『風と刃の聖痕』






 第9話





橘霧香は奥の路地から和麻の元までやって来ると、綾乃へと当てつけるかのように和麻の腕を取る。

「ちゃんと仕事してくれてるんだ〜。ありがとうね」

「まあ、金は貰ってるからな」

綾乃は霧香を睨みつけつつ、和麻の言葉にそちらを振り向く。

「お金って、お父さんからも貰ってなかった、あんた」

「あれとこれは別だよ」

「……まあ、良いわ。それよりも、さっさと離れなさいよね!」

「あら、焼きもち? 綾乃ちゃん」

「違います!」

綾乃は霧香と和麻を引き離しつつ、霧香へと噛み付くように吐き捨てる。
あまりからかって、機嫌を損ねるのも得策ではないと判断した霧香は、かなりあっさりと和麻から離れる。

「所で、お前はこんな所で何をしてるんだ? まさか、依頼した事件を調べていたのか?」

「まさか。勿論、そっちも調査はしてるわよ。
 でも、今日は別件よ。ちょっとした低級霊が悪さをしててね。それで、その調伏よ。
 こっちに追い込んだと思ったんだけど、どうやら和麻たちが片付けてくれたみたいね。ありがとう、助かったわ」

軽く言う霧香に和麻は顔を顰めるが、特に何も言わない。
そこへ、恭也が遠慮がちに声を掛ける。

「和麻、そちらの方が、お前が言っていた…」

「ああ。橘霧香だ」

和麻に紹介されて、霧香もようやく恭也の方へと顔を向ける。

「初めまして、橘霧香です」

「あ、初めまして。和麻の友達で、高町恭也と申します」

恭也の自己紹介を聞き、霧香は驚いたような顔を和麻へと向ける。

「……何も言わなくてもいいからな。何を言いたいのかは分かった」

「お、おほほほほ。冗談よ、冗談」

和麻の冷え切った眼差しに霧香は笑って誤魔化し、恭也は和麻もまた自分と同じ反応をされたのかと視線を投げる。
偶々ぶつかったお互いの視線から、お互いの身に起こった出来事を察し、二人は意味もなく心の中で結束を固めたりしていた。
そんな二人の様子に、霧香は話を切り替えようと恭也へと話し掛ける。

「…和麻が私のことを何って言っていたのか、非常に気になるわね。
 良かったら、教えてくださらないかしら」

「別に変な事は言ってませんよ。日本政府が有する退魔組織、警視庁特殊資料整理室の室長という事ぐらいですかね」

この言葉に、霧香は表情を一変させると、和麻を睨む。

「ちょっと、和麻! 何でそんな事を話してるのよ!
 一応、一般には秘密の部署なのよ!」

「仕方ないだろうが。今回の事件を手伝ってもらう以上、その辺の説明は必要だったんだから」

あしらうように言ってくる和麻に、綾乃は恭也を一度見た後、

「それじゃあ、彼も術者なの?」

「いんや」

和麻が否定の言葉を出した瞬間、まだ何か言おうとしていた和麻の言葉を待たず、霧香が怒り出す。

「ちょっと和麻! 民間人がどうして」

そんな霧香に対し、和麻はいつもの様に飄々とした笑みを浮かべ、落ち着いた声音で告げる。

「民間人じゃないさ。今回の件、恭也に協力してもらうから、協力者って所だな」

「そういう事を言ってるんじゃないのよ! 大体、協力って、何を協力してもらうのよ!
 術者じゃないんでしょう」

「ああ、術者ではない。だけど、術が使えないとは言ってないぞ」

「な、何よ、それは!」

和麻の言葉に憮然としながらも、霧香は恭也の全身を眺める。

「和麻、こう言っては何だけれど、彼、そんなに強い風には見えないわよ」

そう言い切る霧香の言葉に、和麻が告げる。

「見た目だけで判断してると、痛い目を見るぜ。
 恐らく、アンタ所の部下で、恭也に勝てる奴なんざいない。
 綾乃だって勝てないんだからな」

自分の所の部下が弱いのは知っているが、綾乃よりも強いと言われ、霧香は恭也を凝視する。
しかし、それを口にした人物が和麻という事もあり、その言葉を素直に信じる。
この滅多に褒めない和麻がそこまで言うのならと。
しかし、それを綾乃は勘繰り、ジト目で霧香を眺める。
綾乃の視線の意味を悟りつつ、霧香はそれを受け流す。

「それで、彼はどんな術を使うの」

「いや、何もないぞ」

和麻の言葉に、霧香は思わずからかわれたのかと眼差しをきつくするが、それを押さえ込み、続きを尋ねる。

「どういう意味よ、それは」

「別に、言葉通りの意味だよ、あいつは術者じゃなくて、剣士だってさっきも言っただろう」

「だったら、この件に協力ってのはどういう事よ。
 まさか、アンタの護衛って訳じゃないでしょう」

「護衛か。確かに、恭也が護衛に付けば、かなり安全だな。
 何せ、そっちの世界じゃ引っ張りだこになるぐらいの人材だからな」

「そう、それは良かったわね。でも、対人ではないのよ?
 それなのに、護衛が役に立つの?」

「護衛ってのは、お前が言い出したんだろうが。第一、この件は俺が任されたはずだぞ。
 だったら、俺のやり方でやらせてもらう」

和麻が機嫌の悪そうな声で言うのを聞き、綾乃は内心でかなり驚いていた。

(和麻が他人を悪く言われて、怒るなんて、珍しいものを見たわ)

そんな綾乃の考えを読んだのか、和麻は綾乃を一睨みした後、再び霧香へと視線を戻す。
霧香は和麻の視線を受けつつ、それでも口を開く。

「別にあなたの友達を悪く言うつもりはなかったのよ。
 ただ、私が依頼した件で、何の関係もない民間の人を巻き込む事になると困るのよ」

霧香の言葉に対し、和麻が面倒臭そうに説明しようと口を開きかけるが、そこに恭也の鋭い声が飛ぶ。

「和麻!」

「ああ、分かってるよ」

同時に恭也は前方へ、和麻は後方へと同時に術を発動させる。
が、先に発動したのは恭也の方で、和麻はそれに数瞬遅れて風の刃を打ち放つ。

「嘘!? 和麻より早いの!?」

驚く霧香を余所に、二人の放った術はビルの屋上に居た霊を同時に打ち抜く。

「どうやら、さっきの奴らの仲間がまだ居たみたいだな」

「ああ、そのようだな。で、霧香。
 これで、七体倒したが、それで全部か?」

和麻の問い掛けに、霧香は茫然としていた所をすぐに我に返り、頷く。

「え、ええ、そうよ」

「ったく、それならそうと、もっと早く言えっての」

「そんな事を言われても、あなたたちが何体倒したかなんて知らなかったんだから、仕方ないでしょう」

ぶつくさ文句を言う和麻へと言い返す霧香。
一方で、綾乃は恭也へと感心したように話し掛けていた。

「凄いですね。あの和麻より早いなんて」

「そんな事はないよ。第一、俺の方が先に撃ったのに、着弾は同時だっただろう。
 それに、和麻の方が目標までは距離があったのに」

「言われてみれば」

恭也の言葉に綾乃はその事に気付いて、思わず和麻を振り返る。
と、和麻は胸を張り、偉そうな態度で小馬鹿にしたように一つ笑う。
思わず和麻へと突っ掛かりそうになった綾乃だったが、それよりも早く霧香が和麻へと声を掛けていた。

「和麻、彼は術者じゃないんじゃないの!?」

「ああ、そうだぞ」

「じゃあ、今のはなんなのよ!」

「今のって言われてもな。今のは、術じゃねぇだろう。
 単に霊力の塊を放出したってだけで、術を練ってたか?」

「た、確かにそうだけれど。私が言いたいのは…」

「まあ、術を構成する必要がない分、あいつの術は発動が早いんだよ。まあ、術と呼べるかどうかは別として。
 尤も、それ以外にも理由があるけどな」

「理由?」

霧香が尋ね返す言葉に頷き、和麻は恭也へと話しても良いか目で尋ねる。
それに首肯したのを受け、和麻が口を開く。
綾乃や煉も興味深そうに耳を傾ける中、和麻は話し出す。

「うーん、どう言えば良いかな。まあ、早い話、あいつは精霊の加護を受けているんだよ。
 つまり、あいつに危害を加えようとすると、精霊の力が勝手に発動する。
 別にあいつの意思じゃない。まあ、あいつの意思で多少は操れる事は操れるがな。
 それが、さっきのだ。恭也自身は、術として認識してないから、術として編成されない。
 恭也を加護している精霊が、その時の状況を判断して、力を解放してると思えば良い。
 だから、さっきみたいに矢のようなものが飛んでいくときもあれば、玉みたいなのが飛び出る時もある」

そう言いながら、綾乃の方へと向く。
綾乃は、その意味を悟り、恭也の元へと訪れた夜の出来事を思い出す。

「そうか。だから、和麻の咄嗟の攻撃を小太刀で防げたのね。
 術は体と違って反射的には働かないけれど、恭也さんではなく、その精霊が勝手に術を発動させた。
 ううん、術ですらないんだわ。単に恭也さんを守るため、その力の一端を小太刀に纏わりつかせたのね」

「そういう事だ」

事情は分からないが、和麻の説明で納得した霧香は、しかし、まだ納得できない事があるのかその口を開く。

「でも、一体、どんな精霊の加護なの。それに、精霊が人を加護するなんて…」

「まあ、簡単に言えば、その精霊が恭也に惚れたって所なんだけどな」

「はぁ!?」

和麻の言葉に、今度は綾乃が素っ頓狂な声を上げる。
それを横目で呆れたように一瞥し、和麻は続ける。

「しかも、二人のそれもとびっきりの精霊がな。
 別名、光の女王、闇の女王と呼ばれる精霊だ」

「そ、それって、二極精霊じゃない!」

二極精霊。精霊は大きく分類して、地、水、火、風の四種類に分類される。
このそれぞれの四つの精霊の頂点に立つ精霊を、精霊王と言い、
和麻が契約した風の精霊王、綾乃の祖先が炎雷覇を授かった炎の精霊王などがそれである。
この四つの精霊王を、別名、四大精霊といい、精霊の中でも頂点にたつモノたちである。
しかし、この四大精霊の上にまだ立つものがおり、それが光と闇の精霊王である。
いや、この場合女王と言った方が良いのだろう。
つまり、恭也はこの二極精霊両方からの加護を受けていることになるのである。
ましてや、光の精霊の加護ともなると、当然、恭也を守護する精霊が使う術は光術となり、
風を操る和麻よりも、発動が速いのも頷けるというものである。

「ちょ、ちょっと待ってよ。光術師や闇術師なんて聞いた事ないわよ」

「だろうな。つまり、世界初、光や闇の術を使う術師って訳だ。
 いやー、凄い、凄い。まあ、さっきから言っているように、厳密に言えば、術ではないんだけどな」

和麻の言葉に、恭也は少し困ったような顔をし、綾乃たちは何と言えばいいのか分からず、ただ茫然と立ち尽くす。
そんな中、和麻は一人マイペースに霧香へと声を掛ける。

「まあ、これで恭也が普通じゃない事が分かっただろう。
 で、恭也が手伝う事に異議はあるか?」

「…ないわ。そういう事なら、手伝ってもらった方が良いのかもね」

「まあ、そういう事だ。さて、それじゃあ今日は大分遅いことだし、ここまでだな。
 ほら、お前もいつまでも馬鹿面下げてないで、帰るぞ」

「え、あ、うん。…って、誰が馬鹿面よ!」

喚く綾乃の頭に軽く手を置き、殴りかかってくるのを止めながら、

「霧香、何か分かったら教えろよ」

「え、ええ、分かってるわ」

まだ少し茫然としている霧香にそう声を掛け、和麻はこの場を去る。
その後ろを、綾乃が何か喚きながら付いて行き、恭也と煉はそれを呆れたように見遣ると肩を竦めてお互いに顔を見合わせ、
もう一度、霧香へと振り返ると、頭を軽く下げて挨拶をしてからこの場を去る。
四人の姿が見えなくなってから、霧香は携帯電話を取り出すと、とりあえず、先の七体の霊の件が片付いた事を、
まだその霊を探して走り回っているであろう部下たちへと伝えるのだった。







つづく








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