『円環恋奇譚』






一般に夕方と呼んでも差し支えのないような時間、高町家へと突撃する一つの影が。
影は問答無用で玄関の扉を勢い良く開き、勢いに任せて靴を投げ捨てるように脱ぐと、
そのまま家の中へと入ろうとして、途中で足を止めてきちんと扉を閉める。
それから改めて家の中へと上がると、足音も高らかに家の中を突き進んでいく。
その足音から既に誰がやって来たのかを察し、
恭也は冷蔵庫からオレンジジュースを取り出して、さっさと自分の座っていた席に戻る。
恐らく、いや、間違いなく隣に座るであろうから、オレンジジュースの入ったコップを隣に置き、
自身は飲みかけだった湯飲みを手にする。
恭也がそれに口を付けると同時に、リビングへとやって来た影は声も高らかに言い放つ。

「恭也! ただいま!」

可愛らしくも少し高い声でそう言うのは、長い黒髪に臙脂色のリボンを結んだ、
年の頃は小学校を高学年か出たばかりといった感じの一人の少女だった。
恭也は溜め息を一つ吐きながら、今しがたリビングへとやって来て、先のセリフを何故か誇らしげに、
その慎ましやかな胸に手のひらを当てて、尊大に胸を逸らす少女へと振り返る。

「メイゼル、ただいまじゃないだろう。お前の家は、十崎さんの所だろう」

「近いうちに、こっちになるもの!」

あくまでも尊大な態度はそのままに、しかし、意味は分かるよねとばかりに頬を若干染めて恭也の様子を窺う少女。
しかし、その言葉に秘められた意味など思いもつかない恭也は、それを額面どおりに受け取る。

「こっちに住所を移すのか? そんな話は聞いていないが…」

「もう、良いわよ!」

本気で言っていると分かると、メイゼルは拗ねたように頬を膨らませて恭也の隣に乱暴にその身体を下ろす。
反動で、恭也の身体が少しだけ上下に揺れる。
無言で恭也の入れたオレンジジュースを、自分のだと疑いもせずに飲む少女を見遣りながら、
機嫌が悪いということだけは理解した恭也は、困ったようにメイゼルを見下ろす。
恭也の視線を感じてか、メイゼルは髪を弄ぶように指先で弄り、くるくると指先に巻く。
それから横目で恭也の様子を恐々といった感じで見上げてくるメイゼルに、
恭也は小さな笑みと共に、親指と中指、薬指を重ねて人差し指と小指だけを真っ直ぐに立てて、
影絵の狐を形作って、二人の間だけで通じる合図をもって返す。
それを見て安堵の吐息を零すメイゼルの頭を一度だけ優しく撫でると、
恭也はすっかり冷めてしまった湯飲みを手にするのだった。



地獄――何億とある魔法が当たりまえに存在し
、神がいる異世界の住人から恭也たちの済む地球はこう呼ばれている。
魔法が存在する事により、世界を安定させるために存在する神。
その存在が居ないにも関わらず、自然現象だけで世界が安定しているため、神に見捨てられたという訳だ。
好き勝手に言ってくれると恭也は苦笑いを見せるも、今のそれなりに気に入っている生活は、
魔法世界の住人、魔法使いたちがここを地獄と呼び忌み嫌っているからこそあるのだと分かっているからこそ。
尤も、メイゼルや今はここに来ていない人たちとの出会いはそれがあってこそなのだが、
それでも全てに納得できるような事ではないが。
自分に懐いてくるメイゼルの、嬉しそうにプリンを掬って食べるその横顔を見ながら、
恭也は少し複雑な心境になる。
それを追い払うように、恭也は軽く頭を振ると、
そんな事を考えてしまった事自体を誤魔化すかのように湯呑みを手にし、既に空になっている事に気付く。
そっと湯飲みを置いた恭也の顔を見上げ、メイゼルは何処か嬉しそうな顔を見せる。

「恭也ってば、そんなに私を見詰めるなんて。照れるじゃない。
 あ、でもこのプリンは私のだからあげないわよ」

「いや、別にいらない」

「何で! こんなに美味しいのに! 恭也、ちょっと可笑しいわ」

「いや、何でと言われても…。別に美味しくないとは言ってないだろう」

「仕方ないわね。一口だけ分けて上げるから、食べてみなさい!」

言ってスプーンでプリンを掬うと、メイゼルは恭也の口元に運ぶ。
スプーンの上でプルプルと振るえるプリンを眺めながら、恭也は困ったように天井を見上げる。
だから、恭也は気付かなかった。
スプーンを突き出すメイゼルが、何処か照れたような顔をしていた事に。
まるで、何か考えていた事が成功したかのように小さな笑みを浮かべた事に。
天井から視線をメイゼルへと戻す頃には、メイゼルはいつものように不遜な笑みを浮かべ、
さっさと食べろとばかりにスプーンを更に口元へと進めてくる。
きっと食べないとこのままじっと待っているだろうと、恭也は仕方なくそれを食べる。

「どう? 美味しい?」

「…ああ、美味しいよ。だから、後はメイゼルが食べると良い」

「勿論よ!」

いつになく機嫌良さそうにプリンをスプーンで掬い、それを口元に運んで食べるメイゼルを見て、
恭也はこんなにプリンを好きだったかなと首を傾げるが、その笑顔を見てすぐにどうでも良いかと思い直す。
夕飯まではまだ時間があるなと、恭也はお茶を淹れようと立ち上がる。
と、その後ろから恭也へと声が掛けられる。

「お茶だったら、私が淹れますよ」

「ああ、いらっしゃい、きずな。いや、もう立ち上がったし」

「お邪魔します。はい、恭也さんはここに座って」

挨拶をしながらきずなと呼ばれた美由希と同じ年か一つばかり上らしい少女は、
恭也の肩に手を置きをそっと座らせると、恭也が手にしていた急須を取り上げてそのままキッチンへと向かう。
急須を持つ手とは逆の手に荷物を抱えているのを見て、恭也は再び立ち上がるとその荷物をそっと取り上げる。

「あ、すぐそこですから大丈夫ですよ」

「すぐそこなら気にしないで」

「えっと、それじゃあお願いします」

恭也は持った荷物をキッチンのテーブルの上に置く。
その向こうできずなはお茶を淹れ始める。
その様子をリビングのソファーに座りながら、メイゼルは睨むように見詰める。
それに気付く事無く、恭也は買ってきた物を袋から出し、冷蔵庫へと入れていく。
と、それとは別に小さな紙袋を見つけて、きずなの許可をもらうと恭也は中を覗く。

「あ、包帯まで買ってきてくれたのか」

「はい。昨日、救急箱を見たらもう無くなりかけていたので」

「すまない。助かったよ。牛乳も切れかけていたんだな」

「あ、恭也さん。お肉はそのまま出しておいてください。
 下ごしらえをやっておくんで」

「今日はきずなが当番だったか」

「はい。腕によりを掛けて作りますから」

「ああ、楽しみにしてる。きずなの料理は晶やレンと比べても負けないぐらいに美味いからな」

「そんな事ないですよ」

「いや、謙遜する事はない。晶やレンも美味いと言ってるだろう」

「えへへ、ありがとうございます。はい、新しいお茶です」

「ああ、ありがとう」

きずなから急須を受け取り、
リビングへと戻りながら恭也は明るくなったな、とエプロンを着けるきずなの背中を見詰める。
そんな恭也を怒った顔をしたメイゼルが出迎える。

「そんなに大きい胸が良いのか」

「……いや、誰もそんな事は言ってないだろう」

「鼻の下を伸ばしてきずなを見て!
 恭也は私だけを見なきゃ駄目なの! 良い、恭也。
 特別に私を喜ばせるコツを教えてあげるわ」

「あー、分かった、分かったから。
 先にお茶を飲ませてくれ」

メイゼルの言葉を軽くあしらい、腰を降ろした恭也は座りながらメイゼルの頭を撫でてやる。
それだけで嬉しそうにはにかみながら大人しくなるメイゼルを見て、
さっきのメイゼルの台詞を思い出し、恭也は悟られないように小さく笑う。
手際良く作業をして、慣れた様子でキッチンを動き回るきずなの背中をもう一度見詰め、
恭也は家庭的なものを感じて何処か落ち着きを覚える。
と、不意に右腕に痛みを覚えてその元凶を見れば、恭也の腕を抓っていたメイゼルは、
恭也と視線が合うとフンとばかりに顔を背けるのだった。
キッチンで夕飯の支度を始めながら、きずなは恭也に今日あった事などを話し掛けてくる。
それに返しつつ、恭也はメイゼルの機嫌を取るように、メイゼルの相手もする。
恭也の態度に何処か不満そうにしつつも、自分をちゃんと構っている事には満足の様子で、
恭也へと纏わり付き、猫のようにじゃれる。
穏やかな空間を作り出す二人に、恭也は本来の殺伐したものよりも、
こういったものを沢山与えてやりたいと痛いほど思う。
だが、そういった考えを傲慢だと打ち消す。
少女たちは、自分たちでそう言ったものを作り上げているのだから。
足元にじゃれ付いてくるメイゼルの綺麗な髪を梳くように撫ぜながら、きずなと言葉を交わす。
いつ非常識の世界へと踏み入る事になるか分からないが、
この日常が偽りや作り物などでは決してない事を、二人の少女の笑顔が物語っていた。
そして恭也は、その中に自分が居れるという事を嬉しく思うのだった。






おわり




<あとがき>

長らくお待たせしました。
美姫 「390万ヒットリクエスト〜」
誠さん、ありがとうございます〜。
リクエストの円環少女とのクロス。
美姫 「流石に長編は無理だから、短編でね」
でも、短編でクロスって思ったよりも難しいな。
美姫 「まだまだ努力が足りないのよ」
うぅぅ。ともあれ、円環少女からは、メイゼルときずなに登場して頂きました。
こんな感じになりましたが。
美姫 「にしても、遅かったわね」
うぅぅ、すいません。
美姫 「はぁ〜。全くこの駄馬は」
ぐぬぬぬっ。
美姫 「まあ、済んだ事は良いわ」
だよな!
美姫 「自分で言わないの」
はい……。
美姫 「さーて、それじゃあ今回はこの辺で」
誠さん、きり番おめでとうございました〜。
美姫 「それじゃあね〜」







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