『マリアさまはとらいあんぐる 〜2nd〜』
第76話 「夢の終わり」
深い眠りの中にいた恭也は、耳に聞こえてくる電子音に徐々に意識を浮上させていく。
いつもならすぐに目覚めるところだが、やはり昨日の戦いの疲れからか、妙にだるい身体をゆっくりと起こすと、
その音源となっている携帯電話を取り上げる。
「…はい、もしもし」
「おはよう、恭也。
時間的にはおはようと言えるような時間ではないんだけれど、まだ眠っていたようだしね」
「おはようございます、美沙斗さん」
電話の声から誰からか分かった恭也は、すぐに挨拶を返すと軽く頭を振る。
完全に意識が目覚め、徐々に身体も目覚めていく。
そんな様子が分かったのか、電話の向こうで美沙斗は小さく笑みを零す。
「やはり、初めての不破の奥義之極、それも短時間で二回も放ったのでは、まだ身体が慣れていない分、
疲労も大きかったようだね」
「ええ、そうみたいですね。それで、どうかしましたか?」
「ああ、その事だけど、2、3伝えたいことがあってね。今、大丈夫かい?」
そう言って美沙斗は一旦言葉を切ると、恭也の返事を待つ。
「ええ、どうぞ」
「それじゃあ。まず、リスティさんが目を覚ましたよ」
「本当ですか!? それは良かったです」
「ああ、朝方に目を覚ましたみたいでね。本当に良かった。
そんなに深刻な怪我もなかったみたいで、後は意識が戻るだけって状態だったらしいからね。
目が覚めた今は、タバコが吸えないって嘆いていたよ」
「もう会われたんですか」
「ああ」
その時のリスティの様子が浮かんだのか、恭也の顔に苦笑が見える。
恐らく、美沙斗も話しながら思い出して苦笑を浮かべているのだろう。
少しの間、二人の間に沈黙が降りる。
しかし、それはすぐに美沙斗自身が言葉を繋げることによって打ち消される。
「それと、悠花さんとリノアさんの事だけれど、結論が出たよ」
美沙斗のその言葉に、恭也の顔が鋭いものに変わり続く言葉をじっと待つ。
変な緊張感を周囲に振り撒きながら待つ恭也へと、美沙斗がゆっくりと告げる。
「二人は保護観察処分になる。
どのぐらいの長さになるのかは分からないけれど、その期間に問題を起こさなければ…」
「そうですか。分かりました」
流石に無罪放免とはいかずに、恭也は少し溜め息を吐くが、何とか気を取り直す。
そんな恭也を気遣ってか、美沙斗は暫く無言でいたが、やがて口を開く。
「…後、倒壊した建物の瓦礫から、宗司と海透の遺体が見付かった」
「……では、これで本当に終わりですね」
「ああ。これで、御神と天羽宗司の一連の事件は終わりだよ」
静かに語る美沙斗の声に、恭也はただ無言で頷く。
その後は世間話のようなものを少し交わし、恭也は電話を切る。
完全に目の覚めた恭也は、着替えを済ませると部屋を出て一階へと降りて行く。
空腹を訴える腹を押さえつつリビングへと向かった恭也は、既にそこに居た祥子たちに挨拶をする。
どうやら、恭也が一番最後だったようで、他の面々は既にその場に居て遅い朝食、少し早い昼食を取っていた。
恭也に気付いた美由希が、口の中のものを飲み込むとからかうように話し掛ける。
「恭ちゃんが一番最後だよ。本当にねぼすけさんだね」
「いや、もう少し前には起きていた」
「うんうん。部屋の中にいたのなら、真偽は分からないものね。
別に誰も気にしていないから、言い訳しなくても良いのに」
「…まあ、お前に信用してもらおうとは思っていないからな」
良いながら椅子を引いて座った恭也の前に、使用人の人たちが食事を置いていく。
それに礼を言いながら、不満そうな顔をする美由希を一瞥する。
「さっきまで美沙斗さんと話をしていたんだ。
幾つかの連絡事があったらしくな。だが、この言葉も信用しないだろう美由希には関係のない事だな」
言いながら目の前の食事に手を付ける。
そんな恭也に美由希が慌てたように言う。
「し、信用してるってば。さっきのは、ちょっとしたお茶目じゃない。
あれぐらい笑って許そうよ」
恭也は食事する手を止め、じっと美由希を見るが、やがてゆっくりと頭を振る。
「やれやれ、これぐらいの冗談で慌てるとは、まだまだだな」
「冗談って!? さっきの目は本気だったじゃない!
それに、まだまだって何がっ?」
「何をそんなに大声を出している、はしたない。
これぐらい笑って許せよ」
「ぐっ」
さっき言った事をそのまま返されて言葉に詰まる美由希に鼻で笑うと、
恭也は殊更ゆっくりとした手つきで食事を再開する。
そんな恭也に何か言い掛けたのを止めると、美由希は数度深呼吸を繰り返して気持ちを落ち着かせる。
「で、母さんからは何て?」
「ああ、それは食事の後でな」
さっきまでのふざけた顔から一転して真剣な顔付きになる恭也に、こちらも神妙に頷くのだった。
言葉通り、食事が終わってから恭也は美由希たちに美沙斗からの内容を伝える。
リスティの無事には全員が胸を撫で下ろし、悠花たちの処遇に対しては複雑な顔を見せた。
それも仕方ないかと思いながら、恭也は続ける。
「でだ。これで事件の方も解決した事だし、今日の夕方にでも俺たちはここを去ろうかと…」
恭也がそう言った瞬間、方々から驚きの声が上がる。
そんな中、表面上は一番冷静に見える祥子が静かに口を開く。
ただ、その視線は何処か冷ややかなものを感じさせたが。
「急な話ですね」
「まあ、確かに急と言えば急ですけれど、当初の予定は終わりましたから」
「…ひょっとして、自分が居たから私たちを巻き込んだと考えて、
早々に立ち去ろうとしているんじゃありませんか?」
祥子の言葉に恭也は曖昧な笑みを見せる。
「…正直、それもなくはないかな。今回の一件は、確かに架雅人さんが語った側面もあったかもしれない。
けれど、その為に祥子が狙われたのは、俺と関わったからだし」
「でもっ! 前回の事も、恭也さんのお陰でこうして無事に居られるんです!」
「ええ、分かってますよ」
強い口調になる祥子に、恭也は優しく笑みを見せて落ち着かせる。
「それを皆さんは受け入れてくれたから。
だから、それだけでここを早々に立ち去ろうとしている訳ではないんだ」
そう語る恭也の言葉に嘘はなく、それを感じ取ったからこそ祥子も黙って聞く態勢を取る。
「では、どうしてそんなに急に?」
その言葉に恭也は少しだけ言い辛そうな顔をした後、口を開く。
「まあ、俺も美由希も学生が本分ですので」
「えっ、えっ、それって…」
恭也の言葉に不思議そうな顔を見せる美由希へと顔を向けると、恭也は重々しく告げる。
「秋休み明けの試験だ」
「あっ!」
美由希は小さく呟くと、途端に苦笑を見せつつ顔色を悪くする。
「小テストみたいなものとは言え、成績に関係するんだよね、あれって」
「流石に出席の方は何とかなるにしてもな。テストだけはどうしようもない。
もう少し早く片付くと思っていたからな。まさか、こんなぎりぎりになるとは…。
まあ、美由希が補習でも良いと言うのなら別だが」
「出来れば、受けたいに決まってるよ〜。でも、恭ちゃんの方は?」
「俺の方も、レポートがあってな。
忍がノートとかは取っておいてくれているんだが、教えてもらわないとな」
恭也も苦笑を浮かべてそう洩らす。
それを聞いた面々も同じような苦笑を浮かべ、理由が理由だけに引き止めて難そうな顔を見せる。
そんな祥子たちの様子を察したのか、恭也は全員を一度見渡す。
「そういう訳ですので、夕方には帰ろうと思います。また何かあれば、連絡をくれれば力になるから。
これっきりという訳でもないですしね」
そう言う恭也を祥子たちはただ黙って見詰める。
そんな中、蓉子がおどけたように声を掛ける。
「学生との二足草鞋も大変ね」
「全くです」
再び苦笑を浮かべて答える恭也に、蓉子は軽く微笑む。
他の面々も僅かに笑みを見せると、次いで恭也と美由希に今回の件で礼を言う。
二人はそれをむず痒そうな顔で受け取るのだった。
◇ ◇ ◇
帰り支度も整え、美沙斗が迎えに車での時間を他愛もない話で潰す恭也たちの元に、一人の使用人が現れる。
美沙斗の来訪を聞かされた面々は、その顔に微かな翳りを見せつつも静かに見送る為に席を立つ。
「もう別れの挨拶は良いのかな?」
「ええ」
出てきた面々へと美沙斗がそう尋ねながら、電車のチケットを渡す。
それを受け取りながら、恭也の視線は車の中へと向かう。
その事に微笑を浮かべつつ、美沙斗は車の中の人物へと出てくるように告げる。
架雅人は車から出てくると、祥子たちへと無言で深々と頭を下げる。
事情を祥子から聞いたとはいえ、複雑な胸中で何とも言えない顔を見せる一同の中、祐巳は小さく頭を下げる。
「お姉さまを助けるのを手伝って頂いたみたいで、本当にありがとうございました」
そう言って礼を言われた架雅人は、それが自分に向けられたものだと気付くのに数秒を要し、
それが分かると慌てて言葉を紡ぐ。
「いえ、そんな。元はといえば、私たちの所為ですから」
「それでも、救出を助けてもらったのは本当の事でしょう。
悪い事を評価するのなら、同じように良い事だって評価するべきだと思うんです。
確かに、事情があったとは言え、お姉さまを襲ったのは許せません。
でも、助けてもらったのも事実です。だから、ありがとうなんです」
「しかし…。あ、いえ、そういう事でしたら、はい。
ですが、自分は殆ど役に立ちませんでしたけれどね。行った時には、既に解放されてましたし」
何処か照れたようにそう呟く神父へと、祐巳はただ笑みで応える。
それを見て、架雅人はただ静かに目を閉じる。
と、祐巳の肩に手を置き、蓉子が進み出て同じように頭を下げる。
「祐巳ちゃんの言う通りね。確かに、助けてもらった事には感謝するべきね。
私からもお礼を言わせてください。ありがとうございます」
そう切り出した蓉子に続き、全員が礼を述べるのを居心地が悪そうに受け取る架雅人を見て、
何となく架雅人の気持ちが理解できる恭也と美由希は、顔を見せ合わせて小さく笑みを零すのだった。
「そういえば、架雅人さんはこれからどうするんですか」
一区切りが着いたところで恭也がそう尋ねてみる。
「私はこれから警防隊へと入ります。
そこで、美沙斗さんの下で今までやって来た事を少しでも償えるように頑張ってみます。
今度こそ、あの子達の為に」
「そういう事だよ。だから、私もこれからすぐに香港へと向かう事になってね。
あそこはいつでも人手不足だから、隊長も首を長くして待っているだろうからね」
「そうでしたね。忙しいのに、美沙斗さんや弓華さんにはお世話になってしまって」
「いや、大したことはしてないよ。本当に役に立てたかどうか。
それに、可愛い娘と甥のためだからね。それよりも、そろそろ良いかな?
飛行機の時間があるんだ」
「そうでしたね」
美沙斗の言葉に頷き応えると、恭也は祥子たちへと振り返る。
「それじゃあ、皆さん、お世話になりました」
「こちらこそ、本当にありがとうございます。
また会えるのを楽しみにしてます」
「ええ、またいつか」
代表する形で言った祥子の言葉に、恭也は小さく笑みを浮かべて答えると、美由希と共に車の中に姿を消す。
二人が乗り込んだのを確認すると、車は静かに走り出す。
その姿が見えなくなるまで見送る祥子たちの顔には、やはり何処か寂しさが見られる。
それでも、祥子たちは恭也と美由希を笑顔で見送るのだった。
こうして約一月半に及ぶ、現実とはかけ離れた、そうまるで夢のような生活は終わりを告げた。
つづく
<あとがき>
はぁ〜。ほっと一息。
美姫 「って、一息じゃないわよ!」
ぶべろっ。…な、何をする。
美姫 「何よ、この最終話みたいなおわりは」
いや、だってこれで終わりなんだし。
美姫 「何故、そんな不思議そうな顔をする!」
げがっ! い、言いたい事は分かってるって。
ちゃんと、つづくってなってるだろう。
美姫 「あ、本当だ」
確認してから、殴れよ……。
がはっ! な、なんで?
美姫 「うん? 確認してから殴れって言ったじゃない」
ひ、酷い……(涙)
美姫 「で、いよいよ次回で最後ね」
…あ、ああ。
美姫 「何をびくついているのよ」
じ、自分の胸に手を当てて考えろ!
…って、本当にするな! というか、俺が当ててやる!
美姫 「きゃぁー、この馬鹿、変態、すけべ!」
ぐげっ、ぎょっ、にょっ、あがっ。
ちょ、ちょっと…ぺげっ!
ま、待て……ぐおえげっ。
げぎょ、みょっがぁっ!
美姫 「ふんっ! 悪は滅びるのよ!」
……ピクピク