『An unexpected excuse』
〜乃梨子 続編〜
東京にあるM駅。ここに一人の青年が降り立つ。
その青年は改札を潜り、駅を出た所で辺りを軽く見渡す。
その青年が姿を現した途端、駅周辺から溜め息のような音が漏れ、道行く人が思わずその青年へと目を向ける。
そんな事には気付かず、青年──高町恭也は、バス停を見つけるとそちらへと歩いて行くのだった。
◇◇◇
純粋培養の乙女たちが集う私立リリアン女学園。
その一角にある少し古びた建物、生徒たちからは薔薇の館と呼ばれている、その中では、
薔薇さまと呼ばれる方たちを中心に何やら話をしていた。
「ふー。これで全部お終いね」
手元の書類を机で揃え、短髪の女生徒が顔を上げる。
それに答えるように、長いストレートの黒髪の女性も顔を上げ、小さく微笑む。
「ええ、これで問題はないわ」
「では、少し休憩にしましょうか」
祥子の言葉に、同じく作業を終えた志摩子が答える。
その言葉を待っていたかのように、彼女の妹と祥子の妹である祐巳が同時に席を立つ。
二人は顔を見合わせると、お茶を淹れる為に揃ってその場を離れる。
それを見送りながら、短髪の女生徒、支倉令が自分の妹である由乃に視線を向ける。
「祐巳ちゃんや乃梨子ちゃんは気が効くねー」
その言葉に微笑みさえ浮かべながら、由乃は真正面から言い返す。
「本当、二人ともよく気がつくわよね。でも、お茶を淹れるのに三人は多いでしょ?」
由乃の言葉に、令は曖昧に頷く。
それを見ていた祥子と志摩子が笑みを零す。
「黄薔薇さまの所は、相変わらず仲が良いわね」
「あら、紅薔薇さまの所も負けてないわよ」
珍しく名前でなくお互いを呼び合い、笑みを見せる。
「勿論、白薔薇さまの所もね」
そう言って令は、傍観していた志摩子にも話を振る。
それを受け、志摩子は軽く頷きを返す。
「ええ、姉妹ですもの。でも……」
志摩子が少し声のトーンを落とす。
それを聞き、祥子たちは志摩子を見る。
「どうしたの、志摩子?乃梨子ちゃんと何かあったの?」
祥子の問い掛けに、志摩子は首を振るが、少し声を落とすと話し始める。
「実は、乃梨子の様子が少しおかしいんです」
「おかしい?私は何も感じなかったけど。祥子は?」
「私もとくに何も変わったようには感じなかったけど。由乃ちゃんはどう思う?」
「私も特に気付きませんでしたけど」
由乃は顎に人差し指を当て、少し首を傾げて考えてみるが、思い当たる節がなかった。
由乃の返答を聞くと、祥子は志摩子に尋ねる。
「志摩子、おかしいとはどういう風におかしいの?」
祥子の質問に、令や由乃も耳を傾け、志摩子は何かを思い出すかのようにゆっくりと話し出す。
「そうですね。有体に言えば、心ここにあらずといった感じなんです。
一応、話し掛けるとちゃんと答えるんですが、暇をみては何かを考えている様子で。
それと、どこかソワソワして落ち着きがない感じがするんです」
志摩子の言葉を聞きながら、祥子たちは最近の乃梨子について考えてみる。
確かに志摩子の言う事も一理ありそうだが、それは今言われて初めて、ああ、あれの事か、と気付くほどのもので、
おかしいと言えるかどうかは微妙な所だった。
「志摩子、貴女の勘違いじゃないのかしら?」
「そうそう」
祥子と令の言葉に、しかし志摩子は納得のいかない顔をする。
「でも……」
「志摩子さんの考え過ぎだって。そんな事言ったら、祐巳さんなんか始終おかしいじゃない」
「由乃!」
由乃のあまりと言えば、あまりな言い方に令が嗜める。
しかし、由乃は気にした風もなく、平然と答える。
「大丈夫よ。私と祐巳さんは親友なんだから。これぐらいの事は言っても」
その由乃の言葉に、祥子も笑みを浮かべながら頷き、
「そうね。由乃ちゃんの言う通りだわ。祐巳は殆どそんな感じですものね」
「祥子まで」
姉である祥子まで由乃の言葉に賛成するのを見て、令は呆れたような声を出す。
それを見て、祥子は令に言う。
「あら、令はそうじゃないと思ってるのかしら?」
「そうじゃないけど……。でも、祐巳ちゃんには祐巳ちゃんの良い所がたくさんあるんだから……」
声も小さく答えると、令は続けて弁解のように言葉を続ける。
それを受けながらも、祥子は優雅な仕草で両腕を組んで微笑む。
「あら、そんな事、今更令に言われなくても知ってるわよ。私はあの子の姉なんですから。
それに令だって、やけに鋭くてしっかりした祐巳を見たらおかしいと思わない?」
この言葉に見事に言葉を無くす。
それを見ながら、祥子は髪を掻き揚げる。
「祐巳は今のままで良いのよ。それよりも問題は乃梨子ちゃんの事でしょ」
「ああ、そうだったわね。本当に志摩子の勘違いじゃないの?」
「多分、違うと思いますけど」
「だったら、はっきりと本人に聞くのが一番でなくて?」
「そうですね」
祥子の言葉に志摩子は頷く。
それを聞きながら、令は意地の悪い笑みを浮かべ、祥子を見る。
それに気付いた祥子が少し身構えながら、令に話し掛ける。
「な、何かしら、令」
「いや、祥子からそんな言葉を聞くなんて、ちょっと驚いただけよ」
「どういう意味かしら?」
「どういう意味だろうね。祐巳ちゃんの事になると、途端に臆病になる紅薔薇さま」
祥子は何か言い返そうとして、結局何も浮ばず口を噤む。
それでも悔しかったのか、少しだけ反論する。
「由乃ちゃんの事になると、弱気になる黄薔薇さまに言われるなんてね」
「あら、それはそれよ」
平然と流す令に、祥子は少しだけ悔しそうな顔をするが、すぐにいつもの顔に戻る。
それを見ながら、令は浮んでくる笑みを必死に堪えていた。
最も、祥子はそれに気付いており、それを見ない振りをして志摩子へと話し掛ける。
「まあ、姉妹同士の事だから、あまり口を挟むべきではないかもしれないけど。
一度、話し合ってみたら」
「はい、そうしてみます。ありがとうございます」
志摩子は柔らかな笑みを浮かべ、礼を述べる。
祥子は、照れ隠しの為か、少し早口で話し出す。
「本当に、志摩子も妹の事となると、心配性になるんだから。もう少し、冷静にね」
一応、釘を刺すような形で告げるが、その言葉にその場にいた全員が曖昧な笑みを浮かべる。
怪訝そうな顔をする祥子を見かねたのか、令が代表する形で説明する。
「それこそ、自分の事じゃない」
「私のどこが」
「本人が気付いてない所なんて、特にそうよ。
祥子は祐巳ちゃんの事になると、大げさなぐらい心配するじゃない」
この言葉に、祥子以外が頷く。
しかし、ただ黙っているだけでなく、祥子も言い返す。
「それを言うなら、それこそ令の専売特許みたいな物じゃない」
「私はそこまでじゃないわよ」
「いいえ。私よりも令の方が凄いわよ」
「そんな事ないって」
言い合う二人を見ながら、由乃はこっそりと呟く。
「どっちもどっちだと思うんだけど……」
そんな事をしている間に、お茶を淹れ終えた二人が戻ってくる。
全員にお茶を配ると、祐巳は由乃にこっそりと尋ねる。
「何か楽しそうだったけど、何かあったの?」
「うーん、あったような、無かったような」
由乃の言葉を聞き、祐巳は思わず心中で突っ込む。
なんですか、それは。
そう思いつつも、祐巳はとりあえず一つ頷いておく。
「ふーん」
そんな祐巳に笑みを浮かべると、
「まあ、私と祐巳さんが親友だって事よ」
由乃のこの言葉に、祐巳は照れながらも頷くのだった。
少し落ち着いた頃、志摩子が乃梨子にゆったりと話し掛ける。
「ねえ、乃梨子」
「はい、何ですかお姉さま」
すぐさま尋ね返して来る乃梨子に微笑みかけながら、志摩子は話を切り出す。
「貴女、最近何か悩んでない?」
「悩み、ですか?」
「ええ」
志摩子の言葉に、乃梨子は本当に分からないといった感じで首を傾げる。
「何か最近、ソワソワしている風に感じたから。それと、よく考え事をしてる様に見えたから……」
志摩子の言葉に、乃梨子はバツが悪そうな顔をする。
「うぅ。そんなつもりは全く無かったんですけど、そんな感じになってましたか?」
乃梨子の言葉に志摩子は頷き、肯定する。
それを受け、乃梨子は少し考え込むと、やがてゆっくりと話し出す。
「考えているというよりも、ただ人と会う約束をしてまして」
「約束?」
「はい。普段はちょっと遠くにいるんで、中々会う事が出来ないんですけど、明日から冬休みと言う事でこっちに来られるんです。
それで、ついつい」
「あー、それ分かる。そういった日の前日って、明日か、明日かって思ってドキドキソワソワするんだよね」
乃梨子の言葉に、祐巳も頷く。
「祐巳さまもですか」
二人は顔を見合わせると微笑み合う。
そんな二人を見ながら、志摩子は言葉を続ける。
「でも、乃梨子のそういった症状って、先週ぐらいからだったと思ったんだけど?」
志摩子は不思議そうに首を傾げてみせる。
それに対し乃梨子は、複雑そうな顔をすると、正直に話すことにする。
「えっと、約束した日が先週でして。それからちょっと楽しみだったもので」
少し恥ずかしそうに告げると、乃梨子は志摩子に尋ねる。
「でも、そんなに態度に出てましたか?私としては、普段とそんなに違わないと思うんですが」
「うん。私も気付かなかった」
乃梨子の言葉に祐巳が答えると、横から由乃が声を上げる。
「祐巳さんが気付くぐらいなら、全員が気付いてるわよ。私たちも志摩子さんに言われて、初めて気付いたぐらいなんだし」
「由乃さん、それはちょっと酷いよ」
「まあまあ、祐巳さん。拗ねない拗ねない」
じゃれ合う二人を余所に、志摩子は当然でしょと言わんばかりの表情を浮かべる。
「だって、私は貴女のお姉さまですもの」
その顔と台詞に、言われた本人である乃梨子はおろか、祐巳までもが、お見逸れしましたーと頭を下げる所だった。
お互いにそれを感じたのか、視線が合うと笑みを交し合うのだった。
それから、少し話をし、そろそろお開きにしようと言う事になって全員で席を立つ。
薔薇の館の階段を下りながら、由乃が乃梨子へと尋ねる。
「ねえねえ、乃梨子ちゃん。その約束をした人ってどんな人なの?
やっぱり、仏像関係?」
「よ、由乃さん」
「良いじゃない、祐巳さんだって気になるでしょ?」
「そ、それは気になるけど……」
祥子や令も口には出さないものの、少し気になっているようであった。
それを感じながら、乃梨子は話す。
「そうですね。全く関係ないとは言えませんが、関係があるとも言えませんね」
「何、それ。よく分からないわ」
乃梨子の言葉に、由乃が言う。
それを見ながら、乃梨子は笑みを浮かべる。
「でも、本当にそうとしか言えませんから」
「うーん。でも、会えるのをそんなに楽しみにしてたって事は、意外とその人の事が好きだったりして……」
冗談半分で言った祐巳の言葉に、乃梨子は顔を赤くさせる。
「えっえっ!?」
その反応に、言った本人である祐巳が驚き、由乃は面白そうな顔をして、祐巳の肩を叩く。
「祐巳さん、ナイス。で、乃梨子ちゃん、どうなの?」
「そ、それは……」
「でも、仏像関係の人だったら、やっぱり年配の方かしら?」
今まで黙って聞いていた令が口を挟んでくる。
「あ、あの……」
助けを求めるように、祥子と志摩子の方を見るが、二人とも助ける気がない様子で成り行きを見守っている。
「ほらほら、乃梨子ちゃん。素直に吐いちゃいなよ。まだ、好きとか言ってないの?
だったら、協力してあげるわよ〜」
そんな事を言う由乃を見ながら、祐巳はそっと思うのだった。
(協力?ただ、自分が楽しみたいだけなんじゃ。令さまも物凄く聞きたそうにしてるし。
お姉さまや志摩子さんは助ける気が無いみたいだし……)
そこまで考えながらも、自分もやっぱり知りたいと思い、心の中では乃梨子に謝りつつも助けを出さない。
先代の薔薇さま方が、色々と企み事をする気持ちを少しだけ理解し、祐巳は知らず笑みを浮かべる。
(これが代々の薔薇さまに受け継がれる伝統だったりして……)
会った事のない、蓉子たちの姉に思いを巡らして、祐巳はそんな事を考えていた。
と、じゃれ合いながらもマリア像の前に来ると、自然と手を合わせ目を瞑る。
そして、再び校門へと向う道すがら、由乃による乃梨子への質問攻めが再開される。
そんな面々を前方の茂みからフラッシュが襲う。
それに対し、祥子たちは特に驚きませず、その茂みから出て来るであろう人物を待つ。
それほど待つ事無く、すぐさまその人物が現われる。
「三薔薇ファミリーの下校風景って所かしらね」
カメラ片手に現われた蔦子は、祐巳たちに向って笑いかけながら言う。
その後ろから、新聞部の真美が現われる。
「真美さんまでいたの?」
素直に驚く祐巳に、真美は挨拶をする。
その時、乃梨子が小さく声を上げる。
「どうしたの、乃梨子?」
「あ、いえ。ちょっと忘れ物をしてしまって。ちょっと取りに戻りますから、気にせず先に行ってて下さい」
そう言うと乃梨子は、薔薇の館へと戻っていく。
それを見送りながら、祥子が真美へと視線を向ける。
「それで、新聞部と写真部の二人が何の御用かしら?生憎と、今はネタになるような事はないんだけど?」
「ええ、それは分かっています。ただ、ちょっと噂と言うか、それを確かめに行った帰りに皆さんを見つけただです。
そしたら、蔦子さんが写真を取りたいと仰って、あの茂みへと……」
そう言って真美は、自分たちが出てきた茂みへと目を向ける。
「真美さんも大変ねー」
由乃はしみじみと呟くと、次いで二人を見詰める。
「所で、噂って何?」
幾分、顔を輝かせて二人に尋ねる。
目の前に、新たなネタを見つけ、さっきまでの乃梨子への質問を忘れたようである。
そんな由乃を見て溜め息を吐く祐巳。
他の面々は、真美に視線を合わせ、黙っている。
やがて、真美がその噂とやらを語り出す。
「いえ、大した事じゃないんですけど。校門の前に、男性がいて誰かを待っているってだけなんですけどね」
明らかにがっかりした表情を見せる由乃を置いて、蔦子が後を続ける。
「で、問題なのが、あそこで待っていると言う事は、待ち人はリリアンの学生って事」
その言葉に、由乃の顔が輝き出す。そして、詰め寄るように真美に尋ねる。
「で、誰を待ってるの?」
「そこまでは、分からないわよ。ただ、その誰かを知りたくて張り込もうとしたんだけどね……」
「何で止めたの?」
真美の台詞に祐巳が尋ねる。
「いや、中々現れてくれないというのと、流石に記事にして良いのかどうか分からないでしょ」
真美の言葉に頷く祐巳をカメラに収めながら、蔦子がその言葉の続きを取る。
「後、彼、勘が良いらしくてね。隠れている私たちに気付いているみたいだったのよね。
だから、それ以上の張り込みを止めたって訳」
「へー。でも、男性が待ってるってだけで、そんなに噂になるんだ。
もう、放課後で、殆ど生徒も居ないはずなのに……」
祐巳の呟きに、真美と蔦子は顔を見合わせ笑みを作る。
「そりゃあね。あれじゃあ、騒ぐのも無理ないわよね」
「ええ、真美さんの言う通りね。相手が女子高生じゃないというのに、思わずシャッターを押しそうになったわ。
もし、こっちに気付いてなかったら、押してたわね」
「どういう事?」
蔦子たちの言葉に、首を傾げる祐巳。
そんな祐巳に向って、真美が語る。
「まあ、百聞は一見に如かずよ。これから帰るんなら、実際に見て確かめた方が早いわよ」
「そういう事。それじゃ、私たちはこれで」
「まだ、やらないといけない事があるのよね」
そう言って二人は、歩き去って行った。
その背中を眺めながら、とりあえず祥子たちは校門へと向う。
やがて、蔦子たちの言っていた人物が見えると、そろって息を飲む。
「はー、成る程ねー」
「確かに噂になる訳だ」
由乃に続き、令が言葉を発する。
「男の方にも綺麗と言うんですかね?」
少しずれたような事を言う祐巳に、祥子は肩を竦めながら言う。
「ほら、こんな所にいつまでも居ても仕方がないでしょ。さっさと行きましょう」
祥子の言葉に頷くと、全員が校門を潜る。
と、その人物が顔を上げ、笑みを浮かべると軽く手を上げる。
その視線の先を、つい目で追ってしまう祐巳たちだった。
そして、そこには驚いた顔をした乃梨子がいた。
「恭也さん……?」
恭也に気付くと、乃梨子は小走りで恭也の元へと向う。
「えっと……。本当に恭也さんですね」
「当たり前だろ」
そう言って苦笑を浮かべる恭也に、乃梨子は慌てたように答える。
「い、いえ。そうじゃなくてですね。ちょっと予想外の出来事に、混乱して。
あまりにも明日が待ち遠しくて、ついに幻でも見てしまったのかと」
「間違いなく本物だ。まあ、約束よりも一日早く来たけどな」
そこで一旦言葉を切ると、恭也は珍しく意地の悪い笑みを浮かべる。
「しかし、明日そんなに待ち遠しく思ってくれているとは、感激だな」
恭也の言葉に、乃梨子は赤くなりながらも、
「だって、久し振りに会えるから……。待ち遠しいに決まってますよ」
乃梨子の言葉に、今度は恭也が赤くなる。
そんな様子を見ながら、乃梨子は笑みを浮かべる。
そんな二人に向って、少し遠慮がちな声が掛けられる。
「乃梨子ちゃん。少し良いかしら」
祥子の言葉に、乃梨子はすぐ近くに祥子たちがいるのを忘れていた事を思い出す。
「は、はい。何でしょうか」
「そちらの方は?」
「あ、はい。こちらの方が先程言ってた高町恭也さんです」
「高町恭也です」
乃梨子の言葉に、恭也は頭を下げ挨拶をする。
それに対し、祥子たちも挨拶を交わすが、志摩子だけは自己紹介をせずに普通に挨拶をする。
「どうもお久し振りです」
「こちらこそ、お久し振りです」
お互いに顔を上げると、志摩子は両手を合わせる。
「乃梨子がさっき言ってた約束の人って、恭也さんだったんですね」
「はい」
志摩子の言葉に頷く乃梨子と、それを見ながら不思議そうな顔をする恭也。
「そのさっき言ってたというのは?」
「ええ。先程まで、乃梨子に尋ねていたんですよ。
最近、ソワソワして落ち着きがないから、どうしたのかしらって」
「お、お姉さま、それ以上は……」
止めようとする乃梨子をやんわりと躱し、志摩子は続ける。
「そしたら、明日会う約束をした人がいるって。それで、一週間前からずっとソワソワしてたんですって。
でも、相手が恭也さんだったのなら、納得だわ」
志摩子の言葉に、恥ずかしそうに頬を染める乃梨子の頭を優しく撫でる恭也。
「そうか、そんなに楽しみにしてくれてたのか」
「うん」
優しい笑顔を向けられ、素直に頷く。
そんな様子を眺めながら、由乃がわざとらしい大声を出す。
「どうしましょう、お姉さまに紅薔薇さま。
私たち、完全に蚊帳の外、いいえ、忘れられているような気がするんですけど」
「よ、由乃さまっ」
由乃の声に、乃梨子が珍しく慌てたような声で名前を呼ぶ。
それを受けながら、由乃は志摩子へと尋ねる。
「志摩子さんは、恭也さんと知り合いだったの?」
「ええ。乃梨子に紹介してもらったから」
志摩子の言葉に納得する祐巳たち。
そんな中、祥子が乃梨子に尋ねる。
「それで、こちらの方と乃梨子ちゃんの関係は?」
祥子の質問に、令たちは顔を見合わせる。
さっきまでの会話から、乃梨子の気持ちは分かっているだろうに、と。
「祥子さまって、意外と悪戯好きよね」
「段々、先代の薔薇さまたちに似てきたよね」
「でも、お姉さまの事だから、何か考えがあるのでは……」
由乃の言葉に、令と祐巳はそれぞれに言う。
祐巳の言葉を聞いた令は、
「いや、単純に虐めてるだけでしょ」
と答える。
そんな三人に向って、祥子が言葉を放つ。
「何をこそこそ言ってるのかしら?」
「な、何でもないですお姉さま」
「そうそう、何でもないですよ祥子さま」
祐巳と由乃に続いて、令も祥子に言う。
「そうそう。それよりも、ほら乃梨子ちゃんの説明が先でしょ」
明らかな話の逸らし方だったが、祥子は大人しく乃梨子へと顔を向ける。
「で、どういった関係なのかしら?」
この言葉に、乃梨子は恥ずかしそうな顔をする。
対する恭也は、いつぞやの乃梨子みたいな顔をして、
「説明してくれないのか?」
と尋ねる。
それを受け、乃梨子は決意したように口を開く。
「えっと、この恭也さんは私の婚約者です」
この日、お嬢様学校と知られる学園前で、お嬢様にあるまじき大声が響き渡った。
しかも、その声をあげたのは、生徒たちの憧れであり、見本ともなるべき白薔薇姉妹を除く山百合会の面々だった。
幸いな事に、彼女達以外の生徒や通行人は居なかったため、事なきを得たようだが。
「ちょ、それはどういう事。貴女、まだ学生でしょ」
「でも、婚約者というのなら別に良いんじゃ。誰かさんにも居るんだし」
令の言葉に、祥子が睨むように令を見る。
「あ、あれは勝手に決められた事よ!」
「でも、一応いる訳なんだから、乃梨子ちゃんだけを責めるのは駄目でしょ」
令の言葉に祥子は言葉に詰まり、同時に少し落ち着く。
そして、志摩子を見る。
「そう言えば、志摩子は驚いていないみたいね」
「ええ、私は知ってましたから」
志摩子はさらっとした顔で答える。
それも見て、頭を押さえると祥子は気を取り直して乃梨子を見る。
「じゃあ、説明をしてもらえるかしら」
祥子に言われ、乃梨子は頷く。
流石にこの場所ではと言う事になり、少し移動する。
少し行った所にあった公園に入るなり、祥子が用件を切り出す。
「ここなら、人も来ないだろうから、ゆっくりと説明してもらえるわよね」
そして、乃梨子はゆっくりと話し始めるのだった。
恭也と乃梨子が付き合い始めた事などを由乃は聞きたそうにしていたのだが、この辺の事情は一気に省き、
乃梨子は事の発端について説明をする。
そもそも、事の発端は恭也の軽い冗談から始まった。
その冗談を信じ、乃梨子はこの間の宿泊学習で恭也の通う風芽丘学園まで行ったのである。
そこで起こった出来事の結果、何故かその事態が双方の親へと伝わってしまった。
いや、正確にはクラスメイトから恭也の母親へと伝わり、それが色々とあり(単に桃子だけが乃梨子に会ってない事で拗ねた)、
声だけもと言う事で、乃梨子の下宿先へ。
そこから乃梨子の両親へと連絡が行き、11月の連休に両親と一緒に乃梨子が海鳴に来る事となったのである。
この時、非常に友達思いの同級生が、面白半分に見せた映像がいけなかった。
この間の昼休みの出来事を見事に撮影&上映してくれた親友に、まだ消していなかったのかと叫びながら、
恭也は手厚いお礼をしたが、既に時遅く、また何故か妙に気に入られた事もあって、
とりあえず、恭也の卒業までは婚約という形にと、当人たちを余所に親同士で決めてしまったのであった。
「と、まあそう言うわけです」
全てを説明し終えた乃梨子は、ほっと息を吐き出す。
それを見ながら、祥子は乃梨子に尋ねる。
「乃梨子はそれで良かったのね?」
この問い掛けに、乃梨子ははっきりと頷く。
「はい。私は恭也さんの事が好きですし、そのこういう形にはなってしまいましたが、結果には文句ありません。
寧ろ、そのお陰で恭也さんに変な虫が付かないんで安心してるぐらいです」
「そう。じゃあ、恭也さんの方はどうなのかしら?」
「俺も乃梨子の事が好きですから、別に問題はないですよ」
祥子は恭也と乃梨子を見詰め、やがて息をゆっくりと吐き出す。
「はぁー。当人同士が良いと言ってるんだから、私たちが口を出す問題じゃないわね」
「まあ、そうだね。ちょっと驚いたけどね」
祥子に令も頷くと、
「さて、それじゃ私たちは帰るとしますか」
不満顔な由乃、──恐らくまだ何か聞きたかったんだろう──を連れて令は公園から出て行く。
その後を追うように、祥子と祐巳も出て行き、最後に志摩子が恭也を見る。
「恭也さん、乃梨子を宜しくお願いしますね」
「ちょ、お姉さま」
「はい。ちゃんと幸せにしますよ」
「きょ、恭也さんも」
微笑みながらお互いに言う二人の間で、乃梨子は赤くなった頬を押さえながら俯いていた。
そんな乃梨子を優しい眼差しで見詰め、志摩子もその場から立ち去った。
皆が立ち去ってから、暫らく俯いていた乃梨子だったが、やおら顔を上げると、
「恭也さん、何て事を言うかな」
「何と言われても、俺は思ったことを言っただけだ」
「うぅー。普段は照れやなくせに、こういった事だけは自覚せずに言うんだから」
ぶつぶつと文句を言いながらも、嬉しそうな笑みを浮かべる乃梨子を背中から抱きしめる。
それに時に驚きもせず、背中に感じる温もりに身を委ねる。
「さっき言った事……」
「さっき?何の事だ?」
「……本当に意地悪ですね」
「そんな事はないだろ」
そんな恭也を少し拗ねたように見詰めた後、乃梨子は再び口にする。
「さっき言った事、ちゃんと守ってくださいね」
背後に立つ恭也を下から見上げながら告げる。
自分を見上げる為に、恭也へと体重を掛ける乃梨子をしっかりと支えながら、恭也は力強く頷く。
「当たり前だろう」
そして、そっと上から覗き込みながら、そのまま距離を詰めていき……。
そっと口付けを交わすのだった。
<おわり>
<あとがき>
アルさんの40万Hitリクエストで、『An unexpected excuse 〜乃梨子編〜』の続編です。
美姫 「あまり甘々じゃないわね」
はい。今回はあっさり風味です。
どうでしたでしょうか。
美姫 「今回はこの辺で……」
ではでは〜。