『ラブとら』






第一話 「ここはひなた荘、女子寮」





「ひなた温泉駅〜、ひなた温泉駅〜」

路面電車のアナウンスが、たった今到着した駅の名前を知らせる。
その駅名を聞き、恭也は持っていた荷物を持って電車を降りる。
何処から硫黄の匂いが漂ってきて、並ぶ町並みが温泉街だと言う事を教えてくれる。

「はぁー、やっと着いたか」

朝から何度か電車を乗り換え、ようやく温泉街としてそれなりに知られているこの地に辿り着いた恭也は、
今までの移動で凝り固まった筋肉を解すように、軽く肩を回して伸びをする。
それが済むと、懐から一枚の紙を取り出して視線を落とす。

「後は、この地図の通りに……」


恭也は地図と昔の記憶を頼りに駅からの道を歩いていく。
しかし、その手書きの地図はかなり大雑把に書かれているのか、かなり怪しい部分がある。
おまけに、昔の記憶はかなり色褪せ、僅かに覚えがあるような場所も変わっていたり、
似たような場所があったりと、全くもって一向に着く気配を見せていなかった。
困ったように周囲を見渡して、誰かに教えてもらおうとするものの、周囲には人の姿はない。

「さて、どうしたもんか…」

そう呟いた時、恭也の前方から歩いてくる一つの影があった。
これ幸いと声を掛けようと近づけば、その人物は通りをこちらへと横切ってくる。
と、その横手からバイクがやって来る。
どうやら、それには気付かずに渡ろうとしているみたいで、恭也は慌てて駆け出す。
ライダーの方はその人物に気付いてブレーキを掛けるが、急に止まる事は出来ない。
ブレーキ音にようやくその事に気付いた人物は、突然の出来事に驚いて動けないようだった。
そこへ恭也が腕を掴んで引き寄せる。
間一髪という感じでバイクが通り過ぎて行く。
恭也が助けた少女は呆然とそれを見送った後、自分が男の人に支えられていると知って大いに慌て出す。
それに翠屋の手伝いをして桃子に叩き込まれた笑みを何とか浮かべ、怖がらせないように努力しながら、
恭也は少女が落とした荷物を拾い上げる。
どうやら、買い物帰りらしく夕飯の材料のようなものが散乱していた。
地面に座り込んでそれらを拾い始めた恭也を見て、少女も我に返ったのか大慌てで拾い始める。

「す、すいません」

「いえ、気にしないでください」

「それと、ありがとうございます」

「いえ、そんな大した事はしてませんから」

「いいえ、そんな事は…」

お互いにそんな事をしながら荷物を全て拾い集めると、少女はもう一度恭也へと頭を下げる。

「本当にありがとうございました」

「いえ、本当に大した事じゃ。ああ、一つだけお礼という訳ではないのですが良いですか」

思わずナンパかと身構えてしまう少女だったが、それに気付かず恭也は懐から地図を取り出して見せる。

「ここへ行きたいのですが、今はどの辺りでしょうか」

「ひなた神社ですね。えっと……」

少女は地図をじっと見詰め、自分の知っている道などから現在の場所を指差す。

「多分、今はここですから…。
 この道をまっすぐに行って、その先を右に曲がって…」

言って説明をする。
その説明はとても詳しく、目印になりやすいものを的確に教えていた。

「なるほど。ありがとうございます。そこまで行けば、後は分かりますから」

「そうですか。それじゃあ、これで」

「はい、ありがとうございました」

今から帰るのだろう少女に礼を言うと、恭也は教えられた道を歩く。
少女は恭也と別れてから、そこまで案内してあげれば良かったと思い出す。
確かに、帰り道からすれば少し回り道になるが、それでもちょっとである。
ひなた神社から自分が帰る場所まではそんなに離れていないのだから。
だが、それに気付いた時にはもう恭也とは別れた後で、少女は仕方ないかと家路を急ぐのだった。



少女に教えられた通りに歩き、ひなた神社へと着いた恭也は、
そのまま神社へと続く階段を登らずに、そのまま道を歩く。

「確か、このまま行けば茶屋があって…」

地図を頼りに歩けば、まさにその通りに茶屋があり、恭也はその横の長い階段へと足を掛ける。
階段の先を見上げ、恭也は昔の記憶とこの景色が一致する。

「どうやら、ここで間違いなさそうだな」

呟くと、階段を登り始める。
長い長い階段を登った先、そこに一つの建物がようやく見えてくる。
懐かしさを感じつつ登っていく恭也の耳に、怒鳴り声らしきものが聞こえてくる。

「この、エロ河童!!」

「ぷろぉー!」

階段を登りきった恭也の目の前で、一つの影が空に舞う。

「な、何だ、あれは。まさか、人か?」

茫然と見守る中、件の影は恭也の前へと落下すると、何事もなかったかのように起き上がる。

「いててて。成瀬川のやつ、もう少し手加減してくれても良いのに……」

「大丈夫ですか?」

「え、あ、うん、大丈夫、大丈夫。体だけは丈夫だから。
 それに、いつもの事だしね」

丈夫とかいう問題ではないような気がしつつも、本人がそう言うのならと納得する。
そのおり、居候の一人の顔が浮かんだのは本人にも誰にも内緒だが。
同時に、今のがいつもの事というのは、とも思いつつ、少し悩む恭也に、その人物が不思議そうに尋ねてくる。

「所で、君は?」

「ああ、自分は高町恭也といいます」

「ああ、それじゃあ、あなたがばあちゃんの言ってた。
 あ、俺は浦島景太郎と言います。宜しくお願いします」

「はい、こちらこそ。暫らく、こちらでお世話になりますが、よろしくお願いします」

景太郎と名乗った男の苗字とひなたの事だろうと思われる人物を婆ちゃんと呼んだ事から、
恭也は目の前の人物が血縁者であろうと想像する。
そんな恭也の目の前で、景太郎は少し困ったような顔で頭を掻く。

「うーん……」

「どうかしたのですか」

「いや、まだ君が来る事を皆に言ってないんだよな」

「そうでしたか。では、ついでに皆さんに紹介して頂ければ…」

恭也は皆と言うのが、ここの従業員だろうと思っていた。
だが、それにしては景太郎は歯切れが悪く言う。

「いや、それはそうなんだけれど……」

恭也の言葉に、非常に言い辛そうな表情を見せる景太郎。

「実は、ここって、今は女子寮なんだけれど……」

「はい?」

「あ、やっぱり、聞いてなかったんだ」

恭也の反応を見て、景太郎は納得したように頷く。
一方の恭也は、まだ事態がよく飲み込めていないのか、ただただ目の前の建物を見上げる。
そんな恭也を促して、一階の広間とも呼ぶべき広さを持つ玄関から入ってすぐの所へと恭也を招き入れる。
恭也に座るように促すと、景太郎は他の住人を呼んでくると言って席を外す。
程なくして全員がこの場へと揃う。
と、その中の一人に見知った顔を見つけ、同時に小さく声を洩らす。

「あの時はありがとうございました」

「いえ、お礼はもう頂きましたから。無事で何よりです」

「何や、しのぶの知り合いかいな」

この中で最も年長と思われる女性の言葉に、しのぶと呼ばれた少女は頷く。

「知り合いというよりも、さっき危ない所を助けてもらっただけですけど」

「そうか。兄ちゃん、うちからも礼を言っておくわ。
 あ、うちは紺野みつねや」

しのぶと聞いて悪友の顔を思い出し、あっちとは全然違う性格で、
こっちは正に名は体を現すななどと考えていた恭也は慌てて頭を下げる。

「いえ、お礼なら道を教えていただきましたし。
 自分は高町恭也と申します」

その丁寧な態度に袴姿に刀らしきものを持った女性は関心したように頷く。

「今時の若者にしては、中々礼儀正しいですね。
 私は青山素子と申します」

「若者って、素子かて若者やんか」

みつねの突っ込みに笑う一同の中、恭也だけはやや俯いた形で髪に隠れた目も鋭く素子を観察する。

(…中々の使い手だな。美由希よりも上か。恐らく単純な剣技だけという訳ではなさそうだが)

そう観察しつつも、それは表に出さずにもう一度挨拶をする。

「本当に景太郎の知り合いにしては、礼儀正しいじゃない」

「成瀬川、それは失礼だよ」

「あ、そうね。ごめんなさい。こいつの知り合いって、変なのばっかりだったから。
 私は成瀬川なるよ」

「ウチはカオラ・スゥや。よろしくな、恭也」

「こちらこそ」

褐色肌の少女の挨拶に、恭也も同じように返すとカオラの横から金髪の少女が口を開く。

「あたしはサラ・マクドゥガルだ。サラで良いぞ」

「よろしく、サラ」

一通り挨拶をした所で、最後にしのぶが恭也へと頭を下げる。

「改めまして、私は前原しのぶです」

こうして全員と紹介を終えると、景太郎が恭也へと顔を向ける。

「これが、ここの住人だよ。
 で、恭也くんの部屋だけど、俺のいる管理人部屋の隣で…」

恭也がそれに対して何か言おうとするよりも早く、なるが景太郎へと掴み掛かる。

「ちょっと! 部屋ってどういう事よ」

「だ、だから、彼はここに宿泊する事になってて」

「そんなの初耳よ!」

「俺だって、朝、ばあちゃんに聞いたんだって!
 何でも、昔世話になった人の息子さんで、こっちに転校するから部屋を貸してあげる事にしたって」

首を掴まれてガクガクと前後に振られながらも何とかそう答える。
それを聞き、なるだけでなく素子も声を荒げる。

「反対です! 私は反対です! 女子寮に、お、男が住み込むだなんて」

「何や、素子は固いな〜。景太郎かて、ここに住んでるやないか」

「そ、それは、一応、管理人ですし。それに、私はまだ認めたわけでは…」

「はいはい。それじゃあ、他の人の意見は?」

「うーん、別に良いんじゃないのか?」

「ウチも良いで〜」

みつねの言葉にサラとカオラがすぐさま賛成する。
二人の意見を聞いた後、みつねは残るしのぶへと視線を向ける。

「わ、私も別に良いかと。その、さっきも助けてもらいましたし、そんなに悪い人には見えませんから」

「なるは?」

みつねに振られたなるは、景太郎を放すと少し考えた後言う。

「私? どうせ反対したって、ひなたのお婆ちゃんが決めた事なんでしょう?
 だったら、私たちがどうこう出来るもんじゃないと思うんだけれど」

「まあ、確かにな。あの婆さんの客人な訳やしな…。
 なら、多数決で決まりや」

なるの言葉に頷きながら、みつねは結論を下す。
だが、当然の如くそれを納得しない者がいた。

「私は、認めません!」

「せやけど、もう決定した事やし」

「こんな事を多数決で決めるのは間違ってます!
 成瀬川先輩もそう思いますよね!」

「え、えっと、まあ、これ以上、景太郎みたいなのが増えるのはちょっとね…」

「そうでしょう。だったら…」

なるの言葉に勢いを増して素子は全員を見詰める。
そんな中、みつねは少し困ったように頭を掻く。

「せやけどなー。あの婆さんに知れたら…」

そうしてまた揉め始めた所へ、当の本人である恭也が口を挟む。

「いえ、確かに青山さんの言う通りです。
 女子寮に男が寝泊りするのはまずいでしょう。
 てっきりここが旅館のままだと思って確認しなかった俺も悪いですから。
 でも、俺の方にも色々と事情があって、この地を離れる事は出来ないんです。
 ですので、悪いんですが、外を借りたりは出来ませんか」

「どうする気だ?」

やや荒い口調ながらも、丁寧な恭也の言葉に突っ慳貪にする事も出来ずに素子は尋ねる。
それを受け、恭也は短く答える。

「そこで野宿させてもらおうかと思います。
 それなら、どうでしょうか。
 勿論、用がある時は玄関で伝えるようにして、中へは入らないようにしますし」

「……」

暫し考え込んだ後、素子は口を開く。

「そこまで言うのなら、私は何も言わない。いえ、言いません。
 ですが、本当にそれで良いのですか? 今はまだ良いとして、このまま冬になったらどうするのです」

恭也の言葉遣いや態度から景太郎と同種ではないと判断した素子は、
多少口調を柔らかくしながらも警戒したまま尋ねる。

「それはその時になってから考えますよ。
 とりあえず、今はそこを利用させてもらえれば」

「いや、流石にそれは…。ばあちゃんから連絡があった客を野宿させるなんて」

景太郎が恭也の出した案にも難色を示す。
これには他の者も同意らしく、困った顔を見せる。

「大丈夫ですよ。ひなたさんには俺からお願いしたという事にすれば」

「でも…」

恭也の言葉にまだ決めあぐねる景太郎に変わり、みつねが反対する素子となるを呼び寄せて小声で話す。

「なあ、あの兄ちゃんなら大丈夫やと思わんか?」

「確かに、景太郎と違って大丈夫そうね」

「そ、それはそうですが。ですが、まだ本性は分かりません。
 中へ上げた途端、本性を現したらどうするんですか」

「うーん、その時はまあ、しゃーないかな。
 よく見れば、あの兄ちゃんかなりの美形やしな」

「キツネさん!」

「冗談やんか。でも、流石に野宿は可哀想やで。
 しのぶも助けられたみたいやし」

「ですが…」

三人がこそこそと話している間も、恭也は野宿すると言い張り、景太郎はそれを待つように言う。
完全に収集が着かない状態に、やがて素子の方が折れる。

「分かりました。浦島よりは信頼できそうですし。
 ですが、少しでも可笑しな真似をすれば、斬りますから」

「はいはい、分かったって。よっしゃー、景太郎、二人ともオッケーやで」

「本当に!?」

みつねの言葉に驚いてなると素子を見れば、二人とも何とか頷いている。

「そういう事だらか、恭也くん」

「ですが、やっぱりまずいですよ」

それでも遠慮する恭也に、みつねが肩を竦める。

「何や、かなり真面目な兄ちゃんやな」

「高町さんでしたね。先ほどは失礼しました」

丁寧に話し掛けてくる素子に、恭也は当然の事だと告げる。
それを聞き、素子は大丈夫だろうと確信する。

「あなたの事はそれなりに信用できます。ですから、どうぞ中へお上がりください。
 流石にひなたさんの客人を無碍にする訳にもいきませんし。
 ただ、不埒な事をなさった場合は、相応の覚悟をしてもらう事になりますが」

言って軽く殺気を放つ素子へ恭也は重々しく頷く。

「分かりました。では、お言葉に甘えさせて頂きます。
 皆さん、これからお世話になります」

言って頭を下げる恭也に、ほっと胸を撫で下ろす景太郎だった。
途端、みつねが声を上げる。

「よっしゃー、そしたら今夜は宴会やー!
 はるかさんとむつみも呼んでこんとあかんな。
 よし、サラにスゥ、行って来い」

突然、仕切りだしたみつねを見て、恭也は同じく女子寮のとある漫画家の姿を思い出す。

(ひょっとして、女子寮にああいう人は付き物なのか)

そんな冗談とも本気ともつかない事を考える恭也へ、景太郎がとりあえず部屋へと案内すると告げる。
それを受けて恭也は景太郎の後に続くのだった。



その夜の宴会で、恭也は新たに二人の女性を紹介される。
乙姫むつみと、景太郎の叔母にあたるという浦島はるかという二人の女性である。

「ほら、恭也も飲めー」

「いえ、自分は未成年ですから」

みつねからの酒をそう言って断ると、恭也はしつこく絡まれなかった事にほっと胸を撫で下ろす。
始めは色々とあったが、どうにかここに居る事が出来る事ができて良かったと思う恭也。
そんな恭也の隣にこれまた酒を勧めるみつねから逃れてきた素子が座る。

「はぁ、全くキツネさんにも困ったもんだ」

「まあ、悪気はないんでしょう」

「そうかもしれんが…」

そこまで言って素子は隣に居るのが恭也だと気付いたのか、少し慌てる。
流石にあれだけ反対した事を悪いと思っているのか、やや遠慮がちに話し掛ける。

「高町さんも迷惑ならはっきりと言った方が良いですよ」

「別に迷惑ではないですよ。こういう賑やかなのも嫌いではないですから」

「そうですか。その、失礼ですが、学生ですよね」

「ええ。高校三年です」

「三年ですか。私より一つ上ですね。ですが、高校三年なら受験では?
 なのに、この時期に転校なんて」

「色々とあるんですよ」

「そうですか。あ、でしたらそんなに丁寧に話されなくても…」

「いえ、そんなつもりはないんですけれど」

「そうですか。なら、良いですが。ここに居る人たちは皆、家族みたいなものですから。
 一人だけ遠慮されると、逆に…」

「そういう事ですか。ですが、それを言うのなら青山さんこそ」

「あ、私は下から年上の方にはこんな感じですから」

「そうですか。まあ、あんまり無理する必要はないですよ。
 別に気にしませんから」

「それは助かります。正直、男の人と接するのはあまり得意ではないので、偶にその…」

「何となく分かりましたから。景太郎さんと話しているような感じになるんですね。
 別に構いませんよ」

「すいません」

「本当に気にしないで。それよりも、改めてお礼を言わせてください」

「お礼、ですか?」

「はい。青山さんが許可してくれたお陰で、ちゃんとした部屋を確保できましたから。
 流石に野宿よりも、ちゃんとした部屋の方がやっぱり良いですからね」

「いえ、それは。それに、賛成と言っても条件付ですし」

「いや、それは当然の事だと思いますよ。
 女性ばっかりの所に、こんな無骨な男が入ってくるんですから」

恭也の言葉に大変珍しいことながら、思わず素子はその顔をまじまじと見て数瞬だけ呆然となる。
その顔は冗談などではなく、あくまでも本気だった。

「その、失礼ですが高町さんは鈍感だとか言われたりは…」

「よく分かりましたね。よく母や妹、知人からも言われます。
 自分はそんな事はないと思っているんですが…」

「いえ、私も偶に似たような事を言われます。
 それでも言えますよ。高町さんはかなり鈍感ではないかと」

「むー」

素子の言葉に、恭也は思わず唸ってしまう。
何処か落ちついた雰囲気のある恭也のそんな仕草に、素子は自分でも気付かないうちに小さく笑うのだった。



こうして、ごたごたがあったものの、何とか恭也はひなた荘に住む事ができるようになった。
そんな恭也へと、景太郎たちは改めて声を揃えて告げる。

「ようこそ、ひなた荘へ」



〜 つづく 〜







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