『マリアさまはとらいあんぐる 〜2nd〜』



「消せぬ過去、新たな旅立ち」






秋も静かに過ぎ去り、日中でさえも冷さをはっきりと告げてくるそんなある休日。
高町家の縁側に腰を掛けて恭也はゆっくりと空を見上げる。
別段、何をするという事もなく、ただ少し前の事件を振り返っていた。

「こんな所で日向ぼっこですか? 流石にこの時間では、冷えますよ」

そう言って恭也の後ろから現れた人物は、しかし、言葉とは裏腹に二つの湯のみにお茶菓子を盆に乗せていた。
そのまま恭也の横へと腰を降ろすと、湯のみの一つを恭也へと手渡す。
それに礼を言いながら受け取ると、一口お茶を口に含む。

「美味いな」

「ええ、それはもう。頑張って恭也さんの好みを勉強しましたから」

そう言って笑う姿は年相応のもので、恭也はそれが嬉しくて同じように笑みを浮かべる。
それに気付き、少女は自分がおかしな事でも言ったのかと考えるが、恭也が首を振って否定する。

「別に悠花さんがおかしな事を言ったとかではないですよ」

「そうですか。なら良いんですけれど。あ、そうそう。リノアさんから手紙が着たんですよ」

「リノアから? あっちでちゃんとやっているのか?」

保護観察監を美沙斗へと変え、香港で美沙斗の部下として働くリノアを思い呟いた恭也の言葉に、
悠花は少し不機嫌そうな顔をして恭也の顔を見る。

「どうかしましたか?」

「別に何でもないです」

「そんな顔をして、そんな事を言われても説得力がないと言いますか…」

「どうせ、生まれつき変な顔ですよ!」

「いえ、そんな事はないですよ。悠花さんは綺麗な顔立ちをされてますよ。
 それに、悠花さんの笑顔は好きですから」

恭也の言葉に悠花は顔を真っ赤にすると、目線を下げて唇を尖らせる。

「…ずるいですよ、恭也さんは」

「何か言いましたか?」

「べ、別に何も言ってません。
 はぁーあ。何か一人で怒っているのが馬鹿みたいじゃないですか」

「やっぱり怒っていたんですね」

「あっ」

恭也の言葉に悠花は慌てて口を塞ぐが既に時遅く、恭也がじっと見てくる。

「何か気に障ることでもしましたか?」

「別に本当に恭也さんは何も悪くないんですよ。
 ただ、私が一人で勝手に拗ねているというか…」

そうブツブツと呟いている間もじっと見詰めてくる恭也に根負けしたのか、悠花はぽつりぽつりと話し出す。

「ただ、リノアさんに対してはため口で話されるのに、私に対してはそうじゃないのが気になっただけなんです。
 …何か、リノアさんとの方が仲が良いみたいで」

最後の言葉は聞こえないように口の中で呟くように言った為、恭也に届くことはなかったが、
悠花の語った内容に、恭也は少しだけ困ったような顔を見せて弁明する。

「これは、出会ったときの状況と言いますか…。
 リノアとは敵として出会って殺し合ったから、始めからあんな感じだったんですよ。
 それに対して悠花さんとは、普通に出会いましたから自然とこんな話し方に…」

「でも、同じ年じゃないですか。やっぱり変ですよ」

「そうは言いますけれど、悠花さんだって丁寧に話してますよ」

「うぅ、そんな事ないですよ。私は元からこんな感じで話してますもん。
 恭也さんは普段はもっと砕けた話し方をされてますよ。
 なのに、私にだけ丁寧なままで」

「すいません。えっと、努力します」

「もう何度も聞いたような気がしますけど?」

悪戯っぽく首を傾げる悠花に、恭也は言葉に詰まって視線を逸らして誤魔化す。
そんな恭也の様子をじっと見詰めた後、悠花は楽しそうに笑い出す。

「冗談ですよ。この件に関しては、気長に待つ事にしますから。
 恭也さんも気になさらないでください」

からかわれたと思ったのか、恭也はやや憮然としながらも茶を啜るが、
以前では見る事の出来なかったであろう悠花のそんな態度にも、知らず頬が緩くなる。
何とも言えない落ち着いた暖かな空気が満ちる中、悠花はようやく笑いを納めると、
不意に全ての表情を無くしたかのように能面になると、ただじっと地面の一転を見詰める。

「どうかしましたか、悠花さん」

「いえ、別に」

その声は内容とは裏腹に、何の感情も篭もっておらず、恭也はその肩を強く掴む。
その強い衝撃に悠花は弾かれたように顔を上げ、ぐしゃりと泣く一歩手前の表情で食いしばるように我慢する。
恭也は悠花の瞳をじっと見詰めたまま、悠花が話し出すのを待つ。
やがて、ぽつりぽつりと語り出す。

「駄目なんです。やっぱり、まだ怖いんです。
 今まで、自分がやって来た事を考えると、夜中に目が覚めたりすると、
 何もないはずの暗闇から声が聞こえてきそうで。
 自分たちをこんな目に合わせたくせに、自分だけはのうのうと生きてるって。
 人生を楽しんでいるって。そう責める声が聞こえてくるんです」

肩を、声を震わせて語る悠花の言葉を恭也はただ静かに聞く。
そんな恭也へと、悠花はただただ続ける。

「こうして楽しんでいたり幸せを感じてたりする権利が私にはあるのかなって。
 今までやってきた事を忘れて、今の生活を送る自分に嫌悪を感じて…」

「別に悠花さんは忘れてなんかは居ないでしょう」

恭也の言葉を悠花は激しく首を振って否定する。

「いいえ、忘れてます。だから、こんなに幸せな気持ちになってしまうんです。
 忘れてはいけないのに! 幸せなんかになってはいけないのに!」

「それは違う! 悠花さんは幸せになっても良いんですよ。
 確かに過去の出来事は消せません。でも、それで充分に苦しんでいるじゃないですか」

「駄目です。これぐらいじゃ駄目、なんです」

「駄目なんかじゃない。もう充分だから。だから、これからは自分の幸せを願っても良いんですよ。
 今は、普通の道を歩んでいるんですから。
 それでもまだ足りないと言うのなら、償いなら、俺も一緒にします。だから…」

恭也の言葉に悠花はまたしても首を振る。

「恭也さんにこれ以上の迷惑は掛けれません。何の関係もないのに」

今までの自分のやって来た事を忘れ、幸せを感じる自分に嫌悪と不安を抱く悠花は、恭也の言葉さえも頑なに拒む。
そんな悠花を優しく抱きしめると、恭也はその耳元にそっと囁く。

「悠花さ……、悠花。
 前にも言ったけれど、俺は何があっても悠花の味方だから。
 悠花がこれから歩いて行こうとする道を行く限り、俺は何処までも悠花の。
 もし、悠花が道を踏み外しそうになったら、全力で止めてみせるから。
 だから、不安に思う事はない」

「……本当に? そんな嬉しい事を言われたら、信じちゃいますよ」

「信じてくれて良い」

「私、恭也さんに頼って、たくさん迷惑掛けちゃうかもしれませんよ。それでも?」

「それでも、俺は悠花の味方だから。悠花の一番近くに居て、悠花が行く道をずっと見ているから」

「後でこの時言った言葉はなしって言っても聞きませんよ?
 それでも?」

「ああ。このリボンに誓って」

そう言って恭也は左腕の袖をまくると悠花の目の前に腕を持っていく。
そこにはあの日、悠花から貰った黒いリボンが風に揺れてなびいていた。
それを見て、悠花はようやくその顔に笑みを取り戻すと、そっと恭也の胸を掴んだ手を引く。
僅かに前へと倒れた恭也の頬に、悠花は軽く唇を触れさせると、真っ赤になった顔で涙を拭う。

「やっと呼び捨てにしてくれましたね、恭也さん」

目の端に涙の跡を残しつつも、ようやく零れ出た悠花の笑顔に恭也も笑みを覗かせると、
そっと肩を抱き、空を見上げる。
それに倣うように、恭也の隣に座り直し、頭を恭也の肩へと乗せながら悠花もまた、澄み渡る冬の空を見上げる。
時折、冷たい風が吹き抜けてゆくけれど、互いの温もりと心に宿る小さな暖かい想いを抱き、
いつまでも寄り添いながら、ただ静かに空を見上げていた。





おわり







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