る他はなく秘密厳守で明日会う約束を取り付ける。

「さて、それじゃあ俺は近くのホテルで暮らす事にするが…」

「って、子供一人で泊まれるものなの?」

美由希の当然のような疑問に、恭也も動きを止める。

「……さて、どうしたもんか」

「えっと、それじゃあ親戚の子としてうちに住めば。
 それなら、正体をばらさないですむし…」

「…………それでいくか。だが、親戚の子は無理だろう。
 俺たちの一族は既に誰も居ないのだから」

「あっ! どうしようか」

「父さんの隠し子…。年齢的になのはとおなじぐらいだから、俺のような子供が居ても問題ないだろうし。
 それで、最近母親を無くし、父を尋ねてきた。うん、これでどうだ」

「いや、流石にそれは士郎とーさんとかーさんが可哀想かな」

「やはり駄目か」

「もっと現実的に考えようよ。
 例えば、未来から来た恭ちゃんと私の子供とか」

「お前の方が現実的に考えろ! どうやって未来から過去へと来るんだ!
 第一、俺とお前の子供ってのはなんだ」

「いいじゃない、別に。未来って設定なんだし」

「どっちにしろ、現実的ではないだろうが」

「分からないじゃない。忍さん辺りがタイムマシーンを作ったとか言えば…」

「アホか。幾ら忍でもそんな物をつくれるはずがな……」

「「…………」」

言いかけて口を噤む恭也と、思わず沈黙した美由希の目が合う。
二人はそのまま無言のままお互いを見詰め合っていたかと思うと、わざとらしいぐらいに同時に視線を逸らす。

「ま、まあ、冗談はさておき…」

「うん、そうだね。えっと、無難な所で一臣おじさん辺りの子供って所かな」

「もしくは、美沙斗さんの知り合いの子供って所だろうな」

「知り合いの子供にしては、恭ちゃんの小さい頃にそっくりなんだよね」

「当たり前だ。本人なんだから」

「そうじゃなくて」

「言いたい事は分かる。そうだな、美沙斗さんの遠い親戚の子供にしておこう。
 御神や不破とは関係のない親戚のな」

こうして、恭也の対応も決まり、美由希はなのはたちと合流する。
しかし、恭也も美由希も二つばかり見逃していた事があった。
それは……。

「美由希ちゃん、師匠が見付かったんですか」

「うん。今電話があって、急な仕事が入ったんだって。
 なのはに謝っておいてって言ってたよ」

「そう。それじゃあ、仕方ないね。でも、いっぱい遊んだから」

言って笑うなのはの横で、レンが恭也に気付く。

「美由希ちゃん、その子は?」

「ああ。この子ね。この子は母さんの遠い親戚の子で、さっき預かったの」

「美沙斗さんの? じゃあ、師匠の仕事って美沙斗さんから?」

「うん。本当はゆっくりしたいとか言ってたけれど、仕事だからってすぐに行っちゃったんだ」

美由希の言葉に納得する三人に、ほっと胸を撫で下ろす恭也と美由希。
そこへ、レンが尋ねてくる。

「それはそうと、何でその子はそない大きな服を…」

「あ、こ、これは。そう! 他に服がなかったんだよ」

美由希の言い分に恭也は思わず頭を抱える。
他に言い様はないのか、と。

「ここへ来るときに来ていた服が汚れてしまったので、代わりに美沙斗さんのを借りたんです」

「そ、そうそう。それだよ、それ!」

やや怪しい感じもあるが、とりあえずは納得する一同の中、今度はなのはが恭也へと近づいてくる。

「私は高町なのは。あなたの名前は?」

「名前?」

「うん。良かったら、教えて」

恭也は困ったように美由希を見上げるが、美由希も困ったように恭也を見下ろす。

「えっと、名前、名前は…。俺の名前は……」

こうして高町家に新たな居候が増える事となったのだ。
ただし、実際は増えたわけではないのだが。
だが、それを知る者はごく一部の者だけだった。

見た目は子供、中身は老成したかのような青年剣士。

  「それって、今までの恭ちゃんと違わないような…って、痛いよ、恭ちゃん……」



少年剣士 恭



   §§



赤、赤、赤。紅、紅、紅。
幾ら見渡しても、目の前の光景は何処までも紅い海だけ。
気持ち悪いという一言を残し、金髪の少女が消えた今、ここには、
いや、この世界で動くものは少年ただ一人だけだった。

「…どうして」

弱々しく呟く少年はしかし、何故こうなったのかという事を全て知っていた。
誰に教えられたわけでもなく、自然といつの間にか知っていたのだ。
しかし、今更分かったところで起こってしまった事は戻す事が出来ない。
少年はただ悔いを胸に抱き、足を抱えて広がる紅い海を見る。
動く気力さえ無くしてじっと座り込み、どれぐらいの時間が流れたのか。
今まで何も変化のなかった紅い海に、変化が見える。
少年、碇シンジは自分以外の人に会えるかもと期待して気泡が生まれる水面をじっと息を潜めて見詰める。
やがて、そこから一人のこれまた少年が姿を見せる。
素っ裸のまま浜辺へと上がってくると、そこに立ち尽くすシンジを見つける。

「シンジじゃないか。どうしたんだ、こんな所で」

「恭也。恭也こそ、どうして…」

呆然と呟いたシンジに、恭也はまずは着る物を頼む。
とはいえ、周りの惨状から着るものが見付かるかは怪しく、シンジは困ったような顔を見せる。
恭也も辺りを探り、自分たち以外に人が居ないと分かると、街があったと思しき方へと歩き出す。
歩きながら、恭也は簡単に事の起こりを話し始める。

「よく分からないが、シンジと別れた後も各地を転々と旅した後、家に帰ったんだ。
 それから数日は普通に過ごしていたんだが、さっき、いきなり綾波さんに似た女の子がたくさん現れて…。
 なのはやかーさんが……」

目の前で紅い液体――LCLとなった家族を思い返し、恭也は強く拳を握る。
小太刀を振るうも、まるで幻影のように擦り抜けてしまい、全く歯が立たなかった。
そして、とうとう恭也もLCLへとその身を変えてしまった。
それでも、恭也の強い意志は思いは残り、自分を呼ぶシンジの声が聞こえてそちらへ向かおうと思い、
必死で無くした身体を動かそうと試していたら、気が付くと再び人の形になっていたと言う。
恭也の話を聞き終えたシンジは、最初に謝る。
それから、どうしてこうなったかを話し始めた。
シンジがこの第三新東京市に来てからの事を。

「…本当にごめん」

ようやく見つけた服に腕を通しながら、恭也は静かに首を振る。

「シンジの所為じゃない。シンジも被害者なんだ」

「でも、僕がっ! 僕がしっかりしてれば…」

「その時は、また違う方法でお前を壊そうとしていただろうな。
 聞いている限り、ゼーレとかいう連中の目的はその補完計画にあるみたいだしな…。
 それにしても、シンジと会ってから一年も経たないうちにこんな事になるとはな」

恭也とシンジの出会いは、シンジが第五使徒と戦った直後だった。
全国を武者修行の旅で周っていると言う恭也と会い、話すようになったのが切っ掛けだった。
そこから約一ヶ月ほど恭也は第三新東京市で過ごし、また旅に出たのである。
付き合いはそんなに長くないが、シンジは同い年とは思えないほど落ち着いた感じの恭也を尊敬し、
自分をただのシンジとして見てくれる恭也に喜びを感じていた。
そして恭也もまた、シンジの人柄に惹かれていた。
こうして親友と呼べるぐらいになった二人は、次の再会を約束して別れたのだが、
その再会がまさかこんな形で行われるとは思ってもいなかった。

「そんなに落ち込むな。それにまだ、俺たち以外に誰もいないと決まった訳じゃないだろう。
 現に俺はこうして戻ってきたんだから」

恭也に励まされてシンジは一つ頷くと、瓦礫と化した街を見渡す。
と、不意に背後から声が聞こえる。
慌てて振り返る二人の先に。蒼い髪、紅い瞳の一糸まとわずの少女が居た。
二人は揃って顔を逸らす。

「あ、綾波、何て格好をしてるんだよ!」

「綾波さん、何か着てくれると助かる。
 服ならそこにあるから」

二人の反応に小さく頷くと、綾波レイはいそいそと服を身に付ける。

「もう良いわ」

レイの言葉に揃って胸を撫で下ろす二人に向かって、レイが告げる。

「補完計画は失敗したわ。この世界からはもう何も生まれてこない」

「そ、そんな…」

レイの言葉にシンジがショックを受けるのを見ながら、レイは安心してと続ける。

「リリスとなった私の力で、あなたたちを過去へと戻してあげる」

「そんな事が出来るのか」

「今ならまだ、出来るわ。でも、早くしないとその力も消える」

「でも、それじゃあ綾波は?」

「消えるだけ。でも、大丈夫。
 碇くんたちが過去に戻って、ちゃんとやり直してくれれば。
 どうする? 決めるのはあなたたち」

二人は顔を見合わせると頷く。

「過去に戻して、綾波! そして、今度こそサードインパクトを防ぐんだ!」

「……どのぐらい過去まで戻せる?
 出来れば、かなり昔からやり直せる方が、色々と準備も出来ると思うんだが」

「……私の力だと十年程度」

「僕が父さんに捨てられた頃だね」

「…シンジをその日に戻し、俺をそこから更に一週間ほど前に戻すという事は出来るか?」

「多分、大丈夫」

「なら、それで頼む」

「どうして、恭也」

綾波へと具体的な年数を提示する恭也へと疑問をぶつけるシンジに、恭也は自身の考えを語る。

「最後の戦いで戦自が攻めて来たと行っていただろう。
 それに対する策を思いついただけだ。その他にもちょっとな。
 シンジ、お前が父親に捨てられた場所は分かるか」

少し聞きづらそうにしながらも、恭也は尋ねる。
恭也の性格を理解しているシンジは、こういう事を聞いてくるのは何かあると素直に答える。

「そうか。なら、ここへ行ってくれ。
 そこからそう遠くないから、子供の足でも行ける。
 俺が父さんを連れて迎えに行く」

恭也の言葉に頷くシンジ。
意見の纏まったらしい二人を改めて見ると、レイは二人へと手を翳す。
途端、目を開けていられないほどの光が溢れる。
光が収まった頃には、恭也とシンジの姿はなかった。



「…………ここは。本当に過去に戻ってきたのか」

「お、起きたか、恭也。すまん、すまん。
 ちょっと強く入りすぎたか」

「父さん、今は何年?」

「はぁ? いきなり何を言っているんだ恭也。
 まさか、何処か打ち所が悪かったのか!?」

「失礼な」

「……本当に恭也、だよな」

恭也の態度や雰囲気に何かを感じたのか、やや怪訝そうに見詰めてくる士郎へ恭也は真剣な顔を見せる。
そして、簡単に説明をする。

「はぁ!? 未来から?
 それを信じろってか?」

「まあ、そう簡単に信じてもらえるとは思ってはいなかったが」

「だが、お前がそんな嘘を吐くとは思えないしな。
 急に雰囲気が変わったのも確か…。よし、信じてやる」

「……いや、本当に今の突拍子もない話を信じたのか」

「何だ、信じろと言っておいて、その言い草は」

「い、いや。信じてくれるのなら良いんだが」

そう言えば、いい意味でも悪い意味でもこういう人だったと改めて自分の父親を思い出しつつ、
恭也はもう一度念を押す。

「本当に信じてくれたんだよな」

「しつこいぞ。まあ、そうだな。未来から来たってんなら、幾つかの御神の技を使えるようになってるんだろう。
 それの一つでも見せてみろ。そうすれば、完全に信じられるぜ」

既に信じきっている目で言われても苦笑しか浮かばないが、
恭也は今の士郎の言葉の意味を正確に読み取っていた。
自分が居なくなった後、独学で何処までやったのかを見せろと。
恭也は静かに立ち上がると、この当時腰に吊るしていた模造刀の柄に軽く触れる。
だが、抜く事はせずに士郎を見据える。
士郎も瞬時に剣士の顔になると、恭也と対峙する。
その顔には、小さな笑みが浮かんでおり、これから繰り出してくる恭也の技を楽しみにしている。
恐らくは薙旋。そこまで読みながら、士郎は恭也が向かって来るのを待つ。
その思いを悟ったのか、恭也は地面を蹴って士郎へと向かう。
三歩目で神速を発動。
これにはさしもの士郎も驚きに僅かばかり目を見張る。
だが、慌てずに自身も神速へと入る。
モノクロの世界の中、恭也の腕が小太刀の柄へと伸び、抜き放つ。
抜刀からの四連撃、薙旋。
士郎もまた得意とした技を息子が繰り出す事に知らず笑みを深めつつ、士郎も同じ技で返す。
恭也のソレよりも早く鋭い斬撃が恭也の斬撃を弾き返す。
完全に競り負けた恭也が後方へと吹き飛ぶのを見ながら、士郎は満足そうに笑う。

「未来から来たってのは、本当みたいだな」

やや憮然としながらも、久しぶりの父の斬撃に地面に倒れたまま恭也も笑みを浮かべるのだった。



その後、恭也と士郎はシンジを迎えに行くと、そのまま全国を旅して周る。
恭也とシンジから未来から来たという事を知っているのは、士郎とその母である美影だけである。
だが、美影の発言力は大きく、美影の言葉により、琴絵の結婚式も無事に済み、御神不破ともに健在であった。
更に、シンジは琴絵の養子となり、そこで親の愛情を注がれる。
琴絵に実子が生まれても、変わらずに接してくれる琴絵とその夫にシンジは本当の親子の絆を感じていた。
基本とはいえ、御神の剣を習いながらシンジはその時が来るのを静かに待つ。
今の自分の周りの人たちを守るためにも、絶対にゼーレやゲンドウの野望を阻止する事を誓い。
そして、遂にその日が訪れる。
御神家へと届けられた、一通の手紙が。
シンジが出掛ける直前まで、琴絵はシンジを心配していたが、それに笑顔でいってきますと告げると、
シンジと恭也は全ての始まりである地、第三新東京市へと向かうのだった。



「乗るのは構わないけれど、その前に一つ言っておくよ。
 僕の名前は御神シンジ。戸籍もそうなっているはずだよ。
 父さんにはもう親権がないんだよ」

――サードチルドレンとして登録されし子供、御神シンジ



「部外者ではない。俺の名は不破恭也。御神を守る不破の者だ。
 今まで何の連絡もよこさず、親権さえ既に無くした奴の呼び出しだ。
 用心するに越した事はないからな。
 俺を同行させないというのなら、シンジを連れて行かせるわけにはいかない。
 シンジは御神直系の人間なんだから」

――シンジの護衛として常に傍に控える少年、不破恭也



二人の少年が約束の地に降り立つ時、運命の幕が再び開かれる。

EVANHEART



   §§



海鳴市にある風芽丘学園。
この学園の3階の端にある空き教室。
昔は不良たちの溜まり場として有名だったこの教室も、いつの頃からか別の意味で有名となっていた。



薄暗い部屋の中、ブラインドから差し込む僅かな光が部屋の中を薄っすらと浮かび上がらせる。
部屋の中央に置かれた古びたソファーに座り、足をテーブルへと投げ出しながら手にしたグラスをそっと傾ける。
部屋の中だというのに、着古したアクアスキュータムのコートを着て、よれよれの帽子を被っている男が一人。
手にしたグラスの中で、ロックアイスが擦れ合って小さな音を立てる。
部屋には、これまた年代物と思わせる古びたラジオから静かにジャズが流れる。

「大都会という砂漠の荒野を一人歩く、現代に蘇った騎士。それが探偵…」

男はグラスを目の前に持ち上げると、中の薄茶色の液体を通して天井を眺めながらポツリと漏らす。
と、不意に扉がノックされ、男はやや気だるさを感じさせる声で答える。

「どうぞ」

「邪魔するぞ、探偵」

言って部屋の中に入ってきたのは、
その顔立ちの良さと優しい人柄で、校内に本人非公認のファンクラブまで持つ男、高町恭也だった。

「これはこれは高町さんじゃないか。
 今日はどういった御用で、このうらぶれた裏道街道を進むしか能のない私の所へ。
 生憎だが、今は貴方向きの仕事の依頼はないけれど」

「ああ、今日はちょっと頼みがあってな」

「頼み? 凄腕のボディガードである貴方が、何のとり得もないこの一介のしがない探偵に?」

恭也は男の言葉に小さく笑うと男の前の席に腰を下ろす。
男はテーブルに投げ出していた足を下ろすと立ち上がり、部屋に端にあった棚からグラスを、
サイドボードからは ウィスキーの瓶を取り出す。

「やるかい?」

「ああ、もらおうかな」

「ロックで良いな」

「…烏龍茶にそれとストレート以外で、他にどんな飲み方があるんだ」

恭也の疑問をスルーすると、探偵はロックアイスをグラスに二つ放り込み、
そこへ琥珀色の液体を注ぐ。
それを受け取って一口飲み終えるとグラスを置く。
探偵も同じように一口だけ自分の分を飲むと、恭也へと顔を向ける。

「それで、頼みというのは?
 高町さんには色々とお世話になっているから、大抵の事なら引き受けるが」

探偵の言葉に一つ頷くと、恭也はやや声を落として話し始める。
いや、始めようとした。
その時、探偵事務所の扉が勢い良く開け放たれる。

「ちょっと山田君! 朝のホームルームにも出ないで何をやっているのよ!」

「ええい、名前で呼ぶな。俺の事は、大都会と言う荒野を一人生きる孤高の騎士。
 現代のアスファルトジャングルのうらぶれた裏の道で生きる男、探偵と呼べ!
 あ、いや、呼んで下さい。呼んで頂けると嬉しいかと…」

さっきまでの雰囲気はどこへやら、探偵は現れた少女へと腰も低く訴える。
それを一刀の元に切って捨てようとした少女だったが、
そこに探偵以外の人物が居るのを知って口を噤む。

「えっと。高町先輩、ですか?」

「ああ。君は確か、風紀委員長の」

「成田美沙です。高町先輩、こんな所に居たらバカが移りますよ。
 それに、もうすぐ授業が始まりますし」

「そうか、分かった。探偵、話はまた後でな」

「あ、ああ。って、お、置いていかないで…」

「うん?」

「い、いや、何でもない」

何か言いかけたものの、踏み止まると探偵は恭也を送り出す。
恭也の後ろで閉まった扉の向こうでは、成田と探偵の言い争い、もとい、一方的に探偵が捲くし立てられている。

「ふー。幼馴染とはいえ、探偵も大変だな」

軽く肩をほぐしつつ、恭也は自分の教室へと戻って行く。
そう、教室である。
この探偵事務所は、風芽丘学園の空き教室にある、いや、正確には勝手に探偵事務所にしているだが。
ともあれ、風芽丘学園の三階端に、その探偵事務所はあった。
部や同好会などではなく、探偵事務所が。
所員は、探偵(本名、山田太一郎)と、助手の少女、小林由理奈だけの小さな探偵事務所が。
この物語は、探偵とその探偵から外部協力者としていつの間にか登録されてしまっていた高町恭也の物語。

無茶は承知で探偵(ハードボイルド)と護衛者(ボディーガード)




   §§



三月に入って数日。
大分温かくなって来た街の中を疾走する五つの影があった。

「はぁ〜、はぁ〜、はぁ〜。っく、あいつら、相変わらず早すぎるっての」

「雄二、喋っている暇があったら、足を動かせ。
 じゃないと、置いてかれるぞ」

「って言うか、お前も喋ってるじゃねぇかよ」

「くっ、だ、だから、喋らせるな。
 というか、俺が走らなければならないのは、納得がいかんぞ」

やや息を切らせながら走る二人の前では、息を切らせる事無く走る三人がいた。

「隊長、タカくんとユウくんが遅れているでありますよ」

「捨てておけ。今は自分が助かる事が大事だ」

「恭ちゃん、冷徹だね」

「なら、お前は残れ」

「いや」

「みゆっちも人の事を言えないのであります」

「なら、このみが残れば?」

「え〜。恭お兄ちゃん、みゆっちが苛めるのですよ〜」

「って、私は苛めてないでしょう」

「ほら、バカやってないで急ぐぞ」

言って速度を上げる恭也に、二人はしっかりと付いていく。
そして、しっかりと遅れる後方の二人であった。

「ぜ〜は〜、ぜ〜は〜。きょ、恭兄の、は、薄情者〜」

「何を言う貴明。こうして、ちゃんと待ってやってるだろう」

「はぁーはぁー。でも、ちゃっかりと門の内側で、だけどな」

「お疲れさま、タカくん、ユウくん」

「このみ、それはちょっと」

「なんで?」

「だって、どうせ遅くなったのって、また…」

「ああ、美由希の言う通り、このみが中々起きなくて…。
 って、二人とも学校が違うぞ」

「ああっ! こ、このみ、早く学校に行かないと!」

「しまったのであります! というわけで、またね〜」

言って駆け出す二人を眺めながら、貴明は朝から元気なこってと零すのだった。



「小牧さん、手伝おうか」

「やっ、や、や、や。河野くん。
 これぐらいなら大丈夫だから」

「でも…」

「ややや、本当にお構いなく」

――徐々に温かくなっていく日々

「るー」

「る、るー?」

「…貴明、何をやっているんだ?」

「あ、恭兄。いや、何と言われても…。
 俺にもちっとも…」

――近づいてくる春の音色

「はぁ。何か御用ですか、朝霧先輩」

「むぅ。きょうりゃんは全然面白くないのだ」

「いや、ないのだと言われましても」

「こんな美少女が後ろから抱き付いてあげようとしているのに、その前に声を掛けるなんて……。
 はっ、やっぱりきょうりゃんってそっちの人…」

「違います! というか、やっぱりって何ですか、やっぱりって!」

――恭也にとっては最後の高校生活が

「えっと、決してわざとではないですよ」

「〜〜〜〜っ! これで勝ったと思うなよーー!」

「いや、思ってないし、金輪際関わりたくもないって、もういないし…」

――貴明にとっては一区切り付いた高校生生活

「で、だ。二人に集まってもらったのは他でもない」

「御託は良いから、さっさと用件を話せ雄二」

「そんな事を言っても良いのか、貴明。
 この情報はお前にとっても他人事じゃないんだぜ?」

「ほら、二人ともそこまでにして。で、雄二。
 俺も呼んだということは、俺にも関係ある事なんだろう」

「ああ、そうだった。実はな……。
 あの悪魔が帰ってくることになった」

「「悪魔?」」

「姉貴だよ、姉貴! 姉貴の奴が寺女に通うとかで近々帰ってくる事になったんだよ!
 ああー、俺の平穏が、俺の平和が〜〜!」

「……タマ姉が帰ってくるのか」

「そうか、環が」

――懐かしい再会に新たな出会い

「という訳で、タカちゃんを名誉会員にしてあげるよ」

「何がという訳なのかも分からないし、別にしてほしくない」

「まあまあ、そんな事言わんと。今なら、色々と特典もついてくるんよ」

「学校の同好会活動で特典って何だ、特典って!」

――変わらないと思っていた日々が変化する
  もうすぐ春がやってくる
  今までとは違う春が

とぅらいあんぐるハ〜ト



   §§



ある日、突然に滅び始めた世界。
そこには天使と呼ばれる、人々の思い描く神々しさとは正反対の禍々しい存在が出現し始める。
それにより、日常が崩れていく。
奴らは天よりやって来ては、人を建物を崩壊させては天へと運んでいく。
出現場所も、出現する時間もバラバラ。
軍隊を投入するも、それは破滅を僅かに遅らせる程度であった。
何故、こんな事になったのか。
それを知る者はいない。
奴らは何者なのか。
それを知る者もいない。
ただ、世界中の人々がこれだけは理解していた。

セカイは滅びるのだという事は…。



ゆっくりと、だが確実に滅びの道へと進む世界で、
秘密を秘めた少年と、使命を帯びた少女が出会う…。



最後の人類オメガとして運命づけられた故に、何があっても死ねない少年は、
同時に世界を滅ぼしている存在でもあった。

「無駄だ。何をしても死なないんだ。
 俺を殺せる方法はただ一つ……」

――相思相愛になった者にしか殺せない世界の命運を握る不死者 高町恭也

彼は待ち続ける。自分を殺すと約束した女性が再び現れる事を。
それまでの間、その手で守れるモノだけは守ろうと二振りの刀を手にする。

「お前を殺す。その為に、私はお前を愛すると決めた。
 だから、お前も私を愛せ!」

――世界を救うために恭也を殺そうとする対天使兵器の少女 サクヤ

対天使兵器として教育されてきた少女と共に、恭也は天使を滅ぼしていく。
同時に、少女は恭也と共に戦いながら、恋愛に一生懸命に取り組む。
殺すために恋愛を知ろうと。

「世界が滅びるんだとしても、私は恭ちゃんの傍に居たい。
 滅びがくるその時まで」

――恭也の義妹 高町美由希

行き成り現れた少女の登場に、美由希は戸惑いを覚える。
滅び行く世界で、少年少女はあがき苦しみながらも、今を精一杯生き抜いていく。

殺X恋 ―きるはーと―



   §§



「はぁ〜。まったくお前はなにをやっているんだ」

呆れたようにあ溜め息を吐きつつ、俺こと高町恭也は目の前で何か言いたげに睨みつけてくる少女を見下ろす。
傍にしゃがみ込むと、転んでいたそいつを引っ張り起こし、軽くスカートに付いた埃を払い落としてやる。

「あ、ありがとう。一応、礼だけは言っておいてあげる」

何故かちっとも礼を言われている気分にならないのは何故だ。
まあ、いい加減慣れてしまったからいいのだが。
にしても、慣れというのは恐ろしいもので、こいつと一緒にいる事にも既に順応していしまっているな。
思い返せば、あれがこいつとの出会いであり、今のような状況が出来上がる切っ掛けでもあったんだな。
しみじみと俺はその時を思い出す。
そう、あれは二年へと進級した最初の始業式の日だった。



「2−Bか」

「ん? 高町もBか」

「という事はお前もか」

「ああ。正に腐れ縁ってやつだな」

自分のクラスを確認していた俺に話し掛けてきたのは、そいつの言う通り腐れ縁となった友、
赤星勇吾だった。
赤星はその女子生徒の人気を集めている甘いマスクに爽やかな笑みを浮かべると、俺の肩を叩く。
こいつは気さくな奴で誰とでも仲良くなれるが、
如何せん自分の容姿が異性にどう見られているのかを分かっていない。
その気になれば、彼女の一人や二人簡単に作れるだろうに、いや、彼女は本来一人なんだが、
まあ、その辺りは言葉の綾だ。
ともあれ、また赤星と同じクラスというのは、そんなに悪くない。
俺は赤星と違って、交友関係が狭いからな。
別に怖がらせているつもりはないのだが、やはり無表情なのが悪いのだろうか。
特に女性などは俺がちょっとでも近づくと距離を開けるし、クラスの用事で二三言言葉を交わすだけで、
顔を赤くして固まってしまう。
別にとって食おうという訳ではないのにな。
その事を妹たちに話すと、一様に呆れたような顔をして苦笑を浮かべるのだが。
はて、何故だ。

「おい高町。クラスも分かったんだから、さっさと教室に行こうぜ」

「ああ、そうだな」

思わず考え込みそうになった俺を赤星の声が引き戻す。
俺は赤星へと返事をしつつ、春休みの近況などを話しながら新しく自分のクラスとなった教室へと向かった。



何やら教室がざわめいているような気がするな。
運良く一番後ろの席を確保した俺は、ざわめく教室を見渡す。
ふむ、新学期だからか。にしては、何人かは悲痛な表情だが。
まあ、考えた所で分かるはずもなく、また俺には関係のない事だろう。
HRまで時間はまだあるようだし、トイレにでも行くか。
そう思い席を立つと、教室の幾つから視線が飛んでくる。

「高町くんと同じクラスだなんて、ラッキーよね」

「うんうん。春から縁起がいいわね」

「おまけに、赤星君まで一緒なんて」

何処か遠慮するような、遠巻きに見詰めてくる視線に混じり、ひそひそと話す声が聞こえてくる。
恐らく、俺を怖がっているのだろうが、そうもあからさまに態度に出さなくても良いのではないか?
流石に少し傷付くぞ。
やや鬱になりつつ教室の後ろの扉を開けて廊下に出ようとして、俺は何かにぶつかる。

「あ、すいません」

咄嗟に謝るものの、前にも左右にも見当たらない。
はて、どういう事だ。
俺がそんな事を考えていると、またしても教室からざわめきに混じって小さな声が。

「おいおい、高町の奴、やばいんじゃないのか」

「よりによって、早々に目を付けられるんじゃないのか」

「誰か助けてやれよ」

「嫌だよ。そう言うお前が…」

よく聞き取れないが、もしかして俺がぶつかった子が倒れでもしたのか。
つまり、俺が故意にしたのではと恐れられているといった所か。
勘違いなんだが、まあ仕方がないか。
そう思い下を見れば、そこには一人の女の子が。
別段、倒れている風もなく、逆に俺を睨みつけてきている。
なるほど、俺の胸ぐらいしかない身長のため、すぐには分からなかったのか。
一人納得しつつ、ぶつかったのは事実なのでもう一度謝罪しようと口を開きかけたのだが、
それよりも少女の口の方が先に開いた。

「邪魔よ!」

たったその一言だけにも関わらず、辺りの空気が少女を中心に震える。
殺気、いや闘気かこの場合。ともあれ、そんな感じのモノが視線に込められて俺を貫く。
入り口付近の生徒など、自分に向けられたものではないソレに当てられて、
音を立てて椅子から落ちている。
尤も、俺の方はそういったモノには慣れているお陰で、ソレをそのまま受け流す。
少女はそれが気にくわなかったのか、更に眦を上げて俺を睨みつけてくる。
ふと見れば、教室中の視線が俺とその少女へと集まっていくのが分かる。

「す、すっげーよ、高町のやつ」

「あの逢坂相手に引きもしねえ」

「ひょっとして只者じゃないんじゃないのか」

「って、事は何か。このクラスはとんでもない奴らが集まったということか!?」

「これから一年、どうなるんだよ〜」

またしてもざわめく教室を無視し、目の前の少女を見る。
風校の制服を着て、この教室に入ってこようとしているという事は、この少女はクラスメイトな訳か。
しかも、どうやら有名な少女らしいな。
まあ凄まじいプレッシャーを放ってはいるが、確かに見た目は可愛らしいからな。
有名でもおかしくはないのだろう。
そういった噂にトンと縁のない俺は、目の前の少女が誰かも分からず、ただじっと見詰め返していた。
別に意識しての事ではなく、ただ考え事をしていたためにそうなったのだが、
少女はそれを自分への挑戦とでも受け取ってしまったのか、更にこちらを睨みつけてくる。
朝のHRが始まるまでの短い時間に、
俺は何故か謎の少女と教室後方の扉を挟んでの睨み合いをする事となってしまった。
まあ、単に視線を外せばいいだけなんだがな。
そう思い、それを実行しようとした時、不意に耳に意味ある単語が届く。
さっきまでの喧喧囂囂としたざわめきではなく、はっきりとした一つの単語が。
その所為なのか、俺は思わずそれを疑問と共に口にしてしまう。

「手乗りタイガー?」

「……だ、だ、誰が」

俺の呟きが聞こえたのか、俺の顔を睨みつけていた少女は顔を伏せると、肩をブルブルと振るわせる。
同時に、教室にいたものたちにも聞こえたのか、一斉に俺たちから距離を開ける。
先程椅子から落ちた入り口近くの生徒など、既に教室の前方へと避難していた。
中々素早いじゃないか。
ともあれ、さっき俺が口にした言葉は目の前の少女を指すらしく、
少女はそれを良く思っていないのだろう。
まあ、女の子が自分の事を虎呼ばわりされれば、それは嬉しくもないのかもしれないが。
とりあえず謝った方が良いのかなと思った矢先、少女は顔を上げ、
まさにクワッ、と表現するかの如く目を吊り上げて口を開く。

「誰がタイガーじゃぁぁぁーー!!」

その声に思わず一歩ほど後退るが、俺はまだ良い方だったのだろう。
俺の後方、教室の中ではドタバタと机の倒れる音などが届いてくる。
どうやら今の言葉は禁句だったらしく、俺を見る目が哀れみを多分に含んでいた。
その意味を理解するよりも早く、目の前の少女の拳が鳩尾目掛けて繰り出される。
それを無意識のうちに躱した俺を、忌々しい、まるで親の仇でも見るような目で睨みつけると、
その少女は鼻を一つ鳴らして自分の席へと大股で向かうのだった。
これが、身長145cm、フランス人形のごとき美少女にして、
その凶暴さ故に『手乗りタイガー』のあだ名を持つ、逢坂大河との最初の出会いだった。
尤も、この時点でお互いに相手の名前など知らず、単に変な奴という認識しかなかったのだが。
それが色々とあり、いつの間にか俺は大河の世話をするようになり、
大河も当然のように家に来て夕飯を食べるようになるとは。
本当に人生というのは分からないものである、うん。

とらドラハ〜ト! プロローグ 「そのトラ狂暴につき」

 それは、高校二年の新学期に出会ってしまった剣士と虎の物語。



   §§



「それで俺に護衛を、と。そういう事ですか、楓さん」

「ええ、その通りです」

応接室のような一室で恭也と向かい合って座る女性、楓と呼ばれた女性はそう頷く。
その姿は属に言うメイド服と呼ばれるものに身を包み、
けれども事務的ではなく優しい口調で恭也と向かい合って話をする。

「つい先日、学院内に入り込んだ男によって女子学生が攫われそうになったのです。
 偶々、瑞穂様が傍に居て対応をしている間に警備員がやって来て事なきを得たのですが…」

何やら困った表情を見せる楓へと、恭也は黙って続きを促す。
それを受けて、楓もまた静かに語り始める。

「一人だけ逃してしまったみたいで…」

「それで、そいつが再び来るかもしれないと」

「分かりません。普通に考えれば、あれ以来学院の警備は更に厳重になりましたから。
 ただ、少々事情がありまして…」

「まあ、自分を撃退したのが天下の鏑木財閥の御曹司と知れば、
 多少の危険は承知で再び来るかも知れませんね」

「ええ。瑞穂様なら上手くやり過ごせるかもしれませんが、万が一という事もありますし、
 それに、お一人ではない時に襲われますと…」

「自分の身は守れたとしても、ですね」

「ええ。だから、恭也さんにお願いをしたいのです。
 勿論、無茶なお願いだとは承知しています。
 瑞穂様同様、受験を控えた恭也さんにこのような事を…」

「いえ、俺は受験の方はもう済んだので」

「まあ、そうなのですか。なら、何も問題はありませんね」

「いや、まあ卒業式まで休んだとしても出席日数も大丈夫ですが…」

「ならば、お願いです」

「いえ、まだ学校の方の定期試験が…」

「それならお任せください。試験免除を取り付けますから。
 瑞穂様の学院へと一時的に転入して頂くという形になりますから、試験はそちらで受けたという事で」

「そっちで受けるんではなくて、免除なんですか」

「はい、免除です。これは恭也さんにとっては、いいお話だと思いますよ〜。
 折角受かった大学を、試験が赤点で卒業できなくて泣く泣く……。
 なんて事はなくなりますからね。どうですか〜。ほらほら〜」

「楓さん、地が出てますよ」

「あら、これはこれは失礼を致しました。それで、如何でしょうか」

恭也に言われ、すぐさまきりりとした顔付きに戻ると、口調までが一変する。
そんな楓に苦笑しつつ、恭也は応える代わりに違う事を口にする。

「別に構いませんよ。ここには俺と楓さんしか居ないんですから」

「そうですか? では、お言葉に甘えて。
 えっと、それでどうでしょうか」

楓は改めて恭也へとお願いをするようにじっと見詰める。
その目からは瑞穂の身を案じている事がありありと伺える。
杞憂で済めば良いのだが、やはり万が一のために何か手を打っておきたいのだろう。
暫し考えた後、恭也は引き受けることにする。
決して、試験免除が目的ではなく、単に友人として瑞穂の身を案じてだ。
恭也の言葉を聞き、楓は嬉しそうに、ほっと胸を撫で下ろしながら礼を言う。

「それでは早速、聖應女学院の転入手続きを…」

「楓さん! ちょっと待ってください!」

今聞こえてきたおかしな単語に、恭也は今しも立ち上がろうとしていた楓を呼び止める。

「はい? どうかなさいましたか?」

「いや、どうもこうも。今、何と仰いましたか?」

「転入手続きを…」

「いえ、その前です」

「それでは早速…」

「いや、その後ってわざと言っているでしょう」

「あ、ばれました?」

「良いですから、転入先の学校名をもう一度お願いします」

真剣に訴えるように聞いてくる恭也に、楓はゆっくりと学院の名前を口にする。
聖應女学院、と。

「俺の記憶に間違いがなければ、そこはお嬢さま学校として有名な女子高ですよね」

「ええ、そうですね」

「俺がそこへ転入するんですか」

「はい」

「瑞穂がそこに通っていると」

「はい、通われてますよ」

恭也の言葉にも、楓は慌てる事無く笑みさえ見せながら答えていく。

「いつから共学になったんですか。知りませんでした」

「いえ、女子校のままですよ」

「……瑞穂は通っているんですよね」

「ええ」

「女子校に?」

「はい。女装をなさって。それはもう、大変美しいお姿ですよ」

「いや、まあ、あまり違和感はないだろうが。
 って、そうじゃなくてですね。何でそんな事をしてまで」

「瑞穂様の祖父である先代様のご遺言で」

「……また何ていうか」

呆れつつもあり得ると思ってしまう恭也だったが、こうなってくると話は別だ。

「瑞穂は上手くいったかもしれませんが、俺は無理ですって」

「そうでしょうね。個人的には見てみたいのですが」

「お断りします」

「まあ、それは置いておいて、今回は普通に転入していただきますから。
 正確には、瑞穂様の護衛付きとして傍に居る為、学院内に入る許可をもらうという形ですね。
 犯人の一人が逃げたため、顔を見られた瑞穂様に再度、危険が及ぶ可能性があるという理由で」

「それならそうと、初めから言ってください」

ぐったりと疲れた様子を見せる恭也へと、楓は一つ笑って見せると人差し指を自分の顎に当ててウインク一つ。

「それだと、面白くないじゃないですか」

「……」

呆れてものも言えない恭也へと、楓は急に顔付きを変える。
同時に纏う雰囲気も一変する。
つられるように恭也の顔付きも、知人たちと話す時のソレとは変わる。

「問題は、瑞穂様が男だと知られてはいけないということです。
 学院では宮小路瑞穂という名前で通っていますが、もし何かの間違いで男だとばれれば…。
 ましてや、鏑木の嫡子であると知られれば…」

「マスコミの絶好のネタですね。その上、瑞穂の人生そのものに関わって…」

「その通りです。だからこそ、恭也さんに護衛をお願いしたのです。
 その逃げた男は、瑞穂様の服を切り裂いたようで、瑞穂様が男であると知ってしまったかもしれません」

「かもという事は、違う可能性も」

「ええ。単に胸にパットを入れていただけと思われていれば良いのですが。
 状況が状況だったので、はっきりと胸を見られた訳ではないと思うのですが」

「そればっかりは、俺たちには分からないって事ですね」

恭也の言葉に楓は頷く。

「卒業まで後二ヶ月ちょっと。どうかお願いします」

「はい、分かりました」

頭を下げる楓に、恭也はしっかりと答える。
その言葉を聞き、楓は嬉しそうに頬を綻ばすのだった。





 ちょっ、どうして恭也がここにいるの!?

 あれ、瑞穂ちゃん聞いてないの?

 聞いてないって、何が? まりや

 いや、護衛の件なんだけれど…。

 聞いてないよ、そんなの。

 だって、昨日電話で……。あ、ごめーん。
 伝えるの忘れてたわ。

 お願いだから、忘れないでまりや。

 あらあら、何やら楽しくなりそうな予感ですわね。

 し、紫苑さま、何かとっても楽しそうなのですよ〜。

 ええ、もちろんですわ。

 それにしても、まりやお姉さまにも困ったものです。
 そんな大事な事をお姉さまに伝え忘れるだなんて。

 由佳里〜。言うようになったじゃない。
 でもね、勘違いしないでよ。忘れたんじゃなくて、わざとだから。

 それって、余計に酷いんじゃ…。

 だって、その方が面白いでしょう。

 おはようございます、お姉さま……って、お、おと、おと、男ー!!
 ど、どうして、何でですの。こ、ここは女学院ですのよ。な、なのに、どうしてですの!

 ほらね、面白いでしょう。

 いや、まりや。私でからかって楽しむのなら、本当は嫌だけれどこの際良いわ。
 でも、無関係な人を巻き込むは……。

 で、結局、俺はどうすれば良いんだ…。



次回、剣士はお姉さまを護衛する
   第一話 「女学院にやって来た男!?」

それは、静かに降り積もる雪のように、いつかは消え行く一月の物語



   §§



宇宙人、未来人、異世界人に超能力者は私の所へ来なさい!
何て事をこいつ、涼宮ハルヒが言ったのは四月の事。
何が悪かったのか、こいつに関わるようになってはや数ヶ月。
いやー、本当に色んなことがあった。
それはもう、俺の苦労が…。
何故、俺だけがこんなに苦労を。
そもそも、こいつの望んだ宇宙人に未来人、超能力者がすぐ傍に居るってのに何で気付かない。
いや、教えたのに信じないんだ。はぁぁ。
まあ、嘆いたところで仕方なく、俺は今日も今日とて習慣と貸したSOS団の部室へと向かって歩いている訳で。
もう本当に習慣となってしまったな。
それでも良いさ。
部室に行けば、我が癒しの先輩のお姿が見えるんだから。
そうこう考えている間に部室へと着いたみたいだな。
ノックをしてから入る。

「あ、キョンくん。丁度、今お茶を入れた所だったんですよ」

そう言って笑いかけてくれるのは、最早このSOS団のマスコットとして定着した感もある朝比奈さん。
ああー、和むな。俺は椅子に腰を降ろすとさっそく出てきたお茶をありがたく頂く。
掃除当番だった俺よりも先に来ていたハルヒは、何やらつまらなさそうな顔で熱いお茶を一気に煽る。
その勢いのまま湯飲みを机へと叩き付けると、徐に立ち上がる。

「やっぱり不思議な出来事は待っていても来ないわ」

また始まったか。ここ最近は大人しかったと思ったんだがな。
俺がやれやれとばかりに首を振ると、目が合ったこの部屋に居るもう一人の男子生徒、小泉のやつと目が合う。
小泉のやつは意味ありげな笑みを浮かべると、じっとこっちを見詰めてきやがる。
悪いが、俺はお前とそんな目と目で分かり合えるような関係じゃないんでね。
小泉から視線を外し、部屋の隅で静かに難しいタイトルのハードカバーを開いている残る団員へと目を向ける。
長門は俺の視線に気付いたのか、一度だけ顔を上げるがすぐに手元の本へと視線を落とす。
朝比奈さんはと見れば、突然のハルヒの言葉に戸惑っているだけ。
はぁー、ここは俺が何かを言わなければいけないって事か。

「で、不思議探しでもまたやるのか」

「そうよ! でも、今までの私の要求は高すぎたのかもしれないと考えたのよね」

高いも何も常識から考えたら…、いや、今の俺にはそんな否定する言葉はでないんだがな。

「何よ、何か言いたいことでもあるの」

いや、ない。
で、要求をどうするんだ?

「それよ! 別に宇宙人や未来人じゃなくてもこの際良いわ!
 ちょっと変わった人ってのはどうよ」

どうよ、と言われてもそんなは意外とたくさんいるぞ。
特に春の深夜の公園とかにな。
温かい季節なのにロングコートを着て、前をしっかりと閉じているような奴がそうだ。

「そんなのはただの変態でしょうが」

どう違うんだと聞きたいところだが、ハルヒの中では違うのだろう。
延々と説教を喰らうつもりもないので、その言葉は胸の奥へとしまい込む。
そんな俺に様子を気にも掛けず、ハルヒはにやりと笑うと待ってなさいよと言って部室を出て行く。
その背中を見送りながら、今度は何をやらかすつもりなのか、急に不安になってきた。

「多分、大きなイベントもなく涼宮さんも退屈しだしたんですね」

「んな呑気な事を言ってて良いのかよ」

「今のところ、閉鎖空間が生まれる気配もないですし、
 彼女の様子を見るに、もう何か考えているみたいですからね」

それから全員が待つ事暫し、ハルヒは部室へと戻ってくる。
一人ではなく、誰かを連れて。

「じゃっじゃーん。お待たせ。新しい団員よ!」

言って満面の笑みを浮かべるハルヒとは対象的に、
連れてこられた人物は訳が分からないという顔で俺たちを見る。
ハルヒの事だから、説明も何もせずに連れてきたのだろうという事は想像に難くない。
そりゃあ、こんな顔にもなるだろうよ。
だが、それ以上に俺は長門たちへと視線を向けて、他の心配をする。
その意図を知り、全員が首を揃って横へと振る。
つまり、三人が知る人物ではないという事か。
って事は、残っているのは地底人か、異世界人って所か。
いやいや、そうそう続けてそんな事が起こるはずは…。

「ありえなくはないですね。もうお忘れですか。
 涼宮さんの力を」

言われなくても分かってるよ。だがな、少しぐらい期待しても良いだろう。

「これはこれはすいません」

本心から謝っているのか怪しい笑みを湛えて謝る小泉は無視し、
未だに事態の飲み込めていない目の前の人へと声を掛けようとして、朝比奈さんが先に声を掛ける。

「えっと、高町恭也さん、でしたよね」

「あれ、みくるちゃん知り合いなの」

「あ、別に直接の知り合いって訳じゃなくてですね」

「ああ、鶴屋さんの友達の…、確か朝比奈さんでしたね」

「ああ、そういう事ね」

二人の言葉から事情を察したハルヒは一人頷く。
いや、それは良い。
それよりも、どうして彼、どうも朝比奈さんと同じ学年らしいから、先輩になるんだったな。
でだ、何でその先輩が団員なんだ?
本人の了承は?

「何でって、何処からどう見ても変な人だからよ。
 私がそう決めたんだからもう立派な団員よ!」

……お前の方が充分に変だ。
どう見ても、先輩は普通の人にしか見えないんだが。
小泉よりも整った顔立ちをして、一年上とは思えないほど落ち着いた雰囲気を醸し出しているが、
間違いなく普通の人だぞ。

「充分変よ。私、この前見たんだもの。
 盆栽の雑誌を手に、猫缶持って裏路地へと入っていくの。
 ねえ、変でしょう」

まず、謝れ。俺はそう言いたいね。
まあ、確かに高校生で盆栽は珍しいかもしれないが、全国を探せば少なからず居る。
まずはその人たちに謝れ。
で、だ。猫缶にしてもちゃんと話を聞けば大した理由なんてないに決まっている。
そう思って先輩へと顔を向けると、俺の言いたい事を汲んでくれたのか、

「どれを見られたのかは分かりませんが、多分、その辺にいた猫にあげたんだと思います」

ほら見ろ。良い人じゃないか。
丁寧な言葉使いといい、物腰といい。お前も少しは見習えと言いたいね。

「それを何度も見てるのよ! 気になって数日間、後を付けてみたら色んな猫に懐かれてるのよ。
 もうびっくりよ」

俺はそれだけの事で何日も尾行したお前に驚きだよ。

「不思議ってのはね、キョン。何処に転がっているのか分からないの。
 日常の中でも常に気を付けないと見逃す事になるの!」

へいへい。で、猫に懐かれているから変なのか。

「だって、この辺の野良たちのボスまで懐いているのよ。
 きっと何かあるのよ! 猫に好かれる匂いを出しているとか」

飛躍のし過ぎだな。誰かハルヒを止めてやれって、俺以外に止める人なんていないんだよな。
先輩も反論した方が良いですよ。
このままだと、団員にされてしまいますよ。

「だから、もう団員なんだって。いいわね!
 えっと、高町くん」

ハルヒ、先輩だぞその人。
ハルヒのそんな態度や物言いに対しても、先輩はただ小さく笑うだけで怒る事はなかった。
どうやら、かなり出来た人みたいだな。
こんな良い人をハルヒの魔の手に掛けるのも忍びなく、仕方なく俺が止めようとしたのだが。

「何かよく分かりませんが、要はクラブ勧誘ですか」

「そうよ! SOS団のね」

「……まあ、偶にはこういうのも良いかもしれませんね。
 良いですよ」

「よっしゃー! ほら、見なさいキョン!」

自慢げに何故か威張るハルヒを余所に、俺は先輩へと尋ねる。
本当に良いんですか。もう後に戻れませんよ。
ハルヒの噂ぐらい聞いた事あるでしょう。
しかし、先輩は小さく頷く。

「良いですよ。丁度、母にも部活をしてみたらどうかとしつこく言われていたので」

ここを普通の部活と思わない方が良いんだが、本人が良いと言っているんだ。
これ以上、俺が言う事もない。
まあ、ここの実態を知ったらどうなるのかは分からんが。
……まあ、後悔するか。
その後、お互いに簡単に自己紹介などをすませた頃、長門が本を閉じる。
それを合図とするように、全員が帰宅の準備を始める。
まあ、俺としてはハルヒの突飛な行動を窘める人が一人増えたと喜んでいたんだ。
帰宅中に話をしてみる限り、もの凄く普通の人だったからな。
現にハルヒは尾行に関しては、もうしないように注意をされていた。
反論するハルヒだったが、もし尾行相手が危ない人だった場合の事を訥々と語られ、渋々ながら納得していた。
これには驚いたね。あのハルヒを言葉で説得するんだから。
だからこそ、俺は自分の苦労が少しは減るんじゃないかって期待したんだ。
そう最初のうちはな。
俺はすっかり忘れていたんだ。
ハルヒの力のことを。
あの時、ハルヒは普通人でありながらも変わった奴を望んだんだ。
そして、連れてこられたのが高町さんだった。
この事にもっと早く気付いていれば…。
いや、気付いたからといってどうにかなるもんでもないのだが。
ともあれ、俺はこの時ばかりは本当に命の危機というものを感じたね。
今まで、宇宙人や未来人、超能力者の所為で、いや、未来人には危害は加えられてないか、今のところ。
超能力者にしても、直接何かされた訳でもないし、
これからも閉鎖空間なんてのに捕まらなければ、問題ないと見ていいだろう。
って事はだ、命の危機を感じたのは二回目か。
一回目は長門によって助けられ、この世の常識というものが通用しないと思い知ったものだ。
で、二回目は……。
いやー、まだ宇宙人とかが襲撃してきたってのなら、納得はできる。
したくはないが、しよう。これが未来からだろうが、超能力者だろうが百歩譲って納得しよう。
だがな、俺が普通だと思っていた本当に現代の普通の世界で、こんな事があったなんてのは、
正直、知りたくもなかったし、納得もしたくない。
というよりも、ハルヒの奴を巻き込め!
何で毎回、毎回俺が巻き込まれる目に遭うんだよ!
何となくどころか、かなり理不尽なものを感じつつ、俺は物陰に身を隠すしかなかった。
だってそうだろう。
こっちは普通の高校生だぞ。
こんな銃弾の中、飛び出すなんて出来るか。
同じく普通の高校生であるはずの高町さんを見れば、こんな状況にもかかわらず、冷静だった。

「全部で三人か。なら、手持ちの装備で充分だな。
 キョン、巻き込んでしまってすまないな。どうも、前の仕事の時の奴らの残党だろう。
 すぐに終わるから、ここから動くなよ」

言うと物陰から飛び出してしまった。
止める間もあらば、だ。
だが、この後俺はもっと驚く事となる。
何故って、普通、人間が鉄砲の弾を避けれるか?
しかも、一発じゃないんだぞ。
何発も撃ってきているってのに、高町さんはそのまま敵の中へと突っ込んで行く。
その手に何か握っているようだったが、遠いのとあまり顔を出していないのでよく分からなかったが。
暫くして銃弾の音が止むと、高町さんの声が聞こえてきた。

「もう大丈夫だ」

その声に従うように出て行けば、高町さんの足元には襲ってきたと思われる人物三人が昏倒していた。
高町さんは何処かへと電話を掛けると、俺の方へと頭を下げる。

「すまない。今回の件は俺のせいだ。
 巻き込んでしまったな」

いや、それは良いんですけれど。
本当はあまり良くないのかもしれないが、こうして命も無事だったしな。
それに、いい加減に非常識な事には慣れてしまった。
俺の言葉を聞いた高町さんは、巻き込んでしまった事からか、簡単に事情を話し始めた。
その話はとても信じられるようなものではなかった。
何でも、高町さんは偶に警察や警備の会社の知り合いから護衛の仕事を引き受けているらしい。
で、今回襲ってきたのは、前に護衛した人を襲った組織の残党らしい。
その組織自体は、その襲撃の所為で警察に軒並み捕まったはずだっただが、この三名は何とか逃れたらしい。
で、その原因となった恭也さんを襲ったって所だろうって。
そんな話を聞きながら、俺の心はもっと別の所へといっていた。
つまり、結局SOS団に普通の高校生は俺だけ、っていう事実に。
はぁー、やれやれだな、こりゃぁ。



   §§



「瑞穂の護衛をする事は確かに引き受けた。
 だが……」

そこまで呟いて恭也は、自分の身体を見下ろす。
黒を基調として、非常に動きやすいの格好はどちらかと言えば恭也の好みである。
ただ、それを見た殆どの者が、執事という言葉を連想しない限りは。

「で、俺は学生として転入するはずですよね、楓さん」

恭也は疲れた顔を見せながらも、瑞穂の隣に立つメイドの楓へと質問を投げかける。
それに対し、瑞穂はすまなさそうに笑い、楓は平然としたまま答える。

「はい、その通りです。先ほど説明した通り、瑞穂様は現在遺言にしたがって女性として学院に通われています。
 それ故に、護衛として付けれる者が限られてしまうのです」

「それはさっき聞きました。それで、昔からの知り合いである俺が呼ばれたということも。
 ですが、それとこの格好にどう関係が?」

「瑞穂様が通われている、そして、これから恭也さんが通うことになる白皇学院は執事も通うことが出来るのです。
 ですから、恭也さんには瑞穂様の執事として通っていただきます。
 そうすれば、必然と瑞穂様の傍に居ても可笑しく思われませんから」

「そういう事ですか」

楓の説明にようやく納得した恭也は、改めて着ている服を確認する。
恭也の父である士郎が、瑞穂の護衛をしていた事もある所為か、内側には色々と仕掛けがあるようだった。
おまけに、軽く本当に動きやすい。

「これは凄いな」

思わず感嘆の声を洩らす恭也に、楓は一つ笑って見せるのだった。



「何をしている、ハヤテ。さっさと来ないか」

「お嬢さま、待ってくださいよ。
 でも、どうしたんですか、今日に限ってそんなに学校に行きたがるなんて」

「別に何でもない」

「いや、別に僕としては嬉しいですけれど」

すぐにサボろうとするナギが自分から率先して学院へと向かう姿に、
ハヤテと呼ばれた執事姿の少年は嬉しそうに顔を綻ばせる。
しかし、ナギは途中で足を止めるとその場に落ち着きなく佇む。

「どうかしたんですか、お嬢さま? 早く教室に行きましょうよ」

「いや、もう少しここで」

何故かモジモジとしながら、今来た方を見詰めるナギに、ハヤテはすぐに何かを察する。
そして、両手をそっと差し出す。
その手をナギは不思議そうに見遣ると、ハヤテがこっそりと耳元で囁く。
僅かに赤くなるナギだったが、すぐにその顔が怒りへと変わる。
何故なら…。

「お嬢さま、トイレでしたら早く言ってきてください。
 鞄は僕が持ってま……ぶはぁっ!」

鞄の角で頭の頂を殴られて悶えるハヤテに、別の意味で顔を赤くしてナギは睨みつける。

「違うわっ! 私はただ、瑞穂お姉さまの新しい執事がどんな奴なのか見ようとだな……あっ」

言ってからしまったという顔になるナギだったが、ハヤテはその言葉に納得したように頷く。
エルダーとして全校生から姉として慕われる瑞穂。
その瑞穂に今日から一緒に執事が登校してくるという噂が先週から出ていた。
瑞穂に妹のように可愛がられ、
またメイドのマリアとはまた違う意味で姉として慕っている瑞穂の傍にいる執事。
それがどんなのか気になったのだろう。
下手をしたら、その執事に難癖をつけるかもしれないとハヤテは用心するよう心がけながら、
ナギと同じように、瑞穂が来るのを待つのだった。
やがて、待っている二人の前に見慣れた一人の上級生と、見知らぬ顔の執事の姿をした男性が歩いてくる。

「あれか…。ふん、外見はまあまあだな。
 一応、及第点をやろう。だが、瑞穂お姉さまに比べれば…」

「……あれ? うーん」

ブツブツと呟くナギに対し、ハヤテは少し考え込む素振りを見せる。
ナギは執事を見て満足したのか、それとも自分から話し掛けたくはないのか、
はたまた単に恥ずかしいだけなのか、兎に角、もう用は済んだとばかりに気付かれる前に立ち去ろうとする。
しかし、ハヤテはじっと瑞穂たちの方を見詰める。

「何をしておるハヤテ。さっさと行くぞ」

「あ、はい。でも、あっちの人どこかで…」

そんなやり取りをしている間に、瑞穂がナギに気付いたらしく笑いかけながら近づいてくる。
そうなると、ナギも立ち去るわけにいかずにその場で瑞穂を待つ。

「おはよう、ナギちゃん、ハヤテくん」

「あ、ああ。おはよう瑞穂お姉さま」

「おはようございます」

それぞれに挨拶を済ませると、瑞穂は恭也を紹介し、恭也へとナギたちを紹介する。
ハヤテを紹介した所で、恭也とハヤテは親しそうに話し始める。

「やっぱり恭也さんでしたか」

「ハヤテか。元気そうだな」

「はい、お陰さまで」

「なに恭也、知り合いなの?」

「ハヤテ、お主知っておるのか?」

共に自分たちの執事へと同じ質問をする二人に、恭也とハヤテは頷いてみせる。

「ああ。昔、ちょっとな」

「ちょっとじゃないですよ。
 恭也さんのお陰で命拾いしましたし、その後、働き口まで世話してもらって。
 本当に助かりましたよ」

「気にするな。困ったときはお互い様だろう。俺もお前には助けられたしな」

「ははは。
 それにしても、あのバイトの帰りに行き成り銃撃戦に巻き込まれた時はどうなるかと思いましたね〜」

「全くだ。勘違いだと説明しているのに、全く人の話を聞かない連中だったな」

「まあ、荷物は無事だったからよかったですけどね」

「いや、本当にあの時は危なかったな」

そう言って笑い合う二人を見て、瑞穂は引き攣った笑みを見せる。

「えっと、何のバイトをしていたのかは聞かないでおくわ。
 それよりも、ナギちゃんどうしたのこんな所で?」

「べ、別に何でもない。今から教室に行く所だったんだ」

「そうなの。じゃあ、途中までだけれど一緒に行きましょうか」

「ああ。ハヤテ、行くぞ」

「はい、お嬢さま」

「恭也さん、私たちも」

「ああ、分かっ…分かりました」

咄嗟に言葉遣いを直して横に並ぶ恭也を見て、瑞穂は少し可笑しそうに笑う。
それに憮然としながらも何も言わずに歩き始める。
こうして四人はそれぞれの教室までの短い距離を楽しく話しながら歩くのだった。

疾風のごとく乙女は剣士に恋をして プロローグ 「懐かしい二人の出会い」

それは、舞い散る雪の如く淡い物語の始まり…



   §§



学園へと続く道を歩きながら、恭也は少し眠そうに欠伸を洩らす。
昨日で夏休みが終わり、今日から新学期とあってか少し身体がだるい。
睡眠不足の原因は、昨夜遅くまでやっていた夏休みの宿題のせいだが。
思わず欠伸を洩らした恭也を、丁度、角で顔を合わせた二人の少女が見ていた。
そっくりと言うほどではないが、姉妹だと思わせるぐらいに似た顔立ちの少女。
一人はやや癖のあるショートヘアをリボンでカチューシャのようにしてまとめ、
その愛らしいたれ目を眠そうに細めている。
まだ休みボケが抜けきっていないと分かる。
それとは対照的に、その隣に立つ少女はツリ目がちな瞳もはっきりと、背筋もしゃんと伸ばしている。
ツインテールにした髪の先が僅かに揺れるのを眺めながら、その顔なじみの姉妹へと恭也は挨拶をする。

「おはよう、つかさ、かがみ」

「おはよ〜、恭くん」

「おはよう、恭也。あんたも眠そうね」

「まあ、ちょっと昨日遅くまで起きてたからな」

「どうせ、宿題でもやってたんでしょう」

「分かるか」

「まあね。でも、あれからちゃんと自分でやったってのは褒めてあげるわよ」

言って隣で同じように欠伸を噛み殺す妹、つかさを見る。
つかさはその視線に、自分が姉のを写したという事実を指摘されているようになり、
事実、かがみの目はそう言っているのだが、気まずそうに、その短い髪をまとめるリボンを調節する振りをして、
その視線から逃れる。
そんなつかさに、かがみはやれやれとばかりに肩を竦めるのだった。
柊姉妹と共に歩いていくと、途中でこれまた眠そうな少女と出会う。
この少女も顔見知りで、和泉こなたと言う。
恭也たちと同い年なのだが、その外見は何処か幼く、
ロングヘアを体と一緒に左右にフラフラと揺らしながら歩いてくる。

「はよー」

「おはよう、こなた。しかし、眠そうだな」

「まあね。今RPGやっててがここ三日ほどちゃんと寝てな…ふぁぁぁ〜」

話している途中に欠伸をするこなたに、またかと三人は顔を見合わせて苦笑する。
その間もこなたは、休みの終わりに発売するのは、とかブツブツと文句を言っているが。
かがみが少し呆れたようにこなたへと言う。

「ったく、それにしても今日から学校なんだから限度があるでしょうに。
 で、この三日でどれぐらい起きてたのよ」

「?? ずっとだよ。さっき、寝てないって言ったじゃない?」

とても不思議そうに、逆に何を言っているんだとばかりに首を傾げて言うこなたに、
かがみと恭也が驚く。

「寝てないって、本当に一睡もしてないのか」

「あ、あんたバカ?」

「あはははは」

つかさは何も言えず、ただ笑うだけだった。



学校へと付いた四人は、それぞれの教室へと向かう。
学年が一緒なので、教室に着くまでは一緒だが。
その途中、廊下で眼鏡をかけたロングヘアのほわほわした感じの少女と出会い、揃って挨拶する。

「あ、皆さん、おはようございます」

「みゆきさん、早いね」

「はい。今日は日直だったので」

こなたの言葉にそう答えると、今水を入れ替えてきたばかりの花瓶を少しだけ持ち上げる。
妹と同じ名前ながら、全く雰囲気から何まで違う少女の生真面目さに小さく笑みを浮かべつつ、
恭也は歩き出す。
それにつられるように、他の者も歩き出す。

「それにしても、まだまだ暑いな」

「それはそうよ。まだ9月に入ったばかりなんだし」

言って滲む額の汗を拭う恭也に、かがみは苦笑しながら返す。
そのやり取りを見ていたこなたが、面白くなさそうに指を顔の前で二、三度振る。

「分かってないな、かがみは。
 そこは、これで拭きなさいよね、と言いながら怒ったようにハンカチを差し出さなきゃ。
 その後、礼は良いわよ。ただ横でそんな事をされると迷惑なの、とか言って、
 後で胸を押さえて素直になれない自分を反省しないと」

「いや、そんなアンタの脳内妄想を私に強要されても…」

いつの間にか楽しそうに語り出したこなたへと、かがみが突っ込む。
そんないつものやり取りを恭也たちはただ小さく笑ってみている。
と、こなたはチェシャ猫のように笑うと、そっとこなたに近づいて他の者には聞こえないように呟く。

「ほうほう。それじゃあ、かがみは全く興味がないと」

「うっ、な、何よその笑みは…」

「べっつにぃぃ」

言いつつもニヤニヤと笑うこなたに手を出しそうになり、何とかそれを堪える。
だが、こなたは止める事無く追撃をする。

「縁日、花火、二人きり〜。あの時、恭也と二人で何処に行ってたのかな〜」

「あ、あれはあんたたちが先に行ったから、はぐれちゃったんでしょうが」

「いやいや、あれは気を利かせてあげたんだよ〜。
 はぁぁ、なのに何も進展してないなんて…」

がっかりだとばかりに肩を竦めるこなたに、かがみは顔を赤くしつつ誤魔化すように早口で捲くし立てる。

「な、何を言ってるのか分からないけれど、誤魔化すんじゃないわよ。
 どうせ、あんたがあちこちの屋台に夢中になって、さっさと行ったんでしょうが」

「うっ」

図星だったのか、今度はこなたが押し黙る。
それを見て勝ち誇るかがみへ、こなたが口をへの字にして呟く。

「でも、いいチャンスだったのは本当なのに。
 あーあ、折角のフラグが立たなかったね」

「いや、意味分からないから」

そんな二人だけのやり取りをしていたかがみに、恭也が声を掛ける。
いきなり声を掛けられて、僅かに声を上擦らせながらも振り返ると、恭也がある教室の扉を指差していた。

「俺たちのクラスはここだぞ?
 こなたたちのクラスに行くにしても、鞄を置いてからの方が良いだろう」

「あ、そ、そうね。それじゃあ、またね。
 つかさ、ちゃんと勉強しなさいよ」

そう妹へと言葉を投げると、かがみは教室へと入っていく。
その後に恭也も続き、つかさとみゆきは何故か慌てた様子を見せるかがみに首を捻る。
一人、こなただけが二人の消えた扉を見詰めたまま、ニヤニヤと笑っていた。



この物語はそんな彼、彼女らが繰り広げる、日常のドタバタコメディー(?)である。
とら☆すた



   §§



静かにただただ桜が舞う。
吐く息が白く色づくというのに、桜はその美しい桜色の花びらをヒラヒラと舞わす。
今の季節は冬だというのに、お構いなしに…。
いや、冬なのにと言うよりも、冬にもだろう。
何せ、この島では一年中絶える事無く桜は咲き誇っているのだから。
そう、ここ初音島ではそれは当たり前の景色。
十数年前に枯れたはずの『枯れない桜』が十数年前に再び咲き始めてからは。



「それにしても、季節感がないよな」

「まあ、それが初音島の名物『枯れない桜』だしね」

「や、今更そんな事を言われても」

「いい加減、慣れたらどうだ」

少年の言葉に返って来る三つの声。
少し前を歩く二人の少女は振り返りながら、
横を歩く少年と同じぐらいの年の少年はそのまま顔を横へと向けて。

「そうは言うけれど、恭也も可笑しいと思わないのか?」

「まあ、最初の頃は風情がないとも思ったが、これはこれで慣れれば乙なものだぞ」

「そうそう。それに、兄さん。
 毎日がこうなんだから、こっちが日常なんだよ」

「まあ、分からなくもないんだが…」

「まあまあ、二人ともあんまり弟くんを苛めたら駄目だよ」

「や、別に苛めてませんから」

「そうだぞ、音姫。人聞きの悪い」

この中で一番の年長と思われる音姫の言葉に、恭也と音姫の妹、由夢がすかさず言い返す。
そのやり取りを眺めながら、残るもう一人、
桜内義之はもう一度満開の花を咲かせる桜へと視線を向けるのだった。



「おはよう、義之、恭也」

教室に入るなり挨拶をしてくるクラスメート、雪村杏に二人も挨拶を返すと席に鞄を置く。

「所で、聞いた?」

「いきなりだな。で、聞いたってのは何を?」

「義之くん、知らないの〜」

杏との会話に割り込んできたのは、杏の親友で花咲茜だった。
それに対して義之は少し憮然と言い返す。

「だから、今来たばっかりで何の話をしていたのかもしらんのに、どう返事しろと」

「ふっ、駄目ね。恭也は?」

杏は鼻で笑うと恭也へと顔を向ける。
しかし、恭也もまた何の事を言っているのか分からず、ただ首を横へと振る。

「もう、ダメダメだね、二人とも」

何故か出来ない子を諭すかのように、人差し指を立てて言ってくる茜に釈然としないものを感じつつ、
二人は話の続きを促す。

「学食に新メニューが出るらしいの」

「ほう」

「それはいい事だな。同じ物ばっかりだと流石に飽きるしな」

他の学校に比べて豊富なメニューを誇るとは言え、
それでも毎日のように食べていればマンネリするものである。

「出来れば安いのが良いな」

「義之の言う通りだな」

二人はうんうん頷きながら、何が加わったのか杏へと尋ねる。
が、返ってきた答えは。

「知らないわ」

「おいおい。茜は知っているのか?」

半ばあきれつつ、視線を隣へと移せば、舌をチョロリと出して片目を瞑る茜の姿が。

「ごめんね〜、私も知らないの。
 二人なら知っているかなと思って聞こうとしてたんだもん」

「だったら、俺たちと変わらないじゃないか」

茜の言葉に呆れたように言った義之に、茜はプンプンとわざわざ口で言って怒って見せる。

「それは違うよ〜。だって、私や杏ちゃんはちゃんと新メニューが加わるって事は知ってたもの」

「そう言うのを五十歩百歩って言うんだぞ、茜」

「恭也まで苛める〜」

「人聞きの悪い事を言うな。いつ苛めた」

「うぅぅ、あの日熱く燃え上がったのは嘘だったのね」

「ああ茜、可哀想に。こんなに傷付いて。
 だからあれほど忠告したのに。恭也は飽きたら捨てるような鬼畜だって」

「うぅぅ。でも、あの一時は本物だったと信じてるぅぅ」

「よしよし」

「いや、お前ら冗談にも程があるだろう。
 幾ら間に受ける奴はいないとは言え、その冗談は……って、義之、何故離れる。
 そして、何故汚物を見るような目で俺を見る」

「あははは、冗談だって、冗談。
 ほら、杏も茜もそれぐらいにしておかないと恭也が本当に怒るぞ」

「そうだね〜。冗談はこの辺にしておこっか。ほら、恭也も拗ねないで〜。
 お詫びに、ひっついてあげるから〜」

言って恭也の腕を取り、そのまま組もうとするがそれを恭也は止める。

「いや、拗ねてないから」

「むー、そこまで嫌がらなくても良いじゃない。
 流石にショックかも…」

「いや、別に嫌とかじゃなくて」

「なるほど、恭也は私のような胸の方が良いのね」

「ああ、ああ、恭也は杏ちゃんみたいなのがタイプか。
 なら、仕方ないね」

「じゃあ、私が…」

言って今度は杏が腕に絡み付いてこようとして躱される。

「あら、私もお気に召さないの?」

「うーん、となると小恋?」

「え、え、ええぇっ! な、何で私!?」

今まで話の外にいた筈の三人目の少女が、いきなり自分の名前を呼ばれて慌てる。
それをニヤニヤした笑いで見ながら、アカネは続ける。

「残念だけれど、小恋は予約済みなのよね〜」

「ちょ、茜。勝手な事を言わないでよ!
 予約って何?」

「何って、ねぇ〜」

「ええ。言ってもいいのかしら? 誰かさん限定だって」

「あ、あうぅぅ」

杏と茜の二人にからかわれて真っ赤になる小恋を見かねたのか、義之が助け舟を出す。

「ほら、二人とも小恋まで巻き込んでるんじゃない」

「そうだったわ」

「えー、私は別にからかってないのに〜。まあ、今は恭也の話だから良いけどね〜。
 で、結局、恭也は私と杏ちゃんの二人一緒が良いって事ね。もう、この欲張りさんめ〜」

「勝手に話を進めて、勝手に決めつけた上で、
 その仕方がないなって分かったような目で見るのは止めてくれ」

疲れたように肩を落とす恭也の隙を付き、二人は恭也の腕に絡みつく。

「って、お前らっ!?」

「またまた、嬉しいくせに〜。なに? もっときつく抱きついて欲しいの?」

「あら、そんな朝から?」

「……義之」

どんな反応を見せてもからかわれると悟った恭也は、一番無難な選択、義之へと助けを求める。
案の定、それを見た二人はつまらないとばかりに腕をあっさりと離す。

「ぶー、つまんないな〜」

「本当に面白くないわね」

「面白くなくて結構。俺はお前たちの玩具じゃないんだからな」

「……またまた〜」

「いや、意味が分からんぞ茜」

「って、それよりも学食の新メニューって何なんだ?
 小恋は知ってるか?」

「え、私? ごめんね、私も知らないよ。新メニューが出来るっていうのも、今知ったぐらいだし」

「ふーん。まあ、昼になれば分かるか」

そう言って納得し掛けた義之のすぐ後ろに一人の男が現れる。

「あまーい! 甘いぞ、桜内!
 そんな考えでは、ただ踊らされるだけの民衆と化してしまうぞ」

「朝っぱらから元気だな、杉並」

義之は驚きつつも、何処かうんざりとした顔で後ろへと振り返る。

「で、何の用だ?」

「何、我が相棒が困っているみたいだったからな。少し助けてやろうと」

「誰が相棒だ、誰が」

義之の突っ込みをさらりと聞き流し、杉並は不敵な笑みを見せる。

「先ほどから話題にしている学食の新メニューだが…」

「何か知っているのか?」

「ああ、高町。我が、非公式新聞部にかかればこの程度のこと」

言って杉並がその内容を口にする。
何故か思わず全員が注目する中、

「おはっよー。って、皆して何してるんだ?」

新たに現れた人物によって、その雰囲気が壊される。

「あー、おはよー板橋君。もう本当に空気を読まないね〜」

「おはよ、板橋。そして、さようなら」

「渉、タイミング悪すぎだよ」

それぞれの苗字を取って、雪月花三人娘と呼ばれている三人からいきなりそう言われ、
渉と呼ばれた少年は訳も分からずに悲しそうに恭也たちを見る。
しかし、恭也たちも同じように肩を竦め、

「板橋、間が悪かったな」

「渉、お前もう少し遅く来いよな」

「板橋、タイミングというものは大事だぞ」

「う、うわぁ〜ん、お前たちまでっ! 何で、どうして、僕が何をしたっていうの〜!?」

叫ぶ渉を醒めた眼差しで六人が見詰める。
徐々に小さくなっていく渉を、流石に哀れに思ったのか小恋が話を戻す事にする。

「え、えっと、それで杉並くん」

「うむ、仕方あるまい。仕切りなおしといくか」

言って杉並が口を開いたのと同時に、チャイムが鳴り響く。

「……まあ、仕方ないな」

恭也のこの言葉に、全員が席へと戻って行く。
そんな中、渉だけは肩を落として立ち尽くしていた。

「俺、何もしてないよね……」

その呟きに答えるものは誰もおらず、渉が正気に戻るのは担任が教室へとやって来てからだった。
しかも、呆然と立ち尽くしている間に、
担任から無情にもそんなに立ちたければ廊下に立たせてやるというお言葉を頂く事となるのだった。

ダ・ハート



   §§



それは、海沿いの町で始まるお話。

「健ちゃん、健ちゃん、急いで!」

「だぁっー! ちょっと待てよ七海」

夏休みも近づいたある日の朝。
とある家から騒がしい声が響く。
家の前で足踏みをして中に居るであろう人物を急かす少女に、玄関で靴を履く少年が返す。

「くそっ、恭也のヤツ先に行きやがって。
 待っててくれても良いのに」

ブツブツと文句を言いながら家の鍵を閉める少年――友坂健次に、
幼馴染で隣家の少女、近衛七海が苦笑を見せる。

「恭くんは、鈴夏ちゃんが引っ張って行っちゃったからね」

「ったく、鈴夏も恭也だけじゃなくて俺たちも起こせってんだよ」

「それは駄目だよ、健ちゃん。起こすのは私たちで交代なんだから。
 それが…」

「ルールだろう。分かってるよ。それに、恭也のヤツは起こしてもらってる訳じゃないしな」

「だよね。恭くん、起きるの早いし」

「ああ。って、少し走るぞ七海」

「うん」

言って二人は学校へと走り出す。
夏が近いことを感じさせる高い日差しの中、二人は駆けて行く。



「もう、恭也お兄ちゃんのエッチ」

「だから、あれは不可抗力だと言っているじゃないか」

「ぶー。不可抗力でもあんな姿を見られて私は傷付いたよ」

わざとらしく顔を伏せる一つ下の幼馴染に困ったような顔を見せつつ、
何を思い出したのか恭也は顔を赤らめる。
それを敏感に察知した少女、友坂鈴夏はこちらも顔を赤くして恭也に詰め寄る。

「わーわ、思い出さないで!」

「お、思い出してないから」

「うー、本当に恥ずかしいよ」

「だから、悪かったって。それに、カーテンをしていない鈴夏も悪いんだぞ」

「そ、それはそうだけれど…」

この二人が何を言い合っているかと言えば、
朝風呂に入った鈴夏が制服へと着替えるために部屋に入った時にまで話は遡る。
全く同じ時間帯、恭也もまた自分の部屋で制服に着替えようとして、
風呂上りの火照った身体に少し風を当てようと何気に窓の外、ベランダに出たのが始まりだった。
恭也の部屋と鈴夏の部屋は、兄である健次と七海の部屋と同じように、
その距離が数メートルと離れていないのだ。
そして、恭也は本当に何気なく、特に意識したわけでもなく、
長年の習慣にも近い感覚でふと鈴夏の部屋へと視線を転じた。
普段、鈴夏は着替える際にはカーテンを引くのだが、今朝はそれをうっかりと忘れており、
結果、その下着姿を恭也の目に晒す事となる。
対する恭也も、上は何も着けていなかったのだが、男と女の場合では話が違い過ぎた。
悲鳴こそ上げなかったものの、お互いに数秒間動きを止めて見詰め合う形となってしまったのである。
そして、恭也の脳裏にははっきりとその映像が目を瞑れば、
今もリフレインできるぐらいその姿を凝視してしまったのである。

「でも…」

「本当に悪かった。今度、何か埋め合わせするから」

「本当に!?」

「ああ。ただし、できる範囲でだぞ」

「うん、それなら許してあげるよ」

ようやく機嫌を直した鈴夏にほっと胸を撫で下ろす恭也だったが、安心するのは少し早かった。
機嫌を直した鈴夏は、覗き込むように身体を前に倒して恭也を下から見上げると、
少し顔を赤くさせつつ、悪戯っ子のような笑みを浮かべる。

「あんな姿を見られたら、もうお嫁にいけなくなっちゃったかも…。
 その時は、責任取ってね」

思わず咳き込みそうになるのを堪えつつ、鈴夏の冗談めいた笑みにこれが冗談だと悟ると、
恭也は無言でその額へと軽くデコピンを喰らわせる。

「からかうな」

「むー、痛いな、もう」

複雑な顔を一瞬だけ見せるも、すぐに笑顔を浮かべるとデコピンされた額を押さえる。
恭也は恭也で、気付かれないようにそっと溜め息を吐くのだった。

そんな二人の背後から、健次の声が聞こえてくる。

「おーい、待ってくれー」

「ん? 健次たちか」

「わっ、今日は早いね」

まるでそれが珍しいとばかりの鈴夏の台詞に、しかし、恭也は同様に頷く。
それは幸いにして健次たちには聞こえていなかったらしく、二人は恭也たちに並ぶと普通に歩き出す。

「はぁー、はぁー。ったく、少しぐらい待っててくれても…はー、はー」

「いや、お前たちを待っていたら、確実に遅刻だろう」

「ばっ、今日は早いだろうが」

「ああ、今日は、な」

あっさりとそう返されると、健次は何も言えずに肩を竦める。
と、持っていた自分のではない鞄を、さっきから一言も喋らずに呼吸を整えている七海へと渡す。

「ほら、七海」

「あ、ありがとう健ちゃん」

鞄を受け取り、七海は笑顔で礼を言う。
この四人は家が近所、いや、隣同士という幼馴染である。
だが、さっきのやり取りからも分かるように、一緒に登校する事は珍しいのかもしれないが。
久しぶりに四人揃っての登校に、健次はふと額に手を翳して空を仰ぎ見る。

「ふー、これから夏本番だな」

「そうだな。これから暑くなっていくだろうな」

「うーん、今年も美味しい野菜ができると良いかも」

「七海お姉ちゃんの野菜、美味しいもんね」

「ありがとう、鈴夏ちゃん」

「野菜も良いけど、スイカだな、やっぱ」

健次の言葉に、恭也が反応して七海を見る。

「七海スペシャルは?」

「もうばっちり! もう少ししたら、収穫できるよ!
 今年の七海スペシャルは、いつもとは違うんだから!」

「それは楽しみだな」

「スイカはスイカだろう?」

「あー! そんな事を言うんだったら、健ちゃんには食べさせてあげないもん!」

「げげっ! それはどうかご勘弁を、七海大明神様〜」

「どうしようかな〜」

ふざけ合う健次と七海から、恭也も空へと視線を移す。
確かに、夏を思わせるような青く高い空に、さんさんと輝く太陽が眩しい。
恭也の隣に並びながら、鈴夏も同じように空を見上げる。

「夏だね」

「ああ、夏だな」

健次と七海の騒ぎを余所に、恭也と鈴夏は少しの間だけ、そうやって静かに空を眺めていた。

――今年も、夏が来る。

ラムネ色のハート 〜恋する夏の物語〜



   §§



朝の早い時間、いや、学生たちにとっては決して早くもない時間。
商店街を走る一つの影があった。

「よし、このペースなら間に合う」

腕時計で時間を確認し、走る事を止めて歩き出す一人の少年。
その少年の後ろからこれまた同じ年頃の少年が声を掛ける。

「おはよう、レオ」

「ああ、恭也か。おはよう」

昔からの友達である二人は、朝の挨拶をすると一緒に登校すべく横に並ぶ。
恭也はふと対馬レオの隣を見て、レオが一人だろ分かると一応聞いてみる。

「所でカニは」

「時間になっても出てこなかったから置いてきた」

「そうか」

二人共通の友人にして、幼馴染の蟹沢きぬの朝の弱さを知っている恭也は、レオの言葉にすんなりと頷く。

「そう言えば、祈先生の課題があったな。レオはやってきたのか」

「当たり前だろう。祈先生相手に忘れられるか」

英語担当にして担任教師を思い描きながら、レオは至極真面目に答える。
恭也もその意見を否定する事無く、それもそうかと納得する。
と、その後ろから大声で叫びながら近づいてくる一人の少女が。

「って、ちょっと待てやー! 大事なモンを忘れているだろうがぁぁっ!
 ボクを忘れてどーすんのさ!」

走ってきた勢いのまま二人を追い越し、数メートル進んでから引き返えしてくるのは、
さっき話題に上ったカニこと蟹沢だった。
カニはレオの腕を手でバシバシ叩きながら、犬のように舌を出して呼吸を繰り返す。

「おはよう、カニ」

「おはようじゃないよ! 何で、置いてくのさ」

「起こしてやるだけでもありがたいと思え」

「起こすっていうのは、ボクが玄関を開けて可愛い笑顔で挨拶をするまでの工程を言うんだよ!
 手抜きするな!」

「何を言ってやがる、カニの分際で」

「ぬはー、いふぁい、いふぁいぃぃ」

レオがカニのほっぺを摘んで引っ張ると、カニは目から涙を零して暴れる。

「レオ、それぐらいにしておいてやれ」

「ふぉうふぁ、ふぉうふぁ!」

恭也の言葉に手を離すと、カニは引っ張られた頬を擦りながら、涙目でレオを睨みつける。
カニが何か言うよりも早く、レオの方が口を開く。

「お前って、相変わらず涙腺ゆるいよな。ほっぺを引っ張るだけで涙が出るなんてさ」

「それを分かっててやっているレオもレオだと思うがな」

少々呆れた口調で呟く恭也に対し、カニはレオへと食って掛かる。

「泣いてないもんね! もう腹立った!
 お情けで一緒に登校してやってるのに、もうレオなんかとは登校してあげないもんね!」

「いや、別に構わないけど…」

走り去るカニの背中に向かって、レオは本当にどうでも良さそうに呟く。
これもいつもの事と言えばいつもの事なので、恭也は軽く肩を竦めるだけだった。
そんな恭也へと後ろから声が掛かる。

「よう。相変わらずみたいだな」

「おはよう、フカヒレ」

「よぉ、フカヒレ」

眼鏡を掛けた少年の登場に、恭也とレオも挨拶を返す。
彼もまた恭也たちの昔からの友達で、鮫氷新一(さめすが しんいち)という。
三人で並んで歩きながら、ようやく自分たちの通う学園、竜鳴館(りゅうめいかん)へと着く。
教室へと入れば、恭也たちとつるむ最後の一人、伊達スバルが近づいてくる。

「よう。ちゃんと遅刻しないで来たみたいだな。感心、感心」

食事から洗濯に掃除とレオの世話をやたらと焼くスバルの言葉に、恭也はただ苦笑する。

「相変わらずまめだな、スバル」

「まあな。これも偏にレオに対する俺の偉大なる愛だな」

断っておくが、伊達スバル、家事万能にして毎朝優しくレオを起こす幼馴染は、れっきとした男である。
それも女子生徒からの高い人気を誇る。
レオは毎度のスバルの言葉に突っ込みつつ、ホームルーム開始のチャイムに席に着く。

「いよぉー、若造ども元気か。祈の奴が遅れそうなんで、我輩だけ先にきた」

言って入ってきたのは、担任の教師ではなくそのペットのオウム土永さんだった。

「またかよ、祈ちゃん遅刻多いな」

お前も俺が起こさなければ毎日遅刻だろうがというカニに向けての言葉を飲み込み、
レオは土永さんを見遣る。

「まあ、そんなに慌てるな。我輩がためになる話をしてやろう」

こうしてオウムによるHRが進んで行くが、それに対して最早誰も何も言わない。
恭也たちが所属する2−Cは、基本的に問題児が多い。
このクラスに在籍している生徒会長の霧夜エリカ、完璧さと高飛車にして傲慢な振る舞いから、
尊敬と皮肉を込めて『姫』と呼ばれるその人自身が好き放題にやっているくらいだ。
2−C担任を含め、良識を持つ者が苦労するという難儀なクラスであった。

夜になれば、自然とこの五人はレオの部屋に集まり、特に何をするでもなく時間を過ごしていた。
今日も今日とて、レオの部屋に集まってただ話をしたりして時間を潰す。
誰もが何となくこんな時間がずっと続くと思っていた。
そう思っていたのだ。だが、現実とは時として小説よりも奇なものであったのだった。
勿論、そんな事をこの時の恭也たちに分かるはずもなかったのだが。



いつものように出たはずなのに、何故か遅刻寸前という時間になってしまったレオは、
カニを引き連れてひたすら学校を目指して走る。

「眠い〜」

「眠いも何も、このバカが。二度寝しやがって!
 見捨てないだけでも感謝しろ」

そう、レオがいつも通り家を出たにも関わらず走っている理由は、全てカニにあった。
そんな言葉を聞き流して眠気眼で走るカニを一睨みするとレオは走る速度を少しだけ上げる。
門を閉める先生や状況により、門が閉められるのは日によって3、4分の違いがある。
つまり、ギリギリだけどまだ遅刻かどうか分からないのだ。
故にラストスパートとばかりに走り出すレオの後ろから、いつの間にかやって来た新一が並ぶ。

「フカヒレ、お前もか」

「ああ。昨夜はケイコちゃんが中々寝かせてくれなくてな」

「またギャルゲーか」

「二次元をバカにするな!」

「いや、誰も馬鹿にはしてないだろう」

「ほい、お疲れさん」

走る三人へと軽く走って追いついてきたのは、陸上部に所属しているスバルだった。

「今日は朝練はなかったのか」

「まあな。ただ、ちぃっと昨夜のバイトでな」

スバルは夜に少し怪しげなバイトをしており、その関係で起きるのが遅かったようだ。
そのスバルの後ろから無言で付いて来ていた恭也も挨拶をする。

「珍しいな、恭也まで」

「まあ、ちょっとな」

こうしていつものメンバーとなった恭也たちは校門へとダッシュをかける。
しかし、結果はかくも無残に五人の前に立ち塞がる。
閉ざされた校門という形で。

「くぅぅ、こうなると遅刻届をもらうしかないんだよね」

カニが悔しそうに校門を睨みながら言うも、新一は首を振る。

「いや、俺は納得しないぞ。折角、疲れるのを我慢して走ったのに。
 …よし、フォーメーションだ」

「久しぶりにやるか」

新一の言葉にレオが頷くと、五人は一旦、元来た道を戻り、学校を囲う高い壁の前に立つ。
丁度、校舎の裏側に当たる辺りだ。
新一は素早く周囲を見渡し、誰も居ない事を確認する。

「よし、いくぞ」

レオの言葉を皮切りに、普通なら決して登れそうもない壁に向かって走り出す。
最初に恭也とスバルが走り出し、その後を数メートル離れてレオたちが走る。
恭也は壁に背を付けると腰を少し降ろし、両手を組んで膝辺りまで掌を上に向けて降ろす。
そこへスバルが軽くジャンプして飛び乗る。
同時に恭也は腕を上へと振り上げ、スバルは丁度良いタイミングで恭也の手からジャンプする。
高い壁の上に見事に着地を決めると、そのまま下半身を向こうへと出し、
乗り出すような形でこちら側に両手を伸ばす。
その間に恭也は身体を反転させ、今度は壁に手を着く。
レオと新一はその恭也の肩に登り、スバルの手を取って壁をよじ登る。
次にカニを恭也が支え、それをさっきよりも身体を倒したスバルがカニの手を掴んで引き上げる。
その時、スバルが転落しないように、レオと新一とでスバルの身体をしっかりと固定する。
スバルからカニを受け取ると、今度は恭也を迎え入れる。
この中で最も跳躍力の強い恭也は、スバルの伸ばした腕に軽く捕まる。
それを三人がかりで引き上げ、全員が壁の上という訳だ。
こうして無事に侵入した五人は悠々と教室へと向かおうとして、不意に声を掛けられる。

「おい、そこの五人」

その声に思わず足を止めるが、誰一人として振り返って顔を見せるようなヘマはしない。
後ろから何かが近づいてくる気配を感じつつ、五人はどうするか目だけで語る。
真っ先にカニが行動を起こす。

「当然、逃げるが勝ち!」

言うや否や、猛然とダッシュする。
確かに、この手のものは現行犯でなければ証拠を突きつけ難い。
このまま捕まって油をしぼられるのも嫌なので、カニの意見に異論はなく恭也たちも揃って走り出す。
当然、後ろから呼び止める声が聞こえるが、

「どうする、止まれと言っているみたいだが」

「恭也、止まれと言われて止まるやつはただの馬鹿だ!」

「カニの言う通りだな」

「同じ馬鹿なら逃げ切るんだ!」

カニに続き、スバル、新一もこのまま逃げ切る事にする。

「どっちにせよ、馬鹿なのかよ」

思わずレオが突っ込むが、それでもやはり足は止めない。
五人はそのまま校門までやって来ると、追っ手が一人ということもあり、散る事にする。
それぞれバラバラに走り出そうとした瞬間、新一の間抜けな声が聞こえる。

「あれ?」

同時に鋭い音と、暫くして何かが地面に落ちた音が聞こえてくる。
僅かに振り返った恭也は、それを見た。
追って来た女子生徒が新一の足へと蹴りを繰り出して薙ぎ払い、そのまま地面へと倒したのを。
その無駄のない動きに内心で感嘆の声を上げつつ、どうするかとレオたちを見る。
恭也の言いたい事に気付き、カニが即座に決断を下す。

「見捨てようぜ」

あっさりと決断を下したカニに頷くレオと、流石にやり過ぎだと感じたのか文句を言おうと口を開くスバル。
所が、次の標的はスバルと決めたらしく、その女の子はスバルへと攻撃していた。

「なっ!? はや…」

最初の攻撃を腕で弾くも、それはフェイントだったらしく本命の攻撃が間髪置かずに繰り出される。
腹にその女の子の腕が突き刺さり、スバルは膝を着く。

(的確にすぐさま行動不能になる場所を一撃でか)

フェイントも含め、その流れるような攻撃に恭也は再び感嘆する。

「次!」

勿論、女の子はそんな恭也の感嘆など気付かず、ただ次は誰が相手になるのかと恭也たちを見る。
そんな中、最も戦力としては弱いが、すばしっこいカニは即座に逃げを打つ。
しかし、あっさりと捕まって投げ飛ばされる。

(落ちる瞬間に引っ張り上げたか。あれなら、衝撃はあるが痛みはないはず)

女の子の投げ技をしっかりと見詰めつつ、恭也はそう判断する。
流石に三人があっという間に倒されて驚くレオへと女の子は無造作に近づき、足を振る。
空気を斬り裂くような音がしたかと思った瞬間、足に凄い衝撃が走る。
呆然と女の子を見詰めたまま、レオはその場に座り込む。
女の子に蹴られた足が痺れ、立っていられないのだ。
喧嘩にはそこそこ自信のあったレオだったが、この事実に驚愕の表情でその女の子を見上げる。
そんなレオを見下ろし、女の子はつまらなさそうに言う。

「一撃で終わりか」

研ぎ澄まされた刃のような鋭い眼差しでレオたちを叩きのめした女の子は、制服から見て三年の先輩であった。

「全くだらしがないな、お前は。根性がない」

凛として堂々と立つ女の子を見上げながら、レオは最近は男が弱くなったと言われるが、
この状況を鑑みるに、女の子が強くなったんではないだろうか、などと思っていた。
何も言えないレオたちを一瞥すると、女の子は最後に残る恭也へと顔を向ける。

「さて、私は風紀委員長の鉄乙女だ。校則に乗っ取って簡易制裁を執行した。
 後はお前一人だが」

「幾らなんでもやり過ぎではないんですか?」

「やり過ぎ? 生徒手帳の17ページ。風紀委員特別権限だ。
 怪我をさせない限り、委員の注意や警告に従わない生徒には処罰を下しても良いとなっている。
 で、だな。お前たちは立派に校則違反だ。そして、私はお前たちに待つように注意をした。
 が、これを無視。故に制裁を執行しただけだ。なに、大人しくしていればすぐに済む」

言って乙女は恭也へと腕を伸ばす。
が、これを恭也は腕で捌く。
しかし、ある程度喧嘩慣れしていると見ていたのか、
スバル同様にこれはフェイントで本命の一撃、蹴りが凄まじい速さで恭也の足へと迫る。
それを恭也は当然のようにバックステップで躱す。

「むっ、外した。いや、躱されたのか」

乙女は先程よりも注意深く恭也を見る。
内心で恭也はしまったと思いつつ、何事もなかったかのように立つ。

(大人しく喰らうつもりが、遂反射的に動いてしまった)

悲しい性と言うべきか、一定以上の攻撃には勝手に反応してしまう身体に嘆きつつ、
恭也は次の攻撃を待つ。

(しかし、大人しく喰らうのもまずいような気が。
 今の動きや蹴りといい、鉄という姓も気になる)

考え事をする恭也へと、先程よりも慎重に乙女は間合いを詰めて左右から打撃を加える。
思わず考え事をしていた恭也は、咄嗟にそれらを右腕で全て捌き、
逆に態勢の崩れた乙女へと左手による反撃をしてしまう。
まずいと思って止めようとするも、僅かにスピードが落ちただけで、拳は止まらずに進む。
当たると思った恭也だったが、それは杞憂に終わる。
足を上げて恭也の拳を受け止めていたからだ。

「ふむ、中々やるな。だが、何故、躊躇った?
 あのまま躊躇わなければ決まっていたかもしれんぞ」

「いえ、躊躇わなかったとしても防がれていたでしょうね。
 ただでさえ、女性に手を上げるというのに、今回は明らかにこちらが悪いですからね」

「戦いに男も女もないぞ」

「それは勿論分かってますよ。これが戦いだというのなら、勿論躊躇はしません。
 ですが、さっきも言ったように、今回はこっちが悪く、そちらはちゃんと規則に乗っ取った行動をしている。
 なら、躊躇うのも仕方ないかと」

戦いなら躊躇しないという語った時の恭也の目に、乙女は何を見たのか感心したような声を上げる。
その後、恭也が言う言葉にも嘘や詭弁は感じられず、それが本心からだと分かると、
乙女は構えを解く。

「制裁は良いんですか?」

「ああ。お前には必要ないだろう。
 あれはあくまでも、注意や警告を無視した場合の止む得ない処置だからな。
 それに、不意を付いた攻撃にはどうしても勝手に反応してしまうようだしな」

乙女の言葉に恭也は苦笑を浮かべる。

「しかし、それで何の部活もしていないというのは惜しいな。
 どうだ、今からでも拳法部にこないか」

「いえ、遠慮しておきます。
 買いかぶりすぎですよ。さっきのはただの偶然です」

「偶然やまぐれで躱されてはたまらんのだがな。
 まあ、お前にはお前の事情があるのだろうからな。
 さて、それよりも今は…」

言って乙女はレオたちを見る。
こうして朝から校門の近くで、五人は説教を喰らう事となったのである。



後に、この鉄乙女がレオの従姉妹だと判明し、忘れていたレオは頭を抱えたとか何とか。
更に、その乙女がレオの両親に根性を叩きなおす様に頼まれてレオの家へと引っ越してきた。
これにはレオの部屋を集まり場としているカニたちも反対するも、誰も正面からそれを言う事はできなかった。
こうして、レオと乙女の共同生活が始まる中、事態は更に面倒な方へと転がり始める。
風紀委員長にして、生徒会副会長である乙女により、
生徒会長であるエリカが悉く首にした生徒会の執行部へと推薦されたのだ。
しかも、何が気に入ったのかエリカはこれを受諾し、生徒会執行部へと入る事となってしまう。
更に、そこに椰子なごみという孤独を好む一年生も加わり、新たな日常が始まる。
これから一体、どうなる!?



つよきすハート



「いやー、正に夢のようだよ。はっ! もしかして、夢なのかも。
 現実の俺は、未有ちゃんとデートの途中とか!?」

「フカヒレ、うるさいぞ。それと、お前の場合はゲームでデートだろうが!」

生徒会室で叫ぶフカヒレに、容赦ないきぬの言葉が突き刺さる。

「そんな事言ったって、仕方ないじゃないか。この状況を見ろよ。
 姫によっぴー、それに乙女先輩と美女だらけのこの状況を。まさにハーレムだぞ。
 一瞬、夢と思ったとしても仕方あるまい」

「そこに加えて、この美少女のボクがいるんだもんね」

「いや、バカはそれ以上でも以下でもないからな」

「んだとぉ! フカヒレの分際で!」

「フカヒレの分際ってなんだよ! 全国のフカヒレさんに謝れ!」

「んな名前ねぇよ!」

「絶対か、絶対にないか!」

「はーい、そこの二人漫才はいい加減やめにしてくれないかな?」

いつまでも終わりそうもない二人の言い争いを、姫こと霧夜エリカが止める。
二人が治まったのを見て、エリカは話を再開する。

「こうして対馬くんたちに生徒会に入ってもらった訳だけど、まだ役員が一人足りないのよね」

会長を務める姫、書記の佐藤良美、そして副会長の鉄乙女。
この三人だけで運営してきた生徒会だが、ここに来て新たな人員が加わった。
副会長に恭也、会計にレオ、書記にスバル、会計監査にきぬと新一である。
だが、本来は会計がもう一人いるのである。
そこでエリカはレオたちにもう一人を見つけてくるようにと話をしたのである。

「見つけてくるって言ってもなー。そう都合よく能力があって入ってくれる人物なんているのか…」

「対馬くん、違う違う。私が見つけて来いって言ってるの。分かる?
 もう確定なのよ」

「さいですか…」

流石に姫と言われるだけの事はあると思いつつ、レオは大人しく従う。
そこへ、エリカは更なる注文をつける。

「出来れば一年生が良いわね。殆どの二年生や三年生の乳は揉んだし。
 新たに開拓しないとね。もちろん、巨乳よ。それと、見た目も結構大事よ。
 そこに能力があれば言うことなしだけど、そこまで我侭は言わないわ」

「普通は能力が先なのでは?」

「無駄だ、高町。姫にそのような常識が通じると思うか」

乙女の言葉に恭也は簡単に納得する。

「とりあえず、一年生の名簿があれば見せてもらえるかな佐藤さん」

「うん、ちょっと待ってね対馬くん」

レオの言葉に良美は席を立つと棚の中から一冊の名簿を取り出す。
受け取って中を覗き、レオは思わず言葉を飲む。
横から覗き込んだスバルも思わず声を洩らす。

「こいつは凄いな。名前に所属する部活や委員。住所まであるぞ」

「とりあえず、これでどうする?」

メンバー集めをするために動き出したレオたちを見て、エリカたちも自分の仕事へと戻って行く。
特にアイデアも出ないまま名簿とにらめっこして数分。
新一が不意に指を指す。

「この子なんてどうだ。香なんて如何にも可愛らしい名前じゃないか。
 きっと、名前のとおり芳しい香がするんだろうな〜。間違いなく美人だ」

「いや、名前だけで判断するのかよ」

「美人だろうが違おうが、まずフカヒレなんかは相手にされないね」

呆れたように呟くスバルに対し、カニが馬鹿にしたように言う。

「名前だけでここまで妄想できるのも凄いと思うがな」

ある意味感心する恭也に、レオは苦笑する。

「よし! この子を探し出そう。帰宅部だからな。すぐに行動しないと帰っちまう
 あ、最初は俺が声を掛けるから、お前らは隠れていてくれよ。俺の華麗な話術でいちころだぜ」

「悪い、俺は部活だ」

「ああ、行って来い」

「ほんと悪いな」

スバルが抜けるのを見て、新一はその背中を見送る。

「スバルが居なくても、まだ恭也がいる!」

「お前、自分で声掛けるなんて言っておきながら、スバルや恭也を利用する気だったのか」

「うっ、ち、違うぞ」

「動揺してるぞ」

「まあまあ、レオ。こいつはお前以上にヘタレなんだから仕方ないって」

「ヘタレって言うな! 恭也、お前は違うと言ってくれるよな!」

「ああ、分かったから、やるならさっさとしよう。行くぞ、レオ、カニ、ヘタヒレ」

「……い、今、ヘタヒレって言ったよね、ね」

「聞き間違いだろう、フカヒレ」

「嘘だー!」

叫ぶ新一の前に立ち、恭也は真面目な顔をする。

「これが嘘を言っている顔か」

「うっ、そう言われると…。でも、恭也はすぐに真顔で嘘を言うし…」

「ほら、恭也もフカヒレをからかってないで行こうぜ」

「そうだな」

「ちょっと待て! からかうってなんだよ!
 やっぱり、言ったのか!? なあ、なあ」

「「「うるさい、さっさと行くぞ、ヘタヒレ」」」

「う、うわぁぁーーん、皆して馬鹿にしやがってー!」

「馬鹿にじゃなくて、ヘタレ扱いしたんだがな」

カニの言葉に新一はとうとう膝を着く。

「へっ、へへへ。拝啓、おかーさま、お元気ですか。
 僕はもう駄目です。皆がヘタレって言うんです」

「いや、事実だし」

「と言うか、本当にさっさと行くぞ、フカヒレ」

カニの突込みを押さえ込み、恭也が声を掛ける。
顔を上げた新一に、レオが後ろを指差しながら続ける。

「いい加減にしておかないと、姫の雷が落ちる」

「ああー、同じ罵倒されるのなら、カニよりも姫の方がいい〜」

「うわっ、こいつマジだ。どうしよう、レオ、恭也」

「ああ〜、早く、はやく〜〜」

「あのね、あなたたち。いい加減にさっさと行動して欲しいんだけど?」

エリカのガン飛ばしに新一は過去の姉によるトラウマが掘り起こされて震え出す。
溜め息を吐き出すと、恭也はその襟首を掴んで引き摺って行くのだった。
レオたちが出て行った後、エリカは一つ溜め息を吐き出す。

「チームワークは凄いんだけど、すぐに漫才になるのは問題よね。
 まあ、見ている分には楽しくて良いんだけど。それにしても、対馬くんたちが居たとは。
 まさに盲点だったわね。流石は乙女先輩ね」

「いや、推薦しておいて何だが、こうも簡単に姫が承認するとは思わなかった」

「だって、対馬くんってからかうと面白いし?」

「あ、あはははは」

エリカの言葉に良美はただ苦笑するしかなかった。
一方、生徒会室で話題になっているとも知らず、レオたちは残る一人を探すべく行動を開始する。
こうして、レオたちによる生徒会メンバーの確保活動が幕を開けるのだった。



   §§



街の郊外に広がる森林。
ここは市や県、国などが管理する類のものではなく、れっきとした個人の所有するものだった。
この森林の中に、大きな屋敷が一件あった。
つい最近までは誰も住んでいないと思わせるほどに静寂に満ちていた屋敷だったが、
ここ最近、この屋敷に住人が戻ってきたかのように騒がしかった。
とは言っても、周囲に民家もなく誰に迷惑を掛けるという事もないのだが。
この屋敷に住んでいるのは、たった一人の少年だった。
少年の名は、神楽堂 槇人(かぐらどう まきと)と言い、神楽堂財閥の一人息子である。
ただし、つい最近までごく普通の生活をしてきたのだが。

成長した少年に、彼の父親が本来の暮らしをさせるために屋敷へと戻したのだ。
その際、彼のもとにメイドを付けて。
それもただのメイドではなく、アナザー・ワンと呼ばれるクラスのメイドを。

――アナザー・ワン、MAID・UNION・SOCIETY(メイド・ユニオン・ソサイエティー)
メイド連合協会。通称、MUSが誇る特別階級にして、全メイドの頂点に位置するクラスである。
オールワークス・メイド同様に全ての仕事に加えて、特別な役目を担うクラス。
そして、その役目とは『主人を護ること』であった。
それ故、アナザー・ワンはMUS最難にして最強のクラスとも呼ばれ、
その背中にその証である剣を身に着ける事を、帯剣を許されたメイド。
当然、その人数は僅かなである。

槇人の元に来たアナザー・ワンは、一人ではなく三人もいた。
それだけでなく、その三人はいずれも劣らぬ美少女にして、槇人のクラスメイト、担任、後輩であった。
こうして、槇人と三人の屋敷暮らしが始まるかに思われたが、そこに宿敵たる環家より刺客が現れる。
襲撃に来たメイドも自分のメイドにした槇人は、今度こそ屋敷による暮らしを開始するのだった。


襲撃から二日後の夕方。
槇人が寛いでいると、玄関のチャイムが鳴る。
丁度、お茶をしていた槇人はその場に居るメイドたちを見渡す。

「まさかとは思うが、まだメイドが来るとか?」

「それはないかと思いますけど…。理緒、何か聞いている?」

「いいえ。旦那様の元へと派遣されたメイドは本来は三人のはずですが」

「も、もしかして、また刺客でしょうか」

理緒の言葉に和風のメイド服に身を包んだ棗がおどおどと他の三人を見る。
棗の言葉に主人である槇人も背中に冷たいものを感じる。
あの時は何とか助かったが、あれの後に送られてきた刺客だとすれば、
前回よりも手強いのでは、と。
メイドたちも同じ気持ちなのか、その顔は一様に険しかった。
それを見て取り、槇人はわざとらしく明るい声を上げる。

「でも、今回は前と違って零那もいるし大丈夫だって」

槇人の言葉に、強襲型アンドロイドにして前回の襲撃者本人である零那は力強く頷く。

「マスターは私が護る」

「私だって、ご主人様を護るに決まってるでしょう。
 それよりも、さっさと出ないと待たせたままよ。お客さんだったらどうするのよ」

零那の言葉に残るメイド、西洋の大きな剣を背にした槇人のクラスメイトでもある咲耶が反論するように言う。

「確かに、咲耶の言う通りね。一応、警戒は怠らないようにして、皆で出迎えましょう」

両手をパンと叩いてメイド長である理緒がそう纏めると、五人は揃って玄関へと向かう。
玄関の前で足を止めると、咲耶と零那は扉から充分離れて立ち止まらせた槇人を庇うように左右に立ち、
棗と理緒が扉へと向かう。

「棗、万が一の時は私と貴女で止めるのよ」

「は、はははいぃぃ」

理緒の言葉にがちがちになりながらも何とか返事を返す棗。
それを横目に見ながら、理緒はゆっくりと扉に手を掛けてそれを開く。

「……へっ!?」

扉の前に立っていた人物を見て、理緒は思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。
その人物も同じように呆けた顔で理緒の顔を見詰め、やがてゆっくりと口を開く。

「愛染先生? どうしてここに? それに、その格好…」

「あー、これは色々あってね。それより、あなたの方こそどうしてここに…」

理緒の背中と差し込む西日でその人物の顔がはっきりと見えないながらも、
理緒の態度から敵ではないと悟った槇人が中に招くように言う。
それを受けて理緒が中へと通すと、またしても小さな驚きが上がる。

「高町先輩!?」

「あ、あ、や、やや」

思わず大声を出す咲耶と、慌て出す棗を見て恭也は首を傾げる。
何故、自分を知っているのかという顔をしていた。
だが、棗を見てその顔に何処か見覚えがあったのか記憶を探る。

「確かあなたは行葉さんでしたっけ」

「あ、あ、あのあの、その…。あの時は…」

「いえ、こちらこそ」

お互いに玄関先で挨拶を始める恭也と棗。
その棗の腕を取り、咲耶が奥へと引っ張る。

「棗、あなた高町先輩と知り合いなの!?」

「その、学園で前にぶつかって…。後、街で困っているところを助けてもらったり…」

そんな二人のやり取りを隠すように、理緒と零那が立ち位置を変える。

「それで、高町君はどうしてここに?」

「そうでした。神楽堂くんのお父さんに頼まれまして」

「親父に?」

「はい」

説明を始めようとする恭也を制し、話は中でとリビングへと通す。
全員が揃ったのを見て、恭也は説明を始める。

「まず最初に、自分はMUSから派遣されてきました」

「ちょっと待ってください」

恭也の言葉に槇人が待ったを掛ける。

「MUSの説明は聞いている。という事は、高町先輩は女性ってこと?」

「いえ。MUSの中にある執事の方です。区別するために、MUSIBという言い方もしますね。
 MAID・UNION・SOCIETY・IN・BUTLER」

「ああ、私たちメイドたちのように人数は多くないけれど、
 確かにそんな部署というか、部門があったわね、そう言えば」

「なるほど。じゃあ、高町先輩は…」

「恭也で構いません」

「えっと、それじゃあ、恭也は執事としてここに来たと」

「ええ。ただ、私の場合は本職の執事の仕事はあまり出来ませんが…」

「どういう事?」

恭也の言葉に首を傾げる槇人に、恭也は恐らくは襟元に着けるのであろう小さなバッチを荷物から出して見せる。
それを見て益々不思議そうな顔をする槇人とは違い、四人のメイドは驚いた顔を見せる。

「これって、ガード・ワンの証…」

咲耶の洩らした言葉に槇人は尋ね返す。

「何だ、それは?」

「旦那様は、私たちアナザー・ワンについてはもうご存知ですよね」

「ああ」

「それと同じような執事のクラスにあるのが、ガード・ワンです。
 ただ、アナザー・ワンと違い、全ての業務に加えてではないんです」

「何よりもマスターを護る事を第一とする執事のクラスだ」

理緒の説明に続き、零那も付け加える。
だが、槇人は更に首を捻る。

「主人を護るって言うのなら、理緒たちと変わらないんじゃ…」

「大きく見ればそうです、ご主人様。
 ですが、私たちはオールワークスの課程の上に戦闘鍛錬を積んでいます」

「ですけど、ガード・ワンは逆なんです。
 戦闘鍛錬の課程の上に、執事としての訓練をしているんです」

「ん〜〜。よく分からん」

「いいえ、気にしなくても良いと思いますよ。
 殆ど変わらないと考えてもらえれば。
 ただのボディガードだと暑苦しい上に、
 出かける際に見栄えが良くないという貴族の夫人たちの言葉によって生まれたクラスですから」

「つまり、恭也は執事であると同時に俺の護衛をする者って事で良いのか?」

「その通りです。まあ、最初に言ったように、俺はあまり家事能力は高くないですが」

恭也の言葉に槇人がそんな事が可能なのかと言う視線をメイドたちに向ける。
それを受けて、理緒が口を開く。

「本来なら、執事としての能力も問われるんですが、アナザー・ワンと違い、絶対ではありません。
 相当の戦闘能力を有している場合は、ある程度能力が低くてもガード・ワンになれます」

「とは言っても、アナザー・ワン同様、最難のクラスですけど」

咲耶の付け足した言葉に、今度は棗が付け足すように口を開く。

「つまり、今の条件でガード・ワンになられたということは、
 高町先輩の戦闘能力は少なくとも私以上って事です」

「それは凄いな」

見た所、筋肉ムキムキに見えない恭也の身体を見て、槇人はそう呟く。

「いえ、そんなに凄くはないですよ。
 でも、出来る限りの事はしますし、絶対に護ります」

「そうか。それじゃあ、これからよろしく頼む」

「はい、御主人様」

「…男に言われてもあまり嬉しくないな」

「では、何とお呼びすれば」

「名前で構わないよ」

「それは…」

難色を示す恭也に、槇人は何か妥当なものはないか考える。
が、何も浮かんでこない。

「他にどんな呼び方があるんだ?」

「そうですね、主が男性の場合は…。
 御主人様、旦那様、お館様、主様などですね」

「うー、どれも嫌だ」

「では、槇人様で」

「様はいらないんだが、仕方ないか。それで良いよ」

「はい。では、早速着替えて着ますので、暫く席を外させていただきます」

言って立ち去る恭也。
恭也が部屋から出て行くと、槇人は咲耶へと問い掛ける。

「咲耶、恭也を知っているのか?」

「知っているも何も、うちの学園の女子で知らない人の方が少ないんじゃないの」

「そうなのか?」

「確か、本人も知らないけどファンクラブが存在するって話よ」

理緒の言葉に槇人は肩を竦める。

「流石にそれは冗談だろう」

「冗談じゃないわよ!」

「うわっ、そんなに怒鳴る事ないだろう」

「あ、ごめん…じゃなくて、申し訳ありません」

ついついクラスメイトに戻ってしまって慌てて言い直す咲耶。
槇人はそんな事を気にもせず、咲耶へと尋ねる。

「冗談じゃないって事は、咲耶はその存在を知っているんだな」

「そ、そりゃあ、まあ」

「実は咲耶も会員だったりしてな」

「…………」

からかうように言った槇人の言葉に、咲耶は僅かに目を逸らして何も言わない。
それを見て、槇人は図星だったのかと思い、これをネタにからかおうとするが、そこへ本人が戻ってきてしまう。
よく漫画などで見る執事が身に着ける服を身に纏った恭也に、同性の槇人でさえ思わず感嘆を零してしまう。
咲耶や棗は完全に目を奪われているようで、槇人は少しだけ拗ねる。
そんな槇人の肩へと理緒がそっと手を置き、その耳元に口を寄せる。

「私は旦那様一筋ですわよ」

「マスター、私が付いているぞ」

零那にもそう言われ、槇人は礼を言う。



「棗の捧剣は、あの物干し竿なのか」

「はい。備前長船長光、別名、物干し竿です」

「確かに長い日本刀だが、随分と刃幅も広いんだな」

「ええ。恭也の得物は?」

「ああ、俺が得意とするのは小太刀だな。これなんだが…」

互いに日本刀という武器のためか、知らず話の弾む恭也と棗。



「今日のデザートはフルーツを使ったケーキよ。
 あ、恭也の分は甘さ控えめにしてあるから。フルーツの甘さで充分でしょう」

「ああ。すまない、助かる。しかし、わざわざ別に作るのは手間じゃないか、咲耶?」

「そんな事ないって。普段、色々と味見してもらっているんだし」

すぐに先任のメイドたちとも打ち解ける恭也。



「なあ、恭也」

「何ですか、槇人様」

「いや、宿題をやっているんだが、ここがどうも……」

「……申し訳ございません。自分も数学は苦手でして」

「そうなのか。そうだよな、こんなの将来役に立つのかどうか怪しいもんだしな」

「ええ。しかも、何故か授業中に眠くなるんですよね」

「うんうん。いやー、恭也にもそういう面があると知って、益々親近感が湧くな」

「ありがとうございます……、で良いんでしょうか、この場合」

「細かい事は気にするな」

主との関係も良好のようである。



こうして、恭也の執事としての日々が幕を開ける。
その先に待つものとは!?

執事とメイドさんと剣



   §§



「ねえ、恭也。アンタ、このお店知ってる?」

放課後、いつものように店を手伝っていた恭也に桃子が話し掛けてくる。
そう言って桃子に見せられた地図は、三日ほど前に恭也が歩いていた通りにあった店で、
とある事情から知っていると言える店であった。

「ああ。だが、どうかしたのか」

「いや、別にどうこうって訳じゃないんだけれどね。
 ちょっとどんな所か見てきて欲しいかな、って」

「偵察と言うわけか」

「んー、そうでもないんだけどね。実は、ここの店長と知り合いなのよ。
 最近、店を出したって言ってたから、近いうちにお邪魔するって話してたんだけど、忙しくて中々行けなくて」

「それで、代わりに挨拶して来いと」

「そうなの! お願い!」

「…はぁ、そういう理由なら仕方ないな」

恭也はそう言うと翠屋のエプロンを外して駅へと向かう。
そこから数駅先にある街の通りに面した一角。
そこが恭也の向かう店だった。
店の前で恭也は少しだけ躊躇した後、扉を開いて中へと入る。
新たな来客に気付いてウェイトレスの一人が声を掛けてくる。

「おかえりなさいませ、ご主人様」

笑顔で迎え入れる女の子は、俗に言われるメイド服というものを着込み、笑顔を向けてくる。
店内にいる女の子は皆、多少アレンジがされており形は違うもののメイド服を着て働いている。
『Maid Latte』
これがこの店の名前であり、メイド喫茶と呼ばれて分類されたりもする喫茶店である。
恭也に言葉を投げかけた少女は、満面の笑顔から引き攣った笑顔に変わると、
目だけを笑わさずに睨み付けると言う芸当をやりながら、小さな低い声を出す。

「高町、貴様何のつもりだ。そんなに私を馬鹿にしたいのか。
 それとも、精神的に追い詰めて楽しんでいるのか…」

「あ、鮎沢、落ち着けって。今日、俺はここの店長に用があって来たんだから」

「店長に?」

「ああ。うちの母親に頼まれてな」

「……そうか。だが、店長は今は留守だからな。どうする」

「そうだな。それじゃあ、またせてもらえるか。丁度、喫茶店だしな」

「くっ。こ、こちらへどうぞ」

恭也の言葉に一瞬だけ顔を顰めるも、鮎沢は恭也を席へと案内する。
席についてメニューを決めた恭也に頭を下げて鮎沢が奥へと引っ込むと、
同じ職場の女の子が話し掛けてくる。

「美咲ちゃん、あの男の子と知り合いなの?」

「ちょっと格好いいわね、彼」

「…単に同じ学校ってだけですよ」

そう返すと奥へとメニューを通す。
席に座ってどこかぼんやりとしている恭也を一瞥すると、美咲は思わず頭を抱えそうになる。
全ては三日前の出来事が悪いんだとばかりに。



鮎沢美咲。
つい最近まで男子校だった所為か、共学化した今も男子生徒が八割という星華高校に通う少女である。
男子校だった名残か、無造作に振舞う男子生徒に対して力のない女子生徒はただ耐えるのみという現状を見かね、
それを変えるべく努力を重ねて、遂には初の生徒会長となる。
文武両道にして、男子生徒さえも恐れる星華高のちょっとした有名人でもある。
そんな彼女はこの店でバイトをしており、その事を秘密としていた。
そう、三日前のあの日までは。



「ふー。頼まれた物は以上だな。さて、帰るか」

放課後、桃子に頼まれていた買い物を済ませた恭也は、駅へと向かって歩いていた。
途中、近道をしようと路地を曲がり、裏路地へと入った恭也はそこで足を止める。
恭也の目の前には、何処かで見たことのある少女がメイド服に身を包み、
今しも出し終えたゴミ袋を前に一息吐いていた。
向こうもこちらに気付き、二人の視線がぶつかる。

「……高町!?」

「…鮎沢、か。こんな所で、そんな格好で何を…」

言って恭也は美咲が出てきたであろう、扉が半開きになっている所を見る。
『メイド・ラテ』
そう小さく書かれた文字を見つけ、表の通りにある喫茶店『Maid Latte』を思い出す。

「ああ、バイトか」

「…………終わった」

納得した恭也に対し、美咲は顔を真っ青にさせるとフラフラと店の中へと入っていく。
その背中に声を掛けようとするが、その目の前で拒絶するかのように扉が閉められる。
中からは、美咲を心配した声が幾つか上がり、今日は早く上がれとか言っているのが聞こえてくる。
恭也はそっと溜め息を吐き出すと、その場を後にするのだった。

美咲がバイトを終えて裏口から姿を見せると、そこには恭也が壁にもたれるようにして待っていた。

「…何をしている。もしや、私を嘲笑いに…」

何か言いかける美咲の言葉を遮るように恭也は美咲の前に立つと、その顔をじっと見詰める。
美咲は負けるものかとばかりに恭也の顔を睨み返す。
やがて、先に目を逸らしたのは恭也だった。
小さく勝ったを勝ち誇る美咲には気付かず、恭也はどこか安心したような顔を見せる。
それは小さな変化で普段から彼の周りにいる家族なら兎も角、美咲はそれには気付かなかった。
だが、続く恭也の言葉に美咲は思わずその顔を見上げる。

「どうやら、もう大丈夫そうだな」

「何がだ?」

「いや、さっきの鮎沢は体調が悪そうだったからな。
 なのに、こんな時間までバイトをすると言い張っていただろう。
 俺と会ってから体調を悪くしたみたいだったからな。
 だから、ちょっと気になってここで待っていたんだ。
 だが、なんともないようで安心した」

「……そうか。だが、それと今までお前がしてきた事は別だからな!」

お礼を言いたいのに言いなれていないのか、上手く言えずに結局はそんな事を口にする。
しかし、恭也はそれに気付かずにただ肩を竦める。

「またそれか」

「またも何もない! 私は常に女性の味方なのだ。
 だから、多くの女子生徒を泣かせたお前を許すわけにはいかん!」

「…俺も泣かせるつもりはなかったんだ。だが、仕方ないだろう。
 ああいうのははっきりと断らないと、逆に真剣に告白してきた子たちに失礼になる」

「それでもだ!」

さよう、このような事情からお互いに顔見知りとなった二人なのである。
美咲は恭也に食って掛かるも、恭也はそれを軽くいなす。
また、恭也自身が間違った事は言っておらず、それは美咲にも分かっているのだが、
そこに感情が付いていかないのである。
それさえも恭也は分かった風に美咲に接し、決して激昂したりしない。
それがまた、同い年のくせに子ども扱いされているようで腹が立つという悪循環を生む結果となっている。
当然、当事者の二人はそこまで細かく自分たちを分析できている訳ではなく、
殆ど反射行動と化しつつもあるのだが。

「分かった。とりあえず、真剣に聞いておく。
 それよりも、具合が悪いんだったら早退すれば良かったんじゃないのか。
 ここからも中の声は聞こえてきたんだが、恐らくは店長だろうが、そう進言していたかと思うが」

「……家庭の事情だ」

駅へと歩きながら、美咲はそう説明する。

「うちは私の他にも妹が一人いて、私が頑張らないと母が無理をする。
 母は身体が弱くてな…。だから、何かと融通の利くあの店でのバイトをしているんだ」

「そうか」

それっきり二人は無言のまま駅まで歩く。
恭也は元から自分から話す方ではないし、美咲は美咲で、
明日には学校中に自分がメイド喫茶でバイトしているという事を広められるとずっと考えていて無言となる。

(このままでは、男子生徒に舐められてしまうかもしれん。
 いや、会長がメイドと知られれば、今まで通りにいくとは思えない。
 築いてきた信頼も地の底か…。一層の事、ここで高町の口を封じるか)

大げさに考え込み、遂には物騒な事まで考え始める美咲だったが、いつの間にか駅まで着いており、
恭也はさっさと切符を買っていた。
定期のある美咲はその背中に飛び掛るかどうか悩みつつ、
今ホームへとやって来た電車の音を聞いてさっさと改札を潜り抜けるのだった。
一方の恭也は、再び体調が悪くなってきたような美咲を心配して家まで送るか聞いたのだが、
無言だったために、先に切符を購入したのだった。
だが、切符を購入して戻ってきた恭也が見たのは、駅の階段を駆け上る美咲の姿だった。
やや呆然とその背中を見送った後、恭也は小さく笑い出す。

「まあ、あれだけ元気なら大丈夫だろう」

そう結論付けると、既にホームから走り出した電車の音を聞きながら、ゆっくりと改札を潜る。



思わず三日前の出来事を思い返してしまった美咲は慌てて首を振る。
あれから三日経つが、校内でメイドという言葉を聞いた覚えはない。
それはつまり、恭也が何も言いふらしていないということである。
恭也の事を知る者からすれば当然の事だが、ある種目の仇のように思っている美咲には、
それが何かを企んでいるとも取れなくもなく、無意味な警戒を続けていた。

(もしかして、店長に用と言うのも嘘で…)

そんな思考すら浮かんでくる美咲だったが、仕事中という事を思い出し、
それらの考えを全て頭の隅へと追いやって働き出す。
その様子を恭也は少し感心したように見詰める。
学校ではあまり見せない営業用のにこやかな笑顔で客と接し、テキパキと仕事をこなしていく美咲。
その姿を恭也は知らず目で追っていた。
恭也の視線を感じつつ、美咲はそれを意識しないようにしながら動く。

(くっ、何だ、何がしたいんだ高町。私のこんな格好を見て、馬鹿にしているんだな。
 …新手の嫌がらせか)

恭也の視線に無意味のプレッシャーを感じながらの美咲のバイトは続くのだった。
この後、戻ってきた店長と恭也は何やら話をし、ようやく帰っていった。
恭也の言葉が嘘ではなかったという事なのだが、美咲の頭には既にそんな事はなく、

(高町ー!)

ただただ、いつもよりも疲労した身体に恭也への恨みを積もらせるのだった。

こんな感じで深く関わる事となった二人。
この二人がどんな話を紡いでいくのかは、まだ誰にも分からない。

生徒会長と一般生徒はメイド様と剣士様!



   §§



ぼんやりと意識が覚醒していくのを、高町恭也は感じていた。
どこか体がだるく感じるのは、思ったよりも長く眠ってしまったからか、
それとも、本当に久しぶりに熟睡してしまったからか。
まだ僅かに眠気が思考能力を邪魔するように絡み付いてくるのを気力で吹き飛ばし、恭也はその身を起こす。
まずは時間の確認と思ったものの、ここは恭也の部屋ではなかった。
やけに寒い感じの部屋。
明かりが付いていないが、ある程度夜目の利く恭也は、
目を凝らしてコンクリート壁に囲まれた部屋であると見て取る。
思ったよりも大きな部屋らしく、恭也が寝ていたベッドの両横にも同じくベッドが置かれている。
恭也が眠っていたベッドも含め、全部で六つ程が横に並ぶ。
それらを確認し終えると、恭也はゆっくりとベッドから起き出す。

「ここはどこだ?」

一瞬、自分は捕まったのかとも思ったが、それにしては外に見張りが居る気配も、
扉に鍵が掛かっている様子もなかった。
疑問に思いつつ扉を開けて外に出た恭也は、この場所自体は初めてだが、
似たような場所には見覚えがあると感じる。

「……病院?」

恭也は自分が居る場所に見当を付けると、自分の体の様子を窺う。
特にこれと言って怪我をしている様子も、治療をされた跡もない。
なのに何故、自分は病室に居たのだろうかと。
疑問を感じつつ、今しがた自分が出てきたばかりの部屋を振り返り、今度こそ恭也は絶句する。
恭也の視線の先、病室の番号などを割り振ったプレートの文字を見たからだった。

――霊安室

間違いなくそう書かれている部屋から、自分は今出てきた。
となると、今の自分は幽霊なのか。
自分の両掌を見詰め、やけに実体感があることに安堵し、確認するためにもう一度部屋に戻る。
流石に息を詰め、自分が眠っていたベッドを見遣ると、
そこには危惧したように自分の体が横たわっているなどという事もなく。
恭也はとりあえずはほっと胸を撫で下ろすと、こうなった経緯を思い出そうとする。
確か、あれは学校からの帰り道……。



「危ない!」

誰かがそう叫んだのを聞き、恭也は背後の横断歩道を振り返る。
見れば、小さな女の子が荷車に荷物を山と乗せて歩いていた。
信号が赤なのに気付かず、女の子は身体を前に倒して横断歩道へと踏み出し、
そこへ車が突っ込んできたのだ。
運転手も気付いてブレーキを掛けるが、このままでは女の子は車に轢かれてしまう。
恭也は考えるよりも先に体が動き、その女の子の元へと駆け出す。
特に意識した訳でもなく、自然と体が動いたのだ。
だが、このままでは確実に間に合わないだろう。
恭也は車の速度、女の子までの距離を見てそう考える。
同時に神速を使い、自身を通常の世界から切り離す。
時間が止まったように知覚する中を、もどかしいほどにゆっくりと駆ける。
神速を用いても、間に合うかどうかは怪しいところではある。
それでも恭也は足を動かし、手を伸ばす。
車が少女にぶつかるのと、恭也が少女の元に辿り着くのがほぼ同時。
駄目だったかと後悔する間もなく、驚くべき出来事が目の前で起こる。
少女にぶつかった車が、まるで鉄の壁にでもぶつかったかのように凹み、
そのまま方向を変えて滑っていく。
運の悪い事に、その変わった進路上に恭也はいた。
少女を助ける以前に、一転して自分の生命が危機に陥り、恭也は地面を蹴って少女の方、前へと跳ぶ。
同時に神速が切れて、恭也の視界に少女にぶつかりスピンした車の横っ面が迫る。
それ以降の記憶が全く無く、気付いたら霊安室にいたという訳だ。

「……つまり、俺は一度死んだのか?」

だとすれば、何故、今こうして生きている。
恭也は理解できないと頭を軽く振るが、
死んだと思った人間が後で息を吹き返したという話を聞いた事があったと思い出す。
まさか、自分がそんな経験をするとは人生とは分からないものだと思うも、
すぐに家族たちの事に気付き、安心させようと電話を掛けることにする。
廊下を適当に歩き、案内板を見つけて現在位置を知ると恭也は外へと出るために歩き出す。
が、すぐに途中にあった時計に刻まれた時間を思い出し、正面口は閉まっているだろうと判断する。
一階へと上がり、恭也はこの病院が自分のよく知っている海鳴病院だと理解する。
だとすれば、一階に電話ボックスがあったはずだと向かう。
が、自分のポケットに何も入っていない事に気付き、ナースステーションへと向かう。
必要ない電気は落とされている薄暗い廊下を足音も立てずに歩きながら、
恭也は向こうの角からこちらへと来る気配を感じる。
自分の事を伝え、どうなったのかを知るには丁度良いと、恭也はやって来るであろう人を待つ。
程なくして、フラフラと何処か憔悴した様子で角を曲がって現れたのは、
恭也の良く知る、高町家の主治医となりつつある女性だった。

「あ、フィリス先生」

知り合いの姿に、恭也は気安く声を掛ける。
だが、声を掛けられたフィリスはびくりと震えたかと思うと、じっと恭也の顔を見詰め、
その顔が徐々に歪んでいく。目の端に見る間に涙が溢れていき…。

「きゃぁぁぁっ! きょ、恭也くんの幽霊!
 そ、それは確かに会いたかったですけれど、ゆ、幽霊はーー!!
 うぅぅ、こんな事なら、素直に夜勤を替わってもらえば良かったぁぁぁ!
 仕事をしていた方が、悲しみを忘れれると思って、無理して夜勤なんかしなければ…。う、ううぇぇぇぇ!」

「え、えっと……」

フィリスがかなりの怖がりだった事を思い出し、恭也は困ったように頬を掻く。
こんな事態は流石に予想外だったとは言え、このままにしておく訳にもいかず、
恭也は怖がらせないように、出来るだけゆっくりと話し掛ける。

「フィリス先生、あの…」

「ぐす、ぐす、うぅぅ、ひっ、ひっく。
 恭也くん、会えて嬉しいですけど、でも、でも幽霊は…」

「いえ、ですから…」

泣きじゃくるフィリスを困ったように見下ろす恭也。
そんな生前と変わらぬ恭也の態度に、フィリスも少し落ち着いたのかゆっくりと恭也の方を振り返る。

「恭也くん、ちゃんと記憶があるんですね」

「まあ、ありますけど…」

「そ、そうですか。なら、大丈夫ですよね。恭也くんが悪霊になるなんてないですよね。
 だったら、幽霊でも十六夜さんとかと一緒な訳ですし…」

話が通じると分かった途端、泣き止んだフィリスは自分に言い聞かせるように何度か呟くと、
ようやく恭也の正面へと立つ。
まあ、その足がまだ僅かに震えてはいたが、恭也はそれを見ない事にする。

「そ、それでどうしたんですか、恭也くん。
 ひょっとして、何か遣り残した事とかあったとか。
 だったら、那美ちゃんを呼びましょうか」

「いえ、ですから俺の話を聞いてください」

「恭也くんの話。え、そ、そんな、まさか…。
 恭也くんの遣り残した事ってそういう事なの。だったら、もっと早く言ってくれれば良かったのに。
 あ、でも、まだ心の準備が。あ、でも、それを言ったら成仏なんて事になったら困るし…。
 一層の事、薫さんとかに相談して、このままこの世に留まれるように…」

一人で勝手にブツブツと呟きながら考え込むフィリスに、
恭也はどうしたものか困ったような顔で、ただ立ち尽くす。
と、そこへ先ほどのフィリスの悲鳴を聞きつけたのか、
数人のナースが手にモップやらバケツを持って駆けつける。

「フィリス先生っ! 大丈夫ですか!」

勢い良く先頭を突っ切って駆けて来たのは、恭也もかなり顔なじみとなった看護士の一人だった。
その看護士は恍惚とした表情のフィリスと、その横で困ったような顔を見せる恭也を見て、
状況が分からずに、ただただ首を傾げる。
が、その横に居るのが恭也だと思い直し、これまた悲鳴を上げそうになる。
それを何とか手を上げて、落ち着くようにと恭也は伝える。
その恭也の仕草から、看護士は生身のものを感じてとりあえず悲鳴を飲み込む。

「えっと、本当に恭也くんなの」

「ええ。そう尋ねられるという事は、やはり俺は一度…」

「え、ええ。手術したんだけれど、手遅れで。でも、どうして」

「いえ、俺にも何が何だか。それで、説明を受けようと、ナースステーションの方へ行こうとして、
 フィリス先生にここで会ったんです」

顔なじみの看護士の後ろの数人にも恭也は見覚えがあり、そちらへと会釈をしつつ続ける。
ここに居る者たちは運び込まれた恭也がどうなったのか知っている者たちなのか、
一様に驚きつつも、その顔に喜びを隠せずに居る。
だが、この時、誰も、恭也自身でさえも不思議に思わなかった、
いや、死んだと思っていた者が生き返った事に喜びと驚きの余り、そこまで気が付かなかった。
恭也の体の何処にも、怪我らしきものがなかった事に。
瀕死に近い状態で運び込まれたのだ。幾ら手術をしたといっても、何らかの傷跡は残るものであるのに。
まあ、服を着た状態なので分からないというのもあっただろうが。
ともあれ、何処かにトリップしているフィリスを何とか正気に戻し、深夜だという事を気にしつつも、
看護士やフィリスの強い勧めで自宅へと電話を掛ける恭也。
結果、深夜にも関わらず電話の向こうは非常に騒がしい事となり、電話口で恭也がそれを窘める程であった。
今すぐ来ると言う桃子たちを何とか説得した頃には、既に良い時間となっていた。
恭也は知らないが、あの後、夜中の二時近いというのにも関わらず、
桃子は恭也に関係した所、月村邸やさざなみ寮などへと電話を掛けたらしい。
深夜の、まさに草木も眠るような時間帯に掛かってきた電話に対し、
しかし、何処からも文句が出なかったというのを聞いた時、恭也は本当に皆に感謝した。
が、これは少し先の話で、今は恭也は仮眠室で眠っていた。
明日、いや、既に今日の朝一に検査する段取りをフィリスが取り、その結果次第では即退院となる。
恭也は助かった事に胸を撫で下ろしつつ、自分が助けようとした少女がどうなったのかと考えを巡らす。
ふと閉じていた目を開け、上半身を起こすと扉の方を見遣る。

「何か用でも?」

「…ほう」

恭也の言葉に感心したような声が答え、扉がゆっくりと開かれる。
暗闇の中より現れたのは、その周囲の闇と同化しそうなほど黒いドレスを身に纏った一人の女性。
僅かに差し込む廊下からの明りを受けて、流れるような美しい金髪が絹のようなさらりと流れ落ちる。
暗闇の中でもはっきりと分かるほどの真紅の瞳を恭也へと向け、女はその唇を開く。

「フランドルの巻き添えで死んだみたいだったのでな、気紛れに数日限りの命を与えたのだが…」

「フランドル? 気紛れ? それに、命を与えたって…」

「フランドルというのは、お前が助けようとした奴だ。
 あの時、お前は一度死んだんだよ。それを私の血を分け与え、命を与えてやったのだ」

俄かには信じられない事だったが、恭也にはどうしても目の前の女が嘘を吐いているようには見えず、
とりあえずは礼を言う。
しかし、女はそれを一笑する。

「言ったであろう。気紛れだと。それに、数日の命だ」

「どういう事ですか」

「そのままの意味だ。今のお前は私の血の効力で生きている。
 その効力が切れれば、お前はまた死ぬ。逆に、血の効果が切れなければ不死身だ」

「治す方法は…」

「そんなものあるか」

恭也は女の言った言葉を整理する。
つまり、自分は一度死に、目の前の女の血で蘇ったのだと。
そして、その効力は数日で切れる。

「どうすれば良いんですか」

「簡単な事。効力が切れる前に、再び私の血を口にすれば良いだけだ」

「あなたは一体、何者なんですか」

「私か? 私はお前たち人間が化け物と呼ぶものだよ。
 尤も、お前も既にこちら側だがな。まあ、精々、生き延びた数日を楽しめ。
 私の用はもうすんだ。ちゃんと生き返ったのかを確認しに来ただけだからな」

恭也は複雑な顔で女の背中を見詰める。
助けてもらった事になるのだが、それは期限付きであった。
だが、それを恨んでも仕方ない。
数日間だけでも生き返れたのなら、その間にできる事だけはしておこうと気持ちを切り替える。
すぐに切り替えれる訳ではないが、それでも喚き、目の前の女にあたるような事はしない。
女の方も、もう興味もないのか、扉に手を掛けて出て行こうとする。
が、その足が動きを止める。
同時に、恭也も視線を女の見ている壁、いや、その向こう側へと向ける。

「ほう、気付くか。血の盟約の効果、ではないようだな。くっくく。
 中々面白い奴だな。だが、これはお前には関係の無い事だ。
 大人しくここで眠っているが良い」

女は言い置いてこの場を去って行く。
恭也はその背中を見送りながら、先ほど感じた気配に首を傾げる。
気配を感じたようにも感じたが、今はそれらは消えている。
だが、それは勘違いではないというのは、女の言葉からも確かだろう。
と、不意に胸の中を何かが這い回るような感触を受ける。
胸を押さえて目を閉じれば、一瞬だがあの女の顔が浮かぶ。
何故と考えるよりも早く、恭也は部屋を飛び出す。
何故かは分からないが、今までよりも感官が鋭利になり、遠くに離れている気配まで感じ取れる。
複数の気配が一つを囲む。恐らく、その一つなのが女のものだろう。
てっきり、女の仲間だと思っていたが、今では殺気まで感じられる。
恭也は何故、あの時すぐに後を追わなかったのかと悔やみつつ、病院から外へと飛び出す。
自分には関係ないと無視できないのが恭也の性格であり、また恭也はあの女に期限付きとはいえ、
命を救われているのだ。となると、高町恭也がこんな場合に取る行動はただ一つ。
彼をよく知る者なら、恭也のこの行動に疑問を抱かないだろう。
だが、初対面とも言えるあの女は、突然現れた恭也に驚きの顔を見せる。
それは、女を襲っている者たちも同様らしく、行き成り現れた乱入者に一瞬だけ戸惑いを見せる。
その一瞬の隙に恭也は神速を発動し、今しも女の背後から爪を付きたてようとしていた者の腕を掴み取る。

(…爪?)

相手の凶器、そして掴んだ腕に覆われた毛皮に恭也は訝しげに眉を顰めるが、

「跳べ!」

女の突然の声に、それらを認識するよりも早く、言葉に従って上へと跳ぶ。
腕を掴んだまま跳躍した恭也の足元を何かが通過し、
腕をつかまれてがら空きになったソレの横腹へと突き刺さる。
女の振り回したチェーンソーに身体を切り裂かれ、ソレが悲鳴を上げる。
ここに至り、ようやく恭也はソレの姿を認識する。

「狼男?」

恭也の呟きに応えるように、狼男の視線が恭也を捉える。
しかし、それはすぐに光を失い、ゆっくりと倒れ伏す。

「ふん。一応、礼を言っておこう」

「別にお礼はいりませんよ。俺は借りを返したいだけですから」

「借り?」

「あなたは俺の命を救ってくれましたから」

「ふむ」

女は暫く何事かを考え込む。
その間も、残った狼男四人が恭也と女を取り囲む。

「お前、名は?」

「高町恭也ですけど…」

「恭也、私の事は姫と呼べ!
 借りを返すというのなら、少し手伝え」

襲い掛かってきた狼男の腕をチェーンソーで切り落とし、姫はそこから狼男たちの包囲を抜ける。
その後に続きながら、恭也は何を手伝うのか問い掛ける。

「奴らの生命力はかなり強力でな。中々しぶとい。
 一匹一匹解体していっても構わないが、時間が掛かるし面倒くさい」

出来ないのではなく、出来るが面倒くさいから嫌なのだそうだ。
それを聞きながら、恭也はこんな状況だと言うのに思わず苦笑を洩らす。

「この先でフランドルが準備をして待っている。そこまで、あいつ等を誘き寄せろ。
 私は一足先に行っているから」

「分かりました。ですが、あいつらの狙いは姫なのでは?」

「問題ない。今のお前からは、私の血の匂いがするだろうからな。
 お前が目の前に姿を見せれば、まずはお前を狙ってくるだろう」

姫の言葉に頷くと、恭也は踵を返して来た道を戻り始める。
この夜の出来事が、後の恭也の運命を大きく変えることとなる。
数日とはいえ、今までと同じ場所に戻る事も出来たのだ、さっきまではまだ。
だが、これより後、恭也は怪物を統べる王族の王位争いに巻き込まれる事となるのだった。



怪物王女と守護剣士



   §§



「お待ちしておりましたわ、瑞穂さん、紫苑さま」

とある大学のキャンパスで、二人の美女に話し掛けるのは、こちらもまた美しい一人の女性。

「貴子さん!?」

「うふふふ。貴子さんもこちらの大学でしたのね」

「はい。私、厳島の家を出まして…」

どうやら知り合いらしい三人は、久方の再会を喜ぶように楽しげに話を躱す。
この美女三人という姿は流石に目を引くようで、
数人の学生たちがちらほらと貴子たちの方を気にしながら通り過ぎて行く。
いや、正確には美女二人に男性一人、なのだが。
更に言えば、このうちの二人は婚約までしていたりもするのだが、
それらは外側から見ているだけの人間に分かるはずもなく、
結果として美女三人による団欒と言う図が出来上がっていた。



「まいったな」

入学式が終わったはずの講堂から出てくるなり、その人物は困ったような声を上げる。

「やはり、引越しの片付けは今日にしておけばよかったか」

遅くまで引越しの荷物を簡単に片付けていた恭也は、襲いくる眠気に勝てずに入学式で眠ってしまい、
さっき目が覚めた所だった。
その間、誰にも起こしてもらえなかった事に、恭也はやはり強面が原因かと自分の頬を軽く擦る。
実際はその逆で、起こそうとした者もあまりにも気持ちよさげに眠る恭也の顔に見惚れ、
中々起こせなかったのだが。
恭也はまだ僅かに残る眠気を吹き飛ばすように腕を空へと伸ばすように伸びをすると、
改めて自分が居る所を不思議そうに見渡す。

「まさか、本当に合格するとはな」

やや苦笑交じりに呟きながら、合格した事を伝えたときの家族の信じられないといった顔を思い出す。
桃子やなのはは、純粋に喜んでくれたのだが。

(まあ、俺のあの学力からすれば驚かれても当たりまえだがな)

そんな事を思いつつ、恭也は歩き出す。
何故、恭也が海鳴を離れてこの大学へと通うことになったのか。
それは今から数ヶ月も前へと遡る。



「あうっ。痛いよ、恭ちゃん」

そう恨めしげ見てくるのは、今しがた恭也に軽く小突かれた妹の美由希であった。

「お前が悪い」

「うぅぅ。そうやって、すぐに人の頭を殴るんだから。
 私は恭ちゃんと違って、まだ勉強を諦めた訳じゃないのに。
 このままだとバカになっちゃうよ」

美由希の言葉に、恭也は僅かに眉をピクリと震わせるが、美由希は気付かない。

「そりゃあ、恭ちゃんみたいに勉強を諦めていたら良いけどさ…。
 大体、すぐに暴力に訴えるのってどうかと思うんだけど。
 まあ、私に口で勝てないから腕力に頼るのは分かるけどね。
 力では恭ちゃんの方が上だけど、早さ、頭の回転の速さも含めて、それは私の方が上だし」

何も言い返してこない恭也に、ついつい美由希は調子に乗ってべらべらと喋る。
美由希の正面では、この会話を聞き、恭也の表情や雰囲気を目にした晶やレンが必死で手を振り、
美由希に何かを伝えようとしているが、目を閉じて優越感に浸っている美由希には当然、見えていない。
尚も喋り続ける美由希へ、諦めたのか晶とレンが揃って手を合わせて合掌するのと、
恭也の拳骨が美由希の頭に落ちるのがほぼ同時。
先程の痛みなど可愛らしく思うほどの痛みに、美由希は言葉もなく蹲り頭を押さえる。
涙目で恭也を見上げ、そこで美由希は恭也の静かな怒りを目の当たりにする。

「あ、あはははは。ええっと、今のは何ともうしましょうか…」

しどろもどろとなる美由希を冷ややかに見下ろし、恭也は一言告げる。

「弟子にそこまでバカにされるとはな。
 良いだろう。俺だってその気になれば出来ると見せてやろうではないか」

言って恭也はとある大学を受験すると言った。
言ってしまったのだ。
この時の事は殆ど勢いの上であり、この場に居た美由希や晶、レンたちも聞いた直後こそ騒いだものの、
数日後にはすっかり忘れて普通に過ごしていた。
そう、それは恭也自身でさえも。
だが、それを思い出される出来事が起こるのである。
それは、いつもの夕食後のこと。
特にする事もなく、何とはなしになのはと一緒にテレビを見ている恭也へと、
桃子が思い出したかのように、まるで明日の天気の話をするかのように軽く話し掛ける。

「あ、恭也。アンタが前に言っていた大学の願書、ちゃんと出しておいてあげたからね」

「はぁっ!? いや、俺は大学にはいかないと言って…」

「何を言ってるのよ。店の事は良いから、貴方は自分のやりたい事をやりなさい」

「だから…」

恭也の言葉を遠慮と受け取ったのか、桃子は笑いながらソファーに腰を降ろすと続ける。

「偶然、この前聞いちゃったのよ。まさか、恭也があの大学に行きたいって思ってるなんてね。
 どうせアンタの事だから、何の準備もしてないんでしょう。
 だから、私が全てやってあげたからね。後は、自分で頑張んなさい」

そう言われても思い当たる節のない恭也は懸命に記憶を探り、ようやくあの日の事を思い出す。
それは、その話を聞いていた美由希たちも同じだったようで、揃って複雑な顔になる。
そんな事に気付かず、桃子は恭也が勉強にも興味を持ったとご機嫌だった。

「いや、しかし、俺の成績で…」

「大丈夫。信じてるから♪」

そう気楽に言ってくれる桃子の手前、それ以上は何も言うことが出来ず、
恭也は受けるだけならと、自分を納得させるのだった。
その日の鍛錬で、美由希がいつも以上にしごかれたのは、最早言うまでもない事だろう。
受かる事はないだろうと思いつつも、努力を怠る訳にもいかず、
恭也は様々な知り合いから勉強を教わり、そして受験を挑んだのだった。



「まさか、答えが分からずに勘で埋めた所の半分以上が正解していたとは…」

後に自己採点した結果に一番驚いたのは、他ならぬ恭也自身であった。
だが、この時はまだ受かるとは思っていなかったのだ。
所が、実際には恭也はこの大学の敷地にいる。
それも学生として。
一度、大きく息を吐き出し、気持ちを入れ替えると恭也はいつの間にか止まっていた足を再び動かすのだった。
と、その足を再び止め、ふと目に付く三人の女性を見る。

「月村や神咲さんも綺麗だったが、居る所には居るものなんだな。
 ん? だが、あっちの女性は何処かで見かけたような…」

恭也が見詰める視線の先では、貴子や紫苑と楽しそうに話している瑞穂の姿があった。
記憶を辿るように考え込む恭也へと、その視線に気付いたのか瑞穂が振り返る。
二人の視線が合わさろうとした瞬間、突然強風が吹き抜けていく。
咄嗟にスカートを押さえる貴子の手から、抱えていたプリント数枚飛ぶ。
恭也は殆ど反射的に飛んでくるプリントをジャンプして掴むと、態勢を崩す事無く着地する。
だが、一枚だけ恭也の方へと飛ばずに木の方へと飛んだものがあったらしく、
枝に一枚だけ引っ掛かっていた。
とりあえず、恭也は貴子の元へ行く。
その際、僅かだが怯えるように半歩身を引きかけた貴子を見て、男性が苦手なのだろうと判断し、
必要以上に近づかないように気を付けながら、プリントの下の方を持って貴子へと差し出す。

「はい、どうぞ。あなたので間違いないですよね」

「あ、ありがとうございます」

礼を言いながら、プリントの上の部分を掴んで恭也からプリントを受け取ると、
木の上に引っ掛かったプリントを目で追う。
同じように上を見上げ、紫苑は手を頬に当てながら困ったような声を上げる。

「困りましたわね。まさか、木に登るわけにもいきませんし」

「かなり高い位置にありますからね。それに、そこに登るまでに掴むような場所もないですし」

紫苑の言葉に瑞穂も同意するように声を上げる。
貴子の困った様子から、それなりに大事なものなのだろう。
恭也は手近に落ちていた手ごろの大きさの石を拾い上げると、貴子へと尋ねる。

「少し汚れたり皺になっても問題はありませんか」

「え、ええ。あそこにあるのは、提出しなければいけないものではないですから」

「そうですか。それなら…。
 危ないですから、少しだけ下がっててください」

恭也の言葉に従って三人が下がるのを見届けると、恭也は拾った石をプリントの引っ掛かっている枝へと当てる。
衝撃で枝が小さく揺れた所へ、すかさず次の石がぶつかって大きく揺れる。
それによって落ちてきたプリントを、恭也は軽く跳んで掴むと貴子へと渡す。

「多分、そんなに汚れてはいないと思いますけれど、どうですか」

「…ええ、全く問題ないですわ」

「それは良かった。それじゃあ、俺はこれで失礼します」

「あ、あの、ありがとうございます」

「いえ、大した事ではありませんから」

もう一度頭を下げて軽く挨拶を投げると、恭也はそのまま三人に背中を向けて歩いていった。
その後姿を見ながら、紫苑は感心したような声を上げる。

「やっぱり男性は凄いですわね。あんなに高く跳べるなんて」

「いえ、紫苑。さっきのを一般男性の基準とされると、かなり困るんですけど」

「そうなんですか?」

「ええ」

本気で聞いてくる紫苑に苦笑しつつ、瑞穂は頷く。
恭也が去ってほっと胸を撫で下ろす貴子を見ながら、紫苑は小さく笑う。

「先程の方、悪い人ではないみたいですね」

「ええ。見ず知らずの僕たちに…」

「いえ、そうではなくて。
 勿論それもありますけれど、あの方、貴子さんが少し怯えたのを見て、距離を取っていたんですよ」

「そうだったんですか」

紫苑の言葉に瑞穂だけでなく、声に出さないまでも貴子も驚いていた。
しかし、貴子の方は言われれば思い当たる節があるのか、すぐに納得する。
そんな二人の反応を楽しげに見ながら、紫苑は本当に楽しそうに口を開く。

「多分、またあの方とは出会うような、そんな気がしますわ。
 本当に、瑞穂さんと一緒に居ると退屈しませんね」

「えっと、今回の事に関しては僕は関係ないんじゃないかな…」

「そんな事はありませんわ。私は瑞穂さんが傍に居てくれるだけで、こんなにも幸せになれるんですもの」

「紫苑…」

頬を赤らめつつ顔を見合わせる二人の間に、貴子が少し遠慮がちに、
けれどもきっぱりと割り込んでくる。

「瑞穂さんも紫苑さまもそれぐらいにして頂けませんか。
 流石に、目の前でそういう事をされると、少し困りますので」

「ああ、ごめんなさい、貴子さん」

「ごめんなさい、貴子さん」

「いえ、こちらこそ。そ、それよりも、これから大学内をご案内しますから」

貴子の言葉に二人は頷くと、揃って貴子の後について歩き出すのだった。

新たに見知らぬ土地へとやって来た恭也。
そこにも新しい出会いは待っていて、
今日のこの出会いもまた、新しい出会いだったと知るのは、もう少し後の話。

剣士と姫は恋をする



   §§



私立風芽丘学園。
ここは、女子の制服の多さから知る人ぞ知る学園であった。
が、同時に音楽の世界や舞踏、政財界関係においても、一部の者たちが知る学園でもあった。
それというのも……。

「裕人さ〜ん」

大勢の女子生徒に囲まれた彼女、
「白銀の星屑(ニュイ・エトワーレ)」の二つ名を持つ学園のアイドル、
乃木坂春香が存在していたからだった。
容姿端麗にして才色兼備の令嬢。
故に彼女の通う学園も、自ずとその関係者の一部では有名なのであった。
春香に呼ばれた男子生徒、綾瀬裕人に、男子女子問わず、この場にいた者たちの視線が向かう。
どれも殺気めいており、呼ばれた裕人はただ苦笑するのみ。
そんな裕人を教室の一番後ろ窓側の席で少し同情的な目付きで見詰める高町恭也。
彼の横には、自分に向けられたのではなく、
たまたま近くにいた裕人へと向けられた視線にも関わらず、
小さなその身をびくりと震わせる、長い髪を一本のお下げにして、
首に黒のチョーカーを着けた一人の少女。
ここ最近、恭也の傍でよく見るようになった、
いや、彼女の傍で恭也を見るようになったと言うべきか、ともあれ、
「忠犬ハチ公」の通称で通じる、八咲せつなの姿も見られた。
せつなのそんな仕草に苦笑を零す恭也に、隣に椅子を持ってきて、
正に忠犬よろしく座っているせつなは可愛らしく首を傾げる。
それに苦笑ではなく、違う種の笑みを浮かべながら、恭也は軽く首を横に振る。

「いや、何でもない。ただ、綾瀬の奴も大変だなと思っただけだ」

「そ、そうですね」

恭也の言葉に納得したのか、コクコクと頷くせつな。
授業が始まる前の朝の一時。
教室にいる者たちの殆どの注意は、裕人と春香へと向かい、
残る者たちは友人たちとの会話に集中している。
そんな少し騒がしい教室の後ろで、せつなは目を細めてにっこりと笑う。
特に何かある訳でもないのだが、自然と零れてくるといった感じで。
その笑みを眺めながら、恭也は少し物思いに耽るのだった。



それは梅雨が明ける少し前のこと。
昼食をさっさと済ませ、残りの時間は昼寝にしようと恭也は廊下を少し足早に歩いていた。
久しぶりに除く太陽に、生徒たちも外へと出ているのか、廊下は静かで他に人も見当たらない。
と、階段を登り終えた恭也へと、丁度、角を曲がってきた女子生徒がぶつかる。
つい窓を見ていて、注意が散漫になっていたのか、恭也はその女子生徒を受け止める事もできず、
女子生徒は廊下に尻餅をついてしまう。

「ああ、すいませ……」

すぐに謝罪を口にする恭也の口が動きを止める。
同様に、目の前の少女も座り込んだまま、やや呆然とした、困ったような顔を見せる。
二人の視線が追う先は、共に同じ。
少女が尻餅を着いている場所より数センチ前。
恭也の足がある先よりも、同じく数センチ前。
そこに乾いた音を立てて転がり落ちたのは、見るからに凶器と訴えかけている抜き身の小さなナイフ。
そして、先端の鋭く尖った針状の物体。
恭也や美由希などが、小刀や飛針と呼んでいるものであるが、
一般人である少女からすれば、それは単なる凶器。
互いに困ったようにお互いの顔を見て、再び落とした凶器へと視線を向ける。
泣きそうな、困った顔をする少女には悪いと思いつつ、恭也は素早く周囲を確認する。

(よし、他の人はいない。階段も良し!)

周囲に誰も居ない事を確認するなり、恭也は小刀と飛針を素早く回収。
未だに固まっている少女を置いて足早に立ち去ろうと背中を向ける。

(ちょっとぶつかったぐらいなら、大丈夫だ。きっと向こうも俺の顔など覚えていまい)

「あ、あの、高町くん……」

と思ったのも束の間、恭也は名前を呼ばれて足を止めてしまう。

(しまった。ここで知らない顔をして行けば、まだ誤魔化せたかも)

そう思いつつも足を止めてしまったため、仕方なく、少しだけ振り返る。
振り返って、恭也はさっきの考えを否定せざるを得なかった。
なぜなら、恭也にぶつかったのはクラスメイトでもある八咲せつなだったからである。
恭也は再度、周囲を見渡して誰も居ない事を確認すると、未だに座り込んでいるせつなの傍にしゃがみ込む。

「ちょっとだけ、すまない」

そう断りを入れるなり、返事も待たずにせつなを抱き上げる。
混乱し、自分の状況に顔を赤くするせつなを抱いたまま、恭也は階段を段飛ばしで駆け上がる。
そのまま屋上へと通じる扉の前で一旦立ち止まると、向こうの気配を探り、
誰も居ない事を確かめてから、屋上へと出る。

屋上に備えられているベンチへとせつなを降ろすと、恭也はその前に立って真剣な顔付きで見詰める。
顔を赤くして俯くせつなへと、恭也はゆっくりと語り出す。

「詳しい事は言えないんだが、俺の家は昔から剣術と呼ばれるものをやっているんだ。
 それで、さっきのはそれで使う物なんだが、どうやら朝の鍛錬の後、
 仕舞うのを忘れて、そのまま持ってきてしまったみたいなんだ。
 出来れば、黙っていてくれると助かる。俺が剣術をしていると言うことも含めて」

若干の嘘を交えつつ語る恭也の言葉を聞いて、せつなは整理するようにゆっくりと顔を上げる。

「誰かに話されると困るんですか?」

「ああ。特に、来年、風校にやってくる妹の美由希に知られるのは一番まずいな。
 隠し持つべき武器を落としてしまうなど、御神の剣士にあるまじき行為だからな。
 先生に知られるのは兎も角として、弟子でもある美由希にだけは絶対に知られるわけにはいかない。
 だから、どうか黙っていて欲しい」

「え、えっと…、えっと、先生に知られるのも普通は困ると思うんですけれど…」

恭也の言葉に何とも言えない顔を見せるせつなを、恭也は真剣な顔付きでじっと見詰める。
見詰められて顔を赤くしつつも、せつなは再び何かを考え、ようやく小さく頷く。
それにほっと胸を撫で下ろす恭也の眼前に、せつなの顔が飛び込んでくる。
勢いよく立ち上がったせつなは、真剣な顔付きで恭也へと近づくと、小さな声でお願いをする。

「さっきの、もう一度よく見せてもらっても良いですか」

「さっきの? 小刀と飛針のことか。しかし、見ても面白いものではないし、
 ましてやあれはれっきとした武器だから、そう人に見せるものでは」

「た、高町くんは人に見せれないような危ない武器を持っているんですか」

「……分かった」

せつなの言葉に、恭也は諦めて小刀と飛針を一つずつ取り出す。
だが、決してせつなへは渡さない。

「見せるのは百歩譲って良いが、危ないから触るのは駄目だぞ」

恭也の言葉に頷きながら、せつなは少しだけ離れて携帯電話で写真を撮る。
何をしているのか不思議がる恭也に今度は近づき、次に近くから飛針と小刀の写真を撮る。

(まさか、美由希の奴みたいに刀剣マニアなのか…)

恭也がそんな事を考えていると、せつなは撮った写真を確認し、何度か恭也と自分の足元を見比べる。

「えっと、高町くん、それを持ち上げて…」

「こうか?」

違う角度から写真でも撮りたいのか、恭也の言い付けを守って飛針や小刀には触らず、
恭也に持ち上げてもらうように頼む。
まさに忠犬と苦笑する恭也に、せつなは細かく注文して写真を撮る。
最後に、自分も入れての写真を何度か確認しながら撮り直し、ようやく満足そうな笑みを、
一仕事終えたような表情を見せる。
まさに、ふ〜、と言わんばかりに額の汗をハンカチで拭くせつなに恭也は小さな笑みを刻んでいた。

「それじゃあ、この事は秘密に…」

「はい。そ、そそそそれで、ですね」

立ち去ろうとする恭也を、顔を真っ赤にしながら呼び止める。

「こ、この事を秘密にして欲しければ、私の奴隷(いぬ)になってください!」

「…………はぁっ!?」

「さ、逆らうと、これを……」

言ってせつなが見せたのは、先ほど撮った写真。
ただし、今見せられている一枚は、
恭也が凶器を手にせつなへと迫っているように見えなくもない写真だった。

「これは、最後に撮ったやつ……か」

自分の目付きの悪さに肩を落としつつ、この写真を見た者に誤解だと言ったとして、
果たして何人が信じてくれるだろうか。
そう考え、恭也は大きく肩を落とす。
どう見ても、か弱い女性を脅している写真にしか見えない。
ならば、データを消すまでと手を伸ばした恭也だったが、
いち早く察知したせつなは自分の背中へと携帯電話を隠す。
その所為で、恭也の腕は空を切り、勢い余ってそのまませつなへと伸び。
フニョンという柔らかくもしっかりとした弾力のある感触に、恭也は元よりせつなさえも動きを止める。
恭也の視線はずっとそこを見ており、せつなも固まっていた状態からゆっくりと首を下に下ろし、
恭也の手に鷲掴みにされた自分の胸を見て、一瞬で顔を赤くしたかと思うと、
その瞳に涙を込み上げて、ぽろぽろと零し出す。

「す、すまない!」

慌てて手を離すも、せつなは声もなく涙を零すのみ。
恭也だけが悪いわけではないのだが、流石に罪悪感でいっぱいになってくる。
何とか泣き止まそうとするも、元々女性の扱いが得意という訳でもなく、
恭也もしどろもどろに言葉を紡ぐ。
やがて、泣き止まないせつなを見て意を決したのか、

「分かった。さっきの条件を飲もう。だから、頼む。
 泣き止んでくれないか」

恭也の言葉に、小さく声を引き攣らせると、まじまじと恭也を見詰める。

「良いんですか?」

「良いも何も、君から言い出したことだろう。
 それに、その写真は虚偽だとしても、その、さっきの行為は弁解のしようもないから」

「あ、そ、それじゃあ、これからよろしくお願いします!」

何とか涙を止め、真っ赤になった目のまま勢いよく頭を下げるせつなを見て、
恭也は、そんなに悪いようにはならないだろうと、何処か楽観視する。
果たして、その判断は正しかったのか、間違っていたのか。
それはまだ分からない。

高町恭也。
女性に縁のない生活を送っていた彼は、この日初めて女性から大胆な言葉を聞かされる。
ただし、その内容はとんでもないものだったが……。

「恭也くん、恭也くん。はい、プレゼントです」

「これは?」

「流石に首輪はまずいだろうから、チョーカーです」

「これを着ければ良いんだな」

「はい。あ、私が着けてあげますね。……はい、出来ました」

「ああ」

「えへへへ、ほら、お揃いです♪」

「いや、お揃いって…。これは奴隷の証、首輪の代わりなんじゃ……」



これは、高町恭也と八咲せつな、



「恭也さん、私の事も名前で呼んでください」

「しかし、一応というか、八咲さんは俺の主人なんだろう」

「むぅ、だったら命令します。名前で呼んでください」

「命令している割には、お願いに聞こえるんだが…。
 まあ、良いか。えっと、せつなさん。これで良いのか?」

「えっと、今度はさんを付けないでお願いします」

「せつな」

「…はう〜〜」

「…まあ別に構わないんだが。普通の奴隷と主人みたいじゃないな。
 いや、俺としては助かるから良いんだが。やっぱり、せつなは良い人のようだしな」



凶狼と忠犬との主従関係の物語……?



キョウハクDOG'S Heart プロローグ 「こうして私は犬になる」



   §§



「お兄ちゃんは誰にも渡しません!」

レイジングハートを手に構え、鋭い眼差しで睨みつける少女、高町なのは。
髪を頭の左側で一つに纏めたポニーテールの先が、上空の風に吹かれて揺れる。

「幾ら、なのはが相手でもこれだけは駄目。
 だって、恭也さんには私の大事なものをあげたから…」

そのなのはから距離を開け、バルディッシュを構えつつも頬を恥ずかしげに染めるフェイト。
彼女の長く伸びた髪も、風にはためくように揺れる。
そんなフェイトの様子に、なのはは顔を引き攣らせつつも笑みを見せる。

「大事なものって何かな〜? ひょっとして、少し前の不意打ちの頭突きのこと?」

「頭突きじゃないよ。あれはキス」

まさに宙で火花を散らす二人。
その間に甲冑を来た少女。八神はやてが割って入る。

「はいはい。二人とも、まだ熱くならんと。
 勝負の時間までもう少しやから、おとなしい待たなあかんで」

はやては疲れたような顔を懸命に作りつつも、その瞳に楽しさを隠し切れずに二人に注意する。
そのはやての後ろ、丁度、なのはとフェイトとから等間隔の位置に、
言葉もなく佇むシグナムは、何処か余裕の窺える表情で二人の様子を静観している。

「その余裕の笑みは何なのかしらね、シグナム」

「シャマルか」

ふいに背後から掛けられた声に、シグナムは驚く事無く平然と返す。
それを少しだけ面白くなさそうな顔をしながらも流し、シャマルは首を傾げる。

「まさか、なのはちゃんたちよりも自分の方が優勢だとかいう表れかしら?」

「どうだろうな。だがまあ、恭也とは剣の話で気が合うのは確かだな。
 暇な時などは、よく手合わせもしているしな」

「ふーん。でも、それって女として見られていないかもね」

「そ、そんな事はない!」

「やっぱり、恭也さんはおしとやかな人が好きなんじゃないかしら。
 美味しい料理を差し入れしてくれるような」

「美味しい料理? 誰か美味しい料理を作れるような人が恭也の周りにはいたかな。
 ああ、桃子さんがいたか。だが、桃子さんは恭也の母親だからな」

「何を言っているのよ。ほら、身近にいるじゃない。
 例えば、今シグナムの目の前とか」

「……シャマルではないのは確かだからな。ああ、主の料理は確かに美味しいからな」

「そ、そりゃあ、はやてちゃんの料理が美味しいのは認めるけれど…。
 私がいるじゃない! 私だって、偶に失敗していたけれど、今は普通に作れるんですからね。
 それに、恭也さんだって美味しいって言ってくれたし」

「お世辞、というやつではないのか」

「……シグナムとは、一度ゆっくりと話し合ったほうが良いと思うのよね」

「奇遇だな。私も今、そう感じたところだ」

「「ふふふふ」」

目だけは真剣そのものに、口だけで笑みを作りって笑い合う二人。
そんな二人へ、はやてが近づく。

「ほら、シグナムとシャマルもそんな所で笑い合ってないで。
 シャマルはあっちで準備してや」

「はい、分かりました」

はやての言葉にシャマルはシグナムに向けていたものとは違う、
本当の笑みを浮かべて、はやての指す先、シグナムの正面、こちらもなのは、フェイトと等間隔の位置につく。
四人それぞれが正方形の頂点となるように立ち、はやてはゆっくりとそれらの中心へと移動する。
四人の顔を見渡すと、はやてはゆっくりと上へと上昇を始める。

(あ、あかん。なんや楽しいなってきた。
 にしても恭也さんも罪な人やね。まあ、皆の気持ちも分からんではないけどな。
 うーん、うちとしてはなのはちゃんが勝った時のを見てみたいかも。禁断の兄妹愛。
 やっぱり、これや。いやいや、でも、フェイトちゃんの方がおもろいかもな。
 なのはちゃんとやったら、兄妹やさかい、世間的に言い訳がつくからおもろない。
 やっぱり、ここはフェイトちゃんに頑張ってもろうて……)

一定の距離を飛ぶと、はやてはピタリと止まる。
顔だけは真剣に、四人を見下ろしながら、心の中では更なる思考を進める。

(うーん、シグナムともおもろそうやな。
 似たような二人だけにな。それに、二人とも真面目やさかい、からかい甲斐があるからな〜。
 二人一緒なら、からかうネタも増えるし、二倍以上楽しめるやろう。うんうん。
 やっぱり、シグナムが勝つほうが良いかも。
 いやいや、シャマルが勝ってもおもろいかもな。
 う、うぅぅぅ、あかん、うちには一つに決められん!
 誰が勝ってもおもろい事になるで!)

はやては笑いそうになる口元を押さえ込み、ゆっくりと右手を上げる。

(せやから、この勝負ではっきりさせるんやで、皆!
 誰が勝っても、不倫や、不倫! あ、まだ婚約だけやったか。まあ、ええわ。
 って、あ、あかん、わ、笑いがこれ以上は押さえきれんかも……)

噴き出しそうになるのを堪え、はやては右手を振り下ろす。

「勝負、はじめ!」

それを合図に、なのはたちが一斉に動き出すのだった。



魔法少女リリカルなのはStrikerS 2007年放送開始! 
 ※注)作中は勝手な想像(妄想)です。本編とは全くもって、一切関係ありません。



   §§



カランカランという大きな鈴の音が鳴り響く、ここは海鳴市にある商店街の一角。
手に持った鈴を大きく振って音を出すおじさんに、恭也は少し恥ずかしげに周りを見渡す。

「はい、大当たり〜。特賞だよ、兄ちゃん。
 ペア温泉旅行のチケットだ。彼女さんとでも行ってきな」

そう言って恭也へと賞品を手渡す。
おりしもクリスマスまで後数日と迫ったとある休日。
暇つぶしに外へと出て、そのついでと足りなかったものなどを買った際に貰った福引券。
それがまさかこのような形になるとは。
残念賞が関の山だと思っていた恭也は、この棚ボタのように手にしたチケットを手に高町家へと帰る。
吐く息も白く、恭也は少し曇った空を見上げて、肩を竦めると桃子へとプレゼントしようと考えるのだった。

「ただいま」

そう告げて家へと入る。
リビングの方が賑やかなのは、恐らく美由希たちがいるからだろうか。
とりあえず買い足したものを補充し、恭也もリビングへと顔を出す。

「あ、お師匠お帰りなさい。外は寒かったでしょう。何かあったかいもんでも作りましょうか」

「いや、自分でやるから良いよ」

「ほな、お願いします」

立ち上がろうとするレンを制し、恭也は自分でキッチンに立ち急須と茶葉を用意する。
お茶を淹れて戻ると、なのはとレンがゲームで対戦をしていた。
丁度、レンと交代した晶が負けたのか、少し凹み気味に恭也にお帰りと言う。
それに返しつつ、恭也は楽しそうに遊ぶ三人を見遣り、ソファーに腰を降ろす。
隣に座っている美由希は、読んでいる本に集中しているのか、顔を上げることも無く挨拶をしてくる。
礼節云々と注意しようかとも思ったが、客人ではなく自分相手なので口うるさく言うのは止めておく。
そんな恭也の胸中など知る事もなく、美由希は本に目を落としたまま湯呑みを手に取り、口へと運ぶ。
が、既に中身はなく、美由希は読み続けるか淹れて来るか一瞬だけ躊躇う。
その様子に苦笑を洩らすと、恭也は黙って美由希の湯飲みにお茶を注いでやる。

「あ、ありがとう」

「いや。それよりも、今度は何を読んでいるんだ」

「今は推理小説。恭ちゃんも後で読んでみる?」

「そうだな。まあ考えておく」

恭也の言葉に今度は美由希が小さく笑うと、再び本へと集中する。
冬の休日は、こうしてゆっくりと過ぎていく。
この時はまだ、平穏のまま。



夕食後、恭也は思い出したかのようにポケットからチケットの入った包みを取り出して、
そっとテーブルの上に置く。

「まあ、そういう訳だ」

「えっと、恭也?
 何がそういう訳なのか説明してくれないと、流石の桃子さんも分からないんだけど」

息子の無口ぶりというか、横着さに引き攣った笑みを浮かべる桃子へ、恭也は福引で当たった事を説明する。

「という訳で、年末から年始にでも行って来たらどうかと思って」

恭也の顔を見て、桃子は説明が極端に短かったのは照れていたからかと判断し、そのチケットを手に取る。
それをざっと見た桃子は、そっとチケットをテーブルに置く。

「うーん、ありがたいお言葉なんだけど、年末年始にかけての利用は無理みたいね。
 ほら、ここに」

「あ、本当だ」

桃子の指す個所を覗き込み、美由希がそう洩らす。

「じゃあ、他の日にすれば?」

「うーん、流石にお店を閉めるのはね。特に、この時期はクリスマスとかで稼ぎ時だしね。
 うちのクリスマスケーキを楽しみにしてくれている人たちもいるし」

「なら、クリスマスの後にでも行けば?」

恭也の再度の言葉に少し考え込むも、桃子は首を振る。

「やっぱり、年末年始は家でゆっくりしたいからね。
 だから、これは貴方が使いなさい。私はその心遣いだけを頂戴しておくわ。
 恭也も偶にはゆっくりと休みたいでしょう」

「そうか。なら、これは俺が使わせてもらうよ」

言って恭也はチケットを再び自分の手に戻す。
それを見ながら、美由希は恭也へとじっと視線を向ける。

「恭ちゃん、それってペアだよね」

「ああ、そうみたいだけど」

「じゃあ、もう一人は誰と行くの?」

「もう一人か。まあ、別に一人で行っても良いんだけれど。
 何だ、美由希も行きたいのか? だったら、一緒に行くか?」

「良いの!?」

「ああ、別に俺は構わないが…」

「ちょっと待ってください、師匠! 俺も行きたいです」

「お師匠、うちも!」

あっさりと恭也が美由希の同行を許した瞬間、晶とレンからもそんな言葉が飛び出す。
それを困ったように見つつ、恭也はチケットをテーブルの上に置く。

「そんなに行きたいのなら、俺は今回は良いから。
 お前たちの中で話し合って決めたら良い」

「いや、それだと意味がないというか…」

「お師匠が当てた景品なんですから、お師匠はとりあえず決定という事で良いかと」

「そうそう。後の一人を誰にするかで…」

恭也の言葉に揃って三人は恭也に行くように勧める。
特にそこまで行きたいという訳ではない恭也は、何故そんな事を言うのかと不思議に思いつつも、
美由希たちの厚意だと解釈する。

「いや、お前たちの言葉は嬉しいが…」

再度、先程と同じ提案をしようとする恭也だったが、既に美由希たちは聞いておらず、
残る一人を誰にするのかと討論が始まっていた。
それを何とも言えない顔で見ていた恭也の元に、今までずっと無言だったなのはがそっと近づき、
無言のまま、恭也の袖をクイクイと引っ張る。
恭也がなのはへと視線を向けると、なのははじっと無言のまま何か訴えるように恭也を見詰める。

「……あの三人の話し合いはいつ終わるか分からないからな。
 なのは、一緒に行くか?」

「うん!」

恭也の言葉に、なのはは満面の笑みでそう答える。
それに気付かずに、まだ討論している三人と、恭也となのはの二人を見ながら、桃子は小さく笑う。

(誰に似たのかちゃっかりしてるわね、なのはは。
 まあ、私には偶に甘えてくるけれど、恭也には滅多に甘えられないんだし、
 今回はなのはの味方をしてあげましょうか)

この後の事を考えて桃子はそう結論を下すと、加熱していく討論を展開する三人を静かに見るのだった。



「何でじゃぁぁぁぁぁっ!」

魂からの叫び声を上げる冬木の虎こと、藤村大河。
それを宥めるのは、ここ衛宮家の住人、衛宮士郎その人である。

「だから仕方ないだろう、藤ねえ」

「仕方ないって何よ、仕方ないって!
 何で、どうして、私だけ?」

士郎の言葉に益々ヒートアップする虎へ、その熱を冷ますかのように冷たい平静な声が浴びせられる。

「どうしても何も、先生が先生だからでしょう」

「う〜〜〜」

「ね、姉さん。えっと、藤村先生、仕方ないですよこればっかりは」

凛にそっと注意をしてから、同じように大河を宥める桜。
それでもまだ治まらない虎へ、イリヤがばっさりと切り捨てるように告げる。

「仕事なんだから、どうしようもないでしょう。
 大丈夫よ、タイガの分までわたしたちが楽しんできてあげるから」

「うがぁぁぁーー!!」

「お、落ち着けって、藤ねえ。ちゃんとお土産買ってきてやるから」

「うぅぅ、本当に?」

「ああ。だから、な」

「うぅぅぅぅぅ、本当は嫌だけど今回だけは納得してあげるわ!」

「納得も何も、仕事の都合で行けないのは、先生自身の問題なんですけどね」

「うぐっ! 桜ちゃん、遠坂さんが苛める〜〜」

「ああ、はいはい」

桜は苦笑しつつ、抱きついてくる大河の頭を撫でてやる。
それを黙って見詰めるのは、桜のサーヴァントであるライダーであった。
何処か羨ましそうにも見える様子で、じっと桜と大河の様子を窺う。

「来年の春には士郎がロンドンに行くから、少しでも楽しい思い出を作ってあげようと思ったのに〜」

と、大河の洩らした言葉に士郎は思わず大河の顔を見て話し掛けようとするが、
その横からイリヤが先に声を掛ける。

「建前は置いておいて、本心は?」

「私が仕事している時に、士郎だけ楽しむなんて許せないぃぃっ!」

再び上がる虎の咆哮に、士郎は少しでも感動した自分がバカだったと腰を下ろす。
一方、今までの騒ぎなど気にも止めず、セイバーは一人マイペースにお茶を啜っていた。
いや、今話していた内容が分かっていないのか、セイバーは士郎へと視線を移す。
それを受けて、士郎は苦笑いを見せつつもセイバーへと簡単に説明をしてやる。

「つまり、俺たちが冬休みに入ったら、温泉に行くって話」

「失礼な。そこまでは分かっています、シロウ。私はそこで温泉玉子なるものを食すのですから」

「いや、まあ、それ以外にも色々あるんだけれど、まあ、それは良いか。
 えっと、じゃあセイバーは何を聞きたかったんだ?」

「何故、大河が怒っていたのか、です」

「ああ。つまり、藤ねえだけ仕事が入ったんだよ。
 だから藤ねえだけ留守番って事になったんだけど、本人がそれを納得しなかったと」

「なるほど、そういう事でしたか。それは残念ですが仕方ないですね」

「ああ。まあ、そういう訳だから、俺たちだけでも楽しもうな」

「はい」

見詰め合って笑い合う二人を、大河は未だに拗ねたまま見詰める。
その視線を背中に受けて、士郎は明日の夕飯のおかずを一品増やして機嫌を取ろうかと算段するのだった。



少し郊外にある大きな屋敷。
その屋敷のリビングで、この屋敷の主と、その兄が向かい合って夕食後のティータイムを楽しんでいる。
だが、屋敷の主、遠野秋葉の機嫌は何処か悪かった。

「まったく。
 折角、誰の邪魔もない静かな温泉街でのんびりと兄さんや琥珀たちと羽を伸ばせると思ったのに」

「ははは、仕方ないさ、秋葉」

「何が仕方ないですか! まったく、あの連中ときたら。わざとやっているんじゃないでしょうね!」

「まあまあ、抑えて下さい秋葉様」

「ええ、分かっているわ」

琥珀に言われ、秋葉はゆっくりと息を吐き出すと、静かにティーカップを置く。

「琥珀も悪いわね。楽しみにしていたんでしょう」

「いえいえ、私の事はお構いなく」

「何だったら、琥珀も兄さんたちと一緒に行っても良いのよ」

「それだと、秋葉様のお世話をする人がいないじゃないですか」

「自分の事ぐらい自分で…」

「駄目ですよ。そんな事を仰っても、何も出来ないじゃありませんか。
 それに、私は秋葉様のお世話をするの、そんなに嫌いではありませんし」

「そう。なら勝手にしなさい」

「ええ、そうさせてもらいますね」

琥珀の言葉に照れて、誤魔化すように髪を掻き揚げてそっぽを向く秋葉の態度に、
琥珀はばれないように盆で口元を隠しつつ、小さな笑みを見せる。
が、志貴はそのまま素直に顔に出してしまい、秋葉に軽く睨まれる。

「はぁ、遠野の会議は今に始まった事ではないですから、仕方ないといえば仕方ないんですけれどね。
 ですが、そんなに重要な会議を、よりによってその日にしなくても…」

未だに未練がましいのか、少し恨めし気な様子の秋葉に志貴が声を掛ける。

「まあ、それが済んでからこっちに来たら良いよ」

「ええ、勿論そのつもりです。翡翠、兄さんの事をお願いしますね」

「はい、勿論でございます」

「まあ、秋葉たちが来るまで、こっちはこっちでのんびりと過ごさせてもらうよ」

「ええ、そうしてください」

「ですが志貴さん。幾ら二人きりだからって、翡翠ちゃんに手を出したら駄目ですよ〜」

「こ、琥珀さん、何を言って…………、あ、秋葉?」

琥珀の言葉に慌てる志貴と、顔を真っ赤にさせて俯く翡翠。
そして、鋭い眼差しで志貴を睨む秋葉。
そんな三者三様の様子を、琥珀は面白そうに眺めるのだった。



「はい、はい、分かりました。では、後日改めて」

先方へとそう言って締め括ると、神咲薫は電話の受話器をそっと置く。
それを見計らい、彼女の隣に霊剣に宿る霊、十六夜が姿を見せる。

「電話は終わったのですか、薫」

「ああ。十六夜、数日後に出掛けることになったから」

「またお仕事ですか」

「ああ。まあ、そんなに大事ではないから安心して」

「そうですか。それで、今度の行き先は?」

「ああ、今度は…」

薫が告げた場所を聞き、十六夜はポンと小さく手を合わせる。

「それなら、仕事の後に少し足を伸ばして温泉で二、三日のんびりしましょう」

「何を言っとるね、十六夜」

「たまには良いじゃありませんか。それに、ここの所、続けてお仕事をしているでしょう。
 そろそろ身体を休めないといけませんよ」

「うちはまだまだ大丈夫だから」

「何を言っているんですか。ここ最近、ずっと除霊が続いているのに。
 それに、年末年始に掛けて忙しくなるかもしれないんですから。
 休める時に休んでおかないと」

「分かった、分かったから。ただし、婆ちゃんの許可が出たらじゃけんね」

「はい、分かってますよ」

反対される事はないだろうと分かっているからか、十六夜は薫の言葉に小さく笑い返す。
それが全てを見透かされているようで、少し面白くないのだが、
それを口に出すと負けたような気になるので、薫は何も言わずに足早に祖母のいる部屋へと向かう。
そんな様子が益々子供じみているのだが、薫は気付かない。
十六夜は更に笑みを深くしながらも、下手に突っつくような事はせず、静かにその後に続く。



外はもの凄く吹雪いているために視界が悪く、家の中からも外の様子をはっきりと見る事は出来ない。
やけに静かな家の中、ランプの明りに照らされた薄暗い部屋の中に一つの影があった。
男なのか女なのか。その年さえも定かではない影は、ゆっくりと楽しそうに喜悦の笑みを浮かべる。

「くっくっくくく。
 現世に留まる強力な力を秘めた英霊に、聖杯としての器になるほどのポテンシャルを持つ少女。
 妖しに反応する退魔一族七夜の生き残り。そして、長き退魔の歴史を持つ一族の当主とその霊剣。
 更には、今では廃れた暗殺剣を、今も尚引き継ぐ若き剣士か。
 よもや、これが仕組まれた事とは気付くまい」

静かに、静かに呟かれる言葉を聞くものは、ここには誰も、何もない。
影は一人、部屋の中央に立ち、何が可笑しいのか肩を小さく震わせる。

「ふふふふ。ここに、全ての駒は揃う。さあ、始めようではないか。
 楽しい、楽しい宴をな……」

引き寄せられるように、一つの地に集う時、何かが始まる……。



クロス作品 タイトル未定 20007年スタート



   §§



※注意 もしかしたら間違っている部分もあるかもしれません。
    その場合は、生暖かい目で見詰めながら、ご一報ください。



最近、メイドという言葉が流行っているというかよく聞きますが、これって実は正式な呼び方じゃありません。

美姫 「そうなの?」

ああ。
正式には、『Maid-Servant』、メイドサーヴァントって言うんだ。
昔日本では、家政婦や女中なんて訳されたりするけどな。
で、これはハートフルデイズの中でも言ったけれど、
ヴィクトリア朝と一般的に呼ばれる時代にメイドの雇用率はピークだったんだ。
だから、メイド服と聞いてすぐに浮かぶ洋風のあの衣装は、ヴィクトリア様式のものなんだな。

美姫 「つまり、それがディフォルトとなったのね」

ああ。
この時期は産業革命やら自由貿易とかでイギリスが最も栄えたというか、
繁栄したというか、まあ日本のバブル時代なものだったと思ってくれ。

美姫 「で?」

まあ、何かしら物事には反面というものが出てくる。
この時代でもその反面というやつがあって、それが古い昔ながらの習慣だとか、階級だったわけだ。

美姫 「ああ、自分は貴族だ! みたいな」

もっと性質が悪いというか。貴族の中でも、上流や中流、下流など区分したりとかな。

美姫 「ふんふん。それで?」

まあ、ここからはありがちで、貴族の中でもより上を目指そうとする訳だ。
そうなると、外に対しての見栄というか見栄えも必要になる。
実際の階級よりも少しでも上に見せるためにな。

美姫 「政略結婚なんかも良い例ね」

ああ。
ともあれ、そういった見栄というか一つのステータスとして、使用人というのが出てくる。

美姫 「どれだけの使用人を雇っているのか、って事ね」

ああ。それが、そもそもメイドの原点となる。

美姫 「まだ、この時点ではメイドではないのね」

まあな。そもそも、沢山雇っているように見せたいわけだ。
だが、大勢を雇えば当然、その分支払う給金が増える。

美姫 「当たりまえよね」

ああ。だが、少しでも良く見せたいって事は、逆を言えば無理をしている人たちも居るわけだ。

美姫 「確かにね。でも、それで破産とかしたら本末転倒じゃないの?」

ああ。そこで、女性の使用人が出てくる。

美姫 「どうして?」

あまり言いたくはないが、この時代、女性の賃金は男性の半分以下だったんだ。

美姫 「なるほどね。同じ賃金で雇える人数が倍以上って訳ね」

そういうこと。それにより、女性使用人の雇用が急激に増えるんだな。
こうして、女性の使用人、いわゆるメイドさんが多くなったと。

美姫 「なるほどね〜」


さて、次にメイドの役割や役職というか職種についてだが…。

美姫 「いや、もう時間ないし」

そ、そんなぁぁ。

美姫 「はいはい、嘆かない、嘆かない」

うぅぅ。これからなのに…。

美姫 「って、今ので満足してないの!?」

ぐぬぬ。

美姫 「ま、まあ、良い子にしてたらその内に第二回があるかも」

本当!?

美姫 「いや、そんな綺麗な目で見られても…」

それじゃあ、また次の講義で。

美姫 「いや、ないから」

嘘だったのかぁぁっ!



巻末おまけ、「メイド講座」 完







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