『ごちゃまぜ8』






海と山に囲まれ、未だに自然を残しながらも発展した都市、海鳴。
その海鳴にある私立の教育機関、風芽丘学園、通称、風校と呼ばれる学園は、数年前に海鳴中央と統合し、
更にその数年後に中、高、大を併設していた彩井学園とも統合して、とてつもない広さを誇る学園へとなっていた。



「…………第三美術室というのはここか」

高等部の芸術科校舎、その三階の奥に位置する教室の前で恭也は掲げられたプレートを確認しながら呟く。
その隣で美由希も同じようにプレートを眺めて、それが間違っていない事を確認する。

「それにしても高等部だけでもかなり広いよね、この学校」

「普通科だけでなく、芸術科に工業科、衛生看護まであるからな。
 しかし、普通科なのに選択授業で芸術の教科があるのはどう思う?」

「そんな事を私に言われても。第一、その選択で美術を選んだのは恭ちゃんでしょう」

「音楽は聞く分には嫌いではないが、自分が歌うとなるとな」

恭也の言葉に苦笑を浮かべつつ、美由希は偉そうに人差し指を一本立て、

「そもそも授業中に終わらす事が出来なかった恭ちゃんが悪いんだから。自業自得だよ」

「同じように授業中に完成させる事ができず、放課後に居残りをさせられている奴には言われたくはない」

「わ、私は恭ちゃんと違って起きてちゃんとやってたもん。
 ただ、遅くて授業中に終わらなかっただけで」

ぶつくさと述べられる美由希の文句を聞き流し、恭也は美術室の扉を開ける。
中には先客が居たようで、突然開いた扉に驚いたようにこちらを振り向く女子生徒たち。

「すみません。使用中だとは思わなかったので。
 えっと、ここで作品を完成させるように言われているんですけれど……」

「ああ、こちらこそすみません。誰も使ってなかったんで、勝手に使ってたんですよ。
 勝手にとは言っても、一応、外間先生の許可は取っていたんですけれどね」

恭也の言葉に応対してくれたのは、一年生らしく場所を譲ろうとしてくれる。
それを制し、端を使わせてもらうからと断る。

「恐らく、先生たちの間でも連絡がまだ行ってなかったんでしょう。
 教室は広いですし、俺たちはこちらを使わせてもらえれば」

こうして無難に話が決まって行く中、対応した少女の後ろでは一際元気そうな少女と、
頭の両脇でおだんごを作ったほわほわした感じの少女が騒いでいた。

「ほら、あれって普通科の高町先輩だよ」

「高町? 何だ、有名なのか? むむ、何処となくキョージュに似た雰囲気。
 できる」

「違うよ、だって先輩は普通科なんだから。勿論、普通科でも上手い人はいるけれど。
 そうじゃなくて、何かね、ファンクラブがどうとかお姉ちゃんが言ってたの」

「いや、俺が言ったのは別に絵が上手いとかじゃなくて、何かこう、雰囲気的に強者というか」

「それを絵で表現するとどんな感じ?」

「そうだな、おうズババッと!」

「って、少しは静かにしなさい!」

後ろで本人たちは聞こえていないつもりだったのだろうが、そこまで広くない故にはっきりと聞こえてくる。
二人へと注意をするのは対応してくれた女の子で、注意した後ひたすら頭を下げてくる。
苦笑しつつもそれを宥め、何となくこのまま名乗らないのもという雰囲気からか互いに名乗り始める。

「俺は高町恭也と言います。こっちは妹の美由希です」

「よ、よろしくお願いします」

「あ、どうも。あたしは野崎奈三子と言います。
 あの騒いでいた二人が……って、お前らは何をしているんだ?」

「ああ、ナミコさん気にしないで紹介して」

「そうそう、オレたちの事は気にせず」

その言葉に従った訳ではないだろうが、後ろで何やら大きめの板を引っ張り出している二人を無視し、
黒髪の少女とポニーテールに眼鏡の少女を紹介する。
一通り紹介が終わった所で、先ほど飛ばされた二人が名乗り始める。

「私は野田ミキ、よろしくね」

「オレは友兼だ!」

ミキの背後にはそれぞれお花畑にキラキラと光る描写が、友兼の背後には雷が何故か見えるような気が、
いや、実際にはっきりとそれが目に見える。背後に置かれた板に描かれているから。

「またそういう事だけは無駄に力が入ってと言うか、早いな」

疲れたように呟く奈三子だった。



何だかんだとあったものの、何故か同じ場所で作業する事になり、人見知りする美由希には珍しく、
既に打ち解けたのか、課題をしながらも山口如月と名乗った少女と色々と話していた。

「ふわー、やっぱり芸術科の生徒だけあって上手いですね」

「そ、そんな事は……」

「あ、この端に描いてある猫可愛い」

「本当ですか!? 他にもあるんですよ」

美由希の言葉に大人しかった少女は少し口調も強く、スケッチブックを捲る。
わぁ〜、とは、ほぇ〜とか擬音を口にしつつ、美由希は如月の描いた絵に見入っていやかと思うと、
不意に携帯電話を取り出して、それを開くと如月へと見せる。
が、その途中で携帯電話を落としてしまい、二人して慌てて拾おうと手を伸ばして頭をぶつけ合う。

「ああ、ごめんなさい、如月さん」

「いえ、こちらこそすみません、美由希さん」

言って互いに頭を下げ、またしてもぶつけ合う。
これを更にもう一回繰り返し、ようやく頭を下げずに謝罪だけを口にし合う。
携帯電話も無事に拾い、お互いに微笑み合って椅子に座ろうとして、
さっきの騒動で椅子が倒れていた事に気付かず、そのまま床へと転ぶ二人。
何の不運か、偶然にも二人の足が絡まり……。

「あう、立てない」

「ああ、ごめんなさい美由希さん」

「いえ、私の方こそ。えっと、これが私の足だから」

「ああ、それは私の足です、美由希さん」

「ごめんなさい。えっと、こっちに来ているのが私の足だから」

「ここをこうすれば良いんじゃないでしょうか。って、私の足がそっちには曲がりませんでした」

何故か中々立ち上がる事が出来ずにいる。
あまりな光景に思わず眺めていたが、このままでは日が暮れると思い助けようとした時、
ようやく二人は自力で起き上がると、何事もなかったかのように椅子を直していない事も忘れて再び座ろうとし、
またしても床に転ぶ。そんな様子を何とも言えない表情で皆が見る中、流石に恥ずかしそうに笑いながら、
二人はようやく椅子に座ると、直前にやろうとしていた携帯電話の画像を開く。

「えっと、そのスケッチブックの猫って、もしかして第一校舎と第二校舎の隙間に居るこの猫ですか」

「ああ、この子です。ああ、可愛く撮れてる」

「偶々、移動している時に寝ているのを見かけて撮ったんですよ。
 他にも……」

「はぁ〜、これもまた」

既に課題の事など忘れたかのように猫の写真に見入る二人。
それに若干呆れつつも、奈三子は自分もまた作業に戻ろうとして、その袖口を両側から引っ張られる。

「残念だけれど、おやつは持ってないよ」

「違うよ、そうじゃなくて、如月ちゃんたちも似た者だけれど、あっちもほら」

「あれも中々面白いと思わないか、ミナコさんや」

言われて友兼が指差す先では、黙ったまま手を動かす二人。
だが、特に面白い事もない上に真剣に課題に取り組んでいるからこそ、互いに無口というだけ。
別段似た者でもないだろう、というのが奈三子の率直な意見なのだが。
それでもミキたちに言われて見ていると、

「……む」

「……ふむ」

どちらも首を傾げ、短く言葉を発すると再び手を動かす。
が、暫くするとやはり手を止めて描いた絵を眺め、

「「…………黒を増やすか」」

互いに黒を更に使うようで、黒のチューブを手に持つ。
よく見れば、二人のパレットの半分近くは黒が出されている。

「ね、何か似てない」

「無口で表情があまり変化しない所もそうだけれどさ、色使いがどっちも黒とか暗色系が多いみたいでさ」

言われて、今度は奈三子も首を縦に振るのだった。



「…………ああー!」

美由希たちも課題に取り組み始め、暫く経った頃に突如として大声を出す友兼。
当然ながら驚いて奈三子たちが友兼を見れば、こちらは頭を抱えて悩んでいる様子を見せる。

「一体どうしたんですか、トモカネさん」

見かねたのか、如月がそう問いかければ、友兼は恐ろしい事に気付いたとゆっくりと喋り出す。

「今まで人物画なら特徴的な眼鏡と転んだ後ろ姿で如月だと認識して合格もらえてたのに!
 これからは高町と見分けが付かないとか言われそうだ!」

「そんな事をしてたんかい!」

大げさに騒いだ割には内容が内容で、思わず突っ込む奈三子の隣で、恭也は平然とそれはいい案だと頷き、

「友兼さん、大丈夫ですよ。美由希は普通科の生徒だから美術科の先生が知っているとは限りませんから」

「おおう、そうか。助かったぜ、高町先輩」

「いえ。それよりも、さっきのは素晴らしい発想ですね。
 今度、人物画のデッサンがあったら、俺は美由希を描こうと思いました」

「いやいや、高町さん! そこは真似してはいけない所ですから!
 そもそも妹さんとは学年が違うじゃないですか!」

「……ああ、言われてみれば」

このメンバーでも、やっぱり奈三子は突っ込みになるようであった。



あれ以来、学園で顔を合わせると会話したりするぐらいに親しくなった恭也たち。
今日は美由希が中庭の掃除という事で恭也が美由希に懇願されて中庭に来たのだが、そこには先客がいた。

「大道さん、どうかしたんですか?」

「高町殿か。別に何かという訳ではないのだが。そちらは?」

「ああ、美由希の奴がここの掃除らしくて泣きついてきまして」

言って見遣る先には、この学園の名物とも言える鶏、おにわとり様に突付かれている美由希が居た。

「なるほど。あれは襲われていたのか。新しい遊びか、戯れているのかと思って眺めていた。
 美由希殿には悪い事をした」

言って雅はおにわとり様に近付くと手を上げる。
途端、それまで暴れていたおにわとり様が一列に整列する。

「す、凄い。恭ちゃん以外にもおにわとり様が懐いているんだ」

美由希の言葉に後ろを見れば、何羽かが雅の号令とは別に恭也の足元に並んでいる。
こちらは構ってくれと甘えるように足に擦り寄っている。
二人は無言で視線を交わし合い、おにわとり様を掃除の邪魔にならないように連れて行く。
隊列を組むように、恭也と雅の後ろにそれぞれ一列に並び、二人が並んで歩く後ろを付いていく。
こうして、学園にまた一つ奇妙な噂話が生まれるのだが、それはまた後日の事であった。




風校GA



   §§



「涼宮ハルヒは魔術という媒介を介す事によって、己の常識を少しだけ変えた」

「つまり絶対に起こりえないという無意識の認識に魔術という未知のファクターを加えた事で、
 僅かなりとも起こりえるという気にさせたと理解すれば宜しいんですね」

事が起こり、ハルヒを除くメンバーが集まって早々、長門と古泉が話し始める。
最初はよく分からない単語が羅列していたのだが、古泉や俺の説明を求める声に噛み砕き、噛み砕き、
ようやく分かる単語になってきた所だ。
が、ちょっと待て。ハルヒは無意識にそんな事はないと思っているからこそ、可笑しな事は起こらないんだよな。
無言で頷く長門に俺は更に問いかける。

「だったら可笑しいじゃないか。魔術なんてものも常識では可笑しな出来事だろう。
 だったら魔術を行ったとしても本当に異世界の扉が開くなんて事は起こらないんじゃ」

「確かに魔術だけを行った場合はそうだったのかもしれませんね。
 これはあくまでも仮説ですが、科学で証明できない出来事というのは実際に世界で例があります。
 その上で今回の大掛かりな仕掛けによる魔術です。もしかしたらという希望が混じった可能性がありますね。
 本来ならそこで何も起こらず、もしくは小さな不思議が起きて終わりとなりますが……」

「今回涼宮ハルヒが行ったのは異世界間のゲートを開く魔術様式。
 本来は外宇宙におけるワープと呼ばれる技術のプログラムを展開した図解だったが、
 幾つか知らない図式も存在した。恐らくは涼宮ハルヒが独自で作り上げたプログラムの可能性がある」

あー、何か。つまりは……どういう事だ?

「簡単にまとめますと、涼宮さんの力が働いたのは今回の魔術の儀式に関してだけという事です。
 いつもなら、この適当に描かれた魔法陣の影響で前みたいなバグが発生する程度だったんでしょうね。
 ですが、今回の儀式ではこれまた涼宮さんの不思議な力の所為か、
 離れた空間を繋げるゲートが予め用意されていた。
 そこに力が発揮され、望んでいた異世界へと繋がるプログラムへと書き換えられたといった所でしょうか」

つまり、最悪な形でハルヒの望みが実現してしまったという事か。
まさに悪魔の悪戯だな、おい。

「そ、それでこれからどうなってしまうんでしょうか」

「幸いなことにゲートは既に閉じていますからね。
 こちらにやって来た異世界人たちを涼宮さんに見つかる前に探し出し、元の世界に送り返せば問題はないでしょう。
 幸い、長門さんが先ほどの魔法陣を覚えていてくれてますし、もう一度だけ涼宮さんに儀式をしてもらえば」

「……駄目」

古泉の台詞に安堵し掛けた朝比奈さんだったが、静かな長門の声に弾かれたように顔を上げる。
いや、朝比奈さんだけじゃなく俺たちも同様に長門を見る。
なあ、長門、一体何が駄目なんだ?

「こちらの世界に周りの空間ごと呼び出され、世界が融合している箇所もある。
 また呼び込まれた世界は一つではなく複数の世界と繋がった」

おいおい、それはいきなり異世界の一部が出現したという事か?
俺の問いかけに長門は頷き、

「幸いすぐに二つの世界を隔てる障壁の展開に成功したと連絡が来ている。
 でも、これらを一度に送り返すには彼らの協力も必要」

彼らというのは異世界から来た人たちか?
協力って何をだ?

「ゲートを開くのは涼宮ハルヒの力で可能。
 けれど、世界が違えばそこにある概念も違って来る。
 ゲートを開いて送り出したとしてもその異なる概念が邪魔をする」

「ああ、そういう事ですか。ですが、それぐらいなら長門さんの方で何とかなりませんか?」

「すぐには無理。異世界には情報統合思念体が存在しない。故にその世界の概念の把握が出来ない」

「だからこそ、協力が必要となる訳ですか」

古泉の言葉にコクリと頷く長門。
まあ、よくは分からないが捕まえるというと語弊があるだろうが、とりあえずは異世界人を捕まえないといけないと。
それで良いんだよな。何だ、古泉、何か文句あるのか。

「いえいえ、ありませんよ。確かに僕たちに出来る事はそれだけですからね。
 とは言え、そう簡単にはいかないでしょうね。
 僕たちと全く違う姿形をしてくれているのなら楽なんでしょうけれど」

言われてみれば確かにそうなんだが。どうなんだ、長門。

「今回こちらに呼び込まれたのは全部で49の世界。
 その内、こちらの世界の有機生命体と異なる姿をしているのは2世界のみ」

おいおい。と言うか、約50もの世界が繋がったのかよ。考えただけでもうんざりするな。
しかも、会うたびに異世界から来ましたかと尋ねるなんて、違ったら間違いなくこちらが変な目で見られる。

「大丈夫。今夜の内にワクチンを作って注入する。それで異世界から来たかどうか分かるようになる」

それは正直助かるな。

「ええ、確かに。それと幾つかの世界は隔絶して封鎖してくださったのも助かりますね。
 まずはそちらから伺えば少しでも時間のロスもなくなるでしょうし」

だな。疲れるが仕方あるまい。よし、それじゃあ頑張るとしますか。
こうして俺たちの異世界人探しは始まった訳だが……。



「で、ここは何処だと思います鉄先輩」

「見た所、竜鳴館ではないようだが」

「ボク、祈ちゃんの魔術でフカヒレを生贄にした所までは覚えているんだけれど……」

「と言うか、そのフカヒレが死んだようにピクリとも動かないんだが」

「祈先生、大丈夫なんですか?」

「……対馬さん、問題ありませんわ。それよりも現状の把握が先です。土永さん、お願いしますね」

「おっしゃー! まかせておけー」

空に向かって羽ばたくオウムを見送り、レオたちはそれとは別に動き始めるのだった。



「さて、ここは何処だと思う美由希」

「えっと、ちょっと見たことないかな」

「家ごとテレポートなんて私やフィリスたちが集まっても無理だよ」

高町家の門前に出て恭也たちは目の前の光景に驚きの声を上げる。

「で、忍、言い訳はあるか?」

「ちょっと待ってよ恭也。私じゃないってば!
 確かにちょっと発明品は失敗したけれど、こんな事は流石に無理よ」

「恭也さん、もしかしたら霊が関係しているかもしれません。
 微かだったので気のせいかとも思ったんですけれど、忍さんの発明品が爆発する瞬間、確かに霊力を感じました」

那美の言葉に恭也は忍から視線を逸らし、改めて目の前の景色を見遣る。
見渡す限りに木々が生い茂り、少し先は下り坂となっている正に山奥という光景に。

「どちらにせよ、少し周囲を見て回った方が良いかもな。かーさんたちは家に居てくれ」

「恭ちゃん、私も一緒に」

「いや、万が一の為にもお前は家に居てくれ」

「もしこれが霊障によるものだったら、私の方が気付くかと思いますから私も行きます」

「だったら、ノエル。恭也と那美と一緒に行動して」

「分かりました」

こうして高町家も事態の把握をするべく動き始める。



「さて、部室を出たらそこは見知らぬ土地という状況な訳だが」

「ふむ、こういう場合はやはり周囲の探索が基本か」

「来ヶ谷、その通りだ。という訳で……」

「って、どうして二人ともそんなに落ち着いているのさ!
 普通に考えて可笑しいよね、この状況! って、皆も何か言ってよ!」

「何かって何をだ?」

「俺に難しい事を聞かれても困るぜ、理樹」

「にゃははは、はるちんも同じく!」

「わふー! そ、その私が思うにです……え、えっと、わふー! ソーリー、アイドントノウ」

「まあ落ち着け。何が起こったのか知るためにも周囲を調べて回ろうと言っているんだ。
 とは言え、流石に単独行動はまずいからな。二手に分かれるぐらいが妥当だろう。
 と言うわけ、ミッションスタートだ!」



「どうして僕たちはこんな所にいるんでしょうか」

「兄貴、おれっちたちは確かに魔法の国へと続くゲートをくぐったはずだぜ」

「でも、どう見ても日本よね、ここ? それとも魔法の国ってこういう所なの、ネギ?」

不思議そうに周りを見渡す明日菜にネギは首を横に振って答える。
その間に刹那が自分たちの足元に一緒に運ばれた荷物がある事を見つける。

「とりあえず、何が起こっているのか確認する為にも武器は出しておきましょう」

封印されたケースを明日菜が殴り、そこから自分たちの武器を取り出す。
その上で周囲を見渡せば、電柱柱に自動販売機。既に夜暗いからか街灯には明かりさえ灯っている。
首を傾げつつ、ネギたちは慎重な足取りで歩き始めるのだった。



49の世界が一つの世界と繋がり、キョンたちの人探しの日々が始まる。
繋がった世界は全てが平和な世界とは限らない事をこの時はまだ考えてさえいなかった。
果たしてキョンたちは無事に元の世界の形を取り戻せるのか。



涼宮ハルヒの世界 〜49世界融合〜



   §§



海鳴商店街の中に軒を連ねる一つの店、翠屋。
ケーキやシュークリムが評判の喫茶店である。
その店内は休日という事もあってか、昼過ぎだというのに学生らしき者の姿が多く見られた。
割合としては男性客よりも女性客の方が多いのは、
やはりケーキやシュークリームといったスイーツが売りだからだろうか。
そんな多くの女性客の中にあって、更に目を引く美少女と呼んでも差し支えのない二人が奥の席にいる。
一人は軽くウェーブの掛かった長い髪をしており、もう一人は短めの髪をした少女である。
長髪の少女の方は少し剥れたような表情でカップを手にしたまま、何か言いたそうにもう一人を見詰める。
その視線を綺麗に受け流し、短髪の少女は煽るかのように目を閉じて、殊更優雅にカップを口元に運ぶ。
ダン、と音を立てて長髪の少女がテーブルを叩いて抗議するも、短髪の少女は煩わしそうに目を軽く見開くだけ。

「聞いているの、ななちゃん!」

「はいはい、聞いているから落ち着きなさい。他のお客さんの迷惑になるでしょう、日菜」

ななちゃんと呼ばれた少女、司七海は日菜を嗜めつつもそちらを見ようとはせず、
その事で更にヒートアップしたのか、日菜はもう一度テーブルを叩く。

「今日は薄い御本を買いに行く予定だったのに!
 どうしてななちゃんの買い物に付き合った挙句、こんな所で暢気にお茶をしてるの!」

「それに関しては最初に言ったように、私に借りを返すためでしょう。
 そもそも、こうして休憩しているのだって日菜が疲れたと言うからじゃない」

「疲れたんだから仕方ないでしょう。大体、服一枚買うのにあんなに歩き回ったり、あんな人ごみを……。
 思い出しただけでも疲れる……」

言ってテーブルに突っ伏す日菜に七海はよく分からないという顔を見せる。

「前にバーゲンだって騙されて言った国際展示場よりも人ごみは少ないわよ」

「あれはお値打ち物を手に入れるお祭りだもの。寧ろ、あれはまだ人が少ない方よ」

「はいはい」

「って、軽く流さないで!」

身体を起こしたばかりか、席から立ち上がり抗議する日菜をそれでも七海は軽くいなす。
流石にこの辺りは親友として培ってきた経験があるだけの事はある。
が、やはりと言うべきか、日菜の方はそんな七海の態度に更に機嫌を損ね、
腕を振り回し更に文句を言おうと口を開く。

「相羽さん、その辺で」

が、そこから文句が紡ぎ出される前に店員に止められる。

「あ、高町先輩。聞いてください、ななちゃんが酷いんです」

「って、高町さんに何を吹き込む気よ!」

それまで軽く受け流していた七海がここに来て手を出す。
と言っても叩いたりするのではなく、腕を引っ張って日菜を強引に座らせただけだが。

「すみません、ご迷惑を」

「いえ、別にそれほど騒がしかった訳ではないですから。
 司さん、そんなに気にしないでください」

やって来た店員、恭也の言葉に七海は頷きつつ日菜を軽く睨む。
が、当の本人はさっきまでの七海よろしくその抗議の視線を受け流し、鞄から携帯ゲーム機を取り出す。

「高町先輩、今日はなのはちゃんはお店にいないんですか?
 居たら今から狩りに誘おうと思うんですけれど」

「今日、なのはは家に居ると思いますよ」

「そっか、それは残念。なのはちゃんの援護はとっても的確で狩りし易いんだけれどな」

「って、アンタはこんな所でまた」

「相羽さんらしいですね」

ゲームのスイッチを入れた日菜に突っ込む七海と、微笑を見せる恭也。
そんな二人を特に気にするでもなく、日菜は立ち上がる画面を見詰める。

「近くに誰かいないかな」

「ちょっと日菜、本格的に始めないでよ。この後も買い物があるんだから」

「え〜、もう疲れた、歩けない。……って、誰もいないか。
 うーん、そうだ。高町先輩、お家にお邪魔しても良いですか?」

「って、何を言ってるのよ。そんなの良い訳ないでしょう」

七海が日菜を止めるが、恭也は別段問題ないと日菜の言葉に頷く。
逆に七海の方が驚いて恭也を見るのだが、恭也は日菜へと更に話し掛ける。

「なのはも家に居ると思いますし、その狩りとやらをするんでしょう。
 ああ、念の為になのはに電話してからになりますけれど」

「ええ、それじゃあお言葉に甘えて」

「だから、買い物があるって言ってるでしょう」

なのはへと電話しに行った恭也に手を振る日菜に抗議するも、日菜は恭也の労力を無駄にするのかと言い返す。
思わず言葉を詰まらせる七海を見ながら、日菜は何か思いついたのか小さく笑う。

(この間の意趣返しさせてもらうよ、ななちゃん)

その笑顔を見た七海は日菜が何か企んでいると気付き、警戒する。
そこへなのはとの電話を終えた恭也が戻ってくる。

「なのはがお待ちしていますと伝えてくれとの事です」

恭也の言葉に日菜は嬉しそうに手を合わせ、続いてわざとらしく若干棒読みな感じで喋り出す。

「ああ、でも私が行っちゃうとななちゃんの荷物持ちがいなくなっちゃうね。
 そうだ、高町先輩これから空いてます?」

「一応、店も落ち着いてきたので後少しであがる予定ですけれど」

それを聞いた瞬間、七海はすぐさま日菜の考えている事に思い至る。
前に徹夜でゲームを買うために並ぶのに付き合えと言われ、
それを引き受けて実際には高山庵太を行かせた事がある。
つまりは、前に自分がやった事と同じ事をしようとしているのだ、この目の前の親友は。
止めるべく手を伸ばした七海であったが、それよりも若干早く身を引き、

「だったら、ななちゃんの荷物持ちしてもらっても構いませんか?
 お礼に今度学食でお昼奢りますから。勿論、ななちゃんが」

「俺は別に問題ありませんが、司さんが嫌がりませんか?」

「それはないですよ。ねぇ、ななちゃん」

完全にやられたと思いつつ、ここで断ると恭也を嫌がっているとも取られかねないため、
七海は笑顔で今日の言葉を否定する。その上で既に割り切り、どうせなら楽しもうと考える。
こうして急遽予定の決まった恭也と、恭也が終わるまでこのまま待つ事となった七海を残し、
日菜は高町家へと向かうのだった。

「まあ、日菜には恨み言半分、感謝半分って事にしておくか……って、また自分の分、払わずに!」

手元に残った伝票だけを見て、七海は残る感謝さえもどこかに吹き飛ばす勢いで思わず叫ぶのだった。



あきばハ〜ト



   §§



「恭ちゃん、大変、大変!」

慌てた声を上げ、玄関も開け放したまま靴もぞろろに脱ぎ捨てて、家の中を走って来るのは美由希である。
あまりの慌てぶりに溜め息を吐きつつ、恭也は美由希に落ち着くように言うのだが、

「それ所じゃないの! 恭ちゃんにお客さんが来ているの。
 今、翠屋で待っていてもらっているんだけれど……」

「客? 一体誰だ?」

「パイって名乗る女の子なんだけれど、恭ちゃんは知らないの」

「記憶にはないな。で、それだけで何故そこまで慌てる?」

「そうだった! その子、私が見つけるまで、と言うか、引ったくりにあった所を助けたんだけれど、
 兎に角、その子、道行く人に不破恭也か不破士郎を知らないかって聞いてたんだよ!」

美由希の言葉に恭也は僅かに目を細める。

「ただ悪意とかはないみたいだったから、単純に名前が変わったのを知らないだけみたいだったけれど。
 でも、あんまり連呼されるのもどうかと思って、慌てて店に連れて行ったの」

「中々良い機転だ。……と言いたいところだが、そこまで気を回すのならここに連れて来い」

「だって、もし悪意を隠して探していたら危ないじゃない」

「その可能性を考え付いた所までは褒めてやるが、だとしたら母さんの傍に置いてくるな、馬鹿弟子」

「あうっ。だって、高町になっているって知らないって事は大丈夫だって思ったんだもん」

「はぁ、母さんがその子の相手をして話してしまうかもしれないだろう。
 そもそも、悪意を隠しているかもと思ったのなら、わざと旧姓で探していたかもとか考えないのか」

落ち込む美由希を無視して立ち上がると、恭也は玄関へと向かう。
その後に続く美由希へと悪意を本当に感じなかったのか尋ね、それに頷いたのを見て、
それでも念の為と足早に翠屋へと向かう。
二人が翠屋へと着くと、その件の少女は店の一番奥の席に落ち着きなく座っていた。
傍まで二人が近寄ると顔を上げ、美由希をまず見る。
次いで恭也を見て、

「フワキョウヤ?」

「ええ、そうですけれど、貴女は?」

「キョウヤッ!
 アヒタカタヤットアエタ。
 チベットカラ何年モカカタヨ」

恭也の肯定の言葉を聞くなり、少女――パイは恭也に抱き付く。
混乱する恭也が助けを求めるように美由希を見るが、美由希は拗ねた顔をしてそっぽを向き、
視線を感じてそちらを向けば、桃子が楽しそうな笑みを浮かべてこちらを見ていた。
助けは期待できないと悟り、恭也はパイが落ち着くのをただ大人しく待つしかないのであった。

ようやく落ち着いたパイから話を聞ける状態になり、語られた話を聞いて恭也と美由希は思わず顔を見合わせた。
パイの話を要約すると、十年か、それ以上前にチベットの山奥で士郎と会った事があるというものであった。
吹雪の中、食料をなくした上に足を滑らして怪我をした士郎を介護した所、お礼をすると言われ、
そこでパイは自分が人間ではない事を話し、人間になりたいと語ったという。
士郎が何処までその話を本気と受け取ったのかは分からないが、パイと約束をして日本に来るように進めたらしい。
実際はパイの話を信じておらず、ただ身寄りのない女の子を引き取るつもりだったのかもしれないし、
様々な人脈を持つ士郎の事だから、本気で捉えたいたのかもしれない。
それは既に当人亡き今となっては分からないが、兎も角パイはその言葉を信じてここ日本までやって来たのだと言う。
パイの姿を見れば、ボロボロと化した布といった感じの服に大きなリュック一つである。
話を聞けば、ずっと歩いてチベットの山を降り、大陸を横断して海を渡り、
日本に付いた後もひたすら歩き回ったらしい。
それは何年も掛かると納得すると同時に、連絡先を教えておけと思わず父に恨み言を零す恭也であった。
ともあれ、話を聞き終えた恭也は桃子にも簡単に事情を説明しパイを家へと連れて帰る。
同時に美由希に那美へと連絡を取ってもらい、パイが言っていた三只眼吽迦羅に付いて尋ねるも、
そちらはあまり収穫はなかった。

「とりあえず、実家とかにも聞いて調べてくれるって」

「そうか、それは助かるな。正直、そっち方面はどう調べたら良いのかさえ分からないからな」

「那美さんに感謝しないとね」

この時は二人ともまだ楽観的に考えていた。

「お師匠に美由希ちゃん、お帰りなさい。あ、お客さんですか。今、お茶の用意をしますから」

「ああ、ただいま。何かあったのか、臨時ニュースなんて」

「ああ、それですか。何でもこの近くに大きな人面鳥が出たいうて……」

「ああ、タクヒ!」

家に着き、レンが見ていたテレビを見てパイが騒ぎ出したことから事態は変わり始めた。
どうやら、その暴れている人面鳥はパイが持っていた杖の中に居たパイの友達らしく、
混乱して暴れているから落ち着かせると言って出て行く。
慌ててその後を追う恭也と美由希。臨海公園までタクヒを追いかけたパイたちであったが、
混乱しているのか暴れ続けるタクヒはその凶悪な爪をパイに向ける。
それを庇い、恭也は致命傷となる一撃をその身体に受け、美由希が叫ぶ中、パイの額に瞳が現れる。
直後、強烈な光が溢れ、恭也は元より美由希も意識を失う。
二人が次に気が付いた時には、同じく意識を失って倒れているパイと、その傍らに落ちている杖だけで、
さっきまでの騒動がまるで嘘のように静まり返り、恭也は服は破れているものの、何故か傷一つ負っていなかった。
疑問に思いつつも、恭也は気絶しているパイを抱き上げると、美由希と二人高町家と帰るのであった。

――そして、運命は回り始める。



御神の无



   §§



覚悟を決めた表情で電話を手にするのは、有馬グループの後継者である有馬哲平である。
彼は先程、自らの決意を侍女である優に告げ、その為の手段を選ばないと断言した。
それを今から実行するべく、多少の申し訳ないという気持ちを抱きながらも記憶にある番号をプッシュする。



「……という訳なんです。図々しいお願いだと承知しています。
 でも、力を貸してください、恭也先輩!」

電話から聞こえる元美由希の同級生にして、
恭也とも顔見知りである哲平の言葉に恭也はそう時間を掛けずに了承の意を口にする。
哲平の覚悟を悟ったからか、自分たちの振るう剣術を知る数少ない友人からの助けを求める声だからか。
どちらにせよ、その答えは恭也自身にしか分からない事だが、恭也は哲平の頼み事を引き受けた。
引き受けたからの恭也の動きは速かった。
美由希へとすぐさま声を掛け、数分で装備を整えると十分と掛からずに家を出たのであった。
そうして、恭也と美由希は空港へとやって来て、哲平が同じ学校の少女と話しているのを遠目に見詰める。
やがて話を終えてこちらへとやって来る哲平に、二人は軽く手を上げる。
そんな二人に感謝の念を込め、哲平は小さく頭を下げる。

こうして、国賓列車グランド・ヘイゼルリンクに軟禁されている王女、シャルロットの奪還作戦が幕を開ける。



とらいあんぐるラバー



   §§



海鳴市の西側に位置する風芽丘学園。
女子の制服のバリエーションの多さを除けば、ごく普通の学園である。
そんな学園の一年の教室で事件は起こった。

「ぎゃっ!」

短い悲鳴を上げ、男子生徒の体が宙を舞う。
背中から落ちた生徒は、しかし慣れた様子で制服に付いた埃を払い、ゆっくりと起き上がる。
その少年の下へと一人の女子生徒が駆け寄る。

「ご、ごめんなさい〜、伊織君!」

長い髪のどこかほんわかとした少女がそう口にして謝る。
そう、この少女こそが先程伊織と呼ばれた少年を吹き飛ばした張本人であった。
その細い腕の何処にあれ程のパワーがあるのだろうか。
先程の体育の授業により、他に着替えから戻ってきた生徒はおらず、
唯一の目撃者となった美由希は思わずそんな事を思う。
当然ながら、それに気付いた二人は気まずそうな顔を見合わせ、やがて少女の方が美由希へと近付く。

「高町さん、この事は内緒にしてください」

そう頼み込んでくる。事情がよく分からず、困惑した表情を見せる美由希へとクラスメイトの新谷奈々が話し掛ける。

「陽向(ひなた)は男の子に触られると殴っちゃう癖があるのよ。
 それは許婚である伊織が相手でもそうみたいでね。こうして見ると面白いでしょう」

目を輝かせて本当に楽しそうに言う奈々に、美由希は目の前の少女、陽向という少し前に転校してきた少女を見る。
どうやら嘘ではないらしく、陽向は奈々の言葉を肯定するように頷き、もう一度内緒にしてくれるように頼んでくる。
美由希はそれを聞いて、陽向に内緒にすると約束を交わし、そこで今更のように驚いた声を上げる。

「許婚!? え、え、倉賀くんと酒井さんってそういう関係なの!?」

美由希の驚きに陽向は照れつつも嬉しそうな顔で肯定し、伊織は恨めしそうな目で奈々を睨みつける。
一方、内緒であるはずの事を話した奈々は悪びれもせずにただ笑いながら、美由希へと顔を近づける。

「そういう関係も何も、既に陽向は伊織の家で同棲中よ」

「ど、同棲!?」

「違う、同居だ! うちには姉さん達もいるだろう!」

再び上がった美由希の驚愕の声に、伊織はそう反論するも隣で陽向は照れつつもやはり嬉しそうに身を捩っている。
同棲という言葉に何やら想像しているらしいが、伊織はそちらには気付かずに奈々へと詰め寄る。
好き勝手に喋る奈々へとこれ以上何も喋るなと睨みつけ、しかし、そんなものを綺麗に受け流し、
更に笑みを深めると、

「因みに伊織には二人のお姉さんが居て、一人はブラコンで陽向と三角関係。
 もう一人は生徒会長なんだけれど、こっちはブラコンじゃなくて、普通で面白くないのよね〜」

「生徒会長って、あの冷たい目で蔑まれたいと噂される?」

「って、前よりも噂が悪化している!? って、誰がそんな噂を!?」

伊織が堪らずに突っ込むも、やはりそれはスルーして奈々は面白くないとばかりに唇を尖らせる。

「会長さんも伊織ラブならもっと面白かったのに」

勝手な事を言う奈々の頭を軽くチョップして黙らせると、伊織はじろりと睨みつける。

「姉さんがいなかったら、俺の家での平穏はなくなるんだぞ」

何故か納得してしまいそうになるぐらいに非常に力強い声でそう言う伊織に、
美由希はただ苦笑を見せるしかできなかった。



「倉賀さんって弟さんいます?」

昼休み、一緒に昼食を食べていた那美が不意にそう口にする。
その言葉に驚いたように喉を詰まらせ、咽ながら胸を叩く和奏(わかな)の背中を擦ってやりながら、
那美は何か悪い事を口にしただろうかと首を傾げる。
そんな那美に気付いたのか、まだ少し咳き込みながらもどうにか落ち着きを取り戻し、
平静な顔を保ちながら、何故そんな事を聞いたのか尋ねる。

「いえ、私のお友達がここの一年生さんなんですけれど、その前の休み時間、
 教室移動の時に見かけて声を掛けたら、紹介されたんです」

実際にはその少年を含め、他に二人の女子生徒から絡まれているように見えて助けに入ろうとし、
そこで足を滑らせて転んだ、というのが正解なのだがそこは伏せておく。
転んだのは、伊織という少年が奈々という少女へと文句を言いながら迫っている場面を、
その隣にいた美由希に迫っていると見間違えて慌ててしまったためだが。
ともあれ、転んだ事は勿論の事、まさかただ話しているのを勘違いしたとは言い難い。
その時に紹介された名前と、奈々という少女が口にした姉という言葉にもしかしてと軽い気持ちで尋ねたのだ。
姉が居ると口にした所で奈々は伊織に口を塞がれていたが、仲の良い者同士でじゃれているだけだろうと
気にも止めずにいたが。今の反応を見ると、ひょっとして乱暴な子なのだろうか。
美由希の事を心配して和奏へと質問しようとした那美であったが、先にその肩に手を置かれ、
やや座った目で見詰められる。

「その友達というのは当然、女の子よね。もしかしてだけれど、その子はうちの弟に興味があるのかしら?」

肩に置かれた手にぎりぎりと力が入り、那美はやや顔を引き攣らせつつもそれはないと断言する。
同時に手から力が抜け、和奏は何事もなかったかのように座りなおす。
その反応を見て、那美は何か悟ったのかポンと小さく手を叩くと、邪気のない顔で言う。

「倉賀さん、弟さんの事が好きなんですね」

別に乱暴者とかいう訳ではなく、単にそういう事かと納得しての言葉であったが、
和奏は口にしていた物を丁度飲み込もうとしていた所であったらしく、またしても激しく咽る。
慌てて背中を擦る那美の手を掴み、涙目になりながらも和奏は睨むように那美を見上げ、

「そんなんじゃないわよ!」

やたらと低い声でそう口にするのだが、那美は全て分かってると言わんばかりの笑顔で、

「そうですか、分かりました」

「あんた全然、分かってないでしょう! 別にわ、わた、私は伊織の事なんて……」

言葉の途中で照れて俯く和奏。同年代の少女たちと比べても成長がやや遅い感のある彼女の仕草に、
那美は笑みを深めて分かっていると頷くのであった。



生徒会室。言わずもがな、ここは生徒会たちが会議をしたり、放課後仕事をしたりする場所である。
とは言え、昼休みの今は誰も居ない部屋の一つである。
が、例外は何事にもあり、本日はここに一人の生徒が居た。
というと大げさに聞こえるかもしれないが、単に弁当を食べているだけである。
勿論、ここに出入りできるという事は生徒会のメンバーである。
生徒会長の倉賀葉澄(はすみ)である。
そこへ来客を告げるノックがされ、葉澄の返答を聞いて扉が開けられる。

「失礼します」

「いらっしゃい、高町さん」

そう言いながら入ってきたのは恭也であった。
恭也は購買で買ったと思われるパンを手にし、葉澄の向かいに腰を下ろす。

「今日は遅かったわね」

「ええ、ちょっと購買が混んでまして」

「そう、なら仕方ないわね。それじゃあ、早速だけれど……」

言って葉澄はゆっくりと口を開き……、

「昨日、伊織と一緒に買い物に行ったんだけれど、その時にね」

恭也が座るなり、弟の事を嬉々として話し始める葉澄。
そこに噂されている凛とした会長の姿はなく、ただ単に弟を可愛がる姉としての姿があった。
そんな弟にまつわる話を嫌な顔一つせずに恭也は黙って聞き、
ようやく葉澄の話が終わると感想のようなものを口にする。
続いて、今度は恭也がなのはの話を始める。その顔はいつもよりも柔らかく、目元などは若干垂れている。
ようするに、こちらも妹の話を嬉々として始めた訳である。
そして、これまた葉澄は嫌な顔をせずに恭也の話を聞くのである。
早い話、二人ともシスコンにブラコンなのである。
ただし、表立ってはそれを隠しており、偶々互いにそうであると知る事となり、
こうして他の人に話す事もできなかった二人は意気投合して、昼休みの度にこうして話をしているのであった。
当然、話題は妹と弟の話ばかりで、なのはがどうしただ、伊織がこうだと延々と語る。
流石に毎日という訳にはいかないが、結構な頻度でこうして密会が繰り広げられているのである。
やがて、互いに話が落ち着いた頃、恭也が持ってきていた鞄を机の上に置いて開ける。

「倉賀さん、もしよければどうぞ」

言って鞄から猫のぬいぐるみを取り出す。
出てきたそれに顔を輝かせながら、ゆっくりと手を伸ばして受け取り、やや上擦った声で尋ねる。

「こ、これは……。どうしたの、これ?」

「なのはが昨日、クレーンゲームで取ったんですが、少し取り過ぎまして。
 流石に数が多かったので、もしよければと思ってなのはから貰ってきました。
 前に確か、こういうのが好きだと言ってましたよね」

恭也の言葉に心ここにあらずといた感じで頷き、ほわわんと口に出てきそうなぐらいに相好を崩し、
受け取ったぬいぐるみを抱き締める葉澄。
が、ふと思い出したかのように、葉澄もまた鞄を開けて中から小さなラッピングされた袋を取り出す。

「私の方も忘れる所だったわ。それ、前に貴方の妹さんが欲しいと言っていた髪飾りよ。
 偶々、昨日見掛けたから買っておいたんだけれど、もしかしてもう買っちゃったかしら?」

「いえ、ありがとうございます。正直、俺一人でこういうのが売っているような店には入りにくいですからね」

「そう、なら良かったわ」

葉澄から包みを受け取り、恭也は渡した時のなのはの反応でも考えたのか、少し相好を崩す。
葉澄も再びぬいぐるみを抱き締め、相好を崩しており、沈黙が生徒会室に落ちる。
が、二人はそれを気にする事無く、暫し気と顔を緩めたままでいるのだった。



Sweet Heart



   §§



「さあ、どうする? 私は強要も要請も嘆願もしない。決めるのはあくまでもお前だ。
 私はただ、お前が決めた事に従うのみ。私が持ちかけるのはあくまで契約なのだから」

全身血塗れで倒れ伏す恭也の耳元に、遠くから囁かれている様にも感じられる声が届く。

「選ぶのはお前だ。私と契約を交わし、人外と成り果ててもその意思を貫くか。
 それとも、ここで無様に屍を晒し、その信念を果たせずに朽ち果てていくか。
 全てはお前次第。私はただそれに従おう」

男とも女とも判断の付かない声に、恭也は無事な方の片目を向けるも、その瞼も半分閉じかけている。
骨でも折れているのか、自由にならない右腕を前に伸ばし、潰れた喉で何かを口にしようとする。

「ああ、無理に喋らなくても良い。お前はただ思うだけで良い。
 好きな選択肢をな」

喉の奥で笑いながら、声の主は言葉に鳴らない恭也の声に大した感慨もなく、ただそう告げる。
何処か楽しむような、答えが既に分かっているような声に、しかし恭也はそれでも選ばざるを得ない。
僅かに振り絞るように紡がれた声に、恭也は全ての思いを込めて吐き捨てる。

「この悪魔め……」

「悪魔か。中々良い表現をする。だが、私は代償として何も求めていないだろう」

声の主は恭也の言葉に気分を害する事もなく、ただ恭也を見下ろすだけ。
そういう奴だと分かっていながらも、恭也は顔を顰め、そして決断をする。

「くっくくく。選んだな、恭也。たった今、この瞬間より契約は成された。
 ようこそ、恭也。人外の跋扈する闇の世界へ。死と殺戮の舞台へ。
 これよりお前は新たな住人としてその力を好きに振舞うが良い。
 奪うのも自由、殺すのも自由。その力はお前の物だ。その力で何を奪うのも、何を成すのも全て自由だ」

声の主が楽しそうに笑う中、恭也の致命傷とさえ思われる程の傷がたちまち修復していく。
折れていた骨は元通りに戻り、潰れていた左目も問題なく開く。
そんな自身に起こる現象を呆然と受け入れながら、頭の片隅で恭也は冷静に自分の力量を測る。
そこへまたしても声が落ちてくる。

「今回は契約のサービスとして怪我の治療をしておいた。
 本来なら、そこまでの怪我は一瞬では治らないから今後は気を付けるんだな」

「……礼でも言えば良いのか」

起き上がりつつ憮然と呟く恭也に対し、声の主はやはり変わらぬ楽しげな声を上げる。

「別に礼などいらないさ。初めに言った通り、私はただの傍観者。
 契約を持ちかけはすれど、それ以上の干渉はしない。今回のそれも単なる気紛れ。
 それより、こんな所で私と話などしていて良いのか? 今頃、お前の大事な家族たちは……」

声の主が言い終わる前に恭也は走り出す。
その姿は契約前と何一つ変わってはいないが、その速度は以前よりも明らかに速い、いや、速過ぎる。

「元より鍛えていたというのもあるが、根底が半分こちら側であった所為か、契約直後とは思えぬな」

やはり楽しげにそう漏らし、声の主は恭也の去った方を見詰める。
最早何もない、ただの暗闇にしか見えないが、まるで全てを見通すかのように微動だにせず、

「本当に礼などいらないさ、恭也。契約を交わしたばかりのお前が、すぐに壊れては面白くないからな。
 私はただお前がこれから紡ぐ物語を楽しませてもらいたいだけなのだから……」

そんな呟きを残し、声の主は闇に溶け込むかのように消えていった。



事の起こりは今から一ヶ月程も前の事である。
大学へと進学した恭也は勉学の傍ら、リスティから時折来る護衛をしていた。
その日も護衛の依頼を引き受けて雇い主の元へと訪れるはずであった。
過去形なのは、別に行かなかったからという訳ではない。
リスティと共に雇い主の屋敷へと行く事は行ったのだ。
ただし、恭也たちが屋敷を訪れた時には既に物言わぬ屍と化していたのである。

「……常識を疑うね」

「ええ、本当に」

両開きの扉を開けるとそこは広いエントランスとなっており、突き抜けの天井からは豪華なシャンデリアが吊らされ、
二階へと続く階段は両側から中央へと緩やかな曲線を描き、大ホールとも言える佇まいを見せている。
が、そんな光景に似つかわしくないものがその中央にあった。
依頼主であるこの屋敷の主人の首。
首から下は見当たらず、頭部だけがそこに客を迎え入れるかのように玄関を向いて鎮座していた。
三十人は裕に入るであろうエントランスの中央の床にポツンと置かれた生首。
恐怖に引き攣った表情のソレはまだ生々しく、そう時間は経っていないであろう。
だが、異様なのはその生首だけではなかった。
まるでその生首を飾り立てるかのように、床には血で描かれたと思われる魔法陣。
ご丁寧に六芒の頂点にはそれぞれ燭台が置かれ、その上では蝋燭が今も炎を燃やしている。
閉め切っていた所為か、煙だけじゃなく、血と蝋の溶ける匂いが辺りには立ち込めており、二人も流石に顔を顰める。

「かなり本格的な魔法陣だね。周りに書かれている文字も英語ではないようだし……」

「適当に書いたという事も考えられますが……」

注意深く手がかりがないか辺りを見るが、手がかりになりそうなものは何一つ落ちていない。
肝心の首から下の身体は恐らくは別の場所、恐らくは殺害現場にあるだろうとは思うのだが、
ここから先は警察の仕事だろうとリスティは恭也を促して一旦、外へと出る。
流石に外の空気は中とは違い、二人は知らずほっと息を吐く。
が、その顔は晴れやかとは言えない。

「警察の方には既に連絡を入れたから、僕は彼らが来るまで待っていないといけない。
 恭也はどうする?」

まだ護衛を引き受ける前であったため、恭也は部外者とも言える。
尤も第一発見者という事でこの場に残って証言してもらう必要はあるかもしれないが。
正直、ここに来た理由などを聞かれて面倒な事にはなるだろうが仕方ないと恭也はその場に留まる事を選ぶ。
が、不意に背筋に寒気を感じ、恭也は周囲を見渡す。
郊外から離れた木々が生い茂る自然が豊かな中に立つ洋館。
周囲は特に不審と思うようなものもなく、とても静かである。
いや、静か過ぎる。これだけ自然があれば、少なくとも何らかの生物が居て可笑しくはない。
だが、鳥の鳴き声は愚か、そういった気配が全く感じられないのだ。
今になってそれに気付き、恭也は警戒心を高める。

「どうかしたのかい、恭也?」

表情を強張らせた恭也にリスティは小声で囁くが、
恭也は何でもないと告げると気分転換を理由に散歩してくると告げる。
リスティは少し考える素振りを見せるも、すぐにそれを了承する。

「ただし、犯人がまだ近くに居る可能性もあるから充分に気を付けてね。
 それと何かあればすぐに知らせる事」

「分かりました」

リスティの言葉に答え、恭也は慎重に木々の中へと踏み入る。
特にこれといったものはなく、ただ周囲の気配がより薄いと思われる方へと向かう。
静寂に支配された木々の間を進む内、恭也は開けた場所に出る。
そして、そこで出会う事となる。
頭からすっぽりと全身を覆うようなローブを被り、特に何をするでもなく腰を下ろして座っている人物。
ただそこに居るだけなのに周囲を威圧するような気配を放つ。
さっきまで何も感じなかったというのに、その存在を見た瞬間に呼吸さえも困難に陥るぐらいの濃密な気配。
知らず震えだす膝を堪え、恭也は細心の注意を払いつつ声を掛ける。
自分に声を掛けていると理解するの数秒要し、その人物は喉の奥で小さく笑う。

「まさか、私を見付ける者が居ようとは。一体、どれぐらい振りの事だろうか。
 して、用は何だ人間」

楽しげに話し出すと、フードの奥からじっと恭也を見詰める。
更なる重圧を感じつつも、恭也が踏み止まるとその人物は更に楽しそうに笑う。
これが高町恭也にとっての最悪との出会いである。



とらいあんぐるハート 外伝



   §§



『お願い、誰か……』

その日、その声を聞いた者が数人居た。
詳しくは語られない、いや、語る程の時間がなかったのか、弱々しい性別の判断も付かない声。
ただ、求められているのは助けというたった一つの願い。
しかし、それは声の主を助けるというものではなく、迫る闇から世界を救えと言う、
それだけを聞けば怪しげな台詞である。
だが、声を聞いた者たちはそれが決して嘘でも虚言でもないと何故か感じ取れ、結果として動き出す事となる。

「ってな訳で、暫く旅に出ることとなった」

「……恭也の事だから冗談じゃないってのは分かるけれど、一応、病院に行った方が」

「何気に酷い事を言ってくれるな、高町母。残念ながら俺は至って正気だ。
 因みに美由希も聞いたらしいぞ」

「あははは、夢っていう感じじゃなかったし、それにこれ」

言って美由希は掌を開き、握っていた物を桃子へと見せる。
それは青い宝石のようなものであった。恭也も同様に似たような宝石を見せる。
こちらは色がエメラルドグリーンである。

「で、これが何?」

当然の如く疑問を口にする桃子へと美由希が説明する。

「私もよく分からないんだけれど、クリスタルって言ってたよ。
 何でも後二つ、火と土のクリスタルがあって選ばれた戦士がいるって」

「はぁ、まるでゲームの中の話みたいですな」

それまで黙ってやり取りを見ていたレンがそう口にすれば、その横で晶もうんうんと頷いている。
先程まで眠そうにしていたなのはは目を輝かせ、面白そうに話を聞いている。

「起きたらそれが手の中にあった。夢と判断するには符号が合っているからな」

「もしかしたら、護衛の依頼とその依頼料という可能性もあるかもしれないしね」

「いや、流石にそれはないだろう。
 俺やお前に気付かれずにここまでやり遂げるのなら、わざわざ俺たちに頼むとも思えん。
 人数が居るのだとしても、ここまで手の込んだ事をするなら普通に頼めば良い事だし」

「ですよね」

恭也の言葉に美由希も本気ではなかったのかあっさりと引き下がり、改めて桃子へと顔を戻す。

「事態が全く分からないので、とりあえずは那美さんの所へ行こうと思うんだが、
 状況次第ではそれこそすぐに出立になるかもしれないから、先に言っておこうと思ってな」

恭也の言葉に納得しつつ、桃子は暫く考え込む。
とは言え、既に二人は行く気なのは見ても分かるし、仕方ないと二人を送り出す事にする。
勿論、充分に身体に気を付けることを言い含め。
こうして恭也と美由希は荷物を手にまずはさざなみ寮へと向かう。



「……ってな夢を見たんですけれど」

「あー、ネタに使うにはちょっと足りねぇな。もうちょっと詳しい設定をくれ」

「いや、別にネタのつもりはないんですけれどね。
 兎に角、俺も変な夢だとは思ったんですけれど、起きたらコレを握ってまして」

言って耕介は真雪へと宝石を見せる。
それは奇しくも恭也たちが桃子に見せたクリスタルとそっくりで、色が違うだけであった。

「んー、トパーズって訳でもないか。どっちにせよ、今日は焼肉だな。もしくは、ふぐでも食べに行くか?」

「って、何で既に売る事を前提に話をしているんですか!?」

慌てて真雪の手からクリスタルを取り戻し、耕介は本来相談役として話を持ち掛けた相手である那美を見る。
那美は少し引き攣った笑みを見せつつ、心持ち真剣味を帯びた顔で耕介を見詰め返す。

「ただの夢にしてはそのクリスタルが耕介さんの手元にあるというのが問題ですね。
 そもそも、耕介さんには大きな霊力がありますから、知らず予知夢を見るという可能性もなくはないです。
 ただ今回のは話を聞く限りではそういった類のものでもないみたいですし」

「結局の所は分からないって事だろう」

言葉の切れ目に真雪が口を挟み、那美は苦笑を見せつつも頷く。

「ですが、話がちょっと物騒でもありますから、一応薫ちゃんの耳には入れておこうと思います。
 すみません、耕介さん。お力になれなくて」

「いや、別に那美ちゃんが気にする事じゃないよ。って、お客さんが来たみたいだね。
 良いよ、俺が出るから」

言って耕介は立ち上がると玄関へと向かう。
玄関を開けた先に居たのは、すっかり顔見知りとなった高町さん所の兄妹だった。
那美に話があるという二人を上げ、リビングへと取って返した耕介であったが、
二人から語られた話により、耕介もまた旅立つ事を余儀なくなれる事となる。

「……とは言っても、何の手がかりもない状態で何処に行けば良いんだろうね」

「こんな時、ゲームなら誰かがさりげなく情報をくれるんですけれどね」

耕介と美由希が揃って溜め息を吐き、恭也もまた困った様子で思案顔になっていた。
そんな現状を打破するべく鶴の一声が。

「とりあえず、神咲の元に行くのが一番なんじゃないのか?
 その夢が本当であれ、嘘であれ現実としてそのクリスタルがお前たちの手にはあるんだ。
 不思議現象はとりあえずは神咲の担当と昔からうちでは決まっているんだからな」

決まってないと手を振る耕介を家事担当は黙れと沈黙させ、那美へと薫の居場所を尋ねる。

「多分、仕事が終わったばかりで実家にいると思いますけれど」

確認する為に電話をしに行った那美を横目で見送り、真雪は不意に顔を真剣なものへと変える。

「一つだけ忠告しておいてやる。夢の内容を鵜呑みにするなよ。
 その夢のお告げが真実かどうか、それはお前たちが自分で判断し、その上で何をするのか考えろ。
 すべき事を見誤るな」

珍しく真面目モードの真雪に耕介たちは黙って頷く。
そこへタイミングよく那美がリビングへと戻ってきて、薫が実家の鹿児島に居る事を告げる。
大体の話もしてくれたようで、向こうで待っているとの事だ。
こうして、恭也と美由希は同じ境遇の耕介と道案内役の那美を加え、一路鹿児島を目指す事となった。
出掛けに、真雪が視線を逸らしつつ耕介へと話し掛ける。

「あー、……まあ、何か困った事があれば連絡しろ。暇で手が空いていたら助けてやるかもしれない」

その言葉を聞いて知らず笑みを浮かべた耕介の頭を、すかさず叩くと真雪はさっさと寮へと戻って行く。
それを可笑しそうに見送ると、恭也たちも出発するのだった。

まさか、神咲家へと辿り着くのにもとんでもない苦労をする事になるなど、この時の恭也たちが知るはずもなく。



FINAL TRIANGLE



   §§



何の因果か悪戯か。
それとも辿り着けない武が悪いのか……。
何の話かと言うと……。

「……またあの日か」

ベッドの上で身を起こすのは、まだ二十歳にもなっていない青年、白銀武である。
既に何度もループを繰り返し、既に数えるのにも飽きてきた。
慣れた様子で制服に着替え、やや疲れた溜め息を吐き出して武は部屋を出て行く。
夕呼が提唱したオルタネイティヴ4。
それを成功させようと前回の記憶を得た武は色々と奔走したのだが、結果として未だに成功には至らず。
計画が5へと移行した後に戦場で死ぬ度に、再び全ての始まりである日に戻ってくる。
死ぬ直後の記憶がないのがせめてもの救いかと自虐的な笑みを見せ、それでも横浜基地へと向かうのだった。



幾度となく繰り返されるループ。
その果てしない繰り返しは武に経験を積ませ、数十回目のループでようやくハイブの攻略に成功する。
ただし、それは夕呼が提唱した計画によるものではなかったが。
こうして更に十数回とループを繰り返し、遂に武はオリジナルハイブの破壊に成功する。
その後、順調に幾つものハイブの破壊も成功し、地球の半分以上を奪還することもできた。
この時、既に高齢となっていた武は軍を引退し、静かな晩年を過ごした。
こうして、初めて戦死ではなく自然死を迎える事ができ、武はこれで全てが終わったと思ったのだが。
この世界の神様はやはりそんなに優しくはないようで、気が付けば武は始まりの日に戻されていた。

「さてさて、どうしたもんだろうか。とりあえずは香月博士の所へ行くとするかの」

外見に似合わない仕草で腰をトントンと叩きつつベッドから起き上がると、武は制服に袖を通す。

「おお、腰が曲がっていないのぉ。どれどれ、おお、やはり若返っておるのか」

鏡を覗き、自身の姿を確認すると武は急に軽くなった身体に戸惑うようにゆっくりとした足取りで部屋を出て行く。

「しかし、ループしておったのだから精神的には年を取っておったはずなのに、当時は普通じゃったよな。
 やっぱり、一度ちゃんと年を取ったのが原因なのかのぉ」

手を顎へと伸ばし、そこに掴む髭がないと分かると少し手持ち無沙汰に指を弄びながら呟く。

「それにしても、若い体というのは良いのぉ。軽くなったようじゃ」

廃墟と化した外で屈伸を繰り返し、嬉しそうにそう言うと武は再び横浜基地を目指す。

「いい加減、ループも解決してもらわねばな。
 やはり、香月博士の計画を成功させて、香月博士に考える余裕を持ってもらわないといけないか」

自身に関するループ現象。
これを解決できるのは、やはり香月夕呼しか思い浮かばず、武は今度こそ計画を成功させようと意気込む。
が、具体的に何をすれば良いのか。それを考えていると、ようやく眼前に懐かしい光景が飛び込んでくる。

「おうおう、こんなんじゃった、こんなんじゃった」

顔を綻ばし、懐かしみながら近付いてくる武に門番二人が静止するように声を掛ける。
そんな二人の言葉に足を止め、武は夕呼の呼び出しを頼む。
が、当然ながら身元不明の相手の要求に応じる事など出来ず、門番は銃を武に向ける。
銃を向けられながらも平然とした態度のまま、武はゆっくりと口を開く。

「確か、香月博士に関する事は全て報告するように言われておったんじゃないのか?
 そうなっていると聞いておったんじゃがのぉ。全く近頃の若いもんは年寄りを敬う事もせんとは」

腕を後ろに捻り上げられ、顔を顰めつつ言う武の言葉に門番たちは揃って顔を見合わせる。
明らかに自分よりも年下にそんな事を言われてば、怪訝に思うものだ。
が、武が言った事は事実で、門番の一人が確認するように夕呼へと連絡を入れる。
その門番へと幾つか夕呼が興味を持つ単語を教え、それを伝えてもらう。
こうして、武は既に馴染みとなった検査を受け、これまた何度となく繰り返した夕呼との初対面を迎えるのだった。



「で、アンタ誰?」

「おうおう、これまた若いのぉ。しかし、幾らなんでも性急すぎやせんか夕呼ちゃん」

「アンタ、死ぬ?」

強張った表情で銃を向けてくる夕呼を前に、しかし武は平然とした様子で侘びを入れる。

「いやー、すまん、すまん。何せ、孫のように可愛がっておった者たちとさほど変わらぬ外見じゃったからな」

「孫?」

怪訝に眉を若干顰めつつも、夕呼は本題を思い出して問いかける。
それは武が門番へと伝えた言葉に関する事であり、返答次第では撃つとその目が雄弁に語っている。
武は小さな笑みを一つ浮かべると、自分の体験した事を語りだす。

「……それを信じろと?」

「じゃが、夕呼ちゃんにはわしの話が本当じゃと証明できるんじゃろう。
 確か、何だったかの。年を取った所為か、ちょっと忘れてしまったが、ほら、なんとかという理論じゃ」

「……その何とかっては何よ。と言いたい所だけれど、まあ良いわ。確かに可笑しな話でもないものね」

夕呼は少し考えた後、パソコンを操作する。
恐らくは隣の部屋にでも居る霞へと確認でもしているのだろう。
その事を言えば、夕呼は特に何も言わず肩を竦める。

「良いわ、とりあえずは信じてあげましょう。で、白銀はどうして欲しいのかしら」

「まずは何と言っても夕呼ちゃんの……」

「その呼び方、いい加減にしないと本当に撃つわよ」

ぎろりと言い表せるぐらいに迫力ある顔で言われても、武としては困ったように笑うしかできない。

「すまんのぉ。特に意識しておる訳でもないんじゃが……。まあ、気を付けるようにはするが大目に見てくれ」

「はぁ、本当にやりにくいわ。
 外見や声は兎も角、目を閉じていれば確かにお爺ちゃんと話していると言っても納得してしまいそうよ」

小さく嘆息すると夕呼はそんなくだらない事はどうでも良いとばかりに、今後の対策について口にする。
こうして、武も既に何度目か覚えていないループが今、また始まる。



マブラヴ 〜爺さん武の奮闘記〜



   §§



さて、困った。
一体どうしたもんだろうか。
休日の午後、高町恭也は自宅の玄関先で困ったように立ち尽くしていた。
若干引き攣っているようにも見える顔には、一筋だが汗が流れ落ちる。
恭也は色々と考えながら、呆然と言うに相応しい感じで、ただただ手の中にある物を見下ろす。

「別段、アニメのDVDぐらいなら困らないんだが……」

台詞とは裏腹に困った顔をしているのは、持っているアニメDVDが魔法少女ものだから……ではなく。
その中身がパッケージとは全く関係のないものだからであろう。
『お兄ちゃん大好き』と書かれた文字の下には、幼い感じの少女の絵が描かれ、DVDの下部には十八禁の文字。
これが今、恭也が頭を抱える事となっている原因なのだ。
誰の持ち物かは分からないが、恐らくは住人の誰か。
だとすれば、誰の物かによっては少々問題がある。
ましてや、現状を見られれば自分の物と思われるかも知れず、実際、この家の男女比を考えれば、
この手の物を持っていそうな人物として第一候補に挙がるのは男性となるのは仕方なく。
そうなれば、その男性は自分以外には該当はない。
非常に困った物を拾ってしまったと思いつつ、それを玄関の落ちていた場所に戻す事も出来ない。
まず、持ち主の候補から外れている末妹のなのはがもし見つけたらと思うと、恭也はこっそりと持ち主を探し出し、
今後気を付けるように注意しなければとパッケージを閉じる。
と、そこへタイミング良く、いや悪く母である桃子が戻ってくる。
勢いよく開けられた扉。咄嗟に後ろへと物を隠し、恭也は不思議そうに見返す。
恭也の行動に特に可笑しな所も見出せなかったのか、それとも単にそんな事を気にする余裕もないのか。
桃子は恭也の疑問顔に答えながら靴を脱ぎ、足早にリビングへと向かう。

「お昼の後、補充用品を持っていくのをすっかり忘れていたのよ。早く戻らないと……」

遠ざかっていく背中を安堵の吐息と共に見送り、恭也は改めてDVDケースを背中に隠し、桃子の後を追う。
ドタバタと目当ての物を出している音を聞きながら、恭也はリビングに入ると桃子の手伝いをする。

「ありがとう、助かるわ」

「店まで持っていこうか?」

「それは及ばないわよ。後ろの荷台に乗るもの」

「分かった。なら、そこまで運ぼう」

桃子の手から荷物を取り、恭也は家の前に止めてあるスクーターまで運ぶ。
その隣に並びながら礼を言い、桃子はふ思い出した事を尋ねる。

「そういえば、どこかに出かける所だったんじゃないの?」

「ああ、ちょっと本屋に行くつもりだっただけれど予定を変更して、盆栽の手入れをする事にした」

「はぁぁ。盆栽が悪いとは言わないわよ。でも、もう少し他に興味のある物とかはないの?」

「特に思いつかないが……」

「そう。あ、ありがとう。
 それじゃあ、急いで店に戻るけれど、もしまた気が変わって出掛けるのなら、戸締りだけはお願いね」

「心得ている」

スクーターに乗って遠ざかる背中を見送り、恭也は再び家の中へと戻る。
が、桃子に告げたように盆栽をやるのではなく、真っ直ぐに自分の部屋に入ると、
先ほど拾った物を引き出しへと隠すように入れるのであった。



その日の夕食時。夕食を口にしながら、恭也は気付かれないように家族の様子を窺う。
別段、普段と違った様子を見せる者はおらず、恭也は少し考えて口を開く。

「そう言えば……」

恭也が話し始めたのを切欠に、皆が恭也の方を向く。
それらの視線を受けつつ、恭也は何でもない風を装い続ける。

「魔法少女何とかというアニメが面白いと赤星が言っていたのだが」

心の中で親友に詫びながらそう口にすれば、皆が驚いた顔を見せる。
赤星の名前を出したのが失敗だったかと反省し、これでは持ち主を特定できないと反省する。

「意外ですね、そういうアニメを勇兄が見ているなんて」

「まあ、でも確かに面白いと感じるけどなぁ」

「レンは知っているのか?」

「はい、なのちゃんと見てますから」

「うん、レンちゃんと見ているよね。お兄ちゃんも一緒に見る?」

「何々、恭也も興味を持ったの? まあ、盆栽以外の趣味を持てとは言ったけれど。
 外でするものに興味を持つかと思ったんだけれど」

「いや、別に興味とかではなくただふと思い出しただけだ」

かなり落ち着いてきた皆を眺めながら、恭也は次にどうやって話をしようか考える。
が、ここで一人会話に加わらず、黙々と食事をしている者がいた。
その者は黙々と箸を動かすのだが、顔はずっと正面を向いたまま、
手に持った茶碗から延々とご飯だけを口へと運んでいる。
何とも分かり易い反応に恭也は呆れるのを隠し、食事に戻る。
他の面々も恭也の様子から本当にただふと思い出した事を話しただけだろうと、それぞれ食事に戻る。
そんな中、美由希は一人、変わらずに黙々とご飯だけを運んでいた。



食事後、すぐに部屋へと戻った美由希に対し、恭也は最早確信めいたものを感じながらもただ時間が過ぎるのを待つ。
やがて、いつもの鍛錬の時間となり、いつものように準備をして玄関で待つ。
そこへ美由希がやって来て、いつものようにランニングしながら八束神社を目指す。
その間、二人は共に無言。これもまたいつもの事なのだが、今日に限って言えば、美由希が何か言いたそうにし、
すぐに口を閉ざしては、やはり気になるのか恭也の背中へと視線を向けてくる。
そんな事を繰り返していた。
やがて、鍛練場所へと到着し、そこで恭也はこちらを気にしている美由希へと声を掛ける。
必要以上に背筋を伸ばし、やや上擦った声で返してくる美由希に、恭也は確認するように尋ねる。

「今日、玄関先である物を拾ってな」

「ふ、ふーん、そうなんだ」

「で、その持ち主を探している」

「そ、それで何を拾ったの?」

ソワソワし出す美由希に気付かない振りをして、恭也は鞄からDVDケースを取り出す。

「これなんだが」

見せた途端、美由希が驚くほど素早く恭也の手からそれを奪い取る。
その反応速度に満足しつつ、恭也は口を開く。

「やはりお前のだったか。大事な物なんだったら、これからは気を付けるように」

「え、あ、うん」

恭也の忠告に意外そうな顔で返事を返しつつ、恐る恐る尋ねてくる。

「えっと中は見てないの?」

「中? 中はそのアニメのDVDなんだろう。別に見ても持ち主が分かるはずもないと見てないが」

恭也の嘘の言葉に美由希ははっきりと分かるほど安堵の吐息を零す。
それを眺めながら、まあ美由希も年頃だしな、と本人が聞いたら顔を真っ赤にしそうな事を考えながら納得し、
この事は胸の内に仕舞っておいてやろうと思う。
だが、他の者が拾うと色々と問題になりそうなのでしっかりと今後の注意だけはもう一度しておく。
恭也の返事にようやくいつもの表情で答えつつ、美由希は恭也から奪ったそれを自分の鞄に仕舞おうとして、
そこで足を滑らせて盛大に転ぶ。それを呆れた眼差しで見下ろした恭也であったが、そこである物を視界に捉え、
思わず何とも言えない顔を見せる。
美由希の方もそれに気付いたのか、慌ててソレ――ケースから出てしまった中身――を拾い上げるのだが、
泣きそうな顔で恭也を見上げる。
その視線を受けながら、折角気付かない振りをしてやったのにと頭を抱えたくなる恭也。
そんな恭也の心情を正確に読み取り、けれど、それが今、
これを見られたからだと理解した美由希は泣きそうな顔のまま、ただ恭也を見上げるだけである。
深夜の人気のない森の中、暫く無言で見詰め合う二人。
それだけを見れば、良い感じなのかもしれないが、互いの心境はそんな気持ちとは異なり。

「こ、これは、恭ちゃん、ちが、違う、だから、そうじゃなくて……、えっと、だから……」

「まあ、美由希も年頃だからな。気にするな。さっきも言ったようになのはたちには気を付けてくれよ」

恭也の優しい言葉が逆に居た堪れないのか、美由希は恐々といった様子で恭也の裾を掴み、
何か言おうとするのだが、それが言葉にならないで消えて行く。
久しぶり、本当に久しぶりに見たそんな美由希の様子に、恭也は新ためて落ち着かせるようにしゃがみ込み、
美由希の頭にそっと手をやる。その上で、落ち着くように告げる。

「あ、あのね、本当に違うんだよ。新しく知り合ったお友達がお勧めだってノートパソコンごと貸してくれて……。
 そういうのだと知らずにやったら……」

「分かった、分かったから落ち着け。別に馬鹿にしたり誰に言ったりもしないから。
 さっきも言ったようになのはにだけはくれぐれも注意してくれれば良いから」

恭也の言葉に徐々に落ち着きを取り戻したのか、美由希は小さく頷く。
しかし、後に恭也は多少の後悔と共にこの時のやり取りを思い出す事となる。
何故なら、これを切欠にして恭也もまた巻き込まれていく事になるのだから。
主に、美由希と新たに知り合ったという一人の少女、桐乃によって。



俺の弟子がこんなに可愛いわけがない



   §§



「セレナ、セレナ、起きなさい」

三メートル四方よりも少し広いといった感じの部屋。
置かれている物は最低限の家具と部屋の主が未だ眠っているベッドのみ。
そんな簡素とも言える部屋の中で、一人の女性が部屋の主たる少女の肩を掴んで揺する。
セレナと呼ばれた少女の母親と思われる女性は、中々起きようとしないセレナから呆れたように手を離す。

「全く、もう十六歳になったというのに、いつまで狸寝入りしているのよ」

母親の言葉に布団の中でビクリと一度震える。
まるでどうして分かったのかと自ら事実を伝えるかのように。
そんなセレナへと母親は更に呆れた視線を落としながら、疲れた口調できっぱりと言い放つ。

「そんなに強く布団を握り締めていたら起きているってすぐに分かるに決まっているでしょう」

母親の言葉を聞き、セレナは渋々と布団から顔を出し、咳き込み出す。

「お母さん、私風邪引いたかも」

「うん、熱はないわね。仮病は良いから、さっさと起きなさい」

言い終えるよりも早く額に手を置き熱を計ると反論は許さないと睨みつける。
が、セレナは一所懸命考え、良い案でも浮かんだのか顔を輝かせる。

「腹痛や頭痛を訴えるのなら無駄だからね」

先に母親に言われてしょんぼりと顔を曇らせる。
そんなセレナへともう一度起きるように言うのだが、セレナは今度は泣きそうな顔で見上げてくる。

「だ、だって、今日は私のお誕生日でしょう。つまり、王様に謁見して……」

「そうだよ。王様に謁見して旅の許可を貰って来るんだよ。
 貴女のお父さん、オルテガの後を継いで魔王を……」

「うぅぅ〜、無理、無理、無理です! そ、そそそ、そんな怖い事出来ないよ〜!」

半べそになって布団へと潜り込むセレナであったが、母親は慣れた様子で布団をむんずと掴むと力任せに引っ張る。

「ひゃうっ」

布団にしがみ付いていたので一緒に持ち上げられ、その途中で布団から手が離れてしりもちを着く。

「いい加減に諦めなさい。私だって臆病で泣き虫な貴女がそんな大それた事を出来るなんて思わないわよ」

「だ、だったら……」

「でもね、貴女が言い出したんでしょう。あの人が生死不明と知らされた日に王様の前で。
 あの時はまだ幼いという事で十六になったらという約束をしたのは貴女よ。今更、無理なんて言ってもねぇ。
 第一、王様も貴女が旅立つ為の準備を既に国として整えてくれれているのよ」

母親が本当に辛そうに告げる。母とて自分の娘が可愛いのだ。
ましてや夫は魔王を退治する旅に出て生死不明とされているが、火山の火口に落ちたのだ。
恐らくは……。そんな中、一人娘を旅に出したがるはずもない。
だが、当時娘は頑固に旅に出ると口にし、困り果てた王が十六になったらと期限を設けたのだ。
そして、その年月の間にと王として出来る限りの準備もしてくれているのを母親は知っている。
故に今更、怖いから旅に出ませんなどとは。
それはセレナも分かっているのか、過去の自分を責めつつ渋々と起き上がる。
そんなセレナを見ながら、母親もつい口にしてしまう。

「もし、本当に嫌な……」

「ううん、行くよ」

母親の言葉を遮り、セレナは先程とは打って変わって力強い瞳で言う。
その瞳は夫であり勇者として崇められたオルテガを思い出させるもので、やはりあの人の子供だと実感させられる。
それを見て、母親は静かに頷くと部屋を後にする。

「外で待っているから早く支度するんだよ」

「……あ、やっぱりお腹が」

本当に大丈夫だろうか。
先程の姿が見間違えじゃないかと思えるほど、情けない顔をしているセレナを横目で見ながら、
聞こえない振りをして部屋の扉を閉めるのだった。



(……うぅぅ、やだな、怖いな。戦うってやっぱり怪我したら痛いんだろうな)

王を前に膝を着きながら、セレナはそんな事ばかりを考えていた。
だが、外見上は平然としているから、誰もその事には気付かない。
元々、気の弱いセレナは何かに付けて恐怖を抱くのだが、
それでは虐められるかもと幼馴染の女の子に言われたのが切欠だった。
その子にすれば、これで少しは怖がりも治ればと思って言った言葉だったのだが、
セレナはそれならと性格を見直すのではなく、外見を取り繕う術を磨いてしまった。
結果として、セレナの演技というか、態度は堂に入ったもので見抜けるのは相当仲の良い者か家族だけとなった。
そんな訳で、今この場にいる誰もがセレナが街の外に出る事に対して恐怖を抱いているなどと思いもしなかった。
それはさておき、怖がるセレナに、旅立ちに対する祝福の言葉を述べ、幾つかの助言をしていく王。
こうして無事に一通りの儀式は済み、セレナの前に二人の兵が立つ。
その影にようやくセレナも顔を上げる。と、目の前の兵士がセレナへと金貨の入った袋を差し出す。

「これは?」

「少ないが路銀です。持って行ってください」

それを受け取ったセレナへともう一人の兵士が近付き、今度は少し大きめの袋を差し出す。

「こちらは旅する上で必要だと思うものを入れておきました。
 傷薬や包帯などです。ただ、あまり量が多いと嵩張ってかえって邪魔になると思い必要最低限ですが」

言って渡された袋をこれまた特に考えないまま、反射的に受け取る。
それを見届けると、その場にいた誰もが声を揃える。

「行ってらっしゃいませ」

(ふぇぇ〜、ここで断ったりしたらもしかして死刑になっちゃうかも!?
 そこまでいかなくても、牢屋に入れられるかも……。
 うぅぅ、そ、そうだ、近くの村まで行ってやっぱり無理でしたって言えば……)

心の内では涙を流しながら見事に混乱しているのだが、態度としてはただ小さく頷くのみ。
そのまましっかりとした足取りで城を後にするセレナを頼もしそうに王が見送る。
が、やはり内心では……。

(近くの村じゃ、やっぱり駄目かな。す、少なくても大陸を越えないと駄目かも……。
 モンスターが出ない場所を通れば……。
 で、でもでも、そんな遠くに一人で行くなんて無理だよ〜! わぁ〜ん、ネリー助けてよ〜!)

遂には幼馴染にまで助けを求めるのだった。



「うぅぅぅ、ぐすぐす……。ここ、何処……」

旅立って半日。セレナの姿は何故か森の中にあった。
近くの村に行くには、綺麗にとまでは言わないが、それなりに整備された道を歩けば半日もあれば着く。
そもそも一本道である。なのに、森の中に居る理由は……。

「ひっ、ま、また何か音がしたよ。モ、モンスター?
 こ、こっちに逃げないと……」

つまりはこういう理由からである。
モンスターの影を見つけてそれを回避するために道を逸れてしまったのだ。

「って、こっちからも音が! う、うぅぅ、もう嫌だ〜」

遂には腰を落として涙目で周囲を見渡す。音がする度にビクリと震える。
そこへとうとうモンスターたちがセレナを見つけて近付いてくる。

「ひっ、く、来るな、来るな!」

そう言われて襲わないのなら、モンスターがここまで人間たちに危険視されるはずもなく。
大ガラスと呼ばれる子供の身の丈よりも一回りは大きい烏が得物を得たとばかりに飛び掛る。

「嫌だよー!」

本当に泣きながら、それでもセレナは腰の剣を抜き放つ。
が、その目は恐怖からか閉じられている。
それが分かるのか、大ガラスは武器を持ったセレナに怯む事無く突っ込むのであった。



「……既に歩き回って半日。結論を出したくはないが出さねばならんようだな」

深い森の中、全身を黒で包んだ男はそう一人ごちる。
が、そんな男へと帰ってくる女の声。

「だから、私がそう言ったじゃない」

「普通に考えてそんな事が信じられるか……、いや、信じたくはないが正しいか」

「まあ、気持ちは分かるけれど……。でも、いい加減に認めるしかないと思うよ、恭ちゃん」

女に言われた男――高町恭也は憮然とした顔のまま、隣の女にも分かるように肩を落としてみせる。

「美由希の言うとおり、ここは……」

「異世界だと思う。頭に角の生えた兎とか、大きな烏とか普通ならいないもん」

恭也と美由希の兄妹は揃って顔を見合わせると、何とも言えない微笑を浮かべる。
いつものように深夜の鍛錬を終え、後片付けを終えた時の事だ。
よく分からないが二人して誰か、女性の声を聞いたのだ。
そして気が付くと次の瞬間には森の中に居た。

「確か助けてと言っていたと思ったんだが」

「うん、あと闇が光をどうこうとか、闇を打ち破る光となる子を護ってって。
 多分だけれど、あの声の主が私たちを連れてきたんだよ。
 だとしたら、あの人が求めている事をすれば……」

「元の世界に帰れると言う事か。だとして、何をすれば良いのかさっぱりだが」

「だよね。情報を得ようにも人一人見てないし……」

疲れた口調でぼやく美由希を励ますように肩を軽く叩き、恭也はまた歩き出す。

「とりあえず、もう少しだけ歩いてみよう」

「うん」

恭也と美由希が再び歩き始めたその時、誰かの声が聞こえた。
二人は顔を見合わせて声の聞こえた先へと走り出す。
そこで見たのは一人の少女と、その少女に襲い掛かるモンスターの群れである。

「こ、来ないで! 助けてー! 怖いよー!」

「……あれは本当に助けがいるのか?」

思わず恭也は隣の美由希に尋ねるも、美由希も困ったような表情で恭也を見返すだけである。
何せ、襲われて悲鳴を上げているはずの少女は、目を瞑りながらなのに襲い来るモンスターの攻撃を弾き、
その身を切り裂き、と傍から見れば互角以上に渡り合っているんだから。
とは言え、その悲鳴や行動を見るに本当に困っているのは間違いがないようで、恭也と美由希は動き出す。

「俺はあの少女の下に向かうから美由希はモンスターたちを」

「うん」

自分のような強面が行くよりも美由希を行かせた方が落ち着くだろうとも思ったが、
如何せん、少女は目を閉じて剣を振るっているのだ。ただ、自分に近付こうとするものを遠ざけるためだけに。
故に下手をすれば攻撃を喰らう可能性がある。
その点、今いるモンスターならこの程度の数なら美由希でも問題はない。
そう判断して恭也は自分が少女の下へと向かったのだ。
未だ振るわれる少女の剣。その攻撃範囲から逃れたモンスターたちを背後から襲う。
絶滅したモンスターには目もくれず、少女の周りのモンスターを全て倒し、恭也は振るわれた少女の剣を受け止める。

(くっ、思ったよりも重い……)

内心の驚きを隠し、恭也は少女へと呼びかける。

「もう大丈夫ですから、落ち着いてください」

「うぅぅ、喋った、モンスターがしゃべ……」

「モンスターじゃなくて人間です」

恭也の言葉に尚も剣を振ろうとしていた腕を止め、恐る恐る目を開ける少女――セレナ。
ようやく目の前に居るのが人間だと分かり、安堵の吐息と共にへたり込む。

「大丈夫ですか?」

「ふぇぇ、怖かったです〜。あ、ありがとうございます」

助けられたと思ったのか、恭也の足にしがみ付き涙目のまま礼を言ってくるセレナ。
そこへモンスターを倒し終えた美由希がやって来る。

「あーあ、恭ちゃんが泣かした〜」

バカな事を言う美由希を視線で黙らせ、恭也はできる限り優しい声でセレナへと話しかける。
ようやく落ち着いたセレナへと何故、こんな所に居たのか聞けば、セレナからは驚く事を聞かされる。

「恭ちゃん、私物凄く嫌な予感がするんだけれど」

「奇遇だな。俺もひしひしと感じているぞ」

「あ、あははは、まさかとは思うけれど闇が魔王で、光がこの子だったり?」

「つまり、俺たちはこの子を助けて魔王を倒さないと帰れない……」

二人して顔を見合わせ、どちらもが相手がそんな訳ないと笑い飛ばしてくれるのを期待して待つ。
待つのだが……。

「手がかりがない以上、とりあえずはその方向でいくか」

「だね。世界中を旅するのなら、あの言葉の本当の意味も分かるかもしれないし」

二人の間で話はまとまり、恭也はセレナへと再び優しく話しかける。

「セレナさん、俺たちで良ければお手伝いさせてください」

「い、良いんですか! で、でも、危険だし……」

恭也の言葉は嬉しいものですぐに飛びつきたかったのだが、やはり他人を巻き込むという事に顔を曇らせる。
それに対し、恭也は信じられないかもしれないがと前置きして簡単な事情を話す。

「そ、そうなんですか。で、でも、もし違ったら……」

「その時はその時ですよ。でも、そうですね。でしたら、こういうのはどうですか。
 違っていたと分かった場合、今度はセレナさんが俺たちの手伝いをしてくれるというのは。
 勿論、セレナさんの元々の用件を優先で構いませんから」

「ほ、本当に良いんですか?」

「ええ」

「で、でしたらお願いします!」

嬉しそうに恭也と美由希の手を取り、セレナは上下に激しく揺らす。
どうやら、そうとう心細かったらしいと苦笑を隠す二人だった。
色々とあったけれど、こうしてセレナは無事に仲間を持つ事が出来たのである。



一方、その頃。
アリアハンの城下町。
その一角にある出会いと別れの酒場、ルイーダの酒場。
その酒場の一角では一人の少女がいらいらと頬杖をついた手の指を忙しなく動かしていた。

「……何をやってるのよ、あのバカは。朝に王様に謁見して、今はもう夕方よ!
 いつになったら仲間を求めてここに来るのよ! この私がわざわざ待っててあげてるっていうのに!」

セレナの幼馴染であるネリーが一人、時間を持て余していた。

「まさか、今になって怖じ気ついて逃げたんじゃないでしょうね。
 …………あ、あの子ならあり得そうだけれど。流石にそれはないでしょう。
 もう少しだけ待って、来ないなら家に行ってみましょう、うん」

一人そう呟くと、テーブルにあったすっかり冷めたジュースを飲み干す。
が、ネリーは知らない。王様が話していた仲間を集うべく酒場へと向かえという助言。
それをまさか恐怖のあまり、聞いていなかったなんて。そんな事は思いもしなかったのだ……。


DQV 〜そして異世界へ〜



   §§



身の丈は十五センチほど。
神の眷属で家に福を呼び込む座敷わらしの一種とも言われる女性のみの種族。
あまり知られてはいないその種族を、『スクナ』と言った。


海鳴市藤見町の隣町、戦国町。この町には多くのスクナがおり、その姿を見掛ける事もある。
その戦国町一丁目の伊達さんちの庭で、賑やかな声が聞こえてくる。

「今日こそ勝てそうな気がするんだ!」

「それは間違いなく気のせいです、マサムネ様」

「コジューローはまたそんな事を! 絶対に今日は勝てるんだ!
 これを見ろ!」

「これは?」

眼帯をした少女、マサムネがコジューローへと差し出した一枚の紙。
そこには簡単な地図が描かれており、それを見ただけで勝てるという根拠など分かるはずもない。
故に顔色一つ変えずにそのまま見返すのだが、マサムネは何故か胸を反らして威張るように言い放つ。

「それは藤見町までの地図だ。そこに変わったスクナが居るという情報を得た。
 しかも、そのスクナはまだ年若いんだ。これなら絶対に勝てる!」

自信を持って言い切るマサムネに、コジューローはやや冷めた視線を向けるも無言。
代わりと言う訳でもないだろうが、今まで二人のやり取りを眺めていた伊達さんちの娘、愛花が口を挟む。

「大した自信ね。まあ、いつもの事だけれど。どうせ、また負けて帰ってくるんでしょう」

「今日こそは勝つって言ってるだろう!」

愛花が頭を撫でるように差し出してきた人差し指をぺしぺしと追い払い言い返すマサムネに、
愛花はにっこりとした笑みを見せ、その手を一旦ポケットへと入れると、
そこに入っていたのであろう、マサムネのサイズに合わされた服を取り出す。

「じゃあ、負けたらこの新作を着てもらおうかな〜」

「嫌だ」

「やっぱり勝つ自信がないんだ」

「勝ちます! 絶対に勝てるもん!」

「じゃあ、負けたら着るって約束しても大丈夫だよね」

「う、うぅぅ、良いよ! 絶対に勝つから!」

それを聞いて愛花はにやりとした笑みを浮かべるが、すぐにそれを消すとマサムネを送り出す。
愛花の声を背中に、マサムネは勢い良く飛び出して行くのだった。
それを見送り、愛花は付いて行かなかったコジューローへと尋ねる。

「まあ、自信はいつもの事だけれど、どうなの?
 年若いって事はもしかしたり……」

「それはないでしょう」

きっぱりと自分の主君の勝利を否定すると、こちらもにやりと形容するに相応しい笑みを見せる。

「藤見町のスクナの情報は既に得ています。と言うよりも、性格にはスクナではありませんが」

「どういう事?」

「身の丈は変わりませんが、その方は男です。そして、彼は簡単に言えばロボットですから。
 とは言え、その戦闘能力はとても高いみたいですね。噂ではあのケンシンと剣腕で競えるほどとか。
 つまり、絶対に勝てません。なに、近頃少し浮かれ気味みたいですからね。
 ここらでちょっと痛い目にあった方が良いんですよ。おバカさんの躾のためにも」

ふっふっふと怪しく笑うコジューローに、流石の愛花も少し引きつつ、今の内に新しい衣装を作ろうと部屋に戻る。
その辺り、あまりコジューローを責められないのであった。



「ここか。たのもーう」

玄関先にある門を見上げ、マサムネはそう声を張り上げる。
その声が聞こえたのか、中からマサムネよりも小さな人影が姿を見せる。

「ほう、貴様が新しいスクナ、高町さんちのキョウヤだな。いざ、尋常に勝負!」

スクナに男は居ないというのに、その事に全く疑問を抱かず腰の刀を抜き放つ。
それを見て、キョウヤも腰に差してあった小太刀を一刀抜き放つと、

「侵入者と判断。警告するよりも前に武器の所持を確認。
 これより迎撃に入ります」

「上等だ! 我が名はマサムネ」

「月村製、超小型護衛ロボットキョウヤ、いざ参る!」

名乗りを上げ、同時に駆け出す両者。その刃が互いにぶつかり合い……。
………………
…………
……
あまりにも見事なやられっぷりに付き、省略……。
一方的な展開で地面へと倒れ付したマサムネ。
そのマサムネへと情け容赦なく小太刀を振り下ろそうとするキョウヤ。

「ちょっ、ま、参った、参ったからやめっ」

その声も聞こえていないのか、そのまま振り下ろされる小太刀に思わず目を閉じるマサムネ。
が、その小太刀がマサムネに突き刺さる瞬間、キョウヤは摘み上げられていた。

「全く、忍の奴にはよく言っておかないといけないな。
 もう少し手加減を覚えさせろとあれ程言ったのに」

「お帰りなさいませ、恭也様」

「ああ、ただいま。で、こっちは大丈夫か?」

左手で摘み上げたキョウヤへと挨拶を返し、右手で摘み上げたマサムネへとそう声を掛ける。

「あ、ああ、何とか……」

辛うじて助かったと胸を撫で下ろしつつ、マサムネは恭也の問い掛けに答え、
ここで恭也とキョウヤがよく似ている事に気付き、ようやくキョウヤが男である事にも気付く。

「ああ、このキョウヤはスクナではないからな。これは俺の友人が作ったロボットなんだ。
 元々は害虫駆除用だったんだが、色々合って今では護衛用になっている」

恭也の説明を受け、マサムネは納得したように頷くと助けてもらった礼を言う。
対する恭也は気にするなと答えた後、マサムネの名前を聞いて一人納得する。

「えっと、今何を納得されたんですか?」

「いや、噂に聞いた事があってな。誰彼構わずに喧嘩を売ってはボロボロにされるのが趣味のスクナが居ると。
 その名前が確かマサムネだったと記憶していたのでな」

「なんじゃ、その噂は!」

恭也の言葉に怒鳴りながらも、マサムネはその噂を流したのがコジューローだろうと確信していた。
故に戻って文句を言ってやると息巻き、マサムネは恭也の掌から飛び降りる。

「それでは、これにて失礼する」

「ああ、道中気をつけてな」

互いに別れの言葉を口にすると、恭也は家へと入り、マサムネは家へと向かって走り出すのであった。
家に着くなり待っていたのは、勝敗を聞いてくる愛花。
相手がスクナではなかったと言って見たものの、あくまでも勝敗の結果を賭けたとして、
マサムネはコジューローに文句を言う暇もなく、愛花が作った服の着せ替え人形にされるのであった。



スクナと一撃必殺キョウヤくん



   §§



「「…………」」

見晴らしのとても良い草原とも表現すべき場所。
そんな場所に立つは見目麗しき二人の女性。
膝裏まで伸びた艶やかな髪を風に靡かせ、女性はゆっくりと周囲を見渡す。
もう一人の女性もまた、肩口で揃えられ、一房だけが背中まで伸びた髪を手で押さえて周囲を見渡す。
その後、二人揃って間に立つ一人の青年へと視線を向ける。
その視線を受けた青年はやや憮然とした表情を見せ、

「まさかとは思うが……」

信じられないという気持ちを隠そうともせず、青年――不破恭也は二人の女性を見詰め返す。

「恭也様、恐らく元の世界に戻れた訳ではないようです」

「そうじゃの、見た所、あれらは魔術師のようだしな」

周囲を囲う少年、少女たちの格好――全員がマントを身に付けて手には杖を持っている――を見て言う。

「嬉しい可能性としましては、アヴァターの別の場所に転移してしまったという可能性ですね」

「で、お主も既に感じ取っているであろう嫌な可能性としては、
 またしても新たな別世界へようこそ、といった所じゃろうな」

「……破滅、いや、元凶たる神を倒し、俺たちは元の世界に帰れるという話だったよな、アルシェラ、沙夜」

「その通りじゃ。
 暫くは復旧作業を手伝っておったが、つい先ほど優先して行っていた召喚の塔の復旧ができたとかでの」

「間違いなく、帰還できると仰られてその魔法陣に乗り、皆さんと別れのお言葉を交わしました」

恭也の言葉に頷きそう返すのはアルシェラと沙夜と呼ばれた二人の女性。
三人は揃ってもう一度周囲を見渡し、顔を見合わせると肩を落とす。

「我が故郷への帰還はいつになるのやら」

「まあ、そう落ち込む事もあるまい。どうやら、その目の前に居る者がどうやら余たちを呼んだ様だしの」

「だとするのならば、少なくとももう一度アヴァターへと戻る事ができますね」

二人の言葉に恭也も安堵し掛けたその時、それまで口を挟めずにいた少女が喚き出す。

「ちょっと、勝手に出てきて勝手に話を進めないでよね! コルベール先生!」

三人に噛み付いたかと思えば、すぐさま近くにいた年長の男性へと詰め寄る。
どちらが勝手なんだかと呆れるアルシェラを宥め、恭也は少女とコルベールのやり取りを見詰める。
その中で出てくる言葉、使い魔だの、やり直しが駄目だのという言葉に次第に嫌な予感が募ってくる。
それを裏付けるように、少女は自らをルイズと名乗り、嫌だけれど我慢してやると宣言して恭也に近付くと、
呪文を唱えて、そのまま自らの顔を近づけていく。
が、当然ながらそんな事を二人が許すはずもなく、ルイズの首根っこをアルシェラが掴み上げ、
沙夜が恭也とルイズの間に割って入る。

「さて、お主は今、何をしようとしたのじゃ?」

「返答次第ではただでは済みませんよ?」

二人の気迫に思わず唾を飲み込むルイズ。
ましてや、自分を片手で吊り上げている女性からは何やら威厳さえも感じられ、思わず身を縮こまらせてしまう。
このままでは埒が明かないと判断した恭也は、ルイズではなくコルベールへと答えを求めるように視線を向ける。
視線を受けたコルベールは、やや戸惑いながらも使い魔の儀式について語り始め、
今まさにルイズが恭也に対してそれを行おうとしていた事を告げる。
それを聞いた途端、アルシェラと沙夜の二人から先ほどとは比べ物にならない殺気がルイズへと向けられる。

「ひぃっ」

思わず引き攣った声を漏らすも、それに恥ずかしさや怒りを抱く暇もなく、ルイズはただ震える。

「まさか、勝手に恭也を従属させようとするとはな」

「命がいらないんですね」

笑顔で迫る二人にルイズは震えるも、何とか気丈に振舞おうとする。

「い、いらない訳なななないでしょう。そ、そもそも私だって嫌なのよ!
 けれどしししし仕方ないじゃない!」

が、その声は震えていた。
明らかに怯えているルイズであるが、そんな事ぐらいで二人が引き下がるはずもなく、

「仕方ない、ねぇ。あくまでもそれはお主の立場で物を言った場合じゃろうが。
 このうつけがっ!」

「全く、呆れを通り越して殺意すら湧いてきますわ。と言うよりも、本当に一度死んでみますか?」

「あ、だ…………」

二人の言葉に対し、何か言い返そうとするもその迫力を前に何も言えない。
見かねたコルベールが再度、儀式の神聖さや、ルイズの留年が掛かっている事を説明するのだが二人は聞き入れない。
困ったように恭也を見るが、

「頼られても困りますね。その儀式によって勝手に使い魔にされようとしたのは俺なんですから。
 寧ろ、その二人は俺の代弁をしてくれているようなものですよ。
 申し訳ありませんが、俺は使い魔とやらになるつもりはありませんので」

それよりも、と恭也は元の世界に戻してくれるようにコルベールに言うのだが、
逆にその言葉にコルベールの方が疑問顔となる。
互いに顔を見合わせ、

「どうやら、少し話し合う場を設けなければいけませんね」

「そのようですね」

コルベールと恭也は互いにそう認識を改めると、コルベールは周囲に居た生徒たちに先に帰るように告げ、
恭也はアルシェラにルイズを解放するように言う。
恭也の言葉を受けて手を離されたルイズはそのまま地面に尻餅をつき、アルシェラへと文句を言おうとするのだが、

「何かあるのか、小娘風情が」

「なっ、あ、ああああ貴女は誰に向かって口を聞いていると思っているの!
 私はヴァリ……」

「ミス・ヴァリエール」

見下すように言われて激昂しそうになるも、コルベールの一言に渋々と口を閉ざす。
こうして、何とか互いの情報を交換する場を設ける事が出来た。
結果として分かった事は、恭也たちにとってこの世界はやはり異世界であるという事。
そして、帰る為の方法がないという事であった。
最初の事は想像していただけに驚きもなかったのだが、最後の一件は完全に予想もしていなかった事だ。
まさか呼び出されて帰る方法がないなどとは思いもしなかった。
困ったように顔を見合わせる三人に対し、コルベールとルイズも与えられた情報を吟味していた。
他世界から来たと言う三人。その証拠としてこの世界の技術ではない携帯電話なる物を見せられた。
尤もそれは既にエネルギーともなる物がなくなっており、動かす事はできないとの事であったが、
それでも実験などを手がけているコルベールにしても未知の技術であった。
更には元の世界から他の世界へと召喚されたと言われた時は驚いたものだが。
全てが本当かは分からないが、逆にそんな嘘を吐く必要もない。
とりあえずはこの事に関しては保留にして、恭也たちが他の世界から来たと言う事に関しては殆ど信じ始めていた。
対するルイズは未だに半信半疑のままだったが、恭也の説明を半分に聞いても戦闘能力に関しては役に立つだろう。
平民というのがやはり気には喰わないが、ただの平民よりもましだと自分を納得させる。

「事情は分かったけれど、さっきも言ったように戻す魔法なんてないわ。
 という訳で、大人しく私の使い魔になりなさい」

「何が、という訳なのじゃ? さっきも言ったがそれはお主の事情であろう。
 余たちには何ら関係もない事。使い魔が欲しいのならもう一度呼び出せ」

「だから、それが出来ないって言っているでしょう!」

「それこそ、沙夜たちは知った事ではありません」

二人は完全にルイズを敵と見なし、
恭也に近付かないように常にどちらかがルイズとの間に割って入るという徹底ぶりである。
何度かすり抜けようとするも、それこそ徒労以外の何ものでもなかった。
が、ふとルイズは恭也でなくともと思い立ち、勝手に呪文を唱えて目の前に立っているアルシェラに近付く。

「ふぎゃっ!」

が、その途端にその顔へとアルシェラの足が繰り出される。

「あ、貴女何をやってくれているのかしら?
 まさか、貴族であるこの私の顔が足蹴にされるなんて思ってもなかったわ」

爆発しそうになるのを堪えながら、寛大な所を見せようと肩や声を震わせながら言うも、

「お主こそ何をするつもりじゃったのじゃ?
 もしやと思うが、恭也が駄目なら余を、とでも思ったのか。
 だとすれば、その無知万死に値するぞ。そもそも、余は既に恭也のものじゃ」

睨まれ凄まれると、その迫力にルイズは思わず後退る。
が、それならばと沙夜へと向き直り、

「あらあら、沙夜に何か用でもあるのですか?
 言うまでもありませんが、沙夜の主は既に恭也様と決まっております。
 もし、よからぬ事を企んでいるのであれば、その首は永遠に胴体とお別れすると思いますよ?」

「……し、失礼しました」

丁寧な物言いなのだが、ルイズは自分の姉や母を思い出し、思わず丁寧に返して引き下がる。
そんなやり取りを呆れたように眺めていた恭也であったが、
コルベールが話を変えるようにどうするのかと尋ねてきたのに少し考え、

「とりあえずは元に戻る方法がないか探す事になるでしょうね」

「だとしても、慣れない土地という事もありますし、何をするにしてもお金は必要になりますぞ。
 ここは一つ、使い魔として過ごしながら帰る方法を探すというのは」

「それは断ります。どんな魔法か分かりませんが、使い魔にするような魔法です。
 下手をすると主に逆らえないようになるかもしれませんからね」

恭也の言葉に怒るルイズとは逆にコルベールは感心したように頷く。

「確かにその通りですな。恭也くんたちの今までの言い分からするのならば、その返事は想像するべきでしたな。
 とは言え、実際問題としてどうするのですか」

「土地勘はありませんが、まあ何とかなるでしょう。
 慣れない土地に放り出されるというのも初めてではないですし」

「そうじゃの。お主は幼少の頃よりあちこちと歩き回っておったしの」

「それに恭也様はお一人ではありませんもの。
 いざという時はこの世界で沙夜と二人……と言いたい所ですが、三人で暮らすというのも悪くはありませんわ」

恭也の言葉にアルシェラと沙夜もそう返し、三人の方針はこれで決まる。
が、当然ながら納得のいかない人物が一人。言うまでもなくルイズである。
抗議するルイズを前にコルベールは困ったような表情を見せる。
悩んだあげく、妥協案として恭也たちに学院の滞在を頼む事となるのだが。

「卒業するまで待てません」

とにべもなくこれも断られる。

「なら、帰る方法が見つかるまでで構いません。
 その時は使い魔死亡という事にして新たに召喚すれば」

「今、すれば良いではないか」

「それは出来ないんですよ。大勢の生徒があなた方が呼び出されるのを見ていましたから」

「とは言え、戻る方法を探すのを邪魔されそうで嫌なのですが」

言って沙夜はルイズを見詰める。
そんな事はないと言いたかったコルベールであったが、ルイズの態度を見ていて断言は出来なかった。
故に恭也たち側からも条件を出す。

「一つ、使い魔の契約は絶対にしない事。
 一つ、衣食住の保障。一つ、元に帰る方法を探す邪魔をしない」

恭也の言葉にコルベールは頷くも、ルイズは不服そうな様子を見せる。
そこへアルシェラが更に条件を追加してくる。

「使い魔扱いも禁止にしておいた方が良いぞ、恭也。この小娘、下手をしたらそれを利用してこんとも限らん。
 あくまで余たちはその小娘が使い魔の召喚に成功したと見せる為に滞在するだけじゃ。
 それを忘れて何か命じた場合、余たちは学院を出て行く」

「アルシェラさん、流石にそれは可哀相ですわ」

アルシェラの言葉に憤慨した様子を見せたルイズであったが、沙夜の言葉にうんうんと頷いている。
が、続く沙夜の言葉にルイズは口を閉じるのも忘れてしまう。

「その命令に応じた罰を与えるべきです。最悪は契約無効にするにしても、それなりの罰は受けて頂かないと。
 勿論、その規模に応じてコルベールさんにも責任を取ってもらうという事でどうですか?」

沙夜の言葉にコルベールもまた驚いた顔を見せるも、そこは生徒思いのコルベール。
ルイズを信じてその条件を飲み、納得いかないというルイズを何とか説得さえしてみせる。
こうして、恭也たちはまたしても異世界に滞在する事となるのであった。

恭也と剣の放浪記 〜ゼロとの出会い〜



   §§



ひらひらと桜の花びらが舞う。
周囲を桜に囲まれ、散り行く桜の花びらに囲まれたその光景は、幻想的とも言えるほどに美しく、
視界を桜色に染め上げる。
覗く青空から降り落ちる光に照らされて舞う様は、言葉を失うには充分な程に怪しげな美しさを醸し出す。
そんな幻想的な風景の中に立ち尽くす三人は、互いに言葉もなくその光景に魅入っている。
そう見えて、実はかなり疲れた表情をしていた。
男一人、女二人の内、男が口を開く。

「さて、俺としては楽観的に物事を捉えたいと思うんだが?」

そう呟いた恭也に対し、女性の一人が腕を組んだまま返す。

「悲観になり過ぎるのも良くないし、かといって楽観のし過ぎも良くはないがな。
 まあ、何事も冷静に見るのが一番じゃが、お主の気持ちも分からなくはない」

視線だけで残る一人へと問いかけると、最後の一人も口を開く。

「正直、これだけでは判断のしようがないというのが正直な所ですが……。
 感じている事を口にしても宜しいですか、恭也様」

女性――沙夜の問いかけに恭也は頷きをもって返し、それを受けて沙夜は言葉を紡ぐ。

「見た感じであれば、沙夜たちの元々居た世界なのではと思いますが、
 桜が他の世界にあっても可笑しくはありません。更に言えば、この気温が問題です」

「確かにのぉ。ちと肌寒いな。まるで冬のようじゃ」

「しかし、桜が咲いている、か。確かに沙夜やアルシェラの言うように可笑しな状態ではあるな」

「やれやれ。もしかしたら、アヴァターに戻される方が良かったかもしれぬな」

「アルシェラさん、それは仰っても仕方のない事ですわ。
 そもそもルイズさんの虚無魔法とて、異世界間を繋ぐのは至難の業とのこと」

「伝説の虚無とは言え、流石に異世界間をそう簡単に繋ぐ事は出来なかったという事か」

「恭也、正確に言うのなら異世界間を繋ぐ事はできておるぞ」

恭也の言葉にアルシェラがそう言えば、沙夜も同意とばかりに頷いている。
それはその通りで、問題はその繋がった異世界が自分たちの世界ではないかもしれないという事なのだから。

「まあ、まだ違う世界だと決まった訳でもないし、とりあえずは情報を集めるのが先決だな」

「その通りじゃ。なに、安心せぇ。もしお主に危険が迫るようなら、余と……」

「沙夜とでお守りいたしますから」

歩き出した恭也の隣に寄り添い、二人はさりげなく恭也の腕に腕を絡めてくる。
流石に長い時間、共に居てその度にやられていれば、恭也も慣れはしなくとも何も言わないし、
アルシェラと沙夜も流石にこの程度の事では互いに張り合う事もなくなっていた。
連れ立って三人が桜並木を抜けると、そこは公園となっていた。
見れば、ちらほらと制服姿の少年少女たちが見受けられる。
とは言え、それだけで元の世界に戻れたかもしれないなどと考える事もなく、
三人は注意を払いながら公園の中を歩く。その途中でゴミ箱に捨てられていた新聞を見つけ、その日付を確認する。

「……さて、どうやら今は二月のそれも終わりの方みたいだが」

「なるほどのぉ。ならば、この気温も納得じゃ」

「尤も、桜が満開なのが問題ですけれど」

立ち止まって今得た情報を口にする恭也に続き、他の二人もそれぞれ思うことを口にする。
最早、嫌な予感を抱きつつ、このままでは埒が明かないと恭也たちは顔を見合わせると、
丁度、公園の中をやや足早に走る一組の男女に目を留め、近付いていく。

「すみません、少しお聞きしたい事があるのですが」

何やら言い合っていたようにも見えた少年と少女は、恭也が声を掛けると一瞬顔を見合わせ、
次いで少女の方が先ほどとは打って変わった笑顔と、少々高い声で振り返る。

「何でしょうか?」

その事については触れず、恭也たちはここの場所と今の日にちを尋ねる。
少年と少女は不思議そうな顔をしつつも恭也たちの問いに答えてくれたのだが、不意に少年が時計を見て、

「音夢、時間がやばいぞ!」

「もう、だからあれほど早く起きてくださいって言ったのに。兄さんが……」

「いや、あの速度ならぎりぎり間に合ったはずなんだ」

二人の会話から遅刻しそうなのだと理解し、恭也は頭を下げて謝罪をする。
それには逆に二人の方が困ったような顔をしてしまい、
謝る恭也とそれを何とかやめさせようとする兄妹という図式が出来上がってしまう。
益々時間を浪費する事になるのだが、それに気付かずに更に続けそうになった所で沙夜がやんわりと止めに入る。

「恭也様、そろそろその辺りで宜しいかと。これ以上の謝罪は逆に気を使わせてしまいます故に」

「そうだな。助かった沙夜。と、それよりも二人の方は時間は大丈夫なのでしょうか」

「あっ……」

恭也の問いかけに少年は時間を確認し、絶望だという顔を見せ、少女の方は風紀委員なのにと肩を落とす。
流石に申し訳ない気がして、恭也はアルシェラへと視線を向ける。

「仕方ないのぅ。そこな娘」

「は、はい、私でしょうか?」

「そうじゃ。時間がない故、少し大人しくしておれ」

言うや肩に音夢と呼ばれていた少女を担ぐ。
流石に小さく暴れ音夢であったが、如何せん相手が悪い。
アルシェラはその程度の抵抗などまるでないとばかりに音夢を担ぎ上げる。
流石に何をするのかと文句を言いそうになった少年を、素早く恭也がこちらも肩に担ぐと、

「少しの間、口を閉ざしていてください」

言うや走り出す。
その隣にはアルシェラが同じく音夢を担いだまま併走しており、
その後ろからは二人が落とした鞄を持った沙夜が続く。
文句を言おうとした少年はしかし、舌を噛みそうになり押し黙り、
音夢の方はまだ事態を飲み込めていないのか、目をぱちくりさせている。
その間にも恭也たちは走る速度を上げて行き、

「所で、道はあっていますか?」

恭也の問いかけに少年は頷くと、自分で走るよりも早い事に感心しつつ、行く先を手で指し示す。
あっさりとこの事態を受け入れる兄にそこはかとなく呆れたような視線を向けつつも、
音夢の方も大分落ち着きを取り戻していた。
程なくして、学校らしき建物が見えてくると、恭也たちは速度を落として確認するように少年を見る。

「ああ、そこであってます」

少年の言葉に恭也たちは足を止めると、少年と音夢を肩から下ろす。
二人に鞄を返しながら、沙夜は息も乱さずに尋ねる。

「お時間の方はどうでしょうか?」

「あ、はい、大丈夫です」

自分の時計を見て、まだ余裕がある事に気付いて少し驚いた顔をする少年にそれは良かったと三人は笑う。
今更ながらに音夢はお礼を口にし、少年も慌てて頭を下げる。

「いや、元はと言えばこちらが招いた事ですから、気にしないでください」

「あ、どうも。と、今更ですけれど、俺は朝倉純一と言います。で、こっちが……」

「妹の朝倉音夢です。本当にありがとうございます。皆さんは観光か何かで?」

流石に担がれて運ばれると言う状況を思い出して少し恥ずかしそうにしながらも、二人揃って礼を言い、
音夢は恥ずかしさを誤魔化すかのようにそう尋ねる。
それに対し、アルシェラは小さく笑うと、

「それよりも、はよう行った方が良いのではないか。
 折角、ここまで間に合ったと言うのに、最後の最後で間に合わなかったでは笑い話にもならん」

「アルシェラさんの言うとおりですわ。沙夜たちはこれで失礼させて頂きますので」

二人の言葉に純一たちはもう一度だけ礼を口にする。

「礼を言うのはこちらなんだが、一応、素直に受け取っておこう。ではな」

「さらばじゃ。とは言え、暫くはこの町に居るやもしれぬから、また会う事もあるかもしれんがな」

「その時はまたよしなに」

三人は次々にそう口にすると、純一と音夢を送り出す。
二人は軽くもう一度だけ頭を下げると、学校の中へと入っていくのだった。
それを見送った後、三人はゆっくりと歩き出し、

「さて、どうやらまたしても異世界のようだな」

「そのようじゃな。初音島など聞いた事はないからの」

「一年中枯れない桜で有名と言うのならば、流石に沙夜たちも聞いた事があると思いますし」

「とりあえずは本屋か図書館を探そう。そこで地図を見れば、更にはっきりとするだろうからな」

「まあ、お主が願っているように、単に余たちが知らなかっただけ、という可能性は極めて低かろうがな」

「どちらにせよ、戻る方法も探らねばなりませんし、それで宜しいかと沙夜は思います」

こうして、三人は予め教えて貰っていた商店街を目指して歩き出すのだった。

恭也と剣の放浪記 〜桜咲く島〜



   §§



男――恭也は閉じていた目を開けて周囲へと視線を向ける。
その両隣で恭也を護るかのように周囲を警戒していたアルシェラと沙夜もまた閉じていた瞳を開け、
同様に周囲へと視線を向ける。
三人の背後に聳える大きな木からは、綺麗な花びらがひらひらと舞い落ちる。
それを掌で受け止め、恭也は誰にともなく呟く。

「もしかして、失敗か」

「いや、だとしても可笑しな話ではないか」

「そうですね。失敗なのだとしても、もうこの桜の木は枯れていないと可笑しいですし、何より……」

「枯れていない以上は、純一とさくらさんの姿があるはず」

沙夜の後に続けて言う恭也にアルシェラも頷いてみせる。
とは言え、周囲を見渡してもここは風見学園に近い桜公園。
その中でも奥まった地にある他よりも一際大きな枯れない桜のある場所には間違いない。
つい数分前、恭也たちは容態の悪化した音夢の為に桜を枯らそうとするさくらたちと一緒に居たのだから。
そして、枯れる寸前に桜の最後の力を使って元の世界へと戻るはずだったのだ。
だが、現状として同じ場所に三人は立っていた。

「やっぱり、枯れる寸前だったので願いを完全に叶える事が出来なかったのかもしれませんね」

「だとしても、ここは初音島にあったあの枯れない桜の木だとは思うのじゃが……」

「とりあえず、俺たちの記憶に間違いがないか歩いてみよう」

恭也の言葉に頷き、アルシェラと沙夜はそも当然とばかりに恭也の腕を掴んで歩き出す。
どうやら、時間も違っているようで、三人は揃って空を見上げる。
先ほどまで夜中と言っても良いぐらい、闇の帳が下りていた空は、今は目を細めるぐらいに眩しく、
何処までも青を広げていた。
目を細め、空を眺めていた恭也の耳に登校中だろうと思われる少女の声が聞こえてくる。
制服を見れば、風見学園の生徒らしいと分かり、やはりここが初音島なのかと三人は再び顔を見合わせる。
そんな三人の耳に聞くと話しに少女たちの話し声が聞こえてくる。

「もう弟くん、聞いているの?」

「ちゃんと聞いているよ、音姉」

「兄さん、目が泳いでいますよ」

「由夢!?」

「ふっふっふ、弟く〜ん?」

一人の少年に少女二人が何処か楽しげに話し掛けている。
そんな光景を眺めながら、三人はこれからどうしようかと考え、ここが初音島なら頼れる者が居る事に思い付く。

「状況が全く分からない上にまた迷惑を掛ける事になるかもしれないが……」

「純一たちを頼るのが確実じゃろうな」

「だとしますれば、どうなさいます? 恐らくは朝倉さんたちは学校でしょう。
 終わるまで待ちますか?」

「暫くはここで待つという手もあるな。純一なら遅刻ぎりぎりという事もあるからな」

「それで駄目なら、放課後にまた学園に行けば良いか。
 そうと決まれば、ほれ、あそこのベンチに座るぞ」

恭也の腕を引き、アルシェラは正面に見えたベンチへと歩き出す。
引っ張られる形で恭也も後に続き、更には恭也の反対側の腕を掴んでいる沙夜もそれに続く。
少数とは言え登校する生徒たちの中、少々周囲から浮くような光景を演じながら、恭也は暫しその場に留まる。
結果として、純一らしき生徒の姿を見つける事は出来なかったのだが、放課後に懐かしい再会を果たす事となる。
尤も恭也たちにとっては数時間前の出来事故に、懐かしいのもっぱら向こうであっただろうが。
こうして、今度は世界ではなく時間だけを越えてしまった恭也たちの帰郷を目指す旅はまだ続く事となる。
しかも、今度は再会した人物によって学生生活まで送らされる事になろうとは、この時は思いもしなかったのだった。

恭也と剣の放浪記 〜桜咲く島U〜



   §§



呆然という程もなく、既に何処か慣れたような達観したような様子で周囲を見渡す恭也。
そして、その恭也を間に挟んで立つ二人の女性、言わずもがな、アルシェラと沙夜である。
三人はどこはまたかという面持ちで周囲を見渡し、ずらりと続く壁を前にして、

「どこかの家の中、か?」

「にしては薄暗く、窓も何もないのぉ」

「気のせいか、空気が淀んでいるような気んもしますね」

口元を覆いつつ述べる沙夜に対し、恭也はこれまでの事を思い出すように確認する。

「確か、桜内もどうにか助かる目処が立ち、その上でさくらさんと朝倉姉の協力で桜最後の力を使って、だったな」

「最早、言うまでもないだろうが、またしても違う世界という事か?」

「今度ははっきりと元の世界をイメージしたのに上手くいきませんでしたね」

三人が考え込む足元から、遠慮がちな声が聞こえてくる。

「あ、あのー」

「ん? ああ、すまないな。勝手に話し込んでしまって。
 迷惑ついでと言っては何だが、ここが何処なのか教えてもらえないか?」

「それは構わないけれど、もしかして、ちゃんとここが違う世界だというのは認識してます?」

「まあな。可笑しな話だが、こういう事態にもいい加減になれたからな。
 今度こそは元の世界に戻れるかと思ったんだが……」

「さくらも完全な保証はできないと言っておったから仕方あるまい。
 とは言え、少々今回は気に掛かる事がなくもなかったが」

「アルシェラさんもですか」

二人の言葉に恭也がどういう事かと尋ねれば、確かに異世界へと通じる扉のような物が開いたような感覚を感じた後、
横から更に強い力が現れたような感じを受けたと答える。
それを聞き、今まで三人の話を聞いていた一人の少年が頭を抱え、終いには頭を地面に擦り付ける。

「すみません、多分、俺の所為です。召喚門を開いたから、きっとその所為で……」

「いや、よくは分からないがとりあえずは頭を上げてくれ。
 そして、それも含めて説明してくれると助かる」

恭也の言葉に少年は顔を上げると、ナクトと名乗り説明を始める。
まず、この場所は闘神都市と呼ばれる街から行ける迷宮の一つで、
この世界には召喚門と呼ばれる異世界から戦士を呼び出して力比べをする事が出来る門があるとの事。
つまり、ナクトは自分の今の実力を計るためにその召喚門の一つを開いてしまったらしい。
普通なら、呼ばれた戦士は闘った後、勝敗に関わらずに元の世界に戻るという事であった。
が、不幸な事に爆発事故が起こり、召喚門が壊れてしまったと告げる。

「本当にすみません。前にも召喚門が壊した事があったのに、また同じ事を繰り返すなんて……」

申し訳なさそうに項垂れるナクトを励まし、恭也たちはとりあえず独自戻る方法を探ろうと決める。
本来なら召喚門を調べるのが早いのだが、数がそんなにある物でもない上に、
迷宮には大会参加者しか潜れないらしい。
そんな訳で、恭也たちはとりあえずの拠点や諸々の事を話し合うため、迷宮から街へと戻ろうと相談する。
幸いな事にナクトも負い目からか出来る限りの協力を申し出てくれており、
その点は三人にとってもありがたい事であった。
こうして、恭也たちはまたしても異世界へと投げ出されてしまうのだった。
いつか、恭也たちが元の世界に戻れる日が来るのだろうか……。

恭也と剣の放浪記 〜異邦人と闘神〜



   §§



「…………はぁ、今度こそはと期待したんだがな」

「相手が悪魔王の妻を名乗っておったしのぉ」

「現にナクトさんたちの願いは叶えられたみたいでしたが……」

最早お馴染みとなった目の前の光景に、恭也たちは揃って慣れたような、疲れたような声を上げる。
願い事を一つ何でも叶えてくれると言うことで約束を交わし、ナクトと協力し、
その上で、ナクトたちとは別扱いで願いを叶えてくれるという約束も守られようとしていた。
が、目の前に広がる光景に願い事が叶わなかったのだと知る。

「もしかすると、あの悪魔王の妻からすれば願いを叶えた事になっているのかもしれませんね」

「どういう事だ、沙夜」

「私たちは単純に元の世界へ帰りたいとしか告げていません。
 悪魔王たちの住む世界から見れば、沙夜たちの言った元の世界と言うのは単純に人間世界の事を指すのかも」

沙夜の説明に納得はするものの、アルシェラは当然の疑問を口にする。

「だとしても、ここは何処じゃ」

「それに関しては、端的且つ、現状を表現するに相応しい言葉がございますが、本当にお聞きしたいですか?」

「ふん、ただの皮肉じゃ」

「そうでしょうね」

二人して恭也の腕に抱き付きながら、いつものようなやり取りをする二人。
そんな美女二人に挟まれ、恭也は小さく嘆息をしつつも現状を表すに相応しいと思う単語を口に上らせる。

「ここは戦場だな」

暗にさっさと逃げようと言う意味合いを含めつつ告げる恭也に対し、二人は両側から飛んでくる矢を叩き落し、
または素手で掴み取りながら、平然とした態度のまま恭也の言葉を肯定する。

「まったく、帰すなら帰すでもっと安全な場所へと帰さんか」

「尤も、沙夜の予想が正しいと言う実証も現状では出来ない今、
 更に違う世界へと飛ばされたという可能性も捨て切れませんが、アルシェラさんの仰る通りですわ」

「戦場のど真ん中、それも今にも両軍がぶつからんと睨み合っている、その最中に帰されてもな。
 寧ろ、俺たちの登場が両軍がぶつかる切欠となったような気もしなくもないが」

「まあ、どちらにせよ、さっさと逃げるのが得策なのじゃろうが……」

アルシェラは一旦言葉を切ると周囲を見渡し、何処へ逃げても兵が居るという現状に肩を竦める。
沙夜もまた、手を頬に当てて困りましたと零す。

「どちらからも敵として認識されているようですし……」

とは言え、状況が全く掴めていない状況で下手に交戦するのもまずい。
そんな理由で三人はその場に立ち尽くしていたのだが、いよいよ持って両軍がぶつからんと迫る。
ことここに至っては仕方ないかと恭也たちも戦う覚悟を決め、武器を手にしようとしたその時、

「両軍、そこまで!」

浪々と戦場に響き渡る声。
見れば鎧姿の一人の少女が腰に差した刀を抜き放ち、天高く掲げている。

「力なき民を戦に巻き込むなど、言語同断。
 上杉謙信、推参! 毘沙門天の加護ぞある!」

そう宣言すると謙信を名乗った少女は一人、二つの軍がぶつかるその真っ只中、つまりは恭也たちの元へと走り出す。
恭也たちを力なき民と思い込み、助けんと駆ける謙信。その勇ましい姿を目にしながら、

「……力なき民」

恭也は思わず両隣の二人を見るが何も言わず、寧ろ謙信の方が危険だと止まるように言いながら走り出す。
腕を振り解かれた事に不満を抱きつつも、その後をアルシェラと沙夜の二人も追う。
が、少女の足は速く、恭也が止める声が聞こえるよりも先に戦場へと到着してしまう。
が、恭也たちの不安が実現する事はなかった。
寧ろ、今にもぶつかり合おうとしていた両軍が何故か揃って転進して行く。

「一体何が?」

その光景に思わず足を止めた恭也たちの耳には、あの少女を恐れる声が届く。
半信半疑で見遣る中、謙信は逃げ遅れて諦めたのか、
やけくそ気味に謙信へと切りかかる兵士たちが纏めて吹き飛ぶ光景を目にする。
相手が自分の間合いに謙信を捉え、己の得物を振るおうとした瞬間には謙信は踏み込み、
自分の間合いへとし、得物を振るう。振るわれた刀は正に目にも止まらぬ速さで敵の得物を払い、
時には兵士ごと吹き飛ばしている。
その攻撃に切れ目はなく、続け様に振るわれる刀の前に次々と兵士たちは倒れ伏す。

「すさまじいな」

「ああ、武器を己の手足の如く扱っておる」

「敵ではない事を感謝するべきでしょうね」

恭也たちとの間にいる兵士たちを倒しながら近付いてくる謙信を前に、三人はそんな事を言っていた。
とりあえずの危機的状況は脱せるであろうという事と、謙信から話を聞けるという二つの事態に、
恭也たちも幾分、安堵した様子であった。が、その後謙信から聞かされる事となる、
やはり自分たちの世界ではなく、またも違う世界という事実に肩を落とす事になるのだが。
更に言うなら、今は戦国時代、まさに群雄割拠という状況だと知らされる事となり、
そのまま上杉家の客将として扱われる事になるのであった。


恭也と剣の放浪記 〜戦国時代へようこそ〜



   §§



「……いい加減に言い疲れたがここは何処だ?」

「さてのぉ。見た所、廃墟といった所か」

「困りましたね」

未だにさ迷い続ける迷子三人組、恭也にアルシェラ、沙夜は周囲を見渡してそう言い合う。
見渡す限りアルシェラの言った通りに廃墟といった言葉が似つかわしい、何もない荒野が続く。
とは言え、十数年前には建物が建っていたのだろうという事が分かるぐらいには壊れた建築物が目に付く。

「昔は街だったのは間違いないようだが」

周辺を歩きながら見た感じからそう口にする。
その両隣を歩きながら、アルシェラたちにも異論はないらしく、人気のない街を見渡す。
ふと、アルシェラが恭也の腕を引っ張り注意を促す。
何を、と問う前に恭也もまたそれに気付く。
今まで人一人見つけられなかった廃墟の中で、一人の青年を見つけたからだ。
向こうもこちらに気付いたようで、こちら以上に驚いた顔をしている。
警戒するように近付いてくる青年に、恭也はこの世界について聞こうと近寄って行く。
これが、世界を繰り返し再び戻ってきた白銀武と迷子の高町恭也の出会いであった。
信じられないかもしれないが、と前置きをして語りだした恭也の言葉に最初は警戒していた武も信じたのか、
自らの事も話してくれた。
それによると、目の前の武もこの世界の住人ではないらしい。
その上、どうも時間を逆行したようで、今から未来を掴むために横浜基地へと向かうのだと言う。
更に、そこに居る副指令は天才と呼ばれる女性で、彼女なら元の世界に戻す方法が分かるかもしれないとの事。
それを聞き、恭也たちは武と同行する事となる。その途中、この世界の大まかな歴史や現状や、
その副指令、香月夕呼がただで帰すなんてしないかもとしれないとも聞かされる。
その事に少し考え込んだ恭也たちであったが、他にあてがあるはずもなく、結局は武に付いて行くのだった。

恭也と剣の放浪記 〜異星人との接触〜



   §§



「さて、いい加減に言い疲れたと前にも言ったとは思うが……」

「さて、ここは何処なんじゃろうな」

「そろそろ沙夜たちも戻れるはずだったのでは……」

「放浪を希望する声が思ったよりあったようじゃのぉ」

「アルシェラ、どういう意味だ?」

「さあ、余にもよく分からぬ。ただ何となく口を付いて出ただけじゃ。気にするでない」

流石に放浪し過ぎで疲れでも出たのか、やや可笑しな事を口走ったアルシェラであったが、
本人の言うとおり恭也たちはそれに関しては触れず、改めて周囲を見渡す。
これは既に習慣とも言える作業のようになってきており、改めて自分たちが元の世界になど戻っていないと理解する。

「香月副指令の理論では、鑑さんにより呼ばれた俺たちは白銀を手助けした事によって戻れるはずだったよな」

「まあ、推論は推論でしかないという事じゃろう。もしくは、またしても可笑しな事でも起こったのか」

「だとしても、流石に戦場のど真ん中というのは勘弁して欲しいものですわね」

「さて、以前のように都合良く助けが入るとは限らないしな。下手に巻き込まれない内に離脱するぞ」

前回の似たような状況からそう判断を下し、恭也たちは混戦と化している戦場を見渡し人の少ない方へと走り出す。
ここが何処かも分からない以上、何処に行ったら良いのかという判断も下せない。
故に安全な方へと逃げるのは間違いではないだろう。
ただし、それがぶつかり合う両軍の片方が仕掛けた罠ではなければ。

「昔、トンネルを抜けたら……という文学があったが……」

「さしずめ、混戦を抜けたら、そこには展開された軍が居た、といった所かのぉ」

「お二方供、暢気にしている場合ではないようですよ。どうやら、向こうもこちらに気付かれた様子」

沙夜の言葉をまるで肯定するかのように、恭也たち三人へと動き出す軍。
いや、そこには多少の乱れが見えた。
まあ、普通に考えれば罠は成功して伏兵による攻撃を、
という所にたった三人しか姿がないのだから、多少の混乱はあるかもしれないだろう。
だが、司令官は恭也たちを敵の斥候とでも見なしたのか、逃がすなとばかりに軍を前進させてくる。

「とことん付いていない状況のような気がするな」

「何、あの程度の輩」

「アルシェラさん、状況も分からない今、下手な交戦は控えた方が宜しいかと」

逃げ道を探す恭也を筆頭に、既にやる気満々となっているアルシェラとそれを嗜める沙夜。
傍から見ていても、そこに恐怖や驚愕といったものは見えず、
軍を指揮する将軍はバカにされているとでも感じたのか、軍を停止させてこちらへと一騎で先行してくる。
それを見て、恭也たちは少し呆れたような顔をする。

「どう見てもあの隊を率いている人物だと思うんだが」

「わざわざ一騎だけ出てくる意味が分からんのぉ」

「一層の事、人質にでもしますか?」

首を傾げる二人に対し、沙夜は何気に物騒な事を口にする。
その間に近付いてくる者の姿は遠目でもはっきりと分かる位置へと達していた。
身の丈を越す槍を手に馬を駈け、風に黒髪を翻す姿はどう見ても少女のものである。
それは自己主張する胸からもはっきりと象徴されており、別にそこを注視した訳でもないのに、
恭也は両頬をそれぞれ違う人物によって引っ張られていた。

「全く、そんなに見たいのなら余に言えば良かろう」

「そうです、沙夜に言ってくだされば」

瞬間、恭也を挟んで火花が散るが、恭也は珍しく二人を制する。
黒髪の少女がすぐそこまで来ていたからである。
少女は恭也たちから五メートル程の距離を開けて止まると、恭也たちを一瞥し、

「もしかして、賊から逃げてきた民か?」

どうやら賊と戦っている最中だったのか、恭也たちが丸腰だと見てそう話し掛けてくる。
実際には恭也は丸腰ではないのだが、相手の言葉に頷いておく。
そして、目の前の少女が激昂して近付いたのではなく、民間人が紛れ込んだかもしれないとやって来たのだと知る。
だとしても、斥候を出すなり方法はあっただろうに。
思わずそう思わずにはいられなかったが、とりあえずは黙っておく。
その間に目の前の少女は珍しそうに恭也たちの服装を眺めていたが慌ててそれを止め、自ら名乗り出す。

「我が名は関羽。劉備様にお仕えする――」

少女がまだ何か言っているが、それよりも恭也は驚いた顔で少女を見詰め、次いで確認するように両隣を見る。
が、どうやら聞き間違いではなかったらしく、アルシェラたちも小さく頷き返してくる。

「まあ、上杉謙信を名乗る少女や伊達政宗を名乗る妖怪とも会っているしな」

「そうじゃな。世界が変われば、このような事もあろうて」

「どちらにせよ、やはり元の世界ではないとはっきりと分かっただけでも僥倖としましょう」

こっそりと交わされる会話の間に少女――関羽の方も名乗り終えたらしい。
その上で確認するように尋ねてくる。

「もしやと思いますが、貴方様方のその服装から察しますに天の御遣い様ではありませんか。
 やはり、桃花さまの聞いた予言は正しかったのですね。是非とも我が主のお話を聞いてください!」

一人納得して話を進めていく関羽を前に、恭也たちは顔を見合わせる。
その天の御遣いなる者ではないが情報は必要である。故に恭也たちは関羽の言葉に首肯し、

「その天の御遣いかどうかは分かりませんが、少し聞きたい事がありますので」

一応、そう忠告はしておく。
対し、関羽は頷き、恐らくは間違いないだろうと言い返す。
どうやら、呉にそのような人物が現れ、その者が発案した服装がどうやら沙夜の服装と似ているらしい。

「沙夜の服装と言うと、着物か」

「ふむ、確かにこの世界がどのような発展をしたのかは分からぬが、
 本当に今まで見た事もない服装なのだとしたら、その呉に現れた人物というのも気になるのぉ」

アルシェラの言葉に同意しながら、恭也たちはとりあえず関羽の連れられて彼女の主へと会う事にするのだった。
まさか、これが大陸を三つに分断した戦の始まりになるとはこの時は考えも及ばなかったのだが。

恭也と剣の放浪記 〜三国ともう一人の異邦人〜



   §§



「御神一族の抹殺」

簡潔にただそれのみが書かれた便箋。
他に一緒に同封されていたのは三枚の写真と零が幾つも並んだ小切手。
差出人の名前もなければ、他にこれといった指示もない。
どうやって依頼主が依頼の成否確認をするのかも分からず、
金だけを持って逃げると言う事も考えていないのかとも思う。
が、同時に既に滅んだとされる一族の生き残りを見つけ出し、その人物の写真まで手に入れている事を考えると、
その程度の確認ぐらいはそれこそ簡単に行えるのだろうと推測する。
他にチケットも何もない事から、この依頼料には経費も含まれているのだろう。
写真の裏を返せば、そこには名前と居場所のみが書かれている。
もう一度封筒の中を覗き、本当にそれだけだと確認すると便箋を燃やして消し去る。
依頼主も不明である事から、断る事も出来ない。
いや、寧ろ断る気はないと言う方が正しいのだろう。
その口元には楽しげな笑みが張り付いている事からもそれが窺える。
間違いなく依頼主は自分の事も調べ上げ、その上で依頼をしてきたのだと思われる。
相手の思惑が何なのか分からないが、大人しく踊らされてやろうと決め、小切手と写真をポケットに仕舞い込むと、
依頼を果たすため、とりあえずはこの場所を離れるのだった。



永全不動八門一派、御神真刀流、小太刀二刀術。
少々長いが、これが恭也たちが修める剣術の正式な名称にして、既に使い手が三人しかいない流派である。
その本質は守る事にあるが、殺人術である事も否めないのもまた事実である。
故に方々から恨みを買う事もあり、それは現存者が僅か三名という現状からしてもうかがえる。
故に恭也たちは滅多な事では自らの流派を口にする事もないのだが、
やはり裏の世界の情報に精通している者はいる訳で、御神の生き残りが居ると言うのが最近では噂されていた。
それを美沙斗から聞かされた恭也は僅かに眉を寄せつつ、美沙斗の続きを待つ。
殆ど表情を変えない恭也に苦笑しつつ、美沙斗は最近耳に届いた噂について話し出す。

「元々、ティオレ・クリステラのコンサートの件で色々と噂が飛び交っていたんだ。
 この時点ではまだ時代遅れの武器を扱う存在程度だったけれどね。
 度々、恭也が護衛の仕事をしていたのもそんなに問題ではない。
 寧ろ、私の存在からそんな噂が出てきたと見るべきだろうね」

苦笑を浮かべながらそう告げる美沙斗は、今は法の番人と呼ばれる香港国際警防隊に所属しており、
そこでその力を奮っている。故にその噂は瞬く間に広がり、やがて使う得物から件の噂が出てきたのだと説明する。
恭也の隣でポーカーフェイス所か、自身の驚きを隠そうともしない素直な娘、美由希へと優しげな視線を向け、
再び恭也へと向き直る頃にはまた先ほど同様に鋭い目付きへと変わっている。

「まあ、噂程度と思ってくれても良い。そんなに心配はいらないと思うよ。
 ただ、一応耳に入れておこうと思っていた矢先、こちらに来る事になったんでね」

「そうでしたか。それで、日本にはやはり仕事で?」

「仕事半分、休暇半分かな。副隊長の娘さんが海鳴に住んでいてね。
 久しぶりに顔を見せに帰らせろって上にごねたらしい」

冗談混じりにそう口にし、それに便乗させられたと続ける。
美沙斗の言葉に美由希は嬉しそうに笑い、恭也は少しだけ口元を緩める。
そんな二人の反応に心を温かくしつつ、美沙斗もまたその口元に微笑を浮かべるのだった。



それから僅か五日後、恭也たちの元に警防隊から連絡が入った。
その内容は美沙斗が行方不明になったという連絡であった。



「君たちも充分に注意してくれ」

美沙斗の行方不明を聞かされた後、そう警告してくれた言葉を聞きながら、恭也と美由希は香港行きを決める。

「今は廃れた殺人剣も、意外と裏社会では生き延びているんだよ。
 君たち御神が生き残っているようにね」

二人の前に現れる謎の刺客たち。

「最強の証たる永全の名を頂きに」

その思惑は様々であり、

「周りの無関係な人間を巻き込みたくないのなら、大人しくここでやられろやっ!」

襲撃は昼夜、場所を問わずに繰り返される。

「君たち兄妹には懸賞金が掛けられているんだよ。生死問わず、いや、寧ろ死を願う形のね」

事態は収まる所か、

「警防隊としても、これ以上の事態の悪化は望んでいないという事さ。
 そんな訳でそれ程人員は割けないけれど、協力させてもらうという事になった」

警防隊を巻き込み、

「恭也、美由希、美沙斗の事はアタシに任せてクダサイ」

美沙斗の捜索も同時に行われる中、

「クリステラ議員を含め、人質は全部で二十人! 御神二人の身柄を要求しています!」

更なる広がりを見せる。
果たして、真の黒幕は!?

とらいあんぐるハ〜ト3 外伝 The MOVIE



   §§



それは一本の電話から始まった。
シルバーブロンドの女性、リスティ・槙原へと繋がったその電話の内容は、
彼女を経由して第三者に伝えられる運びとなった。
海鳴にある商店街、その一角にある喫茶翠屋。
その店内の奥まった一角にその第三者たちは居た。

「何がどうなって僕の所に連絡が来たのかは不明なんだけれどね」

「その言い方だと、リスティさんは相手の人を知らないみたいに聞こえますね」

タバコを手にしつつも遠慮してか火を点けず、ただ指先で弄っていたリスティは美由希の言葉に首肯する。
逆に半分からかうような口調で言った美由希の方は驚愕した顔で見詰め返し、

「そんな知りもしない人からの依頼を受けたんですか?」

「正確には仕事の仲介だけれどね。
 まあ、相手はちゃんと信頼できる所だし、その名を騙っていない事はちゃんと確認してあるよ」

リスティの言葉に恭也は小さく頷くと、依頼内容とやらの説明を求める。

「護衛を頼むって事は分かっているとは思うけれど、今回はちょっと場所が特殊でね」

「と言いますと?」

「私立セント・テレジア学院。全寮制の女子校さ」

リスティの言葉を聞き、恭也は納得する。

「つまり、今回の依頼は俺じゃなくて……」

言ってちらりと隣を見る。
が、リスティはそれに対して首を横へと振る。

「恭也にも付いてもらう事になる。そもそも、この依頼の主はアイギスだ」

アイギス。表では警備会社として知られているが、もう一つ裏の顔を持つ組織。
その裏の顔とは、あらゆる手段を用いてでも護るという護り屋。
その名を聞き、恭也は訝しげにリスティを見返す。

「護衛ならそれこそ本業とも言えるじゃないですか」

「ああ、そうだね。
 実際、既にシールドナンバーを持つエージェントが学生として入り込み、刺客の一人を捕まえたらしいよ。
 ただ、問題はその所為なのか、護衛しないといけない対象が増えてしまったという事さ。
 現在、そのエージェント、シールド9が守護すべき要人は三人。
 しかも、見事に学年もばらけている状況な上、場所が場所だけに増援も難しい」

「そこで俺たちに、という訳ですか?」

「そういう事。どんな手を使ったのかは知らないけれどね。
 どうも、恭也のお父さんとアイギスの課長か何かが知り合いだったらしいよ。
 で、その息子か娘なら潜入もし易いだろうと思って僕に連絡したらしい。
 この辺りの情報のソースに関しては秘密だと言われたけれどね。
 で、無理強いはしないと言っているけれど、どうする?」

リスティの言葉を聞き、恭也は暫く考えて自分だけでは決められないと判断したのか、美由希に視線を向ける。

「えっと、私は引き受けても良いけれど……」

言ってその視線を恭也を挟んで反対側に座る少女へと向ける。

「私も構いませんよ」

少女も賛成したのを受け、恭也は残る一人、リスティの隣に座る女性へと無言のまま視線だけで問い掛ける。
その視線を受けた女性も特に迷う事無く、

「ああ、私も別に構わないよ。で、この場合はどういう名目で潜入する事になるんだ?」

了承を口にし、リスティへと疑問を問いかける。

「その場合、シールド9が二年として潜入しているから、美由希か悠花に三年と一年に生徒として潜入してもらう。
 そして、恭也とリノアには事務員と教師という形でだな」

「二人同時に転入は勘繰られませんか?」

「まあ、勘繰られるかもしれないけれど気にするなとの事だよ。
 元々、この学園は令嬢が多く通っている事もあって、
 生徒や教師の中にそういったエージェントが潜入しているんだ。
 あんな事件の後だから、どっかの家がエージェントを忍ばせたと思われるんじゃないか。
 まあ、表向きの書類はちゃんとした転校になっているから、そう簡単にばれる事はないと思うけれどな。
 教師の方にしても、捕まえた工作員が臨時教師だったみたいでね。
 表向きは何らかの理由を付けて辞めたという事になっているから、その後釜としては問題ないだろう。
 事務員に関しては少々あれだが、理事長が必要だと思って急遽募集したという形になるらしい」

で、誰がどれを担当する?
そう告げられた言葉に恭也たちは顔を見合わせ、

「美由希と悠花に関してはどちらが上になるかだけの問題だから良いだろうが、俺たちの場合は……」

言ってリノアと視線を合わせれば、リノアもまた渋い顔をしている。

「自慢ではないが学校なんてまともに通った記憶はないよ」

「俺は通ってましたが、授業をまともに受けた記憶が……」

暗に教師は嫌だとその顔が語っていた。

「因みに、教科は?」

「生物だそうだ」

恭也の問い掛けに返って来た答えを聞き、二人は揃って渋面顔になる。

「せめて英語なら何とかなったんだが。そんな訳で恭也、頼むよ」

「待ってください。そもそも俺は文系で生物なんて専門外ですよ」

そう言ってまた困った顔をする二人とは違い、美由希たちの方はあっさりと話が着いていた。

「それじゃあ、私が一年で悠花さんが三年ということで」

「はい、それで良いですよ」

だが、恭也たちの方は決着がつきそうもないと判断すると、リスティはとりあえずと二人の間に割って入る。

「先方には依頼を引き受ける旨伝えておくよ。
 それと同時に教師以外の方法がないかも打診しておく。
 ただし、どうにもならない時は諦めてくれ」

そう告げるとリスティは返事も待たずに席を立つ。
仕方なく、恭也とリノアは互いに頷くのであった。

その数日後、私立セント・テレジア学院は二人の転入生と、事務員と保険医見習いを一人ずつ迎え入れる事となる。



マリアさまはとらいあんぐる2nd X 恋する乙女と守護の楯

護りの剣と守護の楯



放課後の屋上。
そこで向かい合って立つのは二人の女性。
一人は今日、保険医見習いとしてやって来たリノアで、もう一人は制服を着た生徒、真田設子である。
暫く無言で向かい合っていた二人であったが、設子の方から口を開く。

「こんな所で貴様に会うとは思ってもいなかったぞ、血塗れの魔女」

「それはこちらの台詞でもあるんだけれどね。お前がいるという事は、ファランクスが動いているのか」

「それに答える必要はない。ただ、私の仕事の邪魔だけはするなよ。
 貴様が誰を標的としているのかは知らないが、互いに不干渉といこう」

「概ね、その意見には賛成だけれどね。まあ、私の方もそっちが仕事の邪魔をしないのなら良いさ」

暫し睨み合うも、設子はリノアに背を向けると屋上を後にする。
その背中を見送り、リノアは一人呟く。

「そうは言っても、今の私の立場はそっちとは全く逆だけれどね」

設子の狙いが今回護衛する対象でない事を願いつつ、違うとしても恭也が知ればどうするのだろうかと考えて頭を振る。
他の事に注意を払っている余裕があるかどうか分からないのだ。
だとしても、恭也にだけは報告している方が良いだろうとリノアは設子から遅れる事数分、屋上を後にするのだった。



   §§



場所は東京。とある屋敷に掛かっていた一本の電話から全てが始まった。

「いや、本当に申し訳ないと思ってはいるんだよ、恭也」

「はぁ」

少々気のない、と言うよりも気落ちした声で返すのは高町恭也、その人である。
電話の相手、リスティの口ぶりは確かに申し訳なさそうな声であったが、その内何割かは楽しげでもあり、
それを感じ取った恭也が少々憮然とした声で話の先を促したのは仕方のない事であろう。
リスティもそれを感じ取ったのか、幾分か申し訳なさを割り増しし、
今回急に入った仕事に関して恭也へと説明を始める。
とは言え、恭也に回ってきている時点で護衛の話ではあるのだが。

「学院内でとあるお嬢様が攫われそうになったらしい」

「学院の中で、ですか?」

「ああ。校舎から離れ門へと続く長い道の途中とは言え、ちゃんと敷地内だったにも関わらず、だ」

リスティの言葉に恭也は眉を顰めつつ、黙って続きを聞く。

「その襲撃者は近くに居た生徒が追い払ったんだけれど捕まった訳じゃない。
 まあ、失敗した事で警戒も強くなるから諦めるとは思うんだけれど、そうじゃなかった場合が問題となってくる」

「つまり、もう襲撃がないとはっきりとするまで護衛が必要だと」

「そういう事だよ。まあ、かなりややこしい事態になっているみたいでね。
 僕も詳しい事は聞かされていないんだけれど……」

リスティの言葉に恭也はそれは信頼置ける所からの依頼なのかと訪ねれば、
それは問題ないというお墨付きが返って来る。

「ややこしいのは、その襲撃を受けた者からの依頼じゃなく、襲撃者を退けた者の家からの依頼なんだよ。
 この辺りの事を聞いてもはぐらされてしまってね。
 どうも撃退した子が日本でも有数の家の令嬢らしんだけれどね」

「つまり。逆恨みの可能性を考えて護衛を付けるという事ですか」

「そうなんだ。で、恭也が護衛をしてくれている間に、
 僕たちのほうで襲撃者の正体を掴むというのが今回の仕事の全容だよ」

「護衛の方は引き受けても構いませんけれど、その依頼主というのは?」

「多分、恭也の知り合いだと思うんだけれどね。どうも、高町家に一旦、連絡があったらしいよ。
 で、恭也が留守という事で、何処から調べたのか僕の方に連絡が来たという訳さ。
 君を指名してね」

「俺の知り合い、ですか。いえ、それ自体は問題ないのですが、その依頼は高町恭也に来たものなんですよね」

「ああ、そうだよ、美影」

電話の向こうでにやりと笑っている姿を容易に想像しながら、恭也、もとい美影は深い溜め息を零す。
とある事件で恭也が女子高に生徒として護衛に赴く事となった際、ばれては大問題だと夜の一族の秘薬という、
何やら怪しげな薬を飲んで完全に女性化してから約一年。
未だに元に戻る方法は見つからず、恭也――美影はそのまま護衛先であるリリアン女学園で三年に進級していた。
そんな折、リスティからの電話だっただ。
期待するなという方が無理な話である。
が、やはり結果は未だ戻る方法は不明のまま、新たな仕事の依頼、それも高町恭也宛てである。

「その知り合いが誰なのかは知りませんが、この姿で会いに行っても信じてもらえないと思うけれど?」

「まあ、その辺りは美影の話次第だろうね。寧ろ、向こうとしては余計な手間が省けると喜ぶかもしれないよ」

「何やら嫌な予感がしますが、それはどういう?」

「詳しくは依頼人に聞いてくれ。連絡先は……」

「ああ、待ってください」

リスティに待つように頼み、電話を肩と耳で抑えながらペンとメモと手に持つとどうぞと声を掛ける。
告げられる番号をメモし、続けて言われた依頼主の所で思わず手を止める。

「本当にそう名乗られたんですか?」

「そうだけれど、どうかしたのかい?」

「……いえ、別に」

そう答えながらも、美影は絶対にからかわれると頭を抱える事となる。
が、それをリスティに気付かれないように会話を続け、電話を切ると再び頭を抱える。
そんな様子をじっと見詰めていた祥子が首を傾げながら、手にしていたカップを置き、

「美影、どうかしたの? 何かお仕事の依頼だったようだけれど」

「いや、まあ古い知り合いからの依頼だから引き受けたいんだけれど、ほら、今の私は美影でしょう。
 あの人の事だから、絶対にこの事でからかってくるわ。それを考えると少し憂鬱でね」

言って溜め息を零す美影に祥子は小さく笑みを零し、美影の傍に近寄るとその肩にそっと手を置く。

「よくは分からないけれど、それでも行くんでしょう」

「ええ。流石にからかわれるのが嫌だからって依頼を断ったりはしないわよ」

「でしょうね。でも、無理だけはしないでよ、ちゃんと無事に帰ってきなさい」

「分かっているわよ。ちゃんと帰ってくるわ」

不安そうな顔を見せる祥子に優しく微笑んでから、美影は可笑しそうに声を上げて笑い出す。
そんな美影に自分の事を笑っているのかと不満そうな顔を見せる祥子に美影は違うと否定し、

「本来の私の家は海鳴なのよ。なのに、自然とここに帰って来るって言っている自分がちょっと可笑しくてね」

そう言ってもう一度笑う美影に祥子も笑みを零すも、すぐに剥れたような顔を見せる。

「別に良いじゃないの。ここは美影の帰るべき家の一つでもあるんだから。
 それとも……」

それ以上は何も言わず、ただ不安げに見詰めてくる祥子の頭を優しく撫で、美影は何も言わずに微笑む。
それだけで祥子も美影の言わんとした事を理解したのか、安堵した表情の中にも笑みを漏らす。

「本当に気をつけてよ」

「分かっているわ。それじゃあ、明日は早くに立つから、今日のおしゃべりはここまでかしらね」

「あら、明日から暫く留守にするんでしょう。だったら、その分も少しぐらいおしゃべりしても良いじゃない」

「はいはい、仕方ないわね祥子は。それなら、もう少しだけよ」

そう言うと美影は祥子の背中を軽く押し、先ほどまで自分たちが座っていた席へとエスコートするのであった。



「お久しぶりです」

「はい? 失礼ですが、どちらさまでしょうか?」

それが美影と依頼人が最初に交わしたやり取りであった。
その後、すったもんだあったが恭也しか知り得ない情報を口にし、
どうにか美影と恭也が同一人物だと認めてもらう事に成功した。
が、それでも当初は恭也から聞いたのではと疑われたが、
恭也がそれこそ親しい人にも漏らさないであろう事――早い話が恭也自身の恥となるような事――を口にし、
どうにかという感じであったが。
ともあれ、必要以上に時間を取られたのは仕方ないと割り切り、二人は今屋敷の今で向かい合って座っていた。

「それで織倉さん、わざわざ私に連絡を入れてきたのはどうしてなのかしら?」

美影の言葉にじっとこちらを見ていた織倉楓は驚愕した顔から一転して可笑しそうな顔になり、くすくすと笑い出す。
それを憮然としながら軽く睨みつけると、

「ごめんなさい、恭也さん。いえ、美影さんの方が宜しいかしら?
 その、美影さんの仕草や言葉使いがあまりにも女性らしかったからつい」

「そうね、かれこれ一年近くも女子高に通い、ましてやすぐ傍にはお嬢様が居るからね。
 自然とそんな仕草も身に付いてしまったのよ。
 とは言っても、本来のお嬢様から見れば、まだまだでしょうけれどね」

「笑ったりしてごめんなさい。それじゃあ、早速本題なんだけれど、寧ろ都合が良かったわ」

申し訳なさそうな顔で謝罪した後、楓は一転して嬉しそうな笑みを浮かべる。

「ある程度は聞いていると思うけれど、襲撃されたのは厳島のお嬢様。
 そして、それを撃退したのがうちの瑞穂さんなんです」

「瑞穂がですか? だとしても、それを隠す必要はないのでは?」

「それが問題ありなんです。聖應女学院、この名前に聞き覚えは?」

「詳しくは知りませんが、私の通うリリアンと似たようなお嬢様学校でしたよね」

「ええ。そこに瑞穂さんは今通っております」

「…………はい? え、だって瑞穂は男、まさか私みたいに?」

「いえ、美影さんのように完全な女性になったのではなく、そのいわゆる女装をしてです」

「はぁ、まあ瑞穂なら私と違って女装してもそうそう外見に違和感はないでしょうけれど。
 何でまたそんなスキャンダルにも繋がるような事を?」

「それが……」

少し言い辛そうに美影から目を逸らし、楓は消えるような声で呟く。

「遺言です」

しっかりとそれを聞き取った美影は、聞き間違いではないかと自らもそれを口にするも、楓は至極真面目な顔で頷く。

「はい。先代様、つまり瑞穂さんのお爺様の遺言です」

それを聞き、美影は思わず金持ちの家というのはそういうものなのか、とか思いそうになりそれを否定する。

「まあ、あの方も何か考えがあったのでしょうね」

「ええ、そうだと思います。が、それは兎も角、今回の事で何か起こり、
 それが元で瑞穂さんの事がばれるという事態だけは何としても避けたいのです」

「そういう事でしたか。だから私に連絡されたんですね」

納得がいったとばかりに頷く美影に楓も頷き一つで返す。
そこで美影は楓が初め言った都合という言葉を思い出す。

「まさかとは思いますが……」

「ええ。短期の男教師が学院に入るよりも、女子生徒が転校してくる方が手続きや裏工作が簡単にいきますから」

楓の仕事が楽になったという表情に、美影は何も言わずにただ肩を竦めるのであった。



数日後、美影の姿は聖應女学院敷地内に建つ寮、櫻館の前にあった。
楓から話を聞いていた瑞穂がわざわざ玄関まで迎いに出てきてくれており、二人は久しぶりに顔を見合わす。
隣に居たまりやもまた事情を知る人物で、しきりに美影の周辺を見渡しては感心したような声を漏らしている。

「はぁ、それにしても世の中には色々あるもんね。
 まあ、瑞穂ちゃんも一子ちゃんのお蔭で女の子になった事もあるし、そういう事もあるのかと思っていたけれど、
 こうして目で見るまでは正直、半信半疑だったしね。恭也さ……じゃなくて、美影さんようこそ」

歓迎するわと手を差し出すまりやの手を握り返しながら、
美影は寮の入り口からこちらを窺っている二人の少女に微笑み掛ける。
慌てて身を隠す二人にまりやがあきれたような溜め息を吐き、

「全く仕方ないわね。とりあえず、荷物を置いたら一階の居間に来て。
 部屋と居間の案内は瑞穂ちゃんお願いね。あの二人の紹介はその時にするから。
 ほら、二人とも気になるのは分かるけれど、覗き見なんてはしたない真似はしないの」

言いながら寮へと入っていくまりやを見送り、美影は久しぶりとなる再会の挨拶を瑞穂と交わす。
が、二人は互いの現状を見遣り疲れた吐息を零す。

「瑞穂も色々と大変だな」

「ええ、本当に大変よ。皆さんが慕ってくれるのは嬉しいのだけれどね。
 やっぱり色々とね」

「心中察するわ、本当に。それにしても、本当に仕草もらしいわね」

「ありがとう……で良いのか悩むわね。
 まあ、仕草に関しては一年近くこの格好で学校に通っているんですよ、きょ……美影さん。
 それなりに慣れてきますわ。そういう美影さんこそ」

「私なんて、既に完全に女だもの」

再び互いの現状を見遣り、引き攣った笑みを交換する。
互いにどちらの方が良かったと考え、結論を出さずに首を振るのであった。

とらいあんぐるがみてるAfter X 処女はお姉さまに恋してる



   §§



「……」

無言に静寂。
今、ここ高町家でのリビングに相応しい言葉を述べろと言われれば、殆どの者がそう答えるであろう。
何とも言えない空気が漂う中、一人我関せずを決め込んだかのように恭也はソファーで寛いでいる。
誰もが何か言いたそうに、また聞きたそうにしつつも触れられないといった空気を醸し出す中、
新聞片手にお茶を啜り、湯飲みを置くとその手を足の付け根、正確にはその上に鎮座するモノへと伸ばして一撫で。
ようやく、ここでようやく、この現状を変えるべく美由希が恭也へと近付く。
寧ろ、他の者たちの無言による視線に耐えれなくなったというべきか。
ともあれ、美由希は自分も含めた皆の気持ちを代弁するべく恭也へと当然の疑問を口にした。

「恭ちゃん、それなに?」

やや震える指で恭也の足の上に鎮座し、恭也の指に喉を鳴らすソレ。

「ああ、拾った」

「拾ったって……」

ふあぁぁ〜、と口を開けて欠伸を漏らし、眠そうに目を擦る。
艶やかな金色の毛並みを恭也が撫でると目を細め、甘えるように擦り寄るとその指にカプと甘噛みする。

「もふもふ」

耳をピコピコと、尻尾をユラユラと揺らして甘えてくるソレを一度見下ろし、
恭也は何を言っているとばかりに美由希を見遣る。

「猫に決まっているだろう。とうとう、我が妹はそこまで……」

「猫なのは見れば分かってるわよ!
 そうじゃなくて、どうしてここに居るのかを聞いて、拾ったってあっさりと答えたのに驚いたのよ!」

『えぇー!』

美由希の反論に後ろで様子を窺っていたなのはたちの声が上がる。
二人してそちらを向けば、

「美由希ちゃんに頼んだのが間違いだったか。
 師匠、どう見てもそれは猫には見えませんって」

「お猿の言う通りです。うちらにはどう見ても人にしか見えないんですが」

晶に続きレンが言えば、なのはもその通りだとばかりに力いっぱい頷いている。
対し、二人の兄妹は今一度それを見下ろす。
長く伸びた金髪は後ろだけでなく両サイドでもまとめられてツインテールを作り、
先程まで甘噛みしていた恭也の指をぺしぺしと叩いて遊んでいるのは前足というよりも人の手と同じく五本の指。
黒いワンピースを身に纏った姿は確かに人である。
が、その頭には猫の耳が、そしてお尻からは尻尾が生えていた。
身長は30センチ少しといった所だろうか。それをじっと見詰めた後、

「人にも見えなくもないが、明らかに小さいだろう」

「まあ、レンたちのような見方もあるかもしれないけれど、本物の尻尾と耳だよ」

「お兄ちゃん、お姉ちゃん、だったらまずは夜の一族かも、とか考えようよ」

流石の末っ子も呆れた眼差しで二人の兄姉を眺めれば、恭也は冗談だと真顔で返し、
それを聞いて美由希は引き攣った笑みを浮かべながら、こちらも、

「や、やあねぇ、わ、私も冗談に決まっているじゃない。
 恭ちゃんにあわせたんだよ、うん」

しどろもどろになのはに言い訳しつつ、こっそりと恭也を睨む美由希であった。
そんな二人になのははやっぱり呆れたような表情を見せつつも、やはりその視線は自然とその女の子へと向く。
本当にどうしたのかと尋ねてくるなのはに、恭也は今度は真面目に答える。

「拾ったというのは本当だ。何でも探し物をしていて、遠くからこの海鳴まで来たらしい。
 だが、行く宛てもなく野宿するというのでこうして連れてきたのだ。
 名前はフェイにゃんというらしい」

恭也に名前を呼ばれたからか、フェイにゃんはちょこんと首を傾げて恭也を見上げてくる。
そんな仕草になのはは身体を震わせ、瞳をキラキラとさせるとフェイにゃんに話しかける。

「えっと、高町なのはって言います。あ、あの、抱っこしても良い?」

言葉は通じるらしく、なのはの言葉に少し考えた後頷く。
了承を得たなのはは、そっとフェイにゃんを抱き上げると自分の膝へと乗せる。

「うわー、うわー、可愛い。探し物って何を探しているの?
 お兄ちゃんと一緒になのはも探してあげるね」

既に恭也が探すのを手伝うのが決定しているとばかりに告げるなのはであったが、
恭也の方も元からそのつもりだからか何も言わない。
フェイにゃんはまた少し考えた後、お礼をするように頭を小さく下げ、

「あおいいし」

暫く悩んだ後、ようやくそれだけを口にする。
どうも話す方はそんなに得意ではないらしく、
少したどたどしかったがなのははよく出来ましたとばかりに頭を撫でる。

「ふにゃ〜」

気持ちよさげに目を細める様子になのははわーわーと夢中になりながらも、力に気を付けて撫でる。
やがて、フェイにゃんはごろごろと喉を鳴らし、なのはの指へと頬を摺り寄せる。
なのはは指をそっと頬から喉へと持っていき、くすぐるように撫でてやる。
最初はくすぐったそうにしていたが、なのはの方がコツを掴んだのか、いつしか甘えるように喉を晒す。
本当に気持ち良さそうに目を細めるフェイにゃんを見て、晶やレン、美由希も羨ましそうにそれを眺める。
そんな姉たちの視線に気付いたのか、なのはは苦笑するとフェイにゃんから指を離す。
あっと寂しげな声を思わず漏らすフェイにゃんだったが、すぐに何でもないとばかりに毅然とした姿で座り直す。
そんなフェイにゃんへと残る三人が群がり、順番にフェイにゃんへと手を伸ばしていく。
初めはおどおどしていたフェイにゃんだったが、次第に慣れていったのか身体から余計な力を抜き、
美由希たちにも大人しく撫でられる。
が、やはり一番気持ちよかったのは恭也となのはなのか、目で二人は弄らないのと見上げてくる。
その視線に頬が緩むのも抑えず、なのははフェイにゃんへと手を伸ばし、
恭也はまた後でと軽く一撫でだけするのであった。
後に帰宅した桃子が笑顔満開でフェイにゃんを可愛がったのは言うまでもない事である。
ともあれ、こうして高町家に不思議な住人が一人増える事となる。



フェイにゃん



神社のすぐ隣にある鬱蒼と木々が生い茂る林。
その奥まった一角に闇に煌めく銀閃が走る。甲高い音を立てて互いにぶつかり合うのは真剣。
共にそれを手にする二人はどちらもまだ若い男女。
女――高町美由希は開いた距離を詰めるように男――高町恭也へと向かって行く。
それを視界に収めつつ、恭也はその場に留まり美由希が繰り出す攻撃を弾き、逆に反撃を加える。
咄嗟に地を蹴り下がる美由希へと追撃するように飛針を投げつけ、自身もまた前へと出る。
ここ八束神社近くの林の中、日課である深夜に行われる戦闘訓練の途中であった。
その後も二人は攻防を繰り返し、恭也の終わりという声にようやく鍛錬は終わりを告げる。
疲れた体を冷やさないようにタオルで汗を拭く二人に元に、
パチパチというには少し弱い、ぺしぺしとでも言い表す方が良い様な音が響く。
この第三者の出現を告げる音に、しかし恭也も美由希も驚いたりもせず、ただ拍手の主へと顔を向ける。
そこには、恭也の持ってきたスポーツバックから上半身を出した一人の少女が一所懸命に手を叩いていた。
少女の名前はフェイにゃんと言い、少し前に恭也が行く宛てなく野宿しようとしている所を保護したのだ。
ただし、その背は三十センチちょっとなのに加え、猫耳に猫の尻尾まで生えていたりするのだが。
その程度の事で高町家の人間はそんな境遇の少女を放り出すはずもなく。今現在少女の寝床は高町家となっていた。
そんなフェイにゃんが、どうして二人の鍛錬に付いてきているのかと言えば、単純に興味があったかららしい。
昼間、道場で打ち合う二人を真剣な眼差しで見詰めていたかと思えば、
深夜の鍛錬に赴こうとする恭也の裾を掴み、同行を申し出たのだ。
そういう経緯もあり、フェイにゃんは二人の鍛錬をこうして、
ここまで運ばれるのに使われたスポーツバックから見ていたという訳である。
恭也が美由希に今日の攻防について注意するべき箇所や、逆に良かった所などを上げている中、
フェイにゃんは今しがた見た型をなぞるように、その小さな腕を振り回していた。

「ふにゅ、ふにゃ」

本人は真剣なんだろうが、その仕草は猫じゃらしとじゃれている子猫を彷彿とさせる。
現に美由希などは頬を緩め、そんな様子を微笑ましげに眺めている。
が、逆に恭也は真剣な顔付きでそれを見遣り、

「もしかして、やってみたいのか?」

恭也の言葉に美由希は信じられないという感じで恭也を見るも、フェイにゃんはうんうんと頷いている。
少し考えた後、恭也はフェイにゃんの前にしゃがみ込み、

「探し物とやらに必要なのか?」

コクコクと頷くフェイにゃんの真剣な目を見て、恭也は基本だけならと教えてやる約束をする。
心配そうに見てくる美由希にフェイにゃんは心配するなとばかりに自らの胸をペシペシと叩き、
叩き過ぎたのか、小さく咳き込んで恭也に背中を擦られる。
またそれが気持ち良かったのか、フェイにゃんは恭也の指をしかっと両手で抱き締めるとじっと見上げてくる。
その求めている事を理解し、恭也は指でフェイにゃんの喉を撫でてやる。
目を細めて喉を鳴らすフェイにゃんの様子に、美由希が近くまで寄ってきて自分もしたいとばかりにじっと見詰める。
それに気付いたのか、フェイにゃんは恭也に喉を撫でられながらも、うん、と頭を前に出す。

「ふぁぁぁ、ありがとう、フェイにゃん」

嬉しそうに礼を言いながら、美由希はフェイにゃんの頭を撫でてやる。
大好きな高町家の人に撫でられ、フェイにゃんは満足そうな吐息を漏らす。
が、いつまでもこうしている訳にもいかず、恭也はとりあえずはここまでだと片付ける準備を始める。
名残惜しそうにしつつも、美由希とフェイにゃんは一つ頷くとこちらも片づけを始める。
とは言っても、フェイにゃん自身は特に何かするという事もなく、
恭也と美由希が飲んでいたドリンクの入った容器を両手で抱え、うんしょうんしょと声に出しながら鞄まで運ぶ。
流石に鞄の中に仕舞うまでは出来ず、傍に置くと今度はタオルを手にするも、その大きさに体が包まれ、
じたばたと手足を暴れさせ抜け出そうとする。が、逆に余計にタオルが絡み付いてくる。
四苦八苦する内に、タオルがひょいと取り去られ、目の前に恭也の顔が現れる。
びっくりしたフェイにゃんだったが、すぐに自分がタオルを強く握ったままだと気付き、
タオルごと恭也に持ち上げられたのだと気付くと、そのまま体をぶらぶらさせて勢いを付けると、
えいっとタオルから恭也の腕に飛び移る。

「大丈夫だったか、フェイにゃん」

恭也の声に大丈夫だったと頷き、フェイにゃんはそのまま恭也の腕をよじよじと登り、肩まで来ると腰を落ち着ける。
落ちないようにしっかりと恭也の襟首をしっかりと掴み、空いた腕で額の汗をふぅと拭うと満足そうな顔を見せる。

「もうすぐ終わるから、少しだけ待っていてくれ」

フェイにゃんを肩に乗せたまま、恭也はフェイにゃんが運んでくれた水筒とタオルを鞄に仕舞い、
こちらを羨ましそうに見ている美由希に声を掛ける。

「こっちも片付け終わったよ」

「そうか、なら帰るか」

こうして、恭也たちは鍛錬を終えて家路に着く。
今までの日課とは少し違った今日の鍛錬はこれで終わりとなる。
が、それが新しい日課となるのも遠い日ではないだろう。

「なんちゃってみかみりゅう〜、えいっ!」

と、小さな手足を動かし、懸命に恭也たちの真似をする小さな少女という参加者が翌日から加わったのだから。



   §§



「パパ〜」

ぎゅっと不安そうに抱き付いてくるすずの頭を撫で、恭也は鋭い眼差しで周囲を見渡す。
その眼光に怯む様子を見せる者が数人いるものの、数人は怯まずにこちらを見てくる。
自分の周囲を囲む見知らぬ男女に油断なく視線を向けながら、恭也は自らの愛娘すずを背後へとそっと庇う。
数秒の沈黙の後、恭也の視線に怯まなかった女性が一歩前へと進み出てくる。
その行動に背後でビクリと怯えるすずを背中に隠し、恭也は油断なく見詰め続ける。

「警戒するなという方が無理でしょうが、出来れば話だけでも聞いてはもらえませんか」

警戒心を隠そうともしない恭也に女性はそう話し掛けてくる。
が、事態がよく分かっていない上に周りを囲む者たちはその実力の程は兎も角、何かをやっている事は間違いない。
故に恭也は無言を貫き通し、いつでもすずを連れて逃げれる体勢を保ったまま、視線だけで続けるように促す。
その態度に気分を害する事無く、寧ろ少し感心したように女性は話を始める。
話が進むにつれ、恭也の顔からは険悪よりも困惑という色が出てくる。
尤も、彼に親しい者でもなければ、その変化に気付けたかどうかは分からないが。
全てを話し終えた女性を前に、恭也は自分の中で今聞いた話を消化し、理解できた範囲を口にする。

「つまり、この世界は無数にある世界の根元にあたり、ここが滅びれば他の世界へも影響がでると。
 そして、それを防ぐには救世主と呼ばれる存在が必要で、その召喚に俺とすずが呼ばれた。
 そういう事で良いんですね」

恭也の言葉にミュリエルと名乗った、この学園で学園長という職に就いている女性は頷く。

「理解はしましたが、すずを戦わせる気はありません」

怯えているすずを見て、流石のミュリエルも強制はできないでいる。
他の者たちもそれは同様で、流石にこんな小さな子に帯剣の儀をしろなどとは言い出せない。

「なら、貴方の方はどうですか」

「どうとは? 救世主は女性限定なのでは?」

「いえ、そこに居る大河くんという例外がありますから。
 そもそもこの召喚の塔は一度破壊され、今現在リコ・リスさんによって修復している途中だったのです。
 なのにあなた方は召喚されてきました」

試しにと尋ねてくるミュリエルに恭也は悩む。
話を聞く限り、この世界の破滅は自分たちの世界にも影響を及ぼす。
かと言って、これから戦争が起こるであろう場所にすずを連れていくなんて出来ないし、
人にするなんてもっての他である。答えに窮する恭也に、ミュリエルは更に駄目押しとなる一言を告げる。

「非常に言いにくいのですが、貴方たちを戻す方法も今の所はありませんし……」

その言葉に恭也はミュリエルを凝視してしまう。
流石にバツが悪そうに顔を背けるもすぐに恭也の目を見詰め返し、
従来とは全く異なる召喚に加え、召喚陣が機能していない時に来たために、
恭也たちの居た世界が全く分からないと理由を言う。更にはここは救世主とそれを支える者を育てる教育機関だと。
こうして、恭也は仕方なしに召還器を呼び出す儀式に参加せざるを得なくなってしまうのであった。



「って、まだ二十前かよ! それですずみたいな子供が居るって、お前どんだけ早熟なんだよ!
 と、それは良いとして、お前の奥さんは美人なのか――ふぎゅっ!」

「あ、あはははは、兄はちょっとアレな病気でして。気にしないでください」

――恭也と非常に似通った世界からやって来た当真兄妹



「すずちゃん、お母さんに会えなくて寂しい?」

「うん、ちょっと。でも、パパが居るから大丈夫!」

――神に仕える少女、ベリオ



「高町恭也! 私と勝負しなさい!」

「う〜、パパを虐めちゃ駄目!」

「うっ、べ、別に虐めている訳じゃ……」

「うぅぅ〜」

「しょ、勝負はお預けよ!」

――人一倍救世主に拘る勝気な少女リリィ



「はい、出来たよ。食べて、お姉ちゃん」

「…………い、頂きます」

「じ〜、美味しい? 美味しい?」

「な、何とも言えない、今まで食べた事のない味で、お、美味しいです…………」

――その力を隠す言葉少なき少女リコ



「お姉ちゃん、これあげる」

「おお、かたじけないでござるすず殿……って、血ぃ! せ、拙者、血は、血だけはー」

「変なお姉ちゃん。トマトジュース、美味しいのに。好き嫌いはいけないんだよ」

――血が苦手な忍者カエデ



「お姉ちゃん、またおててが落ちたよ」

「ありがとうですの、すずちゃん。えっと、こうして……あれれ?」

「お姉ちゃん、逆じゃないかな。えっと、こうしてこうで……」

「すずちゃん、そっちは右手ですの〜。それは左手ですの」

「えっと……お姉ちゃん、それは足だよ」

「わ〜ん、ダーリン助けて欲しいですの〜」

――陽気なゾンビ娘ナナシ



個性的な七人の救世主に史上二人目となる男性の子持ち救世主が新たに加わり、破滅との戦いが幕を開ける。



「我が名はマナ。すず様にお仕えする召還器なり!」

「って、メイドさん!? おおう、何と可憐な! 戦場に咲く一輪の花――ふげっ!
 み、未亜! 今は戦場だぞ! 味方を攻撃してどうする!」

「だったら、お兄ちゃんもナンパなんてしないでよ! って、そうじゃなくて今召還器って!」

喧嘩を始める当真兄妹だが、完全に状況を忘れている。
敵に囲まれ、今正にピンチという状況だったという事を。
他の仲間は突っ込みたい気持ちを飲み込み、目の前に迫るモンスター相手に攻撃を加えている。
それに気付き、大河たちも状況を理解したのか、すぐに謝りつつ攻撃に加わる。
一方、ピンチ直前に救われたすずは訳が分からないという顔で目の前に立つ女性、マナを見上げる。
すずの視線に気付き、マナは小さく笑みを見せるとまた迫ってくる敵へと腕を振り被り一刀両断にする。
そう、素手であったはずのマナがモンスターを斬ったのである。
見れば、その手首からはいつの間にか一メートルにも及ぶ刃が生えていた。

「まさか自動人形か」

「いいえ、違います恭也様。私は召還器です。人型兵器という形の召還器。そして、元救世――」

何を言い掛けるも更に迫ってくるモンスターへと今度は左手を向ける。
すると、手首から機械音がして掌が上へとスライドし、手首から銃口が覗く。
銃弾をばら撒き、迫るモンスターの群れを一瞬でミンチに変えると再びすずと恭也に向き直り、優雅にスカートの裾を摘み上げる。

「改めて名乗らせて頂きますれば、私はマナと申します。
 心苦しいですが、状況が状況故に、これ以上の詳しい話はまた後ほどという事で」

「それは構わないが……」

先ほどの光景に若干引きながら返す恭也にマナも満足そうに頷き、続けてすずへと視線を移す。

「ではすず様、ご命令を」

「命令?」

「はい。アレを倒せと一言ご命令ください」

「えっと……」

困ったように恭也を見てくるすずに、恭也は優しく撫でてやり頷く。
それを見てすずもまた一つ頷くと、真っ直ぐとマナを見詰め、

「じゃあ、お願い。パパを虐める悪い子にお仕置きして」

「命令ではなくお願い、ですか」

「駄目?」

「いいえ。既に人の身にならざれど、そのお言葉はとても心地よい響きです。
 改めて、貴女が使い手で良かったと思います。しからば、これより先は私が貴女を護り、貴女の敵を討ちましょう!」

言うなりマナはスカートに素早く手を入れて引き出す。
すると、どこに隠していたのか、その手には銃身だけで一メートルはありそうな機関銃が握られていた。

「……一体どこにそんな物が」

「メイドのスカートには秘密がいっぱいなんです。
 という訳で、数頼みの貴様たちは邪魔です。大人しく倒れなさい」

言うや引き金を引き、銃弾を辺りにばら撒く。
そんなマナを見ながら、恭也はすずの安全が確保できるのなら良いかと考えるのであった。



親子二人ぶらり異世界旅 〜ここは根の国アヴァター〜



   §§



魔法に超能力、超常現象、さまざまな言い方があれど共通しているのは訳の分からない、説明のつかない力という事。
まず一般人が得る事のない力は、不可思議というのもあるが、得てして強力であるという事から、
それを持つ者に対して畏怖を抱く者が現れる。
ましてや、超常の力を持つ者が少数となれば、それはその者たちへの迫害や排除へと動く事すらあるだろう。
故に、そういった力を持つ者たちは大抵の場合において、自らの力を隠すのである。
だが、こういった力を持つ者が多くは無いがほんの数人という単位に収まらず、
ましてや力を身に付けたある程度の解明がなされている場合、どのような反応を見せるのであろうか。
恐らくは、あまり変わらないかもしれない。
何故なら、多数と違う、ただこの一点だけを取ってみても充分に集団から弾き出す理由になり得るのだから。
ましてや、その力が大きいければ大きい程に畏怖を抱くのは仕方ない事だろう。
しかし、ここに政府などといった大きな権力が背後に付いた場合はどうなるだろうか。
法的に一般人と平等とされ、ただの特技の一つとして認定されたとしたら。
勿論、初めから上手くはいかないかもしれない。が、何十年、何百年と積み重なれば。
そういった者たちが居ても当たり前となる時代が来るかもしれないし、来ないかもしれない。
こればっかりは実際にそれだけの年月が経過しない限りは分からないだろう。
今現在、そんな先の事など考える余裕などないのだから。この少女には。

やや薄汚れたワンピースを身に纏い、手入れもされていない髪は伸ばしているというよりも、
単に切っていないだけという風に伸びるに任せてボサボサで艶をなくし、
周囲を警戒するように恐怖の篭った瞳は忙しなく周囲を見遣る。
海鳴駅へと降り立った少女は、駅前で行き交う人が自分の近くを通る度に身を必要以上に震わせて立ち尽くしていた。
どうしたら良いのか分からない、そういった様子の少女を数人が見はするが声を掛ける事無く通り過ぎていく。
そんな中、その少女の様子から何か困っているのではないかと足を止める者がいた。

「お兄ちゃん」

一人の少女は隣を歩く兄へと声を掛け、兄の方も心得ているとばかりに少女の方へと足を向ける。
なのはと恭也の二人である。その後ろにはもう一人、これまた恭也の妹である美由希。

「美由希、とりあえずお前が話し掛けてくれ」

「わ、私が!?」

実は人見知りな所のある美由希が恭也の提案に驚いたように恭也を見るも、恭也はただ首肯するだけ。

「俺が声を掛ければ、余計に怖がらせてしまうかもしれない。
 ならば、生物学的には同じ女であるお前が声を掛けた方が相手の警戒も少しはましになるのではないか?」

微妙に引っ掛かる言い方に眉を顰めつつ、それでも躊躇う美由希をなのはがじっと見上げてくる。
普段は恭也は妹に弱いとからかう美由希だが、実の所、美由希もまたなのはには多少甘い所がある。
故になのはの無言のお願いに美由希は大人しく折れ、けれどもやはり不安からか恭也の同行も願う。
これ以上の問答は時間の無駄だと悟り、恭也は少し離れて付いて行くという事にして少女の下へと向かう。
兄と姉の行動に胸を撫で下ろし、なのはも二人の後ろから付いて行こうとする。
その途中でそれは起こった。駅前でそこそこ交通量も多い広めの道路。
そこを暴走するかのように一台の車が突っ込んでくる。
しかも、運悪くその向かう先には驚愕してそれを見ているなのはが。
数メートル先を歩いていた恭也は迷わずに神速と呼ばれる自身の家に代々伝わる剣術の奥義を発動する。
傍からは消えたようにさえ見える程の素早い動きで、恐怖からか足の竦んでいるなのはの元へと辿り着く。
なのはの体を抱え、地面を蹴って車の進行方向から逃れようとする。
が、右膝が悲鳴を上げる。暫く病院をサボっていたつけがここに来て表れたようで、
恭也の体は思ったよりも飛ばない。
それでもなのはだけでもと美由希の居る方へと投げようと振り向いた恭也の目の前に、先ほどの少女が居た。
驚く恭也であったが、続く少女の動きに更に驚く事となる。
肉体のリミットを外し、常人よりも素早く動けるという事に加えて、知覚神経を向上させる事により、
まるで時が止まったかのように見える程、周囲がゆっくりと動いて見える。
それが恭也が今使っている神速という技の概要である。
それなのに、その少女の動きは神速の中にあっても遅くなる所か、普通よりもまだ早かった。
少女は恭也と車の間に入ると、右手を振り下ろす。
ただ、それだけの事。だが、現実として引き起こされた現象は、
今にも恭也となのはにぶつかりそうだった車が、少女が振り下ろした腕に両断される。
驚くなという方が無理な話で、恭也は思わず驚愕の声を上げてしまう。
それが少女にも届いたのか、少女は酷く怯えた顔で恭也を見た後、その場を立ち去ろうとする。
少女の腕を咄嗟に掴んで止めたのはどうしてだったのか。恭也にもそれは分からない。
条件反射的に手が伸びていたとも言えるし、まだ礼を言っていないと思い立ったからなのかもしれない。
後になって思い返しても理由は分からず、
ただ、それでも少女の傷付いたような、怯えたような顔だけが鮮明に思い起こされるのであった。

怯えたように見てくる少女に対し、恭也は思わず掴んでしまった手を離してまずは謝る。
恭也が口を開いた瞬間、更に怯えた様子を見せた少女は、しかし恭也の言葉を聞き、今度は困惑を見せる。
周囲が俄かに騒がしくなっていく事に僅かに眉間に皺を寄せつつ、
少女の足元にいつの間にか座り込んでいた男性を見る。
どうやらこの男性が運転手だったらしく、今まさに起ころうとしていた惨劇を思ってか震えている。
が、恭也はそちらを一瞥すると助けてもらった事に感謝の言葉を述べ、
どうしたら良いのか困惑する少女へと改めて、立ち尽くしていた理由を尋ねる。
感謝の言葉に慣れていないのか、混乱するようにあたふたする少女も、理由を聞かれた事で押し黙ってしまう。
そこへ野次馬と化した群集の中から、ぽつりと単語が零れ落ちる。

「先祖換えり」

その単語に体を震わせ、怯えた表情を見せる少女を見て、
恭也は彼女の力に納得すると同時にその態度から今までの境遇の一端を想像する。

『先祖換えり』
そう名付けられた現象が起こり始めて既に十数年。
HGSに続き、世界が認めた超常の力を得た者たちの総称である。
HGSと違うのは、まず第一に病気ではないという事であろう。
故にその能力の研究はなされても、治療の研究は殆どされていない。
また、何故そのような現象が起こるのかさえも不明のまま。
意外と分かっている事は少なく、ある日突然に発症し、数日の内に体の遺伝子が幾つか組み換えられるという事。
そして、それに合わせるかのように超能力や魔法じみた能力が顕現する事。
大まかに分かっているのはそれだけである。
発症する条件なども全く分かっておらず、実際に先祖換えりを起こした人も性別、性格、年齢に出身地とバラバラ。
共通するのは、誰もが何かしらの力を身に付けるというものである。
一説には、遥か昔の先祖の遺伝子が遺伝し、ある日を境に活発化して入れ替わる。
その際、その遠い先祖は人ではなかったというオカルト的な説が囁かれるぐらいである。
故に先祖返りから名付けられたとも言われるこの現象は、未だに謎に包まれたままである。
当然ながら、その人とは違う力故に場所によっては迫害なども行われており、色々と社会問題にもなっている。

目の前の怯えた少女を見て、恭也はそんな事を思い返していた。
どちらにせよ、このままこの場に留まるのは少女としては嫌なものであろう。
とは言え、状況が状況だけに離れる訳にも行かず、恭也は困惑してしまう。
そこへ救いの手が差し伸べられたのは、果たして彼の日頃の行いのお蔭か、単なる偶然か。

「恭也、災難だったみたいだね」

「リスティさん」

明らかにほっとした顔をしているんだろうなと自覚しつつ、この場を上手く収めてくれそうな女性の出現に安堵する。
それが伝わったのか、リスティは小さく笑いながらも恭也の隣に立ち、少女を見る。
怯えた瞳で見詰め返してくる少女を見て、リスティは肩を竦めると恭也へと視線を戻す。

「とりあえず、この場は僕が何とかしておくからこの子が落ち着ける所に連れて行ってやりな。
 でも、流石に居なくなられるのは困るんでそこの所は頼むよ。
 詳しい事情を聞く必要もあるから、連絡が付くようにしておいてくれ」

そう言うとリスティは人込みの向こう側から掛け付けて来た警察官へと手を振る。
リスティの気遣いに感謝しつつ、恭也は未だに怯える少女を連れてその場を立ち去るのだった。

落ち着ける場所として恭也が選んだのは、臨海公園の人が最も来ない奥まった雑木林の中であった。
申し訳程度に置かれたベンチに少女を座らせ、改めて礼を述べる。
やはり感謝の言葉に困惑を見せる少女であったが、おずおずといった様子で不思議そうに聞いてくる。

「怖くないんですか?」

か細く出された声にははっきりと恐怖の感情が篭っており、こちらを窺うように見詰めてくる瞳からもそれが伝わる。
そんな少女に恭也は出来る限り怖がらせないようにしながら、ゆっくりと話し出す。

「さっきの力を向けられれば、それは怖いかもしれませんけれど、貴女はそれを無闇に振るうように見えませんし、
 何よりも命の恩人ですからね。やはり感謝の気持ちの方が大きいですよ」

「そうですよ。それに私たちの周りには、そういうのも珍しくないですし。
 第一、私には恭ちゃんのお仕置きの方が怖いって、冗談だってば。だから、無言で拳を握らないで」

美由希の言葉に呆れつつも、美由希なりに空気を変えようとしているのだろうと今回は見逃しておく。
少女はまだ怯えた様子ではあったが、少しばかり緊張が解れてきているようでもあった。
そこに来て、なのはがまだお礼を言っていなかったからとお礼を口にする。
なのはの言葉に少女はようやく困惑ではなく、僅かながらも笑みを零して応える。
それを見て、恭也は当初の予定だった少女が立ち尽くしていた事情を尋ねれば、
単に行く宛てがなくて立ち尽くしていただけだと判明する。
元々、少女は天涯孤独の身らしく、それでも両親の残してくれた遺産で何とか生活を送れていたらしい。
所が、数年前に先祖換えりを起こしてからはそうもいかなくなったと言う。
住んでいたアパートを追い出され、周囲からは孤立し、酷いときには暴力さえも振るわれた。
最後の部分に関しては、通常はあまり行われる事がない。
何せ、相手は自分たちを超える力を持っているのだから。
だが、少女の優しすぎる性格が災いし、何をされても反撃しなかった事で徐々にエスカレートしていったらしい。
そんな中、少女に救いの手が差し伸べられる事もあったのだが、その全てが研究所の人間で、
保護する代わりに先祖換えりの研究に協力するように求められたのだという。
それでも、普通に研究するだけなら良かったのだろうが、彼女が保護された所は、彼女を実験動物のように扱い、
部屋の中でさえも監視される始末。
法律的にもそのような扱いは禁止されているので、この研究所は違法となるのだが、
山奥に位置した事からか、内部の情報が一切外に出る事がなかった。
研究施設という事もあり、機密の前に全ての情報遮断がまかり通ったというのも大きな要因であろう。
が、それも長くは続かず、同じように軟禁されていた先祖換えりの者が抜け出した事で事態は一変する。
近くの警察署へと駆け込んだその脱出者により事態は公になり、警察の手が入ったからだ。
結果として研究所は閉鎖され、実験に関わった者も何らかの罰を受ける事となった。
そして、軟禁されていた者たちはそれぞれの希望を聞いて、今度はまっとうな保護を受けたり、
元いた場所に帰されたりしたのだが、少女はどれも選ばずに一人、こうして各地を回っているらしい。
何処か安心して暮らせる場所を求めて。
だが、今までの経緯からある意味、人に対して恐怖を抱くようになった少女は長く一つの場所に留まる事ができず、
今日、この海鳴へと着いたのだそうだ。

たどたどしく語られた内容は、かなり時間を要した。
その事でまた怯えを見せる少女を痛ましげな目で見遣る美由希となのは。
恭也は相変わらず表情こそ変えていないが、労わるような目で見ている。

「それなのに、助けてくれたんだ。ありがとう、お姉ちゃん」

「お姉……ちゃん?」

礼を言われた事よりも、なのはの呼称の方に戸惑いを見せる少女になのはは笑顔を向ける。
何の打算も無い笑顔を少女は眩しそうに見詰めた後、小さく頭を振る。

「初めはその人も私の同類だと思ったから」

言って恭也を見る。何故、そう思ったのか疑問を抱いたのを感じ取ったのか、少女はやはりたどたどしく続ける。

「い、いきなり消えたように見えたから。だから、同じなんだって。
 でも、途中で私を見て驚いていたから、普通の人だって思って……」

それで怯えたのかと納得しつつ、可笑しそうにこっちを見てくる美由希への対処を十ほど考える。
そんな様子を勘違いしたのか、少女は突然頭を下げ、

「ご、ごめんなさい。私なんかと同じだと思ってしまって」

「いや、別に謝られる事では……。確かに俺は普通の人ですが」

「何処が?」

「黙ってろ、美由希」

「えっと、お姉ちゃん、五十歩百歩って知ってる?」

「知っているけれど、それがどうかしたの?」

「ううん、何でもないです」

謝られて困っている恭也を助ける為か、それとも地なのか、美由希となのはがそんな事を口にする。
それを聞いていた少女が思わず笑ってしまったのを見て、恭也は胸を撫で下ろすのだが、
また謝ろうとするのに気付いてそれを止める。
そんなやり取りの中、なのはは名案を思いついたとばかりに顔を上げて恭也を見ると、

「ねぇ、お兄ちゃん。お姉ちゃんに家に来てもらおうよ」

そのなのはの提案に一番驚いたのは少女本人で、慌てたように迷惑を掛けるとか色々言って断ろうとする。
が、恭也もそれは良い案だとばかりに頷くと、

「なのはと俺の恩人ですから、母も感謝こそすれ迷惑だ何て思いませんよ。
 寧ろ、ここで何もせずに分かれた方が怒られますし。
 それに、リスティさん、先程の女性は警察関係の方なんですが、さっきの事故の説明もありますから。
 うちに居てくれた方が助かります。本当に迷惑なら仕方ありませんが、どうですか?」

「で、でも、私は先祖換えりだし」

なおも遠慮して理由を述べる少女に、今度は美由希が笑って言う。

「うちにはそんな事気にする人はいませんって。
 大体、兄からして普通の人じゃないって思われるような変人なんだ……こほこほ。
 えっと本当に迷惑じゃないですよ」

軽く飛んできた殺気に反応して言葉を濁す美由希。
それには気付かず、少女は困惑を大きくしてただ狼狽える。
そこへ恭也がもう一度、貴女が迷惑でないのならと誘い、後はじっと少女の返答を待つ。
やがて、少女はいつの間にか握られいたなのはの手を軽く握り返し、遠慮がちにお願いしますと告げる。
その事に一番喜びを見せたのはなのはで、文字通りに飛び上がると少女の前に立ち、

「それじゃあ、改めまして。高町なのはです」

そう言って満面の笑みを見せる。
なのはに続き、美由希、恭也もまた自己紹介をすると少女をじっと見る。
その視線に恥らうような顔を見せながら、少女もおずおずと随分と久しぶりとなる、己の名を告げる。

「私の名前は――」



とらいあんぐるハート Another



   §§



春、進級を迎えたばかりの時期に行われる恒例行事。
と言うよりも、これ自体が進級できるか留年するかという瀬戸際になるとも言うべき行事にして儀式。
春の使い魔召喚の儀式が、ここトリステイン王国にある魔法学院で行われていた。
既に殆どの生徒が無事に儀式を終え、呼び出した己の使い魔に名を付けたり、
コミュニケーションを取っていたりする中、最後の一人が召喚の呪文を唱えている。
が、完成した呪文はしかし反応を見せず、本来なら目の前に現れるはずの使い魔は姿を見せない。
少女が焦っているのは明白で、だがそれでも気丈に胸を張り杖を構える。
既に何度目かになる呪文を詠唱しようとして、儀式を進行する教師コルベールがその少女へと声を掛ける。

「ミス・ヴァリエール。次で最後ですぞ」

いい加減疲れの混じった顔により一層の深刻さを刻み、言われた少女ルイズは頷くと一度深呼吸をする。
目を閉じ、何かに集中するように自分へと言い聞かせる。
やがて、その瞼がゆっくりと開かれ、何度目になるのか分からない呪文がその唇から紡がれる。

「この広い広大な世界の何処かに居る私の使い魔よ」

呪文の前に宣言するようにそう声に出し、少女は尚も続ける。
その様子をクラスメイトの何人かがからかうような視線で見つめる中、少女はゆっくりと呪文を紡ぎ出す。
やがて全ての呪文を唱え終え、召喚の呪文が完成すると、小さな爆音が響き辺りを煙が包み込む。
視界が悪くなる中、コルベールは煙の中にぼんやりと浮かぶ影を見つける。
どうやら召喚に成功したらしく、コルベールは少女の努力を知っているだけに胸を撫で下ろす。
風の魔法で煙を吹き飛ばし、呼び出された使い魔を見てコルベールも言葉を無くす。
もうそれなりに教師を続けてはいるが、今回のような経験は彼をしても初めてのこと。
故に思わず声を失ったのだが、そこまで考えてコルベールは気遣うようにルイズへと視線を向ける。
ようやく苦労して呼び出した使い魔が、今目の前に居るソレだと理解したくないのか、
ルイズは呆然としたまま自らが呼び出した使い魔を見下ろしている。
その心情の全てを分かるとは言えないが、それでもある程度は察してやる事はできる。
とは言え、この儀式は神聖にして絶対なものである。
ならば、ルイズには可哀相だが契約をしてもらう他はない。
また、それは即ち、目の前に蹲る使い魔にも言える事であり、コルベールは思わず同情してしまう。
そんなコルベールの心情やルイズの現実逃避も長くは続かない。
この召喚を見ていた生徒の誰かが、嘲笑と共に言い放った言葉により、両者とも我に返る事となる。

「ルイズ、平民を呼びだしてどうするんだ?」

その言葉に反応し、ルイズは間違いだと反論し、コルベールに向かってやり直しを要求してくる。
だが、それは出来ないとコルベールは首を振り、使い魔にするように告げる。
告げながら、人でありながら使い魔となる少年をもう一度見て、彼と視線が合う。
その瞬間、コルベールが感じたものは何であったのだろうか。
その感情に気付くよりも先に、コルベールは少年の瞳から目を反らす事が出来なくなっていた。
深い、本当に深い、悲しみさえも凌駕したように、何も映し出していないのではと思われる瞳。
達観したようにも、諦めているようにも取れるその瞳の昏い黒瞳にコルベールは飲み込まれるような感覚を覚える。
が、ルイズはそれには気付かないのか、未だに怒りも顕わに少年を近付いていく。



(ああ、またか……)

何度目になるのか既に覚えてもいない虚脱感。
それを味わいながら、少年は目を開ける。
すると、目の前には言い争う勝気で活発そうな桃色の髪をした少女の姿が見えた。
少年は突然の出来事を不思議に思う事も、疑問を口にする事もなくそのやり取りをただぼんやりと見詰める。
ようやく終わったのか、少女――ルイズが肩を怒らせながら近付いてくる。
それを見てもどうでも良いとばかりに視線を地面に落とし、そこで別の視線を感じて顔を上げる。
数秒だが、コルベールと視線が合うも、目の前に立つ少女の声にそちらを見上げる。
見れば、少女は怒りや屈辱といった感情を隠そうともせず、杖を片手に持ったまま目の前に立つと居丈高に口を開き、

「あんた、感謝しなさいよね。貴族にこんなことされるなんて――」

「普通は一生ないってんだろう」

めんどくさそうに言い放たれた言葉に鼻白むもすぐにその言葉使いに怒りを表す。
が、少年の方はもう慣れた感じでその言葉を聞き流す。
その態度が余計にルイズを苛つかせるのだが、コルベールに注意されてルイズはさっさと使い魔の契約を済ませる。
途端、刻まれる左手のルーンにコルベールが興味を見せるも、少年は興味なさげに一瞥するだけである。
さっさと戻っていくクラスメイトたちを見送り、魔法が使えず飛べないルイズは少年へと視線を向ける。

「所で、アンタの名前は?」

「……サイト。平賀才人」

「ふーん、変わった名前ね」

ルイズの言葉に反応も見せず、サイトと名乗った少年は一人学院へと向かって歩き始める。
その後ろから主人を置いて先に行くな、とか怒鳴る声が聞こえるが、サイトは無視して足を動かす。
その表情は険しく、しかしながら瞳にはやはり力がないままであった。

(これで何度目だ。死ぬ事すら許されないってのは、思ったよりも辛いんだな。
 試しに自分で自分を殺してみたけれど、それでもやっぱりこの日に戻って来ちまったしな。
 今回はの最後は何だったかな……。
 ああ、教皇の虚無魔法を受け止めたのが最後の記憶って事は、それが死因か)

サイトは過去を思い返し、自らの死因を突き止める。
が、やはりすぐに興味を無くしたのか思考を違う方へと転がす。

(寿命以外の死がやり直しになるのか、ご主人様の目的が達成されればそれで良いのか)

「ちょ、ちょっと待ちなさいよね!
 とういうか、どうして初めての場所なのに知っているかのように先を歩けるのよ!」

後ろからがなり立ててくるルイズの声を聞き流し、サイトはルイズの部屋へと向かう階段を迷う事無く進む。
そう、彼にとっては初めてでも何でもないのだ。
既に何十回と繰り返し行われた儀式に、最早考え事をしていても自然と辿り着けるルイズの部屋の在り処。
サイトは死を迎える度に、この始まりの日とも言うべき日へと何故か戻っていたのだから。
勿論、そんな事をルイズが知るはずもなく、一人怒鳴りながらサイトに追いつき、ようやく前へと出る。
そんな事にも興味を示さず、サイトはただ黙々と歩くだけ。
それが癇に障るのか、更に怒鳴るルイズだがサイトは顔色一つ変える事無く歩き続ける。
既に何十回にもよるやり直しにより、サイトの精神はかなりまいっていたのである。
最初はやり直せるのなら、より良い未来がと希望を抱き、これもルイズの力かもと喜んだりもしたが。
何かをすれば、違う何かが起こり、大きな出来事はサイト一人では換える事も出来ず、
かと言って誰かに話しても信じてもらうまで時間が掛かり、逆にその相手を巻き込むことになる。
結果として、サイトはもう何度も目の前で親しくなった者たちが死んでいくのを見せられ、
また自身も何度も何度も死に絶えてきたのだ。
これで精神が磨り減らない方が可笑しく、実際彼は数度、呼び出されてすぐに自らの命を絶つという事を実行した。
が、現実としてそれは成功したとは言えず、こうしてやはり繰り返す羽目になっているのである。

「はぁ、どうやったら終わるんだろうな」

「終わるって何よ。言っておくけれど、使い魔になった以上、それはずっと続くんだからね。
 寧ろ、自由に終わらす事が出来るのなら、今すぐに私がやっているわよ」

思わず漏れた言葉にルイズが反応を見せるが、サイトは特に何も言わずルイズの後から部屋へと入る。
目の前で使い魔としての心得を口にするルイズをぼんやりと眺めつつ、サイトはどうでも良いとばかりに腰を下ろす。

「こ、こここここの平民のくせに、貴族を無視するなんていい度胸じゃない。
 ア、アアアアンタには教育が必要な様ね」

言って鞭を取り出し、こちらに向かって振り被ってもサイトは何の反応も示さない。
流石にルイズも可笑しいと感じたのか、鞭を振り被ったままサイトを見るも、こちらを見上げてくるサイトが、

「殴らないのか?」

そう口にした瞬間、ルイズは手にしていた鞭を振り下ろす。
頬を打たれ、背中を打たれてもサイトは何も言わず、また何の反応もしない。
その事が更にルイズを苛立たせるのであった。



ゼロの使い魔 〜輪廻に囚われし使い魔〜



「あははは〜。シェスタは可愛いな〜」

「そ、そんなサイトさん」

「タバサ、一緒に図書館に行こうぜ」

「行く」

「怒るなよ、ルイズ。お前も俺の一番だから」

「な、なな何を言っているのよ! べ、べべつにそんな事を言われても嬉しくなんてないんだからね!
 ……うん? 私も? もって何よ! んぐぐぐむむっ…………ねぇ、もっと〜」

この後、サイトはルイズとの触れ合いによって徐々に本来の自分を取り戻し、
更なるループを繰り返す内に、遂には悟りを開く事になる。
その時は今までの鬱憤を晴らすかのようにはちゃめちゃな行動を取るのだが、それはまた別の話。



   §§



裏社会。一般の人が知る事のない、通常ならば関わる事のない世界。
だが、そんな裏社会にも更なる裏、闇が存在した。
人外が平然と跋扈する闇の世界。ここは常識でさえも歪む非日常の世界。
だが、そこに生きる者たちが表に出る事はそうはない。
数に劣るから、などという理由などではなく、その必要性を感じないからというのが大きな理由である。
が、中には楽しみの為に表へと出る者たちもおり、そうなると必然とそういった者たちを止める者もまた生まれる。
しかし、必ずしも止められる訳ではないのだ。時には事後に回る事もある。



「ば、バカな。人間などに私が……」

「貴様が何者かなど知らん。だが、俺の家族に手を出そうとしたんだ。後悔はあの世でしろ」

信じられないと言う顔のまま事切れるのは、上半身だけが狼の姿をした恐らくは男。
それを冷徹に見下ろす青年の手には、小太刀と呼ばれる昔からの武器が握られている。
青年――恭也は血を拭き取ると小太刀を鞘に仕舞い、背後へと振り返る。

「確か、綺堂さんでしたね」

「え、ええ、そうよ。それはもしかして、高町さんが?」

さくらは目の前の光景に信じられない物を見たような顔付きで尋ねる。
それに対し、恭也は一瞬だけ躊躇したものの頷く。
恭也が弁解の言葉を考えるよりも早く、さくらが先に口を開く。

「本来なら私が彼を捕縛、できない場合は狩るはずだったのよ。
 忍から夜の一族の事は聞いているのよね」

恭也の再度の首肯にさくらは説明を始める。
闇の者が表にでないように見張るのもまた闇の者たちである事を。
そして、今回、この近辺で行われている殺人に狼人間が関わっている事を掴み、解決の為にさくらが来た事を。

「だから、この事が公になる事はないわ。でも、まさか人がワーウルフを……」

勿論、彼女とて夜の一族と総称される人外の者たちが絶対などとは思ってはいない。
現に彼女の知り合いの中には、そういった者と渡り合えるであろう者たちもいるのだから。
とは言え、身体能力だけで言えば、倒れている男は成人男性の平均を軽く上回るのだ。
そんな驚きなど気にもせず、恭也は淡々と事の経緯を説明し、後は頼むと頭を下げるとその場を離れる。
忍と一緒に居た青年と、今の彼の姿が重ならず、さくらは戸惑いながらも黙って見送るしかできなかった。



「さて、今日は少し趣向を変えた鍛錬をしよう」

「えっと、ひょっとして座学?」

「そうだ。とは言え、その後はいつものようにやるがな」

夕暮れに染まる道場。その中央で恭也と美由希は師弟として向かい合う。

「今日は自分よりも圧倒的な身体能力や反射神経を持つ者とやりあう事になった場合だ」

「それって、どれぐらいの開きがある事を想定しているの?」

「子供と大人、いや、それ以上の場合も想定する」

「前に話してくれた闇の眷属とかいうやつの事?」

「そうだ。他にも夜の一族と言う呼び方もあるというのも教えたと思うが、総じて人とは違う者だと思えば良い。
 HGS能力者、霊能力者など、特殊な力に対する手段に関してはまた別の日にするのでそのつもりで考えるように」

「あ、うん」

こうして、古より伝わる剣術を更なる高みへと、
それを振るう愛弟子をそれらさえも凌駕する剣士にする為の教育は続けられる。
変わる事無く続くかのように思われた日常は、不意に変化を見せる。
最近、起こり始めた事件に偶然出くわす事によって。

「綺堂さん?」

「恭也くんに美由希ちゃん!? 駄目よ、早く逃げなさい!」

腕や肩から血を流すさくらの足元に倒れている二つの影。
そして、そのさくらを囲むように未だ六つの影が立つ。

「恭ちゃん、もしかしてあれが……」

「そうだ。闇の眷属、夜の一族、様々な呼び方はあれど、人とは違う生物だ」

巻き込まれる形で関わる事となってしまう恭也と美由希。



「よもや、あの化け物とやり合い生き残る人間が居るとはな」

「興味を持ちましたか?」

「ああ。一度、会ってみたいものだな。人の身で我らさえも切り倒す剣士とやらに」

一つの事件を切欠に、恭也と美由希は好まずとも更なる厄介事へと引き込まれる事になる。



「そうか、俺の家族に手を出すか……。なら、貴様はここで死ね」

「っ! 人の身で我を威圧するか。くっくく、面白い、面白いぞ!
 見せてみろ、只管に研鑽を積み上げ、その果てに人の枠を越えし剣士よ!」

「目指す最高の剣士によりそれを越えるべく育てられ、共に歩む事を望むただの剣士。
 故に人でないというだけの存在に負ける訳がない!」

「ほざけ、たかが人間が我らを舐めるな!」

闇世界へと足を踏み込まざるを得なくなった二人の剣士。
果たして、その命運は。

とらいあんぐるハート 〜剣士の狂奏曲〜



   §§



降りしきる雨の中、剣を手に立つ青年の前に跪く男。
そんな二人を囲むように、遠巻きに見守る複数の者たち。
激しい雨音に負けず、青年へと縋りつく男の声が届く。

「私が悪かったエミリオ」

謝罪を口にし、いかに争いが無意味かを口にする男は、兄弟だろうと情に訴えて青年を見上げる。
それらを内心の感情を一切押さえつけ、無表情で見下ろしていた青年は剣を持つ手を上げ、ただ一言。

「貴様がはじめた事だろう」

呟くと同時に振り下ろす剣で男の首を跳ね飛ばすのだった。



「……夢か」

今しがた変な夢を見たような気もするが、夢とは得てして思い出せないものである。
恭也もそれ以上は深く考えず、変な夢を見たと片付け、自分の今いる場所を見渡す。

「教室……。誰も起こしてくれなかったのか」

学校の教室で眠ってしまったらしく、机の上には授業で使った、
いや、使うはずだった教科書やノートが広げらもせず乗っている。
赤星や忍ぐらいは声を掛けてくれそうなものだがと思いつつ、そもそも人が周囲を動く中、
平然と寝ていた事にも疑問を抱きつつ、まあそんな事もあるかと帰り支度を始める。
筆記用具などを詰め込んだ鞄を手に持ち、いざ帰ろうとしたその瞬間、カタカタと小さな音が響き、
すぐさま大きな揺れと共に天井が崩れる。
咄嗟に机の下に潜り込み、揺れが収まった所で這い出てみれば、
見事に教室の前から半分が崩れており、外の景色がはっきりと見えていた。
雨の降りしきる景色を眺めていた恭也は、崩れた残骸の中に人の影を見つけ、急いで傍へと駆け寄る。
どうやら、一際大きな柱に挟まれているらしく、男は抜け出せずにいた。
意識はあるらしく、こちらを見上げてくる男と目が合う。

「大丈夫ですか。少し大人しくしててください」

服装はこの学校の制服のものではないし、教師にしては若すぎる。
何故、こんな場所にと言う疑問もあるにはあったが、まずは人命救助が先だと柱に手を掛ける。
が、相当の重量があるらしく、恭也が持ち上げようとしても中々持ち上がらない。
引き抜けるかと男の腕に手を伸ばし、

「無礼者、気安く……」

何か言い掛けるも、どこかか痛めたのか言葉途中で顔を顰める。
降りしきる雨から体温を少しでも逃がさないように着ていたブレザーを男に掛け、恭也はもう一度柱に手を掛ける。
そんな恭也へと男が失せろと言い放つ。
その言葉を無視して尚も助けようとする恭也に、男が尚も何か言おうとした所で、再び地響きが起こる。
音のする方を振り向けば、崩れた校舎が更に砕け、こちらへと濁流のように襲い掛かってくる所であった。
それを見た恭也は、男の言葉に従って逃げる事をせず、そのまま男の体に覆いかぶさり庇おうとする。
そのまま、恭也と男の二人を飲み込むように瓦礫が二人の体を覆い隠してから数秒後、
瓦礫の山から腕が一本生えたかと思うと、そこから這い出てくる者があった。
それは先程まで柱に下敷きにされていた男で、その腕には意識を失いぐったりとした恭也の姿もあった。
男は恭也を地面に下ろすと、じっと見下ろし、

「バカな奴だ。助けなどいらぬと言ったのに、自らの身を犠牲に……。
 おまえがそうなのか」

恭也をじっと見下ろしていた男は暫く考え込んだ後、その手に一つの小瓶を取り出し、
中の液体を恭也へと飲ませるのであった。



「う……うう」

徐々に意識が浮上する独特の感覚を味わいながら、恭也はゆっくりと目を開ける。
視界に広がるのは布で出来た天井。いや、ベッドの天蓋であった。

「どうやら助かったのか。ここは病院……ではないだろうな」

とりあえずは体に動かない箇所がない事を確認し、恭也は体を起こす。
多少違和感を覚える体を何とか立たせ、現状を把握するべく見渡せば、
そこは優に数十畳以上はあろうかという部屋で、大きな窓から差し込む陽射しで部屋は明るく照らされ、
飾られた絵画はよく分からないものの、高そうである。
部屋の隅には全身を映し出す姿見も置かれており、

「……はぁ!?」

思わず恭也は素っ頓狂な声を上げて、目の前の姿見をまじまじと見詰めてしまう。
間違いないのかと、鏡の前で手を上げ、足を上げ、やはり目の前に映っているのが自分だと理解すると、

「どうして女になっている!?」

ごくごく当然の疑問を口にするのであった。
それに応えるかのようにノックされた扉が開き、一人の男性がやって来る。
説明を求める恭也にまずは着替えをと恭也の言葉を封じ、
続けて入ってきた数人の侍女らしき者たちが恭也を着飾らせる。
そうして案内されたのはお城の謁見の間とでも表現するのが相応しい場所で、
そこに一つだけある玉座には、恭也が助けようとした男が座っていた。
エミリオと名乗る男から聞かされたのは、とても信じ難い話で、恭也を妃に迎えるというものであった。
驚く恭也へと執事らしき男が更に説明をしてくれた所によると、ここが地球とは別の世界であると言うこと。
空間を繋ぐゲートを利用し、様々な世界と交流もあるが、地球は辺境に位置して交流がないこと。
更に、エミリオはそれらの世界を束ねる王という事であった。
状況は理解したものの、エミリオの提案など呑めない恭也が望むのは地球へと戻る事と、男に戻る事。
前者は以外にもあっさりと叶えられたものの、後者に関してはあっさりと拒否される。
それでもどうにか高町家へと戻ってきた恭也は、エミリオと共に事情を説明し、
証拠としてゲートを開いて異世界を見せたりと結構、大変な目にあった。
が、何よりも恭也が苦労したのは、

「き、妃って恭ちゃんは男でしょう!」

「今は女だ」

「だからって、はいそうですかって訳には……」

当然ながら、恭也とエミリオの結婚に反対する面々。
恭也自身も当然ながらそんな事を飲めるはずもなく、

「……という訳で、忍に那美さん。俺を戻す方法がないか調べてくれないか」

こういった関係で少しは糸口を掴めそうな友人にこっそりと頼る事にするのだった。

「勿論よ、任せなさい!」

「私も実家に連絡して聞いてみます!」

当然ながら、理由が理由だけにいつも以上に真剣に対策を探し始める二人。
そんな折、エミリオまでもが転入生として恭也のクラスにやって来るは、
男子たちや一部の女子からは変に迫られるはと混乱を極める事となる。

「ああ、何よりもまず平穏が欲しい……」

こうして、恭也の普通じゃない日常が始まる。



世界の果てでとらいあんぐる



   §§



それは六月のある日の事であった。
いつものように深夜の鍛錬を終え、さあ寝るかと言う時になって不意に聞こえてきた声。

「お願い、助けて…」

助けを求める事に辺りを見渡すも、声の主は見当たらない。
薄暗い部屋の中とはいえ、今日は月や星の明かりが充分で見えないという事はない。
それによく思い出してみれば、その声は耳から聞こえたというよりも頭の中に直接響いたという方が正しい。
今更ながらにその事に気付き、先程の声が幽霊と呼ばれるものかと考えて思わず肌が粟立つ。
知り合った少女から、そういう存在がいる事を聞いた今、その存在を否定する事はしないが、
よりにもよって自分の所に来なくても良いだろうと思う。
しかも、助けを求められても困るのである。
そっち関係は全くと言って良いほど素人なのだし、何よりも……。

「うぅぅ、悪霊退散、悪霊退散。悪霊じゃなくても、霊なら退散」

布団を頭から被り、美由希は先程聞こえた声は気のせいだと自分に言い聞かせながら唱える。
外で恐らくは風により木々が揺れたのだろうが、美由希はビクリと体を震わせ、

「ご、ごめんなさい、退散なんて言ってごめんなさい! 本気じゃないんです。
 いや、勿論、退散してくれるに越した事はないというのが本音なのですが!
 た、助けを求められましても困ると言いますか。うぅぅ、恭ちゃん、恭ちゃん」

思わず幼児退行しそうになる美由希の頭にまたしても助けを求める声がする。
一層身を震わせつつも、美由希は恐々と布団から頭を出し、

「た、助けに行けば祟られないよね。行って、私には無理だったとしても怒ったりしないでよ」

誰もいない部屋でそう呟き、美由希は幽霊相手に通じるか分からないが念の為と装備を身に付ける。

「うぅぅ、行きたくない、行きたくない」

一歩一歩確かめるように歩きながら、美由希はゆっくりと家を出る。
そうやって辿り着いたのは槙原動物病院から少し離れた路地である。
だが、そこは無残にもあちこちに穴が開き、壁も所々壊れている。

「早くも来た事を後悔しているんだけれど。だ、誰かいますか?」

恐々と声を掛ける美由希の目の前には、怪我をしたのか痙攣しているフェレットが横たわっていた。

「……あ、あははは。まさかね、助けを求めていたのって、この子な訳ないよね。
 だって人語を喋ってたし」

言いつつ、美由希の脳裏には人語を操る狐が浮かぶのだが、それを振り払いフェレットを抱き上げる。
小さく呻き声を上げたフェレットは、美由希の姿を見るなり、弱々しい声ながらも人語を操ってみせる。

「ぼ、僕の声が聞こえたんですね」

「……助けてっていう声なら聞こえたけれど、あれは君なの?」

「そ、そうです。良かった、聞こえる人が居て」

「君、幽霊とかじゃないよね」

フェレットが何か言おうとするよりも先に、美由希は大事な事だとばかりに尋ねる。
それに小さく頷いたのを見て、美由希はようやく肩の力を抜く。

「良かったよ、幽霊とかじゃなくて。で、助けるって何をすれば良いのかな?
 とりあえず、病院で良いの?」

「そうじゃなくて……」

フェレットが何か言うよりも先に、美由希の頭上に影が射す。
美由希は考えるよりも先にその場から飛び退き、今しがた自分がいた場所に降り立った物を見詰め、

「ゆ、ゆゆゆ幽霊!? や、やっぱりこっち関係なの!?」

見事にパニックを起こす。
フェレットは苦しげな声を上げて美由希を落ち着かせようとするのだが、中々聞いてくれない。
半ば強引にフェレットは何処からか取り出した赤い宝石を美由希に握らせる。

「僕の後に続いて言って」

「ううううううん、い、言えば良いんだね」

フェレットが起動キーと言った言葉をなぞるように口にすると、赤い宝石が輝く。

「後はイメージして。貴女を守る防具を、貴女を助ける武器を!」

言われた通りにイメージする美由希。
やがて光が収まると、そこには……。

「って、何にも変わってない!? どうして!? ちゃんとイメージしました?」

「したよ。それよりも次はどうしたら良いの」

「えっと、ちょっと待ってください。レイジングハート」

恐らくは赤い宝石の名前なのだろう、その名を呼びながら美由希の手から赤い宝石を取って尋ねれば、
機械的でありながらも女性のものと分かる声で返答が返ってくる。

『魔力が全く足りません』

「そんな、僕の声を聞き取れたのに!?」

『それが何故かは分かりませんが、魔力の絶対量が不足しています』

「えぇぇ! そんな事を今更言われても。どどど、どうした良いの!?」

先程まで焦りながらも何処か冷静に対処していたフェレットがパニックになるに辺り、逆に美由希の方が冷静になる。

「えっと、とりあえず逃げる? 霊関係なら知り合いに専門家がいるけれど」

「いえ、あれは霊とかじゃないんです」

「へっ、そうなの? じゃあ、普通に物理攻撃が通じるの?」

「はい、通じるには通じますよ。ただ魔法なしで倒すのはかなり難しいといか、多分無――」

「ようはあれを倒したら良いんだね」

「そうですけれど。だから、普通は……」

フェレットの言葉から自分のする事を理解し、確認した美由希は再び何か言おうとしたフェレットを抱え、
フェレットが言葉を途切らせる程の速度を一歩目から出して訳の分からないものに近付く。
美由希の腕の中でフェレットが何か言っているようだが、それを頭から追い出して美由希は更に近付き、
間合いに入った所で背中に指していた小太刀を抜刀。
そのまま目の前の謎の物体を斬り付ける。
小さな悲鳴を上げ、体の一部を切り裂かれたソレが美由希から距離を開けるも、
美由希はソレよりも早く更に踏み込み、今度は刺突を繰り出す。
鍔元までめり込む程の攻撃に、ソレは先程よりも大きな悲鳴を上げ、やがてその姿がゆっくりと消えて行く。

「う、嘘」

目の前の出来事に呆然となっていたフェレットであったが、消えた後に現れた青い宝石を目にしてすぐに言う。

「レイジングハートで封印を!」

『魔力が足りません』

「そうだった! えっと、とりあえずその宝石を取ってもらえますか」

「うん、これ? はい」

美由希は宙に浮いていた青い宝石を無造作に掴み、フェレットへと渡す。
渡されたフェレットは無事に回収できたと喜びつつも、少し複雑そうな顔になる。
尤も動物のそれをはっきりと区別できたのではなく、何となくそんな雰囲気という事なのだが。

「えっと、これで良かったんだよね」

「はい、助かりました。これは僕の魔力が回復してから封印します」

フェレットの言っている事の全部を理解できた訳ではなかったが、美由希は胸を撫で下ろすと、
不意に後ろを振り返り、笑顔を見せる。

「恭ちゃん、何しているの?」

何もない空間に向かって呼びかける美由希を見上げ、フェレットはもしかしてちょっと危ない人、
と今更ながらに思うも、美由希は変わらずに道路の先を見詰める。
やがて、先に根負けしたのか、電柱の陰から恭也が姿を見せるとフェレットは更に驚く。

「ちっ、まさかお前に気付かれるとは不覚」

「んふふふ、私も成長しているんだよ。って言いたいんだけれど、さっき恭ちゃん助けようとしてくれたでしょう。
 それで気付いたの。多分だけれど、家からずっと付いてきてたんじゃないの?」

「夜中にこっそり出て行こうとする不良娘をどう叱ろうかと思ってな」

それが照れ隠しだと分かっているからか、美由希は更に笑みを深めるも何も言わないでおく。
それで余計に憮然となる恭也であったが、とりあえずはそっちが先だとばかりに美由希の腕に居るフェレットを見る。
二人から見られ、少し居心地が悪そうにしながら、フェレットは経緯を説明するのであった。



「恭也さん、美由希さん、ジュエルシードの封印を!」

ユーノと名乗ったフェレットに協力し、青い宝石ジュエルシード集めをする事となった恭也と美由希。
ユーノが期待した恭也の魔力は、美由希よりも更に低く、レイジングハートを起動させる事が出来なかった。
が、そんな事関係ないとばかりに、二人は小太刀で立ち塞がる障害を斬り伏せて行く。
二人の魔力を合わせ、どうにかレイジングハートによる封印回収だけは出来るのが救いだろうか。

「さて、ユーノ氏。俺たちは今回はどうすれば良いと思う。
 忌憚のない意見を聞きたいのだが」

「えっと、はっきりと言って無理です。飛行の魔法はそのかなり難しいと言いますか、適正がありまして。
 仮に適正があったとしても、お二人の魔力だともってに数秒かと」

「流石に恭ちゃんでも空は飛べないもんね」

「まあな。しかし、あれを放置する訳にもいかないだろうし、どうしたものか」

「うーん、飛行だけ協力してもらうってのはどうかな」



「あ、凄い。魔力量だけならBランクを超えてます」

「良かった。それじゃあ、私でお役に立てるんですね」

「「勿論です」」

新たな協力者、空中に二人の足場を作る役を引き受けてくれた那美を引き連れ、
恭也たちのジュエルシード集めは続く。

「うーむ、敵が那美さんを狙うとまずいな」

「そうだよね。空に居る私たちも落ちちゃうし、何よりも那美さんを危険な目に合わせるの」

「いえ、私の事は気になさらず」

「そんな訳にはいきませんよ。何か良い案はないものか」

「僕の魔力が戻れば、防御魔法で守ることも出来るんですけれど」

こうして頭を悩ませる事数分。
あっさりとこの問題は解決する事となる。

「なみ、くおんがまもる」

こうして、前衛に恭也と美由希、後衛に那美。その護衛に久遠、司令塔にユーノというチームが出来上がる。
更にそこへ加わる新たな第三者。

「異世界の技術ってのも面白いわね〜。この忍ちゃんに任せなさい。
 ばっちり改造してあげるから」

「寧ろ、改造しないでくれ」

事情を知り武器の製造に協力も申し出る忍と、その護衛にして従者ノエル。
大人数によるジュエルシード探しは順調に進んでいくのであった。



「全部のジュエルシードが、敵対する向こうとこちら側で全部揃って、後は直接対決するだけ……。
 だというのに、どうして今頃、こんな魔力を持った人が見つかるかな〜。
 しかも、こんな近くに居たなんて。あれだね、この世界の諺にあったよね。
 そう、確か灯台下暗しだっけ?」

今更ながらになのはの秘めた魔力量に気付き、知らず床に突っ伏すユーノが居たりしたとか。

リリカル美由希&恭也



   §§



人の想いは時に強い力を持ち、奇跡と呼ばれるような現象を起こす事さえもある。
そして想いにも色々とあるはずで、中には負の感情に起因する想いもあってしかるべきである。
ならば、そのような想いが起こす現象もまたあり、時にそれは念や呪いと呼ばれる事もあるのだろう。

「……恭ちゃん、これって?」

「昔なら半信半疑だったかもしれないが、今となっては信じるしかないんだろうな」

高町家の恭也の部屋。
そこで向かい合って座るのはこの部屋の主である恭也とその妹の美由希。
二人は互いに上半身裸、美由希は一応Tシャツを羽織っているが、共に肌をいつも以上に晒し、
間に置かれた一冊の書を覗いている。

「御神の負の遺産」

開かれたそこに書かれている一文を読み上げ、次いで美由希は自分の腕へと視線を落とす。

「まさか、本当にあるとはな」

呟き恭也もまた自分の腕を見遣る。
そこには共に黒く渦巻くような紋様が手首から肩に掛けて現れており、
恭也に居たってはそれが背中や胸にまで及んでいる。

「御神の遺産と言いながら、その役割上、不破の方に顕著に出るらしいな」

「だから、私よりも恭ちゃんの方に多く出ているのかな」

言いつつ、二人は手元の書を、随分古い物なのか、所々破れており、自然とゆっくりとページを捲る。

「父さんが実家から持ち出してそのままにしてあったこの書によると、一種の呪いらしいな」

呪いという言葉に美由希が顔を顰めて腕をブンブンと振る。
が、それだけで簡単になくなるものならこうして書を引っ張り出してまで悩む必要などもなく、
当然ながら美由希もそれは分かっているがやらずにはいられなかったのだ。
心底泣きそうな顔を見せ、恭也に縋るような視線を向ける。
が、恭也としても士郎から一度聞いた事がある程度、それも半分冗談っぽく言っていたので、
今の今まですっかり忘れていたぐらいなのだ。

「昔は呪いや祟りなどといったモノは今以上に信じられてきた。
 故に、それに対する対抗手段を持たない御神としては、他の手法を考えたのが始まりらしい」

「だからって、人、人外問わずに斬った際に受けた怨念や呪いを一人に肩代わりさせるってのはどうなんだろう。
 ここには依り代って書かれているけれど、寧ろ生贄だよね。
 と言うか、どうして今になって私や恭ちゃんに呪いが現れるのよ!」

美由希が天井へと向かって叫ぶが、恭也は一人冷静に自分の考えを口にする。

「寧ろ、今になったからこそ溜まりに溜まったものが出てきたとも考えられるがな」

「うぅぅ、この呪いによってどんな影響があるの」

最早半泣きを通り越し、今にも泣き出さんばかりに書へと顔を近づける美由希。
その気持ちも分からなくはないが、とりあえずは美由希の頭が邪魔で見えないので頭を退かせる。

「どうも実際に呪いを受けた者はいなかったらしいな。
 推測でなら色々と書かれているが、実際にはどうか分からないな」

「うぅぅ、何て無責任な。推測では何て書いてあるの」

恭也の邪魔にならないように覗き込み、美由希は書いてある事に目を通す。

「うぅぅ、分かっていたけれど碌な事が書いていない。
 っていうか、最悪死って……」

「手足が動かないとあるが、今の所は異常ないな」

「変なもの、霊などを呼び寄せるって、何て呪いなのよ!
 恭ちゃん、今日は一緒に寝よう!」

「バカな事を言うな。そもそも、あくまでも推測だろうが」

「で、でも本当だったらどうするの!?」

「他にも色々とあるな。しかし、腰痛や頭痛に咳、タンの絡みに喉の痛みって」

「風邪じゃないんだからねぇ。と言うか、後半は明らかに思いつく症状を書いているだけっぽいよね」

思わず自分たちのご先祖様に呆れた表情になるも、すぐに真剣な顔に戻るとまたページを捲る。

「肝心の呪いの解呪に関しては何もないというのが如何にも無責任な」

「と言うか、誰もなった者が居なかったという事は、それが正しいかも分からないんじゃ」

「いや、実際にこうして呪いを受けている以上、何らかの儀式をしたのは間違いないのだろう。
 だとすれば、解呪法ぐらいはあるかと思ったんだが」

「確かにそうだよね。って、恭ちゃん、ここ破られた跡があるけれど」

「……ふむ、もしかしたらここに書いてあったのかもしれないな」

「うぅぅ、肝心な、肝心な部分がないなんて。くだらない呪いの効果推測はあるのに……」

心底恨めしそうに書物を睨み、美由希は床をダンダンと叩く。
そんな美由希にデコピンを喰らわせ、

「時間を考えろ。なのはたちを起こすつもりか」

「ご、ごめん」

「とりあえず、明日那美さんに見てもらうのが一番だろうな」

「だよね。那美さんならきっと」

希望を胸に抱き、美由希はうんと一つ強く頷く。
それで話は終わりだと恭也は書物を閉じ机の上に置くと、布団の上へと移動する。
その段になっても一向に動こうとしない美由希を無言で見ると、

「恭ちゃん、今日だけ、今日だけだから〜」

よっぽどお化けが怖いのか、美由希は恭也に縋るような目を向けてくる。
それを冷たくあしらおうとした恭也であったが、あまりにも惨めな姿に思い直したのか、

「今日だけだぞ。確かもう一組布団があったはずだな」

「ありがとう、恭ちゃん」

「気にするな。よくよく考えてみれば、お前の呪いがなのはに移ると困るしな」

「うぅぅ、やっぱりそんな理由ですか」

そんなやり取りをしつつ、二人はよく考えればなのはにも不破の血が流れている事を思い出す。
が、何も可笑しなものは出ていなかった事を思い出して胸を撫で下ろす。
恭也の胸中を正確にトレースして、美由希は小さく笑う。
それを見咎められ、デコピンを再び額に喰らう事になるのだが、まあお約束と言うやつだろう。

翌日、恭也は登校前に那美へと連絡し、そして放課後。

「確かに呪いなのは間違いないですね。でも、呪いなのにちゃんと整理されているし。
 まるで何かの術を施したみたいです」

恭也と美由希の腕を見ながら、那美はそう口にする。
暫く二人から見ていると何をしているのか分からない事を繰り返し、那美は二人と向かい合う。

「すみません。私にもこの呪いの解き方は分かりません。
 でも、実家の方に連絡してみるのできっと何か分かるかと思います」

那美の言葉に小さからぬ落胆を見せるも、続く言葉に美由希は嬉しそうに笑ってお願いしますと頭を下げる。
力強く引き受けた那美の仲介もあってか、その二日後、恭也と美由希の二人は鹿児島の神咲家にいた。

結論から言うと、ここでも呪いを解く事は出来ず、恭也と美由希は新たな退魔の一族を紹介される事となる。
これがまさか、呪いを解くための長い旅になるなどとは、この時は誰も思いもしないのであった。



「すみません、那美さんまで付き合わせてしまって」

「いえいえ、お気になさらずに。それに、ちょっとした旅行みたいで不謹慎ですけれど楽しいですし」

「恭ちゃん、このお弁当美味しいよ!」

「はぁぁ、少しは景色も楽しめよバカ弟子」

――那美を同行者に加え、高町兄妹の旅は続く。



「呪いの効果なのか、どうも可笑しな力を感じ取れるようになっているみたいだな」

「うぅぅ、こんな副作用いらないよ〜。見えないものは見えないままで良いのに」

「えっと、多分ですけれど霊に対して攻撃できるようになってませんか?」

「……本当だ」

「あ、斬れた。ふ、ふふふふ、刀が通じるのなら怖くないわ!
 って、ごめんなさい、嘘吐いてました! やっぱり怖いものは怖いです!
 血、血塗れで近付かないでー!」

「み、美由希さん、落ち着いて」

「那美さん、ちょっと疑問なんですが、うちの妹は何故人と切り結んで相手が血塗れでも平然としているのに、
 それが霊というだけであそこまで取り乱すのでしょうか」

「さ、さあ? って、のんびりしている場合じゃないですよ」

「いえ、さっきの霊ならもう美由希の奴が斬りましたが」

「はい?」

「うわー、来るな、来るな、来るなー!」

「まあ、本人は目を閉じているので気付いていないみたいですが」

「あ、あははは」

――呪いの副作用が少しずつ判明する中、



「何なの、この呪いは! 満月を見たら発情ってあり得ないよ!」

「ええい、煩い耳元で叫ぶな! 俺など変な耳が生えたぞ!」

「お、落ち着いてください二人とも
 大丈夫です、それぐらいならこの結果の中に居れば問題ないですから」

「うぅぅ、た、助かったよ」

「全くだ。しかし、嫌な呪いだな」

「本当だよ。でも、恭ちゃんの呪いは可愛いから良いじゃない」

「なら、お前にやろう」

「いらないよ。と言うか、そんなことが出来るのなら、私のを恭ちゃんにあげるよ。
 そしたら、恭ちゃんは獣の如く私に襲い掛かるんだね」

「うむ、その時は潔く腹をかっさばこう、お前のな」

「何で私のっ!?」

「えっと、お二方ともちょっと性格まで変わってません?」

――可笑しな呪いの効果が発動したり、



「あははははは、見てみろ美由希、分身攻撃!」

「私なんて腕が四本だよ! ほらほらほら」

「ああああ、落ち着いて、落ち着いてください」

「おお、水中で息が出来るぞ」

「恭ちゃん、私飛んでる、飛んでるよ! アイキャンフライー!」

「あああ、本当に落ち着いて〜」

――呪いの効果に喜んだりする日々が始まる。



とらいあんぐるハート3 〜御神負の遺産〜



   §§



「これは!?」

突然感じ取れた違和感。それを口にだして言うと、頼もしいパートナーが答えを返してくれる。

【広範囲に渡す探索魔法です、マスター】

「もしかして魔導師?」

【目的は分かりませんが気を付けて下さい。まっすぐにこちらへと向かっています】

「レイングハート、バリアジャケットを」

【了解しました】

胸元に揺れる赤い宝石に言い放ち、そこから女性の声が返ると同時になのはは光に包まれる。
が、それも一瞬の事で、光が収まるとそこには白い、なのはが通う学校の制服に似た胸元に大きなリボンの付いた格好へと変わる。
胸元で揺れていた小さな宝石は、その大きさを大きく変えて杖の先端部で輝きを放つ。
それに驚く様子もなく、なのはは地面を蹴って空へと舞い上がるのだった。




時をほぼ同じくして、海鳴より離れた地にて恭也もまた何かに気付いたように左手首に嵌る腕輪に話し掛ける。

「ラキア、今のは?」

【恐らくは探索魔法ですね。遠く離れている為に確証はありませんが、まず間違いないかと】

「ふむ、なのはの奴が魔法の練習でもしているのか」

【どうでしょうか。そのこう言っては何ですが、なのは嬢はどうも補助的な魔法よりも、その相手を捕らえると言いますか、
 管理局で言う所の戦……ではなく攻げ……現場にて少し直接的なアプローチをするような方々がよく使う魔法の練習が殆どかと。
 勿論、そちらの方もやっていないという事もないでしょうが】

「フォローをありがとう。早い話、攻撃魔法の練習が多いという事だな」

【正確には魔法の制御などのためにスフィアをコントロールする練習を中心にしているので、まだこういうのはしないのではないかと】

「だとすると、別の魔導師の可能性もあるのか」

さて、どうしたものかと恭也が腕を組んで考える事数秒、結論を出そうとした所でまた何かを感じ取る。

「今のは何だ?」

【結界ですね。しかも、なのは嬢たちの使うものとは形式が違います。
 遠い為にはっきりとした確証はありませんが、恐らくはベルカ式かと】

「離れているのに分かるものなのか? まあ、俺には魔法の才能がない上に魔法に関してはラキアに完全におんぶに抱っこの状態だから、
 ラキアの判断に異を唱えようとは思わんが」

【全幅の信頼、この上ない喜びに感じます。
 確かに距離は離れていますが、事が起こったのが海鳴であるのならば、かなりの精度で感じ取れます。
 前にマスターと街を散策した際、マスターの出歩く近辺に色々と魔法による仕掛けを施しましたので】

「ほう、そういう事も出来るのか。本当に魔法というのは便利なものだな。
 勿論、それを使うラキアも優秀だというのもあるのだろうが」

再び恭也からのお褒めの言葉に喜びの感情を見せるラキア。
だが、この話を聞いていたのが魔法を知る者たちであったのなら、恭也のような反応は出来ないであろう。
何せ、デバイスが勝手に魔法を使い、しかもそれは通信機器のような役割を持つ魔法なのだから。
とは言え、剣一筋に生きてきた上に魔法を知っても練習の殆どは剣ばかり。
魔法に関しては完全にデバイス任せの恭也である。素直に凄いな〜、という程度で納得してしまうのである。

「しかし、なのはの使う魔法と違うという事は……」

【使用したのは別の魔導師という事です】

新たな相棒、グラキアフィンの言葉に恭也はまた考え込む。
何故なら、恭也はこの場を離れる事が出来ない理由があるのだ。

「とは言え、今は仕事の途中だしな。この世界、信用が何よりも大事だ」

この時点で恭也はなのはに危機が迫っているなどとは思いもしなかった。
それ故に悠々と構えていられるのだが。

【もしかすると、何かの危険に巻き込まれるかもしれません】

「どういう事だ」

グラキアフィンの発した言葉に、恭也は幾分余裕を無くして尋ねる。
主である恭也の焦燥を感じ取りつつ、グラキアフィンは少し口調を早くして推論を口にする。



時空を漂う艦、アースラ。
ここのクルーたちも慌しく動き始めていた。恭也が感じ取った結界、それをアースラもまた捉えたのだ。

「第97管理外世界において、大規模な結界の存在を確認しました。
 更に、その結果内部になのはさんとレイジングハートの存在を確認。
 もしかしたら、結界を張った相手との戦闘行為の可能性もあり!」

矢継ぎ早に告げられる報告に、艦長たるリンディは即座に指示を下す。

「全クルーは現状の任務を一時中断! すぐに現場に急行します。
 エイミィ、結界の解析を急いで。それと本当に戦闘行為が行われているのかも!
 万が一の事態に備え、フェイトさん、アルフさん、ユーノ君はすぐに現場に降りて命あるまで待機を。
 クロノは後詰としてアースラにて待機。
 より具体的な指示は状況を見てから判断します」

リンディの命令に短く了解の言葉を返し、皆がそれぞれの作業に取り掛かる。



海鳴上空にて、再び魔導師による事件が起ころうとしていた――

リリカル恭也&なのはA's






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