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『リリカルなのは プラス OTHERS』に関しての回答
日時: 2007/12/08 08:23
名前: FLANKER

FLANKERです。
この場をお借りし、掲示板などであったご質問やご指摘にお答えしたいと思います。
掲示板で答えると長々となったりすることもあるので……。
メンテ

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Re: 『リリカルなのは プラス OTHERS』に関しての回答 ( No.5 )
日時: 2007/12/08 21:48
名前: 加賀美

済みません、間違えて返信してしまいました。
しかもパスワードをど忘れして編集も出来ません・・・・・・情けない限りです。

こちらに続きを書いていきます。



これってひょっとすると、2人の戦闘があらかじめ決まっていたから、その際に何か語るシーンを欲したからではないでしょうか。

そう考えると、後輩発言自体が急遽付け加えられた演出ではないか?と思えるんです。


それと、空港火災の件に関してもFLANKERさんの説明を聞くうちにおや?と思った所を一点。

FLANKERさんはどっちの部隊を送るかでもめたと書いていましたが、地上で起きた事件なのに優先権を主張しあえる時点で、地上本部は管理局内での発言権が弱いんでしょうか?

それとも、首都航空隊はそこに割りこめるほどの発言権を有しているのでしょうか?



何か揚げ足を取るようで本当に申し訳ないのですが、出来たらそのあたりも教えていただきたいです。





メンテ
回答 ( No.6 )
日時: 2007/12/09 00:29
名前: FLANKER

返信、拝読させて頂きました。

なるほど、首都防衛隊と言ってましたか。
調べたところ、シグナムは最初は航空武装隊1039部隊にいて、そこから首都航空隊第14部隊に行ったそうなんですが、首都防衛隊と言っていたとなると、首都航空隊は首都防衛隊の一隊だったという可能性もやはり否定はできない状態ですね。

そうなると後輩発言は、首都航空隊が本局航空武装隊の一隊だとする理由に使うには適していないですね。

優先権に関しては私の説明不備でした。
確かに地上の事件なのに本局が口を出せるようでは、結果的に地上本部の発言権が低いのかと思われることになりますよね。

地上の事件は確かに地上本部が優先なのは間違いないかと思います。
ただ事が首都の場合となると、本局も部隊を派遣している手前、口を出そうとすると思います。派遣だけしていても、実際動かないのでは発言権を維持するのは難しいかと考えられますから。
つまり、首都だけは地上本部と言えども譲れない、というのが本局の意向じゃないかなと。

首都航空隊自体がそれほどの発言権を有しているとは思えないかな。拙作の設定からすると、あくまで首都航空隊は本局の思惑の下にありますから、本局こそが発言権を握っているかと。

こう考えると首都航空隊が首都防衛隊隷下であると考えた方がいい感じもしますね。組織図の修正をかけた方がいいかもしれません。
別に首都航空隊を本局部隊にしないといけない理由はないし、こだわってるつもりはないんです。ただ、なのはウィキに本局の部隊であると考えられると書いていたことと、私的にちょっと首都防衛隊隷下と思えないだけのことなので。(苦笑

情報とご指摘、ありがとうございました!
それでは失礼します。
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Re: 『リリカルなのは プラス OTHERS』に関しての回答 ( No.7 )
日時: 2008/01/21 16:38
名前: 加賀美

現在、自宅のネットが繋がらず学校のパソコンで幕間を見ている加賀美です。・・・かなりドキドキものですね

それはさておき・・・幕間を見ていてふと気になったのですが、蒼牙が使っている刀は何なんですか?

デバイスではないでしょうし・・・かといって普通の刀とも思えませんし・・・

回答を頂けるのならお願いします。
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蒼牙の刀についての回答 ( No.8 )
日時: 2008/01/21 23:31
名前: FLANKER

今回のご質問――蒼牙の刀はいったい何か、ですね。

まず『蒼空』でないことは言わずもがな。
そもそも『蒼空』の話をすると、『蒼空』は元は普通の刀でした。それが折れずにいられたのも、シグナムのレヴァンティンとまともに打ち合えていたのも、『事象干渉』の能力があったからこそですね。

では今の蒼牙の刀は何なのかと言うと、最初は私もただの刀を考えていました。
しかしそれでは、ミッドチルダ式のデバイスの強度にも勝てないのではないかと思い、それではさすがに無茶が過ぎます。
ですから、今の彼の刀は、デバイスではなく、だいたいアームド並みの強度を持つだけの刀というところです。

デバイスを使わないのは、彼自身が氣道士であり、魔法を使えない人間ですので、デバイス持っても意味がないんですよね。
また、もし使えたとしても、上層部は決して渡さないでしょう。なぜなら、蒼牙は上層部にとって、やはり危険人物です。体よく利用できるのならいいけれど、自分たちに牙を向かれたらやっぱり怖いんです。
結局は管理局上層部の嫌味な理由が関わってくるんですけどね。

以上がA's後の蒼牙の刀についてです。
これで納得頂けたでしょうか?
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Re: 『リリカルなのは プラス OTHERS』に関しての回答 ( No.9 )
日時: 2008/01/24 14:29
名前: 加賀美

FLANKERさんありがとうございます。

確かに、蒼牙がデバイスを持つことなんてないでしょうね。
英語を読んだらひらがなで表記される存在ですし(笑)

しかし、普通の刀ですか・・・揚げ足を取るようですみませんが、アームド並みの強度を持つ刀というのがあったとしても、魔力を込めたデバイスの攻撃を受けられるとは思えないのですが・・・・・・



それと、もうひとつ質問があるのですが、氣が干渉できるのは肉体までなのですか?

例えば、武具に氣を込めて強化したりとか、覇道を付加した武具を生み出す・・・などといった無機物への干渉は可能なのですか?
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回答 ( No.10 )
日時: 2008/01/24 22:16
名前: FLANKER

またも文字数が多いため、2つに分けて書き込ませて頂きますね。



加賀美さん、相変わらず鋭いご指摘ですね。(笑

そうですね。確かにいくらアームドだろうが、例えばシグナムの『紫電一閃』なんて受けきれないでしょう。いくら蒼牙が力に対し、技で勝負したとしても、絶対的なまでの力に技は対抗しきれないと言えます。
蒼牙の刀に関しても同じことです。
今の蒼牙の刀でシグナムの『紫電一閃』は受けられません。
『ただの』刀をなぜ蒼牙が持っているのか――それは、ただの刀『しか』持てなかったからです。それ以外を持つことを禁止するような輩がいるんです。誰だかはまあ、言わなくてもお分かりになられるかと。
実はこのことが、後に蒼牙に痛い結果を生みます。蒼牙のせいじゃないんですけどね。第3編にてそれが出てきますよ。
メンテ
回答 続き ( No.11 )
日時: 2008/01/24 22:16
名前: FLANKER

さて、今回のご質問。『氣が干渉できるのは肉体までか』ですね。

武具に氣を籠めて強化はできます。
拙作の世界では、あらゆる物に氣は宿っています。問題はその相性にあります。
蒼牙がフェイトを氣で治療しているシーンは何度か拙作でありますが、あれは2人の相性がいいからこそできることです。もし相性が悪いと、簡単に言えば拒絶反応のようなものを起こしてしまいます。
逆に、相性が悪いとなお威力が増すというのが、蒼牙の壱式絶技『京』です。相手の体に自分の氣をぶち込むわけで、相手の氣と相性が悪いと、拒絶反応が威力にプラスされるという理屈ですから。

少々話がずれたと思われるかもしれませんが、要するに、武具に氣を籠めることは可能ですが、その武具との相性が悪いのでは、拒絶反応とはいかなくても効果がまったく表れないとか、すぐに元に戻るとか、そういう事態になります。
『蒼空』は蒼牙の父より送られた、父から息子への褒美という意味があり、そこに籠められたものは当然、蒼牙と相性がよかったわけです。
また神氣武装が高レベルの氣の戦術と言うのも、武具を長年愛着を持って使えばいいだけでなく、そもそもその武具との相性問題をも克服しなければならないということがあるからなんですね〜。だから蒼牙と『蒼空』は最初からそれがあった点、ラッキーだったのかもしれないです。

無機物への干渉は決して不可能ではなく、可能です。ただしそこには相性という問題などがあるわけですね。
あと、覇道を付加することですが、覇道も氣を利用した技術であるがゆえに、同じ問題さえ克服できたら可能ですよ。

魔法ならこういう問題はないんでしょうけれど、それが魔法の長所で、氣の欠点というわけですね。長所あれば短所あり、というわけです。

これでお分かり頂けたでしょうか?
ご質問はまったく構いませんので、いつでもどうぞ。
それでは失礼いたします。
メンテ
ハイパーゼクターさんからのご意見に関しての回答をば ( No.12 )
日時: 2008/03/10 04:45
名前: FLANKER

FLANKERです。
この場をお借りし、ハイパーゼクターさんのご意見に対する私なりの回答をさせて頂きます。

『恭也の再びの決意を見て思ったのだが、アニメでも感じたかなとは思うのだがなのは達の場合、何故か信念とか誠とかは全て子供の我侭に見えてしまう。やはり変か?』

以上のようなご意見でしたが、まず最初に一言。

変などということは決してありません。

むしろ信念というものに対してそう思われても、当然に近いものではないかと思います。
なぜなら、我侭にしても信念にしても、確かに自分の中の考えです。
人は個々によって考え方も感じ方も違うのですから、むしろ同じ意見ということの方が珍しいでしょう。

『我を通す』という点で、我侭も信念も共通していますから。

『義』や『誠』などは、はっきり言って綺麗事と言われても仕方ない部分があります。
あるサイトに、このような記述があります。

『生死をかけた戦いに望む際、全ての武士が上杉謙信のようにフェア・プレイの精神を守ったわけではないだろう。生きるか死ぬかという場面において、例え卑怯者と蔑まれようとも勝ちたいと思うのが人情であり、またいつの世にあっても、本能は美学よりも強く、理想は現実の前に打ち砕かれるのが世の常である』

私もこの意見には実に同感だと思っています。
生死をかけた場面で『生きたい』『死にたくない』と思うのは人として当然であり、理想は現実の前に敗れるのが必定と言っても決して過言ではないでしょう。

おそらく、ハイパーゼクターさんが子供の我侭に見えると思うのは、『信念』が、その信念を持つ個人の『理想』であり、『理想』と『現実』は食い違っているものだからだと私は考えます。

考えて頂きたいのですが、「1+1は2」は変えようのない事実です。
ですが時に、「1+1は2にも3にも4にもなる」みたいなことを言いますよね? 信じ合い、協力し合えば、人はそれだけの可能性を持っている……とまあ、そんなことを言いたいわけですよね、これって。




文字数制限に引っかかりましたので、次に続きます。
メンテ
上の続きです ( No.13 )
日時: 2008/03/10 05:17
名前: FLANKER

でも言っちゃえば、それは『理想論』ですよね?

どこまで言っても「1+1は2」であり、それが『現実』です。そこに逆らって「いや、1+1は2にも3にも4にもなる」って声高に主張する人なんてそうそういませんよね?
だっておかしいですから。『現実』に逆らって『理想』を訴えているんですから。
「そうそう」いないからこそ、そうした人は『異端』『珍しい』とされるでしょう。

ハイパーゼクターさんが子供の我侭に見えるというのは、これと同じ理屈ではないかと考えます。


確かに恭也の『守護』はまあわかるとしても、蒼牙の『義』、クロノの『誠』、シグナムの『騎士道』などは、確かに昨今の武士道ブームなどから、『義』だ『誠』だと、聞くだけならば確かにカッコよく聞こえるでしょう。
ですが『義』も『誠』も、そうしたものは結局のところ個人の中のものであり、そして『現実』と違って『理想』を指すものです。
本当に常日頃からそれを意識し、「義に反する」「誠じゃない」などと言っていれば、確かに『理想』を口にし、『現実』を見ていない、勝手な人間に見えることもあるかと。

多くの人間(私もそのうちの1人でしょうけれど……)は、集団と異なることを主張して異端扱いされることを嫌いますよね。だから『理想』はしょせん『理想』であり、『現実』には叶わないと言われるのだと思います。
だからそんな中で『現実』に逆らって『理想』を目指す人間は、大衆に従わず我を貫いてる勝手な人間に捉えられかねないでしょう。

ですから、私は決してハイパーゼクターさんのご意見は変なわけではなく、当たり前の視点であると思います。

前フリが非常に長くなりましたが、ここで「子供の我侭」と「信念」に関して私なりの意見を述べたいと思います。
メンテ
続きです ( No.14 )
日時: 2008/03/10 04:48
名前: FLANKER

私は子供の我侭とは違うものと思います。



私にとって信念というものは『最後には譲れないもの』であり、我侭というのは『自分の心のままに、意のままに振舞うこと』です。
双方とも自分の心の中にあることを実行しているわけですが、我侭の場合、『他のことを考えず、自分中心で考える』というもので、信念は決してそれとイコールではないと考えます。
『守護』も『義』も『誠』も『騎士道』も、決して自己のことだけでなく、相手のことも考えないとならない。なのはとフェイトの『諦めない』『理不尽を許さない』にしても、決して彼女たちは他を排除しているわけではありません。

もしフェイトが『理不尽を許さない』からと言って相手のことを考えずに敵を退けた場合、それは「我侭」と取られても致し方ないでしょう。
なぜなら、これは単に自分の意に従って動いただけですから。
幕間6でクロノに言わせましたよね?
『理不尽を許さないってことにしたって、理不尽だと感じない者だっている。それに対して理不尽だからって言い張ってしまうのは、時に一方的な決めつけになったり押しつけになったりすることがあるからね』
このように私は言わせています。
そしてその直後に、私は『押しつけの信念など勝手な自己満足でしかない。信念自体が言ってしまえば自己満足でしかないかもしれないが、どれだけ相手のことを考えられるかと言うのは、信念を貫く上で必須である』と記述しました。



ここが「我侭」と「信念」の違いではないでしょうか?



『理想』を唱えるのは『現実』が見えていない、まだまだ世の中というものを知らない子供のようで、だからこそ『子供の我侭』だと見えてしまうのでしょう。

でも我侭と違うのは、信念は「意のままに振る舞う」ものではないってことです。
メンテ
続きです ( No.15 )
日時: 2008/03/10 04:49
名前: FLANKER

無印編でなのははフェイトを助けたいと必死でした。ですがフェイトは助けてなんて言ってません。
結局あれはなのはがフェイトを勝手に助けたいと思い、戦ってでも勝ち、最終的に助けられたような形になっただけだと言う人だっていました。
一言で言えば、「なのはのエゴ」だと。
私は否定はしません。実際そういう面がないわけじゃないですから。
でも私は、なのはの中にあった「フェイトが寂しそう」「フェイトと話をしたい」という思いを見過ごしてもいけないと思います。
なのははなのはなりに、フェイトの事を考えていました。
ここには我侭な一面もあったかもしれませんが、されどもそれだけではなく、他を想い、そして自分にしてあげられそうなことはないかと悩み、迷い、そして答えを出したという面があったと私は思っています。

それに、結果論を述べるなら、「ならばなのはが動かなかったら、フェイトはどうなった?」という、なのはが助けようとしなかったらどうなっていたかってことも考えないといけないでしょう。
なのはが動いたから、フェイトを助けたいと思ったから、フェイトは助かったんです。
そうでなければ、フェイトは心が壊れてそのままだったかもしれません。
一概にエゴで捨てられない。エゴだろうと救えたものがあった。ならそのエゴはただの「エゴ」で切り捨てられるのかどうか。

エゴとはまあ、「利己主義」のことですよね。
ではフェイトを助けたこのなのはの行いは、本当に「利己主義」ってだけでしょうか?――――違うと思います。
エゴであることを否定はしませんが、私はエゴはエゴでも、なのはの行動を「ただのエゴ」で切り捨てることにも断固として反対します。

ただ、まだまだ彼女たちも、そして恭也たちでも、捉え違えることはあります。完璧じゃありませんから、彼らも。まだまだなんです。
そしてそれが、現実に苦しみながらも理想を追い求めていく姿であると、私は思います。間違えもして、迷って悩んで、それでも進む。最後には。

でも周囲はそれをエゴと呼び、「我侭」だと切り捨てることもあります。
それが、『現実』なんです。
そう思う人がいるのは当たり前のことであり、これが信念を貫く上での試練となるわけです。
メンテ
続きです ( No.16 )
日時: 2008/03/10 04:49
名前: FLANKER

それでも貫くことが、「信念を貫く」ことであると。

ここには『理想』だけを述べて『現実』を見ないという行いは許されません。それはもう「我侭」です。
『現実』を受け入れ、そして『現実』の中でその『現実』を超越する『理想』を自身の指針として厳しく求める。
その『理想』に一歩でも近づこうとあがく。

これが私の中の「信念」であり、そしてこれは「意のままに振る舞う」だけの「我侭」との違いであると思います。
似て非なる存在であり、コインの表裏の関係です。
一歩間違えれば「我侭」になってしまい、そうならないように他と調和しつつも、どうしても譲れない最後のところでは己の中の確固とした考えを貫く。
「我侭」は確固とした考えという点で異なり、他と調和しようとしていない点でも異なります。
同じ『我を通す』でも、常に「我」を優先するわけでなく、譲れない部分で確固とした考えを最後には通す。

長くなりましたが、最後にもう一度申し上げますが、ハイパーゼクターさんのご意見は決して変ではありません。
そういった考えがあるからこそ、信念を貫くということに意味があるものだと思いますから。

正直、これは結局は私個人の「信念」観であり、勝手な部分もあるかもしれません。
万人に通じるなどと思っておりませんし、甘ちゃんだなと思われてもおかしくないでしょう。
ご不快になられた方もいるかもしれません。
その場合は、誠に申し訳ありません。
間違っているところがあれば、謝罪いたします。

それではハイパーゼクターさん、ダラダラと長くなりましたが、これが私なりの意見です。
何かありましたら、掲示板で議論するのは他の方に失礼ですので、ここへのレスでお願いいたします。
不快になられたとすれば、重ねて申し訳ありません。その際はちゃんとした謝罪をいたしますので、一言お願いいたします。

それでは失礼いたします。
メンテ
ご意見に関する回答 ( No.17 )
日時: 2008/10/06 23:33
名前: FLANKER

どうも、FLANKERです。久しくこの場をお借りして、ご意見ご指摘に私なりの意見を持って返答させて頂きます。

さてハイパーゼクターさん。今回もかなり長いです……すいません。ですが考えをできる限り伝えようとしてのことですので、どうかご容赦ください。
本当なら昨日のうちにご返事しないといけなかったんですが……すいません。仕事の都合上、さすがに寝ないとまずかったもので。

では、以下がその返答になります。
――――――――――――――――――――

>まずはやて、確かに自分で何か出来る事をと思って実行するまでは共感できますが、なのはと同じ様に大怪我こさえてくるってのは本末転倒だなと思いましたね。

これに関しましてはすでに掲示板の方でお答えした通り、同感です。そこがはやての直していかなければならない部分となりますね。
ただし1つだけ。
はやての信念は今の悠華よりかつての悠華寄りの『干城』であると18話の後書きでも私は述べました。拙作で言う『干城』とは、本来『干城』という言葉が持つ意味とは多少異なります。本来は『主君のために盾となり、城となって外敵を防ぎ、国を守ること』を言いますが、拙作では『身を以って人の盾となり、守り、救い出す』というような意味があります。恭也の『守護』と似ていますが、『守護』以上に己の身を投げ出すことを求める『信念』です。その信念の都合上、はやてが怪我を負うことはある程度予め想定されているものです。
つまり彼女の場合は『信念』として持つものが少し歪んでいるわけですから、その歪みを矯正しなければいけないわけです。
しかし私が言いたいのは、例え『干城』が行き過ぎていようと、それを『信念』として持っているはやての行動は、少なくとも『信念』に悖らないものであるということです。その『信念』自体が間違っているという主張は確かにできますが、断じることはできません。それが『信念』として確立できるものである以上、それは『信念』足りえるからです。
だから、はやてが『信念』を貫いる者の1人であるという立場も、ご理解頂きたいと思います。
メンテ
上の続き ( No.18 )
日時: 2008/10/06 23:34
名前: FLANKER

>今回の件もふくめて、本当にこの連中はある意味というか本当の意味で仲間の事を思ってないのかもしれないと思います。「相手が無事なら自分はどうなってもいい」という考えを持った時点で間違っている。仲間に心配をかけない為に無事に帰還してくる事が本当の意味で答えていると思います。

上記に関しまして、私は一部を除いて同感だと先に申し上げておきます。

ユーノに関しては全面的にハイパーゼクターさんの仰る通りです。
焦りと恐怖を自覚し、親に捨てられたという過去のトラウマが彼を襲ったわけですが、彼のトラウマはかなり重いです。仲間のことを第一に考える彼が、仲間の心配も見えないほどなんですから。
さらに「相手が無事なら自分はどうなってもいい」という考えがまさに彼にはあるため、ここは直さなければなりません。本当の意味で『仲間のことを思う』という意味を、彼は知らなければいけません。

どんなに飾り立てても、自分をないがしろにして怪我をして帰って仲間を心配させることは、仲間のことを考えていないと取れます。絆のことを思えば、仲間が不安がることはわかるわけですし、それがわからないのは問題ですよね。
「相手が無事なら自分はどうなってもいい」――これは私も間違っていると思います。帰りを待っている仲間のことを完全に度外視していますからね。最後の一文についても、恭也も実践していることですから、これも賛同できます。

ですので私が異論を持っているのは、最初の一文に関してとなります。

仲間のことを思う――拙作では『絆』と称するのが近い表現だと思いますので、以下では『絆』と記述させて頂きます。

まず現状において、確かになのはやはやて、ユーノに蒼牙辺りは、真の意味で仲間を思う行動を取っていないのは事実です。
言わば彼らは、『絆』よりも自分の『信念』を優先した状態と言えるでしょう。
しかし「それはすなわち仲間のことを思っていない」とは言えないのではないかというのが私の考えです。「100%違う」わけでもありません。私は半分正解で半分違うと、そう考えます。
なぜなら彼らは逆にわかっているゆえに、そうしている側面もあるからです。
ハイパーゼクターさんの仰る『この連中』というのが、一部を指しているのか、なのはたち全員を指しているのかはちょっとわからないのですが……少なくとも、まったくわかっていないってわけではないのはお分かり頂けるかと。
メンテ
上の続きです ( No.19 )
日時: 2008/10/06 23:35
名前: FLANKER

仰る通り、彼らの中には仲間を思うという『絆』を理解しきっているわけではない者もいます。
例えばシグナムたち守護騎士はそのいい例でしょう。彼らはまだまだ『人』や『心』を他の者たち以上にわかっていない存在です。まだ『心』というものをわかるようになってきて2年半程度ですから、それは致し方ないとも言えますが。
そしてなのはやはやてもそれをわかっていないと言えるところはあります。かつて復讐鬼となった蒼牙も、その時点では言えないでしょう。

それでも彼らが『絆』をわかっていると思う理由としては、幾つかあります。
まず、潜在的には理解しているが、自覚するまでには至っていない。
そしてもう1つ。理解していようといまいと、彼らは『絆』より優先しなければならないことがあった。

1つ目の理由に関しては、賛否は別として頷いて頂くことはできると思います。
実際、なのはは『絆』というものを朧げでも理解しているからこそ、かつてすずかがアリサに大切なものを取られたとき、アリサを叩いて諭したわけです。すずかにとってそれは大事なもので、それは何らかの繋がり――『絆』があったわけです。それを盗られてしまうことの痛みをアリサに説いたなのはは、『絆』というものをちゃんと理解していたと言えます。
ではそんななのはがなぜ仲間を思う行動を取らなかったのか。
そこで出てくるのが2つ目の理由です。



ハイパーゼクターさんが仰っていることは、『仲間を思う』――それを最優先にすることを前提とした場合の答えであると思います。



ここで思い出して頂きたいのは、拙作では『信念』というテーマもあるということです。



拙作がテーマとして掲げるものは、『人』『心』『信念』……そんなところです。
『絆』は『人』と『心』の象徴するものの1つと言えると思いますので、『絆』と『信念』と並べることも可能でしょう。
拙作においては、この2つの要素は切り離せません。なのはたち、そしてアレンフォードたちにしても、その繋がりには確かに『信念を持っている者同士』という繋がりもあるわけですから。『道は違えど、それぞれがそれぞれの道を共に走っていく』――『信念持ちという意味で皆が共に在る』関係なわけですね。



さて、この『信念』。
A’s編の決戦では『絆』と合わさり、見事にその力を発揮しましたが……『信念』が常に『絆』と相容れるかと言うと、そうではないと考えます。
メンテ
上の続きです ( No.20 )
日時: 2008/10/06 23:37
名前: FLANKER

元々『信念』とは、究極的に言えば個人の考えであり、これを実行するときは完全に己の中の確固とした考えの下に動くことになります。
対して『絆』は、協力や仲間という、個人だけの考えで成り立つものではありません。集団となると、人は己の意見を好きに述べていては結束も何もあったものじゃありません。個々の考えが別個に動いていては、成り立たないんです。

むしろ個の考えから成る『信念』と、他を思う『絆』は、場合によっては対極するわけですから、一致することは珍しいとすら言えるかもしれません。

『信念』とは一種の個の『命』であり、妥協というものを時に許しません。
仲間のためとは言っても、妥協して見逃してしまえば、それは貫いたと言えるのかと問われると答えられないことになります。

いい例は恭也と蒼牙の死闘ですね。
あのとき2人は『絶対に譲れないもの』をその内に持っていました。では恭也か蒼牙が親友としての『絆』を優先して衝突回避した場合、それは『絶対に譲れないもの』を譲っちゃったも同然になってしまいかねないんじゃないでしょうか?
確かにフェイトは自分の足で立ち上がりましたから、蒼牙が死闘を回避して恭也たちに従っても、結果的に何とかなったでしょう。
しかしそれは結果であって、蒼牙が『絶対に譲れないもの』=『信念』を貫いたという事実がそこにはありません。『絶対に譲れないもの』に妥協をしてしまい、では『信念』は貫いたと言えるのでしょうか。

残念ながら、私は言えないと思います。

信念を常に第一にして主張しているのは、ただの我侭に近いものになります。ですから『絆』を優先すべきときはあるでしょう。
ですが同時に、『絆』が最優先であるばかりではありません。ときに『信念』こそを取らなければならないことがあると思います。
『信念』――『自分』を貫くということは、他を選択しないという結果になることもあるんです。



人間1人にできることには限界があります。



つまり、『絆』を最優先にした場合、他はその次になるわけです。どんなに言い繕っても、『選択する』ということは他を切り捨てるということです。例え後でやると言おうと、「今は先に別の方」と、その瞬間においては切り捨てているわけです。
メンテ
上の続きです ( No.21 )
日時: 2008/10/06 23:38
名前: FLANKER

再度申し上げますが、『信念』は『絆』――『仲間を思う』行為と、常に相容れるものではないと思います。
『信念』とは、『決して譲れないもの』に対しては、他を差し置いても貫かねばならないことがあります。
そして人ができることには限界があり、2つ同時にはできないことなんて多々あります。その場合、人は選択しなければならないわけです。特に一方のものと他方のものが矛盾したもの、対極的なものになった場合、尚更2つ同時は無理になります。



では、対する『信念』が『絆』と対極的になった場合、『絆』を最優先にしていて――――『信念』遂行は成るのでしょうか?



これを踏まえた上でなのは・はやて・ユーノ・蒼牙の4人を例にしましょうか。
まあ、ユーノはもう前述いたしましたので、ここでは同じことを言うだけですし、割愛いたします。

まずはやてですが、はやての信念は『干城』です。
ゆえに、はやては『干城』の信念を果たさなくてはいけない。『身を以って人の盾となり、助け出す』ことが求められているわけです。
『危機的状況である』『護るべき対象がいる』――あの状況下、はやては己が信念である『干城』を貫けるかどうかが問われる条件が整っていたんです。



その瞬間、彼女は『絆』か『信念』を『選択』しなければならなかったんです。



『絆』を取れば、あんな無茶はできません。
『信念』を取れば、危険だがやらねばならない。
対峙している状態にあったんですよ、このときの『絆』と『信念』は。



そして彼女は選択しました。『信念』を。



なぜなら、ここで『絆』を選択した場合、はやてはやるべきときに動かなかったことになります。その『信念』が本物なのかどうかが問題になってしまいます。また『信念』とは持っているだけでは意味がないわけですから。
もしここで援護が来ることがわかっていたなどの条件があれば、わかっていれば、『絆』を選択してもよかったでしょう。それならはやての強固な結界で防御しきればよかったわけですし、それなら『干城』も果たせていると言えましょう。
他に手があったかもしれない。けれどゆっくり考えている時間などなかった。即断即決が求められる状況だったんです。
メンテ
上の続きです ( No.22 )
日時: 2008/10/06 23:39
名前: FLANKER

なにぶん、はやての場合はその『信念』――『干城』自体が『絆』と相容れないものとも言えます。
だからはやてが直さなければならないものは、その思い込みすぎて彼女を追い詰めがちにある『干城』そのものに問題提起しなくてはいけないわけで、『信念』を貫いている姿勢自体はそれほど間違っていないわけですね。
彼女はわかっていないわけじゃないんです。ただその『信念』が、彼女に無茶を求めるわけです。



だから私は、はやてを『死に急いでいる』と形容しました。



拙作でのはやては、これを彼女の信念上との戦いとして、ストーリーで描くつもりです。

なのはの場合は、ある意味で、『絆』に追い込まれたとも言えます。もちろん思い込みすぎの被害妄想という一面もありますが、彼女はかつて寂しい時間を過ごしたことがありますから、経験的心情的に1人になることが嫌なんです。それが彼女に圧力をかけたわけです。
彼女は「相手が無事なら自分はどうなってもいい」とまでは思っていません。彼女は周囲に心配をかけてはいけないと思っていた様子があったことはちゃんと書きましたし。ただ結果的にそれが為せていなかったことは確かですから、そこは反省しなくてはいけませんよね。
言わば彼女の場合は、真に仲間を思うという意味を理解していても、彼女を取り巻く外部条件の枷が、『絆』の方に彼女が向かうことを許さなかったんです。そして彼女はその枷を自分では解けなかった。

なのはの場合、彼女はあの苦しいとき、仲間を頼らなかった。それは『絆』を信じていなかった、頼りにしていなかった――そう思われますか?

そうではありません。

彼女は『諦めない』という信念を真剣に考えていて、彼女なりの考えがある程度できていたからこそ――頼れなかったんです。
これに関してはもうしばらく話が進むと出てきます。なのはが何のために『絆』に頼らなかった、頼れなかったかは、申し訳ありませんがお待ちください。

最後に蒼牙ですが……彼は特殊です。
これはストーリーに大きく関係することですのであまり言えないんですが……彼の場合、『絆』をわかっているんです。
これは極論なんですが……はっきり言いましょう。



例えわかっていようといまいと、関係ないんです。



なぜなら、彼は貫くべきもの以外を切り捨てる『修羅』としての在り方が求められているからです。
メンテ
上の続きです ( No.23 )
日時: 2008/10/06 23:40
名前: FLANKER

幕間の7でやりましたが、彼とアルフは似て非なる存在です。フェイトを見守り、フェイトを支える点で同じですが、しかし彼らはその立ち位置を異にしているんですね。
アルフは常にフェイトのそばに在り、常にフェイトの横で、フェイトを支える。
対して蒼牙は基本的にアルフと同じようにしていますが、しかし場合によってはフェイトと向かい合い、必要とあらば敵対しなければならない。つまり、『絆』を切り捨ててでも、貫くべき1つのもののために『修羅』になることを選択しなければならないんです。
なので、彼の場合はクロノの『誠』のように、全てにおいて誠実であるために、その時々において選択するのではなく、初めにすでに決めてある1つのもののために、どんな場合だろうとそれ以外を切り捨てる強さが求められているんです。彼はその過去が過去ですから、貫く信念も自ずと特殊となってくるんですよ。

拙作における『信念』は、様々な形で描いていくつもりです。
これが『信念』というもの。あれが『信念』の貫き方……そのように1個に断定できるものではありません。
『信念』は様々です。その貫き方も様々です。そのどれもが正解で、どれもが誤り……と言うより、正しいか誤りかという次元で考える対象ではないと思っています。



だから私が描くキャラたちは、『絆』を理解していようといまいと、残念ながら『絆』を最優先に置いて行動することが『常に』できるかというと――するしない以前に、無理です。



持っている『信念』が『絆を最優先』というものでもない限りは。
私が描く彼らは、『信念』や『理想』などの要素と複雑に絡み合い、何を優先し、何を選択し、何を切り捨てるか……その連続になります。そして、優先し、選択し……切り捨てなければいけないという『現実』というものに対して、あまりに小さい自分自身に怒り、時に嘆き、それでも必死になって『絆』を支えに『信念』を貫こうとします。
『信念』を選択することは、時に苦痛を伴います。なぜなら別の選択肢もとても大切で、大事なものである場合がありますから。
そりゃつらいですよ? 大事で、『信念』を貫く上で大きな支えである『絆』すら、そうとわかっていて、ときに切り捨てなければいけないんですから。『身を削る』、『断腸の思い』、『後ろ髪を引かれる』とは、まさにこういうことでしょうね。
『絆』は彼らにとって本当に大事なものです。彼らの持つ『信念』と並ぶほどに。だから苦しい『選択』なんです。けれど選択せずに逃げることだけはやってはいけない。彼らはもう、『選択』をし続けているわけです。『絆』をわかっていないから簡単に切り捨てているわけじゃないんです。彼らは『信念』を貫くというものが齎す苦痛を、ちゃんと理解してもいるんです。

しかしそれでも貫くか――貫けるか。
メンテ
上の続きです ( No.24 )
日時: 2008/10/06 23:41
名前: FLANKER

長くなりましたが、以上の事から、私は『仲間を思う』ということをわかっていないという点に関して異論を申し上げると共に、わかっていても『信念』などとの兼ね合い上、『仲間を思う』――『絆』を最優先とするばかりの行動は取れないのだという見解を以って、反論させて頂きます。

ハイパーゼクターさんの仰ることがまさに当てはまるキャラもいますし、『仲間を思う』ことの本当の意味をわかっていないキャラがいることも事実です。ですので、多くの部分で賛同するところもあるため、7割方同感だと。



>多分、19話に出てきた「心」の問題もこの仲間意識に深く関わってくるんじゃないかと思います。確か、何かで「心」とは不完全なものである、と読んだ事があります。結局「心」なんてものはいつまでたっても、多分永久的に不完全だと思います。でも、だからこそ今回みたいに落ち込んだり、言い争ったり、喜び合ったり出来るんだと思います。
まぁ、なのはも目覚めてヴィータ・ユーノの方はとりあえず大丈夫かな?

こちらについてはほぼ賛同いたします。

本当にいつもいつも長々と申し訳ありません。
ハイパーゼクターさんも時間がないのだから、こんな1人の見解文章を読んでも面白くないでしょう。
本来、作品中でこれを伝えていけるようにしなければいけないのですが……努力いたします。

ではハイパーゼクターさん、ご意見ご指摘、ありがとうございました。

もしかしたら、これ全部一気にのせられたりしたのかな……?
と思いつつ、失礼いたします。
メンテ

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