『ラブとら』






プロローグ 「昔日の約束」





「かーさん、ちょっと話があるんだけれど…」

そう言って真剣な顔で切り出した息子の様子に、食後のお茶を楽しんでいた桃子も知らず背筋を伸ばす。
たまたま近くに居た美由希たちも、何故か畏まったように居住まいを正す。
それに構う事無く、恭也は自分の席に座ると湯のみにお茶を注いで、ゆっくりと啜る。

「ふー、上手いな」

そう零す恭也に、桃子はやや引き攣った笑みを浮かべる。

「で、恭也。改まって何かしら?」

「ああ、その事なんだが…。
 実は、近々転校しようと思ってな」

「ふーん、そうなんだ。良いんじゃない」

真剣な表情で口を開いた割に、お茶を飲む恭也に少し腹を立てたのか、
深く考えずにそう軽く返答してから、その内容を思い出して桃子は慌てたような声を上げる。

「ちょっ、どういうことなのよ、恭也」

「うん? 良いんじゃないのか?」

「じゃなくて、理由よ、理由!」

「師匠、もしかして、さっき掛かってきた電話と何か関係が?」

呆然としている美由希の横から、皆よりも若干早く我に返った晶の言葉に恭也は一つ頷く。
恭也をじっと見詰めてくる複数の視線に軽く首を竦めて見せると、恭也は事情の説明を始める。

「今から十年ほど前の事だ。とある街に一組の親子がいてな。
 その親子は全国を旅して歩いていたんだが、その路銀が遂に底を着いてしまった」

「それって、士郎父さんと恭ちゃんの事?」

すぐにその人物に思い当たった美由希の言葉に恭也は頷いて応えると、そのまま続ける。

「いつもなら、その辺で野宿する所なんだが、そこは温泉街でな。
 野宿するような場所がなかったんだ。ただ唯一、向こうに山があってな。
 その山で野宿する事にした俺と父さんは、その山へと向かったんだ」

「それと転校と何の関係が…」

「良いから黙って最後まで聞け、美由希」

途中で口を挟む妹を黙らせると、隣で顔も知らない父親の話を多少の寂しさの混じっているものの、
嬉しそうに期待するように待つもう一人の妹の頭をそっと撫でると、恭也はもう一度話を再開させる。
その扱いの違いに口を尖らせつつも、美由希も静かに恭也の言葉に耳を傾ける。

「所が、着いてみたらそこは私有地だったんだ。
 途方に暮れていた俺たちに声を掛けてきてくれたのが、その山の持ち主でもあり、
 その傍に立つ旅館のオーナーでもあったひなたお婆さんだった。
 ひなたお婆さんは、俺たちの事情を聞くと自分の旅館に泊まると良いと言って泊めてくれただけでなく、
 そこで住み込みでバイトもさせてもらったんだ。言わば、ひなたお婆さんには恩がある」

「もしかして、さっきの電話はその人からだったの恭也?」

そこまで聞いて、桃子がそう尋ねると恭也は頷く。
だからと言って、何で転校という言葉が出てくるのか尋ねようとする桃子を制し、恭也は続ける。

「そのひなた旅館の裏山には、山頂へと続く道があるんだが、
 その途中で一見すると見つけ難い形で横道が存在しているんだ。
 それを知るのは、極一部の者だけだがな。
 兎も角、その道を登っていくと開けた場所に出る。
 そこには一つの洞窟と祭壇があって、一匹の鬼を祭っているんだ」

一旦、言葉を区切ると、その話の続きを待つように全員が無言で恭也を促す。
それに苦笑を洩らすと、恭也は焦らす事無く続ける。

「その鬼は変わり者らしく、別に人を襲うわけでも悪さをする訳でもないらしい。
 伝承によると、時には人に力を貸したりもしていたそうだがな。
 でだ、その鬼は勝負が好きでな。
 まあ、試合うのが好きって事なんだが、人と勝負をするようになったらしい。
 尤も、そう簡単に鬼に勝てる者もいなかったんだが、それでも満足だったらしい。
 ただ、徐々にそういったものが信じられなくなったり、鬼と言うだけで退治されそうになったりした為、
 今の場所で眠ることにしたらしい。その間も、偶に起きては勝負をしていたみたいだな。
 で、その勝負を取り仕切っていたのが、そのひなたお婆さんの家系と言う訳だ。
 とは言え、昔ほど武術が普及しなくなり、徐々にその鬼と拮抗する程の者は現れなくなって、
 鬼も眠る期間が増えていった。
 まあ、少し前まではひなたお婆さんの旦那さんや知人が相手をしていたみたいだがな。
 所が、ある日、その鬼と勝負をした一人の剣士が居たんだ。
 それだけなら良かったんだろうが、事もあろうにその剣士は鬼と引き分けた。
 今まで、勝ち続けていた鬼に、引き分けとは言え勝ちを譲らなかったんだ。
 その事に鬼は大層喜んで、次の勝負の約束をした。
 剣士も鬼と約束を交わし、自分の名前と流派を教えた。
 こうして二人は次の再会と勝負を約束して別れたんだ」

そこまで話すと恭也はすっかり冷めてしまったお茶で、乾いた喉を潤す。
黙って話を聞いていた者たちは、その剣士が誰か分かり、恭也を見る。
やがて、美由希が静かに口を開く。

「その剣士っていうのが、士郎父さん」

「ああ。それで、その鬼が目覚めるのが、ここ一年から一年半の間。
 だが、父さんはもう居ないからな。なら、父さんの弟子である俺が相手をするべきだろう。
 何処までやれるかは分からんが、御神の剣士として、御神の名の元で交わした約束だからな。
 父さんの代わりに、その約束を果たしたい」

「なるほどね」

恭也の言葉に桃子は静かに目を閉じる。

「さっきの電話はひなたお婆さんからで、父さんが亡くなったのもご存知で、
 その上でその件をどうするかといったものだったんだ」

桃子をじっと見詰めながら静かに語る恭也の言葉を聞き、桃子はゆっくりと目を開ける。

「さっきの電話がそういった件のものだったんなら、もう返事はしたんでしょう」

「…ああ、した」

「じゃあ、今更反対なんて出来ないわよ。しても無駄だろうし。
 それに、士郎さんが交わした約束なら、それを果たしてあげたいものね。
 良いわ、恭也。あなたの好きなようにしなさい」

「…助かる」

「でも、その一年から一年半の間に、いつ目覚めるか分からないんでしょう?
 住む所とかはどうするの?」

桃子の疑問に恭也はすぐに返事を返す。

「それなら問題ない。ひなたお婆さんの所に世話になる。
 さっき、ひなたお婆さんがそう言ってくれてな」

「そう。じゃあ、しっかりやりなさい」

そう言って優しく微笑む桃子に、恭也は頷いて応えるのだった。



翌日、昼食を終えた恭也は知人を校舎の屋上へと呼び出して、昨夜美由希たちに話した事を伝える。

「という訳で、今週中に転校する事になった」

「そんな〜」

忍は真っ先に不満を口にするが、言うだけ無駄だと分かっているのか、すぐに納得する。

「折角、仲良くなれたのに」

「大丈夫だ。鬼との勝負が済めば、すぐに戻ってくるから」

「分かった。その代わり、偶にで良いから、私にも連絡頂戴よ」

「ああ」

そう言った恭也の首に、赤星の腕が絡みつく。

「約束だ何だと言っているが、それだけじゃないんだろう」

「分かるか」

「当たり前だ。士郎さんと引き分けたという鬼。
 お前自身、その鬼とやってみたいんだろう」

「ああ。勝てるかどうかは分からないが、父さんと引き分けたぐらいだからな。
 良い経験になると思う。向こうも、更に強くなっているだろうからな」

「寝ているのにか?」

「寝るのは半分ぐらいの時間だ。寝るまでに何年か起きていて、修行を積んでいるって話だ。
 まあ、誰も見た者は居ないから、真実は分からんがな。
 だが、油断出来るような相手じゃないからな」

「そうか。まあ、頑張ってくれ。熊殺しならぬ、鬼殺しとなったお前に会えるのが楽しみだよ」

「別に殺し合いじゃないぞ。単なる手合わせだ。
 それに、勝てるかどうかも分からん」

「やる前からそんなんでどうする」

「ふっ。お前らしいな」

「そうか。まあ、気を付けて行って来い」

言って恭也に笑みを見せると、赤星は腕を離す。
そんな二人のやり取りを見守っていた面々だったが、いつの間にか話は送別会の話になっていた。
そこでチャイムが鳴り、屋上を後にする面々。
未だに送別会の事で何やら話している面々の後ろに少し遅れて付いて行きながら、恭也は空を見上げる。
雲一つなく晴れ上がった青空を見詰め、恭也はそっと拳を握り締める。
その瞳は楽しそうな色を含み、ただただ静かに空の青を映し出していた。



〜 つづく 〜






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