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黒衣(仮投稿)
日時: 2008/05/15 06:31
名前: テン

浩さんに許可を頂きましたので、暫くの間黒衣を仮投稿という形でこちらに投稿させて頂きたいと思います。

あくまで仮であり、落ち着いたらいつかは今までどうりに投稿したいとは思っていますので。
これも携帯からの投稿なので、少々見づらいかもしれませんがよろしくお願いします。
一章を分割して送っていきます。


目次

>>1-27 恭也編 四十二章

>>54-91 恭也編 四十三章

>>122-156 恭也編 四十四章

>>197-227 恭也編 四十五章

>>228-255 恭也編 四十六章

>>256-268 恭也編 四十七章

>>269-288 恭也編 四十八章

>>289-317 恭也編 四十九章

>>318-330 恭也編 五十章

>>331-340 恭也編 五十一章

>>351-367 恭也編 五十二章

>>368-382 恭也編 五十三章

>>383-394 恭也編 五十四章

>>414-433 恭也編 五十五章

>>434-457 恭也編 五十六章

>>458 恭也編 五十七章

>>459-480 恭也編 五十八章

>>481-503 恭也編 五十九章

>>504-532 恭也編 六十章
>>565-587 恭也編 六十一章

>>28-53 大河編 三十章

>>92-121 大河編 三十一章

>>157-196 大河編 三十二章

>>395-413 大河編 三十三章

>>341-350 外伝
メンテ

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Re: 黒衣(仮投稿) ( No.584 )
日時: 2010/12/17 18:32
名前: テン


しかし、冷静な内心とは逆に、夏織は大きく舌打ちした。

「避けろ! 馬鹿息子!」

咄嗟に、だが自然に、夏織は叫んでいた。




「っ……!?」

恭也のその驚きは、夏織に息子と呼ばれたからではい。
彼の背後から、それはきた。

「がっ!」

かわすことなどできないタイミング。
恭也の両腕と、腰から胸までが……巨大な手に捕まれた。
その突進の威力と、指が肺を圧迫し、短いが大量の息が、恭也の口から吐き出されていく。

「鎧の……腕……!?」

それは恭也自身が斬り落とした救世主の鎧の腕。
手首の上辺りから、断ち切れているにも関わらず、それは浮かび上がり、恭也の上半身を締め上げている。
まるで万力のようで、恭也は自分の身体の骨が音をたてているのがわかった。

「ぐっ!」

夏織に集中していたのと、無機物であり、この腕はさらに浮いていたのだろう。そのためどうしても心では捉えにくく、気づけなかった。
そして、

「くっ、ははは……はははははははは!」

奇声に近い、笑い声が聞こえた。
そんな声を出すのは、この場には一人しかいないだろう。

「ダウ……ニー……!」

ダウニー。
その男の顔は笑みで埋まり、狂ったように笑っていた。

「は、はは。高町君、やはり選ばれたのは君ではない! 私だ!」
「な……にを……!」
「神が定めた運命は、君に死を与え! 私を生かした! そう、選ばれたのは私なのだ! 選ばれたこの私が、貴様程度に! 貴様程度に!」

言っていることが滅茶苦茶だ。
挑発にのりすぎて、精神が一時的におかしくなっているのだろう。
そして、ダウニーは砕けた小指がまだ痛むため、剣を左手に持ち替えるが、その腕は僅かに震えていた。
当然だ。いかに軽い片手剣とはいえ、利き手以外に武器を持ち、正確に操るのは熟練者でも難しい。
メンテ
Re: 黒衣(仮投稿) ( No.585 )
日時: 2010/12/17 18:33
名前: テン


だが、

「く……そ……!」

その状況では、それでも恭也を殺すことは可能だ。
ただ、鎧の指の隙間に剣を突けばいい。
それがダウニーも当然わかっている。剣を水平に構え、そのまま身動きができない恭也へと突進を開始した。

「くっ! し……ん……速……!」

この状況で発動するのは、神速。

「ぐっ! あぁぁぁああああぁぁ!!」

聴覚が遮断され、自身では聞こえていないであろう絶叫を恭也が上げる。
ベキベキと音をたて、同時に鈍い骨が軋む音をたて、じょじょに鎧の腕の指が開いていく。
トンの桁すら越えるであろう力が込められた鎧の指。
それを、上半身とともに締められた恭也の両腕が、無理矢理開いていく姿は、ダウニーや夏織のみならず、絶叫を聞いて恭也へと振り返ったイムニティとリコでさえも顔面を蒼白にさせた。
思うことはただ一つ。

――あれは人間なのか?

「なんだ、それは!?」

それが人間に可能な力なのかと、突進を止め、剣を構えたままのダウニーが叫ぶ。
そんな真似、破滅の将の中でも、特に力に秀でたムドウでさえ不可能だ。

「ぐうぅううううぅぅぅぅぅぅぅ!!」

開いていく。
鉄板よりも硬く、岩よりも重く、鉄格子よりも脱出が難しいはずの戒めを、恭也は解いていく。
神速による肉体のリミッターの解除は、速さに直結するのではなく、筋力に直結する。
そして、人間の脳はそれほど細かい指令は出せない。
身体のリミッターを部分部分に解くことなど不可能で、足だけ、腕だけなどは不可能なのだ。
つまり、神速は足だけのリミッターを解くのではなく、全身のリミッターを解く。
リミッター解除に汎用性はない。
だが、全身のリミッターが解除された『状態』での汎用性は、異様なほど増加する。

メンテ
Re: 黒衣(仮投稿) ( No.586 )
日時: 2010/12/17 18:33
名前: テン


「がぁあああぁぁぁぁああぁぁぁぁ!」

この場合必要なのは、全身の力。
腕だけではない、肩だけではない。そこに繋がる部位に全ての力を流していく。
真の意味で肉体の全力を出せる恭也の肉体は、今この時、限定的に、鎧の力すら上回る。
しかし、その反作用で、安全装置をなくした肉体から悲鳴が上がり続けた。
筋繊維が切れていく、内臓を傷付けていく、神経が痛んでいく、骨が軋み、腕の皮が剥げ、肉が抉れ……
いくら動こうと、どれだけ力を込めようと、ここまでの負荷はそう簡単にはかからない。
身体を動かすのではなく、力に対抗するための力は、動くためよりも負荷を与える。
しかし、これしか方法がなかった。

「くっ!」

ダウニーは歯ぎしりしながら、恭也へと突進を再開。
ここに来て、ダウニーは再認識した。
この世界で最も脅威なのは、この高町恭也だ。

メンテ
Re: 黒衣(仮投稿) ( No.587 )
日時: 2010/12/17 18:34
名前: テン


当真兄妹がこの世界に召喚された謎。その解答をダウニーは知っている。
だが、この男は真実イレギュラーだった。
仲間に引き込める可能性もあると思っていたが、この男はそんな生やさしい存在ではない。
救世主候補のような力はない?
魔法も使えず、身体能力すら特化したものは存在しない?
それが何だというのだ!
この男は、その存在そのものが脅威なのだ。
その存在そのものが、戦いに特化している。
この男の世界は平和だと言うが、もし戦乱の世であったなら、間違いなく英雄と言うべきものになっていただろう。
実際に、この世界で、あの男は英雄として、救世主として祭り上げられようとしている。
確かにそれは、色々に組織の思惑によるところが大きい。
だが、それは同時に、その組織が、彼は英雄足り得ると判断したも同義だ。
英雄とは、それと相反する的という者【物】があって、それと同時に発生する者【物】だ。
英雄の敵にとって、それは正に最悪の敵であり、最低の大根役者だ。
つまりこの男は……

「やはり貴様はここで殺さなければならない!」

破滅の脅威はここにある。
破滅の真の敵を、本当に確信したこの瞬間、ダウニーの精神は立て直された。


「マスター!」

そして、このときになつてリコも動こうとしていた。
紫電を纏ったまま、イムニティより視線を離し、新たな目標を設定。

「マスター、ですって?」

しかし、イムニティはリコが放った言葉を聞き逃さなかった。
リコがこの場でマスターと呼ぶ可能性がある者など一人しかいない。
イムニティは、恭也へと視線を向けたあと、リコの行く手を阻むために、呪文の詠唱を開始しようとして……

「っ!」

右手で頭を押さえ、その場にへたりこむ。

「マ、スター……!?」

イムニティはこのとき、今の状況全てを忘れた。

恭也の腕が、鎧の指を開いていく。
そして、恭也は左手の肘を上げ、

「ふっ!」

振り子の要領で、鎧の掌へと打ち込んだ。
ミシリと肘の骨が音を上げたが、その衝撃で鎧の手が恭也から離れる。
その瞬間に、雷を纏うリコが恭也から離れた鎧へと特攻。
着弾と同時に、その頭から縦に身体を回転させることで、抉るように,ねじ切るようにして鎧の手を襲う。
雷の力と、その回転力で鎧の手がひび割れ、砕ける。
だが、間に合わなかった。

「……はあ……はあ……」

恭也は息切れを繰り返し、突撃してくるダウニーを避けようとするが、身体がついてこない。
そして、リコもまた自分の身体を弾丸としたために、その勢いを殺しきれず、地面を着陸し、体勢を取り直すのがやっと。
間に合わない。
間に合うわけがない。

「くっ!」

それでも何とか、恭也は己の指を動かした。
しかし、指が動けた程度で、何ができるというのか。
できるわけがない。
未来は変わらない。
そして、

「……っ!」

ダウニーの剣が……恭也の……腹部に……突き刺さり……貫いた。


メンテ
Re: 黒衣(仮投稿) ( No.588 )
日時: 2011/01/28 19:02
名前: テン



崩れていく。
恭也の身体が地へと崩れていく。
英雄となり得た者が、赤の主である者が、紅の主である者が……崩れていく。
これにて勝敗は決した。
破滅の勝利。
高町恭也がいなければ、救世主候補も、赤の精も、破滅からすれば、恐れるに足らず。
その中心人物を亡くし、皆絶望するだろう。
それは彼を英雄と見ていた人々もまた同じ。
高町恭也の死は、それだけ重いものとなっていた。
そして、これより救世主が誕生する。
赤の主である高町恭也が死したことで、これより白の主による本当の破滅が始まる。

「マス……ター……」

崩れていく恭也の姿を、リコはただ呆然と眺める。
ああ、だが、だがようやくその現実を認めた。

「マスター!」

足がうまく動かない。
着地し、体勢もまだ整わない。
ならば、這ってでも主の元に向かえ!
足を地に擦り、手を伸ばして、

「マスター! マスター!! マスターマスターマスター!!」

ただリコは主の生を求めた。
破滅のことなどどうでもいい。
赤の主のことなどどうでもいい。
救世主のことなどどうでもいい。
今、この瞬間、世界が滅ぶかもしれないこともどうでもいい。
リコが求めるのは、高町恭也。
彼が持つ役目などではない。

恭也が完全に地へと伏した。
そして、その下に夥しいほどの赤い液体が広がっていく。

「あ、あ、あ、あああああぁぁぁぁああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああぁぁぁあああああぁぁぁぁぁぁぁああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああぁぁぁぁぁぁあああああああぁぁぁぁ!!」

それは恭也の生命そのもの。
リコが司る赤と同じもの。
それが流れ出ていく。
リコは、その姿を見て、絶叫を上げるしかなかった。

「ふ、ふふ、ふはははははは!」

恭也の目の前には、血が滴る剣を握ったままのダウニーが、笑い続けている。
勝利したのだ。
破滅の最大の脅威をこの手で滅ぼした。
またダウニーの自尊心も、ここにきてようやく復活する。
だが、その勝利の余韻を崩す者がいた。

「主幹! どういうことですか!? マスタは……!?」

イムニティが、頭を抱え、苦しげに顔を歪めながら、ダウニーへと叫ぶ。
何が、とダウニーは問いかけない。
自尊心と共に取り戻した冷静さが、イムニティの言いたいことを看破していた。
そう、今回の策の刻限が来たのだ。
イムニティには話していない、今回の肝である策。
ダウニーは、芝居がかった仕草で肩を竦めつつ、イムニティの方へと振り返ろうとして……

「バカが! あいつから意識を……!」

離すな、という言葉は続かなかった。
夏織のその言葉を正しく理解できた者は、この場に彼女とただ一人しかいない。
そして、



第六十二章



「……!」

飛んだ。
血飛沫が飛んだ。
長さを持つ物体が飛んだ。
『それ』は回転しながら、舞うようにして宙を飛ぶ。
いくらか滞空したあと、ボトリと、滑稽とも言える音をたて、それは地へと落ちる。
自分から切り放された『それ』を、ダウニーはただ呆然と眺めていた。

「はあ……はあ……はあ……」

ダウニーの目の前には、地に伏していたはずの彼が……高町恭也がいる。
右手で水道から水が流れるかのように吹き出す血を、腹を押さえことで止めながら、右手で小太刀を振り上げた姿。
その小太刀の下には何もない。本来ならあるはのそれ、ダウニーの左腕が……肩の下から、ない。
そして、ダウニーの隣りに落ちたのは……彼の左腕だった。

「が、あ? あああぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」

絶叫と共に、ダウニーの左腕の断面から、思い出しように血が滝のように吹き出る。

「ちっ……」

この結果には、顔面を蒼白にした恭也の方が舌打ちした。
本当は首を落とすつもりだったのだ。

「…………」

しかし邪魔が入った。
言うまでもない夏織だ。
恭也が死んでいないということに気付いていた彼女は、ダウニーに警戒の声を上げながらも、懐から投げナイフを取り出して、それを恭也の小太刀に向かって投げた。
そのために剣閃の軌道は変えられ、腕を落とすことしかできなかった。
恭也が生きていたのは、半ば運である。
指で鋼糸を動かし、絡ませ、何とかダウニーに剣を下へとずらして、心臓への直撃を避けたのだ。
しかしダウニーの剣は、完全に恭也の腹部を貫通した。そのためな大きな血管を傷付け、血が止まらない。内蔵すら傷付け、喉にせり上がってきた血が口から溢れていた。
鍛えられた肉体を意識的に操作して、筋肉を収縮させ、内蔵を極限までに締めることで、血管と傷口、内臓、それぞれの出血を抑えているものの限界がある。
こうして立ち上がれたこと自体が奇跡に等しい。
夏織が駆けてくる。
そして、ダウニーの右肩を掴み、引きずるようにして下がらせた。
恭也は、何とか身体を動かし、落ちたダウニーの腕を拾い上げると、それを宙に投げ出す。

「ぐっ……神我……封……滅……」

そして、口に溜まった血を吐き出し、紅月に何とか霊力を込め、解放。
放たれた霊力の塊は腕を粉微塵にした。
元の世界ならここまでする必要はないだろうが、この世界には魔法がある。下手をすれば繋げられてしまうかもしれない。
相手の戦力……しかも敵の主幹だ……を削るためならば、非道なこととてしよう。
出来ればこの場で息の根を止めたかった。
とはいえ、肩の僅か下より左腕を切り落とされたダウニーの出血は、恭也よりも酷い。心臓に近いというのもあるが、腕を輪切りにされては、恭也のように筋肉を締めて出血を抑えるというのは不可能だからだ。しかも斬った場所が肩のすぐ下ということで、服などで傷の上部を縛り、出血を抑えるというのもまた難しい。
このままならば、ダウニーは数分で出血多量で死ぬ。まだショック死していないだけましというものだ。

「イム! 何混乱してるんだか知らないが、とっととその男を連れて逃げろ! そのままにしておけば死ぬぞ!」

その叫びに、ほぼ条件反射だったのだろうが、イムニティが反応し、ダウニーに近付くと逆召喚のための呪文を詠唱し始めた。
恭也はただじっとそれを眺めるだけだ。そしていつのまにか、その横にはリコが寄り添い、全力で回復魔法をかけていた。

「夏織! あなたは!?」

イムニティは、最後の呪文を唱える前に、夏織へと問いかける。
夏織は、恭也の前数メートルの位置で立ちはだかるように、彼と睨み合っていた。

「こいつが、このまま敵のトップが逃げるのを見逃すようなタマかよ」
「…………」

恭也は血を流しすぎて顔面蒼白な状態。
吐血すら繰り返しているその姿は、今にも死に絶えてしまいそうにも見える。
いくらリコが魔法をかけても、そう簡単には全快には至らない。
今の彼ならば簡単に勝てるのではないか?
今の彼からならば逃げることも容易ではないか?
そんな疑問を浮かべても仕方がないような状態。
しかし、その状態で、否、リコに魔法かけられている今よりも酷い状態であったにも関わらず、恭也はたった一瞬の隙を狙い、ダウニーを殺しにかかった。
夏織の邪魔がなければ、確実にダウニーは殺されていただろう。
何という執念。
動けば死ぬかもしれない、という考えもあっただろう。動けないと身体が命じてもいただろう。
だが、その全てを精神で押し込め、行動した。
今もまだ変わらないない。目は死なず、獰猛な獣な目で夏織と共に、イムニティとダウニーを見つめている。
その姿にイムニティは、長いその生の中で、数えるほどしか感じたことがない恐怖を覚える。
夏織は、このまま立ちはだかって貰わねばならない。そうでなければ、あの男は間違いなく、ダウニーを殺しにかかり、事実殺して見せるだろう。
それがわかるために、イムニティは何も言わない。
いやに時間が長く感じる中、イムニティは身体に内から湧き出る恐怖を抑えつけ、最後の数小節の呪文を紡ぎ、召喚陣が現れ、その中にダウニーとともに消えていく。

「高町……恭也……!」

その中でダウニーだけが、怨嗟の声を上げ、憎しみの目で、恭也へと声を向け、視線を向けた。
そして、その身体が完全に消える。
残されたのは三人。
リコは、恭也の傷を癒しながらも、唇を噛みしめた。
自分たちの負けだと、リコはわかっていた。
今戦えるのはリコだけだ。
しかし、そのリコは今、回復魔法を止めるわけにはいかいない。ようやく重要な血管を繋げ、内蔵部分の『穴』も塞ぎ、出血を止めたばかりで、ここで止めてしまえば、恭也の傷は開き、今度こそ死ぬ。いや、そもそもダウニーに攻撃を仕掛けたことさえ、半ば自殺行為だったのだ。
あれのでせいで、さらに大量の血液を失ってしまった。
また回復魔法では、流してしまった血液までは戻せず、恭也の失った体力は簡単には回復しきれない。
リコだけなら、夏織を倒すことも不可能ではない。
殲滅戦の如く、物量で押し切ってみせよう。
が、恭也がこの場にいる以上、それさえできない。魔法の範囲に、恭也が入ってしまいかねないのだ。
しかし、

「ほらよ」

夏織は、両手を振るい、何かを恭也たちに投げつける。

メンテ
Re: 黒衣(仮投稿) ( No.589 )
日時: 2011/01/28 19:04
名前: テン


それは鈍い音をたて、恭也たちの目の前に落下した。

「ああ、スローイングナイフは、さっきので最後だ」
「何を……考えている?」

夏織が投げたのは……いや、捨てたのは、彼女の主武装である太刀二本であった。
その姿は、そう投降だ。
本来ならば恭也たちがすること。
夏織は口を歪めて笑い、腕を組むと、あぐらををかいて座り込んだ。

「まあ、うちらの負けだ」
「どこをどう見れば?」

リコもさすがに眉を寄せて聞く。

「負けだろうよ。鎧の横やりがなければな」
「運とはいえ……俺たちの負け……だろうさ。しかもあれは俺が……斬り落とした……ものだ」

夏織は、恭也の言葉を聞くと、苛立たしげに鼻を大きく鳴らした。

「気に入らない」
「は……?」
「別に戦いに愉悦を持ち込むほどあたしは馬鹿じゃない。だが、だからこそ戦いにおいて、どうしても看過できないこともある。お前だってあるだろう?」
「…………」

それは否定しない。
だが、恭也が今の夏織の立場なら、武器を向けただろう。
恭也にとって、戦いで看過できないものとは、今回のようなことではないからだ。
しかし夏織は、今回のことが看過できなかった。

「勝利のために、一人を相手に複数でかかるのもいい。卑怯な手も、卑劣の手も構いはしない。
しかし、時の運って言ってもな、状況と場所以外の自分の意思が介在しないもんに、とくに自分たちとは関係ない意思ある者に、勝負を汚されるのはご免被るわ。少なくともあたしはな」

真に強い戦闘者というのは、心の中に何かしら矜持を持ち、戒める者が多い。
例えば女を殺さない者。
例えば子供を殺さない者。
例えば自分の決めた状況以外では戦わない者。
他者には理解できない、自分だけのルールだ。殺されてもそのルールを曲げないと決めることで、自分を追い詰めることで、強くなれることもある。
今回、夏織が当てはまったのだ。
だから夏織は負けを認めた。

「っかし、あたしもあれだけど、今回の戦い方、客観的に見たら、お前悪役じゃないか?」
「何を……馬鹿なことを。戦いに……正義も……悪あるか」
「だから客観的にって言ってんだよ。挑発して、剣士のくせに剣を捨てる、死んだふり。勝てば官軍とは言うが、悪役かプライドないだろ、って客観的に見れば思うだろうさ」

むしろダウニーの方が真っ当に戦っていたと夏織は笑う。
が、別に責めているわけではない。
一瞬、恭也は客観的という言葉に唇を噛みしめ、眉を寄せたが、短くを息吐き、その表情を消した。
そして、恭也は鼻で笑う。

「知ったことでは……ない。俺の剣にも……技にも、最初から……誇りなどないの……だからな。誇りがないが……故に、いくらでも……汚いことをする」

プライドなど安いものだと、恭也は口を歪めた。
顔面蒼白の上、言葉が途切れ途切れ。弱りきった姿だというのに、その表情は怖気を誘うほどに、壮絶なものであった。
夏織は、そんな恭也を見て笑い、腕を組むと彼らの前にあぐらをかいて座り込んだ。

「にしても、何だあの無手技? ボクシングはわかるが、残りの二つは……中国の武術辺りか? ああいや、二つ目はムエタイ辺りか?」
「さあ……な」
「二つ目は、本来なら、ゼロ距離から腕と腰の回転で打ち付けるって感じか。三つ目は反作用を返す撃ち方かね」

だいたい見切られている。
恭也が今回放った肘撃ちは、本来密着状態での攻撃方法だ。腕を縦回転させることで、肘を背の後ろまで持っていき、さらに腰を捻ることでその力を肘に乗せ、打ち抜く。腕を回転させるため密着状態でも、打点へと距離を取れることが利点だ。
掌底は、右足を軸にして固定し、相手に直撃することで返ってくるはずの反作用さえ、軸足の右足で跳ね返し、その力をもう一撃に乗せ、相手へと追撃する。

「ジャブとストレート、フックの方も拳の握り方がおかしかったな」
「父さんに……不破の方は……聞いていないようだな」
「ああ、不破の技か」
「技、というよりも……手の握り方だ……」

いかに拳を握ると言っても、それは流派や出す技によって多種多様にある。

メンテ
Re: 黒衣(仮投稿) ( No.590 )
日時: 2011/01/28 19:06
名前: テン


実の所、ダウニーにジャブとフックを放ったとき、恭也はインパクトの瞬間まで拳を握っていなかった。
全ての指の間に感覚を開け、第一関節と第二関節だけを曲げた状態。所謂猫手に近い。
インパクトの瞬間だけ、それらを閉じ、拳としたのだ。
これが不破の手の在り方。
はっきり言ってしまえば、殺すための拳の作り方であり、この拳の握り方は、攻撃に汎用性を持たせるものだ。
これは一瞬で、完全に拳を握ることもでき、貫手にすることもでき、手刀に変化させることもできる。またそのまま突き出すことで、打点を狭くし、破壊力を増す効果もある。
手で相手を確実に殺す方法。
暗殺対象が男であれ、女であれ、確実に殺し、また証拠を残さない場合、一番都合がいいのが首や頭を潰すことだ。
最も確実なのは相手の喉仏を潰すこと。これは女も変わらない。女も男のように目立たないだけで、喉仏は存在する。これを押し潰すと相手を窒息死させることもできるし、同時に首を折っても人は死ぬ。
この場合、貫手で押し潰すのが一番効果がある。
首を骨を確実に折るならば、手刀。
頭蓋を割るならば、拳を作るか、第二関節を突き出したまま攻撃することで割る。
それら全てに対応可能な手の握り方。
完全な殺し用である。
逆に言えば、この握り方を体得できなければ、不破とは言えず、衝突の瞬間に握り方を変え、また一瞬でどの攻撃方法でいくかを選択しなければならないため、口で言うほど体得は簡単ではない。

「はっ、いや、ホントお前、何なんだ?」
「何が……?」
「お前まだ二十歳そこそこだろ」
「ああ……」
「にしちゃあ、戦いに慣れすぎだ」

戦いに慣れていなければ、自分の武器を投げ捨てる真似などできるわけがない。
それも多種多様な戦いに慣れ、戦場を操作できるほどの経験が必要だ。
しかしそれは、まだ二十歳そこそこである恭也に出来る真似には思えないと夏織は言っているのだ。

「殺し合いの経験は……まだまだ……だろう。おそらく……あなたよりも……ダウニーよりも……ない……。だが、戦闘経験だけなら……あなたたちにも……負けては……いないだろうさ……」
「まだ二十歳そこそこで?」
「あなたも……そう変わらない……だろう」

どうも年齢差が縮んでいる二人。
少なくとも、夏織とてまだ二十代後半程度だろう。

「だから……あたしより慣れすぎだって言ってんだ。格闘術も異常だ。あたしでも実戦では真似できそうにない技術がまだ隠れてる。というよりも、戦いながら口で挑発ってのは案外難しいんだよ。相手のことを観察して、余裕の表情を浮かべて、相手をコケにするっていうのは、慣れてないと無理だ」
「……三つの頃に剣を握り、父さんについて九歳くらいまで日本を回って……いる」
「おい。士郎のやつ……」

そもそも士郎が恭也を祖母である美影や、それこそ恭也の母親は自分だとでも言いたげに溺愛していた琴絵にさえ預けず、日本中を連れ回していた理由は複数あった。
一つは、母親が誰かわからなかっった……士郎とも本当に血が繋がっているかは微妙で、不明としか言えないためでもある……ことで、老人連中や御神の不破以外の分家に恭也は疎まれているところがあった。
だからこそ、置いていけば面倒になるかもしれないからこそ、士郎は恭也を連れ回していた、と美沙斗から恭也は聞いていた。
護衛する者が日本各地にいるというのもあるが、士郎が日本を回っていた一番の理由は、恭也のためであったかもしれないのだ。
そして、恭也が剣を握れるようになれば、すぐさま他流との試合を組んだ。しかも知り合い以外の所は、ほぼ道場破り同然で、子供であるはずの……いや、子供であるからこそ、舐められていると取り、恭也に手加減する者などほぼ皆無であった。
美由希を引き取り、その頻度は下がったが、それでも続けられたし、桃子と結婚したあとも、それなりにある。

メンテ
Re: 黒衣(仮投稿) ( No.591 )
日時: 2011/01/28 19:07
名前: テン


夏織が多少驚いているように、少なくとも現代の父親としてはまともなものではないだろう。
しかし、恭也はそれに感謝している。

「その頃だけで……試合としてでも、数えるのも馬鹿らしいほどには……他流と戦った。それらに何度も負け……勝った。それに父さんの……近くにいるだけでも……闘争は向こうから来た……」

ボディガードという仕事をしていた士郎の傍にいれば、当然の如く争いにも巻き込まれる。美由希を引き取る前は、一々恭也を誰かに預けるなどという真似もしていなかったし、滞在先がないことも多々あったのだ。
それを撃退もしてきた。

「父さんが死んでからも……一年全国を回った。その後も暇を……見ては、どこかしたらを回った」
「…………」
「柔術、空手……合気道、柔道……ボクシング、テコンドー……こちらは種類が多すぎて……流派の名を覚えてない。
覚えている流派だけでも……北辰一刀流、新陰流……直心影流、中条流、富田流……タイ捨流、示現流……正直多すぎる。
素手、剣、槍……今まで戦った人間は……千以上はいくだろう。慣れも……する」

恭也の年齢で、ここまで他者と戦い続けた者も珍しい。
実戦は、訓練の十倍以上にも成長させてくれるという。
恭也が数多くこなしたのは、実戦とはいえ、ただの試合。
後のない戦いは実戦ではないと鼻で笑うのかもしれない。
だが、その言う者には、何を馬鹿なことをと恭也は逆に笑うだろう。
ただの訓練が人を一成長させるところを、本当に後のない戦いが、十成長させるとしよう。
ならば、恭也がこなして来た試合という実戦は、確かに十も成長させてはくれなかっただろう。
が、その一つ一つが、五の成長をさせてくれたなら?
百の後のない実戦を繰り返した者よりも、千以上の試合という実戦を繰り返した恭也は、数倍もの実戦の感と経験を与えられた。
風芽丘の三年にもなった頃には、確かに恭也には、自分と対等に戦える者はいなかった。
だが、それもそのはずなのだ。恭也は、幼い頃から他者との試合という実戦を繰り返し、強くなった。それも相手を殺しうるような技を封印してだ。
道場破りの真似事がほとんどであるために、中には本当に命の危険のあることとてあったのだ。
百の殺し合いをくぐり抜けた者よりも、十の殺し合いも経験していないかった頃の恭也の方が、実戦の経験と感は研ぎ澄まされていて当然なのである。
だからこそあのとき、百の殺し合いさえ続けてきたであろう美沙斗でさえ止めることができた。

「なるほど、ね。士郎のやつ、なんて化け物を作りやがったんだ」
「何より……」
「うん?」
「俺は、剣を持っていようが……素手だろうが……戦えなければならなかった」
「どういう意味だ?」

恭也の突然の言葉に、夏織は眉を寄せた。

「あなたは……龍を知っているか?」
「当然だろ。御神を滅ぼしたのも知ってる」

メンテ
Re: 黒衣(仮投稿) ( No.592 )
日時: 2011/01/28 19:08
名前: テン

「ならば……あなたが龍だと仮定して……俺となのはと美由希……御神の生き残りがい生きてると……それも御神の直系が一人と……不破の直系が二人生き残っていると知ったなら……どうする?」
「あ?」

一瞬何を言われたかわらかないように面食らう夏織。
だが、しばらくして今度は呆気にとられた。

「なるほど……ね」
「…………」
「ああ、あたしなら生かしておかない。むしろ生かした時点で、組織としては三流に成り下がる。その上に、御神を滅ぼした意味がなくなるだろうさ」

龍が御神を滅ぼしたのは恨みが全てなわけがない。
正確には邪魔だったのだろう。御神と不破の仕事のどこかで、龍の邪魔になったのかもしれない。
そうであるならば、わざわざあそこまで派手に演出しておいて、生き残り……美沙斗のように利用するならともかく……がいると他の組織にばれたとき、龍の威光は地に落ちる。
……当時の……女子供を見逃してしまう程度の三流ということだ。
だが、それだけなわけがない。

「龍は……御神を恐れていた」

一人で重火器を持つ人間百人にも勝つという御神。
十人もいれば、千人とさえ戦争をすることさえ可能な一族。
邪魔である以上に恐ろしい。
美沙斗一人を操るのとは訳が違う。
だから彼らは、御神を滅ぼした。
彼らの報復が、簡単に龍を滅ぼすかもしれないというのに、さらに三人も御神の血を持つ者がいるのだ。
しかもそれが御神宗家と、不破家の直系。

「龍が見逃す訳ないわな」

御神の直系一人が生きていて、もしその人物が御神流を体得していたなら、御神流としての御神家を再興することも不可能ではない。
だがである。再興する場合に邪魔なものがある。
当然龍だ。
かつて自分たちを滅ぼそうとした者たちが存在する以上、これからも邪魔となるのは確実だ。
ならば龍を滅ぼす、というのは当然のこと。言ってしまえば、報復であり、復興のために邪魔だからと、龍と似た理由。
今すぐ、という話ではないが、少なくとも数十年のうちには可能なことで、個人としてではなく、数百人以上の人間をまとめる組織……特に武闘派な組織であるため尚更……、そのトップや幹部陣にとっては、数十年後のこととて……いや、数十年後のことであるからこそ、捨て置ける問題ではない。
これは実際に美由希がどう思っていようが関係ないのだ。

「そして……」
「龍にとっては、何よりお前が……不破恭也が生きているのが、一番まずい」

恭也の後に続く言葉を夏織が口にする。
恭也も、そうだと頷いた。

「ま、待ってください」

二人の会話を慌てて止めたのは、当然ながら残された一人……リコだった。
リコは恭也へとかける魔法を一切緩めることなく続ける。

「マスター……恭也さんのことは……その一族のことはうかがっています」

リコも何となくだが、恭也の実家のこと……つまり御神が滅んだということを聞いている。
その話……とくに御神や不破に関して、何か喉の奥に小骨が刺さったかのような違和感をリコは当時覚えたのだが、それは今は置いておく。

「ですが、恭也さんの一族を滅ぼしたという敵は、当時子供だった恭也さんを一番殺したかった、というのですか?」

端で二人の会話を聞いていると、そういう結論になってしまう。
が、当然それは見当違いだ。

「そうじゃない。龍は俺のことなど知らないし、当時は眼中にもなかった。
が、父さんが死んだ今、俺が生きていて、俺が不破の直系だとばれたならまずいんだ」

恭也は顔面蒼白なのは変わらないが、ようやく口調が戻ってきた。疲労は抜けないが、体力は多少戻ってきたのだろう。
しかし、そんな恭也の説明もあまり理解できず、リコは首を傾げた。
それがわかり、恭也はもう少し詳しく説明し出す。

「御神流には、御神宗家を頂上とし、その下に複数の分家が存在した。俺の……というか、父さんの旧姓である不破というのはその一つだ」
「はい」
「しかし、不破は分家でありながら、他の分家よりも宗家に近かった」
「というと、宗家に嫁入り、婿入りする人や、その不破家に嫁入り、婿入りする宗家関係者が多い、ということですか?」
「それもあるが、決定的に違うのは、宗家と他分家を表とすると、不破家は裏だった」
「裏?」
「御神家たちの役割は、政治家、権力者、資産家など重要人物の護衛と、不穏組織を壊滅させることを役目としている。裏の仕事ととは言え、あくまで影であり、それなりに日の当たる立場だ」

リコは小さく頷いた。
そう、それは今の恭也に近い立場なのだ。もちろん元の世界での話だが。
言葉通りに聞けば、真っ当に聞こえる。所謂正義の味方にも見えるかもしれない。

「しかし不破は、裏の裏、闇に当たる」
「闇ですか?」
「不破は、政治家、権力者、資産家など重要人物の暗殺を主な仕事ととし、不穏組織の末端構成員までを含め、その全てを皆殺しにし、それを壊滅ではなく、殲滅する。ただ一人でな。
御神と多分家は生粋の護衛者であり、最強の剣士。不破は生粋の暗殺者で、殺戮者であり、最強の戦闘者だった」
「……そういうこと、ですか」

その説明によって、ようやくリコは二人が先ほどまで交わしていた会話の意味を理解した。
不破の役割が理解できれば、子供でもわかる理屈だ。

「つまりその龍という組織にとって、今現在の話であれば、不破……つまり恭也さんが一番の脅威に映る」
「そういうことだな。一人で組織を殲滅して、重要人物を殺せるような人間、そっちの方が脅威だよ。士郎がいれば、士郎の方がまずかったんだろうけど」

組織を一人で殲滅するというのもそうだが、組織というのは暗殺というのが一番注意しなければならない攻撃方法なのだ。

メンテ
Re: 黒衣(仮投稿) ( No.593 )
日時: 2011/01/28 19:09
名前: テン


縦権力の構造の組織は、トップが殺されても、そう簡単には……形態にもより、ワンマンであれば、壊滅しかねないが……瓦解しない。が、トップが殺されれば、必ず問題は出てくる。
後継者争いか、下に抗争が勃発するか、犯人探しが始まるか。
そして、暗殺された、とわかれば、さらに自体は転がる。トップになれば今度は自分が暗殺されるかもしれないとわかれば、そう簡単に後継者になりたいとは思わないだろう。
不破の人間ならば、その混乱の際に、さらに殲滅に乗り出す。
それらは不破の人間が一人生き残っていれば可能なのだ。
数十年後ではなく、今の脅威として映る。
つまり龍にとっては、御神宗家の直系よりも、不破の直系である恭也やなのはの方が脅威であり……この際やはりなのはは御神流を習っていないなどの事実は関係ない……、その生存が認められたなら、まともな組織ならば、確実に恭也たちを殺しにくるか、美沙斗相手のように、傀儡とするような策を使うだろう。
でなければ、龍の御神家壊滅の爆破テロは、その生存者に復讐心を抱かせて、余計な危機を作っただけで終わってしまう。
桃子だけは狙われる理由はないように見えるが、彼女は人質にするということもできるのだ。
つまり高町家の全員が、狙われる理由が存在している。

「子供でもわかる理屈だ。ならば、小太刀がないから戦えないでは、今までの御神の剣士たちよりも話にならない。いつ俺たちの生存がばれて、殺しに来るかわからない。というよりも、父さんが亡くなったときは、実際危なかったらしい」
「ならいつでも小太刀を持ち歩いてろよ」
「俺の立場を考えた上でそう言っているのなら……はっきりと言ってやろう。正気か?」
「……すまん」

馬鹿なこと言った、と夏織は本気で頭を下げた。
御神家が存在しているなら、恭也一人が狙われるだけなら、何も迷わずそうするだろう。
が、恭也には守らなければれならない人間が他に三人おり、さらにそれは一人、二人、三人と増えていった。
確かに小太刀という真剣を所持するための許可は取っている。が、それでもそれを持ち歩けば、その瞬間本来なら銃刀法違反である。
いくら普通よりも短い刀であっても、鍔を外したところで、それを日常生活中に背中に隠して、三百六十五日毎日持ち続けることなど、それこそ笑い話にもならない。
冬ならば厚着することで、今現在ののように可能ではある。
しかし、夏に長袖のシャツとておかしなものだろうが、さすがにそこへ小太刀を隠すためにジャケットやコートまで着るのは、それこそ頭がおかしいと、余計な視線を集めるだろう。
そこを警察に補導や職質でもされれば、その瞬間逮捕は決定である。
鍛錬時などは、他者の気配を感じ取とれば隠れるようにしているが、日常で常にそんなことをしているわけにはいかない。
今でこそ口利きは可能だが、以前は警察に捕まれば、小太刀没収の上、未成年がそんなものを持っていたと、ニュース沙汰だ。それで龍に生存がばれた、などということになったら、それこそ洒落にならず、馬鹿な話である。
では、見つかったなら、警官を気絶でもさせるか?
それも正気を疑う。
銃刀法違反にしろ、顔を見られたからと危害を加えて公務執行妨害にしろ、下手をすれば高町家が社会的に終わりだ。
この世はマンガではない。身体と体裁が守れればハッピーエンド等という終わりはないのだ。敵に勝てば終わりというわけでもなければ、暴れれば物事が解決するわけではない。
身体と命だけを守れればいいなどと、大切に者相手に思うのは、夢見がちで現実を見ていないか、現実を知らない馬鹿だけだ。
一度社会的立場と信用を失えば、それを取り戻すことがどれだけ大変か、想像できない者などそれほど多くはない。
そして、子供のそれらは子供自身ではなく、親へと向く。
それだけで、桃子は職を失いかねないのだ。桃子は喫茶店の経営者である以上、ただでさえ周りの視線には気を付けなくてはならない。
恭也が下手なことをすれば、その時点で高町家は壊滅である。
それらがわかる程度には、夏織もまともな精神を失っているわけではないらしい。
桃子しか働けないというのに、金銭を得られなければ、生きていけない。生活を失えば、結局路頭に迷い、最悪死ぬ。それも幼いなのはが一番危なかっただろう。
つまり、真っ当な家族を持ち、それを守ると決めている恭也が、常に武器を持ち歩くなど、それこそ正気の沙汰ではない。

メンテ
Re: 黒衣(仮投稿) ( No.594 )
日時: 2011/01/28 19:11
名前: テン


戦うこと=守るでもなければ、武器を持つ、技を体得していること=全てを守れる、でもない。
むしろ戦い、争い【殺し合い】を避けるのが最も正しい。武器を持ち歩いている時点で、その正邪に関わらず、敵を呼び込む。
だが、恭也の状況ではそれだけでは守れないから戦う力が必要で、また武器を持たずに戦える力も必要だった。
ならば素手で戦えるようになるだけだ。
御神流には当然として徒手空拳での拳技はもちろん蹴り技、関節技があり、不破はさらに殺すことに直結したそれらがあった。
ならばそれらも鍛え上げればいいことである。
できるできないは関係なく、やらなければならなかっただけだ。
武器を持っていない実戦を想定し、試合でさえ、格闘家と偽り、徒手空拳で挑んだことが何度もある。

「嫌でも格闘戦もできるようにもなる。剣術家は正々堂々であり、また格闘戦が苦手という認識の者も多いしな。油断してくれる」
「ああ、そういう馬鹿はいるな。剣道や現代剣術ならともかく、普通はありえないんだがね。古くからあるのは、さらに体術に磨きをかけてるところもあるから、それこそスポーツ格闘なんて話にならないんだがね」

さらに付け加えれば、武器が皆無ということはまずない。鉄製のボールペンを持ち、服のボタンを細工したり、財布の中に鉄板を仕込み、必要外の鍵を持ち歩く。
それらは持ち歩いて決しておかしてものではなく、しかしどれも戦闘で役立つものだ。その程度の細工は戦闘者として当然のことである。美由希にすら徹底されていることだ。
ボールペンは飛針のかわりにするか、手に隠して握る暗器として首に突き刺す。ボタンも重みのあるもので、飛礫の変わりにできた。財布に仕込む鉄板は、財布ごと拳に巻き付け、それた殴ればいい。鍵は指の間に全てに挟むことで、相手を切り裂くことを容易とする。
どれも撃退することも、殺すことも十分に可能な武器で、持っていておおかしいものでもない。
つまり素手のことなどない。
それだけで、剣術家も拳法家、それこそ拳銃を装備した者も容易に殺すことができる自信はあった。
実際恭也は、これで達人クラスを倒したこともある。

「それに、そもそも御神の術理は複数ある」
「へえ、『小太刀二刀術』じゃないのか?」

一つの流派が術を複数持つことは、それほど珍しくない所か、古くからあるものは当然のことである。
天真正伝香取神道流の武芸十八般。その流派名を知らずとも、武芸十八般……それとも武芸百般か……という言葉は多くの者が知るところだろう。
本来昔から存在する流派というのは、剣術などという括りではなく、兵法なのだ。兵法であるのに、剣術しか教えないことなど……中には築城術から、風水まである……あろうはずもない。流派の兵法、その一つにある剣術、という括りなのだ。
近代でも性別、年齢に関わらず、一流派に存在する複数の術を、全て修めたという猛者は少なくない。
つまり一つの流派が、複数の術を持つのは、むしろ普通のことであり、複数の術を修めることもやはり普通の……無論、様々な理由で一つの術しか教えない、教えられないということも多いが……ことだ。
恐らく永全不動八門というのもこれに近く、元は八つの術を持つ流派が分派したか、八つの派閥が存在し、それぞれの理念を持って分かれたのだろう。
こういったこともまたさほど珍しくなく、それそこ過去を辿れば、家系図のように流派が分かれていくのがわかる。
しかし、その分かれた流派が新しい術を生み出す……もしくは、元にあったものを基本に、新たな術を生み出すことも、珍しくない。
御神も当然そうだ。
ある意味全ての基本である棒術に、剣術……二刀術や小太刀も入る……、暗器術、槍術、無手術、他様々だ。その全てを恭也もある程度……御神流は武器を選ばないというのはこれもある……修めている。
これらの流れは、主武器が小太刀であるからもあるだろう。
日本刀の中どころか、武器全体を見ても、小太刀は武器としての間合いがかなり小さい。
つまり他の武器よりも、打倒いる場合には敵の間近まで接近しなればならないのだ。それを可能にするのが体術であり、また接近するが故に、場合によっては、腕の力だけで小太刀を振らなければならない……日本刀は腕の力だけで振っても、滑る可能性がある上、刃を引くことができないこともある……場合もある。それならばいっそ格闘術に移行した方がいい。
そして、何より相手の間合いを把握するために、また自分自身で、他の武器の間合いを知るために練り、技を覚える。
むしろ術(じゅつ)や術(わざ)として完結したものではなく、術(すべ)として、小太刀で戦うための手段に近い。
何より御神流は、他の俗に言う兵法者や、武芸者とは毛色が違う。
彼らは己の技や強さによる誇りや名声のために武術を修める。他よりも己。己のための実。つまり『芸』なのである。
しかし、御神流は己ではなく、他の実を求めた。
己の技や強さでの誇りでも名声でもなく、技や強さを使っての結果を欲したのだ。
武芸者たちにとって、己の技や強さは結果。しかし、御神にとっては手段であった。
手段である以上、多種多様な結果を求めるために、その技に多様性を持たせる必要があったのだ。
つまり小太刀は、その多様性のためのやはり一手段に過ぎない。多くある術の中で、最も多くの結果に結びつけることができるために、それを主としただけだ。
これらの結果、他の術が生み出されたのは、当然の流れである。

「それにあなたもダウニーも人のことは言えないだろう。俺をただの剣士としたのはあなたたちも同じだ」
「違いない」

夏織は僅かに苦笑を浮かべた。
もし恭也がダウニー相手にやったこととと同じことされれば、夏織も抵抗もできずにやられただろう。
単純な格闘戦では恭也に勝てず、懐に入られればそれで終わりだ。
そもそも恭也が格闘戦に打って出たのは、小太刀ではない技法を前面に出したのは、夏織に小太刀の技を知られているからでもあるし、また学園内で諜報を行っていたダウニーもまた、恭也の技を幾つか知る機会があっただろう。だから二人が予測がつかない小太刀以外の技を使ったのだ。

「…………」

リコはそんな二人の会話を、目を瞬かせて見ていた。
親子とは思えない会話だ、と少し驚いているのだ。
そして、恭也の顔を覗き見るが、顔を俯かせているせいで、前髪に表情が隠れてしまっている。疲労のせいなのか、夏織の顔を見たくないのか。
夏織との会話を端で聞いていただけで、恭也が壮絶な人生を送っていたのだろうということが、リコにもわかってしまう。
ならば、その発端は誰なのか。
少なくとも、その一人は目の前にいる。

恭也は一つ息を吐き、片手で夏織が捨てた太刀をまとめて拾い上げ、彼女に投げ返した。

「いけ」
「あん? 捕虜にしないのか? 別に斬っても構わないよ」
「斬るほどの体力は回復していない。というか、もう動けない。捕虜にしても邪魔なだけだ。俺はしばらく動けない。そんな状態で五体満足なあなたを連れて帰っても、親子であるからこそ、余計な疑いをかけられる」
「あー、確かに」

恭也と夏織が親子であることを知る者は少ないが、そんな情報どこで漏れるかわからない。尋問途中でばれる可能性とてあるだろう。
そうなれば、恭也も余計な疑惑を招く。
これで逆に恭也が五体満足で、彼女を引っ立てたならともかく、下手をすれば夏織に担がれていかれなければならないかもしれない。疑惑は増すだけだ。

「心配せんでも……まだ邪魔をするというのなら……次はない」
「ふん、言ったな、馬鹿息子」

楽しそうに笑いながら、夏織は鼻を鳴らす。

「ならそのとを楽しみにしてるよ」

夏織は太刀を腰に吊し、立ち上がると、恭也たちに背を向けた。
そして、歩き出す。
恭也は、その姿をもう見ていなかった。
しかし夏織は、この広間の出口で足止める。

「悪かった」

その謝罪は何へのものだったのだろうか。
恭也を捨てたことだったのか、その先にあった恭也の不遇とも言える人生で、何の助けにもなれなかったことか。
だが、恭也はその言葉に何も応えなかった。
そんなことはわかっていたとでも言うように、夏織はそれ以上何も言わず、この場から消えていった。

メンテ
Re: 黒衣(仮投稿) ( No.595 )
日時: 2011/01/28 19:12
名前: テン


残ったのは、恭也とリコの二人だけ。
すると恭也は深く息を吐く。

「マスター? 大丈夫ですか?」
「……さすがにきつい。完全に貫通した上に、内蔵もかなり傷付いたからな」
「かなり塞いだはずですが」
「急速に治したせいだと思うが、違和感が消えない」
「疲労が取れていないのも理由でしょう」
「ああ。血も足りない」

何より、その状態で動いたのがまずかったのだろう。
血を流しすぎたために、少しばかり寒気もする。
リコの召喚術ですぐさま帰ることも可能だが、このまま戻るのは得策ではない。
戦闘中のために、ゴタゴタしている中に戻っても、恭也の疲労は取れないだろう。
ついこないだも、大量に血を流したというのに、またこれだ。この世界に来て、何度死にかけたか。

「マスター」
「ん?」
「申し訳ありません。その、マスターが赤の主だということが、イムニティに……」
「……そうか」

恭也はリコの言葉に一瞬息を詰まらせた。

「そうか」

もう一度呟くと、恭也はやはり深く息を吐く。

「マスター」
「少々まずいことになった」
「すみません」
「いや……」

リコだけが悪いのではない。
もし恭也がダウニーを殺せていたなら、そこまでまずい状態にはならなかったはずだ。

「リコ、もしもの場合は……」

だからこそ、恭也は一つだけリコに頼み事をした。
切り札足り得ないが、それでも彼女たちならば、最悪へと至っても、何かしらの手を考えてくれるかもしれない。

「え? いえ、それならばマスター自身が説明と協力を」
「いや、恐らく無理だ」
「どういうことでしょうか?」
「白の主も破滅側だというのなら……そしてすでに白の主が存在力を有していたなら……いや、そうでなくても、俺が赤の主とばれた以上は、やつらの次の手は決まっている」
「それ……は?」
「…………」

恭也は答えない。
だが、もういくつかの先は見えた。
リコが、恭也の頼み事をなせても、そこに恭也はもういないだろう。
そして、あとは恭也がどれだけ時間を稼げるか。

「ダウニーを殺せなかったのは……やはりこちらの痛手だな……」

重要なことは三つ。
恭也が赤の主であること。
白の主が破滅にいること。
そして、破滅にどれだけの戦力が残るか。
つまりレベリオンで、どれだけの戦力が削れるか。

「破滅に百も敵が残れば……俺たちの……俺の負けだ」

破滅の次の手は……
恭也が破滅であり、救世主の誕生こそが目的の誕生とするなら……ある手を使う。
そう、やはり……

「ダウニーを殺すべきだった」

恭也の唯一の後悔はそこだ。

「…………」
「マスター?」
「まだ……俺にも……」

――甘さが残っていた。

恭也は特段人を殺したいわけではない。が、必要ならば殺す人間だ。
必要性のために人間を殺すなどおかしいという者もいるからもしれないが、それは恭也にとっては、理不尽な力なよって誰も失ったことのない者が言う戯れ言でしかない。自分の甘さで、周りの誰かを失ったことがない者に、殺人鬼と呼ばれても気にしはしない。
だがまだ甘かった。
後のことなど気にせず、学園にいる間にダウニーを殺すという手段とてあった。
今回、夏織の出方など見ずに、夏織の攻撃をこの身に受ける覚悟で、ダウニーを殺すということもできた。
無理も無謀も関係なく、今回でダウニーを殺し、夏織を殺し、イムニティを捕縛できていたなら。せめてダウニーだけでも殺せていれば。
それだけである程度の時間は稼げたでろう。
それができなかったのは、恭也の甘さだ。
そして、もう間に合わないだろう。
クレアも止めることはできまい。
必ずクレアの政敵は、止めようとするクレアの敵に回る。

「奴らの次の手は……」

わかりきったこと。
それは……

「…………」

恭也はやはり口には出さない。

このときの恭也の予想は当たっていた。
白の主は、すでに裏技というべき手段で存在力を有し、策のためではなく、恭也へと憎悪を抱いたダウニーは、恭也の想像通りに手を打ってくることになる。
それを止めるための手段はもうない。





メンテ
Re: 黒衣(仮投稿) ( No.596 )
日時: 2012/01/02 05:45
名前: テン






負ける。
何をどうしようと負ける。

「ちくしょうっ!」

大河は息切れを繰り返しながらも、そう毒づいた。
彼の目の前には、奇妙な眼帯で両眼を覆う女。
ロベリア。
破滅の将であり、破滅の副幹であるという女。
大河の目の前で、悠然と、泰然と、自然体で剣を構える姿は、やはり恭也を見ているような気分にさせる。

「くそっ!」

もう一度毒づく。
そうでもしなければ、気力が萎えてしまう。
未亜と二人がかりと戦ったときは、強いとは思っても勝てないとは思わなかった。勝てないということはなかった。事実対抗できたし、二人掛かりであったなら、勝てる確立の方が高かっただろう。
だが、今はその確立が限りなく零だ。
相手が強くなった?
否。
自分が弱くなった?
否。
未亜がいないから?
否だ。

「ベリオ、カエデ!」

それは大河が組む人間の問題。

「ごめんなさい。ごめんなさい! ごめんなさい!! 許して許して許して許して許して許して許して許して!」

大河はロベリアから目を離せない。話した瞬間負ける。だが、目を向けなくとも聞こえてくるその許しを乞う声。

「ベリオ! 頼む、頼むから戦ってくれ!」
「いやだ! 無理だよ! 何言ってるのさ、この人は……!」

大河の懇願にベリオは、子供のように頭を振ったのが、見えなくともわかる。
いや、この声はベリオではない。ベリオであって、ベリオではない存在のその声。

「『パピヨン』!」
「無理だって!!」

大河の願いを、懇願を、希望をベリオは……ブラックパピヨンはただ拒絶した。

「カエデ!」
「ムトオオォォォおおおおぉぉおおぉぉぉぉオオオォォォォォォォ!!」

カエデを呼んでも、応えはなく、ただただ憎悪の声が響くのみ。
見えなくともわかる。ベリオと違い、敵と戦うカエデではあるが、憎悪という力みは、彼女の持ち味を完全に殺している。
すでに彼女の目には、敵しか映っていない。

「ちくしょうっ!」

だから大河は毒づく。
勝ち目はないと。
パーティの全員が、もう壊れてしまっている。
なんでこんなことになったのか。
答えは単純。
これまでのことを思い返す意味すらない。
仮面の男はベリオの兄で、巨漢の男はカエデの仇だった。
ベリオは兄に怯え、カエデは仇を憎悪する。
ただそれだけのこと。
二人の因縁の相手が目の前に現れ、二人は正気ではいられなくなった。それだけのことなのだ。



第六十三章



負けが大河の目の前にちらつく。

「落ち着け」

誰にも、目の前にいるロベリアにも、仲間の二人にも、残りの敵二人にも聞こえない声で、大河は自分にそう言った。
勝ち目はあるか?
ない。
破滅の将は確かに強い。
それでも一対一ならば、勝ち目は確かにあった。
が、それはもうない。
自分が、ベリオが、カエデが足を引っ張り合う。
しかもそれを理解しているのは大河だけという状況。
ベリオはシェザルを恐れ、大河は恐れるなと言う。カエデは感情に任せ、大河は感情を鎮めろと言う。
ベリオは恐れることから逃れられず、大河の言うことを聞けない。カエデはそもそも大河の言葉が耳に入っていなかった。
それが足を引っ張り合う。
自分の言葉が足を引っ張るということを理解しながらも、大河は言うしかないのだ。
破滅の将に絶対に勝ると言えるものはチームワークのはずだった。だからこそ恭也は、この三人に任せたのだ。
だが、それが発揮できない。
こんなチームに割り振った恭也が悪いわけではない。だって恭也は知らなかったのだから。ベリオとカエデは話さなかったのだから。
勝てない。
勝てないならばどうする?
恭也ならばどうする?

(あいつなら、最低でも召喚陣を破壊して、ベリオとカエデを無理矢理にでも連れて逃げるだろうな)

今回の任務は、別に破滅の将を倒すことではない。ならば目標である召喚陣の破壊を優先するべきだ。最も恭也ならば、目標の『ついでに』、相手の戦力を殺ぐぐらいのことはしそうだが。
しかしそれでも、恭也が目標を見誤ることはないだろう。
そう言う意味では、もはやベリオとカエデは、目標自体を忘れてしまっていた。
何にしても、大河は恭也に倣うしかない。

(この女を抜いて、召喚陣を破壊。それからベリオとカエデを抱えて逃げる)

そこまで考えて、大河は内心で溜息を吐いた。

(できるのか、んなこと?)

恭也ならばできる。だが自分は?
大河ができることは、全て恭也はできそうだが、その逆は無理のような気がしてならい。過大評価だとは思うが、恭也はそう思わせるだけのことを今まで何度もしてきている。

(情けねぇ)

やるしかないのだ。
少なくとも、恭也ならばやる前から諦めたりはしない。

「悩むのも俺らしくないな!」

大河は、自分を鼓舞するように言い、トレイターを剣の形態のまま構えた。

「やる気になったかい?」

ロベリアが、唇を歪め、聞いてくる。
だが大河は応えず、突進。
肘を曲げ、背中の後ろへ。それは刺突の体勢だ。
構えからそれに気付いたロベリアは、剣を斜めに構え、受けの姿勢を、構えを取る。
ロベリアの構えを大河はさらに加速……するようにみせ、跳び上がった。

「なっ!?」
「悪ぃな! 俺の目的はあんたらじゃないんだよ!」

元の世界でならば、走り高跳びの競技で間違いなく世界記録を数倍に書き換える跳躍を見せながらも、驚くロベリアに大河はニヤリと笑って言う。
トレイターはいつのまにかランスの形態をとっていた。

「おぉおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉ!」

大河は雄叫びを上げ、空中からランスを召喚陣の一角に向け、力の限りに投げつける。

「ちっ!」

ロベリアの舌打ちが聞こえた。彼女は、恐らく大河が敵を目の前にして、それを排除しようとするのでなく、目標を優先するとは思っていなかったのだ。事実、彼の仲間は、その目標を忘れてしまっているのだから。
突撃と突きの構えを見た時点で、受けることを意識し、自分たちが守るべきものを忘れていた。それはやはりベリオたちと変わらない。
つまりは、大河だけが目標を忘れていなかった。いや、目標を思いだしたのだ。
ロベリアが何をする暇もなく、ランス形態のトレイターは地に突き刺さり、地面に光るようにして存在していた陣の一部を砕く。
それだけでは足りないと、大河が意思を込めると、トレイターは丸い爆弾に変化。手に握らずとも変化させるそれは、恭也の戦闘訓練で編み出したもの。
まさかこのようにして役立つとは思わなかったと、大河が考えた瞬間、爆弾は爆発した。
ランスの破壊力もたいしたものだったが、爆弾はそれ以上。容易く召喚陣の四分の一を吹き飛ばす。
四分の一を吹き飛ばされた輝く幾何学模様は、ゆっくりとその光を失っていった。
この時点で無限召喚陣が効力を失ったのは、魔法の知識が薄い大河でも理解できる。

「目標達成、だな」

大河は着地し、呟くと、トレイターを手の中に呼びなおす。

「やってくれたね」

ロベリアは破壊された召喚陣を見て、鼻を鳴らした。

「ん……?」

ふと、大河はおかしいとと感じた。
そのロベリアの表情が不可解だ。
ロベリアの顔には、悔しさこそを浮かんでいるが、それだけなのだ。その悔しさも、召喚陣を破壊されたことよりも、大河に出し抜かれたことに向いているような気がする。
失敗した、という表情が欠片もない。
が、それはすぐに思考から追い出した。今は、そんな疑問などどうでもいいこと。何より重要なのはこれからどうするかだ。
最優先目標は達した。ならばあとは、逃げるだけ。だが、その逃げる方法は?

(ベリオとカエデを担いでいくしかないか?)

いや、無理だろう。
二人を担ぐのは無理ではない。召喚器を背中の中にでも入れていれば、二人を担ぐぐらいなんともない。
だが、敵三人に背を向けるというのがまずい。二人を担ぐということは、両手が塞がるということだ。その状態で、三人の攻撃を防げるとは思えないし、ベリオはわからないが、カエデは反発する。

(詰まれてないか……?)

詰んだ。
そうと考えられる状態だ。
勝つことは無理。逃げるのも無理。
ベリオと……カエデを……見捨てるしか……ない。
それしか、大河に生きる道はない。

(却下)

すぐさま頃の中でその道を消した。
二人を犠牲にして生き残る。そんなのは認めない。
二人を死なせたくないからとかいう綺麗事ではない。ただ大河自身の我が儘で、願いだからだ。
しかし、ならばどうすると考えるが、一つしかなかった。

(この女を……殺す)

目の前の女を殺し、危険を低くし、逃げる。
勝つのではなく殺す。
そうであるならば、可能性は出てくるはずだ。三人が生き残る可能性が。

(殺す、か)

ああ、考えられなかった思考だ。
元の世界で喧嘩など腐るほどしたことがあった大河はであったが、それはあくまで喧嘩で、恭也から見れば、それこそ子供がじゃれ合っている程度のものだっただろう。
鼻血を流し、流させることはあっても、腕が折れ、折ったとしても、子供の喧嘩にすぎない。
そんなことで強い弱いを計る程度の子供。幼い頃から命をかけてきた恭也からすれば、本当に子供のじゃれ合い。
殺してやるなどとほざいても、本当は殺す気など虚勢。
でも、

(やるしかないよな)

殺すしかない。
大河は自身に言い聞かせ、恭也に教わったことを脳裏に再生し始めた。



◇◇◇



いつも通りの戦闘訓練。
学園の森の中で繰り返す、大河にとってはもはや日常ともいえる恭也の訓練だ。
たまにそんな訓練中に、未亜に対して悪いかな、という感情が浮かぶとはがある。どう考えても、恭也と会っている時間は、大河が一番長いからだ。
それも詮無いこと。大河は強くなりたいと思っているし、そのためには恭也の強力が不可欠なのだから。

「なあ、恭也」

実質的な戦闘訓練も終わり、座学の時間。
人間の急所や、戦術的なことを教わる時間だが、それよりもこのとき大河は、恭也に聞きたいことがあった。

「何だ?」

いつもなら私語は許さんと、飛針あたりが飛んでくるところだが、恭也は大河が何かを真剣に聞こうとしていることに気付いたようで、先を促す。

「お前、人を殺したことってあるのか?」
「…………」
「ああ、いや、だから駄目だとか、そういうことじゃ、なくてさ」

それは大河にとって、このところ思うことになった疑問の一端。
元の世界で護衛の仕事をしていたという恭也。会話の節々に多くの戦闘で得た知識が見える。
だからこその疑問。
恭也は、とくに気負いもなく、ただ静かにに頷いた。

「ある。二十歳のときに初めて人を殺した。その後は何人、何十人と殺している」
「……そっか」

恐い、とは少しだけ思った。だって恭也は人を殺せる。自分も殺せるのだから、恐いと思って当然だ。だが、それは=関わりたくない、というわけではない。
ただ、

「よく漫画とか、小説とかであるだろう? 武器を持つなら、誰かを殺そうとするならさ、殺す覚悟を持てとか、殺される覚悟とかを持てって。だから俺も必要なのかね?」

破滅の後ろに人間の姿が見える。
そんな気がするのだ。
召喚陣の爆破から始まり、様々なところで、こちらの動きを封じたり、上をいくような動きを見せる破滅の後ろに。

「……ふむ」

恭也は、否定も肯定もしない。ただ彼は腰にある小太刀の鞘を撫でた。

「少なくとも俺は、人を殺すことに、覚悟を必要としている。それはそういう一族だったからこそでもあるがな。が、だからこそ、お前までその覚悟を持てとは言わない」
「え?」
「大河しだいだ」
「俺?」

恭也はああと頷いた。

「はっきり言ってしまえば、人を殺すことに覚悟などいらない。覚悟などなくとも、人は人を殺せるのだから」
「……それは」

そうでなければ、どうしてこの世に殺人という言葉があるというのだ。
そうでなければ、どうして人を殺すことがビジネスになるというのだ。
恭也はやはり淡々とそう言った。

「殺される覚悟もいらない。そんなものを持ても者は、常に死を感じていたような者だけだ」

それは例えば恭也のように。
死の淵を覗いた者ではなく、常に死を感じ、それを受け流してきた者だけがもてる覚悟だ。誰でももてるものではなく、また人を殺した人間で、これを持っている者などほぼないだろう。

「覚悟など意味もなく、人は人を殺し、人は人に殺される」

それだけ言って、恭也は皮肉げに笑った。

「人間などそんなものだ」

個人に特定することなく、人間の種という全体で見た場合、それだけ。

「殺すことも、殺されることも所詮その程度のことで、何十億といるうちの一人が、ただ無意味に殺し、何十億といる一人が、無意味に死ぬというだけの話。所詮はその程度のことに、覚悟など必要ない」 

他者の死も、己の死も、所詮は塵芥と、恭也は切り捨てる。
どこまでも穿った物言い。
だが、だからこそ、それは確かに真理の一つなのだ。
死など、その程度ものでしかない。

「動物は感情で同族を殺さない。生きるために殺す。だが、人間は感情で同族を殺す。突発的だろうが、計画的だろうが、人はいつでも人を感情で殺せるんだ」
「…………」
「しかも人間だけだ、あそこまで同族を猟奇的に殺せるのは。銃で殺された人間を見たことがあるか?」
「ない……」
「漫画やドラマ、映画であるように、銃で撃たれて、血を流すだけで死ぬなんてことはまずない。なかなかに気持ち悪いものだ。慣れた俺でもな」

とくに弾が貫通などしていたら、猟奇的どころの話ではなくなる。
よく漫画などで、弾は貫通していたからよかった、などというが、そんなことはそうそうない。むしろ弾が身体の中にあったほうがましと言えることが多々ある。
口径にもよるが、貫通すると、弾が飛び出してきたところに風穴が空く。つまり胸に弾を受けたなら、侵入してきた胸よりも、貫通して、弾が飛び出る背中にこそ大穴が空くのだ。これは回転しながら前方に飛ぶ弾の性質であるからだが。
さらにその穴から、銃弾が吹き飛ばした内臓と骨が飛び出してくる。頭だったなら、脳漿が弾け飛ぶ。
思い出すように、恭也は言うが、聞いている大河は、それだけで胃のものが逆流してくるようだった。

「そして今では、感情がなくとも人を殺せる時代になった。引き金を引くだけで、指を一本動かすだけで、ボタンを押すだけで人を殺せる武器ができたからだ。故に、人は獣以下の殺しができるようになった」

そんな世で、殺す覚悟と殺される覚悟など必要はない。
人は感情で人を殺し、人は理性で人を殺し、人は意味もなく人を殺し、人は人に感情で殺され、人は人に理性で殺され、人は人に意味もなく殺される。

「だからこそ、覚悟など意味はない。はっきり言ってしまえば、どちらでもいい。殺す覚悟がなければ殺せないというのならば、覚悟すればいい。殺される覚悟がなければ殺せないならば、覚悟すればいい。
そして、殺すためにそんな覚悟がいらないのならば、やはりそれでいいし、何より人を殺す気などないというのなら、そもそもそんなことを悩む必要はない」
「俺は……」

何かを言いかける大河に、まあ聞け、と恭也は手を突き出す。

「俺の一族は……いや、俺の家系は、そもそも殺す者たちだった。だからこそ覚悟が必要だったと言える。そして剣を握るならば必要だからと、俺は覚悟した。それがなければ殺せないからではなく、そう覚悟しなければ、殺して得た結果に何の価値がないからだ。そう覚悟しなければ、俺が殺したという結果が、殺されたという結果が、俺以外に飛び火するかもしれないからだ。だから、人を殺す覚悟というが、俺の覚悟は厳密に言えば、これもまた『人を殺すための』覚悟ではないのだろう」

まあ、俺の場合は、少々いきすぎたところがあったが、とどこか昔を思い出すようにして苦笑を浮かべた。

「それに殺す覚悟や殺される覚悟など所詮は綺麗事なんだ。あろうがなかろうが、それで人を殺していい道理などどこにもない。殺す覚悟と殺される覚悟を持つことが、殺すことの免罪符になると、殺すことの許可証になると、馬鹿で阿呆で愚かな勘違いをしているただの殺人鬼もたまにいるが、そんなものはただの綺麗事で、免罪符にも、許可証にもなりはしない。倫理で言えば、人を殺した時点で、覚悟があろうがなかろうがそれはもうただの殺人者だ。
殺した人間とその縁者に、自分には覚悟あったから許してくれ、など言うのは、阿呆の極みだろう?」
「確かに」
「所詮、『覚悟というのは己のためだけにある』。己の覚悟を他者に押しつけることなど、愚者のすることで、覚悟の意味を知らない者の遠吠えにすぎん」

なるほどともう一度大河は頷く。
確かに覚悟は己のためだけにある。その覚悟を他者に押しつける意味は欠片もない。覚悟とは本来、他者には理解できないものなのだ。

「だから俺は、殺す覚悟を、殺される覚悟を全員が全員持つべきだなどと言う気はない。言わせもしない。大河、お前に押しつける気もまたない」

だから、

――もし、人を殺さなければならないときは、俺がやればいい。

殺せる人間がやればいい問題だ、と恭也はそう言った。

「だが、この先どうなるかはわからない。お互い別任務を受ける可能性だってある。そのときの敵が人間である可能性とて皆無ではない」
「ああ」
「お前がそのときはどうするのか、どうすればいいのか、それは俺にもやはりわからない」

今、その可能性を論ずる自体意味がない。
その可能性は皆無ではないが、絶対でも以上、どうしたって今からどうするなど考えても意味はないだろう。

「まあ、これは俺の甘さでもあるか」

恭也はまたも苦笑を浮かべ、なぜか嘆息した。

「お前が甘い?」
「お前に……いや、お前たちに人殺しを許容させていないからな」
「それって甘さか?」

甘さだ、と恭也は即答してみせた。
倫理的に言えば、人を殺せと言う方がおかしいではないか、と大河は首を傾げる。もっともハーレム願望のある彼が、倫理がどうのを言う方がおかしいかもしれないが。

「これは覚悟云々の問題ではないのだが、人を殺せる武器を持ち、戦う以上は、殺すことは許容するべきだ」
「覚悟ではなく、許容?」
「ああ。スポーツではなく、戦う術として武器を持つ以上は、殺さないというのは甘さだ。選択肢を一つ潰し、自らの死に繋げかねない。覚悟云々ではなく、生き残る術としての合理性だ。
そして、戦う術として、殺す武器を持つということは、殺すことが『当然』と思うのが当然のこと。敵は殺す。それが全て。まあ、これも古流の考えと、戦場の考えではあるがな」

古流の使い手というのは、技を見られるのを嫌う。知られるということは、対応策を練れるということだからだ。戦ったなら、絶対に敵は技を見たということだ。だからこそ必ず敵は殺す。
これは覚悟ではなく、当然のこと。
戦場でもまた同じ。敵を殺さねば、禍根を残す。戦場では、殺すことよりも、殺さないことの方が絶対的に後に禍根を残してしまう。故に殺す。
それらに覚悟など関係ないと恭也は言う。
武器を持った以上は、それが当然。戦うために人間を殺せる武器を持った時点で、その人間はすでに倫理を捨てているのだ。その時点で、人を殺すということを己に、他者に示している。
だというのに殺さないというのは、甘さでしかない。
無論、武器を持った以上、逆に殺されることも当然と考えなければならない。
どちらも覚悟云々以前の話だ。

「それって、俺たちが甘いってことじゃね?」
「俺が教えるべきことなのだろうさ、本来はな。少なくともお前の想像通りに、人間と戦うというのは、可能性としてはあるのだから」

だが、これまで誰一人にも、恭也は教えなかった。今このときになって、大河に話してはいるが、許容しろとは言っていない。

「言わないからこそ、俺は甘いんだ。俺はお前たちに人を殺してほしくはない、そう思ってしまっている」

だからこそ、恭也は自分が殺すと言っているのだと、大河にもわかった。

「もしお前たちが本当に誰かを殺さなければいけなくなったなら、そのときに迷い、致命的な隙を作りかねないとわかりながら、俺はお前たちに言い含めない。絶対に殺せとは言わない。迷うなとも言えない」

これが甘さと言わなくてなんだと言うと、恭也は肩を竦める。
それを教えるべきは、すでに人を殺したことがある恭也だ。少なくとも救世主候補たちにそれを教えられて、また救世主候補たちが受け入れるにも、恭也からでなくてはならない。
だからこそ恭也の甘さなのだ。大河たちに自然と気付けなど酷な話で、恭也が言わなければいけない。
恭也は首を振った。

「これは俺の甘さで、お前に言う意味はなかったな、すまない」
「いや、むしろ俺たちのことだろ」
「忘れろ」

そんな恭也の強い言葉に、大河は不承不承ながら頷いた。

「先ほど殺す覚悟と殺される覚悟を全員が全員持つべきだなどと言う気はないと、言わせもしないと、お前に押しつける気もまたないと、言ったな?」
「ああ」
「逆に言えば、お前たちが人間を殺そうと、俺は何も言わない。そのとき、慰めてほしいというのなら、慰めてやろう。恐いというのなら、傍にいてやろう。話をしてほしいというのなら、話をしてやろう。でもな、責める気はない。正しくなかったとしても、突き放したりはしない」

――だから安心しろというわけではないけれど、俺はお前たちの傍から離れたりはしないから。恐がったりしないから。嫌ったりしないから。

ああ、どうしてこいつは、こうまで優しいのだろう。どうしてこうまでほしい言葉をくれるのだろう。
この世界だけではなく、平和な元の世界ですら戦い続け、様々な戦場で剣林弾雨を潜り抜けてきたであろうこの男は、そうでありながら、優しい男だった。
恭也の過去など、大河は知らない。
何となく、複雑な家庭環境であり、その生い立ちも複雑であることはわかっているが、それを直接問うたことはなかったし、今でも興味はなかった。
でも、そう、今彼に向ける感情は、理解できるのだ。

「ありがとう、『兄貴』」

軽く、恭也が目を開いたのがわかる。
しかし恭也は、すぐにその目を閉じ、うっすらと苦笑を浮かべた。

「まだ起きてもいないことに礼など不要だよ」
「そっか」
「ああ。だがまあ、『弟』からの感謝だ、受け取っておこう」
「ああ、そうしてくれ」

大河は気恥ずかしくて思わず頭を掻く。
それでも嬉しかった。感謝を受け取ってくれてよかった。
恭也が人を殺したと聞いたとき、大河はほんの少しだけ、彼を恐れた。しかし、恭也はそれに気付きながら、大河が人を殺したとしても傍にいると、恐がらないと、嫌ったりしないと言ってくれたのだ。それが嬉しくて。
確かに恭也の生い立ちを大河は知らない。だが、それでも大河にとって恭也は兄のような存在だった。

「なあ、大河。お前は平和な世界で過ごしてきたからこそ、殺すことが恐いだろう?」
「ああ。恐い。すげぇ恐い」
「ああ。それは当然の反応だ。俺もお前に殺してほしいとは思わない」

――それでも相手を殺さなければならないと思ったなら、

「そのときは一瞬でいい、考えろ」
「…………」
「人を殺してでも、手に入れたい結果があるのかを。手に入れたい結果が、相対する敵を、人間を殺しでも手に入れたいものなのかを。
他者から見れば信じられないものでもいい。相手と未来を天秤にかけろ。他者から見れば、それはやはり傲慢に、自分勝手と取るかもしれない。だが、そんなものはどうでもいい。俺が許す。俺がお前に強要する。誰のせいでもない。俺のせいだと思って選択すればいい」

ここまできても、恭也は己を盾にする。
自分のせいではなく、恭也のせいだと思えと。
大河は思わず苦笑した。
この男は過保護だ。甘い。我が儘。
身内に入れてしまえば、この男は……どこまでも優しくなってしまう。
恭也は、苦笑を浮かべた大河に眉を寄せる。
さて、なんて言ってやろうか。
そんなことは決まっている。
決まっているのだ。



◇◇◇



「お前のせいになんかしない」

大河はそう呟いた。
恭也のせいになどしてやるものか。これは己の選択だ。目の前の人間を殺すと決めた己の選択。
ベリオとカエデ、敵の命を天秤にかければ、どうしたってベリオたちに傾く。そうやって天秤にのせたのは己なのだ。
己で決めたのだ。
目の前の敵を殺すと。
だから、

「お前のせいになんかしない……!」

心の憶測から声を出し、大河はトレイターの柄を握り締めた。
この目の前の女を殺す。
誰かのせいでも、誰かのためでもない。己のために、己の我が儘で、己の選択で殺す。殺して、ベリオたちを生かす。

「へえ」

そんな大河を前にして、ロベリアは感心にしたような声を出し、唇を歪めた。

「いい殺気だ。ついさっきまでのガキと同一人物とは思えないね」
「…………」

交わす言葉などない。
これより殺す相手との会話に意味など見出せない。もはや大河には言葉など不要で、やることと言えば、殺すことだけだ。
殺す方法は無限にある。
斬殺、刺殺、撲殺、殴殺、射殺、爆殺。
どれでもできる。
大河だからこそ、そのどれもが可能だ。
そのとき、ロベリアの肩がほんの少し震えた。
それが合図。

「いくぞ……!」

大河は剣の形態を水平に構え、特攻。
救世主候補たちの中でも随一の瞬発力をもってして、ロベリアとの間合いを無にする。

「っ!」

腰を捻り混み、両腕を撓らせ、突く。

「ちっ!」

ロベリアが、その突きを払おうとした瞬間、

「でぃっ、ああぁぁぁぁぁぁぁぁぁああぁぁぁぁ!」

トレイターの形態をランスに変更。
しかし、いきなり武器が重くなった反動で、筋繊維が音をたてる。だが、それもまた救世主候補随一の力をもって抑え込んだ。

「くっ!」

攻撃の途中で間合いが変化する。これは戦闘の玄人ほどやりにくいものはない。
事実、その玄人であるロベリアは、把握していた敵の間合いがいきなり広くなったことで、今の間合いを掴みかねていた。
しかし、さすがというべきか、それをすぐさま補正し、ランスの先端を払う。
ランスの軌道が逸れた。
しかし、それだけのこと。
次の瞬間、トレイターが消えた。
召喚の逆、送還。
つまり突ききってしまったトレイターを一度、その手から離したのだ。
手だけであるならば、その突ききった勢い殺すことなど容易。
槍は……ランスと槍は、まるで違うものだが……、突くことよりも、引き戻すことの方が重要だというが、そもそも大河は、引き戻す必要などない。

「トレイター!」

そして、すぐさまもう一度トレイターを召喚。
剣の形態で戻ってきたトレイターを、大河は横薙ぎに振るう。
ロベリアの方は、未だ攻撃を防いだときに開いた身体を元に戻せていない。しかし、ロベリアは何とか右膝を跳ね上げ、それをトレイターの腹へとぶつけ、軌道を変えてみせる。

「ちっ、これだから玄人は……!」

生身で剣を弾く。そんなことを考える馬鹿はそういない。下手をすればその部位が真二つだ。そんなこと素人とてわかる。しかし、玄人というのはそれすら考慮にいれて、やってみせてしまう。
恭也にまったく同じことをされたことがなければ、呆気にとられていただろう。
大河は、振り切ったトレイターをすぐさまナックルへと変化させる。やはり腕だけとなれば、楽々と力を止めることができた。
そこからアッパーを繰り出そうとするが、それより早く飛び込んできたロベリアの足。
ハイキックで頭部を狙ったそれを、攻撃を止め、ナックルで受け止める。
その様を見て、ロベリアは舌打ちした。

「これだから天才ってのは……!」

常人には真似できないことを次々とやってみせる大河に、ロベリアは苛立たしげに言うとバックステップで離れていく。
天才対玄人。
これはそういう戦いだ。
戦闘の玄人であるロベリア。
戦闘の天才である大河。
そのどちらが勝つか。
大河は恭也に聞いたがことがある。
戦闘において、最も基本的にタイプの分け方は、五つしかないらしい。
天才。努力家。経験を重視する者。奇手に頼る者。卑怯な手を使う者。
そこから先に、テクニック型、スピード型やらが出てくるが、最も基本的であり、根本的なタイプはその五つ。

『お前たちは揃いも揃って、皆天才型だ。そのタイプの中で最も強い』

天才を前にすれば、凡才には一欠片の勝利はない。努力も経験もまた喰われる。彼らの才の前には、才なき者は無力であり、努力と経験は才を越えられない。
だが、

『しかし、天才は奇手と卑怯な戦いかたをする者たちにとっては、逆にどこまで弱者だ』

天才は凡才を、経験ある者を、努力をする者をいとも容易く下す。しかし、奇手と卑怯な手の前には、天才は軽々と敗れるだろう。
しかし、経験がある者、努力する者は、逆に奇手を多用する者たちを容易く下す。
その才で強くなる天才たちにとって、凡才たちは塵芥でも、奇手を防ぐというのは、絶対的に経験と、鍛錬以外の努力が必要なのだ。それが天才たちにはできない。
なぜなら天才たちは、奇手を使う必要もなく強いからだ。強くなれるからだ。故に理解できない。
努力型の天才とか、奇手型の天才とかもいるだろうと聞けば、恭也は完全否定。

『いない。奇手使いが努力と経験型になることはあるし、他になることもある。また努力と奇手の中間、もしくはその両方であるという者も、それどころか天才以外の全てである者もいる。だが、天才は絶対にそこから抜け出せん。どこまでいこうと天才というカテゴリーの中にいる。天才がどれだけ努力しようと、経験を積もうと、努力と経験のカテゴリーには入らない』

その言には、少しばかりむっとした。自分たちを天才だと言う恭也は、つまりお前たちは努力していない、と言っているように聞こえた。

『勘違いするなよ。お前たちは努力している。単純な話で、カテゴリーを移動できないんだ。どれだけ努力しようが、経験を積もうが、奇手を磨こうが、卑怯な戦い方をしようが、他のカテゴリーにいる者たちと違い、お前たちは決して天才というカテゴリーから抜けることも、移動することもできないということだ』

どこまでも頭文字に『天才の』というのがついてしまう。それはもはや別物だ。

『お前たちがどれだけ努力しようと、経験を積もうと、奇手を磨こうと、天才の努力と、天才の経験と、天才の奇手にしかならない』

それは才ある者にしかできない努力であり、経験であり、奇手なのだ。その他大勢とは根本的に違う。
凡夫を軽々と、その一生を費やした努力を、経験を、天才が何をするでもなく追い抜く。この世はそんなものだ。根本的に違うのだ。違うが故に、カテゴリーが移動することは決してない。
言ってしまえば、先の五つとて、天才と凡才を分けただけだ。凡人が天才と戦うために。

『そして俺たち『凡才』の者は、『秀才』の者は、お前たち『天才』を下すためだけに、努力し、経験を積み、奇手を磨き、ときには卑怯な手を使う』

大河たちが最も気を付けるべき相手は、ただ一種。

『玄人だ。凡才でしかありえないながら、秀才でしかありえないながら、それでも多くの天才と戦い、勝利し、長く戦い続けてきた者たち。努力し、経験を積み、奇手を磨き、卑怯な手すら辞さない、天才以外の全てのカテゴリーに属する凡人たちだ』

それは恭也であり、破滅の将たち。
救世主候補たちは天才だ。だが、恭也や敵たちは秀才でしかない。
しかし、彼ら全員が戦闘の玄人。天才以外の全てのカテゴリーに属する者たち。

『俺を含め、また似たような敵と戦うとき、お前が気をつけるべきは錬度の低さだ』

大河たちは天才だ。そして天才は、努力する者を、経験豊富な者を軽々と下すと言ったが、今の大河たちは、天才は天才でも、せいぜい百程度しか戦闘を知らない。技術が百程度しかない。
そこに至るまでスピードは驚異的だし、召喚器を持つ限り、いずれは恭也をも追い抜いていくだろう。だが、それはいずれでしかない。
今の大河たちには、絶対的に時間が足りていなかった。
時間がなければ、どうしても維持するだけで精一杯になる錬度。

『その錬度の問題で、お前たちは根本のカテゴリーが天才ではあるが、次から細分化されるカテゴリーが特化してしまっている』

リリィは魔力。未亜は援護。カエデは速度。ベリオは防御。リコは物量。なのはは速射。そして大河は力。
それらに対しては、それぞれ100点満点中、90点オーバーの成績をつけてもいいだろう。だがそれ以外が、せいぜい10しかない。
スピード型、パワー型、テクニック型とわけても、本来それ以外が低いということはそうそうない。

『万能たれ、というわけではないが、お前たちはあまりにも一点特化してしまっている』

仮に自分の特化した能力より敵の方が上だった場合、彼らは簡単に負けるし、その得意な能力を対処されたらそれで終わりだ。
そこで先の話に戻る。

『玄人たちは、努力し、経験を積み、奇手で、卑怯に手で、これを最低でも全ての能力を70にはもっていっている。不得意なものでも30はあるだろうし、得意なものはお前たちに多少劣る程度だろう。そうなると総合力ではお前たちは圧倒的に劣ってしまう』

いくら90の能力をもっていたところで、他が低ければ意味はない。全てを足したとき、絶対に相手よりも低くなってしまう。
現実では、一点特化の力というのは、それほど魅力的なものではない。得意であることと、一点特化というのは、まるで違うどころか正反対なのだ。
己の能力一つだけを極限にまで高くする、というのは、実のところはただの落とし穴でしかない。
同時に天才の落とし穴。
拳銃を扱う天才でも、拳銃しか扱えず、銃だけで相手の接近を防げる技術がなければ、近付かれた瞬間負けが決定する。砲撃しか得意なものがないならば、やはり同じ。接近戦の天才であっても、遠距離に対して対抗する術、もしくは防ぐ術がないならば、遠距離の敵には簡単に負ける。
大河たちはまさしくこの状況だ。
時代が違えば、これでも良かっただろう。日本で言えば、江戸から明治の時代、武器の主流は刀だった。その中で一点特化を見つけることは悪いことではない。敵の大半も刀だったからだ。
例えば示現流の『二の太刀いらず』。つまりは初手で相手を倒すことに特化した技。刀、もしくは近接武器を持つ相手であれば、的を射た理法だ。しかし今の時代、銃を相手に一手で倒す難しい所の話ではない。
同じ武器を扱う以上、ある程度特化した方が殺し易いのは確かだった。
しかし、武器が多様化した現在、一点特化で生き残ることは難しくなった。そしてこのアヴァターという世界は、あらゆる文化の根ともなった世界であり、様々な武器があり、魔法がある。
一点特化に価値はなくなった。
一点特化の『天才』では、凡人の『普通』にすら簡単には勝てず、『玄人』が相手となれば言わずもがな。
実際、大河たちでは恭也に勝てないし、これが耕介や知佳に変わっても同じだ。

『俺がそれをわかっていながら改善させていないのは、今の状況では逆効果にすぎないからだ』

大河に技術的なことを教えていないのは、破滅がいつ来るかわからないからだった。それと同じで、今から下手に他の能力を向上させても意味がない。
本来ならば戦う人間は、ある程度の技術を修めてからだが、救世主候補たちには鍛える時間がないから、戦場には行けませんなどと言うことはできない。
だから救世主候補たちは歪なのだ。
ならば、大河たちが玄人に勝つにはどうすればいいか。
全ての力を合計したところで、相手を上回れず、特化した能力に対処されたなら。
それは何もできないということだ。ないものをどうしろというのだ。

『これも前に言ったがな』

恭也はそう前置きをした。

『イカサマをしろ』

そして答えはそんな至極後ろ向きなものだった。

「これが俺のイカサマだ」

救世主候補たちには、他の者たちにはできないイカサマをする手段がある。
それこそが、今ロベリアにやったこと。
召喚器というイカサマだ。
自分の力ではなく、武器の力。どこまでも後ろ向きなものだが、情けないなど言っている余裕は、大河にはない。玄人相手に正々堂々と戦う手段もなければ、技術もない。力を込めた攻撃も、瞬発力にさえ対応されるというのなら、情けなくとも武器に頼るしかないのだ。
漫画の登場人物のように、武器は相棒で、その力が自分のものだなんて言う気はない。
現実に自分の力が足りないからだ。
事実として自分が弱いからだ。
どこまでもそれが今の大河の現実。
そんな現実を、事実を受け止めた上で、大河はトレイターに頼る。その能力に頼る。
自分の能力ではないからこそ、それはイカサマで、敵には予想できない力となるのだ。
恭也にはこんなことは必要ない。敵だって必要はないのだろう。
だが、

「弱くていい。イカサマでいい。頼りなくたっていい。情けなくたっていい。弱くて、頼りなくて、情けなくて、イカサマをしてでも……!」

トレイターの形が変わる。
西洋剣ではない。ランスではない。斧ではない。爆弾ではない。他のどれでもない。

「守りたいものがあるんだよ!」

守る。
そう決めたときに、その両手に握っていたもの、大河にとって慣れ親しんだ武器。
その手に慣れたものではなく、今まで幾度と憧れた男が握り、振ってきた剣。幾度も大河が受け止め、叩きつけられた剣。
小太刀二刀。
恭也のように振れるなんて思わない。そもそもこの形態にすると考えたわけでもなければ、この形態にできるとも思っていなかった。
だけど、手に馴染む。

「力を貸してくれよ、恭也!」

友であり、兄であり、師である男が握る武器。
負けることなど考えられない。
負けることなどありえない。
守る者があるのだから。
それはそんな想いが詰め込まれた二刀なのだ。



◇◇◇



「あ……」

ベリオは見る。

「っ……」

カエデは見る。
大河が掲げる二刀を。
その二刀を使い、戦う大河の姿を。
無様。
本当の小太刀二刀を扱う男の姿を知る二人にとって、それは無様としか言いようがない戦い方。
左腕が右腕と同時に出てしまっている。右腕で攻撃すると左腕が下がってしまう。
本当の二刀流とは、そんなものではない。
だけど、

「大河くん……」
「師匠……」

この気高さはなんだ?
この力強さはなんだ?
この暖かさはなんだ?
無様で、敵に押され、血を流す。
その姿は、

「大河くん……!」
「師匠……!」

酷く慣れ親しんだもの。
ただ守ると叫び、振るう二刀は、そこに高町恭也がいるかのようだ。
だけど、それはありえない。あれは当真大河だ。
自分たちが愛した人だ。

「私は何を!?」
「拙者は何をしていた!?」

自分たちが愛する人は、懸命に戦っている。
血を流し、無様でも、醜くとも、それでも尚戦っているのはなぜだ!?

「私はこんなにも情けない!」
「拙者はこんなにも無様だ!」

最も無様で、頼りなくて、情けないのは自分たちだ。
叱咤された。
大河の姿に。
彼が握る二刀に。
二刀の先に見える高町恭也に。
大河がこうまで戦っているのに、お前たちは何をしていると。
ベリオの目の前には、最も恐れる兄がいる。
カエデの目の前には、最も憎む仇がいる。
だが、それにどれだけの意味がある?
目の前の男は、当真大河に匹敵するほど、自分にとって重要な人物か?
否、否だ。

ベリオは恐れ、震えていた身体を叱咤して立ち上がる。

「立つのかベリオ。この私と戦うと?」
「ええ、立ちます。戦います」
「いいだろう。惜しくはあるが、お前を殺す感触、楽しみだ」

きっと勝てないだろう。
この世界はどこまでも現実で、いくら立ち上がったところ、実力差は覆せない。
決意など意味はない。この世は安っぽい物語ではない。気高い精神も、不屈の闘志も、立ち上がる勇気も、何ら力を与えてはくれない。
それが現実なのだ。
大河のように、本格的に鍛え始めるのが遅すぎた。
戦術もなく、イカサマの手段もない。
……それでも戦ってみせる。

カエデは、今までのような無謀な突進を止め、深く深く構えた。

「へえ、少しはマシな構えができるようになったじゃねぇか!」
「…………」
「いいぜぇ! いますぐぶっ殺して、その股に俺のをブチ込んでやる!」

きっともう勝てない。
どれだけ無様なことをしていたのだろう。実力差は確かにあったが、それでもカエデにとっては絶対に勝てないわけではなかった相手。
だが、憎悪に目が曇り、感情だけで戦うという愚挙を犯してしまった。その結果、もはや勝てなくなった。
これまでの無謀が……いや、『無駄な行為』が体力を奪い、血を奪い、疲労させる。
疲労した身体に今更取り戻した冷静さが、この世界は現実で、もはや勝つことは夢想ではなく、妄想であると告げてくる。
だけど、師に格好悪いところばかりは見せられない。
だから、最後まで戦ってみせる。



「いきます、兄さん!」
「ゆくぞ、八虐無道!」

勝てない。
負けるとわかっている。
だが、二人はそれでも因縁ある敵へと向かっていった。



メンテ
Re: 黒衣(仮投稿) ( No.597 )
日時: 2012/01/02 05:46
名前: テン






難しい。
大河は二刀を振りながら、心の中で苦笑する。
二刀流というのが、ここまで難しいものだったとは思いもしなかった。
どうしたって大河の左腕は、思うように動いてくれない。当然だ。大河は右利きで、左手を複雑に動かしたことなどない。
右腕で剣を振れば、いつのまにか左腕が下がってしまう。左腕で振れば、意識せずとも右手まで動いてしまう。
天才と呼ばれる大河でも、利き腕ではない腕を短時間で利き腕と同じように振れるようになることはないだろう。長年、右利きで生きてきた大河が、左腕も同じように動かせるようにするには、日常の動きから変え、何年とかかってしまうはずだ。
何年もかかることを、今すぐに扱えるようになるわけがなかった。
とはいえ、

「だいたいわかってきた」

利き手と同じように振る必要はない。ましてや恭也の真似をした所で、猿真似にもなりはしない。
ならば、大河なりのやり方があるのだ。
ロベリアの横薙ぎが向かってくるが、それを左の剣で跳ね上げ、軌道を変える。右の剣で突く。

「ちっ!」

攻撃を防がれ、死に体となったように見えるロベリアだったが、剣を放った腕を引っ張るように後ろへと跳んでその突きをかわした。
ロベリアは着地すると同時に再び大河へと斬りかかるが、それを大河は左で受け、右を振り下ろす。
しかし、ロベリアはそれより早く左足で回し蹴りを放ってきた。
それも大河は、左肩と左肘を大きく下げ、柄底で受け止める。しかし、回し蹴りを受けたせいで、右の剣のタイミングがズレ、剣速も低下してしまった。
当然ながら、そんな剣はロベリアの剣に弾かれる。
大河は、特に悔しがることもなく、それよりも次の攻撃を開始。右の剣は弾かれ、左腕は攻撃を受け止めるために大きく下げてしまった。完全に身体が開いた状態で、しかし大河は跳び上がるようにして、右膝を持ち上げ、それをロベリアの顔面へ。
ジャンピングニー。
召喚器による身体能力上昇を最大限にのせ、さらに跳ね上がる威力すらのせた膝は、空気を叩き潰すようにし、ロベリアの顔面に向かう。
まともに当たれば、ロベリアの頭は首の上から吹き飛ぶ。

「本当に! これだから天才っていうのは!!」

ロベリアは吐き捨てるように、先ほどと同じことを言いながら、左手を跳ね上がってきた大河の右膝に乗せた。
ただ乗せただけ。しかし、ロベリアは全ての力を右腕だけに込めることで、身体の重心を全て、その右腕へと持っていった。
重心を左腕にもっていくことで、ロベリアは大河の膝に全身の体重を乗せてしまっていた。衝突までの距離を0にされてしまった以上、威力は完全になくなる。
こうなってしまうと、もう大河の膝に威力はない。ただロベリアの身体を持ち上げてしまう。
そして、ロベリアは大河の力によって、まるで下から強力な風を受けたかのように浮き上がるものの、空中で一回転することで、その浮力を消すとバックステップで、大河が離れていく。

「ちっ……」

大河は思わず舌打ちする。
状況判断能力が異常だ。数多の戦場の経験によって、その場に最適に判断を下す。玄人の最も恐れるべきところ。

「ちっ……」

ロベリアもまた、思わず舌打ちしていた。
身体が開いた状態でさらなる攻撃。天才としか言いようがない。しかも、あのような状態を想定して訓練を受けたわけではないだろう。つまり戦闘中の勘のみであの攻撃を放った。
これが天才の恐るべきところ。戦闘中に新たな型を作りだしてしまうのだ。そして、それを本番に成功させてしまう。
もっともロベリアは知らないことだが、大河はかつて恭也にやられたことを見様見真似しただけだったのだが。しかし、それでも練習をすることもなく、実戦で使えてしまう大河の才能が異様なのは確かだ。
再びのしきり直し。
二人は、お互いに睨み合った。



第六十四章



大河は安心したように息を吐く。
ロベリアから視線は離せないが、ベリオとカエデが立ち上がったのがわかったからだ。
一切安心できる状況ではないことは確かだ。このままいけば、間違いなく自分たちは負けてしまうだろう。
しかし、それでも彼女たちが意思をもって立ち上がってくれたことが嬉しい。

「さて……」

今重要なのは、自分という存在だった。
大河の動き次第で、これからの未来が全て変わる。三人とも死ぬか、三人とも生き残ることができるか、それとも……
ロベリアを殺すことができれば、大河たちが生き残れる確率は大きく高まる。
立ち上がったとはいえ、ベリオとカエデに、もはや勝利はない。あとはどれだけ大河が素早くロベリアを殺し、二人に加勢できるかだ。
また、二人からの援護も期待はできない。最初から三対三にもっていけていたならともかく、一対一が三組に別れてしまった上、体力と疲労にそれぞれ差ができてしまった今、それぞれ援護をしている暇がないのだ。
体力の消費と疲労度が唯一低く、援護が可能な大河も、援護能力が皆無に近い。
だからこそ、大河がどれだけ早くロベリアを殺せるにかかってしまっている。
使い方を理解すれば、二刀流というのも戦いやすい。
恭也のように、二刀同時に動かし、攻撃する必要はないし、そもそもそんなことはできない。だが、片方で攻撃し、もう片方で防御するというのは、今の大河でも……それ自体が天才的なのだが……可能だ。
さらに言えば、小太刀の二刀流に拘る必要は、大河にはない。
場を動かさなくてはいけないのは大河だ。そうである以上、ここのままじっとしているわけにはいかない。

「っ!」

大河は前傾姿勢をとり、一気に突進。
右の小太刀での刺突を繰り出すが、先ほどと同じように軽く弾かれる。
同時に右足のハイキックが飛んできた。人間の首程度、容易くへし折ることは、そのスピードを見るだけで簡単に理解できる。
しかし、大河は身体を右に傾け、肩で蹴りを受け止めた。痛みはあるが、首よりも頑丈な肩は、砕けはしない。
腕だけでなく、傾けた身体を戻す勢いも込め、左の小太刀を切り上げるが、ロベリアはそれを上半身を反らすスウェーバックでかわしつつ、こちらも剣を振り下ろす。
これを今度は、大河の方が大きく後ろへと跳ぶことでかわした。

「たくっ、とっとと殺されてくれ」

早く勝負を決めたいというのに、簡単にはいかないことに大河は思わず悪態をついた。
手数はこちらが上。しかし、あちらは反射神経、というよりも、経験則からくる読みが異常だ。
一撃。大河は一撃でいい。どんな攻撃だろうと、救世主候補として、召喚器の力がある大河は、一撃をまともにくらわせれば、それで終わらせることができる。しかし、それができない。
今まで幾度も思ったが、本当に恭也を相手にしているような感じだ。

「ふっ!」

今度は、ロベリアの方から動いてきた。
超人的な跳躍で、五メートルは離れたはずだったというのに、真の意味で瞬く間で、ロベリアは間合いを詰める。しかも、その接近に大河は気付かなかった。

「なっ!」

大河からすれば本当にいつの間にか、目の前にロベリアが現れたかのように感じられる。
ロベリアは、そこから上半身を捻り、その捻転運動とここまで駆け込んできた加速の勢いを剣にのせ、抉り込むようにして、下から大河の顔へと鋭い刺突を放った。

「くっ!」

首を限界ギリギリまで曲げ、何とかその刺突が顔面に突き刺さるのは避けたが、かわしきれず、頬に鋭い痛みが走り、目の横に血が舞ったのが映る。

「かっ!」

それを無視し、大河が左足を上げ、ミドルキックを放つと、ロベリアは右腕でガードするが、大河の力に敵うはずもなく、またもその身体が浮き上がり、吹き飛んでいった。
が、あれはむしろ直前で、自分から僅かに跳び上がることで、足を地面から離したのだろう。そのため見た目よりも衝撃は伝わっていない。先ほど膝蹴を受けたときとほぼ同じ原理だ。

「何だよ、今のは」

いつのまにか目の前に現れていたロベリア。恭也ならば神速と納得できるが、ロベリアにそんなことができるとは思えない。
大河の言葉が聞こえたのか、ロベリアは喉を鳴らすようにして笑った。

「戦闘中、瞬きは意識的に少なくした方がいいよ」
「っ……」

ボクシングなどでは、相手が瞬きをしている間に殴るという技があるらしい。それと同じ原理だとロベリアは言っているのだ。

「マジかよ」

ありえない。ボクサーが真正面からジャブを放つというのならわかるが、先ほどロベリアとの距離は五メートルはあった。
人の瞬きの一回0.1秒から0.15秒ほどで行われる。その時間内で、五メートルも間合いを詰めるなど不可能だ。召喚器を持とうが、特殊な力を持っていようが、秒速五十m、時速百八十qで走れる人間などいない。神速とてそこまでは無理で、あれは人間の動体視力では目で追えないという……それはそれで本当に人間かと疑問に思うかもしれないが……だけだ。

「お前みたいな天才とは言え、戦いの初心者は、戦闘中瞬きが増える」
「…………」
「ま、これはお前が戦い慣れるか、ひたすら殴られるかでもしなければ、どうにもできないことだ。気に病むことはないさ」
「そうかよ」

つまり瞬き一回のうちに移動したのではなく、瞬き数回のなか、断続的に移動したというのだろう。
本当に化け物だ。
どれもこれも、センス(才能)とかの問題ではない。
大河は、今ほど時間が気になったことはなかった。戦い始めてまだ三十分と経っていないはずだし、ベリオたちが立ち上がってからも、まだ十分と経っていないはずだ。
だが、体感ではもう十時間以上戦っていたような気分にさせる。
それもこれも焦っているからだろう。早く勝負をきめ、ベリオたちを助けるという決意が大河を焦らせている。
相手がまだ余裕の態度を崩さないことが、それに拍車をかけていた。

「くそっ!」

またも毒づいて、大河は駆けだし、左の小太刀を薙ぎ払う。

「おいおい、雑になってきたよ」

それをさらなる余裕の表情で、ロベリアは半歩下がることでかわした。
しかし、それを見て、大河はニッと笑う。
待っていた。
この状態を。そんなにわか二刀流など話にならないと、どこまで余裕をみせる時を。恭也ならば絶対にしない、相手は自分よりも弱いとを見下すと時を。
それは大きな隙だ。

「雑になったのはお前だ」
「なにっ」

今振りきった左の小太刀が消えた。そして、右に持つ小太刀も光を放ち、形を変えていく。

「なっ!」

ナックル。
小太刀の二刀流が、恭也に及ばないことなど百も承知。
だが、初めてみせた形態と、二刀流という派手さ、そしてそれで長時間戦うことで、ロベリアに小太刀以外の武器を忘れさせた。
しかし、トレイターの真骨頂は、武器の変化にあるのだ。
ロベリアが極限にまで余裕を見せたこのときこそが、大河の真の狙い。

「死ね」

ゴッと、比喩でも何でもなく、空気を叩き潰す音を響かせ、大河の右腕は加速する。
型も何もないただ力任せの一撃は、ロベリアの胸の中心へと突き刺さり、まるでダンプにでも轢かれたかのように吹き飛んだ。

「ちっ、またか!」

しかし、また力の大部分が流されたのがわかる。
力任せとはいえ、召喚器によって強化された大河のナックルは、それさえなければロベリアの胸を貫いただろう。
吹き飛んでいったのは、ダメージを流されたからに他ならない。

「ぐっ!」

だが、ダメージは確かにあったのだろう。ロベリアは打ち込まれた胸を押さえ、僅かに吐血した。
骨ぐらいは折っているはずだが、肺か心臓にもある程度ダメージは与えているはずだ。
こうなれば大河の勝利は決まったようなもの。しかし、大河は余裕も見せず、トレイターを西洋剣へと変化させ、今度こそ止めと近付いていく。

「くっ、ははっ……」

唐突にロベリアが笑った。
それに大河は眉を寄せ、足を止める。

「強い、強いな当真大河。あんたは本当に天才だ。この短い戦闘で成長できるほど。あんたはいい兵士になれる」
「だから何だ」
「くくっ、まあ、あんたは兵士には向かないか。これだけ強いと他の兵士と足並みも揃えられない」

愉しそうに言うロベリアは、だがと続けた。

「指揮官に向かないね。兵士のあんたに、戦術と戦略の違いってのはわかるかい?」
「あ?」

戦術と戦略の違い。
軍事的に見るならば、戦略とは、目標を定め、その目標に至るための全体的な方法だ。
戦術とは、例えば戦略において決められた大きな目標に至るために、そこまでの細かい障害物を排除したり、さらに細かな方法を決めるためのもの。
戦争の全体的な戦略というのもあるし、一つの戦場においての戦略というのもある。

「戦術しか見ていない、戦術だけで完結しているあんたと違って、あたし達は先を見ているってことさ」
「何を……」
「ここであたしの話を聞いてる時点で駄目なんだよ」
「っ!?」

これはそう、時間稼ぎだ。
大河が早く勝負を決めなければ負けると考えているように、ロベリアもそんな考えは見抜いていた。
つまり、

「おーし、動くなよ、色男」
「まったく、戦術など私にはどうでもいいのですがね。まあ、主幹の命とあれば仕方がない」

背後より聞こえた二つの声。それは決して女性のものではない。
ロベリアから視線を離すのは自殺行為とわかっていても、大河に振り向かないという選択肢はなかった。

「ベリオ、カエデ……!」

そこには地に跪かされ、こめかみに銃口を押しつけられているベリオと、同じく地にうつぶせで倒れ、その右腕を極められたカエデの姿がある。
間に合わなかったのだ。
二人は敗れ、敵の手に落ちた。

「ごめん……さい、大河くん」
「し……ょう」

二人の顔は涙で濡れている。
悔しいのか、それとも悲しいから流しているのか、もはや二人にもわかっていないだろう。

「さて、交渉といこうか」

ロベリアは、未だ胸を押さえているが、ゆっくり歩き、大河の目の前に立つ。

「交渉、だ?」
「交渉さ。あの二人の命を助けるかわりに、投降しろ。ついでにあの二人は逃がしてやってもいい」
「てめぇら……」

自分自身でそれほど学があるとは思っていない大河でもわかった。
つまりロベリアたちの目的は自分だった。
なぜ自分なのか、という疑問はあるが、今から考えればそうとしか考えられない。
無限召喚陣を破壊されても、まるで悔しがらないのがまずおかしかったのだ。六人……正確には大河たちが確認できている……いる破滅の将のうち、ベリオとカエデに因縁を持つ相手が、たまたまここの守りにいたというのも結構に確率だろう。
無限召喚陣すら囮だったのだ。

「俺が目的だった、ってことか?」
「ああ、そういうことさ」
「スパイでもいるのかよ」
「それはそっちの想像に任せるよ」

いるのだろう。学園か、王国にか、それともその両方にかわからないが、スパイがいる。
そうでなければ、こうまで罠を張れるわけがない。そもそも大河は、最初救世主の鎧の破壊に向かう手筈だったのだから。

「で、俺が投降すれば、二人は逃がしてくれるって?」
「ああ、約束しよう。あたしたちの狙いはあんただけだからね」
「信用できねぇな」
「そこは信用してもらいしかないさ。それはあんたもわかってるだろう?」

見透かしたように言うロベリアに、大河は舌打ちした。
三人揃って逃げ出す方法はもうない。

「大河くん……逃げて……!」
「逃げでござるよ、師匠……!」

あとは大河一人で逃げ出すか、それともロベリアの話に乗るか。
選択の余地はない。

「二人を離せ」
「その前にあんたがやることはわかってるね?」

大河は頷き、トレイターを剣の形態に変え、それをベリオとカエデの間に投げ捨てた。
同時に、ロベリアは大河の首に、己の剣を向ける。

「あんたの召喚器は、呼べば手に戻るらしいから、保険だ」
「わかってる。だけどよ」
「なんだい?」
「もし、てめぇらが二人に危害を加えたら、そんなこと知ったことじゃねえ。それは覚えておけよ」

――自分が死んでも、お前は殺す。

そう目で続き告げると、ロベリアは軽く頷き、ムドウとシェザルに目で二人を離すように命じた。

「ベリオ、カエデ、逃げろ」
「で、ですが!」
「師匠を置いてなど!」
「ここは俺たちの負けだ。命があるだけマシと思わないとさ」

自分たちは負けたのだと、大河は笑いながら言った。
だけど自分たちはまだ生きている。

「お前たちが助けてくれるのを待ってる」
「っ!」
「師匠っ!」

二人は、ぐっと唇を噛みしめ、敵につけられた傷からくる痛みに顔を顰めながらも、ゆっくりと立ち上がった。
その目には覚悟がある。

「おい」

しかしそれは、大河を置いていくという覚悟ではなく、ここで死ぬ覚悟だ。
二人は、最後の大暴れをしようとしている。自分たち足掻き、暴れれば、大河が逃げることができると思っているのだ。

「やめろ、ベリオ、カエデ」
「しかし!」
「師匠を犠牲にしてなど!」

この戦いの敗因は、間違いなく二人だった。それは二人が最もよくわかっている。
自分が原因で、大河が危険に晒される。そんなこと耐えられるわけがない。
大河も、そんなに二人の心情は手に取るように理解できた。
だからわざとらしく嘆息し、思わずといったような動作で頭を掻く。

「あんた、状況を理解ではない馬鹿なのかい? それともわかっていて動く大馬鹿か?」
「ああ、お前のこと忘れてたわ」

未だ大河の首には、ロベリアの剣がそえられている。この状況で、どんな理由だろうと動ける馬鹿しかいないと、ロベリアは半眼で聞いた。
しかし、大河は本当にロベリアの存在など忘却の彼方だった。そして、まだ暫くの間忘れさせてもらう。

「心配するな。こいつらは俺を殺しやしないさ」
「え?」
「こいつらは最初から俺が目的だったんだからな」

大河を捉えるひとこそロベリアたちの目的。
大河を確保すると戦略を錬り、こうして現場においては、戦略を優位に進めるため、多用の戦術を配置してきた。
そうである以上殺されはしないだろう。まあ、殺されないだけで何をされるかはわからないが。

「で、ここでお前らが捕まったり、殺されたりしたら、誰が俺を助けてくれるんだ?」

死んでしまえば、それは真実無駄死に。逃がしてくれるというのに、捕まってもアホらしい。
何より、そうなればここでの状況を伝える者がいなくなってしまう。

「みんなに伝えてくれ」

そして、助けてほしい。
情けない話だが、もはや三人全員生き残る道はそれしか残されていないらしい。もし、ベリオたちを逃がさないというのなら、そのとき本当に死ぬまで戦ってやるだけだ。
大河の言葉を聞き、ベリオとカエデは苦々しげに唇を噛みしめ、大河に背を向けた。

「できれば、『それ』も伝言として頼む」

大河の言葉を聞き、カエデは『それ』……トレイターを拾い上げる。
これは伝言ではなく証拠だ。ベリオとカエデの弱さが、大河にトレイターを捨てさせるという結果になしまったことの証拠。

「必ず、助けるでござるよ、師匠」
「待って……いてください」

大河は二人の背しか見えない。だが、二人が自分の不甲斐なさ、情けなさに泣いているのはわかった。
しかし、涙こそ流さないが、大河も同じ思いだ。
自分たちは負けたのだ。それが不甲斐なく、情けない。
ベリオとカエデが、身体を引きずるようにして駆けていく。
その姿を見て、大河は己の府外なさも、情けなさも心の奥底へと閉じこめた。
ベリオとカエデが殺されることもなく、大河自身も捕まりはしても生きている。少なくとも、当初の目的は達成できたのだ。

「本当に追いかけないんだな」

本当に黙って二人を見送る破滅の将を見て、大河は言う。

「別に構いはしない。今生き残ったところで結果は同じさ。あんたを確保できたんだからね」

ロベリアの目に映るのは、自信だけだ。

「俺を何に使うのか知らないけどよ。そううまくいくとは思わないことだな」
「大した自信じゃないか」
「あたり前だ」

大河には、ロベリア以上の自信がある。
勝つのは己たちだという自信が。

「まだ俺たちには恭也がいる。あいつがいる限り、俺たちは負けない」

それこそ、大河が信じるもの。大河の自信の根源。
恭也がいれば、必ず自分たちは勝てる。彼を頼りすぎているのではなく、ただ信頼していた。恭也は勝つと。

「それは楽しみだ」

そんな大河に、ロベリアは愉しそうに笑ってみせた。



◇◇◇



ベリオとカエデは、涙を流しながら歩いていた。
今、モンスターに襲われたなら、それこそひとたまりもないだろう。しかし、二人はそんなことすら頭にはない。

「拙者は、何て弱いのだ!」
「大河、君……!」

自らの大切に人を犠牲にして、おめおめと逃げ帰る。その状況は悔しくて、情けなくて、悲しい。
こんな状況にしてしまったのは、確実に自分たちの落ち度なのだから。
敵が因縁のある相手だった。
兄だった。両親の仇だった。
しかし、だからどうしたというのだ。
本来あるべき態度とは、恭也のようなものだった。
恭也は、自分の産み親が敵だと知っても、まるでそれを気にせず、ただ敵だと認識していた。だというのに、自分たちはそれに拘ってしまったのだ。
その結果がこれだ。
今ならばわかる。恭也は意固地になって、生みの母親を敵だとしたのではない。そのことに固執してしまえば、仲間が危険になるからこそ、真実どうでもいいものにしたのだ。
それを見習えば、敵よりも仲間の方が大切であるという、当然のことを忘れなければ、このような結果にはならなかった。

「ベリオさん、カエデさん!?」

声が聞こえた。
ゆっくり二人が視線を上げると、そこには囮となってくれた一般科の生徒たちが、傷だらけの姿で立っている。
それを見て、さらに二人は自分を情けなく思う。
自分たちは、この人たちの信頼すら踏みにじってしまったのだ。

「二人とも、大河は!?」

セルが、大きく声を上げて近寄ってくる。
その声には、任務がどうなったのか疑問ではなく、ここにいない友人を心配する思いしかない。

「大河君は、敵に……」
「殺されたのか!?」
「違うでござる。師匠は捕まってしまった」
「私たちのせいで……!」

自分たちが殺されたというのなら、それは仕方がない。だが、犠牲になったのは大河だ。
馬鹿をやった自分たちではなく、大河が犠牲になった。それが最も悔しくて、情けない。

「無限召喚陣は大河君が破壊しました。しかし……」
「我らが不甲斐ないばかりに、師匠は拙者らを助けるため、自ら投降したでござる」

それを聞いて、セルは己の剣を握りしめ、駆けだそうとした。
しかし、それをパフィオが、腕を掴んで止める。

「何するんだよ! 大河を助けに行かないと!」
「だからってボクたちが行ってどうするのさ!?」

二人がそんな言い合いをしているうちに、僧侶科のカラーが二人の傷の治療を開始していた。

「セル、僕は指揮官として、その行動は認められない」
「アスクっ!」
「助けに行きたいさっ! けど今の僕たちが行ってどうなる!?」

セルとアスクの言い合いを見ていて、ベリオたちは初めて気付いた。
言い合いをする二人も、ベリオたちを治療するカラーも、他の者たちも、皆どこかしら怪我をして、血を流しているし、何人か腕や足がありえない方向に曲がっている。
全員が、それぞれ大きな怪我をしていた。
ここにきて、ベリオたちは彼らの信頼すら裏切ってしまったことに気付く。
陽動を買って出たセルたちは、こんな怪我をしてまで頑張ってくれていたというのに、自分たちは何をしていたのか。
今すぐこの場で、地面に頭を擦り付けたい。
 
「救世主クラスの方々に、こうまで傷を与える相手、破滅の将ですわよね?」
「はい。三人です」

アキレアの質問に、ベリオは下唇を噛んで答えた。
決して勝てないわけではなかった。大河とちゃんとチームワークをもって戦えば。

「今の僕たちが行っても死体になるだけか」

ライラックもまた、唇を噛んだ。
恭也に助けられてから、それまでよりも訓練していたつもりであった彼らでも、救世主候補には敵わない。必然的に、救世主候補を退けた相手にも敵わないということだ。

「……逃げますよ、みんな」

皆を見守っていたフィルが、目を瞑り、大きく生きを吐いて言った。

「アーカスさん!」
「それ以外に、私たちにとれる選択肢があるんですか!? 助けにいくということは、自殺と同じなんですよ!?」
「それは……!」
「あの人なら! 恭也さんなら、どうしますか!? そんな無謀で、意味のないことをしますか!?
いえ、あの人ならば助けに行くでしょう。でも、私たちに同じことができますか? 私たちはまだ、あの人と同じところには立てていない……!」

恭也ならばきっと助けにいくだろう。しかし、それはできるから行くのだ。
しかし、それが無謀であるというのなら、他の仲間を危険に晒すというのなら、恭也は耐えるだろう。
それこそ、自分を悪役にしてでも。

「大河君が言っていました」
「え?」
「師匠は、まだ自分が殺されることはないだろうと」

それがどこまで本当なのかはわからない。しかし、恐らくは事実なのだろうと、今更ながら冷静に思う。

「だから……師匠は助けに来てほしいと!」
「……私たちのために!」

カエデとベリオの言葉を聞いて、セルは歯から鈍い音が鳴るほどに口を噛みしめた。

「退却しよう。体勢を立て直して……」

大河を救いにいく。
それが今、ここにいる者たちができる唯一のことだった。
敗北。
いや、負けてはない。
無限召喚陣の破壊という目的は大河が達成した。 
負けてはいないはずなのだ。
大河が負けることだけは避けてくれた。
だというのに、

「大河くん……!」
「師匠……!」

わき上がる敗北感。
大河は負けていない。セルたちも負けてなどいない。
だけど、ベリオとカエデは負けた。完膚無きにまで敗北したのだ。
破滅の将に負け、大河に負け、セルたちに負け、自らに負けた。
ベリオとカエデは、セルたちに続き、歩き出す。
帰還のためではない、敗走であった。



◇◇◇



大河は何となく、ベリオたちとセルたちが、遠くまで離れていったことがわかった。
どうやらロベリアは約束を守ったらしい。ここから離れる途中で、モンスターに襲われることを心配していたのだが、それもなかったようだ。

「さて……これからどうするんだよ」

破滅の将三人に囲まれた状況。逃げることもできず、戦ったとして敗北は必至。そうであるならば、ベリオたちに言ったように、投降して助けを待つ方が得策だ。

「シェザル、持ってきな」
「わかりました」

ロベリアは大河の質問に答えず、シェザルに何か命令をした。
するとシェザルは、その場から掻き消える。いや、正確には掻き消えるように見えたのだ。

(恭也と同レベルか……いや、恭也の方が上だな。恭也と違って、何となくどこにいるかわかるし)

気配を消して、その存在感を緩めたのだろう。恭也がやるところを何度か見ているだけに、大河は今更そんなことで驚きはしなかった。
そして、数十秒して再び、シェザルが現れる。

「っ!」

その手に握られているもの。それを見て、大河は喉を詰まらせた。

「おい、それは恭也が壊したはずだろ!?」

西洋剣。
派手な装飾のない柄。無骨な外見と灰色に濁り、太く長い刀身と、その剣が強大な敵を作りだしたという過去を持つが故に、不気味に見える。

「デザイア……」

召喚器デザイア。
欲望だけを求める召喚器。
恭也が破壊したはずの剣が、そこにあった。

(……こりゃまずいな)

あれが本物であるということがわかる。
持ち主に寄生し、持ち主を操る魔剣。
それをこの場に持ってきた意味は一つだ。
男であるシェザルは問題なく、女を問答無用で操るそれはロベリアには持てない。しかし、男でありながら持つことができない者もいる。
恭也はなぜか、持つことができない男だったが、リコの言葉を信じれば、大河は確実に持ってはいけない。
召喚器を持つ素養がある大河は、確実に操られるだろう。
それはつまりそういうことだ。

「言いたいことはわかってるね?」
「ちっ」

思わず舌打ちしたが、大河に選択権はない。
故に大河は、文句を言うこともなく、シェザルの持つ剣に手を伸ばした。

大河が破滅の手に堕ちた。
これにより、この時代における救世主戦争は、佳境へと向かっていく。
それに気付いている者はただ一人。
大河が堕ちたことを知らずとも、自体が最悪な方向に進んでいることに気付いているのは、黒衣の男だけだった。





回想とベリオとカエデの戦いはカット。
入れようとも思いましたが、入れたらさらに二話はいきそうだったので。



メンテ
Re: 黒衣(仮投稿) ( No.598 )
日時: 2012/01/02 05:47
名前: テン






屍、死骸、死体。
耕介の周囲には、魔物の亡骸だけが、無数に積まれていた。

「…………」

耕介は、無言で十六夜に霊力を纏わせる。すると黄金の炎が、刀身についた魔物の体液と血を焼き払うようにして、吹き飛ばした。
すでに周囲に敵はもういない。
救世主候補でもない耕介が積み上げたモンスターの死体という結果は、異様なものだろう。
この戦争において、今の時点では、耕介のモンスターのキルスコアは、久遠に次いで二位だ。近い未来、久遠も浩介も、とある人物に抜かれることになるのだが、それでも驚異的に活躍だ。
今回の戦争は、救世主候補ではない者の方が目立っているという現状である。
耕介は、ふと左腕に身につけている時計を見た。

「もうすぐかな」
『はい。どうやら王国軍の皆様も、緩やかに後退しているようです』

耕介の独り言にも近い言葉に、十六夜が応えた。
十六夜の言うとおり、救世主候補や知佳の後方からの援護を受けて、どちらかと言えば押していた王国軍が、ジリジリと後退を始めていた。
耕介たち……というよも、この戦場に居る者たちがすべきことは、あくまで時間稼ぎだ。
すでに王都からの退去は終わっているだろう。となればもうすぐレベリオンの砲撃が打ち込まれるだろう。
その威力は凄まじいらしく、このまま戦場に留まれば、王国軍も絶滅となってしまう。
となれば、どこで撤退をしなくてはならない。
そのタイミングはそろそろだ。
だからこそこのタイミングで、後退が始まっている。
そろそろ耕介たちも後退しなくてはならない。

「耕ちゃ〜ん!」

耕介が撤退のタイミングを計っていると、そんな間延びした声と、また三十路を越えた男としては少々情けない呼ばれ方に、耕介は力が抜けそうになった。
モンスターの死体の上を危なげに歩いてくるのは、ゾンビ娘ことナナシである。
そして、目の前にきたナナシに、耕介は脱力するように息を吐く。

「ナナシちゃん、その呼び方、どうにかならない?」
「何がですの?」
「……もういいや」

今回は基本的に、耕介はナナシと組んでいた。
ナナシの戦い方基本的にトリッキーである。頭をブン投げたり、手を飛ばしたりと、トリッキーですむのかという突っ込みはあるが、モンスターでさえ、その戦い方は意表を突かれる。
何をするのかわからないというのは、戦いにおいては、かなりの恐怖を与える。
そのためナナシが、モンスターの隊列を崩し、また囮になることで、耕介が霊力技を放ったり、そこに切り込むという形を取ったのだ。
その成果が、この死体の山である。

「さて、ナナシちゃん、そろそろ退くよ」
「帰るんですの? ダーリンに会いたいですの」
「大河君、まだ帰ってるかわからないけどね」

今回の任務で一番危険なのは、大河たちだろう。さらに言えば彼らの任務が達成できなければ、ほぼ負けは決定する。
恭也の任務もまた危険である。
はっきり言ってしまえば、両者共に相手次第なのだ。
破滅の将が複数その場にいたならば、任務の達成率は著しく下がり、また危険度も跳ね上がる。
耕介はまだ破滅の将をこの戦場で見ていない。
全ての将が、他の面々の所に配置されていないことを、今は願うしかない。

「それよりも、行くよ」
「わかりました〜」

王国軍の大半が残っているならともかく、一人二人が戦場に残っているという状況ならば、クレアは迷わずレベリオンを撃つだろう。
下手に戦場のど真ん中に長居しすぎれば、待避が間に合わない。
そろそろ待避すべきだと、耕介はナナシを連れて、最前線より後退を始めた。



第六十五章



なのはとアリサの戦いはまさに一進一退という様相であった。
基本的には、アリサが押す場面が多いものの、それをなのはは受け止め、隙を見て魔法を放ち、罠を張る。
そんな攻防の繰り返し。
本来ならば、魔法使いの天敵であるアリサに、こうまでなのはが食らいつけたのは、このように防御を基本とし、だがアリサの攻撃が止んだ瞬間に、魔法や疑似魔法、罠として仕込んだ認識阻害での遅延させた疑似魔法を仕込み、発動させ、時には前回の最後と同様に鈍器として白琴を振るうということを繰り返したことにある。
端から見れば、アリサの方が押しているようらも見えるが、それは単にアリサの方か手数で攻めているだけに過ぎない。
その証拠に、なのはが攻撃すれば、アリサはあの防壁で防御するだけに追い込まれる。
そんなことを戦闘開始から繰り返していた。

「…………」

二人は肩で息をしながらも、決してお互いに目を反らさない。
お互い擦り傷や打撲はあるものの決して致命傷はなかった。

「一つ……聞いていい?」

そんな中で、なのはがふと話しかけた。

「なに?」

アリサもそれに応えるが、戦闘が始まっから、初めての会話であった。

「召喚器が二つってずるくないかな? なんで二つも召喚器を持ってるの?」
「そんなこと? 言ったでしょ、私とエリカは一つなの。いえ、最終的には、インフィニティは捨てなきゃいけないのかしら?」

それは答えになっていない答え。
だが、なのはは一瞬目を見開いた。

「エリカちゃんの……召喚器!?」

アリサの言った意味はそういうことだ。

「ええ。それこそ、私がエリカにならなければならない意味。だってそうでしょ? エリカの召喚器は私が持ってる。あのとき、エリカの亡骸に触れたとき、私はエリカの召喚器を……エターナルを手に入れた。エターナルはそれがエリカの願いだって!」

彼女は召喚器を受け継いだのだ。
ローウェル姉妹は、二人共が召喚器を持ち、片方がもう持つがことができなくなったとき、もう片方へと。
だが、それこそアリサが、エリカとならなければならないと決めつけてしまったときだった。
その理由は……

「だって、それがエリカの願いだもの!」

エターナルの言葉、エリカに託された願いを曲解したが故だ。
曲解のはずだ。
なのはは、エリカが……恭也が守りたいと思ったエリカが、そんなことを望むとは思えない。
勿論、死んだ人の願いなどなのはにはわからない。なのはの思い違いなのかもしれない。だけど、違うと思うのだ。
なのはの脳裏に一瞬、説得しようという言葉が浮かぶ。
エリカはそんなこと願っていないと。恭也を恨んでいないと。
だがすぐさま、やはり内心で首を振る。
それは確信に近いが、確証はない、エリカがもうこの世にいない以上、永遠に確証を得られることはない。
確信だけで、今の彼女を説得できるとは、なのはは思えなかった。
何より、なのはは恭也を殺すというアリサのことをどうとも思っていない。いなくなってほしい。その程度。
そんな彼女が正気に戻ったところでどうなるという。
恭也を殺すと言った彼女は、もうなのはの中では罪人だ。

「そう」

だから、それだけを冷めた声で返した。
アリサも、その反応に何も返しはしない。
そうして、二人は沈黙し、ただ見つめ合う。
なのはは、どうするかを迷う。決着をつけたいとは思うが、もう時間がない。そろそろ退却しなくては、レベリオンの砲撃で共倒れだ。
兄を殺すというアリサを許すことはできないし、自身でそれを阻みたいが、それで死んでしまっては意味がない。それだけで、ある意味アリサの目的は達成できてしまう。つまり、なのはを殺し、恭也を絶望させるというもの。
やはりそれは避けなければならない。
なのはは白琴を構えながらも迷う。
どうやって退却するか。
アリサもまた、自分を倒したいと思っていることは、なのはもわかっている。お互いになぜか心の底から憎み合う不倶戴天の敵。
それを易々と逃がすわけがない。
なのはがアリサの立場でも同じだ。
何よりアリサに背を向けるのは危険すぎる。背を向けた瞬間、伸ばした刀身に切られかねない。
どうしものかと迷うも、結局のところ倒すか、危険を承知で逃げるしかないのだ。
恭也からすれば、なのはのまだ……なのはに限らず、救世主候補全員がだが……青いと言える精神が、迷わず前者を取った。
再び白琴を構えようとして……

「なのは!」

背後から聞こえる自分を呼ぶ声に、なのはは振り返ろうとしたが、今は敵が目の前にいると思いだし、首を振る。このへんの一瞬の判断もまた青いと言えるだろう。

「くーちゃん」

背後から聞こえる声は間違いなく久遠だ。
それは正しく、大人の姿をとった久遠が、なのはの横に立った。
その視線は、なのはが白琴を向けているため、敵だとわかったのか、アリサに向いている。
大人となって鋭くなった目は、久遠の存在の出鱈目さをまざまざと見せつけるだろう。なのはも白琴を持ったことで、久遠の異様な強さを初めて知ったのだ。
アリサもすぐに久遠の力を見抜いたのか、軽く目を見開く。
恭也を抜かして、最も強い者は、最強の存在は久遠だと言い切る。しかもこれで、すでに弱体化した状態だ。
祟りとしての力は、すでに砕かれた。それでも彼女は、最も強く、最強の存在。
救世主候補全員でかかったとしても勝てるかどうか。

「なんて化け物……」

アリサは吐き捨てるように呟く。
久遠がどれだけの存在かを理解し、それでも震えすらしない。
その絶対的に意志は、確かに特筆に値いるだろう。
だが、アリサはエターナルを残し、インフィニティを消した。

「行きなさいな」
「え?」
「王国軍はもうそろそろ退却する刻限でしょう?」
「っ……!?」

アリサの言葉に、なのはは目を見開く。
なぜそれを知っているのだ。

「私もレベリオンの砲撃であなたと一緒に心中なんてごめんよ。何より、あなたとの決着はそんなものでつけられるものじゃない」

知っている。アリサは王国軍の作戦の全てを。
それはつまり、こちらの情報が筒抜けということなのだ。
誰か、スパイがいる。
それらに行き当たり、なのはは戦慄する。まさかこれから先の全ての事象が。破滅の手の内だというのか。

王国、学園に破滅のスパイがいることは、恭也とリリィとミュリエルしか知らない。
恭也は、下手に意識させないように誰にも告げていないのだ。だからこそなのはがこう思っても仕方がない。

このままでは負けてしまうのではないか。
そう考えながらも、今はそのことを気にしている暇はないと、なのはは久遠と共に、アリサに背を向けた。

「また会いましょう」
「次はきっと決着をつけよう、アリサちゃん」
「そうね」

友ではない。敵同士の会話。
だが、それでもなのはは、彼女が親友であるかのように、彼女の考えがよくわかる。
だから、次の言葉も同じものになるというのも、

「「でも、私が勝つ」」

よくわかっていた。
その言葉が別れ。
なのははもう何も言わず、後ろから攻撃してくるのではないかと、アリサを気にしている久遠と共に駆けだした。
やはり攻撃が来るわけがないと、妙な信頼と確信がなのはにはあった。
その通りに、アリサはなのはたちを見送ることも、背に攻撃をしかけることもなく、彼女もまた二人に背を向け、駆けだした。
二組の間を強い風が吹き抜け、戦場の後に砂を巻き上げる。
こうして三度目の二人の戦いは、またも決着がつくことなく終わった。



◇◇◇



城壁にいる知佳と、未亜。リリィの三人は、高い場所から戦場を眺めるからこそ、その推移を戦場のど真ん中にいる者たちよりも、正しく把握することができていた。

「どうも作意を感じるよ」

僅かずつ後退していく王国軍を眺めながら、ぽつりと知佳はそんな言葉を漏らした。

「作意?」

その言葉を拾ったのは、リリィだった。
知佳は頷いて返しながらも、目は戦場に向いている。

「戦争になんて出たのはこれが初めてだけど、うまくいきすぎてるように感じる」
「うまくいくのはいいことなんじゃ」
「そうなんだけど、うまくいくように動かされてるみたいな感じ」

知佳の言う意味がわからず、リリィと未亜は揃って首を傾げた。

「破滅の数。多すぎるから時間がかかったけど、だいたいわかったよ」
「うえ、数えたんですか!?」
「HGSは、そういう能力もあるから」

彼女たちHGSは演算能力が普通の人間よりも高い。そういう部分が人の数倍あるからこそ、大抵のHGS患者は、他の人間を見下す……というか、別種族扱い、それこそ虫扱いの者が多いのだが。

「今現在が四万ぐらい。たぶん戦闘開始時点では、五万五千から六万ぐらいだと思う」
「予想の約半分?」

十万の大群と言われていたのが、半分となっている。それでも王国軍の倍近くの数ではあるが、予想よりも少ない。

「他の街に人数を振り分けたんでしょうか?」

未亜は首を傾げたまま呟くが、リリィは首を振った。

「王都を孤立させる意味では効果的だと思ったけど、よく考えたら意味がない……とは言わないけど、破滅にとってもまず攻略しなければならないのは王都よ。普通ならここに最大の戦力を送ってしかるべきだと思うわ」

王都アーグ。バーンフリート王家が治めるこの世界において、首都に当たる場所。
当然ながら王城があり、軍事、政治、経済問わず各重要施設、重要人物が揃っている。
この世界の中枢であり、心臓部と言っていい。王都が落ちれば、まず間違いなく、こちらの負けだ。
これまでの破滅の動きからして、智恵ある者がいること間違いない。そのため、そんなことは破滅が一番わかっているだろう。
であるにも関わらず、主力の戦力を削いでどうするというのだ。
主力を削っても勝てるという算段かもしれない。しかし、それでも王都を落とす方が効果的だと言わざるを得ない。
それらを怪しみ、リリィが他の街から来た伝令に話を聞きに行くと、他の街に現れた破滅の軍勢は前回とほぼ変わらない数らしいことがわかった。
しかし、だとすると余計に疑問が出てきた。

「でもそうなると残りはどこに行ったのかしら?」

伝令に話を聞き終え、それを知佳たちに伝えると、リリィは眉を寄せて言った。

「えと、破滅の本拠地の防衛のために残した、とかはないのかな」

未亜の発言は確かに的を射ている。
こちらは破滅の本拠を特定してはいないが、それでも本拠地に戦力を残さなければ、一気逆転されるという可能性を相手に与えてしまう。
ならば本拠地に戦力を置く、もしくは残しておくのは当然だ。

「でも、無限召喚陣で破滅の戦力はむしろ増えてるからね。単純計算で、十二万近くは残ってたことになる」

知佳の言う通り、計算をするとその程度は残ってしまう。
ここに約五万。他の都市をまとめて三、四万程度だろう。これで合計八万程度。
先日ですでに全軍で十数万だったことを考えれば、大河たちが召喚陣を破壊するまでに、さらに増え、合計十万後半、最悪二十万以上になってしまうだろう。
その全体から八万を引けば、残り十万から十二万。しかもこれは最低でもという数字だ。最高がどれだけになるかわからない。

「……あの、それが本当なら、レベリオンを使っても」
「せいぜい四分の一程度を掃討するだけで終わるわ」

十万の大群を想定してのレベリオンを使うという作戦。
それは瓦解する。
四分の一を滅ぼせたとして、さらに希望的観測で、他の都市で、それぞれ破滅を撃退できたとしても、半分の戦力を削げるだけだ。
少なくとも、戦力を王都に終結させた現在、他の都市が全てのモンスターを撃滅するというのは不可能だろう。
つまりよくて四分の一だ。
十万近くの大群が、必ず残る。

「そんな! なら!」
「レベリオンの発射を止めることはできないよ」
「でも、あれはそんなに撃てないんじゃ!」
「クレアちゃんの話だと……一発」

こちらの最終兵器は一発しか撃てない。一発で王都のマナが枯渇するからだ。
鉛を飛ばすのではなく、マナという力を圧縮し、それを弾にして放つ以上、マナがなくなればもう撃てない。
しかしここで放てば、四万を倒す程度で終わる。そして、もう二度と撃てず、残りの十万への対処は絶望的だ。
だからこそ、未亜と同じ焦りは、知佳とリリィにもある。

「ここで取りやめたら、結局私たちは負けるのよ……!」

リリィは唇を噛みしめ、悔しそうに言葉を放つ。

「王都が取られても、ほぼ私たちの負けは決定なんだよ。それに今回の戦いは、撤退することが前提になってるから、ここで徹底抗戦なんて作戦に変えても……士気が保たない。そうなったら……」
「ここが抜かれてしまう? 最悪、全滅……」

未亜の言葉に、やはり知佳も悔しそうに頷いた。
もうここにいる人員は何とかかき集めてのものだ。初期課程をすませた学園の生徒たちも戦っている。
これ以上の戦力を絞り出すことはできない。つまり全滅すれば、もう対抗する人員は限りなく少なくなり、ここを抜けられれば、破滅ががら空きの王都へと進入する。
ここが最終防衛線でもあるのだ。
つまりレベリオンが発射できなければ結局は、負けは決定なのだ。

「ここで全滅するか、敵の戦力が残っても、次に繋げるか」

二つに一つだ。

「そもそも斥候は何やってたのよ……」

リリィは舌打ちして呟く。
偵察による情報収集は斥候の役割であり、敵の数など最も重要な情報だ。それを完全に見落としていたことになる。
これが……十万の大群と想定した場合なら……千程度の誤差ならともかく、半分以上を見落としていた。
本当に斥候を出したのかさえ怪しい。
下手をしたら、この前クレアが出した十数万という数すら怪しくなる。これでは本当に破滅の正確な数などわからないに等しかった。

「……今、それを言っても仕方がないよ。そもそも私たちに作戦変更の権限もなければ、指揮権もない」
「……このまま作戦通りに行くしかない、ってことですよね?」
「うん」

三人はそれだけ会話をすると破滅から視線を背ける。
その中で、リリィは一人舌を噛む。
彼女はこの中でただ一人、学園が諜報されていることを知っていた。
恭也は恐らく、学園だけでなく、王国にも諜報員【スパイ】がいるだろうとも言っている。今まで、こちらの情報を盗み、その情報でこちらを撹乱し、戦術、戦略立案に使っていた以上、破滅にはそれなりに優秀なインテリジェンス【情報機関】に似たものがあるのだろうとも。
戦争において情報とは相当に重要なものだが、破滅にはこちらの情報が伝わり、こちらには破滅の情報がない状態。拠点からして正確にわかない以上、恭也やカエデでもどうしよもない。
学園の方は、それなりに恭也が動き、カウンターインテリジェンス【防諜】を行い、それこそ偽の情報を与えたりしていたらしいが、王国はそうもいかない。
王女であるクレアに伝えはしたものの、この結果を見るに、うまくいったとは言えまい。
つまり情報戦で、一歩や二歩どころか、十歩も二十歩も負けているのだ。
そもそも諜報ができる人間が、防諜をできるとは限らないし、逆もまた同じ。王国にも諜報員がいると恭也は言っていたが、だが防諜の方はどうだかわからないと言っていた。
それを総合すれば、つまり戦術、戦略でさえ負けているということ。
破滅は意思も思考もないなどと言い出した者は一体誰だと罵りたい状態。
しかし、リリィは内心で首を振る。
これでも良くなったのだ。恭也のおかげで。恭也がいなかったらどうなっていたかと思うとゾッとする。
まだ未来が途切れたわけではないと、そこでリリィは思考を止めた。

「行こう。もう他の人たちも退却を開始してる」
「伝令ぐらい寄越しなさいよね」
「人手不足だから」

それだけを言い合って、三人は駆けだしたのだった。



◇◇◇



戦場が混迷を始める。
その原因は王国軍にあることは間違いない。
少しずつだったはずの後退がいきなり大きくなり、その王国軍の行動が、戦場をかき回している。
後退を始めた王国軍を見て、自分たちの勝利だと勢いづく破滅。
機密であるレベリオンを知らない王国軍の兵士は、それに押され、なぜ退却するのだと混乱している。
それらを駆けながらも見回して、耕介は内心苛立っていた。

「……俺自身戦争なんかしたことはないけど、これは酷すぎる」

毒づくように呟きながらも、耕介は足を緩めず、戦場から逃れる。

「みんなも苛立ってますの」

その後ろをかけるナナシもまた、いつもからは考えられない悲しみに彩られた表情で呟く。

『指揮系統が滅茶苦茶のようですね』

耕介が持つ十六夜もまた、悲しみに濡れた声が聞こえた。
退却をするにしても、王国軍は滅茶苦茶だった。

「指揮する人間が一番最初に逃げてどうするんだよ!?」

今回の戦いは最初から退却が決められていた。その命令は上級騎士と呼ばれる、王国軍の大隊長以上の騎士に与えられている。
さらに機密であるその理由は、連隊長以上の騎士に与えられていた。
しかし、それらが真っ先に戦場から逃げ出したのだ。しかもご丁寧に、逃げ終わると防壁に複数ある門を閉めている。すでに開いている門は一つだけだ。
そのため混乱に拍車がかかった。
少し前までは、緩やかに後退していたはずが、今では暴走だ。
最初は人手不足から伝令にこないと思っていれば、調べてみれば伝令を渡す者が戦場にいないのだ。これで退却の命令など不可能である。
だが、指揮権を持つ者が逃げ出したために、またその周りも逃げだしと、結果的に退却の形に整っただけ。
命令による退却ではなく、混乱による退却。
耕介は自分たちも……戦争という意味では……平和ボケしているとは思っていたが、この様子を見ると、こちらの世界の方がよほど平和ボケしている。
考えてみれば、国が一つしかないということは、大規模な戦争の経験は千年も前のことなのだ。耕介たち以上に、戦争という単語は遠い所にある。

「くそっ! 恭也君がいれば!」

情けない話だが、戦場で人を動かす能力……指揮という能力では、耕介は恭也に遠く及ばない。
恭也の慣れているわけではないが、彼は強くなるための手段として、……学園長やらには隠しているが……戦術から戦略、心理学に至るまでの書物を読み漁っている。簡単な指揮ぐらいならば可能で、耕介や王国軍の騎士たちよりは余程ましだ。無論、本格的に指揮するのは無理だろうが。
恭也ならば、混乱する王国軍全ては無理でも、周囲の兵士を落ち着かせるぐらいのことはこなすだろう。

「退却だ! 退却! 今すぐ防壁の向こうに逃げ込め!」

耕介は叫びながらも、近くにいたモンスターを斬り飛ばす。
一太刀でモンスターを倒すことができる者など、王国軍でも一握りだ。そのためにある程度の注目を集めるものの、耕介の言葉を聞いている者は少ない。
混乱している一人、とでも思われているのだろう。

「くそっ、どうする」

モンスターをできるだけ引き離して、目的の地点を通過しなければならないというのに、退却の速度が遅く、次々と兵士たちがモンスターの波の中にのまれていく。
唯一の救いは、耕介たちが今いる場所が、殿ということだろう。
つまり今耕介たちがいる前の兵士を予定の地点を抜けさせるだけでいい。
しかし、それが難しいとも言える。混乱が元凶である退却であるため、皆が皆周りの人間を押し合い、余計に速度を落としている。そして、遅れた者から順にモンスターに屠られていた。
これを落ち着かせることなどできない。
だが、逃がさなければ全員死ぬだろう。
そんなふうに耕介が苛立っているときだった。
両横から次々と炎の塊が、石の塊が、矢の雨が、極大の光が、極雷が降ってくる。
それらは王国軍の兵士たちだけを無視し、次々とモンスターを飲み込んでいった。

「早く逃げなさい!」
「慌てないで!」
「冷静になってください!」
「ここは私たちが引き受けます!」
「早く!」

それはこの戦場にいる救世主候補たちと、知佳や久遠の一撃。
この戦場における主柱とも言える救世主候補たちの出現に、王国軍の者たちはざわめき、しかし彼女たちの言うことを聞いて、ゆっくりと後退していく。

「お義兄ちゃん、大丈夫!?」
「助かった、知佳」

駆け寄ってきた知佳に、耕介が礼を言うと、他の救世主候補たちと久遠も近付いてきた。

「凄いことになってますね。他のところは大丈夫なんですか?」

前戦から戻ってきたばかりのなのはは、状況が未だ掴めていなかったのだろう。今の状況を聞くと、リリィは軽く頷く。

「残ってるのは、ここの一団だけよ。あとは何とか防壁を越えたわ……馬鹿な連中のおかげで、被害がかなり出たけどね」

後半の言葉は、どこか吐き捨てるかのようだった。

「よし、なら俺たちが殿について、さっさと逃げよう。時間的にそろそろまずい。この防壁ごとやるんだろう?」
「クレアちゃんの話によるとそうだよ。防壁で時間稼ぎをして、残りの人間が逃げる、ってことみたい」
「そうか。なら早く行こう。このままだと俺たちもまずい」

ここでダラダラと会話を続けているわけにはいかない。それは誰もが理解していることとで、全員が頷き、王国軍の最後列へとついた。
当然ながら、魔物たちは猛烈な勢い追いかけてくる。王国軍の後退に士気を上げたその勢いはかなりものだ。
しかし、それらを耕介が斬り、久遠が雷撃を浴びせ、知佳が転がる石を超高速で叩きつけ、ナナシは何が楽しいのか、笑いながら殴り飛ばして……回収ができないため身体を投げるのは全員で止めた……いる。
残りの三人、リリィと未亜、なのははそれらの援護をしながら後退を続けた。
王国軍の兵士たちが千人単位で行動しているため、後退は遅々としたもの。しかし、先ほどよりも断然に統制がとれている。やはり救世主候補というのは、この世界では重いものなのだろう。
長く感じる時間の流れ。
たがようやく防壁の門へと辿り着き、その小さな……千人単位で入るからであって、個人で見ればそれはかなり大きい……門へと兵士たちが雪崩れ込んでいく。

「よし、私たちは暫く足止めしましょう」

一列に整列しても、門をくぐる人数は同時に十人が限界だ。リリィたちの背後には約二千人強はいる。全員が潜るには、あとどれぐらいかかるか。
しかし、防壁の周囲には人工的に造りだした川が流れ、門へと向かうにはそこにかけられた橋を通る必要がある。
防衛を主眼にした造り。そのためリリィたちは、橋を守るようにして戦えばいいだけだ。足止めには有利と言える。

「とりあえず、全力で一撃いこうか」
「そうね。多少脅して足を止めるわよ」

知佳の提案に、リリィが補足説明を入れると、全員が頷くまでもなく、それぞれ力を溜めていく。
最初に一撃を放ったのは未亜だった。

「シャニングアローッ!!」

未亜のジャスティに番えられた矢が、巨大な光を纏いながら飛び出す。それはもはや矢ではなく、彗星の如く。
彗星の矢は、たった一つの矢でありながら、複数の魔物たちの肉体を抉り、貫き、押し潰す。

「楓陣刃っ!!」

続いたのは耕介の霊力技。
未亜の光の矢と同じように、巨大な光となった耕介の霊力は、一直線に飛ぶ。だが、未亜の矢とは違い、掠っただけで魔物を消し飛ばしていった。

「アークディアクルッ!!」

リリィの力ある言葉とともに、それは天より降ってくる。
氷塊であり、氷柱。
全長、三メートルの氷の刃が、数十個。本来ならば、巨大な氷で押し潰す魔法だが、リリリィはそれを成形し、この形としてみせた。
雨のように降る氷柱たちは、次々と魔物たちに突き刺さる。脳天から突き刺さり、身体に突き刺さり、さながら地獄絵図の有様だが、死んだ魔物たちは、光となって消えていくのが、唯一の救いか。

「ごめんね」

知佳は一言だけ謝り、その腕を上げ、手をグッと握りしめた。
同時に両手両足を持つ人間型の魔物だけが、数十匹倒れる。口から血を流し、確認するまでもなく絶命しているだろう。
念動力による心臓破壊。
外見にはダメージを与えず、内だけを破壊する念動力を使える者にとって、最強の戦い方。無論、同じ生物でも、それぞれ心臓のある場所は、数o単位でも微妙に違うし、念動力を目に見えない内部へと意識的に使うには、ある程度対象の位置情報も必要だ。そのため、内部攻撃をするためには、正確な相手が居る位置情報と破壊する部位の位置情報が必要で、またそれらを正確に、また早く計算するための、高度な演算能力を必要とする。少なくとも高速で動いている相手には通用しない。
しかし、目の前にいる魔物たちは大群であり、動きが遅く、人間と同じ形の魔物ならば、やはり人間とだいたい同じ位置に心臓がある。それらの情報を高速で演算し、心臓だけをダイレクトに握り潰したのだ。ある意味では最も残酷な命の奪い方。

「一斉放射っ!」

なのはの命を受け、目に見えない魔法陣たちが一斉に起動する。
退却のさいに描き続けた魔法陣は、確実に百を超え、その全てが自分たちを巻き込まないところに描いているという確信があるなのはは、魔法陣にかけた視覚阻害の魔法を解くことなく、それらを発射した。
上、下、左、右、上空、地面、所構わず、放射される疑似魔法。
光の塊、炎、氷、雷、闇の塊、多種多様の形をしたそれらは、魔物たちを吹き飛ばす。
その破壊力は、他の者たちの比ではない。
殲滅戦、物量では、この場にリコがいない以上、彼女に勝る者はいなかった。

「雷っ!」

そして、ここに大妖が放つ神雷が、戦場を穿つ。
かつて強力な結界によって守られていた神社仏閣を破壊した雷の破壊力は、他の者たちの比ではない。
魔物たちを炭化させるだけでは飽きたらず、灰へと変える究極無比の雷。
破壊。
その言葉が、これほど合う技はないだろう。

「皆さん、ガンバレー! ですの!」

ナナシは良くわかっていないのか、応援をしていた。
ナナシを抜いた、六人による無差別最大攻撃は魔物たちの一角を軽々と吹き飛ばす。六撃の破壊は、それだけでまとめて数百の魔物を惨殺せしめた。
破壊の音に驚き、振り向いた王国軍の兵士たちが歓声を上げる。目の前の惨状を見て、魔物たちが、恐怖し、畏怖し、隊列を乱しながらも、その足を止めた。
その隙を見て、王国軍の兵士たちは、門の向こうへと雪崩れ込む。

「…………」

その間も、残った六人は橋の前で動くことなく、魔物の軍勢に睨みを効かせていた。
いかに知能が低い魔物であれ……いや、だかこそ、あの六人がどれだけ化け物か理解でき、歩を進めることもできず、さりとて彼らに戦いを挑むのは蛮行以外の何ものでもなく、足を止めてしまう。
それは異様な光景と言えた。
橋の前に立つのはたった六人。しかし、その六人の前にいるのは数千の軍勢。六人に対して、数千が何もできず立ちつくす。
とはいえ、六人は六人共内心では、ビビリまくっている。もう無茶苦茶恐い。あんな規模の魔物に追い立てられたら、絶対負ける。
しかし、それを顔に出さずにいられるのは、一重にこんな状況でもきっと顔色一つ変えないだろうという男を知っているからだ。
時間にして数分。本人たちと魔物たちにしてみれば、夢幻にも感じた時間。睨みを効かせながらも、背後を見た耕介は兵士たちの大半が門を潜ったことを確認した。

「みんな」
「…………」

耕介が声をかけると、皆が頷く。
そして、魔物たちに背を向け、歩き出した。決して走りはしない。まるで余裕があるとでも言いたげに、ゆっくりとした歩み。何度か振り返りながら。
魔物たちからすれば、泰然とした様子で歩く耕介たちは、恐怖の対象だ。逃げるようにして走ったならば、自分たちが優勢なのだと理解して、恐怖を解き、追撃することができただろう。
しかし、六人は歩いていた。魔物たちなど眼中にないかのように。それが魔物たちにさらぬなる恐怖を植え付けていたのだ。
障害もなく、耕介たちは門へと辿り着く。ここに至っても魔物たちが動く様子はない。
それを確認すると、彼らは門を潜った。
するとそれを待っていたように、門が閉まる。開閉役の者が残っていてくれたようだ。これでそう簡単には、魔物たちも防壁を潜ることはできない。簡単には門を壊すこともできない。防壁用であるため、この門はかなりの衝撃に耐え、また外側からは開けられないようになっている。

「急ぎましょう」

リリィの言葉に頷くまでもなく、他の者たちは駆け始めた。
最後に門を潜った兵士たちと、門番たちもそれにつられて走り始める。ここまで来たら、隊列など気にしていられない。

「あと何分ぐらいなんですか!?」
「正確なところはわからないですけど、もう安全な時間は五分もないはずです!」

未亜の問いに、なのははこの世界で買ったゼンマイ式の時計を見て言った。
なのはは、最後にクレアと会ったため、より詳しいことを聞いているが、それによるとレベリオンを起動させるのは、千年ぶりのことであり、発射の時間が正確には決められず、振れ幅が十分単位になると聞かされていた。
一応は今から十五分後という手筈になっているが、振れ幅の問題で、今から二十五分先になるか、五分先になるかがわからないのだ。
ある意味兵器として欠陥品と言っていい。

「何がですの?」
「ああ、もう、このゾンビ娘は! 少しは空気を読みなさいよ!」
「空気は読むものではなく、吸うものではないのですか?」
「ゾンビって空気いるの?」

ナナシの緊張感のない言葉に、漫談に移行しそうになる。
だが、唐突にリリィが顔を上げ、遠くに見える王都、王宮にある高い塔に視線を向けた。

「まずいわよ! もうマナを吸い始めてる!」
「ええ! ホントだ!」
「あわわわ!」

魔術師としてマナの変化に敏感であるリリィが、最初にそれに気付き、また未亜となのはも気付く。
レベリオンは、すでに弾丸を装填する間際ということだ。
これはあと三、四分しかない。
防壁よりすでに五百メートル以上は離れているが、ここが安全圏であるという確証がない。
破滅が十万という数……実際にはその半分しかいなかったが……から、隊列が伸びること予想して、防壁から三q先に着弾させるという話だが、少なくとも防壁は巻き込まれるとのことだ。

「走って! 早く!」
「走れ走れ走れ!」

知佳と耕介が、手を降りながら、救世主候補と残った数人の兵士たちを急かす。
兵士たちはこの先何が起こるのかを知らない。そのため急かす彼らの意味を理解していないが、救世主候補たちの必死さを理解し、足を早める。

「まずいわよっ! もう一分もないっ!」
「くっ! もうこれ以上は無理だ!」

一分で逃げられる距離などたかが知れている。あとはもう、ここか範囲外であることを願うしかない。

「みんなこっちへ!」

そんなとき、耕介は小高い岩を見つけ、全員をそちらに誘導し、岩陰に隠れさせる。

「焼け石に水だけど、一応」

知佳は、兵士を含み全員が入れるバリアを張った。

「一体何が!?」

まだ年若い兵士が、兜を上げて聞いてくるが、耕介は無理矢理その兜を再び戻す。

「いいから今は喋らないでくれ! 他のみんなも口を閉じて、唇や舌を噛まないように! 身体も屈めるんだ!」

範囲外だったとしても、衝撃は来るだろう。その中で口など開けていたら、それだけで舌を噛み千切りかねない。
救世主候補たちは、耕介の言うことを聞き、唇を強く閉じ、身を屈めた。それを見て、もはや訳がわからないという様子を見せる兵士たちだったが、その真似をする。
そして、

「来た!」

リリィの言葉とともにそれは来た。
光。
巨大な光。幻想的に見えるそれは、しかし見る者に恐怖しか与えない。それが見ただけで破壊のためのものだと理解できてしまう。
その光は耕介たちの頭上を通り、防壁の向こう側へと落ち……

――世界が壊れた

そうとしか思えない衝撃が辺りに吹き荒れる。
閃光と衝撃と爆音。
それ以外がない。
それしかない。

「くっ!」

知佳のバリアがあっても、それらが耕介たちの肌を打ち付け、目と耳を侵す。吹き上がる風が、身体がなで回すどころか打ち付けてくる。
止まない破壊。
このままではその余波だけで、自分たちは死ぬ。そう理解したとき、何もかもが止まった。

「えっ、あ……」

生きている。
全員がわかり、フラフラと立ち上がる。
そして、岩陰から出た。

「おいおい」

耕介は思わずそう呟く。
何もない。
遠くに見えた防壁も、所々にあった木々も、その向こうにいた魔物たちも。自分たちが隠れていた岩だけが、上部の大半を吹き飛ばされながらも、ポツンと立っていた。
何もないとしか言いようがない。
茶色い土しか見えない。そして、その先にある巨大なクレーター。
全員が言葉を失った。
しかし、そんな中リリィが首を振る。

「帰りましょう。まだ終わってない」

リリィも、この惨状を見て恐怖を覚えているし、思うところもある。が、今はそれすら脇におかなければならなかった。

「終わってないのよ」

終わっていない。
破滅の戦いは終わっていない。
それ所か、自分たちは何もかも間違えてしまっていた。
一つだけわかることがあるとすれば、今回三つの場所で起きた戦いは、複雑に絡み合い、この先の戦いを混迷させる。
今わかるのは……それだけだ。



メンテ
Re: 黒衣(仮投稿) ( No.599 )
日時: 2012/01/02 05:48
名前: テン



目を覚ませば、既に見慣れてしまった天井があった。

「またか……」

恭也は呟き、上半身を起きあがらせる。
ついこの間も似たようなことがあった。気付けば自分の部屋であり、もしくは気付けばベッドの上にいるという状況は、ここ最近かなりの頻度で起こっていた。

「マスター、目が覚めたのですか!?」

声が聞こえ、顔を横に向けると、リコが驚いた顔を浮かべ、部屋に入ってくる姿をあった。

「ああ。すまない、迷惑をかけた。リコが連れてきてくれたのだろう? 大変だったんじゃないか?」

リコは小柄だ。そんな彼女が、成人男子の中の平均よりも高い身長と体重の恭也を連れて来るのは、間違いなく重労働のはずだ。
しかし、リコは首を振る。

「召喚術を使ったので、そこまで大変ということはありませんでした。学園に着いてからは、他の生徒の手を借りましたから」
「そうか。しかし、礼は言わせてくれ」
「はい、受け取りました」

頷きながらも、嬉しそうに笑う。礼を言われたことではなく、恭也の無事な姿を見て、安堵したのだろう。

「傷も塞がっているが、これは……」
「私とミュリエル、それに他の生徒たちにも手伝って頂きました。生徒は初期課程の人しか残っていなかったので、簡単な魔法しか使えない人がほとんどでしたけど、人数が多かったので、何とか」
「学園長までも?」
「はい」

聞けば、すでに今は半日以上経過し、ダウニーたち戦った日の翌日の朝であるらしい。
恭也は、もう一度そうかと頷き、内心で学園長と他の初期課程の生徒たちにも、今度礼を言わなければな、と考えていた。
しかし、それは今は横に置く。

「白の主が誰なのか、わかったのだろう?」
「え……!?」

恭也の唐突な言葉。それにリコは目を見開いた。



第六十六章



そんなリコの顔を見て、恭也は苦笑を浮かべる。

「白の主だ。予想では大河だと思うのだが? それと破滅は俺をどうするかも告げてきたと思うが」
「なぜ!?」
「どちらも単純な推測だ」

恭也は深々と息を吐き出す。
そのどちらも推測。前者は丁度ダウニーが主幹であったことがわかったときから、後者はダウニーの怨嗟の目を見て、恭也の頭の中で組み立てた。

「白の主が不明であること。それ自体が引っかかっていた。イムニティは確かに封印を脱し、力もリコと同等。とくに力が同等であることに気に掛かっていた」
「それはどういう……」
「リコは俺を主にしたからこそ、本来の力を出せない」
「それは!」
「これは純然たる事実だ。気にするな」

救世主候補ではあるが、しかし恭也の召喚器は眠りについている。だからこそ、リコの力は、歴代の主たちに契約していたときよりも、段違いに下がっているらしい。特に魔力の回復が遅い。
無論、恭也の召喚器が目覚めれば、リコの力は飛躍的に上がるだろう。むしろ、恭也の召喚器が眠りについている今の時点で、あれだけの力があるのだから、目覚めればそれこそ最強と言っていいほどなるかもしれない。
しかし、問題は力の大きさだ。
恭也の問題から、力を発揮できないリコ。そのリコと主を得たイムニティが、なぜ同等であるのか。

「ありえないだろう?」
「私は、イムニティの主の資質が脆弱であるから、と予想していました」
「その考えもなかったわけではないが、しかし、俺を主にしたデメリットを覆せるほどではない、と思ったんだよ、俺は」

リコが、そのデメリットを覆して、イムニティに対抗できる。それ自体が、本来ならばおかしいはずなのだ。
レティアは、イムニティが強い資質の主と契約したと言っていたが、今まで何度か戦い、またリコたちのことを知れば、そこまで強い資質がある主とは思えなかった。とはいえ、レティアの言い分は、恐らくイムニティが厳選して主を選んだから、ということだったのだろうが。
しかし、数度リコとイムニティは戦い、互角で終わる。それがおかしいと思ったのだ。

「イムニティの主は、白の主は、自分がイムニティと契約したことを、自分が白の主であることを知らない」

そこから出てきた答え。
契約とは、正しく行わなければ効力を著しく低下させる。それはどんな契約でも同じだ。それが書の精霊との契約にも適用されるのだろう。
正しく契約されなかったから、イムニティの力はそこまで上がらなかった。そう考えるのが妥当だ。実際、リコと恭也が契約したとき、口付けだったが、他にも幾つか方法があり、その方法により、契約形態が変化して、力が増減するということを聞いている。

「破滅にいるエリカ・ローウェルが主なのでは、と思わなくもなかったが、これもまたない。なのはが対抗できた時点で、白の主の可能性は潰える」

これはリコとイムニティの力が、同等であることと同じだ。
書の精霊との契約は、主にも恩恵を与える。つまりは潜在能力の上昇や力の上昇だ。これもまた、こちらは恭也の召喚器が眠っているため、ほとんど恩恵がない状態だが。
しかし、なのはが対抗できた以上、エリカが主である可能性は消える。
そもそも、エリカと契約できるわけがないのだ。

「イムニティは封印されていた。だからエリカと契約できるわけがないんだ。エリカがこの世界に来たのは、イムニティが自力で……主を得て封印を破ってからのはず。
封印された状態で、どうやって契約するか。答えは簡単だ。自分が動けないならば、主となり得る者を、自分が封印されている場所に来させればいい」
「あ……」
「召喚陣の破壊。あれは救世主候補たちをイムニティが封印されている禁書庫へ来させるために起こしたのだろう。爆破したのは恐らくダウニーか辺りだと思う」

そう考えれば辻褄が会うのだ。
そして、その思惑通りに何人かが禁書庫の最深部に辿り着く。

「つまり候補は、なのはと大河と未亜……そして俺だった」

イムニティの主になれる者は、その四人しかいない。恭也の選択が少し間違えれば、恭也が白の主だった可能性もあっただろう。
それはそれで破滅に白の主を与えることにならず良かったかもしれないが。

(いや、もっと最悪になったような気がするな)

なぜかわからないが、そう恭也は思う。自分が白の主になったならば、全てが狂うような気がする。
それこそなのはや大河たちと殺し合いに発展する。そんな気がした。イムニティを愛し、他の誰かを愛して、しかし、その結果として最後には自分だけが死んでいく。だが、それが自分の願いだった。自らの死を願いながら、事実何かを道連れにして死ぬ。そんな幻視が脳内にちらつく。
その幻視を振り払う。
リコを選んだ今の自分には関係のない話だ。

「俺は赤の主になったから除外する。怪しいのは残る三人。だが、今回の戦いで、未亜となのはの可能性はなくなった」
「どうしてですか?」
「ダウニーだ」
「ダウニー?」
「イムティは破滅の与している。それが自分の主を救世主にするための早道だと思ったのだろう」

イムニティはリコと違い、率先して自らの主を救世主にしたいと思っている。そのためだけに破滅についたはずだ。
つまりイムニティとダウニーは繋がっていて、ダウニーは白の主が誰であるのか知っていた。

「そして、二人の利害が一致している以上、ダウニーもまた何かしらの理由で、救世主を求めているのだろう。そうであるならば、白の主を危険な任務に向かわせたくない」
「はい」
「こうなるレベリオンの砲撃がある破滅の軍勢の戦いには出したくはないだろう」

破滅の軍勢だけなら、主幹であるダウニーが白の主だけを殺すなと命じればいい。だが、ここにレベリオンという不確定要素があると、白の主がどうなるかわからない。
恐らく、白の主がここに配置されたなら、率先して止めただろう。

「ダウニーは鎧の破壊は反対した。しかし、それだけだ。これは恐らく俺の後をついていっても構わないように、外堀を埋めるためのブラフなのだろうが、ダウニーが反応したのは、鎧破壊だけだ。他に言及していない」
「白の主がレベリオンの砲撃のある破滅の軍勢との戦いを回避した以上、ダウニーが気にするのは、マスターだけ、ですか?」
「ああ。そうなると、召喚陣の破壊に赴いた大河とカエデ、ベリオが白の主の可能性が高まった。しかし、カエデとベリオは、禁書庫の最深部にまで辿り着いていない。そうである以上、候補は大河しかいないだろう」

つまりは白の主は大河。

「大河は自分か白の主だとは知らない。だから恐らく、大河は捕まったのだろう?」

リコに聞くと、その彼女は何度も目を瞬かせて、驚きをその顔に張り付けていた。

「どうした?」
「あ、いえ。その通りです。少ない情報から、そこまで組み立てることができるなんて」
「ここまで組み立てたのは、つい先ほどだ。俺の感覚で、だとな」

つまり気絶する前のこと。

「それに今更遅い」

これがもっと早く、この推測に辿り着いていたなら、まだ色々とやりようはあっただろう。
だが、すでに遅いのだ。

「そうか、大河は捕まったか」

大河は、どちらかと言えば赤よりの思考をしている。まあ、ハーレム願望などは白よりだが。しかし、だからこそ、大河が破滅の言うことを聞くとは考えにくい。

「他はどうなった?」
「説明します」

リコはゆっくりと、これまで顛末を話し始めた。




「そうか」

説明を聞き終わると、恭也は深々と溜息を吐く。
どうやら最悪の一歩手前どころか、すでに片足を突っ込んでいる状況のようだ。

「ベリオたちはどうした?」
「ふさぎ込んでいましたが、リリィさんと未亜さんに発破をかけられて、何とか」

未亜も辛いであろうに、気丈なものだと、恭也は驚く。

「すでに破滅から降伏勧告が……いや、王都に手を出さないことを条件に、要求がきているだろう?」
「そこまで……」
「ダウニーの気性は、この前の挑発で、だいたい掴めた」

その彼が、何をしてくるかなどわかりきっている。

「……先ほど、宣戦布告のときと同じようにきました」
「あの空に浮かんだやつか?」
「はい。破滅の救世主……大河さんのお披露目のつもりでもあったのでしょうが」
「いたのか?」
「いました」

一緒に大河が映っていたらしい。どこかわからない部屋の玉座に座る大河の姿が、ダウニーと共にあった。
そして、その手に握られていたのは……

「デザイアだと? あれは俺が破壊したはずだ」
「ですが、間違いありませんでした。もしかしたら再生能力を持っていたのかもしれません」
「そう、か」

これで大河の意思は関係なくなった。
あれに飲み込まれた恭也だからこそわかる。デザイアは恐らく救世主になることを求める。依代の意思など関係ない。だからこそ、破滅に与したのだろう。
最悪に片足を突っ込むどころか、両足を突っ込んでいる。
本当に最悪だ。

「そして、俺の身と引き替えに、王国への攻撃を止める、か?」
「は、い。そう、告げて来ました」
「だろうな。予想通りの展開だ」

恭也は深々と溜息を吐く。
嫌なぐらいな予想通り。破滅の次の手は、自らの命だとわかっていた。
自分が赤の主だとばれた以上、それしかない。

「申しわけありません!」
「リコが謝ることじゃない」
「ですが! 私のせいでマスターが赤の主だとばれてしまいました! 私のせいです!」
「気にするな。恐らくバレていようがいまいがこうなった」
「え?」
「ダウニーは自らの自尊心を傷つけられるのが、余程嫌いなのだろう。過去に自尊心を砕かれたのかもな。だからこそ、今回あいつの自尊心を傷付けた俺を、あいつは許しはしない。俺が赤の主でなかったとしても、同じようにしただろう」

変わらないのだ。
片腕を斬り落としたことも効いているだろう。

「王国は俺を差し出すことを決定した、違うか?」
「協議中……です」
「そうか。まあ、時間の問題だな。クレアは反対するだろが、他を抑えることはできまい」

恭也は何度目になるかわからない溜息を吐き、立ち上がった。
どうやら支障はない。このところ血を流しすぎて、そろそろガタが来るのではないかと思っていたが、そこまでではないようだ。

「学園中が殺気立っているように感じるのだが」
「はい。その……どの生徒も、マスターは渡さないと。王国がマスターを差し出すならば、王国と破滅に徹底抗戦をしかけると息巻いて……ます」
「は?」

恭也は一瞬、何を言われていたのかわからなかった。
生徒たちが、自分を渡さない?

「言葉通りです。救世主クラスを含め、あらゆるクラスの生徒たちも、初期課程の生徒たちも、そう宣言して、王国からの使者を通さないようにしているんです」
「……本当か?」
「本当です」

思わず頭を抱えそうになった。
確かにこの頃、色んなクラスの生徒たちとの交流が増えていたし、顔も知らない生徒から声をかけられることもあったし、ミュリエルは御輿にできるほど、尊敬と信頼を集めているとは言われていたが、そこまでとは思っていなかった。

「リコ、王国に行くぞ」
「で、ですが」
「ここで留まっていても破滅が攻めてくるだけだ。何とか王国の方と連携をとらなければならないのに、その王国と諍いを起こしていては話にならない」

とはいえ、王国に行ったとしても、この先の未来は決まっている。
しかし、決まっているからこそ、それに乗るしかない。
恭也は、窓際にかけられていたコートをとり、すぐに羽織る。そして、自分の荷物がある棚の前まで歩き、そこから次々と武器を取りだしていった。

「マスター?」

何をしているのか、とリコが問いてかけてくるが、恭也はちょっと待てと手を挙げて止める。
飛針を八十本。鋼糸0番を三本。2番を一本。3番も一本、5番を三本、6番を二本、それぞれリールごと次々にコートの中にしまった。飛針の一部は専用のバンドに八本ずつ差し込み、両腕に巻き付ける。
小刀を十二本、コートの裏側に吊し、八景と紅月を右脇に差し、さらに無銘の小太刀も二本を左脇に差し、背負いと十字差しで四本。計八本。
物々しいまでの完全武装。
一体どうすればそんなに持てるのか、と突っ込みたい程の夥しい程の武器たちは、完全に隠される。
視認できるのは、両脇に差された四本と、十字差しにした二本。つまり六本だけだ。しかし、その六本だけ見ても、重々しいまでの重装備に映る。
こうまでの重装備は、リコも初めて見るために、目を丸くしていた。

「もう戻ってくる暇はないだろうからな」

そんなリコに、恭也は苦笑混じり言うが、リコは言葉の意味が理解できないのか、首を傾げた。恭也はやはり苦笑したまま気にすると告げる。
そして、そのまま歩き始め、リコは慌てて恭也に付いていった。
部屋の外に出ると、救世主候補たち全員と耕介たちが揃っている。
気配で気付いていたので、とくに恭也は驚いていない。

「おにーちゃん!」
「お前たち、こんな所にいないで入ってこれば良かっただろう」
「見張りよ。王国の兵士たちが来るかもしれないし、あなたを差し出す、なんて決定をするかもしれないもの」

リリィが、息巻いてここにいた理由を言った。
恭也は気付かれないように嘆息しながらも、全員の顔を見渡す。大半の人間の顔色が悪い。とくにベリオとカエデは酷い有様だし、未亜とてどこか暗い表情を浮かべていた。
しかし、それに対し恭也は何も言わない。
言う意味がない。ないのだ。
今の恭也は何も言えない。言うことができない。

「俺はこれからその王城に行くつもりなのだが?」
「なっ!?」
「お、おにーちゃん、駄目だよ! 今は……」
「わかっている。だが、俺が破滅の目的だからこそ、行かねばならん」

そこまで言って、恭也はリコの顔を見た。すると彼女は小さく首を振る。
つまりまだ恭也が赤の主であることも、それに付随する説明もしていないということだ。なのはたちはともかく、リリィたちはなぜ恭也が破滅に狙われているか理解していないはずだ。
ならばその辺りの説明はリコ自身と知佳たちに任せるしかないだろう。だが、今説明している暇はない。
他の者たちの返事を待たずして、恭也は寮の廊下を歩き出した。
それに慌てて付いてくる他の者たち。しかし、彼女たちは訝しげに恭也を見つめる。
恭也の両脇と背にある小太刀に、彼女たちは初めて気付き、また恭也の反応がおかしいことに訝しんだ。
それがわかっっていながら、恭也は何も言わず歩いていった。



◇◇◇



使者に連れられ、王城に恭也たちがついたときには、すでに十時を回っていた。
使者たちの足止めをする生徒たちを宥めるのに時間がかかったのと、セルたちが大河を守れなかったことを涙ながらに謝罪されたことで、さらに時間がととられることになったのだ。
また王城についてから、恭也たちは武装を解かれたので、それがまた時間がかかることになった。
恭也と救世主候補たちと耕介たちは、王の間に通される。そこにはクレアや賢人議会の者たち、そしてミュリエルがいた。
ミュリエルが、顔に沈痛な表情を浮かべているところを見ると、予想通りの展開になったか、と恭也は内心で呟く。

「高町恭也」

クレアが立ち上がり、厳かに恭也の名を呼ぶ。

「は……」

恭也は応え、救世主候補たちが並ぶ列から抜け出ると、片膝を付いて俯いた。

「我らは破滅の要求を呑むことを決定した」

目を瞑り、しかし無表情のままで、クレアは言い切る。
それはつまり恭也を処刑するのも同義。

「なっ!」
「ちょっと待ってよ!」

当然、救世主候補たちは動き出そうとするが、それを恭也は視線で制した。
それから恭也は立ち上がり、クレアの顔を、そして議会の人間たちを見る。

「…………」

クレアはただの無表情。そこから何も見取ることはできず、議会の者たちは、どこか安堵しているように見える。

「承りました。しかし、私は破滅からの要求があったとき、気絶しておりましたので、正確なところを知りません。私は何をすればよろしいのでしょうか? このままここで死ねと? それとも破滅の所を赴けばよろしいのでしょうか?」
「これより二時間後、王都より離れた場所……丁度、昨日レベリオンで砲撃した位置、つまり防壁があった場所より、さらに一時間ほど歩いた場所に荒野がある。お前はそこに向かえ」
「そこで何を?」
「そこに前回とは違い、真に破滅の十万の大群がいる」
「……なるほど」

それと戦ってこいということだ。
リコからレベリオンで滅ぼすことができた破滅の軍勢は、予想の半分だったと言われていたが、まだそんなにも残っていたらしい。
つまりその十万と戦い、死んでこい。クレアはそう言っている。また、それが破滅の要求だったのだろう。
議会の人間たちも、恭也が破滅であるかのように睨み、その目で死ねと告げていた。

「今から二時間後となると、もう向かわねばなりません」
「うむ。共を二人つける。その者たちに従え」

クレアが言うと同時に、兵士が二人、恭也の脇に立つ。見張りということだろう。
恭也は軽く頷き、兵士たちに挟まれる形で、歩きした。
しかし、今度こそ救世主候補たちが動き出す。こんな茶番、いつまでも見ていられるわけもなく、耐えられるわれがなかった。
大河が浚われ、沈んでいたベリオとカエデ、未亜も今はそれすら忘れて叫び、他の者たちも信じられないとばかりに、クレアたちへ詰め寄って行く。

「何でござるか、これは!?」
「これが、このようなことが! 一つの国が……民を守るべき国がすることなのですか!?」
「恭也さんは何もしてない! どこにも罪なんかない! この世界の法律だって犯してない! なのに、こんな罪人みたいな!!」
「正気ですか!? こんな何の意味もない! 破滅が約束など守るわけがありません! いえ、それ以前マスターが死んでしまえば……!」
「恭ちゃんに酷いことをしたら駄目ですぅ!!」
「おにーちゃん! おにーちゃんを連れていかないで!!」
「何でこんな! 私たちは、恭也君はこの世界の人間じゃないのに!!」
「この世界の災禍の全てを、恭也君に背負わせるつもりなのか! あなたたちは!」
「十万の大群に一人で向かわせるなんて! たった一人にそんなことさせるなんて! 押し付けるなんて!  人殺し所か、それ以上の大罪じゃない! それが……それが王国の! 軍の! 政治家の! 王女のすることなの!?」

しかし、彼女たちは十人近くの兵士たちに抑え込まれる。武装解除し、召喚器を渡してしまった彼女たちに、それをはね除ける力はなかった。
その中で、呼べば手元に来る召喚器を持つ者たちは、召喚しようとしたが、

「動くな」

それを恭也が止めた。

「っ、なんでよ、恭也!」

恭也自身が、リリィたちを止める。それが信じられず、皆が恭也を見る。

「これが正しい」
「なんで!? どこが正しいと言うのですか!」
「少数の犠牲で皆が生きる。それは正しいことだ」
「どうして!? 恭也さんは何も悪いことしてない! むしろあの人たちの方が! こんなの生贄と同じじゃない!」
「そうだな。未亜の言うとおりだ。俺は『この世界では』まだそこまで法に反することはしていまい。生贄、というのも間違ってはいないだろう」

全くないとは言えない。ダウニーの腕を落としたことも、本来なら罪になる。戦時であるため、罰則はないだろうが。逆に言えば、この生贄も戦時であるからこそ、正しいものとなるだろう。
自分が生贄であると認めながら、恭也は笑う。

「が、国としては正しい判断だ」
「だからどこが!?」
「……九を救うために一を犠牲にする。それが正しい国というべきだ。それができん国の方が、俺は信用できんよ。そこに正しい、正しくないなどない。そして、法の全てが正しいわけではない。法の全てが正しいというのなら、俺たちの世界の数多の国は、とうの昔に共通の法を使っているだろうよ。ある国では正しく、ある国では正しくない。ある国では犯罪で、ある国では罪にもならない。全体から見れば、法などその程度のものだ。
正しさを目指し、法を尊重して、一人のために全て滅べなど、国がすることではない。それが正しくなくとも、違法であろうとも、一人を差し出し、犠牲にしてでも、国は存続せねばならない。
国が人を滅ぼし、国が人を生かす。人が国を生かし、人が国を滅ぼす。人がいない国に意味はなく、国のない人は寄る辺がなくなる。
この世界もまたそうだ。国がなくなれば、すでに破滅が多くを破壊したというのに、仮に破滅を滅ぼせたとしても、平和になったとしても、すぐにそれはが瓦解し、先に待つのは戦乱。
国とはそういうものだ」

恭也の言うことは全て正しい。
一人の犠牲で、大勢が生き残れるのならそうするべきだ。その一人が犠牲にならなければ、もっと多くの犠牲が出る。皆がそう思うだろう。自分は死にたくないから、そいつ押しつけようと。

「言ってしまえば、カルネアデスの板なのだろうさ。その板に掴まっているのが、二人ではなく、この世界の人間全てであっただけの話だ。
どちらかをではなく、特定の人間を板から突き飛ばし、水面へ叩き落とさなければならない。そうしなければ、その一人のために、全員がまとめて沈む。
あえて法で言うならば、俺たちの世界の緊急非難と何ら変わらない。二人のうち一人が、残り一人を突き飛ばしたとしても、緊急避難として許される。
そして、落とされるがたまたま俺だった。それだけの話だ。二人のうち一人が許されて、全体のための一人が許されない、などという道理はあるまい」
「でも、そのための犠牲がおにーちゃんなんだよ!?」

なのはの叫びにも、恭也は頷き肯定するが、彼女らに向き直ることはない。
恭也が言うことは『犠牲にする側の理屈』だ。恭也はそれらに、犠牲にされる側だというのに、相手を肯定していた。
それはどれだけ勇気のいることだろう。
それらを理解して進む恭也の背はいつもと変わらない。

「大河のことと、後のことは頼んだぞ」

恭也は、ほんの少しだけ振り返り、そう告げた。
もう自分にはできないからと。

「おにーちゃん!」

なのはの声が聞こえる。
だが、もう恭也は振り返ることなく、二人の兵士と共に歩いて行った。



◇◇◇



破滅がいるという場所。そこに向かうまでの移動手段は、馬車と徒歩だった。
ちょうど防壁があったギリギリのところまで馬車で移動し、それ以後はレベリオンの破壊のあとのせいで、馬車で移動することができず、歩きとなる。
王城で返還された武器を再び装備するのにも、それほど時間はかからなかった。こうなることがわかっていて、最初から完全装備できたのは正解だったようだ。この武器が返還された以上、戦うことは許可されているのだろう。
王城を出るときに、恭也を連れる兵士ではなく、他の兵士が来て、妙なものを渡してきた。
それは青白い水晶。それを持って行くように伝えろと命令されたと言っていたが、何の目的そんなものを渡してきたのかわからない。
レベリオンの砲撃でボロボロになった地を、恭也は二人の兵士を伴って歩く。

「すまないな、俺のせいで貧乏くじを引かせたようだ」

恭也よりも年下で、まだ年若いと言える二人の兵士に、恭也はそう言った。
別に彼らは戦うわけではないが、これから死ぬべき人間を連れていくのは精神的によくないだろうし、また下手をする巻き込む可能性は0ではない。

「いえ、我々は志願して、あなたを連れて行っているのです」

わざわざこんなことまで志願制にしているのか、と恭也は思ったが、そんなとき二人の兵士が足を止めた。
つられるようにして、恭也も足を止める。

「この辺りでいいか」
「そうだな。あまり行きすぎてもまずい」

二人はそんな会話をしてから、恭也に向き直った。

「恭也さん、お逃げください」
「なに?」

兵士の突然の言葉に、恭也は目を瞬かせる。
逃げろ。
その意味は一つしかない。

「我々はあなたに感謝しているのです。私は妹をあなたに助けて頂きました」
「私もあなたに弟を救っていただいた」
「学園の生徒、か?」
「はい」
「あなたはもう、我々にとっても、民にとっても英雄なのです」
「それをあの議会の連中どもはわかっていない!」

英雄。
恭也としては、あまり自分に当てはめてほしくない単語だった。
しかし、二人は本気で恭也を逃がすつもりのようだ。

「……あなたたちの好意には感謝する。だが、俺は逃げられない。いくしか道がないんだ」
「しかし! 救世主候補の方々が言うように、あなたは別の世界の人間なのでしょう!?」
「そんなあなたが、この世界の生贄になるなど許されることではない! 本来ならば、手を借りることさえ、あり得てはいけないことだ!」

なるほどと、恭也は内心で頷いた。ちゃんとわかっている人間もいる。
自分の世界を守るために、他世界の人間の力を借りる。何と無意味な頼みか。
確かにこの世界が滅べば、他の世界も滅びる。だが、それはただの巻き添えに過ぎない。本来ならば、その世界のことはその世界の人間がどうにかしなければならないことなのだ。他世界の人間の力を借り、平和になったとしても、いずれ何か起きたとき、また他の世界の人間の力を頼らなくてはならなくなってしまう。
それはこの世界の救世主伝説に頼るのと一緒のこと。究極の他力本願。
しかし、こうしてそれを理解している人間がいるのならば、救いはあるだろう。

「悪いな、それでもだ。俺はもう王国にも、破滅にも人質を取られていると同義なんだ。そうである以上、逃げられん」
「あ……」
「あなたたちの言葉、想いは嬉しく思う」

その言葉に嘘はない。
彼らの想いは本気で、それはどこまでも温かい。

「ここまででいい。あとは一人でいく。逃がしてくれる、というのなら、ここまでで。これ以上あなたたちも巻き込みかねない」

そう言うと、二人の兵士は俯いた。

「あなたたちの名は?」

名を聞くと、二人は顔を上げ、

「ベルガモットといいます!」
「レオノチスです!」

敬礼をして名を告げてきた。
それに苦笑し、恭也は頭を下げる。

「ありがとう。ベルガモット、レオノチス、俺はあなたたちの言葉に救われた」
「そんな!」
「私たちの方こそ!」
「いや」

救われたのは自分だ。
この世界の人間もまだ捨てたものではない。そう教えてくれたのだから。
恭也は頭を上げ、もう一度ありがとうと告げ、二人に背を向けた。
そして、死地へと向かう。
気配で、背後の二人が再び敬礼をしたのがわかった。



◇◇◇



二人と別れた恭也は黙々と進んでいた。

「…………」

恭也自身が先ほど述べた国の在りよう。
それは確かに恭也の本音ではある。最も恭也はその犠牲が、自分の大切な者であれば、国など滅べと言うそれこそ自分本位の人間ではあるが。
しかし今回、恭也があれらを語ったのは、それが自分の本位でもあると、王国の政治家たちに伝えることに意味があった。
あのまま国を尊重せず、それこそなのはたちに同調でもすれば、なのはたちまで、犠牲に、生贄にされる可能性があったのだ。それは避けなければならない。
いくら救世主候補がそろった所で、十万の大群には勝てまい。
まあ、それは恭也も同じこと。完全武装で来たが、焼け石に水だろう。
恭也の最高戦闘可能時間は、十時間を超える。ある意味では、化け物じみた体力を保持していた。
一対多という状況でどこまで持つか。

「できるだけ減らしておきたいところだな」

とはいえ、十時間戦えても、武器は十時間保たないだろう。
本当かは知らないが、不破の伝わる話の中には、一日で万人殺した者がいるとのことである。それに追いつき、追い越さなければならないらしい。

「十万対一……ふざけた話だ」

レベリオンで吹き飛ばしたモンスターは四万ほど。白兵戦で倒せたのが一万少々だったらしい。
それに他の都市に攻撃をしかけていたであろうモンスターを合流させたであろう、これから恭也が戦わなければならならい十万の大群。
ついこの前王国軍が戦うはずだった十万と同等で、当時は実は五万しかおらず、恭也に当てられた数の方が多いという、話にもならない数。
結局レベリオンでは、四分の一ほどしか削れなかったということだ。
恭也は確実に死ぬ。
それがわかっていながら出たのは、なのはたちを人質にされる可能性と、やはりなのはたちまで生贄させられる可能性があったからだ。
とはいえ、すでになのはたちは、王国、破滅共に人質にされているのと等しい。
ここから恭也が逃げる素振りを見せれば、彼女らの身が危険になる。
なのはたちを守るためには、恭也が出るしかない。

「結局の所、人間の敵は人間か」

破滅はモンスターの大群であっても、そのトップは人間だ。こうして恭也を死地に向かわせるのもまた、王国に属する者たち。
未来永劫、過去永劫、人間の敵が人間でなかったことなどない。
結局の所、今回の戦いもそうであったということだ。
人間の敵が人間であるからこそ、御神と不破は存在し、恭也はここにいる。
確実に死ぬ。それはわかっているが、恭也も簡単に死ぬ気はない。
問題は戦場が荒野だということだ。十万対一の野戦など話にもならない。
これが閉鎖空間……せめて森だというのなら、ゲリラ戦で何日だろうと持たせられる自信もあるが……いや、十万では木々が根こそぎ破壊されて丸裸にされるだけかもしれない。
それでも少しは長引かせられるだろう。
恭也脳内に、王都近辺の地図を浮かべる。この世界が来た頃には、周囲の地形は全て頭に入れてある。簡単にそれは浮かんできた。

「……学園は却下だな」

一番近いのは、学園の中にある森だ。あれもなかなか深い森であるのだが、如何せん学園から近すぎる。
今、学園には王都からの避難民も多数いるし、初期過程のまだ戦場には出ない……強制的に連れていかれた者もいるが……生徒たちも溢れている。
確実に被害が出てしまうので却下。
基本的に恭也は大切な人間を守れればいいという人間ではあるが、それは優先順位の問題だ。目の前で危機に瀕している者がいれば救うし、被害など出したくはない。

「ということは、破滅の向こう側」

今から恭也が向かう方向。破滅が陣取っている場所より、さらに後方に森がある。

「十万を抜けろということか」

相手が恭也一人である以上、破滅も囲むように行動するだろう。それを抜けるとしたら、間違いなく数百メートル、下手をすればキロ単位のモンスターの群を掻き分けて向かうしかない。
それもできれば、破滅たちに森へと目指していると気付かれないように。

「ほぼ不可能」

視野には入れるが、不可能に近い。
となれば、結局は真正面からということだ。

「破滅の将は出てこないだろうな」

出てくる意味がない。
一人を相手に十万の大群の時点で、すでに釣りがくる。わざわざ将を投入する意味はないし、何よりダウニーは、モンスターという異形に、恭也が奔走され、ゴミのように殺されるのを望んでいるだろう。
恭也としては出てきてほしいところだ。
一人でも多く、道連れにしておきたい。
出てこないというなら、できるだけ時間稼ぎをしたいところ。
恭也を殺すまで、その大群は恭也に集中する。

「何にしても、三百も葬れればいいほうか」

恭也という人間に、驕りというものはない。自分の強さに思い上がることなどできようはずもない。
自分の強さを理解していないわけではないが、恭也は他の御神の剣士を知りながらも、自分を比べることができない状況にあった。
美由希は、恭也という常に格上がいたからこそ、恭也と比べ、体感し続けた。
だが恭也は、己の強さが御神の剣士の中ではどの程度なのか体感できていないのだ。
しかしだからこそ、驕りなどもてない。もう決して比べることができない相手たちだからこそ、己は御神の剣士の中でも下層にあると、どこかで考えていた。
だからこそ、彼は常に自分を律してきた。故に驕らない。
それが自身の過小評価にも繋がるのだが、それは置くとしても、この状況でも、驕らないが故に、万を殺せると豪語できず、また千を殺せると気炎を上げることできない。
この場合、驕りでも勝てると向かうのと、驕らず勝てないと冷静に考えるのは、どちらがいいのか。

「俺は……結局何かを守れたのか?」

これが生涯最後の思考と言葉。
だからこそそんな声が出た。

「俺は何だったんだろうな」

自分が何であったのか。
長いとは言えない人生に意味はあったのだろうか。
そう考えて、恭也は腰の小太刀に視線を向ける。
この小太刀こそが……いや、それを振ることこそが、恭也の人生の全てだった。それだけが恭也の道だったはずだ。
剣士として、最後に華々しく散る。そんな思いは欠片もなかった。
恭也は確かに剣士だ。だが、恭也にとっての剣士とは、まさしく言葉通りの意味でしかない。即ち、剣の使い手。
剣の使い手であるからこそ、剣士なのだ。

「俺には剣士としての誇りなどない」

過去の日本の剣客は、西洋の剣士たちは、己の剣は自らの魂であり、誇りであるとし、その剣には信念が宿るとしていた。だが、恭也の剣には……八景には、そんなものはない。こんなものに己の魂は宿らない。誇りなどない。信念を剣に宿らせてはならない。そもそも信念はともかく、魂と誇り自体が己にないというのに、どうして武器に宿るという。
剣も、剣士であることも、恭也とっては手段でしかなかった。過去にそれを履き違えてしまったからこそ、恭也の膝は砕けたのだ。
恭也は剣客ではない。西洋の剣士たちでもない。それらに憧れてさえなかった。憧れたくもない。むしろ唾棄すべきものでしかないのだ。
誰かが、恭也は生まれる時代を間違えたのではないかと言ったことがある。しかし、そんなことはない。
過去の剣士たちのようにはできない。
例えば日本の剣客たちは、剣こそ目的であった。剣を極め、その剣で魅せることこそ、彼らの生き様であったのだ。目的であるからこそ、彼らの刀は魂足りえた。剣こそ信念だったのだ。しかし、そうであるからこそ、彼らは剣で完結してしまっている。

「できるわけがない」

そんなことはできない。そんなふうにはなれない。それこそ手段と目的を履き違えた結果となってしまう。
故に魂も、誇りもない。
恭也の信念も、剣にはない。
剣そのもので完結するわけにはいかない。
信念もまた、剣を振った先にある。

「俺は……」

ならば自分は何なのか。

「あなたは……?」

問いかけが聞こえた。
幻聴ではなく、確かに聞こえた。
それら向かい、恭也は答える。

「俺は……御神の剣士だ」

御神流という武術を使う剣の使い手。
魂はない。誇りはない。それだけではなく、それら含めて、全てを手段とし、供物とする愚か者。
故に、

「俺の血も、肉も、魂も、誇りも、術も、剣も、全てが俺にとっては無意味。意味があるのは、それら全てを使った先にある守った結果だけだ。信念があるとすれば、守った先に。そんな人間以前の欠陥品。そして、それで構わないと思っている愚か者だ」

人間としては致命的に壊れている真理。
だが、それでいい。

「過去に守れたかなど思い出す必要はない。思い出す価値がない。今だけを守れればいい。それだけに邁進すればいい」

答えはそれだけだ。
故に、今回も同じこと。
勝てる勝てないは知ったことではない。
守る。それだけのこと。
十万の大群の足止めであろうと、生贄であろうと、何であろうと構いはしない。それが守ることに繋がるというのなら、ただ邁進するのみ。

「それが俺の答えだ……レティア」

恭也が見つめる先に紅がある。
紅いドレスを纏った少女の姿。
紅の精レティア。
何となく来るではないか、とは思っていたが、本当に来たようだ。

「マスターらしい答えねぇ」
「それしか俺は知らない」

そう言うとレティアは苦笑し、そんなことはわかっていると言ってくる。
なら聞くな、と恭也は憮然とした表情を浮かべた。
そして、レティアはゆっくりと恭也に近付き、彼の首に己の腕を絡め、顔を下に向けさせると、唇を重ねる。
前にも彼女と口付けたことがあったが、恭也はもうそのときのように驚くことはない。
時間にして五秒ほどの口付け。
レティアはゆっくりと唇を離し、腕を解く。

「契約段階、上げたわよ。これで二段階目」
「あまり変わったようには感じないがな」
「私も変わったようには見えないわね。まったく、一体どんな力なんだか」

前回は霊力の解放だったが、今回もまた目に見える力はないらしい、と二人は苦笑した。

「でも、繋がりやすくなってるはず」
「繋がる?」
「気にしないで、マスターはただ守るために全力で戦えばいい。それが鍵だから」

レティアの意味不明な言葉はすでに慣れた。ただ彼女の言うことは全て事実だったのだから、今回も事実を言っているだけだろう。
ティアはきっと、これから恭也が死地に向かうことを知っている。ならば信じればいい。
彼女が言うことも、恭也にとって自分の在り方そのものだ。迷うこともなく、その通りにすればいい。

「マスター、他に手を貸してほしいことはない?」
「お前の手を借りたら、その瞬間なのはたちの身が危なくなる」
「戦場に出なくても、私だからできることもあるはずよ?」

レティアだからできること。
一つだけ思いつくことがあった。

「ならば、一つ頼みがある」
「何かしら?」

一つだけの頼み。
レティアへの初めての頼み。願い。
それは単純なこと。

「なるほどね。リコ・リスでもできそうなことだけど」
「あいつに接触する訳にはいかなかったからな。それに悪あがきの類だ」
「諦めていないだけでしょ? それは悪あがきとは言わないわ」

悪あがきと諦めないことは違う。
どれだけ情けなく見えようが、それは正しいことだ。
恭也はまだ諦めていないことを感じ、レティアは微笑む。

「でもマスターが求めるものを揃えることはできないわよ? それは一部だけ。他は種類がバラバラになるけどいい?」
「構わない。あるのとないのとではまるで違うからな。種類など気にしている暇はない。あればあるだけいい」
「そうね。じゃあ、一、三、五、七、九、十一でいい?」
「ああ。それ以外にも適当にやってくれると助かる」
「わかったわ。できるだけ掻き集める。あらゆる場所を回ったとしても、必ず集め尽くすわ」
「そこまで大量にいるわけではないわ」
「多ければ多いほどいいのは事実じゃない?」

そうでもない、と恭也は首を振る。
ここから先は、真実死地なのだ。レティアがどれだけ掻き集めても、全ては恭也次第。どれだけ長く生きられるのか。それがこれからの最大の命題。

「そろそろ行く。頼んだぞ」
「……ええ。頑張ってマスター」

恭也はレティア『にも』背を向けた。
結局彼女が何であるのか。自分との関係が何であるのか、それすら分からないまま終わってしまう。
それが少しだけ寂しいと恭也は思った。
だが、それは死を前にしたことでの、ほんの少しの感傷。次の瞬間になくなる儚いものだった。
恭也はまたも歩き出す。
全てを置き去りにして、

「マスター」

声が聞こえたが、振り返らない。

「マスターは死なない」
「…………」
「マスターが死ぬならば、私は何を捨ててでも助ける。今回それをしないのは、マスターがここで死なないのがわかっているからよ」

それは慰めか、それこそ悪あがきの言葉か、希望的観測か――

「慰めじゃない。悪あがきじゃない。ましてや希望的観測でもない。それは事実。純然たる事実として、ここでマスターは死なない。死ねない」

もしくは願いか。
何にしても、それを信じることはできない。
信じてはいけない。
自分はここで死ぬ。
恭也はレティアに応えることなく、死地へと向かった。



◇◇◇



見えた。
蠢く魔物の群が。
十万という巨大な軍勢。
巨体の魔物が、人間ほどの魔物が、小さな魔物が蠢く戦場が見えた。
そんなときだった。

「おい」

頭上に恭也の姿と、その周囲十数メートルの映像が空にデカデカと浮かんだ。
つまり恭也が死ぬ姿を、王都の人間なのか、それとも世界中の人間になのか、どちらになのかはわからないが、中継するというのだろう。

「派手、というべきか……」

恭也が小さく呟くと、それが大音量で、空より響く。どうやら姿所か、声まで拾っているらしい。
一人が死に逝くために、ここまで派手にするとは。技術の無駄遣いだ。
それを可能にしているのが、先ほど兵士に渡された青白い水晶なのだろうが、これを恭也に渡せと命令したのは、議会の人間なのか、それとも破滅……ダウニーが議会に回し、恭也に渡せと脅したからなのか。クレアの意思が入っているかはわからない。
まあ、どちらでもありえるし、恭也にとってはどちらでもいい。
議会……政治家たちにとっては、恭也がちゃんと戦っていると、生贄になったという証明になるし、ダウニーにとっては、恭也がボロ雑巾のようにズタボロになるまで痛めつけられる姿と、死に逝く様を見て、溜飲を下がる。
これはそれだけの意味だけが込められているのだろう。
が、恭也は多少の意趣返しをしてやろうと、僅かに苦笑を浮かべ、すぐさま表情を引き締める。

「ダウニー! やはり貴様の程度が知れたな! これが俺を殺すための策等とは言わせん! お前はただ、腕を切り落とした俺が憎いだけだ! 普通ならばのらん挑発に阿呆のようにのったのは貴様だというのに、それを認めたくないのだろう!? 俺を殺せば、その汚点が消えると! つまりまた貴様は感情だけで動いた!
組織のトップとして、長としては、お前はまた年若い……いや、幼いクレシーダ王女に数段劣る! 感情で動いた時点で、貴様はトップとしての無能さを露呈させた! しかもご丁寧に世界中の人間にな! 世界中の笑い者だよ、お前は! お前の下についている将たちの気が知れん!」

この恭也の叫びは、間違いなく、ダウニーに届いているだろう。
自分の口と空から、二重に自分の声が聞こえてくるのは妙な感覚だったが、遠い場所で、あの空を眺め、歯ぎしりしているダウニーが目に浮かぶ。
それだけで多少の気が収まるというものだ。
そして、背負いで差して二刀を抜刀。
剣先を下ろし、恭也は静かに目を閉じた。

「永全不動八門一派……御神真刀流――不破恭也」

高町は名乗れない。
なのはに責を残さぬためには、名乗るわけにはいかなった。
だが、それでいい。
今このとき己は不破だ。
敵を殺し、滅ぼすだけの不破。
それでいい。
力強く目を開けた。

「参る……!!」

あとはもう、己が死するときまで、永劫に戦い続けるのみ。



メンテ
Re: 黒衣(仮投稿) ( No.600 )
日時: 2012/11/18 12:57
名前: テン




恭也が死地に向かったときよりも、半日ほど時間を遡る。
イムニティは破滅の牙城を、肩を怒らせ歩いていた。
彼女は、つい先ほど高町恭也とリコ・リスに敗北し、ここへと戻ってきたばかりだった。

敗北。

そう、あの戦いは間違いなく、イムニティたちの敗北としか言いようがない。
召喚器を持たない……否、召喚器を召喚していなかった赤の主・高町恭也と、赤の精であるリコ・リスを相手に、三対一で戦いながら、待ち伏せや裏切りといった策さえねじ伏せられ、彼女たちは負けたのだ。
傍目から見れば、相打ちにも等しいが、その内容はどう考えても負けている。
いや、今はそんなことはどうでもいい。
イムニティは首を振り、辿り着いた部屋へと入る。
そこはこの破滅の城と言える場所において、最も重要な場所。つまりは破滅の真の首領が座るべき玉座がある部屋。何本もの巨大な石柱と、豪奢な玉座があるだけの部屋だが、部屋に入る者を王城のそれよりもずっと威圧する。
そして、その玉座に座る一人の男。
どこを見ているのかわらない視線。ぼんやりとした表情。生気こそ感じるが、外見はまるで死んでいるように見える。

「っ……」

その男の姿を見て、イムニティは歯から音が鳴るほどに口を噛みしめた。
初の男性救世主候補にして、今回の白の主。
当真大河。
それがイムニティの主である彼の名だった。



第六十七章



イムニティは、殺意を込めながら、大河が座る玉座の隣りにいたロベリアを睨み付けた。

「ロベリア! これはどういうこと!?」
「まあ、怒鳴り込んでくるか、お前なら」

予想の範疇だとばかりに、ロベリアは肩を竦めてみせる。

「なぜマスターにデザイアを!」

イムニティの主は、玉座に座りながらも、その右手に武器を握って離さない。
召喚器デザイア。
持ち主に寄生する呪われた召喚器。
それを手にしたのは、白の主だった。

「見たままさ。白の主にデザイアを持たせた。それだけだよ」
「それだけですって!?」

ロベリアたちが影で何かをしていたのはわかっていた。だが、それがデザイアに関することだとは、イムニティは考えてもいなかった。

「救世主の鎧は使えなくなった。その代用さ。当真大河が、救世主の鎧の破壊任務についてくれてたら良かったんだけどね」

本来ならば、当真大河に救世主の鎧を纏わせることこそが、破滅の目的だった。そのため鎧を破滅が探しているという噂を故意に流した。
そこに当真大河を向かわせる。ダウニーがそううまく仕向けるはずだった。実際、ミュリエルが何を考えているかわかっていたのだから、それをうまく利用すれば、当真大河だけを救世主の鎧まで導くことは簡単なこと……のはずだった。
そこに横やりが入る。
高町恭也。
この世界に住む者たちにとって、もはや英雄にすらなりかけている男。
破滅にとっても計算外の男。
この男のせいで、破滅の狙いの多くがご破算となった。
今回の救世主の鎧は、破滅にとって重要なファクターだったのだ。
最善が当真大河に纏わせる。次善が破壊。そうでなければガルガンチュワにかけられた封印が解けない。
だからこそイムニティは、次善をとったのだと思っていた。しかし、その裏でデザイアを使い、当真大河をこちらに引き入れていた。

「救世主の鎧も、デザイアも根本は同じだろう? 相手の意思をねじ曲げるんだからな」
「違うわっ!」

救世主の鎧は、裏技とも言える方法で、それを纏った書の精の主を救世主とさせる。相反する主と精霊が残っていようとだ。
だからといって、鎧を纏った者が別人に変わるわけではない。大いなる意思により、後押しされるというだけ。
しかし、デザイアは違う。

「そこにマスターの意思はない! 救世主となるのはマスターでなければいけないのに、デザイアの意思になる!」

確かに目の前にいるのは、イムニティの主。契約の力を感じる。
だが、それは肉体だけだ。中身は別物になってしまっていた。それはこの肉体を操る存在を救世主にすることであり、イムニティが敬愛する主が救世主になるということではなくなっている。

「そうは言っても、この男を主にしたお前に、責任がないとは言わせない」
「なっ……!」
「この男は赤寄りだ。白には染まらない。そんな男と契約したお前にも責任があるだろう?」

そう当真大河は、どこまでも赤寄り。イムニティがそんな彼を選んだのは、はっきり言ってしまえば、偶然でしかなかったのだ。
禁書庫の最奥まで辿り着いたのは、リコ・リスを抜かして四人。
その四人の中で、当真大河は一番白の主としての適性が低かった。あの場で最も白の主として適性が高かったのは、皮肉にも高町恭也だったのだ。
高町恭也が召喚器を持っていたなら、イムニティは迷うことなく、当然の如く高町恭也と契約しただろう。それは本来、自分の主とするべく連れてきた当真未亜と比べても同じこと。歴代の白の主と比べても、その資質だけならば、彼はその中でトップレベルと言っていい。それだけ彼の白の主としての適性は高い。
しかし、高町恭也は召喚器を持っていなかった。無論、今はリコ・リスの主となったことを知っている。そのため逆説的に言えば、彼は召喚器を持っているのだろう。だが、当時イムニティは気付かなかった。そのため恭也を主とすることはできなかったのだ。
続いて当真未亜。本来ならば、イムニティが自分の主として召喚した真の候補。しかしどういうわけか、彼女の白の主としての適性は、ほとんど抜け落ちていた。それこそ当真大河と同レベルにまで。
そのためここでイムニティは、方向転換するしかなかったのだ。
つまり当真大河か、高町なのはか、適性が低くなったとしても当真未亜を主とするか。それともこの場は諦め、他の機会を待つか。
しかし、イムニティは大河を選んだ。
何か決め手があったわけではない。もう一度同じ時に戻れたならば、そのときは高町なのはになっていたかもしれないし、当真未亜になっていたかもしれない。そのとき高町恭也に召喚器があることがわかれば、彼になっただろう。
つまりは偶然。イムニティの考えと、イムニティ自身の逡巡、思考、選択、場の動き次第で、他の者になっていた。
しかし、当真大河の白の主としての適性は、思った以上に低い。それはつまり赤を捨てられず、救世主になることを選ぶことはできないということだ。
そのためイムニティは、救世主の鎧を使うことを考えていた。それはロベリアたちも同じで、デザイアを使うことを考えていた。

「鎧が使えない以上、デザイアを使うしかない。当真大河が救世主にならなければ、破滅の行き場はなくなる。そのときは、お前とお前の主に価値はなくなるんだ」
「……っ!」

イムニティは再び唇を噛みしめる。
破滅との関係は、ギブアンドテイクであり、協力関係であるということに過ぎない。イムニティは破滅を使って自らの主を救世主にし、破滅はイムニティとその主を使って目的を果たす。
イムニティもまた、破滅に有用性を感じなければ、主と共に敵対するだろう。
お互いに価値がなくなれば、それまでなのだ。
イムニティにしてみれば、主の意思次第では破滅の意味はなくなり、破滅にしてみれば、救世主になれない書の精霊とその主に価値はない。
それだけの関係でしないのだ。
それでもなお、破滅は白の主に価値を見出し、策を練ったに過ぎない。それに気付けなかったイムニティが悪いのだ。

「何より今更グダグタ言っても遅い。お前の主じゃ、デザイアの呪縛から抜け出せない。というか、数万年の間、何千人とあれを持ってるらしいが、そんなことができたのは高町恭也だけだろう?」

ロベリアの言うとおり、今更遅い。
高町恭也が、デザイアの呪縛から逃れられたのは、奇跡のようなものだ。普通の意思力ではできないだろう。それを大河にやれというのが無理がある。
イムニティが、大河にできることなど最早何もない。
仮にデザイアを何とかできたとしても、その後は破滅と王国、救世主候補たちと敵対することにもなりかねないのだ。そうなれば、結局の所、イムニティも大河も生き残ることはできないだろう。
ロベリアは、それでもイムニティが納得したとは思っていないはずだ。だが、それ以上は何も言わず、イムニティを残し、玉座の間から出ていった。
残されたイムニティは、玉座に座る主へと近付く。

「マスター……」

大河の目は開かれている。しかし、その目に意思は浮かんでいない。
これは自分の主ではないと、イムニティは唇を噛みしめた。
そっと、大河の頬に触れる。

「私が至らぬばかりに……」

イムニティは、リコに気を取られすぎた。第一に考えるべきは主であったはずが、それを脇に置いてしまった結果がこれだ。

「……申しわけ……ありません」

謝罪の言葉を吐くが、しかしやはり大河からの反応はなかった。



◇◇◇



三カ所での重要な戦闘が終わり、最も早く学園へと帰還したリコであった。続いてリリィたちが帰還し、その次にベリオとカエデ、大河たちの援護に向かった一般化の生徒たちが帰還する。
すぐさま全員が集まったが、状況は最悪と言えた。
大河が捕まり、恭也は重傷。ベリオとカエデは、大河が捕まったことにたいして、責任を感じ、沈み込んでいた。またそれは、捕まった大河の妹である未亜と、重傷を負った恭也の妹であるなのはも同じこと。
今回は、完全にこちらの敗北と言っていい。

「ダウニー先生……いえ、ダウニーが破滅のスパイだったのね?」
「はい。しかも破滅の主幹だそうです」

ベリオとカエデ、知佳とナナシ以外の全員が、食堂に集まり、今回の戦いについて、情報のすり合わせを行っていた。ベリオとカエデのどちらかは来て欲しかったが、今はそれも酷というもの。知佳は逆に、リリィ、未亜と同じ場所にいたということで、情報を共有している。そのため恭也の看病に回っていた。
ナナシはむしろカエデたちの所に置いてきた。脳天気な彼女がいれば、多少は気が紛れるだろう。下手をするといらつきに変わるが。
未亜は、気は沈んでいたものの、ベリオたちの話をある程度聞き、その大河が助けを待っているという言葉を残したため、それを叶えてみせると、意気込んでいる。
なのはは、未だ恭也の心配をしているものの、すでに傷は魔法で治療され、輸血もされたので、明日には目を覚ますだろうということを保険医に聞いているため、何とか気を取り直していた。

「学園にスパイがいることはわかってたけど、まさかダウニーだったなんて……いえ、考えてみれば、それらしい様子もあったわね」
「リリィさん、スパイがいることわかっていたんですか!? それに私はそんな様子は見なかったんですけど」

リリィの呟きに反応したのは未亜だ。
それにリリィは、苦虫を噛み潰したかのように、顔を歪める。

「まあ、ね。恭也がスパイがいるって感づいてたから。あいつは誰にも言う気はなかったんでしょうけど、聞き出したのよ。あとダウニーの様子がおかしかったんじゃなくて、恭也がダウニーを警戒している感じだったのよね。もちろん答えを聞いた今考えるとだけど。今から思い返してみると、たぶん恭也は気付いてたんでしょ」
「はい。恭也さんはそのことでダウニーを挑発していましたから」

正確には、最初から問答無用で殺しにかかったのだが、それはリコは言わなかった。補足する意味がない。ここにいる全員が、敵に対して恭也がそのぐらいするということを知っている。

「おそらくですが、ゼロの遺跡の一件以降、ダウニーに渡った私たちの情報は、ほぼ皆無だと思います。それ以前の情報もあまり渡っていないでしょう。リリィさんの言うとおり、やはり今から考えるとですが、恭也さんはダウニーへ情報を渡さないようにしていた節がありましたから」

恐らくアルブ村の件以降、恭也は人知れずスパイ対策をとっていた。ゼロの遺跡での戦闘以前は、スパイと思われる者全て……諜報科を含め……に、以降は特に怪しい者に絞っていた。
リコにそう言われると、他の者たちも確かにと頷く。
考えるのは実技の内容だ。恭也はダリアをうまく誘導して、何度か実技の内容を変更させていた節がある。
ダウニーは、救世主クラスの担任ではなかったが、主に救世主クラスの座学の担当をしていた。それを理由に、実技内容を見ることで、座学も内容を変えるとして、見学に来ることが何度かあったのだ。無論、救世主クラスだけに肩入れするのは拙いと思ったのか、それとも熱心な教師を演じるためか、もしくは救世主候補以外の情報を得るためか、他のクラスの実技も同じ理由で見学することがあった。
そして、ダウニーが来るときに限って、恭也はダリアを誘導していたし、ダウニーが関わる授業等では、他の救世主候補たちの会話を誘導していたこともある。これはダウニー以外の人間が、その場にいても同じだ。
無論、それらは今考えるとわかることで、そのときはどこまでも自然な形で誘導されていたので、気付きもしなかった。

「恭也君、裏で結構動いてたんだなぁ」

耕介が感嘆の息を吐く。
それに思わず全員が頷いてしまった。
随分と前から恭也は動いていた。誰にも気付かれることなく、唯一人で。

「恭也さんの危機察知能力は、いっそ異様ですね」

リコもまた感嘆しながらも言う。
ここにいる全員が、戦闘中、幾らでも恭也の危機察知能力を発揮するという場面は見てきた。まるで未来を予知しているのではないかというように、己の危機を鋭敏に察知する。
どんな戦術も、戦略も、奇術も、罠も、その悉くを察知し、かわし、潰し、もしくは自ら利用する。
今回とてそう。鎧の腕に捕まった恭也だったが、あれは恐らく捕まる直前に、わざと身体を弛緩させ、すぐさま力を入れていたとリコは思う。弛緩させたのは、捕まる時の衝撃を吸収、和らげつつ、身体と鎧の腕との間に僅かなりとも開き空間を作っていた。そして、捕まった瞬間に力を入れ、開いた空間を使い、梃子の原理で抵抗していたのだ。
これがあったからこそ、恭也はその戒めを解くことができた。
心臓を狙われていると危機を察知することで、続くダウニーの攻撃も、致命傷を避けることに成功している。
これらは異様な危機察知能力で成功させていた。
しかし、それを日常にまで持ち込んでいるとは、ここにいる全員が予想していなかった。

とはいえ、ここにいる者は誰も知らないことだが、恭也が日常生活の中でまで危機に敏感なのは、その生い立ち故でもあった。
御神家が滅んだのは、リスクコントロールの低下のためだった。そのことを身を以て知ってしまっている恭也は、日常の中ですら気を緩めない。常在戦場……心構えとしてだけではない……を地で行っている。
常在戦場というのは、何も常に気を張っているということではない。むしろそれは三流の行いと言っていい。
本当の常在戦場というのは、『忘れない』ことだ。
これも常に自分が在るところは戦場である、ということをではない。本当に忘れてはいけないのは、戦う理由であり、常在戦場でいなければならない理由。理由もなく常に気を張るなどただの馬鹿か、考えなしの所業だ。
恭也は忘れない。己には守る者があり、狙われる理由があり……そうであるならば、どうして油断などできよう。
それを知っているのは、ここにいない知佳と、恭也自身だけだ。
また、鎧の腕とダウニーの剣は、危機察知能力もあるが、それと同等以上の空間把握能力を持つからこそ、対応できた。
床、天井、壁と三次元で動き回り、また心という技能を持つ御神の剣士たちは、生まれながらの才能としてではなく、鍛錬でその空間把握能力を底上げしている。
なのはの全方位攻撃は、その空間把握能力の才能を持つが故の技能だが、才能であるからこそあれで頭打ちであり、また恭也どころか……だからこそ初見ならばともかく、その技能を知ってしまった恭也には、全方位攻撃は最早撃った後でも効かない所か、隠した場所まで看破される……か、美由希よりもその能力は下だ。
鎧の腕と自らの身体の空間を把握して、力を緩め、ダウニーの最後の攻撃は、その距離と、自らの重要部の位置を計算して受けていた。
つまり危機察知能力だけではない。

リコの言葉に、全員が頷きながらも、苦い顔を浮かべる。

「でもダウニー先生が破滅の主幹ということは、おにーちゃんが気を付けてても情報は持っていかれてますよね?」

なのはの質問を受け、リリィとリコは、やはり苦々しい顔のまま頷いた。
学園の教師として侵入していた彼は、その学園で重要な位置……教師長的立場だ……にいたし、恭也がこの世界に来る前から、長い間教師として働いていた。
恭也が来てからはともかく、それ以前のことは筒抜けのはずだ。
何より、これまでの破滅の動きを見る限り、王国にもスパイがいるのが見て取れる。やはり情報戦では、一歩や二歩どころではなく、十歩単位で負けているだろう。

「それにしても……やつらが大河を連れていった理由もわからないわ」

カエデたちに話は聞いたが、状況からして、大河を連れていく理由がまるでわからない。人質まで手にしていたのだから、殺した方が手っ取り早かったはずだ。
だというのに、破滅は大河を捕虜にした。その意図がリリィには掴めない。
なのはと耕介、そしてリコは、脳裏に大河が白の主なのではないかという予想がちらつく。
しかし、大河は赤寄りの人間だし、どちらかと言えば直情気質の彼が、自分たちを騙して、白の主として救世主クラスにいたとは考えにくい。

「破滅の次の手は何?」
「普通に考えれば、大河様を人質にしての要求でしょうが……」

今まで黙っていた十六夜が、答えるが、しかしその眉は歪められている。
普通に考えればそうなのだが、王国がそれに応えるとは思えない。王女であるクレアなどならばともかく、大河は救世主候補ではあるが、王国の重大なファクターとは言い難い。
戦時以外であったならば、その解放に王国は尽力するだろうが、戦時である今、大河を人質に取られても、王国が動くことはないだろう。
大河を人質にしても、降伏勧告などできないのだ。他の譲歩も難しいだろう。
……いや、

「もしかしたら王国は、大河さんを人質にされたことを理由に、降伏を受け入れるかもしれません」
「え、でも……降伏なんてするかい? 相手は破滅だよ?」

リコの王国は降伏するかもしれないという言葉に、耕介は疑問の声を上げた。

「王国の不利は、もはや目に見えています。戦力差はすでに露呈していて、レベリオンが最後の賭けと言える状態でした。私たちには、すでに武器がありません」

白兵戦とレベリオンの砲撃で、五万しか削れなかったのがまずい。
レベリオンはもう撃てず、兵士たちも多くが死に絶え、義勇兵を募っても、その戦力は三万に届くかも怪しい。
大雑把な計算になるが、破滅にはまだ最低八万、最高だと十万を超えて魔物の戦力を有しているだろう。
次の進行に耐えきれるかも怪しい。
ならばそろそろ王国は、降伏も視野に入れてくるはずだ。大河を餌に降伏を突きつけてきたならば、これ幸いと、彼の救出を理由に、王国は頷くかもしれない。
クレアはともかく、権威主義の議会員と、自分の命が大事な議会員はそう頷くかもしれないのだ。

「お兄ちゃん……」

リコの説明を聞いて、未亜は複雑そうに顔を歪める。
未亜からすれば、兄が戻ってくるならば何だっていい。それこそ破滅に破れたのだとしてもだ。しかし、それを兄が許すとは思えない。そうなれば、兄は絶対に自分を責めるだろう。
そのため、表情と同じく、未亜の心中は複雑だった。
そんなとき、窓の外からざわめきが聞こえてくる。もしくは混乱の声か。
なのはたちは首を傾げ、窓の外に視線を向ける。

「ダウニーっ……!」

リリィの低くくぐもった声が響いた。
窓の外より見える上空に、ダウニーの姿が大きく映っている。あれはこの前、破滅の将が宣戦布告に使った技術だろう。
それを確認すると、全員が示しを合わせることなく、食堂を飛び出て、外へと向かった。
校舎を出て、一気に中庭へ。流石と言うべきか、召喚器を持たない耕介も、一切遅れることなく、なのはたちについていく。
全員が中庭につくと、暫くして、カエデとベリオ、知佳もまた異変を感じ取り、中庭にまで来た。

「ダウニーッッ!!」

カエデは、怨嗟のこもった声で、ベリオもまたその目に同じく怨嗟を込めて、ダウニーの姿を見上げる。
破滅の主幹。
大河を浚った者の首領。それが映像のようなものとはいえ、姿を現した。カエデたちが冷静でいられるわけがない。
なのはたちもまた、それを止めることはなかった。
止めるわけがない。
恭也に瀕死の重傷を負わせ、大河を浚った首領を彼らは許す気はなく、カエデたちと同じく、ダウニーが心の底から憎いのだ。
そんな怒気と憎悪を理解できるわけもないダウニーは、まるで芝居がかかったような仕草で首を巡らせたあと、やはり芝居がかかった口調で言葉を吐く。

『アヴァターに生きる者たちよ。神の御神体である大地を汚す者たちよ。バーンフリート王家の威信は地に堕ち、王都が荒廃した今、汝らにもはや勝利はない』

その物言いにリリィは、回りの者たちに気にすることなく舌打ちした。

「言ってくれるじゃない。まだ私たちがいるっていうのに勝利宣言?」

確かに押されているのはこちらだ。その自覚はリリィもあるし、このままでは敗北の可能性の方が高いだろう。
しかし、だからといってリリィはまだ諦めてはいない。それは他の者たちとてそのはずだ。

『そして、汝らが最後に縋り付く最後の希望である救世主も、我らと共にある! 見よ! 我らが救世主の御姿をっ!』

芝居がかかったままダウニーは、残った腕を振り上げる。その先には玉座があった。バーンフリート王家のそれよりも大きいであろう玉座。
その王者の椅子に座る人影。
青い制服を着た少年が、その右手に灰色の剣を握りながら、悠然とその玉座に座っていた。
その人物を見て、なのはたちは揃って目を見開く。

「お兄ちゃんっ!」
「っ!?」
「大河くんっ!?」
「師匠……!」

当真大河。
破滅に囚われた彼は、瞳に意思の光を見せず、ただそこにいた。



◇◇◇



不破夏織は、破滅の居城がある『ゼロの遺跡』、その壊れた壁に背をつけて、上空を見上げながら、芝居好きの自己陶酔男を鼻で笑った。

「要点ぐらいまとめなよ。要求が間違って伝わったらどうするんだか」

これだから自己陶酔は見てられないと吐き捨てる。
自らが所属する組織の首魁……ダウニーが言いたいことは、どこまでも迂遠だ。学校の校長が集会等で長々と喋り続けている様を見ているかのようである。違うのは、あの男はそんな自分に酔っているというのが、端から見てもわかることだろう。
ダウニーが言いたいのは、まとめてしまえば三行で終わる。
もうお前たちに勝ち目はない。
当真大河という人質であり、破滅の盟主もいる。
しかし、高町恭也を差し出すならば許してやる。
どこまでも単純な要求をここまで引っ張ることができる手腕は大したものだ。まあ、話術と言うには役にたたず、真似したいとは欠片も思わないが。

(これが破滅、ね。これじゃあ滑稽すぎて、ただのお笑い集団だろ)

内心で吐き捨てる。
夏織が元いた世界のテロリストでも、破滅思想の宗教団体でもこんな馬鹿なことは言わない。むしろ彼らは簡潔に要求したり、思想をふりまく。それは間違って伝わっては困るからだ。
組織というのはトップが変わるだけ……前までは主幹不在のため副幹主導であった……で、こんなにも違うものに変貌してしまうものなのか。
今の時点で勝利宣言というのが、すでにお笑いだ。
こちらの戦力が敵を上回っているのは確かだし、敵の奥の手も最早ない。救世主誕生に必要な駒も揃っている。なるほど、確かに破滅の有利は間違いないのだろう。
しかし、それだけだ。
有利であることと勝利は=で結ばれない。王国にだって有利な点はまだ存在するのだ。例えば多くの救世主候補たちの存在。
事実として、破滅は救世主候補を未だ誰一人として殺せていない。
しかし、最も笑えてくるのは、

「ここまで阿呆なのか、あの男。こりゃとっとと抜けた方がいいかね」

高町恭也の身柄の要求。
それ自体は構いはしない。
夏織は、王都を潜入することも多かったので、高町恭也の噂は良く聞くところだった。つまりは英雄であり、彼こそが救世主だという噂は至るところに流れている。
王国が流布している形跡もあったが、民衆にとってそれは真実だ。その彼がいなくなれば、また一つ有利になることは間違いない。

「ガキが」

しかし、ダウニーが高町恭也の身柄を要求した理由は、そんなことのためではなく、子供染みた復讐心だ。あの男は組織のトップでありながら、私心で動いている。
唯一評価できるのは、失った腕を外套と服を使ってうまく隠している点ぐらいだろうか。戦争中に……つい先頃まで両腕があったのは、学園と王宮にいる多くが確認している……陣営のトップが腕を失う。これほどの間の悪いニュースはない。
しかもそれをなしたのは『英雄』だ。ばれれば、両陣営の士気に関わる。
だが、それだけだ。
こんなトップの組織に未来などない。ここで勝利したとしてもいつかは瓦解するだろう。そうであるならば……

「潮時か……」

特段、破滅に肩入れする義理は、夏織にはなかった。事ここにいたって、破滅にいても夏織の願いが叶うこともないだろう。
夏織の目的はただ一つ……不破士郎の探索。そのためだけに破滅に所属していた。
しかし、破滅の組織力、イムニティという召喚士の力を借りても、未だ発見には至っていない。

「かといって、今更息子を頼るのもなぁ」

息子……高町恭也もまたこれからどうなるかわからない状態だ。元破滅の母親を受け入れることなどしないだろう。むしろ簡単に見捨ててくるはずだ。彼は産みの母親が何だ、と言える程度のドライさももっている。最初に見捨てた夏織が、それをどうこう言うことはできないし、言う気もない。
はっきり言ってしまえば、夏織もまた、恭也に母親としての愛情など向けていない。今まで気にしたこととてない。この世界で再会し、初めてそんなのがいたと思いだしたほどだ。そのぐらいに、夏織は薄情な母親だったし、今更母親としての自覚など芽生えない。
また夏織は、士郎を男として愛しているわけでもなかった。言ってしまえば玩具として愛している。
見ていて楽しい。触れれば嬉しい。なければ退屈。
だからこそ趣味なのだ。
一個の人間をそんなふうに見ている。その対象が聞けば激昂するかもしれないが、ある意味それこそが夏織の人の愛し方だったのかもしれない。

(あいつを見てるのも退屈しないんだけど)

今までの戦いと、前回の戦いが決定的だ。高町恭也を見ているのは、士郎同様に楽しい。
その在り方も面白いし、自分の息子……あの限界の近い混血の一族に生まれながら、御神の剣士として大成しているのは、驚愕ものだ。自分の息子にしては、年がいきすぎていた、自分と年が近くなっていた、というのも彼が自分の息子だと気付かなかった原因だが、それもまた大きな要因。
御神の奥義を使っていた。
これ自体が、自分の息子ならばありえないことだったのだ。

(ありゃあ士郎やあたし以上のイカレ具合だ)

今までの人生でどんなことがあったのかは知らない。しかし、イカれていなければ届かない力量だった。
そもそも混血の一族というのは『強くなれない』。むしろ夏織のような例外を除くと、それほど目立った力のない一族だ。人間以上の人間を目指しながら、そこからまったく抜け出せていない。そして、恐らく恭也は例外の方にはいないだろう。
そうであるにも関わらず、恭也はあれほどの戦闘能力を、あの若さで持っている。混血の一族としてもそうだが、ただの戦士として見ても異常だ。イカレていなければ、あそこまで強くなれはしない。
恭也は二十歳そこそこ。少なくとも半ばにもいっていない。その若さであれだ。はっきり言えば、スポーツやスポーツ格闘技などならともかく、本当の戦場では若さというのは、弱点以外の何ものでもない。
経験もなければ、技術もないと、その見え見えの姿で弱点を晒しているのだ。若手の天才兵士がベテランの古参兵を倒すことなど現実には、そうはない。戦場においては、年若いは弱点で、逆に年を食っているというのは、弱点になり得ない。

「ま、何にしろ、あいつを頼るのはなしだね」

今の段階では恭也が生き残る可能性は、あまりに少なかった。すでに彼の力量は関係なく、どうにもならない自体になっている。利害のために彼は殺されるだろう。人が彼を殺すのではなく、状況が彼を殺す。
それ自体が気に入らなくもある。状況が恭也を殺すと言ったが、その根底にはやはりダウニーの子供じみた行動があるからだ。
しかしだからといって、夏織に何ができるわけでもないし、何かする気もない。

「ん?」

そんなとき、夏織は自分に近付いてくる気配に気付いた。いや、正確には自分に近付くのが目的なのではなく、ただの通り道なのだろうが。
視線をそちらに向ければ、肩を怒らせ、足を地面に叩きつけるように歩く、エリカの姿があった。

(いや、確かエリカは妹の名前なんだったか?)

そんなことを誰からか……少なくとも本人ではない……聞いた覚えがあったが、そもそも夏織はその名しか知らないので意味はない。

「どこに行く気だい?」

とうとう目の前にまで来たエリカに向け、夏織は聞いた。
頭上では未だダウニーが長々とご高説を垂れている。少なくとも破滅はこれから忙しくなるだろう。そんな中どこに行こうというのか。ここを直進すれば、この遺跡を出ていくことになる。

「どこだっていいでしょ!」

歩き方から予想はついていたが、エリカは怒り心頭のようだ。いつもは妙な敬語口調なのだが、その様子もないことから、これが彼女の素なのだろう。
それを見て、夏織は演技過剰気味に溜息を吐いた。

「やめときなよ。高町恭也はもう駄目だ」
「っ!」

その言葉を聞き、エリカは足を止め、夏織を睨み付ける。
高町恭也は終わりだ。もう詰んでいる。破滅から裏側を見られて、ある程度先が読めるならば、その未来は予測できることである。
エリカは先が読める人間だ。もう高町恭也に後がないことに気付いているのだろう。

「こんな終わり方、納得できるわけないでしょうっ!」

聞いたところ……これも本人にではない……によると、彼女の復讐の対象は高町恭也だったらしい。もっとも夏織から見るに、憎悪だとか以外にも複雑な感情があるようだったが。
そんな相手がここで終わる。しかも自分にはまったく関係のないところでだ。それがエリカには納得できないのだろう。
夏織も、多少はその気持ちはわかる。彼女もまた、不破士郎が死んだということが納得できないからこそ、ここにいるのだから。

「あたしだってこのやり方は気に入らないさ」

策ではなく、ダウニーの個人的感情での自分勝手。だからこそ気に入らない。それは夏織も同じことだ。

「が、お前が何をしたところで、もう間に合わない。この詰みの状態を覆すことなんてできない。利口なお前ならわかるだろう?」
「それは……!」
「王国は高町恭也を差し出す。これは間違いない。先の見えない馬鹿どもは保身のために。王女は先に繋げるために、高町恭也を生贄にする。何より、高町恭也自身が、生贄になるために自ら来るだろうさ」
「だからって!」

エリカはもう一度納得できないと叫ぶ。
その様を見て、夏織は溜息を吐いたが、それは先ほどのような演技ではなく、自然と出てしまったものだ。

「納得できないからどうした? 世の中そんなものだよ。この世には理不尽が溢れてる。こんなはずじゃなかった……だからこそ理不尽って言うんだろう?」
「っ!」

夏織の言葉に、『エリカ』という妹の死でも思いだしたのか、エリカは今まで以上に強い視線で睨む。
しかし、夏織は柳の如くそれを受け流し、何処吹く風。

「高町恭也と自殺したいって言うなら止めはしないさ。好きにしなよ」

エリカは視線を下げ、その唇を噛みしめる。彼女の胸に去来するものが何であるのか、それは夏織にはわからない。
復讐という言葉に酔う少女。夏織のエリカへの印象はそんなもので、嫌いな人種と言っても差し支えない。しかし、多少でも戦闘の手ほどきをしてやったのは、人種としては嫌いでも、個人としてはそれほど嫌いではなかったからだ。

(さて、どうする?)

夏織はエリカを見て、内心で笑う。彼女がどういう答えを出すか、楽しみで仕方がない。
復讐に酔い続け、高町恭也の元に向かうというのなら、彼女は心底無価値な人間となるだろう。高町恭也に殺されるか、それとも彼と破滅の戦いに巻き込まれて死ぬかはわからないが、彼女は確実に死に、エリカという人間はそれを選んだ時点で無価値となる。ならばここで殺してやった方がいい。
高町恭也を諦めるというのなら、それでいい。高町恭也という自らの生きる理由をなくした彼女が、今後どうするのか、それも見物だろう。
時間にすれば、たった数十秒。その間、両手を握りしめ、唇を噛んで俯いていたエリカは、夏織に背を向けた。そして、たった今彼女が歩いてきた道を引き返していく。
それがエリカの選択だ。

「ま、それでいい。それが正しい選択だよ。復讐の対象と共に死ぬなんてのは、馬鹿らしいだろう?」

なぜかそのエリカの選択に多少のつまらなさを感じるが、夏織は肩を竦めてその選択を彼女なりの言葉で誉めてやる。
しかし、

「勘違いするな。私は復讐を諦めてなんかいない」
「あん?」
「こんな所で、あの男が死ぬわけがない。そんな当然のことを思いだしたのよ。それだけのことだわ」

それは夢物語のような発言。子供が正義は絶対に勝つのだと夢想しているのと同じようなもの。
しかし、夏織は何も言わない。
エリカは、もはや夏織など目もくれずに戻っていく。その足取りに一切の迷いはなかった。

「くっ……」

夏織は、思わず空を見上げる。

「は……」

口を押さえるが、しかしその奥から漏れてくるものを抑えることはできなかった。

「はははははははははははははははははははははははははははははっ!!」

もはや笑い声が止まらない。
自分が何にたいして笑っているのかすらわからない。だが、しかし面白いという感情に引っ張られ、夏織は笑う。

「くくくくくくくくくくくくくくくくくっ……!」

ただただ楽しくて、夏織は笑った。

「くくく、いいね、ホント。お前、本当に気に入ったよ。恭也と同程度に、見てて楽しい」

楽しい。
それは夏織にとって、最大の誉め言葉。人を好き嫌いではなく、楽しいか、そうでないかで見る夏織にとっては、最大の賛辞だった。



◇◇◇



「すまない、恭也……」

結局、クレアは賢人議会議員の決定を覆すことはできなかった。
恭也を破滅に差し出す。それが決定した。
クレアには、政敵が多い。
クレアの母である先代女王が死に、その席は現在空位である。
この場合、本来であれば女王の夫である王……女性上位のこの世界では、女王の方が権力は上だ……が、女王代行として政治をするはずであるが、その父もほぼ同時に亡くなっていた。
そうである以上、どんなに幼かろうとクレアがすでに女王になっていなければおかしいのだが、現実にクレアは戴冠していない。
成人しておらず、また女王としての教養がまだないとされ、当時戴冠は見送られた。それが未だに続いてしまっているのだ。
このままいけば、クレアが戴冠し、次の女王になることはほぼ間違いないが、女王空位の期間が長すぎた。
権威主義の大貴族が、女王空位の時間を利用し、他議員を次々と自らの派閥に飲み込んでしまったのだ。クレアがこのまま女王になったとしても、その大貴族を無視できないものになってしまっている。
今回、恭也を差し出すことを決定したのは、彼らであった。
クレアは、無論これは反対だったし、クレアの味方の議員たちも、彼女の意見に賛同したが、覆すのは不可能だった。

「馬鹿共め……」

あれらは、本当に目先のことしか考えていない。
クレアが、恭也を差し出すことを良しとしなかったのは、彼を気に入っていたから……議会では、それを理由に冷静な判断ができないとされてしまったが……だけではないのだ。
クレアは、何も生贄は駄目だという綺麗事のために反対したのではない。
今は戦時であり、たった一つの間違った行動で人類が滅亡しかねない状況。それも他の世界も巻き込んでだ。
綺麗事のために、全世界の人類が滅び、世界が滅亡することなど許されてはならない。非人道的だろうと、本当に必要だったならば、むしろクレアが行かせることを決定した。
しかし、今回ばかりは間違っている。本来ならば、ここで恭也を死なせてはならなかった。

「恭也……」

恭也は来るだろう。
彼は、先を見ることができる人間だ。学園に引きこもっている訳がない。
すでに王国は、彼の回りを人質にとっている状態なのだ。王都へ来なければ、どうなるかなど目に見えている。
逃げることもできない。破滅もまた恭也を探すだろうし、王国も同じこと。つまり恭也は、すでにこの世界の最大組織二つを敵に回している状態。
彼自身は逃れられても、彼の縁者はそうもいかない。
人質にされ、出てこいと言われれば終わりだし、王国と破滅を敵に回した時点で、この世界に逃げられる場所はほぼない。
仮に召喚の塔が爆破されていなかったなら、クレアは無理矢理にでも恭也たちを元の世界に帰らせただろうし、恐らくは恭也もまた、元の世界に逃げることを選択しただろう。元の世界にさえ逃げられれば、もはや王国も破滅も手が出せないし、無理して手を出そうとすれば、その世界の恭也の縁者全てが敵になる。最悪、二つの世界で戦争だ。
そうなれば、間違いなく破れるのは王国か破滅である。聞いただけでも文明や技術力に差がありすぎる。この世界の魔法では、汎用性の高い兵器……誰もが使えるという時点で、兵器のアドバンテージは不動のものだ……を超えられない。
しかし、現実に召喚の塔は破壊され、恭也たちは帰れない。
それがわかっているからこそ、恭也は来る。そして、彼はすでに王国の答えに気付いている。
もはやこれ以外には、道がない。
恭也にも、そしてクレアにも。
クレアは自分の手の中にある拳大の石を握りしめた。
恭也に、この幻影石……正確には違うが、似たもの……を渡す。
これは破滅、クレアの政敵たち、そしてクレア自身の相違のもとだ。
クレアの政敵からすれば、恭也が破滅の軍勢に向かったか確認できるため、そしてその死を確認できるため、渡りに船というものだった。
破滅としては、恭也がなぶり殺しにされる様を見て、多少は溜飲を下げられる。
そして、クレアからすれば……

「…………」

そもそもこの幻影石を用意したのも、それを使うことを提案したのも……他の誰でもない、クレアだった。
つまりクレアこそが、恭也がなぶり殺しにされる様を世界に中継させる張本人。

「すまない……恭也。すまない、私はお前の死さえも利用する」

恭也は死ぬだろう。
その死すら、クレアは利用するしかない。
この石は、恭也の死をこのアヴァターに伝える。この世界に住む、全ての民たちへ。
それをクレアは利用する。

「すまっ……ぐっ……うっ……ない……ぃ……きょうやぁ……ぁぁ……」

王女は、石を握りしめ、涙する。
これほど、自分が王女であることを呪ったことはない。
好いた男を死地に向かわせることしかできない。好いた男の死すら利用するその打算的な思考と行動、王女としての考えを、為政者としての謀を呪う。
自らの感情すら表に出せず、愛より他を取る己が心の底から憎い。
だが、それが『クレシーダ・バーンフリート』だった。
民のための己。
それこそが彼女だった。
しかし、ならば……

「ぐっ、うっ……ああああぁぁぁぁ……うぅっ……あっ……うっうぅうぅぅぅぅ……私は……私はっ……! 恭也ぁぁぁ! 私はぁっ……!」

『クレア』はどこに行ってしまうのだろう。
『クレア』個人など、存在する意味はないというのか。
何もできないというのだろうか。

「なぜ私は、こんなにも……っ!」

――無力なのだ!?

声にはならない悲痛な叫び。
『クレシーダ』としても、『クレア』としても、彼女は弱かった。
『クレシーダ』は、他の貴族に負けた。
『クレア』は、恭也にたった一つの『保険』を与えることしかできなかった。
負けて、それだけしか……できなかったのだ。

「きょう……やっ……!」

だからこそ彼女は、誰もいないこの場所で、ただ独りで泣くことしかできない。
そこには王女などどこにもいない。
ただ一人の……年相応の少女が泣いている。
それだけだった……。




メンテ
Re: 黒衣(仮投稿) ( No.601 )
日時: 2013/03/23 16:59
名前: テン






――死は常に隣りにあった。


俺は常人よりも、確かに死に慣れていた。慣れる程度に、死は俺の傍にあったのだ。
初めて死体を見たのはいつだったのか、それすら覚えていない。少なくとも一般的には、死という概念を認識できる年頃ですらなかったはずだ。
生まれた家の特殊性。
それが確かに俺を死に慣れさせた一要因だろう。
その家は、全滅するという形で、またも俺に死がどういうものかということを叩きつけた。
肉の焼け焦げた臭い。
溶けた皮膚。
千切れた手足。
散らばった贓物。
まき散らされた脳漿。
凄惨な光景は未だ忘れることはできずに、俺の頭の中にあった。その全てが、俺にとって大切な人の一部だったのだから、忘れることなどできなかった。
父もまた、俺に死を刻みつけた一人。
強い人だった。俺にとって最強の人で、破れることなどない人。死ぬわけのない人だった。
だが、そんな父もまた死んだ。死とは誰にでも平等に訪れる。どれだけ強かろうと人は死ぬ。それを父に教えられた。
他人の死は己の死ではない。他人の死では、己の死を認識できない。人はそう言うかもしれない。
だが、自身の死すら常に傍にあった。
鍛錬の過程で、内臓を傷付け、血反吐を吐いたのは一度や二度ではきかない。折れた肋が肺に刺さりかけたこともある。実際には、刺さりこそしなかったが、肺を傷付け、それなりに危ない状況に陥った。
他者に殺されたかけたことも一度や二度ではきかない。
ただ俺は、死にかけることはあっても死ななかった。死んでもおかしくなかったことは、何度もあったが、悪運が重なり、俺はまだ生きている。
そして、逆に殺した。
自分が生きている分だけ殺した。
一人を殺したらもう駄目だったのだ。
最速で守る方法を知ってしまったら、もう駄目だ。殺す以外の選択肢があったとしても、俺は早く守れる殺人を犯す。
そうして、俺の周りには『死』ばかりがある。
俺の周りにあり、俺自身が生み出した。
死は傍にあった。
あったが、俺はまだ生きていた。
しかし、傍にあったからこそ、時に思う。
俺はどのような死に方をするのか。少なくとも布団の上で死ぬこともなければ、病気や事故でも死なない気がした。
だが、一つだけ予測できる。


俺はまともには――死ねない。


きっと惨たらしく死ぬことになるのだろう。
それだけは確信ある未来だった。
しかし、きっと――

大切な人たちがあんなふうに惨たらしく殺されたのに、俺だけが綺麗に死んでいいわけがない。
父より弱い自分が、父よりも意味ある死が迎えられるわけがない。
人を殺した自分が、殺した者たちよりもまともに死んでいいわけが……ない。

――心のどこかで、俺自身が、そんな死を望んでいる……




第六十八章




一対十万。
この馬鹿げた戦力差を覆せるものを、当然ながら恭也は持っていない。
質は数に及ばない。
そんな通説を覆すことができる恭也であっても、この状況はすでに数の方が異様だ。
さらに増援は望めず、撤退もできないという最悪な状態。
ここは高町恭也という人間の処刑場なのだ。
恭也に残されているものは、最早生ある未来ではなく、如何に長く生き残るか、如何に多くの敵を殺すかだ。
前方に広がり、蠢く十万の怪物。
恭也は、それにただ一人で向かっていく。
常人ならば、それだけで気が狂ってしまいそうなシチュエーション。自殺志願者や狂人だとて、このような真似はしないだろう。
魔物という化け物の大海へ、恭也は躊躇なく、自ら飲み込まれていく。

「っ!」

同時にすれ違う魔物一体の首を飛ばした。
それがこの戦いの始まりの合図だった。
否、戦いではなく、処刑の始まり。
敵は十万。何をせずとも、三百六十度、全て敵に囲まれていた。

(だが、同時にかかってこれるのは、最高でも四体が限度だ)

十万の大群だろうと、それらが一斉に襲い掛かってくるわけではない。とくに魔物は大きさにばらつきがある。ゴーレムなどの巨体な魔物は、攻撃するだけで味方に被害を出すだろう。そのため余計に同時に襲い掛かれる数は減る。もっとも、同士討ちをしないようにする知恵があるのかどうかもわからないから、楽観視はできないが。

「しっ!」

恭也は縦横無尽に小太刀を振るい、一太刀ごとに魔物の首を落とす。
魔物は人ではない。致命傷を与える箇所もわからない以上、もっとも簡単に殺すには首を落とすこと……無論、それでさえ殺せるかわからず、油断はできない……だった。
また、一体一体に余計な時間はかけられないのだ。そうである以上、一太刀で首を落としていかなければならず、常に斬をこめて振るうしかない。
一瞬で四体の首を落とした恭也だったが、その手と足は止まらなかった。
首を斬り落としながらも、恭也は敵陣を駆け抜ける。
駆け抜けながら、すれ違い様さらに八体の魔物の首を落とす。
味方がいない以上、乱戦に持ち込む方が……一人である以上、乱戦という表現自体微妙だが……有利なのだ。決して一カ所に留まらす、すれ違い様に攻撃する。
それら全てをなすために必要なのが、敵の攻撃に捕まらないスピード。また一体を一振りで倒す剣速。

(しかし……理想論だな!)

蛇面の魔物……リザードマン……の首、その鱗の間に刃を通し、やはり斬を込めた一閃で斬り飛ばしながらも、恭也は内心で毒づく。
これが人で構成された大群ならば、まだ良かった。理想ではなく、確かな現実として、それをなし、それどころか一振りで、数人まとめて斬ることすらできただろう。人間の全ては、急所がわかるし、小太刀自体が人を斬ることこそ本領なのだ。
しかし、現実に今恭也が戦っているのは、魔物の大群だ。姿は千姿万態。前述の通り急所の場所などそれぞれ違うし、皮膚の硬さも違う。可動する関節の数が違う。頭がある場所が違う。中には巨体の魔物までいる。
だからこそ理想論。
しかし、それをしなければ、否、それでも絶望的に足りない。

「ちっ!」

恭也は、無銘の小太刀の刀身を見て、大きく舌打ちする。倒した魔物はまだ十体少々。だというのに、すでに刀身にわずかな欠損が見られた。
首を両断し続けるというのは、それだけ小太刀に負担を……そもそも細いと言っても腕よりも太い首を両断し続けるなど、本来ならば正気の沙汰ではない……かける。ただでさえ、血と油で斬れにくくなるというのに、これではいつまでも武器が保たない。
霊力によるコーティングは、この段階では時期尚早だ。霊力の総容量こそ桁違いに大きい恭也ではあるが、慣れないため無駄に放出してしまう。そのためそれほど長く保たないのだ。
例えば耕介なら、同じ状態で数時間以上保つが、恭也はその十分の一も保たない。そもそも耕介ならば、攻撃する瞬間だけコーティングするような離れ業までこなす。
何にしろ、退魔師ではない恭也の霊力は、その程度が限界だ。無駄に使えない。

「……!」

牛面の魔物……ミノタウロス……の首に、恭也は斬り込むが、その魔物は太い首を持ち、また筋肉質で、リザードマンとは別の意味で硬い。半ばまで断ち切ったものの、左の小太刀はそこで折れた。
それに再び舌打ちしようとしたとき、風を切る音が聞こえる。

「っ!」

瞬間、恭也は折れた小太刀を捨て、さらに右の小太刀を高速で納刀しつつ、すぐさまその腕を振り上げた。まるで埃を払うかのように、無造作な動きで、『それ』を掌で握り、掴み取る。

――矢だ。

飛来してきたそれを、恭也は自分の顔に突き刺さる直前で矢の中央を握りしめ、止めていた。
弓と矢、そして射手の技量と筋力……的への距離も関係するが……にもよるが、放たれた矢の速度は、瞬間的には時速にして三百qを超える。銃弾の三分の一から四分の一の速度と言えば、その凄みもわかるだろう。
飛来してきたそれをかわすのではなく、掴み取る。もはや人間業でもなくなってきているように見えるが、恭也からすればさして難しい作業ではなかった。近くに、その弓矢の最高速を軽く凌駕するスピードで射る射手がいたのだから。
人ではないが故の怪力か、確かに速度は人間が放つものに比べて高速であったが、それだけだ。当真未亜のそれと比べてしまえば、速さに劣り、技量など比べるべくもない。

「かっ……!」

恭也は、矢を受け止めた反作用を使ってその場で後ろへと半回転し、その回転力を込めて、隣りにいた馬面の魔物……ケンタウロス……の目へと、受け止めた矢の鏃を突き刺す。
矢は眼球を貫通し、その裏の脳へと到達する。恭也の手には、その感触が伝わってきていた。
恭也は敵一体の生死など気にせず、矢から手を離すと、手首に巻いたバンドから飛針を四本抜き、先ほど自分に放たれた矢以上の速度で、それを同時に射出する。
四本の飛針は、魔物たちの間を縫うようにして飛び、離れた位置で、弓を番える虎面の魔物……ワータイガー……たちの眉間に突き刺さる。
やはり飛針を投げつけた瞬間には、恭也はもうその魔物たちのことを気にしなかった。一々、死んでいるかの確認などしていられない。
恭也は、脇から飛びかかってきた人狼……ワーウルフ……の爪を半身になることでかわし、交差の瞬間に人狼の首を肘の間で極め、身体全体の加重をかけて、へし折った。首を離し、地へと倒れていくワーウルフの頭頂部に、止めとして徹を込めた肘を叩き込む。
そこで恭也は、地面を滑るようにして、大きく……そこに魔物がいないかを気配で確認し……飛び退いた。
同時に、先ほどまで恭也がいた場所に、巨大蝙蝠型の魔物……ガーゴイル……が急降下し、その爪を振り下ろすのが見える。しかし、恭也がすでにそこにいないと気付いたガーゴイルは、大きな羽根を高速で動かし、今度は急浮上した。
再び高度をとって、強襲しようとする。見ると同型の魔物が他にも三匹集まり、同じく急降下しようとしていた。

「それで制空権をとったつもりか?」

呟いてから、恭也は右手を大きく動かす。
空に輝く銀糸。
五番鋼糸。
有効射程は十メートルを超え、いくら上空にいようと、魔物の全てが射程圏内。一本の糸は、複雑に上空で銀閃を浮かべ、まとめて三体のガーゴイルを絡めとる。

「ふんっ!」

力を込め、恭也が腕を叩き下ろすと、ガーゴイルたちは地上へと勢いよく叩きつけられた。高さに加え、遠心力すら加わった力で叩きつけられたガーゴイルたちから、まるでトラックに跳ねられたかのように、全身の骨が砕ける音がし、その大きな羽根も折れ曲がった。
高さを取る、というのは弱点でもあるのだ。そこから叩き落とされれば、巨大な衝撃を受けることになる。
魔物たちのとっていた高度は、わずか十メートルほど。建物で言えば、三、四階ほどの高さではあるが、鋼糸の遠心力によって衝撃は相乗される。
仮にあの魔物の皮膚が硬かったり、魔法で障壁を張れたりしても、結局の所叩きつけられた衝撃は、絶対に抜けない。内臓をズタズタにする。それはやはり死と同じだ。
頭上をとったからと言っても、御神の剣士の前では、決して安全地帯にはならない。
恭也は一瞬で伸ばした鋼糸をリールで回収。回収と同時に、すぐさま再び左腕と左手を動かす。
今度はその銀が輝くことはない。
0番鋼糸。極細、高摩擦のそれは、細すぎて達人でも視認がほぼ不可能な代物。僅かに煌めく線が一瞬見えるだけだ。
その見えない銀糸は、抵抗もなくガーゴイルを三体切り裂く。

「三体……」

0番鋼糸は、制御がかなり難しい。さすがの恭也も、四体切断するつもりが、途中で勢いが消え、三体しか切り裂けなかった。
鋼糸を回収し、今度はコートの内側より、小刀を二本引き抜き、構える。

「これで……二十七体か」

戦闘を開始し、まだ数分程度。恭也が殺した数は恐らく……全部きっちりと死んでいるならば、だが……二十七体。
残り九万九千九百七十三体。
先はまるで見えてこなかった。



◇◇◇



「くそっ!」

リリィは、口汚く罵り、目の前の鉄格子を殴りつけた。
しかし、その鉄の棒は鈍い音を放つだけで、形を変えることはない。むしろ、

「痛ったー!」

殴りつけたリリィの拳の方にダメージを与えていた。
リリィは、その衝撃と痛みに、思わず中腰になって自分の右手を押さえてしまう。

「リリィさんの召喚器を没収しなかったのは、こういうことだったのですね」

それを見ていたリコは、短く溜息を吐く。
召喚器を持つリリィの拳は、鉄格子程度ならば、容易いとは言わないが、折ることは可能なはずだ。しかし、それができない。

「召喚器の力が働かず、そもそも召喚すること自体ができない。魔法も使えない。ここに連れてこられる前に脱走するべきだったかも……」

知佳もまた、この結果に危機感を募らせていた。
彼女らがいるのは、王城の地下。そこにある牢屋の中であった。
恭也が連れていかれ、残った救世主候補たちや、耕介たちは、彼を追うつもりだった。恭也に全ての責を負わせるなど、ありえていいことではない。恭也と共に最後まで戦おう。そう決心していた。
それがクレアにも伝わったのだろう。彼女は、救世主候補たちを捕らえることを命令したのだ。そして、それにミュリエルやダリアまでついてしまった。
王城に入る際、全員の武器を没収され、まともに戦えたのは、久遠と知佳、そしてライテウスを手袋と押し通し……召喚器であることは、クレアが知っていたはずなので、押し通せたこと自体、不思議ではあるのだが……たリリィのみ。
久遠がいた以上、勝てないことはなかったが、恭也を生贄にした議会の者たちや、それに従う兵士たちはともかく、ミュリエルやダリアを傷付ける気にはどうしてもなれず、結局投降したのだ。

「まったく……失敗だったわねっ!」

救世主候補たちからしてみれば、それは一時的なものだったのだ。どこかに軟禁されることになったとしても、こちらにはどこからでも召喚器を呼べる未亜となのはもいたし、リリィたちが魔法を使って脱出してもいい、と楽観視してしまっていた。少なくともミュリエルたちを倒し、さらに王城にいる全ての兵士たちを倒して脱走するよりは、現実味がある。
しかし、彼女らが捕まったのは、特別な地下牢。マナの結合を阻害する効果を持つらしく、ここにいる限り、召喚器は呼べない。手元にあっても大した力は出ないし、魔法も発動しないという最悪の状態になってしまった。
唯一の救いは、その特別造りの牢は一つしかなく、それなりの広さがある……とはいえ、この人数が全員入れられれば、何人かは常に立っていなければならないが……そこに、全員が押し込められたことだ。少なくとも作戦会議は可能である。そして、拘束もされていない。

「やっぱり久遠にやってもらうしかないかな」

耕介は、この状況に嘆息しながらも、もう一つの救いである者の名をあげた。
召喚器は呼べず使えず、魔法も使えない。そんなこの牢ではあるが、そもそも久遠と知佳の力は、マナに左右されない。これは耕介も同じだが、耕介の手には今、十六夜……魂である十六夜本人は、多少無茶をしてここにいるが……がない。そのため二人に頼るしかなかった。

「問題は出たあとですよ」

未亜は鉄格子の間から、外を覗き込む。完全には見えないが、当然兵士の監視があるし、ここから外に出ても、救世主候補たちが相手であることから、かなり警戒されているはずだ。最悪、地下から出た途端、すぐさま包囲される可能性すらある。
この王都に何人の兵士が残っているのかはわからないが、最低でも数百人はいるだろう。それらをなぎ倒してというのは、現実的ではない。そもそもだからこそわざと捕まったのだ。

「ここがどこなのかわからない、というのも問題でござるよ」

カエデは、壁を軽く叩きながら眉を寄せる。
ここが王城の地下であることは、当然わかっていることだ。だが、逆に言えばそれしかわからない。この中で王城に詳しい者など……そもそも王城内のこういった場所は、かなりの機密部分に入る……いないのだ。

「それに下手に破壊して、生き埋め、なんていうこともありえますね」

言いながら、ベリオは久遠を見つめた。
久遠の力は確かに絶大だ。しかし、絶大だからこそ、力のコントロールを失敗すれば大惨事を引き起こす。
もう一人、知佳もいるが、彼女の力の動力は光だ。この暗い地下では、光は望めない。温存しておくことも可能……彼女はそれを冗談半分で、光合成と言っている……なのだが、先日の戦いで、かなりのエネルギーを消失している。

「鉄格子だけなら、念動力で何とかなる、かなぁ?」

知佳は鉄格子に触れながら、自信がなさそうに呟く。全力になれるならば、自信をもって断言できただろうが、今の状態では絶対とは言えなかった。

「久遠……やる。はやく恭也のところにいきたい」

久遠は、紫電を身体に纏わせ、そう宣言した。
ここで手をこまねいているよりも、さっさと脱出し、詳しいことはそのあと決めればいいという結論はすぐに出る。
だからこそ、全員が久遠に頷いて返した。

「くーちゃん、お願い」

代表してなのはが頼むと、久遠は黙って一歩前に出る。そして、その手を鉄格子へと向け……

「すまぬが、そこまでにしてもらえるか? その牢は知っての通り特別製でな。それなりに必要なものの上、高価だ。壊されてはたまらん」

暗い地下室。そこに反響する幼くも威厳のある声が響く。
蝋燭の光に照らされて、鉄格子の向こうに二つの人影が浮かぶ。

「クレアちゃん……」
「お義母様……」

クレシーダ・バーンフリートとミュリエル・シアフィールド。
王国の王女と学園の学園長。二つの組織の長であり、この場に似つかわしくない二人の登場ではあったが、その場にいる誰もが驚きはない。
しかし、二組の間にあるのは、敵意に近い沈黙であった。
当然ながら、今回の王国の決定を救世主候補たちは納得していない。いや、納得などできるわけがない。それこそ破滅に世界が滅ぼされたとしてもだ。
そう考えて、リリィは冷静な部分でふと思う。

(これが私たちと恭也の『差』なのかしらね)

世界が滅ぶ瀬戸際で、自分たちは世界と恭也を天秤にかけるクレアたちが許せない。だが、恭也本人は何の迷いもなく、クレアたちを恨むことなく、己を犠牲にした。

(……違うか……恭也とじゃない。これが恭也『たち』と私たちの差)

ベクトルは違うが、結局目の前にいる二人も同じなのだ。大切なもののためなら、己を捨てられる人間。
この二人とて、今回の決定に不服がないはずがない。とくにクレアに関して言えば……同じ女として、彼女の恭也に向く感情が何であるのか、手に取るようにわかる。しかし、それでもクレアは、そんな己の感情を殺し、捨てて、世界を選んだのだ。
言ってしまえば……大人なのだ。
捨てられる大人。
選べる大人。
正しい選択ができる大人。
誰かを庇護できる強い大人。
己の未来と選択を固定し、選び続けられる者たち。

(でも、それが大人だって言うなら、そんなものになりたくはないわよ。惚れた男を差し出して生き残るぐらいなら、私は子供でいい)

全てを救えると思えるほど傲慢にも、子供にもなれない。
しかし、だからと言って、大切なものを天秤にかけて、迷わず何かを選べるほど大人にもなれない。それが子供の証明……少なくとも大人ではないという証明でも、それならそれでいい。
少なくともリリィはそう思った。
睨み合う、というのとは違う。しかし、重い雰囲気が鉄格子を挟み、二組の間に横たわり、誰もが言葉を発することができない。
だが、意を決したように、クレアが重々しく口を開く。

「正直に言えば……このままお前たちを解放してやりたいという思いはある」
「…………それが本音だと言うのなら、そう行動してくれないのはなぜかな?」

対応したのは、『大人』の一人である耕介だった。

「解放したならば、お前たちは恭也たちの元に向かうだろう?」
「そうだね」
「お前たちを死地に向かわせるわけにはいかない」

クレアのその言葉を聞いた瞬間、リリィに限らず、救世主クラスほぼ全員の顔に血が溜まり、顔を真っ赤にさせた。
これほどの怒りを感じた覚えは、過去にそうはない。全員がそう自覚する。

「恭也をその死地に向かわせておいて……!!」
「何をのうのうとほざいているでござるか!?」
「責任転嫁なんてしたくない! けど、そんな状況になったのはあなたたちが……!」
「私たちが弱かったからこうなった……! それはわかっています! ですが、その言葉は王女殿下でも仰っていいことではありません!」
「恭ちゃんを返すですのー!」
「っ……!」

恭也を死地に向かわせた張本人が何をと、救世主クラスの者たちは今にも飛びかかりそうなほど怒りに肩を震わせる。鉄格子がなければ、誰か一人は間違いなく飛びかかっていただろう。

「ああ、そうだな。私が言えることではない。しかし、それでももう一度言う。
お前たちを死地に向かわせるわけにはいかない。
だが、勘違いされては困る。私はお前たちを心配してこんなことを言っているのではないし、お前たちに懇願しているわけでもない」

クレアは救世主候補たちの怒りを一身に浴びながら、それでも泰然としたまま続けた。



「それが……恭也の願いだからだ」



静かな言葉。
たった一言。
それだけで全員の動きが止まり、感情が氷った。

「まさか、気付いていなかったわけではあるまい? 恭也がなぜ、ああも簡単に自分が生贄になることを受け入れたのか。あやつ自身が言っていた国やら何やらなど、ただの建前にすぎんよ。その理由はどこまでも単純だ」

恭也が生贄を買って出た理由……

「お前たちを生かすため……己の命を使ってでも守るためだ」

クレアは、唇を噛みしめ、救世主候補たちを見ながらも、その視線はここにはいない誰かへと向かっていた。

「お前たちの言うとおり、恭也を生贄にした張本人は私だ。この戦争が終わったあとならば、いくらでもその責めを受けよう。侵し、犯され、嬲り殺しにされても文句など言わない。しかし、私が張本人だからこそ……」

視線が救世主候補たちに戻ると、そこには王の威厳に満ちた瞳がある。

「例えお前たちでも……恭也の信念と想い、そして最期の願いは……決して曲げさせんし、汚させもせん……っ!」

恭也はきっと、クレアを信じて死地へと赴いた。
残る救世主候補たちを止めてくれると信じて。

「お前たちを死なせるわけにはいかない。そうでなければ、私は恭也の命ばかりか、その信念と想いまで汚してしまう」

それだけは許せないと言うように、クレアは唇を噛みしめた。

「だから例え、お前たちが私を恨もうとも、そこから出すわけにはいかない」

その言葉には力があった。
力強い声だったわけではない。威圧的だったわけではない。だが、しかし逆らえない何かが確かにあったのだ。
その言葉を聞いただけで、救世主候補たちは口ごもる。
反論がないわけではない。しかし、それが言葉として出てこない。完全にクレアの力に呑まれ、気圧され、どんな言葉も出なかった。
しかし、それにも呑まれない者は確かにいた。

「ですが、そのお言葉だけで私たちを止められると?」

十六夜は、クレアに呑まれず、気圧されることもなく、静かに問う。
それに知佳もまた頷いた。

「この牢でも、私と久遠ちゃんは止められない。この牢さえ壊してしまえば、そちらは学園長が一人だけ。逃げることはできるよ?」
「無理だな」
「なぜ?」
「先ほどは、この牢が壊されてはたまらないと言ったがな、正確には地下全てを壊されてはたまらないという意味だ」
「どういうこと?」
「なぜ牢獄というのが、地下に造られることが多いかわかるか?」

クレアの返答に、知佳は眉を寄せる。

「罪人を逃がさないため?」
「単純に逃がさないことだけを重視するなら、むしろ高いところに幽閉した方が確実だ。脱獄したとしても、下に降りるまでの間に捕まる」

さすがに牢事情など、知佳も知らなかった。しかし、それは確かに今の自分たちが置かれた状況では、必要な情報に感じ、先を促す。

「理由は様々あるが、大きな理由の一つは建設費用が安い。逃がさないことを重視すれば、高いところと言ったが、その分建設するには金がかかる。地下も多少はかかるが、高くするよりはましだ」

建物は高ければ高いほど、建設に金がかかる。地下階もそれなりにかかるが、高くするよりは安くすむ。
これは建築に関して素人でも、なるほどと納得できた。

「次に閉鎖が容易い。何かあったとき、地下に繋がる階段を壊してやれば、昇ってくることはできない。中途半端に高いところでは窓等から逃げられるが、地下ならばそもそも窓さえないからな」

もっともその時点で、牢にいる者たちは酸欠なりで危険になるだろう。とはいえ、空気穴はいくつかあるだろうが。
そして、これから言うことこそ重要だと、クレアは笑う。

「そして最大の理由……それは破壊されることを前提に作られるからだ。とくにここは、城であって刑務所ではなく、一時的な幽閉場所でしかないしな」
「え……?」
「脱走するには、内部、もしくは外部にいる協力者が牢を破壊して、というのがセオリーだろう。が、こういった牢は、壁だろうが鉄格子だろうが、大きな力が加わると、内に崩れる構造になっている」
「…………」

知佳はすでにクレアが言いたいことを理解した。
しかし、知佳が理解したとわかっても、まだわかっていない者たちに伝えるため、クレアは先を続けた。

「無理矢理に、力業で出ようとすれば、この牢どころか全ての牢が崩れる。最低でも出入り口までは崩落するだろう。
高い場所でも似た仕掛けはできるが、下の階などと比べると被害が大きくなる。その点地下の場合は、崩しやすい上に、構造に注意してやれば上の階に被害をほぼ与えず、人的被害自体がほぼ罪人だけで終わる」

つまりクレアが言いたいことは二つ。

「下手なことをすれば、全員が生き埋めだぞ?」

その言葉とともに、言外に告げられる答え。

――お前たちはここに入れられた時点で封殺されている。

認識が甘かった、と知佳は歯噛みする。
そもそも牢とは、罪人……もしくはそれに類する者を……を閉じこめるためにある。中には凶悪犯や思想犯なども多くいることだろう。そんな者たちを逃がさないようにする仕掛けがあって当然だ。
テクノロジーのある知佳たちの世界は、それこそ監視のためのシステムが多くあるが、文明レベルの低いアヴァターにおいて、命を人質にしてでも逃がさないというものに変わる。
仮に牢を破壊できたとして、この部屋自体が崩れたなら、生き残れるのはどれだけいるか。最もまずいのは、召喚器を召喚できないというのが、崩れたあとも適用されるのか、それがわからないということだ。生き埋めにされて、召喚器が召喚できなければ、なのは等は間違いなく死ぬ。
本来レスキューで働く知佳からすれば、とれる手段がなくなったに等しい。
力が抜けた知佳を見て、他の者たちも何も出来ぬまま万策尽きたことを理解させられる。

「……クレアちゃんは何をしに来たの?」

そんな中、なのはがどこか暗い声で問う。

「私たちが破れかぶれで、この牢を破壊するかもしれないよ? それにどうにかしてクレアちゃんを人質に取る方法だってあるかもしれない。なのに何で?」

確かになのはの言うとおり。
後先考えずに、この牢を破壊するという手段……手段とすら言えず、なのはの言うとおり破れかぶれだが……は残っていた。そのときここにいれば、クレアたちとて巻き込まれることになる。
また、クレアという人物自体が、当然ながら人質として最良の人間だ。それこそ、彼女を人質にとれば、ここから抜け出すどころか、王国軍自体に恭也を助けにいけと命令できる可能性すらあった。

「だからこそ、私がいるのですよ」

そう言って、ミュリエルが一歩前に出る。

「そこからは見えないでしょうが、ダリア先生も近くにいます」
「……学園の二大魔女が護衛ですか」

離れた場にダリアがいようと、戦闘になれば救世主候補たちが勝つだろう。確かに二人は魔女と呼ばれるほどの魔導士だが、それでもリリィたちを全員敵に回して、どうにかできる程の力はない。
しかし、ミュリエルたちはクレアを守れればいいのだ。それが彼女たちの勝利条件。

「当然、上には多くの衛兵がいます」
「っ……」

これでは本当に身動きがとれない。
そう理解できた耕介と知佳、リリィ、リコの四人は歯を噛みしめた。
どう転んでも、最終的に救世主候補たちは敗北するだろう。彼女らの勝利条件は、恭也の元に赴くことなのだ。これを満たせないならば、こちらの負けだ。

(甘かった。王女とお義母様は……恭也は、私たちがどう動くかなんて手に取るようにわかってたんだ……)

クレアは最初からこうして、自分たちを封殺するつもりだったのだとリリィは理解した。そして、恭也もこうなることを……いや、クレアがこうすることを期待していたはず。
残された手は、なのはが言ったような破れかぶれの特攻ぐらいしかない。

「私の用は簡単だ。お前たちを恭也の元には行かせられない。が、恭也が今どうなっているのか……それを見せにきた」
「え?」
「私がお前たちにしてやれることは、もはやそれだけだ。あやつの……恭也の死を、たとえ遠い地からでも看取らせる。それだけだ。
もしかしたら残酷なことなのかもしれないが。それでも、死に様だけは、お前たちが看取ってくれねば……それこそあやつが救われない」

クレアは外見に似合わない疲れた笑みを浮かべ、懐から拳大の石を取り出した。
幻影石にも似たそれ。効果もほぼ同じなのか、その石から光が浮かび、形をなす。立体にも、平面にも見える映像が空中に浮かぶ。
映し出されたのは一人の男。

「おにーちゃん……!」

二刀を振るい、辺りに蠢く異形を屠る姿。
場所は平原。
しかして、映るは化け物の海原。

「っ! こんな!」

映像だけで、その絶望感が救世主候補たちに伝わってくる。
処刑場。
その言葉がここまで似合う場も、そう多くはないだろう。
まるで無限にも思える異形の化け物たちに囲まれ、そうでなお恭也は一切の恐怖を浮かべることなく、その二刀を振るう。
魔物を斬り裂き、だが自分も切り裂かれ、血の珠を降らせる姿に、救世主候補たちは思わず目を瞑る。
似合わぬ咆吼を上げ、顔と身体を朱に染めて、魔物を蹂躙していく姿は修羅を思わせる。
しかしそれは、死に逝く者が最期に燃やす何かであると理解できた。



◇◇◇



何体の魔物を倒したのか、もはや覚えていない。二百までは数えていたが、まるで自分の死ぬまでの時間を数えているようで、馬鹿らしくなって数えるのを止めた。ただ当初の目標であった三百は確実に超えていることだろう。
今は数を数えるぐらいならば敵を斬る。思考するぐらいならば敵を斬る。ただただ斬り続ける。
己は不破である。
今このときは、御神であることすら忘れた。守るという意思すら殺し、ただ殺すという意思のみで動く人の形をしたナニか。
殺すためのナニかになった。

「殺ぁぁぁぁぁあああああぁぁぁぁああぁぁぁぁぁぁ!」

雄叫びを上げることで、筋力を上げ、ワータイガーの首を飛ばすと、その手に持つ小太刀が折れた。
もはや舌打ちすらしない。
残る武器は、八景と紅月を含めた小太刀三本のみ。暗器すらすでになくなっている。それだけしかないと嘆く場面か、それともこれだけ残して三百以上の敵を屠ったことを誇る場面か、もう恭也にもわからなかった。
そんなとき、どこからか飛んでくる火炎。
魔物の中には、当然魔法を使うのもいる。今までも何度か、炎に肌を焼かれ、氷や土の刃に切り裂かれた。
恭也は、すぐさま背より無銘の小太刀を抜刀。
抜刀とそれに伴う風速だけで、火球が斬り裂かれ、その炎が散らされる。
恭也が抜刀の勢いをそのままに、独楽のように回転すると、次々周りにいる魔物たちが斬り刻まれていった。
足を地に擦り付け、勢いを殺すと、恭也は目を見開きながら、横へと跳んだ。
次いで爆音と同時に、先ほどまで恭也がいた地面が抉られる。いや、抉られるというよりも爆裂したと言った方がいいか。

「ゴーレムか」

視線を上げれば、土塊の巨体……ゴーレム。
恭也がこの世界で初めて戦った魔物。
その巨大さは、やはりたいしたもの。高さだけでも、恭也の三、四倍近くはあり、地面に突き刺さった拳は、それだけで下手な重機よりも迫力があった。
大きさから鈍重に思えるが、動きはともかく攻撃速度にかんしては、かなり速い。ハンマーを振り上げるのに、それほどスピードは出せないが、振り下ろす場合は簡単にスピードが出るのと同じ理屈だ。つまりは自重故に攻撃速度はかなりものになる。
何より、見た目通りに硬い。
魔物の中では最上級に強く、また倒しにくいのがゴーレムだ。
ゴーレムは、地を突き刺さった拳を引き抜くと、再び恭也へと振り下ろす。まともに受ければ、恭也などそれこそミンチとなる一撃。

「っ!」

しかし恭也は、脚力だけ跳び上がり、危なげなく拳をかわした。
恭也が着地すると同時に、腹の奥底を揺らすほどの音が響く。しかし、それはゴーレムが再び地を打ち付けた音ではなかった。確かに音を上げたのは、ゴーレムの腕だ。だが、その理由は腕が地へと落ちたためである。
巨大なゴーレムの右腕。その片腕が落ちた。
恭也は我知らずと笑みを浮かべる。このときだけは、殺したはずの己が戻った。

(見ているかダウニー……?)

巨体の腕が轟音を上げ、砂塵を巻き上げ地へと墜ちる様。それは間違いなく、上空に映し出されている。ならばダウニーもまた、これを見たはずだ。
あの男と同じく、腕を落とされた巨体を。
これ以上の皮肉はあるまい。
しかし、恭也は片腕を奪っただけでは止まらなかった。
着地し、駆ける。
一閃、二閃、三閃。
続いた煌めきは三つ。
続く地響きもまた三度。
右腕と同じく落ちていく巨大な四肢。
解体。
恭也の所業はまさしくそれ。ゴーレムの巨体から四肢を切断していき、解体していく。
巨体は、その重い体を支える全てを失い、倒れ、四肢が落ちたときよりも濃い砂塵を上げた。
止めを刺す必要はない。もはやゴーレムは動くことはないのだから。
地に沈んだゴーレムの脇を抜け、恭也は再び駆ける。
魔物との海をただ一直線に駆け抜け、交差と同時に魔物を殺す。

「…………」

その中で、恭也は己が持つ小太刀を一瞥した。
傍目から見れば、強敵であるゴーレムを難なく倒せたようにも見えるだろうが、その分小太刀に多大な負荷をかけた。もはやこの小太刀も長くは保たない。
贅沢に聞こえるかもしれないが、まだ八景と紅月を抜きたくないというのが恭也の本音だ。この状況に至って、恭也にとっての切り札とは、御神の奥義でもなければ、霊力でもなく、この二本の刀だった。
無論、それに拘っては生き残れる時間が減るだけだが、もはや生き残るという選択肢がない恭也には、いかに長く生き長らえ、その間にいかに多くの魔物を殺せるかが重要なのだ。そのためには切り札を切るのは、まだ早い。
恭也はその場で半回転し、その回転力を込め、さらに徹を使いつつ、小太刀の柄底を、剣を振り上げていたリザードマンのコメカミ部分に打ち付ける。
コメカミの鱗が割れ、もんどり打つようにして、頭を支点に身体全体が縦に空中回転し、リザードマンは地に倒れた。長い舌を出し、完全に白目を向いているところからして、完全に死んでいるだろう。
剣を振り上げ、跳び上がるワータイガーを、恭也は高速で蹴り上げる。

「はっ!」

ワータイガーの剣が振り下ろされる前に、恭也の蹴りはワータイガーの腹へとカウンター気味に捻り込むようにして突き刺さり、その身体をさらに浮かせた。そのまま力業でワータイガーの身体を空中で反転させると、地面へと叩き落とす。さらに地面との接触の際に、足と地面で挟み込み、踏み込んだ。
御神流・猿落とし。
どんな皮肉か、猿ではなく、地を駆けるはずの虎へとそれは叩き込まれ、内臓が潰れる鈍い音が辺りに響いた。
本来であれば、止めとして首を斬り裂くのだが、すでに地に倒れた魔物は、生きていようが死んでいようがどうでもいいと、無視して駆ける。
時に拳、時に掌打、時に蹴撃、時に極め。
小太刀で魔物の攻撃を払い、反らし、また攻撃の支点に使いつつも、損耗を最低限に抑える戦い方へとシフト。
しかし、それはじり貧の戦法。もはや後がない証拠だった。
それでも恭也は八景と紅月を抜かず、魔物の大海を駆けている。
その姿は、未だ上空高くに映し出されていた。
多くの者たちが、この恭也の姿を見ていることだろう。
だが……その中でどれだけの者が気付いているか。
恭也が魔物という大海に呑まれてから、その足が向かう方向。まるで魔物がそこに向かうためだけの障害だとでも言いたげ、ただ愚直に一直線に目指す場所。
何か目印があるわけではない。仮に辿り着いたとて、この状況をどうにかできるものがあるわけでもない。
それでも恭也は目指す。

「レティア……」

彼女ならば、間違いなく魔物たちに気付かれず、自分の願いを叶えたはずだ。恭也はそう信じている。
そして、それは確かに正しかった。
恭也は魔物たちの大海を抜けきる。もしも恭也がその気ならば、このまま逃走さえできるかもしれない。
そんなことをすれば、その瞬間、なのはたちの命が失われかねないだろう。

「…………」

恭也は逃走など考えていなかった。
ここを目指した理由はただ一つ。

「……やってくれたか」

視界を埋め尽くしていた魔物たちを後方に置き去りにし、変わりに視界に入っただだっ広い荒野に、それらはあった。
そこはまるで戦場跡。
至る所に、剣が、槍が、斧が、短刀が落ち、地に突き刺さっている。ここに死体でもあれば、まさしく想像上に描かれる古の戦場跡と言っていいものだった。
しかし、そこにある武器たちは、一切使われた様子がなく、万全の状態であることは、武器類に詳しい恭也には一目瞭然。抜き身のまま置かれているものや、突き刺さっているものを見ると、そのどれもが業物であることもわかった。

「これは……」

その中には、多くの日本刀……そして、小太刀もまた存在し、暗器もそこら中に転がっている。

「ありがとう、レティア……」

これらを用意してくれたのは、当然ながらレティアであった。
恭也の求めた悪あがきの手段。その願いを聞き、召喚術でこうして戦場に武器をばらまいてくれたのだ。
恐らく様々な世界を駆け回り、集めたのだろう。短期間でこれだけの武器を集め、また逆召喚で送るのは、どれだけ大変だったか。召喚士ではない恭也でもある程度は想像がつく。
しかもここにある武器たちは、一部でしかない。他様々な場所に、こうして武器が届けられているはずだ。
こんな荒野に目印になるものはなく、決めたのは方角だけ。戦場を中心に円に見立て、一時、三時、五時、七時、九時、十一時方向。
恭也はレティアを信じて、ただ愚直に三時方向を目指し、事実としてレティアはその信頼に応えてくれたのだ。
この場面も空中に浮かび、恭也のレティアへの感謝の言葉も響いたが、流石にこの場に協力者の姿がない以上、ダウニーも文句は言うまい。言ったところで戦場にいる恭也には聞こえない。
議会員の連中も同じこと。まさかこの程度のことで、なのはたちに手を出したりはしないはずだ。
恭也はすぐさま武器たちに近寄り、次々と回収していく。
小太刀と日本刀を何本も差し、暗器を補充し、ツーハンドソードを背に吊し、それに交差するようにサーベルを吊し、槍を抱え、ナイフをコートに吊す。
この状況で、小太刀だけを頼るなど愚挙でしかないし、武器を選ぶなどという贅沢なことを言っていられない。
この場には銃器や火器の類だけはなかった。それらは恭也の方から、絶対に持ち込まないでほしいとレティアに言い含めたからだ。
別に恭也がそれらを扱えないからではない。むしろ、火器であろうとも恭也は大半扱える。
しかし、それらは……武器自体や使用後などあらゆる意味で……派手な上、効果が絶大すぎる。下手をすれば、ダウニーたちの機嫌を損ねかねない。そうなれば、この十万の大群が恭也を無視して、王国の向かう可能性があるのだ。
そうなればやはりなのはたちが危ない。
だからこそ、そういった火器は頼れない。派手さのない原始武器……ある意味では、原始武器の方が派手ではあるのかもしれないが……である必要があった。

「…………」

武器を回収し終え……とはいえ、持てない武器多くあるが……、恭也は一つ息を吐く。
恭也の願いを聞き、レティアが用意してくれたそれらは切り札足り得ない。恭也に足掻く時間を与えたか、もしくは死までの時間を多少長くし、より苦しめるだけなのかもしれない。
だが、それでも恭也が思うことは一つ。

「これでまだ戦える……」

思ったことを呟いて、恭也は再び視線を前へと向けた。
魔物の大海が再び恭也に迫っていた。
しかし、今度は恭也からは動かない。ここが今は恭也の陣地。少なくともここにある武器たちを使い切るまでは、ここで守勢に動くことこそ、より多くの敵を殺すために有用なこと。

「まったく……俺はなぜ、わざわざ異世界にまで来て、こんな連中たちと死闘を演じているのか……我が人生ながら波瀾万丈すぎるだろう。死に場所も贅沢は言わないが、元の世界が良かったのだがな」

雪崩れ込んで来ようとする魔物の大群を眺めながら、恭也は一つ嘆息し、そんなことを呟く。

「しかしまあ……俺らしくもある」

苦笑いながらも、地に落ちている日本刀を手に取り、構えた。

「そう簡単に御神の剣士を……いや、不破の戦闘者を殺せると思うなよ? 不破の意地として、一匹でも多く、道連れにしてやろう……っ!」

そう宣言し、恭也は再び魔物の大海に呑まれる。
しかし、やはりその姿には一片の恐怖はない。
独りでありながら、絶望の直中にいながら、地獄の中心に立ちながら、恭也は無理矢理に笑い、その手に持つ刃を閃かせた。 



メンテ
Re: 黒衣(仮投稿) ( No.602 )
日時: 2013/09/21 12:52
名前: テン





英雄の定義とは。
人は如何にして英雄となり得るのだろうか。
例えば一人を殺せば殺人者、百人殺せば英雄などと言うが、そんな訳がない。どれだけ殺そうが、そこに正当性がなくて……もしくは正当性があろうとも……は、ただの大量殺人者だ。
では、一人で多くの敵を倒せる実力を持つ者か。
それも否だ。
どれだけ強くとも、どれだけ効率的に敵を倒せる者でも、それは英雄足り得ない。それはあくまでエース……つまり熟練であるとか、才能がある、ということでしかない。勇名として名が上ることにはなるだろうが、それだけだ。
ならば救った人間の数か?
違う。
確かに救われた者は、その救った者を称えるだろうし、多くの者もまたそれを賞讃するかもしれない。
しかし、それは英雄的所業なのであって、実際の英雄とは言い難い。
名前が売れること=英雄ではないのだ。
だからこそ、最初の疑問に戻る。
言い換えれば、どうすれば人は英雄になれるのか。
英雄になる方法。
一つは単純。
英雄とは、歴史にのみ登場する。
英雄とはなり得るものではなく、後世に登場する。
後世の者たちが、この人物はこれだけのことをしたから英雄だ、もしくは英雄だったのではないかという想像の産物。つまり英雄とは、過去においてのみ存在し、現代には存在せず、未来においてのみ登場する。
穿った言い方ではあるが、どこにも英雄など存在しないということだ。
しかしこの考え方は、英雄になる方法とは対極である。故にこの場においては、正しくない。
もう一つは、英雄とは作られるものであるという考え方だ。
生まれるのはなく、作られる。
時に味方に。時に敵対する者に。時に権力者に。
作られる。
絶望的な状況で縋るものを欲し、または免罪符として、時には宣伝(プロパガンダ)として、人は英雄を作るのだ。
英雄がいるから自分たちは勝てる。敵に英雄がいるからこそ自分たちは敗走した。英雄がこう言っているのだから自分たちは正しい。
英雄の姿形も、その精神もどうでもよく、英雄とは道具として存在する。
これもまた一つの答えと言えるだろう。
そして、三つ目。
それは二つ目に近く、だが決定的に違う。
ある意味作られた英雄でありながら、作られていない英雄。
言ってしまえば、状況によって作られたのではなく、生み出された純正の英雄。
英雄を生み出すのは……大勢の人々。
英雄が何かをしたから、英雄が生まれるのではない。
多くの人が、その人物を英雄と認めたからこそ……その人物は英雄となる。
それは紛れもなく真っ直ぐで真っ当な答えであり、英雄の定義において、もっとも正しい解でありながら、それを見た者は限りなく無に等しい答えだ。





第六十九章





「かっ……!」

鋭く呼気を吐き出し、恭也は両手に握った巨大な斧を切り上げる。
巨大な刃を持つ斧は、空気を切り裂きつつも、恭也の目の前にいたワーウルフの胴を半ばまで断ち切った。
そのまま恭也は斧の柄から両手を離し、斧を放棄する。実際のところ、こうも敵だらけでは、斧やハルバート、ポールハンマーといった超重量武器に……味方がいるか、馬上などならともかく……うま味は少ないのだ。
一撃の破壊力こそあるが、その分機動力が殺される上、足を地に踏みしめる必要があるし、乱戦の中では上段からの攻撃はほぼ不可能であり、同時に敵の上段からの攻撃にも対応しにくい。漫画の登場キャラや……それこそ救世主候補でもなければ、それらを軽々と扱うことなど人間には不可能だ。肉体的にも筋力疲労が段違である。
数多くの種類の武器があるからこそ、より高度な取捨選択と状況判断能力が必要だった。
恭也がそのまま手を地につけ、身を屈めると先ほどまで上半身があった場所に、触手が通り抜けていく。しかし完全にはかわしきれなかったのか、肩と頬が引き裂かれ、血が舞った。
だが、苦悶の表情一つ浮かべることなく、恭也はその場にあった片手槍を拾い上げる。そして、腰を捻り混み、その力と背筋の膂力を乗せ、槍を解放した。
まさしく弾丸のような勢いで、槍は恭也の手から放れ、文字通り空を切り、一直線に触手を放った巨大な植物の魔物へと突き刺さる。
恭也は槍を投げ放ったさいに前傾姿勢となり、そのまま駆け、背中に吊していたツーハンドソードを両手に握り、剣の腹を肩に乗せつつさらに加速した。

「ふん……っ!」

腕力ではなく、突進力を使い、横薙ぎ一閃。
槍が突き刺さり、動きを止めていた触手を持つ巨体の魔物を、その触手諸共胴を切りつける。日本刀のような切れ味は望むべくもないが、しかし斬を込められた重量武器は、やすやすと魔物の触手と胴体を『抉り取った』。
上空に浮かぶそんな恭也の姿を見て、今頃学園や兵士にいるツーハンドソード使いが、それこそ乾いた笑みしか浮かべられないであろう問答無用な攻撃力。

「おおおおおぉぉぉおおぉぉぉぉぉおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」

しかし、恭也はそれだけでは止まらない。
振り切った勢いを止めることなく、剣と身体の巧みな重心移動だけで、振りきった力の方向を変え、周りの魔物を次々と切り倒していく。
つまり振り上げたり、構えたりする行動を簡略化……いや、そもそも攻撃自体を振り上げと構えとし、攻撃と攻撃を繋げていた。
右薙ぎから斜めに左切り上げ、そこから左薙ぎにいき、また袈裟切りへ……攻撃の間に一切の切れ目をいれない。前の攻撃の勢いを、そのまま次の攻撃の準備段階として使用する。
敵一体を屠るまでのスピードは、小太刀を握っているときに比べれば随分と遅い。しかし、滲み出る凄みは小太刀とは比較にならない。先ほどまでの恭也が鋭利な一陣の風とすれば、今の彼はもはや暴風だった。
その暴風に巻き込まれ、次々と魔物たちは斬り飛ばされていく。
腕が千切れ、足がもげ、臓腑を晒し、首が飛ぶ。
勢いのまま魔物たちを斬り飛ばす恭也であったが、十数体もの魔物を惨殺したところで、剣の方が恭也の猛攻に耐えられず、刀身にヒビが入った。
それに気付き、最後の一撃として徹を込めた一撃をケンタウロスの顔に目がけ振り下ろす。

「がぁっ!」

頭蓋を断ち切り、脳を叩き潰すが、ケンタウロスの頭部に半分の刀身を残し、そこで剣が砕けた。
柄から手を離し、半壊したツーハンドソードを捨てると、やはり背に吊していたサーベルを鉄製の鞘より引き抜く。

「しっ!」

引き抜くと同時に、近場にいたスケルトンに片手での連撃を叩き込み、その骨をバラバラに切り裂いた。
続いて外套を被ったハーミットと呼ばれる魔法を使う魔物へ、鋭い刺突を放ち、その首を突ききった。魔物の鮮血と共に、恭也は首よりサーベルを抵抗なく引き抜く。
サーベルは先端部分が両刃であるファルスエッジという刀身を持ち、突き技が適して……流石に刺突剣【レイピア】ほどではないが……いる。先端が両刃であるために、突き刺しても、易々と敵の身体から引き抜けるからだ。
まあ似たような構造である小烏造……もしくは峰両刃造……の刀の方が、恭也としては使いやすいのだが、それはさすがに無い物ねだりというもの。
今度は小刻みに流れるような動作で、恭也は斬撃と刺突により、先ほどまでよりも回転を上げ、魔物を切り殺し、突き殺していく。
しかし、やはり武器が保たない。
細身の上、脆いサーベルはさらに数体の魔物を殺したときには、すでに刃が欠け、刀身にも罅が見え、使い物ならなくなっていた。
故に、恭也は何の躊躇もなくサーベルを捨て、その間に飛びかかってきたワーウルフの爪に胸を僅かに引き裂かれながらも、コメカミへとフック気味の掌底を抉るようにして打ち付ける。
次の瞬間には再び駆け、ワーウルフの頭蓋が砕け、倒れる音を背後に聞きながら、恭也は膝を曲げて地面を滑るようにして、置かれた長槍を二本左右の手で取り上げた。

「…………」

身体の感覚を、呼吸の仕方を、足運びを、身体の全てを長物の間合いに合わせるため、一瞬の時間を置く。
流石に大河のような才能のない恭也は、一気に武器の間合いが変化する場合は、それなりの集中が必要なのだ。
とはいえ、その変化に要する時間は瞬きするにも等しい時間。それはそれで驚異的な速度。大河のような才能による切り替え不要なのではなく、鍛錬によって得た一瞬の切り替え。

「はっあああぁぁぁぁぁぁああああぁぁぁぁぁぁぁあああぁぁ!!」

そして恭也は、両の腕に握る長槍を突く。
狙うは前方のミノタウロス。
手に持つ斧を振り上げんとするミノタウロスの足へと、恭也は鋭いが、しかし遅い一突きを放った。
ミノタウロスは、その槍をかわすために足下に気を取られ、踏鞴を踏む。その瞬間にはもう一つの槍が、ミノタウロスの首に突き刺さった。
刃先を引き抜くと濁った鮮血を吹き出しながら、ミノタウロスは倒れていく。
その鮮血を避けながら、恭也は最初に放った左の槍を引き戻すと同時に、石突で引き戻す勢いに任せて背後を撃ち抜く。背後より近寄ってきていたゾンビの頭に、石突が激突し、腐肉と脳漿、割れた骨を撒き散らしながらも、顎より上が砕けた。

「らっ……あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああぁぁぁあああぁぁぁぁ!!」

さらに恭也は右の槍を払い、頭がなくなっても動き続けるゾンビを含め、周囲にいた魔物を薙ぎ払う。大きな動作で、隙が多くなるものの、左の槍で周囲の魔物を牽制しつつ、体勢を立て直した。
しかし、そもそも長物の武器というのは、正面にだけ敵を置いた場合には、その長い間合いのために強力な武器となるが、同時に取り回しが悪いが故に、敵に囲まれ、全方位から攻撃される状態では、長槍で完全に捌ききるのは槍の達人でも不可能だ。
そのため素早いワーウルフやワータイガーなどが間合いに入り込み、爪で恭也の身体を確かに引き裂いていく。それを体捌きだけで致命傷は避けているという恭也が、この場合は異常なのだ。
恭也の猛攻に耐えかね、二つの槍の穂先がほぼ同時に折れる。

「っ……!」

恭也は残った柄の片方を近場にいたケンタウロスの眼に突き刺し、またもう片方を放り投げ、放棄すると腰に吊した日本刀の鯉口を切る。

「…………」

再び一呼吸し、全ての感覚を日本刀にシフトさせると、恭也は日本刀を引き抜き、動き出した。

「…………はっ!」

リザードマンの鱗の間を縫うようにして首を僅かに斬ると、鮮血をまき、倒れていく。

「……ようやく見切れてきたな」

恭也はそう呟き、口の端を上げ、嗤った。
全身を鮮血で真っ赤に染めて浮かべたその笑みは、もはや人のそれではなく、地獄を守る番犬か、もしくは鬼と言った方がいいほどの凄みがある。
ここにきてようやく、魔物たちの急所が見切れてきた。それぞれ見た目は人間の恭也からすれば化け物であるが、当然ながら生物である……中に生きていないものも多数いるが……以上、急所というものが存在する。
それぞれの魔物たちの急所、弱点などが、これまでの激闘でようやく纏まりつつあった。
わざわざ首を断ちきるまでもなく、最小の動きと負荷だけで殺しきれるようになってきた。
漫画のように死が近付いてきて、パワーアップなどという真似はさすがにできないが、しかし死を感じ続け、観察力や第六感が研ぎ澄まされているのが恭也自身理解できる。

「所詮は燃え尽きる前の蝋燭の火だが……最期ぐらいは燃え盛らせてもらおうか……!」

顔に浮かぶ笑みをさらに壮絶なものへと変え、恭也は吶喊した。



◇◇◇



動けない。
誰もが動けない。
誰も彼もが、ただ首を上に向け、どこか呆けたように上空を見上げたまま動くことができないでいた。
そこに映るのは、一人の男。
化け物の大海に挑み、血塗れてなお些かもその気勢をおとすことなく、あらゆる武器を使って、化け物たちを沈めていく男の姿。
その姿を眺めるだけのフローリア学園の生徒たち。
先ほどまで、天上に映る男……高町恭也を王国より助けると鼻息荒く集まり、それを止めようとする王国の兵士たちと小競り合いしていた彼らだが、今はもはや動けない。
誰一人として、天上に映る男から目を離すことはできなくなっていた。
それは生徒たちだけではない。生徒たちと王国のどちらにつくべきか迷い、もしくは今は目の前の諍いを止めようとしていた教師たちも、生徒たちを止めにきた兵士たちも、学園の生活課……つまりは生徒でもなく、教師でもない一般の大人たちまでも、もはや自分が何のために集まっていたのかさえ忘れてしまっている。
それは今、数多くの場所にて同じく起こっていること。
誰もが目を離せない。


――高町恭也の戦いに


「恭也……」

その姿を見つめ、セルは拳を握りしめた。
恭也に勝ち目などない。そんなことは、ここにいる……否、アヴァターの全土であれを見る誰もがわかっている。
周りが敵だらけという状況の中……もしくはだからこそ……で、確かに恭也は恐ろしい戦果を叩き出しているだろう。恭也本人を含め、倒した魔物の数を数えている者などいないだろうが、少なく見ても恭也が破った魔物は、全体の『百分の一』にも届くやもしれない。
しかし、だからと言って、恭也に勝利はない。そもそも未だに生きていること自体が異様と言っていいのだ。
すでに全身から血を流し、そうでありながら恭也の闘志は衰えず、常に首にかかる死神の鎌を振り払いながらなお戦っている。

「恭也さん……」

フィルは、ミノタウロスが持つ斧が恭也の脇腹を僅かに抉り、鮮血を散らせる場面を見て、思わず上空から視線を離しそうになった。
どれだけの魔物を屠れようと、彼の肉体はただの人だ。戦えば戦うほど、その身体に傷が刻まれていく。
恭也の戦う姿は、決して美しいものではなかった。
己と魔物の血にまみれ、魔法に焼かれ、氷に穿たれ、服が破かれ露出した肌には多数の裂傷に爛れた火傷と凍傷を覗かせ、顔は砂埃に汚れ、泥を被り……そして、あらゆる武器を以て、雄叫びを上げて戦う姿に、普段の恭也の面影はすでにない。
それでも、その姿に誰もが目を離せなかった。

「…………英雄」

そう言ったのは誰だったのか。
このアヴァターにおいて、珍しいとも言える単語。
英雄。
この世界において英雄とはイコール救世主だ。逆に言えば、救世主以外の英雄がいないからこそ、英雄という単語自体が、それほど浸透しないし、遠いものであった。
物語においても英雄はほとんど存在せず、その変わりに救世主が常にその位置にいる。
そもそもこの世界において救世主は女。それはつまり英雄もまた女であったはずだ。
だからこそ、誰もがイメージの中で、救世主とは、英雄とはつまり、どこか神々しくも、美しく、楚々ともし、優雅でもあり、だが勇敢でもあり、強くもある者としていた。
しかし、上空に映る男は真逆。
性別は当然として、血生臭く、荒々しく、猛々しく、泥臭い。
ただ修羅さながらに敵を殺す姿には、神々しさもなく、美しさなど欠片もない。
だがこのとき間違いなく、血を流し、雄叫びを上げ、死地に留まる男を見て、誰もが英雄の姿を見た。
救世主ではない英雄の姿。
召喚器のあるなしなど関係なく、このとき誰もが高町恭也に英雄の姿を幻視する。
仮に今この場で恭也が召喚器を呼んだとしても、彼は救世主だから英雄とは呼ばれない。
英雄であるからこそ……救世主となれる。
その血塗れの背中に、確かに彼らは見たのだ。
ただただ悲壮とも言える意思を。

「っ……」

このままでは、英雄は死ぬ。
それがわかっていながら、誰もが動けない。
恭也を助けるべきだと理性が叫んでいながら、本能が足を呪縛する。


――助けてはならない


それをすれば……英雄の想いは汚される。
命あっての物種。
生きてこそ価値がある。
英雄である彼は死んではならない。
そう思うのに……誰の足も動かない。
今も映る彼の背が、見る者全ての足を地面に縫いつけていた。
英雄本人が、助かることを望んでいない。
やはり誰もが理解できた。
それは確かな自己犠牲。
己の命を以てして、何かを守る意思。

――自己犠牲など馬鹿げている? 
――そんなもの自分勝手な独り善がりにすぎない?

そんなこと、あの背を見て、どうしてほざけるというのだ。
己を犠牲にしてでも守りたいと叫び、何かのために、誰かのために戦う男の姿。
己が死ななければ守れないからこそ、誰にも助けを求めない孤独な背中。
しかし、それでもそのことに誇りを持って、死地に留まり、だが決して諦めきらず死に抗う。

『ああああぁぁぁぁぁぁぁぁああぁぁぁぁぁあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああぁぁぁぁぁぁぁあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!』

空より降る英雄の絶叫。
雄叫びを力に変えて、死に抗い続ける姿に、涙を流す者もいた。
その強烈なまでの想いに、その魂震わせる清廉たる誇りに、命の全てを燃やす自己犠牲に、誰もが魅せられ、涙する。
誰もが彼の表面的な強さのみに目を奪われているわけではない。
見る者を魅せ、涙させるのは、剥き出しの鋼の如き魂だ。
強さなど、それの前には霞むもの。
それは彼だけが特別なのではないと教えてくれる人としての剥き出しの強さ。
されど誰もが忘れ、押し隠し、失ってしまったと諦めてしまった輝きだった。
それらを、皆が確かに彼の背に見た。

『ぐっ!』

しかし、それらも一時の輝き。
魔物の軍勢との戦いが始まり、すでに数時間。
戦いが始まった時は太陽が真上に位置していたというのに、すでにそれが沈みかけ、空には赤みがかっている。
一切の休みなく戦い続け、酷使し続け、傷付けられ続けた肉体は、とっくに限界が見え始めていた。
それを精神で奮い立たせ、今なお立っている。
元より己の犠牲を前提の上で、彼は輝いていた。
その犠牲のときが刻一刻と迫っている。
今の今までかわし続けた死神の鎌が、少しずつ、少しずつ彼の首に食い込んでいっているのが見ているだけでわかってしまう。
そして……その時は……確かにきた――



◇◇◇



漏れ出る息が、今までにないほど激しくなっていると、表面上とは違い、内心でどこか冷静に恭也は自己分析していた。

「はあっ! はあっ! はあっ!」

武器を拾い、敵を殺し、武器を探して場所を移動し、また殺す。そんなことを幾度繰り返したのか、恭也自身もはや覚えていない。握った武器の数は、すでに百にものぼり、その数の分だけ武器を壊し、その分だけ敵を殺す。
限界などとうに超えている。
視界はすでに自分のものかも魔物のものかもわからない血で真っ赤に染まっていた。
処刑が始まり数時間。
常に感じる死の予感に、傷付けられるたびに流れる血に、化物じみているとすら言えるはずの体力を奪われ続けた。その中で、これだけ保ったことこそ、本来ならば誇る場面なのかもしれない。
しかし、とうとう限界どころかガタが見え始めてきていることを自覚した。
体力がなくなってきているからか、血を流しすぎたからかはもはやわからないが、感覚が少しずつズレてきているのがわかる。
走る力を奪われ、武器を持つ力が緩む。
眼球を動かし、周りを見ても、レティアが準備してくれた武器も見えない。
全ての武器を使い尽くしたのではなく、もはや今の恭也に次の武器が置かれた場所へ向かう力がないのだ。

「もう……届かないか……」

恭也は呟いて、己の絶望的に状況を理解し、しかしなぜか苦笑した。

「斬りも……斬ったり……」

もはや手の感触もわからなくなるほど、皮が剥け、血が滲み、痛みすらわからなくなるほど武器を振り、敵を殺した。
その分だけ敵を殺すこともできた。
その分だけなのはたちの危険も減ったことだろう。
満足とは言えないが、しかしそれでもこの辺りが己の限界らしいと悟り、やはり苦笑以外浮かべることができなかった。
恭也は、柄だけとなり、もはやどんな武器だったのかもわからなくなっていたものから手を離した。
そして、ガタが来ているとは思えないほど自然な動作で、十字差しで腰に差していた八景
を左手で抜く。
次いで右手で、先ほど最後に回収したレティアが今回用意してくれた無銘の小太刀と、紅月のどちらを抜くか一瞬迷ったあと紅月を抜こうとしたが、しかし恭也は苦笑を深めるとそれも止めた。

「感傷でしかないが……終わりの時ぐらい……構わないよな?」

終わる時は、八景だけでいい。
それが単なる感傷でしかないことは、恭也も……いや、恭也が最も理解していた。

「結局俺は……父さんのようにはなれなかった……」

御神として、誰かを守って逝くことすらできない。
士郎の終わりは御神として……
守りたい者を背に、守って死んでいった父は確かに御神だった。

「俺は不破として……」

対して自分は、背所か全てを敵にして、ただただ殺す者である不破として逝く。
今このとき、恭也になのはたちを守っているという実感はない。これはただ彼女らの未来へと続く道を整える戦いでしかない。
この命を枯らせることこそ、なのはたちを守ることに繋がり、しかし戦うこと自体が守ることに繋がらないのだ。魔物を殺すことは、ただ少しでも、彼らの未来が楽になるかもしれない。それだけのもの。
だからこそ自分は今、御神の剣士ではなく、不破の剣士だった。
いや、もしかしたら殺して守る者ですらないのかもしれない。
しかし……それでいい。

「それが……俺には似合いだ」

恭也は呟き、八景をごく自然な動作で振った。
もはや力みの欠片すらなくなった斬撃は、易々と近くにいた魔物を斬り殺す。
意識すらせず、ただただ生涯であと幾度振れるかもわからない斬撃。

《…………》

声が聞こえたような気がした。
それが何の声なのか、恭也にはわからず、また耳を傾けることまでできず、ただただ斬撃を繰り返す。

《……っ》

どこか懐かしく、もっと聞きたいと思わせる声。
とうとう死神の登場かと、恭也は魔物を斬り殺し続けながらも、再び苦笑を浮かべる。

《……べっ》

声は少しずつ大きくなってくる。
これが死神の呼びかけであるというのなら、その声の全てが聞こえた時に、自分は死ぬのだろうかと、恭也は益体もないことを考えた。

《……れ……べっ……!》

ならばもういいか。
この懐かしくも、しかし暖かいというよりも、叱咤されているような気分になる力強い声に導かれて終わるのも悪くない。
そう考えたとき、己の足が止まったことに恭也は気付いた。

「……?」

足を止めたつもりなどなかった恭也は、思わず視線を足下に落とす。

「ああ……そうか」

別に何の不思議なこともない。
ただ動かなかったのだ。
恭也の意思は動けと命じたが、もはや足がついてこなかった。
それだけのこと。
精神ではなく、身体の方が先に……

「はは……まあ、リコとリリィに膝を治してもらってなかったら……とうの昔に動かなくなっていたのだから……保った方か……」

場違いにも笑う。
足が動かないことを認識した途端、今の今まで魔物を殺していたはずの腕まで、まるで壊れた機械のように唐突に動かなくなった。
もはや身体のどこも動かない。
最後の意地だったのか、もう恭也自身もわからないが、ただ倒れることだけはせず、視線を前に向ける。
すると地響きを上げ、身体を唸らせ、恭也に近付く巨体が一つ。

「はっ、なかなかに……皮肉が効いている……な」

ゴーレム。
その巨体が、恭也の目の前に立ちふさがっていた。
この世界で初めて戦った魔物であり、先ほどダウニーを皮肉った魔物に殺される。なかなかに皮肉が効いて自分らしいじゃないかと、恭也はやはり笑う。
独りならばともかく、己の死は多くのも者に看取られるもの。敵である者たちにさえ、この場は見られているというのなら、最後は堂々とまで言わずとも、笑って逝ってやろう。
せめて一太刀でも食らわせてやりたいところだが、やはり身体はもう動かない。
ゴーレムの腕が引き込まれ、振り上げられた。
これが本当の最期。
己を殺す土塊の塊から、恭也は目を離さない。それが笑うことと同じく、剣士としての最期の意地だった。
風を叩き潰し、また己を叩き潰す拳が迫るが、それでも恭也は変わらない。
しかし、ただ一言……

「すまない……」

それは誰への謝罪だったのか。
元の世界に残してきた家族か。
この世界に残してしまう妹と仲間たちか。
救うことができず、今も囚われる友とも弟とも弟子とも言えるに少年にか。
それとも他の誰かだったのか。
だが、それが恭也の最期の一言。



……そのはずだった。



瞬間、


――時が止まった。


眼前にはゴーレムの拳。
辺りの景色は灰色へ。
全ての時間が停止したかのように、ゴーレムの拳は止まり、周りの魔物たちも動きが止まる。
戦場の騒がしい音も魔物たちが放つ咆吼も全て掻き消えた。
神速にも似た世界でありながら、神速ではない。
しかし、この現象に恭也は覚えがあった。
それは、そう……初めてこの世界に来たときのこと。
帯剣の儀と呼ばれる試験のときのこと。
フィルを助けたアヴァターで最初の出来事。
そして、今度ははっきりと聞こえてくる声。

《俺を呼べ!!》

それは初めて聞いたとはよりも切羽詰まったかのような声音だった。
その声を聞いて、先ほどから聞こえてきた声が何であったのか、ようやく理解した。

『レティアに、お前は召喚するなと言われているのでな』

恭也は短く首を振り、それを拒む。
声は出なかったが、伝わっただろう。
しかし最後の最後に、誰かの声を聞けたことが嬉しくて、今までとは違う意味の笑みが浮かんだ。
だが、声はそんなどこか達観したかのような恭也とは違った。

《そんなことを言ってる場合か! 彼女もお前が死ぬことなんて望んでいない! 何より、お前が死ねば全て無意味だ!》

この声を聞いたのは二度目。
そのどれもがどこか判然としない声音であり、それは今回もさして変わらない。
だが、今回は今までにないほど声は慌てていた。

《だから! 呼べ……!》

それはまるで……

『い……』

かつて失った……

『い……っ』

何より追いつきたい人の……

《俺の名を……!》

父のような力強さがあって……

『こいっ……』

だから恭也は、その声をこれ以上拒絶できず、恭也は左手を何もない空間に差し出す。

《恭也!!》

世界に色が戻り、音が戻った次の瞬間……


「来いっ! 斬神っっっっっっっっ!!」


力の限りの、その名を呼んだ。



光が集まり、闇が集まる。
この世の根源である力が、その手に集う。
顕れるは黒衣の英雄が握るべき武器。
黒衣の救世主が携えるべき最強の得物。

「はっあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああぁぁぁぁぁぁぁっっ!!」

次の瞬間、ゴーレムの巨体が吹き飛んだ。
まるで紙細工でできたかのように、軽々とまるで木の葉のように吹き飛んでいく。

「…………」

それをなしたのは未だ血塗れ、泥を被ったままの、死ぬ運命にあったはずの英雄。
英雄の手には今までなかったはずの小太刀が確かに握られていた。
黒き柄。黒き鍔。黒き刀身。
その全てを黒へと染めるこの世界の伝説の一つ。


召喚器・斬神


それが初めてこのアヴァターという世界に顕現した。



メンテ
Re: 黒衣(仮投稿) ( No.603 )
日時: 2013/09/21 12:53
名前: テン




山なし谷なし。
会話の感を取り戻すための作品なので、会話主体です。
またも大河との鍛錬話。会話はこのシチュが一番楽です。
時間軸的には適当です。





「なあなあ、恭也」

いつもの戦闘訓練が終わり、タオルで汗を拭いていると唐突に大河が口を開いた。

「なんだ?」

ついこの間は、訓練が終わると同時に、一緒にナンパに行こうと誘われたばかりだ。恭也はどんなしょうもない話をもちかけてくるのかと、半ば諦め気味に、しかし僅かに眉を寄せて問い返す。

「武術で一番重要なのって、心・技・体のどれだと思う?」

そんな恭也の内心に気付かない大河は、恭也が考えたこととはまったく違う問いが口に出る。



外伝 『心』・技・体



意外にまともな質問だった。
恭也はやはり内心で、少しばかり失礼なことを考えたことを詫びることにする。とはいえ、大河の口から出てくることの六割……いや、七割は異性のことやエロいことであるのだから、恭也も間違ったことを考えているわけではないのだが。

「ふむ、まあ、心【しん】じゃないか?」
「あれ、そうなのか?」
「ああ」
「恭也だから、技って言うかなって思ったんだけど」

大河がそう言うのは、それなりに根拠があってのことだろう。実際に恭也の戦い方は、どちらかと言えばテクニック型や技巧派と言える。

「俺の場合、身体が歪なせいで、あまり体は重視できないからな。そう取られても無理はない」

心・技・体で言うならば、恭也的には一番体【たい】は鍛えづらいと言える。どれかを鍛えると、他の何かが異様に低下するという妙にバランスの悪い身体をしていた。そのため体と技【ぎ】で言うならば、確かに恭也は技の方を重視していると言っていい。
しかし、不破としても御神としても、心【しん】というのも、また重要な位置を占める。きっちり鍛え上げなければ、仕事などできないと言っていいだろう。
恭也の答えに何を感じ入ったのか、大河はうんうんと頷いていた。

「あれだ、男は強くなければ生きられない、優しくなければ生きる資格はないってやつだな」
「……それはハードボイルドだかなんだかの言葉ではなかったか? というか武術に優しさは必要ないだろう」
「いやいや、重要だろう! 漫画とかライトノベルに出てくる師匠たちは優しさをなくせば、武術はただの凶器になるみたいなことをよく言うしな」

大河の言葉を聞いて、恭也は首を傾げた。
何やら大河との間……心に対して齟齬があるように思える。

「老師も武術は心って言ってたぞ!」
「俺も一部に老師やら師匠やらと呼ばれているのだが……と、ああ……なるほど」

半眼になって突っ込もうとしたところで、恭也はよくやく自分と大河との間にある齟齬が何であるのかに気付いた。

「つまり大河は心・技・体の心【しん】は、『こころ』としてとっていたのか」
「あん? 恭也は違うのか?」
「すまん、俺は精神力という意味で言っていた」

心【こころ】と精神力、その意味は似ているようで違う。
心はその人の思想や道徳、考えや感情そのもの、またはその流れなどを言う場合が多い。対して精神力とは忍耐や対応力などに向けられることが多いだろう。
恭也は、主に精神力という意味で返していたのだ。
恭也にとって……いや、人を殺して回るのに不破にとって重要なのは、心ではなく死に潰されない精神力だし、御神にとっても守るためならば殺すという強い精神力である。

「心・技・体の心を『こころ』とするなら、心は一番必要ない。むしろいらん」
「隠れ熱血系主人公としてあるまじき発言を……いやいや、何でだよ?」

人を殺すことに、心など必要ではない。

「実際のところ武術自体を手段とするなら、心などいらんからな」
「ぬぅぅぅぅ、けどなぁ」

しかし、大河は納得がいっていないらしい。
そもそもなぜ彼が、そんなことに拘るのか、恭也の方が納得いかない、というかわからないのだが、そこは突っ込まずに、これはあくまで自分の持論だが、と前置きして恭也は続けることにした。

「大河は根本から勘違いしている」
「根本?」
「武術に心が必要だ、などと誰が決めた?」
「はへ? いや、それは、ほら……」

漫画とかで、と自信なさげに続ける大河。
まあ、そんなところだろうな、と恭也は苦笑う。
妹分がそう言った漫画を好み、恭也もたまに読ませてもらうが、確かに似たようなことを言うキャラクターは多く、また昨今では、不殺を誓っていたり、活人にいやに拘って武道や武術をしている主人公やキャラクターが……勿論現代の思想、倫理観、道徳観からすれば、それはどこまでも正しいのだが……多いことは、そういうものに疎い恭也でも知っていた。

「まあ、武道というのならばわかる。武道においては、むしろ心の鍛錬にこそ比重を置いている場合の方が多い。元々、そういう理念で作られているからだ。が、武術は違う。少なくとも日本発祥の武術は、それぞれで違う」
「それぞれ?」
「そもそも武術などというのは、自然発生はしないんだ。誰かが、何かの目的を持って編み出す。
戦うために、金を得るために、武そのものを極めるために、名誉のために、他にも様々な理由で生み出された。その目的こそ、大抵においてその流派の理念となり、思想となり、目的となる。無論、長い年月で、それらが変質する場合も多々あるがな。
その中で武に心が必要などという思想や、心・技・体という考えは、近代で生まれた発想だ」
「そうなのか!?」
「まあ、まったくなかったわけではないだろうが、先も言ったが、武道の考えだからな、それは。武道の方が身近になった近代ならではの考え方だし、如何にも現代的な道徳心だろう?」

現代に残る一般的な剣道や柔道等、つまり武『道』は、どちらかと言えば近代に作られたか、もしくは今の思想に合わせて変質されたものだ。
例えば昔の剣道には、道場によってはそれこそ蹴りは当然、踏みつけ、締め、極め技も普通にあった。しかし、それらをルールで縛り、統一することでなくした……実戦を謳う剣道道場では、未だに残っているところもあるが……のが、今の剣道である。
他の武道も同じで、ほぼ日常の中での実用のために作られたものではないか、せいぜい護身用に変質されてしまっている。むしろ日常で使ってしまえば捕まるのだから当然だ。
だからこそ、それらを教えることで重要なのは、強さ自体ではないのだ。そうでなければ、学校などで教えられたりしないし、情操教育に利用されたりはしない。
所謂、道の精神だ。
しかし、精神とは言うが、実質精神力よりも心そのものに重きを置くのが現代の武道だ。

「そうだな……例えば古くからある日本の剣術流派の大抵は、江戸初期に生み出されたもので、戦がなくなり、武勲をたてられなくなった武士が、武士としての誇りやメンツを守るために編み出したものが多い。つまり自分は強いという証明であると同時に、君主や藩主を守るための力を有しているという証明と、忠義を示す道具として編み出された。
まあ、同じぐらいに、戦がなくなったことで、金に困ってというのもあるが」

もちろんその時代に生まれたのが多いというだけであって、それ以前にも流派は多数あったし、以降にも数多く誕生している。

「へえ、剣術の歴史ってそんな感じなのか」
「ああ。しかし、だからこそ心・技・体の心を思想的な武士の誇りや忠義とするならば、江戸時代の武士たちには、確かに心【しん】は必要なものだったかもしれんな。
とはいえ、現代では武士道などと呼ばれ、憧れられたりもするが、実際には武士の誇りとは、その誇りを守るためならば、現代で大事にされるような道徳心的なものは蔑ろにされるケースの方が多い。しかし、当時はそれが正しかった」

そういう意味では、大河の言う心とは、また違う意味だろうと恭也は続ける。
そもそも正しい心の在り方など、人よって、または時代によって変わるのだから当然だ。
誇りなど何の役にもたたない、等という言葉が溢れる今日ではあるが、昔の武士たちは命などよりも、武士としての誇りや名誉、もしくは藩主への忠義を命などよりも大事にしていた。
事実として彼らは、誇りや名誉のために死に、忠義のために己の心も家族も捨て、命も捨てる。そして、そのために他者をも殺す。
今では世界的に武士道ともてはやしたり、武士道を未だ受け継いでいると謳う者も多いが、実際に現代にそのまま蘇れば、確実に淘汰される思想だ。
しかし、当時はそれが正しかった上に、そうでこそ武士の証であり、誉れとしていたのだ。だからむしろそうでない武士は、それ以外の身分の者……身分的には、武士よりも低い者たちからでも……たちからさえも蔑まれた。

「武士たちの心とお前の言う心はイコールでは結べまい?」
「だな。正直理解できねぇ」
「それは俺やお前が今の時代に生きるからだ。俺とて理解はできるが、完全に納得まではできん」

しかし、それは現代に生まれたからでしかなく、後世になれば、今の道徳心とて否定される可能性は当然にある。

「御神流はどちらかと言えばもう少し古くてな、守ることを主眼に、また実用的に編み出されている。防御、防衛に向くからこそ、武器は小太刀だし、思想もそちら寄りだ。また不破としては、取り回しのいい小太刀は暗殺に向いていた。人殺しを専門としたのだから、こちらも当然まともな思想などしていない。
だからこそ、少なくとも御神流は心など重要視はしていない。むしろ護衛者としても、暗殺者としても、殲滅者としても、はっきりと邪魔だと言っていい。どれもまともな心を持っていてはできはしないからな」

御神流は元より、思想的な意味合いで作り出されたものではなく、実戦的に作り出されている。だからこそ、精神的な鍛錬はあっても、心の鍛錬などありはしなかった。

「武術を強さを得るための手段とするなら、真実心などどうでもいいんだ。
心が真っ直ぐだろうが、ひん曲がっていようが、優しかろうが、残酷だろうが、感情的だろうが、無感情だろうが、道徳的だろうが、不道徳だろうが……そんな心など関係なく、強い者は強い」
「う、確かに」

破滅の将たちでも思いだしたのか、大河は渋々というように頷く。
実際、彼らはその見本と言えるだろう。
だからこそどれだけ武術を使えようが、それが心の正しさを示したりはしない。同時に心の必要性を否定する。

「逆に言えば、どれだけ正しい心を持とうが、弱い者は弱い」
「それも、まあ、そうだわな」

正しい心を持っていようが、それで強くなれるなら、誰も苦労はしない。
それが現実だ。

「何より、大抵の武術は来歴が古ければ古いほど、どれだけ突き詰めようと人殺しの技になる。武道とは違い、元より実際に斬り合い、殺し合うことを想定しているからだ。かつては稽古中にとて、事故ではなく、師に見限られて殺される、などということもあった。それらをどんな綺麗事で誤魔化そうが、そこにまともな心などあるわけがないし、むしろあってはならない。心なんてものを殺すための免罪符にしていいわけもない」

心が大事だと言うならば、最初から武道か、それに重点をおいた流派に入門すればいいのだ。だからこそ、恭也は自分を師と呼ぶ少女……晶に、当時心を伸ばすことこそ重要だと判断し、心などなく人殺しの技でしかない御神流は教えず、空手を勧めた。
しかし、だからと言って、晶が弱いわけではない。

「拳銃を向けてくる相手に心なんぞ説いても意味はあるまい? 武術もまた同じだ」

拳銃も武術も、それら道具として見た場合、大した違いはないのだ。威力の違いはあっても、どちらも人を殺せるのだから。
だというのに、武術にだけ心を説くというのがすでにおかしな話なのだ。
武術と武道でさえ、立つ舞台がそもそも違う。
仮に恭也と武道家の達人が戦い、武道のルールで戦えば九割九分九厘とは言わないが、七割ほどで恭也が負ける。
人を殺すことを当然としている流派が、人を殺してはいけないというルールで戦えば弱くなるのは当たり前だ。恭也の辞書に卑怯などというルールはない。殺せば勝ち。しかし、その勝ち自体を奪われる。それで勝てというのがすでに難しいというレベルすら超えている。
誇り(プライド)すら入る余地なく、負けないのではなく、そもそも負ければ全て終わるが故にそれすら許されず、そんな世界に生きる人間が、どうしてルールに縛られ、心に縛られ、生に縛られるというのか。

「同じく漫画でよく言うだろう、力は持つ者次第だと。正しくその通りで、その通りだからこそ、力である武術を体得する上で、また使用する上で、心などどうでもいい。それぞれ次第だ」
「おおう、漫画によくある格好言い言葉が、そう聞くととんでもなく独りよがりに」
「まあ、どちらも思想的な言葉だからな。今まで俺が語ったことが絶対に正しいというわけでもやはりない。が……」
「格好よかったり、響く言葉だからって、それが正しいってわけでもない、か」
「そういうことだ。思想であるからこそ、他者に押しつけるのもまた止めておけ」

武術に心が必要でないか、そうでないかは、個々人の思想によるし、また自由だ。
それが師よりの言葉だというなら、流派に根付く思想として受け入れねばならないかもしれないが、しかし他流や他人に押しつけるのはナンセンス以前に、人として最悪の行為である。
少なくとも恭也は、心が云々などと語れる立場にない。今まで何人もの人間を殺してきた己が、人間の心の何を語れると言うのだ。
しかも恭也は、そのことを後悔もしていない。心以前に人としておかしい。やはり人としておかしい己が、人としての心を語るなどおかしな話だし、他者に語られても鼻で笑うだろう。
実際に体得する上でも、実戦のさいでも、心が必要であった場面など皆無であった。
それはきっと、人を殺す前でも変わらない。
人を殺す術として御神流を学んだのだ。人殺しをする覚悟を持ち、御神流を学んだのだ。そんな己がどうして心など語れるという。
心を司るリコには悪いとは思うが、恭也にとって『御神流における』心などその程度でしかない。
 
「さて、今はお前の師として問おう。これまでの話を聞いて、大河、お前は心の強さと実戦的な強さ、どちらか欲しい?」
「それは……」
「俺にはきっと、お前の精神力を鍛えられても、心を強くすることはできん。それでもお前は俺に教わるか?」

少なくとも恭也が教えれば教えるほど、大河の言う心から、彼の心は離れていくことになるだろう。
これほど拘っていたのだから、大河の中で心というのは、それなりに重要な位置に入るのかもしれない。しかし、恭也はそれを教えることはできないどころか、すり減らしてしまう。
すると大河は眉を寄せ、難しい顔を浮かべると、恭也に言った。

「どちらか選ばなきゃいけないものなのか?」
「…………」

大河の言葉を聞いて、恭也は唇の端を僅かに上げて笑う。

「いいや。それはお前の自由だ。俺はお前に強い心を持てとも、心を捨てろとも言わんよ」

――ただ教えられないだけだ。

そう続ける恭也に、大河は眉を寄せる。

「そうかねー」
「うん?」
「結構、教わってるような気がするんだけどよ。俺だけじゃなくて、未亜も、他の救世主候補も……」

そこで大河は言葉を切り、自分の胸を親指の先で二度叩いた。

「お前に『ここ』の強さってやつをさ」

そんな言葉を向けられ、恭也は目を数度の瞬かせる。
そして、それから眉を寄せると、しばし考え、何を思ったのか、首を振った。

「お前の勘違いだ」
「そうかー?」
「仮にそうなのだとしても、それはお前たちが元よりの持っていた強さに過ぎない」
「本当にそうだとしてもさ、結局それを引き出してくれたのはお前だと思うぞ?」

似たような切り返しをして大河は得意げに笑い、恭也はさらに深く眉を寄せる。
それから恭也は、らしくもなく苛立たしげに鼻を鳴らし、どこか逃げるようにして大河に背を向けた。

「それもお前の勘違いだ」
「…………もしかして照れてる?」
「照れていない。汗を掻いたから先に戻ってシャワーを浴びさせてもらうぞ」
「……やっぱり照れてる?」

恭也は大河のその言葉に答えることなく、素早い動作で軽く手を振ると、そのまま大河から離れていった。



そんな恭也の背を、『上下が反転した』視界に納めながら大河は嘆息する。

「照れてるじゃねーか」

頭を地面に擦りつけながら、大河は憮然と呟く。
最後の最後に、恭也が手を動かして操ったのは、太めの鋼糸だったのだ。
照れ隠しなのか何なのかわからないが、放たれた鋼糸は足を引っ張り、見事に大河を転倒させた。
大河はそんな状態で、憮然とした表情を崩し、

「やっぱお前がどれだけ否定しようと、お前のお陰だよ!」

最高の笑みを浮かべ、遠くなっていく恭也の背に向けて叫んだのだった。



メンテ

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