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二刀の剣士が帰る場所(7/1 エピローグ二更新)
日時: 2015/04/29 09:07
名前: テン

 戦闘が書けない。でも日常的なものやシリアスは書ける。続き物の長編が書けない。でも短編は書ける。恭也というかとらハが書けない。けど銀魂は書ける……もう感を取り戻すためにもクロスさせちゃえ、ということで書き始めた作品です。
 ただし注意がたくさん。

 銀魂クロスもののSSです。
 基本的に一話完結の短編連作です。一つ一つの話がだいぶ短いと思われます。
 八割方作者の自己満足作品。
 会話主体。
 日常とシリアスを繰り返すだけの作品。
 世界混合ではなく、恭也の異世界来訪ものなので、とらハからは彼だけが出演。
 続かない可能性も大。
 他の作品と比べて書き方が独特。
 また捏造、改変が大量にあり、その関係で銀魂側に死者がいるので、そちらのファンの方は注意。
 メタネタ多し(追加)


 以下、捏造、改変部分と事前知識として(続いていくならいずれ語りますが)必要な部分。


 恭也が元攘夷志士で攘夷戦争に参加していました。
 恭也は銀時と同年代。
 星海坊主がかなり前に死亡しています。
 色々捏造があって志士時代にすでに星海坊主と出会っていた恭也(銀時も出会っている)が、彼が死亡後神楽を小さい頃に引き取っている。そのため神楽は地球に来て、すでに数年経っていて、万事屋にも住んでおらず、恭也と二人暮らしです。
 そのへんのせいで神楽の人間関係や時系列(新八よりも前に万事屋にいたなど)が微妙に変化しており、恭也と銀時に対して過剰なスキンシップ好きがプラスされております。
 恭也も万事屋勤め。荒事担当。
 神楽以外の銀魂ヒロインが恭也に惚れる可能性はまずないです。ただし恭也←神楽はありますが、恭也はむしろ神楽を新八や沖田とくっ付けたい。というかこの際、年の離れた土方や銀時でもいいと思ってる。色々と理由があってとにかく神楽を守れる男(将来性含めて)とくっ付いてほしい。銀時は原作同様男なんて認めねーよ状態。
 恭也は基本ボケ側……というか、からかう側兼天然ボケ。銀時、沖田曰く隠れドS。どの作品の恭也よりもからかう度が高いです。同時に貴重な冷静ツッコミ。
 銀魂における事件は、前倒しになっていたり、まだ起きていなかったりと滅茶苦茶。時期も特定していない、この話独自の時間軸と思ってください。
 基本、どちらの作品も知っているというのを前提で書かれています。
 以上です。

 追記
 月マガを久しぶりに読んだカラーに修羅王さんがいらっしゃる。これはまずいと恭ちゃんの二つ名を変えました。
 ただあまり考えている暇がなかったので、単純。また変える可能性があります。



 更新がわかりづらいというご指摘をメールで受けましたので、タイトルに更新日と話数をつけることにしました。


 とりあえず題名決定。




『二刀の剣士が帰る場所』

 >>1   第一話 帰還
 
 >>2   第二話 幻月

 >>3   第三話 日常

 >>4   第四話 理由
 
 >>5-7  第五話 恋薬(前編)

 >>8-9  第六話 恋薬(後編)

 >>10-15 第七話 離別

 >>16-19 最終話 回帰

 >>20-21 エピローグ一

 >>24-25 エピローグ二

 以下番外編

 >>22-23 番外編一 剣鬼対人喰い鴉




  
メンテ

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Re: 二刀の剣士が帰る場所 ( No.6 )
日時: 2015/05/24 12:53
名前: テン




 ◇◇◇



 からくり堂。
 カラクリ技師(指名手配犯)・平賀源外の営む店であり、その店名の通り、カラクリの製造、修理をしてくれる店で、万事屋も色々なことで面倒をかけている。
 恭也は、多少オイル臭いその工房にあった椅子に座っている。店主である源外は、そんな恭也に背を向けながら、何やらカラクリをいじっていた。

「で、俺に何の用でぃ、恭の字。何か直してほしいもんでもあるのか?」
「ああ、いや、今日は少々聞きたいことがありまして」
「聞きたいこと? なんでェ?」

 背を向けながらだが問うてくる源外に、恭也は一度目を瞑った。
 ここに来るまで……否、今まで何度も考え続けてきたことだったが、それを言葉で簡潔にまとめるのは少々難しい。

「源外さんは、他の星については詳しいですか?」
「他の星? 詳しいってほどじゃねーな。それこそお前さんの持ってるツテの方が、そのへん詳しいのがいるんじゃねェのか? それに幕府の公開情報があんだろ」

 それは確かにそうだ。
 例えば坂本辰馬やその副官の陸奥などは、実際に多くの星で商いをする商人だ。それこそ本場と言えよう。他にも似たようなツテは多くある。
 また開国からすでに時間が経ち、富裕層などが異星に旅行するような時代になった。そのため幕府が異星について、それなりの情報を公開していた。それを調べれば、最低限の情報は手に入るだろう。
 だが、恭也が聞きたいのは、そういう部類のものではなかったし、実のところそれらの人物たちにも、かつて聞いたことがある話だ。

「どちらかというとニッチな情報というか、噂話的なものなので」
「俺が気に入りそうな面白い話、みたいな感じか?」
「そんな部類です」

 言ってしまえば噂話。怪談話のような人に興味こそ覚えさせるが、決して真実として伝わっているわけではないもの。

「この星……地球と似た星、というのを聞いたことはありませんか?」
「地球と? そりゃあ環境だけなら、似てる星ってのはそれなりにあるぜ」
「いえ、そういう意味ではありません。いや、それも入るか。環境はもちろん、歴史まで似通った星です」
「歴史までか?」
「ええ。それこそ偉人の名前まで」
「そりゃあ確かに面白い話ではあるが……さすがに聞いたことねェな」

 とくに考えるまでもなく、源外は首を横に振った。
 恭也もその返答に、そこまで残念がることもなく、そうですかと返す。
 実際、そこまで期待していたわけではない。似たような話は源外以外にも問い、やはり同じ答えを聞いてきた。
 なのでそこまで落胆することはない。
 だが、ある意味頼みの綱の一つが千切れたにも等しく、恭也は内心でため息を吐いた。
 『あそこ』が『ここ』からでも観測できる別の星であるならば、戻ってくることも可能だろうという目論見はかつてからあったが、やはりそう簡単にはいかない。

「聞きてェことってのはそれだけか?」
「いえ、むしろここからが本題です」
「なんでェ?」
「ワープについてなんですが」
「ワープ?」

 恭也の言葉を聞いて、源外はカラクリをいじるのをやめて向き直った。
 そんな源外に恭也は頷き返す。

「ワープというのは、個人でもできるものなんですか?」
「そりゃああれか? 宇宙船じゃなくってことか? 人間単位で?」

 源外の問い返しに、恭也は頷いて返す。
 恭也が源外に聞きたかったのは、実際にはこちらだった。
 何と言っても目の前の老人は、江戸きってのカラクリ技師。というかむしろもうファンタジーの領域どころか、神の領域に入ってしまったのではないかというようなものを生み出し続ける変人である。恭也は彼がタイムマシンを作ってもなんら驚きはしない。

「原理的にはできねーことはねェが……難しいと言えば難しいぜ。そもそも宇宙船でだって、単独でワープできるのなんぞ、そう多くはねェよ」
「ん? それはどういう意味ですか?」
「お前、宇宙や他の星に行ったことはあんのか?」
「ええ、まあ」

 恭也の場合、観光や旅行ではない。夜兎族が住む星に神楽を迎えに行ったときや、戦うためというのがほとんどだった。銀時たちとも何度か出たこともあるが、大抵面倒ごとに巻き込まれてである。

「ならなんとなくでもわかるだろうがよ。基本的にワープってなァ、宇宙船がしてんじゃねェんだよ」

 ワープという機能が宇宙船に搭載されているわけではなく、ワープという機能を持つ門……ゲートを宇宙船で潜るようなものだ、と源外は語った。
 また行きたいところに行けるわけでもなく、基本的に同じようなゲートがある場所に行けるだけ……つまり遠い場所にあるゲートとゲートを繋げているだけで――設定で繋がるゲート先は変えられる――あり、言ってしまえばゲートは電車の駅のようなものだ。
 一瞬で駅から駅へと移動しているだけで、駅がなければたどり着くことはできない。

「そもそもワープってのはエネルギーを使いすぎんだ。ターミナルだってこの国の龍脈のエネルギーを全部使いこんで維持してやがる。電力じゃ追いつかねェんだよ。だからこれ以上建設なんてそう簡単にできやしねェ。宇宙船単独でやるなら、相当にエネルギー溜め込んでも、その上に何回もできるもんじゃねェな」
「その場合は、門を通らなくてもいいんですか?」
「ああ。ただし余計にエネルギーを食うことになるがよ」
「なるほど」

 では人間単位など土台無理な話であるのかと、恭也はやはり態度には出さず内心でだけため息を付いた。

「人間ぐらいなら、別にそこまでエネルギーは必要ねェ。ワープさせるカラクリなら俺でも作れるだろうよ」
「本当ですか?」
「あくまで宇宙船と比べりゃあってことだ。それでも人間一人分をワープさせるのに必要なエネルギーを溜めるのには、俺個人じゃあ年単位でかかるだろうよ。こればっかりはどうしようもねェ」

 年単位。その言葉が、恭也の肩に重く圧し掛かった。
 もうそんなにもたないのだ。一ヶ月どころか、あと一週間もつかも怪しい。

「なんでェ、どこか遠くに行きてェのか?」

 恭也が僅かに沈んだ様子を見せたのに気付いたのか、源外が問う。
 今までの質問からすれば、そう思っても仕方ないことだ。
 しかし、恭也は小さく首を横に振る。

「帰ってきたいんですよ、ここに」
「帰る?」
「いえ……」

 己の現状を話したところで意味はない。信じられるような内容ではそもそもないのだ。だからこそ、恭也は今までそのことを誰かに話したことはなかった。
 ここから消えてしまう感覚とて、なかなか説明できるものではない。
 神楽さえ知らない己の真実。
 高町恭也は、この星……もしくはこの世界の人間ではなく、この世界に呪いによって連れてこられた異邦人。
 そんな荒唐無稽な真実だった。
 そして、今、その故郷とも言える場所へ、強制的に戻されようとしている。すでにこの世界で生きる意味を、大切な者を見つけた今になって。
 だからこそ、今回源外のところに来た。最後の足掻きとして。
 しかし、それも叶わなかった。
 源外はそんな恭也を見て、白い眉を寄せる。

「なるほどな、穣ちゃんが心配するわけだ」
「……神楽が?」
「オメーさんが今にも消えちまうように見えるってよ。この前、そう言ってやがった。ホント似た者同士だな、オメーら。もしオメーが消えちまっても、俺のカラクリならオメーを見つけられないかってよ。銀の字や眼鏡の坊主も、穣ちゃんほど深刻ってわけじゃねェが、似たようなこと言ってやがった」
「…………」

 気付かれていた。
 内心を押し隠すのは得意だと思っていたが、それでもあの三人には隠しきれなかったのだ。
 情けないとは思わない。むしろ苦笑が浮かび、胸が温かくなる。

「帰ります。話を聞いていただきありがとうございました」

 恭也は源外に小さく頭を下げると、工房から出て行こうと背を向けた。

「ああ、ちょっと待ってくれや」
「はい?」

 しかしすぐに呼び止められて、恭也は足を止めてもう一度振り返る。

「相談料、ってわけじゃねェが、少し頼みがあんだが」
「なんでしょうか? 俺に聞けることなら聞きますが」

 これで最後になるかもしれず、また源外には今回のことに限らず世話にもなったと、恭也は特に考えることなく返す。

「ならよ、ちとオメーさんの刀を見せちゃくれねーか?」
「刀?」
「ああ、今度刀のカラクリを作ろうと思ってな。参考にさせてくれ」
「醤油が出るようになんてしないでくださいよ」

 かつて銀時の木刀と神楽の番傘を改造し、そんなふうにしたことを思い出して、恭也はそれだけはやめてほしいと告げた。

「わーってるよ、見るだけだ」
「あと、俺のは普通のより短いですけど」
「構わねェ。あくまで参考だ」

 恭也は頷き、着流しの下、御神流の鞘の差し方の一つである背負いで隠している小太刀を二本鞘ごと引き抜いた。
 二刀一対の小太刀、銘を八景。
 当時この世界に訪れたとき、服以外で唯一ここに恭也と共にあったもの。もはやこれだけが、恭也がこの世界の住人ではないと証明するものになってしまった。

「腰に差してるわけじねェにしても、よくもまあ廃刀令が出てるこのご時勢に、堂々と持って歩けるもんだ。というかよく見つからねェな」
「服の弛ませ具合にコツがあるんですよ。仕込みだと強度が今一なのと、二刀を仕込むのは骨が折れるので、こうするしかないんです」

 もっとも土方や沖田などにはある程度バレているだろうが、それでも何も言ってこないのは、一応は知らないことにしてくれているのだろう。
 恭也は答えながらも、二刀とも源外に渡す。

「んじゃあ、俺ァちと向こうの部屋でこいつの資料まとめるから、少し待っててくれや。何、二十分とかかりゃしねェよ」
「わかりました」
「暇なら、そこの『珈琲めーかー』でコーヒーでも煎れて待っててくれや」

 源外は一つのカラクリを指差したあと、工房に繋がる隣の部屋に入っていってしまった。
 残された恭也は、源外が指差したカラクリを眺める。

「コーヒー、メーカー? これがか?」

 いつも無表情な恭也の顔が若干引きつる。
 そのカラクリは、コーヒーメーカーと言うには大きすぎた。壁一面を使い切り、部屋のいたるところにダクトが繋がり、中央には窪みがあって、恐らくコーヒー自体が出てくるであろう管と、なぜかマジックハンドがいくつか取り付けられている。
 恭也は顔を引きつらせたまま、そのカラクリに近づいた。
 コーヒーでも煎れて待て、と言われた以上、源外の性格上後々感想ぐらい求められそうだ。
 仕方ないと、恭也は窪み近くにあった『開始』の文字がついたボタンを押す。
 すると轟音を上げて、そのカラクリが稼動。まずマジックハンドが動き出し、カラクリの近くにあった瓶を勝手に持ち上げ、窪みの中にセットした。

「変なところで全自動なのか。さすが源外さん」

 それから管から黒い液体が瓶に向かって落ちるのだが――

「遅い……いや、本格的なのはこんなものか?」

 一滴一滴、瓶にゆっくりと落ちていく状態で、これではいつになったら瓶一杯になるのかわかったものではない。

「まあ、いいか」

 そこまで喉が渇いていたわけではあるまいしと、恭也は一つ息を吐くと、カラクリから離れ、壁に背をつけた。
 そして、目を瞑る。
 コーヒーメーカー(らしき)カラクリのおかげで、静けさはなくなってしまったが、逆にそれが助かった、下手に静かだと、余計なことを考えてしまいそうだった。
 しかし、それでも一人になると考えてしまうのは止められない。

「……あと、どれだけもつだろうな」

 それほど時間がないことはわかっている。感覚的な話だが、もういつ消えてなくなってもおかしくないこともわかっていた。

「…………」

 自らの手を眺め見る。
 自分の存在感が薄れている。それが嫌になるほど理解できた。
 感覚的な話だからこそ、誰に話したところで理解できないだろうこの不気味さ。世界から乖離し、己が薄れ、楔が途切れ、消えていく感触。それは緩慢な死にも似ていた。
 五感も微妙に鈍くなり、ここ最近稀に音が聞こえなくなったり、視界がブレたり、触感が鈍くなることもあった。
 恐らくの話だが、今この瞬間に自分という存在がこの世界から消えてしまってもおかしくない状態であろう。
 その先がどうなるのか、それはわからない。
 元の世界に戻るのか。存在の完全消滅なのか。それとも死なのか。
 しかし、それら自体に恐怖はない。
 とうの昔に自分の生など諦めていた。いつ死んでもそれは仕方ないのだと、そう思ってしまう程度に他の命を奪ってきた。だからこそ、己がどうなろうとそこに恐れは感じなかった。
 恐怖が浮かぶとすればただ一つ。

「神楽……」

 彼女との別れだけが、恭也の心を締め上げる。
 ずっと彼女を守っていきたかった。彼女が本当に惚れた男を見つけるまでは、それまでは自分が見守っていたかった。いや、そのあとでさえ、彼女が知らずに済むのなら、彼女が惚れた相手ごと守ってやりたかった。
 それができない。
 まだ神楽の安全の全てが保証されたわけではない。どこかの馬鹿が、彼女を狙ってくることだってありえるというのに、それから守ることすらできなくなるのだ。
 無論、終わりが死であれ、それとも呪いであれ、恭也は自分がいつまでも神楽の傍にいられないということはわかっていた。だからこそできる限りのことをしてきたつもりである。
 しかし、完全などありえなくて、神楽の生まれを覆すことはできず、彼女はそれこそ誰かと……それも夜兎以外の男と結婚でもしない限り狙われ続けるだろう。
 その可能性をできる限り低くはした。だが、決して0にはならない。
 一般的な強さの夜兎なら、銀時がどうにかしてくれるだろう。沖田や土方も何だかんだ言いながら助けてくれるだろうし、新八も決して神楽を見捨てることはない。
 しかし、本当の怪物レベルの夜兎が現れたなら……

「っ!」

 恭也はいつのまにか、己が痕が残るほどに拳を握り締めていたことに気付く。

「神楽っ……!」

 本当は手放したくなどない。恭也の中にも、それが父性愛や兄妹愛という意味であれ、独占欲というものが当然にあって、新八にも、沖田にも、土方にも、銀時にさえ、神楽を渡したくないのだ。
 それはきっと、神楽が己に向けてくるような恋愛感情ではない。しかし、それがどんな感情なのか、もはや恭也にさえわからなかった。
 ただ大切で、ただ愛おしくて、ただ幸せになってほしくて。何より幸せにしたい。


 ――愛している。


 出る答えはそれだけで。
 それがどんな愛情であるかさえ、どうだっていいほどに、恭也は神楽を愛している。
 この世の何よりも。
 かつて大切であった家族と比べてさえ、誰よりも。
 だからこそその確実な別れに、焦燥が募る。
 守ってやれないことに無力感が包む。
 歯を食いしばり、目を瞑ったとき……甲高い機械音が響いた。
 音がする方向を向けば、いつのまにかコーヒーが出来上がっていた。
 それに気付いた恭也は、それまでの心情を振り払うかのように大きく息を吐いたあと『珈琲めーかー』に近づく。
 するとマジックハンドが伸び、瓶に入ったコーヒーを持ち上げると、それを恭也に手渡してきた。よく見ると瓶にはプラスチックの蓋までついている。変なところで高性能なカラクリである。
 恭也は蓋を開けると、一口二口とコーヒーを喉に通した。

「……微妙だ」

 味の感想はそれだった。
 いや、苦味や酸味など味自体はさほど問題はないのだ。むしろ美味い部類だろう。しかし、その味の質を低下させている原因が確かにあったのだ。

「煎れたてなのに常温というのはさすがにどうなんだ」

 アイスなのかホットなのか、それだけでもはっきりしてほしいところである。
 どうやら砂糖などまで勝手に入れる機能はないようで、恭也の嗜好に合うブラックなのだが、如何せん温度が微妙すぎる。
 しかし、それよりも味を微妙にしているのは――

「自分のせいか」

 今の自分が、どんなものを飲もうと、どんなものを食べようが、それを純粋に美味いと思えることはないのだろう。
 恭也はあとで冷やしてから飲もうと、蓋を閉めなおした。
 丁度そんなときに源外が工房に戻ってくる。

「ん、どうでェ、それ?」

 恭也が黒い液体の入った瓶を持っているのを確認した源外は、僅かに口元を上げて問うが、その返答に恭也は迷う。
 が、しかし彼はプロ意識を持つカラクリ技師だった。恭也が己の剣については、その腕を誰に酷評されよう――剣の腕を見せる前はともかく、見せた後でされたことはほぼないが――とそれをむしろバネにしたいと思うように、源外はそれ以上に他者の忌憚のない意見を聞きたがるタイプである。

「豆などはわかりませんが、少なくともホットかアイスにすべきかと」
「あー、それはあるかもしれねーな。元々コーヒー豆なんて使ってねェから、そのへん疎かにしてたぜ」
「……味はコーヒーでしたが」

 なのに豆は使ってはいないとはこれ如何に、と恭也はもう一度瓶を眺め見た。インスタントと言えど、元は豆であることは間違いないというのに。

「合成飲料みてェなもんだ。豆がなくてもコーヒーっぽいものを、ってな。ああ、身体に害はねェよ」
「なるほど」

 恭也は頷いて返す。『あちら』の話ではあるが、ドイツなどにおいて戦時にコーヒー豆が輸入できないとき、タンポポでその代用をしていたのはそれなりに有名な話であると、喫茶店を営んでいた母が言っていたのを思い出す。それと同じようなものだろう。
 温度の問題はともかく、少なくとも豆を使わずに、ここまでコーヒーの味や苦味、酸味を引き出したというのなら、確かに大したカラクリと言えた。

「ほれ、ありがとよ」

 源外は、恭也に八景を渡してくる。

「ちと目釘やらいじったから、もしかしたらバランスが崩れてるかもしれねェ」
「……確かに、少し柄の方に寄っていますね」
「わかるもんなのか?」
「いじったのは目釘だけですか? それにしては……」

 微妙に柄の方に重量が取られている。

「おいおい、数グラム以下のはずだぞ? んなことわかんのかよ」
「源外さん?」

 何かぶつぶつと言っている源外に、恭也は首を傾げた。

「ああ、いや、刀身もはずしたから、切羽なんかも微妙にズレてるのかもしれねェ。俺ァ鍛冶屋じゃねェしな。いじっといて悪ィけどあとで自分で見て、変だったら直してくれねェか」
「わかりました」

 ズレている、というのはわかるが、支障がでるほどではない。あとで一度自分で調整すればいいだろうと、恭也は怒ることもなく頷いた。

「では、自分はこれで」
「おお、ありがとよ。ああ、そのコーヒー、持ってってくれ。冷えたのがいいなら、あとで冷やして飲んでくれや」
「そうします」

 恭也は、八景を再び背負い、丁寧に着流しの中に隠す。
 そして、ひと時の別れには相応しくない、深く頭を下げるという礼を源外に残し、恭也はカラクリ堂を後にした。



メンテ
Re: 二刀の剣士が帰る場所 ( No.7 )
日時: 2015/05/24 12:54
名前: テン




 ◇◇◇



 月詠との話のあと、さほど待つこともなく引き戸が引かれる音が響く。

「ただいま」

 いつも通りの低い声とともに、恭也の帰宅の挨拶が聞こえ、神楽の顔が輝いた。
 それに新八と月詠の顔に苦笑が浮かばせる。基本的に素直ではない神楽に、このような顔をさせることができるのは、恭也ぐらいだろうと二人そろって思ってしまう。
 神楽が、玄関に駆けていこうとしたとき――

「大きな気配があるとは思っていたが、やはり定春か。お前、廊下で寝ていたのか?」
「アン!」
「そうか。まあ今日は湿気がおおいし、ここの方が風通りがいいからな」
「くぅーん」
「いや、いきなり背後からおぶさるな。お前は神楽か」

 そんなやり取り廊下が聞こえてくる。
 それを聞いて、神楽の足が止まった。恭也に定春がじゃれているとわかり、邪魔できなくなってしまったのだ。
 そして暫くすると、肩に両手を置かれ、頬を舐められながらも、定春の巨体を引きずるようにして恭也がリビングに入ってくる。

「ただいま」
「お帰りヨ! 恭ちゃん!」
「おけーり」
「お帰りなさい、恭也さん」

 万事屋一同、それぞれ笑みを浮かべて恭也を帰宅の挨拶で迎えた。
 それに恭也は薄い笑みを返したあと、月詠に視線を向ける。まったくに顔に疑問がないところを見ると、部屋に入る前から気配で月詠の存在に気付いていたのだろう。

「久しいな、月詠」
「うむ、久しぶりじゃな、恭也」

 お互いそんなことを言い合うのだが、恭也の方は定春を背後に抱えているため、微妙に笑いを誘う。
 その証拠に銀時以外の三人は、苦笑を浮かべていた。
 そんなとき定春が恭也から下り、今度は彼の着流しの懐に顔を突っ込む。

「アン!」
「おい、定春」
「定春、あんまり恭ちゃんに迷惑かけちゃダメアルヨ」

 しかし、定春は言うことを聞かず、何かを探すように舌まで伸ばす。

「ああ、定春、それはダメだ」

 言いながら恭也は、懐から瓶を一つ取り出した。
 その瓶は、今テーブルの上に置かれている惚れ薬の瓶と似ている。もちろんまったく同じではないし、飲み口に赤い線はないが、ぱっと見ただけではほとんど違いがわからないぐらいだ。

「犬にコーヒーはあまりよくないんだ。いやまあ、コーヒーではないんだが、合成飲料だから余計に何が入っているかわからん」

 どうやら定春は、それを狙っていたらしい。
 恭也は苦笑しながら押し留めるが、定春はそれでも言うことを聞かず、顔を瓶に近づけていた。そして、定春の額が勢い余って瓶に衝突、恭也にしては珍しく、その手から瓶を離してしまう。

「っ!」

 そのとき恭也が一瞬、まるで何かの違和感に耐えるように眉を寄せたのだが、それに気付いたのは神楽だけであった。

「恭ちゃん?」

 神楽がそんな恭也に声をかけようとしたのだが、それよりも早く投げ出された瓶が……何の因果か、テーブルの上にあった惚れ薬入りの瓶とぶつかり合う。二つの瓶が高い音を上げて、テーブルから転げ落ちる。

「あっ!」

 月詠が声を上げるが、誰かが動くよりも前に定春がそのうち一つの瓶を咥え上げた。

「定春、ダメだと言っているだろう」

 恭也は本当にらしくもなく、高い音をたてたのにも関わらず、テーブルに当たっただけだとでもとったのか、瓶が二つあることどころか、それが自分が持っていた瓶と当たったことなど気付いていないようで、定春に近づき、咥えた瓶を取り上げてしまう。
 それから嘆息し――

「仕方ない。ブラックで俺以外飲めるのもいないし、月詠にやるには先ほど俺が口を付けたしな」

 そんなことを呟いて、瓶のフタを開け、口を付けた。
 そのとき、残された四人は確かに見た。その飲み口に赤い線が入っているのを。

「ちょっ! 恭也さん、それ!」
「おい恭! ちょっと待て!」

 新八と銀時が慌てて声を上げるが、まるで聞こえていないかのように恭也は答えることなく、舌を伸ばしてくる定春を遮って、一気にコーヒー(惚れ薬入り)を飲み干してしまった。

「……味覚も駄目か」

 僅かな舌打ちとともに恭也の眉根が寄る。
 しかし、慌てた四人にその言葉は届かない。

「恭! おまっ、それ惚れ薬入り……!」
「って、銀さん駄目ですよっ! 恭也さんがこっち向いたら、僕たちに! 前のときだって男女関係なかったじゃないですか!」
「げっ!」
「ただでさえ銀魂二次はそういうのが多いのに、この作品では勘弁してくださいよ! 僕嫌ですよ、前みたいなこと!」
「俺だってやだよ!」
「むしろ私がイヤアル! メインヒロイン放って男に惚れる主人公なんて見たくないネ! っていううかそんなことになったら銀ちゃんと新八を半殺しにしてやるネ!」
「神楽、ぬし、本当に恭也が関わると過激になるな」
「いや、こいつは元々恭以外の男には過激だ」

 慌てているのか、ボケているのか、騒いでいるだけなのか。四人はそれぞれ勝手なことを言い合っている。
 それに流石に恭也が首を傾げ、四人の方に――

「お前たち何を……」

 しかし、このままいけばその視線が向かうは月詠へ。
 が、それに気付いた神楽が恭也の目の前に躍り出て、さらにその両頬に両手を沿え、無理矢理自分の方へと向かせてしまった。

「銀ちゃんたちもやだけど、ツッキーを……私以外の女の人を好きになった恭ちゃんはもっとやーヨっ!」
「は? 神楽?」

 暗い闇のような、しかし理性と優しさが窺える恭也の漆黒の瞳が、月詠を好きになった恭也を想像してしまったためか、薄く濡れ、潤み輝く神楽の碧眼を捉える。
 交差する黒と碧。
 その瞬間、とんでもないことをしてしまったと、今更ながらに気付いた神楽の真っ白い頬が、一気に夕日のように燃え上がった。しかし、神楽の恭也を見る目が今度は違う意味で潤む。
 そんな神楽を見て、恭也は真剣な表情をとる。

「神楽……」
「ウ、ウン! な、何アルか!? わ、私のこと好きになっちゃったアルか!? ば、バッチコイヨ! わ、私が全部受け止めてやるネ!」
「いや、まあ、お前のことは確かに好きだが」
「おふっ!」

 なせか鼻を押さえる高町さんちの神楽ちゃん。

「いや、本当にどうした神楽? 銀? どうなってるんだ?」

 慌て具合から神楽では話にならないと思ったのか、銀時に向き直る恭也。一瞬それに自分も対象になるかと、銀時が頬を引きつらせた。
 しかし、恭也の目はいつもと同じ理性的な色を保ち、何ら変わりはなかった。

「うん? あれ、お前、あんま……っていうかまったく変わってない?」
「だから何がだ?」

 愛染香の騒ぎのときは、それこそ目をすぐさまハートマークにしてしまう程に、その人物の理性は破壊され、対象を追い回したものだが、今の恭也にそんな兆候は見られない。

「え、恭ちゃんいつものままアルか?」

 こちらはつい先ほどとんでもないことをしたと思っていたはずが、残念がるように肩を大きく落とす神楽。

「月詠さん、どうなってるんです?」
「いや、わっちにもわからぬ。香と同じく即効性であったはずじゃが」

 残る新八と月詠は、状況についていけず首を傾げていた。



 ◇◇◇



「あのときの惚れ薬か」

 混乱が収まり一通りの説明を聞いた恭也は、ソファの上からテーブルの上に置かれ、先ほど自分が空にしてしまった瓶を睨むように見る。その隣には恭也が源外のところから持ち帰った未だコーヒーの入った瓶が置かれていた。
 やはり恭也が飲み干したのは、惚れ薬入りだったのだ。

「ても恭には効いてねェしよ、偽物だったんじゃね?」

 恭也にソファを譲り、机の前にある椅子――銀時曰く社長椅子――に移った銀時が、相変わらず鼻をほじりながらも恭也を見て言う。

「いや、それはありんせん。百華の一人が自らを犠牲にして呷ったのじゃ。その際はすぐに効果が出た。恭也が飲んだのはそのときと同じもの」

 言いながら月詠もまた恭也を眺め、またその対象になったはずの神楽に視線を向けるが、二人はいつもと変わらない。
 神楽は銀時から変わって、恭也に後ろから寄りかかっている。銀時のときと違うのは肩に顎を乗せているのではなく、両手が恭也の前へと回り、ほとんど後ろから抱き締めるような体勢になっていた。
 その体勢だけ見ると、惚れ薬を飲んだのは神楽ではないかと疑ってしまうが、この二人はいつもこんなものだと、その場にいる誰もが納得している。

「何はともあれ、すまない月詠。まさかこんな阿呆のようなミスを」
「謝るでない」

 ちなみに主な原因の定春は、恭也と神楽に叱られ、拗ねるように部屋の隅で丸くなってしまっていた。
 もちろん恭也らしくない、と全員が思うものの、そんなこともあるかと、誰一人として責めはしない。

「でもどうして恭也さんには薬の効果が出ないんでしょう?」

 新八もまた空になった瓶を見つめながら疑問を口にした。
 それに恭也も眉を寄せる。

「耐毒訓練はしているが、あんな無茶苦茶なものに効くとは思えんな。考えられるのは、薬自体がどこかですり替えられていたか……」
「それもありんせん。先ほど言った百華の者が飲んでから、ずっとわっちが所持していた」
「となると……」

 さすがに恭也がそういう体質だった、などということではないだろう。
 恭也は眉を寄せたまま、顎に指を当て、考える仕草をとった。

「恭ちゃん、愛断香を嗅いだアルか?」
「いや、あれは惚れ薬を飲んだあとでないと意味はないだろう。そもそもそれならお前を嫌いになってるはずだ」
「それはイヤアル!」

 そんな声とともに後ろから強く抱き締めてくる神楽に、恭也は苦笑しながらも腕を上げて自分の顔の横にある彼女の頭を撫でる。

「ちなみにその前に飲んだ百華の人は、大丈夫だったんですか?」
「うむ。一口だけだったので効果時間は大したものではなかったからな、ほんの二、三十分でありんした」

 新八の問いへの月詠の答えを聞いて、銀時が『うえっ』と呻いた。

「一口でそれなら、恭、お前やばかったんじゃねェの?」
「だな」

 なんと言っても、恭也の場合は全部飲み干してしまっている。効果時間がどうなっていたか恐ろしいと、恭也は深く息を吐いた。
 しかし、恭也に効果が出なかった理由がわからない以上、まだ安心はできない。

「しかし、愛断香か……」

 恭也は呟きながらも、空になった瓶の横に置いてあるまだ黒い液体が満たされた瓶に視線を移した。

「もしかしてこれが愛断香と同じ効果……いや、この場合は本当の意味で惚れ薬の効果を打ち消す効果を持ってるのか? しかも先に飲んでも効くということは予防になる?」
「恭也さん、それは?」
「源外さんにもらったコーヒーだ。まあ、合成飲料らしいから、正確にはコーヒー味の飲料というのが正しいのだろうが」

 その恭也の言葉とともに、全員の視線が源外作のカラクリが生み出したコーヒーに集まる。

「それしかないアル」
「むしろ納得です」
「あのジィさん、本当に何生み出すかわかんねェな」
「ある意味あの人の存在自体がこの世界のご都合だからな」

 源外作、という時点で全てが納得であると万事屋全員が、なんとも言いがたい表情を浮かべた。
 しかし、月詠としてはある意味これほど助かることはないだろう。

「恭也、もらっても構わぬか? 調べてみる」
「ああ。何なら源外さんのところに行ってみるといい。成分もわかるだろう。あと裏の方は調べられる限り調べておくから、二、三日、時間をくれ」
「礼を言う」
「こちらこそすまなかった」

 特効薬、同時に予防薬になりそうなものを見つけ、万事屋の全員に礼を言ったあと、取り急ぎ吉原へと帰って行った。
 それからある意味、いつも通りの万事屋に戻り、新八は部屋の掃除を始め、銀時はジャンプを読み出し、新八に手伝いをやんわりと断られた恭也は新聞を読み出し、神楽は昼ドラを見始める。
 月詠が帰り、しばらくして恭也は唐突に新聞をテーブルに置いた。そして、隣に座る神楽をじっと眺め始める。

「恭ちゃん?」

 そんな恭也に気付いた神楽が、首を傾げながら名前を呼んだ。

「神楽、少し立ってくれないか?」
「え? わかったアル」

 恭也に言われ、とくに疑問も口にせず、神楽は立ち上がる。これが銀時や新八相手だったなら、こうも素直に言うことは聞くまい。
 神楽は首を傾げたまま恭也を眺め、その恭也は立ち上がった彼女の手を引いた。
そして、恭也は神楽をそのまま自分の前に、背中を向けさせる形で立たせてしまう、

「んん? ホントどうしたヨ、恭ちゃん?」

 恭也の行動の意味がわからない神楽は、顔だけを振り返らせ問う。
 だが、恭也はそれに答えることなく、握った神楽の手をそのまま引っ張った。

「わっ!」

 その勢いに神楽は何も出来ず、尻餅をつくようにしてソファの上に座り込む。それは丁度、両足を開いた恭也の膝の間であった。

「神楽……」

 神楽でも今まで聞いたことがないような、熱い息が混じった声で、恭也が彼女の名を呼んだ。
 そして、恭也はその両腕を前へと持っていき、神楽を背後から抱きしめるように腹部へと回す。

「きょきょきょきょきょきょきょ恭ちゃん!?」

 その突然の行動に、神楽の顔が一瞬にして真っ赤になった。

「ん? どうした、そんなに慌てて? こんなこといつもしてるだろう?」
「そ、そうだけど! でも!」
「お前は暖かいな。それに良い匂いがする」
「やっ! 恭ちゃん! 匂いかいじゃやーヨ!」

 なぜだか突然イチャイチャしだす二人。
 その場にいた銀時は鼻をほじった体勢のまま持っていたジャンプを机の上に取り落とし、新八もまた手に握っていたハタキを床に落とした。
 二人の一連の行動を眺め見ていた銀時と新八の顔に再び影がさし、その頬が一気に引きつる。
 そして――

「「惚れ薬、効いてんじゃねーかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」」

 万事屋のリビングに二人のツッコミが響いたのであった。




メンテ
Re: 二刀の剣士が帰る場所 ( No.8 )
日時: 2015/05/29 22:44
名前: テン




●前半と中頃以降(前編の五話とではなく、この六話内)の温度差がかなりひっどいことになってますのでお気をつけて。







 第六話 恋薬(後編)






「神楽……」
「恭ちゃん……! や! くすぐったいアル!」
「我慢してくれ。お前を離したくないんだ」
「恭ちゃぁん……」
「神楽……もっと強く抱き締めさせてくれないか?」
「う、うん! もっと強く、強く抱き締めてヨ! 恭ちゃん!」

 銀時と新八の目の前に繰り広げられるイチャイチャ空間。
 三十路手前の男が十代半ばほどの少女を背後から抱き締める、という本来ならばある種犯罪染みた光景のはずが、赤いチャイナドレスを纏った美少女を、黒い着流しを着た、とても三十路前には見えない端正な美丈夫が抱き締め、その首元に顔を埋めるという絵面は、酷く艶かしく映る。
 なぜか新八の喉がゴクリと鳴った。

「ちょっ! これっまずいんじゃないんですか!?」

 自分の中に生まれた何かを振り払い、新八は顔を真っ赤にしながらも銀時の元に向かう。
 しかし銀時は、最初こそジャンプを落とすほどの衝撃を受けていたものの、もはやいつも通りの死んだ魚のような目に戻っていた。

「いや、あのぐらいのスキンシップ、あいつらなら日常的にやってんだろ。恭のやつも神楽から言えばやんだろうし。実際さっきいつもしてるとか言ってやがったし」
「でも、でも……」

 新八は何度も首を振り、神楽を指差す。

「あの神楽ちゃんが顔を真っ赤にさせて、ガチガチに固まってますよっ!」
「なにぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!?」

 銀時は他の男相手にも、神楽が照れや恥じらいで感情を揺らしたところなど見たことはない。恭也(惚れた)相手には微妙に違うのかもしれないが、神楽は基本的に、銀時たちの前でも、恭也相手ならば羞恥心など気にせずくっ付いていく。
 その神楽が顔を赤くさせ、緊張するなど稀も稀である。

「や、だって……自分から恭ちゃんにこんなことされたこと……ないネ。言えばやってくれるけど……」

 銀時たちの会話を聞いていた神楽が、後ろから恭也に抱き締められながらも、両手の指を交差させ、ボソボソと呟いた。
 お願いしてやってもらうのと、自らの意思でされることは違う。
 神楽はそう言い、背後に感じる恭也の体温に酔いしれる。

「何だ、神楽、こんなことをして欲しかったのか? ならこれからは毎日、俺からしてやる」

 恭也は普段は見せることのない流すような目、そして熱い息を神楽に向けながらも、より力を入れて彼女の体を抱き締めた。
 もはや神楽以上に、お前誰だよ、とツッコミたいぐらいに、普段の面影がない。それがより、彼に惚れ薬の効果が発揮されているのだと理解させられる。

「ぐっ!」

 恭也の甘い言葉を聞いて、神楽はなぜか顔を片手で押さえた。

「神楽!?」

 それに何かあったのかと、銀時も思わず体を乗り出す。
 しかし――

「銀ちゃん、私、鼻血が出そうアル……」
「知らねェよ!」

 それがヒロインの言うことかと、銀時は反射的に返していた。

「だって! だって! あの口下手な恭ちゃんがこんなに甘い言葉の数々を!」
「や、恋人と妹には甘い男と言われる恭ならありえんじゃね?」
「こ、恋人!? い、今の恭ちゃんにとって私はどっちヨ!?」
「銀さん! 神楽ちゃんを追い込んでどうするんですか!? 神楽ちゃん! 神楽ちゃんは惚れ薬で、恭也さんとそんな関係になって納得できるの!?」

 新八のいつも通りのツッコミ。しかし、珍しくそのツッコミが功を奏し、神楽は正気を取り戻す。
 神楽は首を捻り、蕩けた表情をなんとか真剣な表情に戻して、振り返りながらも恭也の顔を見つめた。

「そうアル、恭ちゃん! 聞いて恭ちゃん! 恭ちゃんは今、薬で……」

 今度こそ真摯な瞳を恭也に向け、元に戻ってほしいと懇願するように声をかけるが――

「愛している、神楽……」

 より強い力で、神楽を抱き締め、彼女の耳に己の熱い息を吹きかけるようにしながら、恭也はそっと愛を囁いた。

「…………」

 神楽はその言葉を聞いた瞬間、視線を床に向けるように顔を下げ、今まで解けなかった恭也の手をやんわりと解く。
 その行動に、ようやく神楽が冷静になってくれたのか、と新八の顔が輝き、それに答えるように彼女は恭也の膝からゆっくりと、本当にゆっくりと立ち上がった。

「神楽……行かないでくれ」

 そんな神楽に、やはりいつもは見せることなどありえない切なげな表情を浮かべる恭也。
 神楽もまた、そんな恭也に振り返る。

「ごめんアル、恭ちゃん。今は傍にいられないネ」

 こちらもまた切なげに微笑み、その瞳は揺らぎ、潤ませていた。

「今の私は恭ちゃんを汚してしまうアル」

 そして、神楽は本当にその目から雫を流しながら、そっと恭也から視線を離し、新八たちの方へ向き直り、彼から数歩離れたとき――

「ぶはっ!!」

 鼻から大量の血を撒き散らしてその場に倒れたのだった。

「神楽ちゃんんんんんんんんんんんんんんんんんんっ!? 汚すってそういうことかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 新八が突っ込むと同時に、神楽の身体がバタリと床の上に倒れる。同時に広がる赤い海。いや、赤い海っつうか、鼻血の海。
 その中央で、神楽がピクピクと痙攣するように震えていた。
 新八はすぐさま駆け寄り、神楽を抱き起こす。すると彼女は、未だ鼻から血を垂れ流しながら、実に幸せそうに笑い、どこか見てはいけないところを見ていた。

「ぱっつぁん、私思い残したことはないアル。未練もないヨ。もう死んでもいいネ」
「神楽ちゃん!? 君、鼻血での出血死っていうヒロインにあるまじき死因でいいの!? ゲロインに並ぶ不名誉さだよ!?」

 未だに鼻からドクドクという音すら響かせて、手を高い空へと伸ばし、あまりに遠いところを見ながらも幸せそうに笑う神楽に、新八はあらん限りのツッコミをいれていく。
 もはやヒロインにはあるまじき醜態の連続であった。己の大量の鼻血から主人公を守ったのだけは大したものと言うべきか、どっちがヒロインだよと突っ込めばいいのか、新八でも迷うところである。

「神楽っ! お前、こんなに口から血が!」

 ソファから立ち上がった恭也が、そんな神楽の身体を新八から受け取り、悲痛な声を上げた。

「オメーにはそれが口から流れてるように見えるのか!? マジで怖ェな惚れ薬! 俺もこんなんだったの!?」

 思わず銀時まで突っ込んでしまう。
 まあ、確かにすでに口の周りまで真っ赤に染まっているので、そう見えなくもないが。

「神楽! 俺はどうしたらいい!?」
「恭ちゃん……最期に、最期にぎゅっと抱き締めてヨ……!」
「最期だなんて言うな……!」

 恭也は顔を歪め、神楽の願い通りに彼女の身体を強く抱き締めて言い募る。

「恭ちゃん……! ブッ!」

 さらに血の海を広くする神楽。それに恭也は焦るように彼女の身体を揺らした。

「くっ、さらに血が!」
「恭ちゃん……本当に、本当に最期にごふっごふっ! ちゅ、ちゅ、ちゅーを……そしたら血も……」
「神楽っ! もう一度言ってくれっ! 聞き取れなかった!」

 頬に伸ばしてくる神楽の手をとり、恭也は唇を噛み締める。
 神楽は咳き込み息も絶え絶えに、――鼻から逆流してきて――口に溜まった鼻血を吐き出しながらも、もう一度言葉を紡ぐ。

「ちゅ、ちゅーを……!」

 しかし、そんな神楽の頭を今度は、新八がハリセンをもって引っ叩いた。

「やめんかっ! 未練ないんじゃなかったのかよっ! 神楽ちゃん! キスなんてシリアスシーンじゃないと本当に死ぬよっ!? いや、むしろ今の方が大丈夫なんでしょうかっ、銀さん!? というかもうどうにかしてください!」
「なんだァこの混沌具合。いつもより酷くね? 無理だよ? 銀さん、収められないよ? 神楽や恭のせいでツッコミに回ること多くなっちまったけど、俺、一応ボケ側だかんね? そこんとこわかってますか、コノヤロー」

 こちらの二人もすでに手に負えない自体である。
 からかうことはあっても、場をまとめるのがうまいのは恭也だ。その恭也があれでは、ますます止める手段がないというもの。
 銀時は、その面倒くささに思わず己の頭を掻く。

「恭、そのあたりにしとけや」
「銀?」
「ああ、大丈夫だよ、神楽のやつァちっとばっかりのぼせただけだ。変に構っても余計酷くなるだけだし、そこらに寝かしとけ。何なら傍についてろよ」
「む……わかった、そうしよう」

 どうやら神楽以外の者の意見を取り入れられる冷静さは残っているらしいと、銀時は安堵の息を吐く。香の事件の折には、銀時はほぼ女に一直線。それ以外はどうでもいいという状態だったので、それに比べれば随分とマシであった。
 銀時が恭也に話をつけている間に、新八は神楽の鼻にティッシュを詰め込んでいく。もはやヒロインとしてそれはどうなのか、というツッコミは今更である。
 その後神楽は恭也に抱きかかえられ――その際も至福の表情を浮かべていた――、ソファの上に寝かしつけられた。恭也はその脇に座り、神楽の手を握り締めている。

「それにしても、どうしていきなり惚れ薬の効果が出たんでしょう?」

 そんな二人に、新八は疲れたような息を吐き出し、銀時に問いかけた。

「……月詠は香と同じで即効性だって言ってたしな」
「月詠さんが帰って、もう結構経ってますよね?」

 新八が言いながらも、窓から外を眺め見る。外はすでに陽が傾きかけており、月詠が帰ってから、つまりは恭也が惚れ薬を飲んですでに数時間は経っていることを示している。
 ということは、と二人揃って行き着く答えは同じであった。

「ジイさんのあれだろうな。というか足りなかったんじゃねェの?」
「あ、そういえばあれ、結構残ってましたもんね。瓶一杯に入ってたなら、恭也さんほとんど飲んでなかったんじゃないんですか?」
「そのせいでジイさんのコーヒーの効果の方が先に切れちまったんだろうな」
「惚れ薬の方は完全に瓶を一本あけちゃってますしね」

 恐らくあの源外のコーヒーは、予防や特効薬というよりも、惚れ薬の効果を中和するというのが正しいのだろう。
 となるとあとのくらいで惚れ薬の効果が切れるのか、それが問題であった。

「つかこれって、いつもと受けと攻めが変わっただけじゃね?」

 銀時は、今もソファの上と横でベタベタしている二人を眺め、鼻をほじり始める。
 いつもは恭也が、神楽に過剰なスキンシップを受けたり、こうして欲しいということを聞いて、それを神楽に甘い彼が仕方ないと苦笑しながら叶えていた。今の二人はそれが逆転したようなものだ。
 少しばかり神楽が過剰に反応しているだけで、そこまで普段と変わるものでもなかった。

「僕たちの時ほどはっちゃけてませんもんね。もしかして源外さんのコーヒーがそのへんも抑えてるんですかね?」

 愛染香のときは、皆ほとんど前後不覚と言えるような状態であったため、それと比べてしまえば、恭也はやはり大人しいと言えよう。そのあたりから考えるに、もしかしたらまだ源外のコーヒーの効果は残っているのかもしれない。

「俺らのときと違って、ホントにラブコメしてやがるだけだろ、こいつら。放っておいていいんじゃねェか?」
「でも神楽ちゃんの自制心もちますかね?」

 自分の好きな人が、自分にベタ惚れ状態。たとえ薬の効果とはいえ、これほど嬉しいことはないだろう。
 薬のせいだからと、跳ね除けられるほど、神楽とて煩悩を捨ててはいないはずだ。

「もうキスとかくらいいだろ。やらせてやれよ。どうせ恭のヤツだって覚えてねェんだから」
「いやいやいやいやいやいやいや! それでいいんですか!?」
「構わねェだろ。これが男女逆っつぅなら流石に止めるけどよ。恭の方は初めてってわけでもねェんだ。あとは神楽がそれでいいかだろうが」

 銀時は言いながら、再びジャンプを手にとり、椅子に座りなおす。
 しかし、銀時の言葉に納得できないのか、新八は彼に詰め寄った。

「でも……!」
「どうしたって神楽はこれから何年も待つことになんだ。ガキがガキなりにどんだけ気持ち抑えて、自分がでかくなるのを待ってるか、お前だってわかってんだろ? 今回のはそんなあいつに降って湧いたどっかの童話みてェに時間が来たら解けちまう魔法だ。今だけなんだ、あいつに少しぐらい夢見させてやれよ」
「それは……」

 神楽の気持ちを知り、幼いなりに真剣に恭也を想う彼女に心打たれたことのある新八は、そう言われては反論が浮かばない。銀時もまた、このような言葉が出てくるということは、神楽の気持ちを応援しているであろうことは明白であった。
 しかし、同時に新八の中には、それでいいのか、そういうことは本当に好きあって、恋人になってからするべきではないか、こんなの間違っているのではないかという青臭い感情もあるのは事実。
 だから新八は、迷いながらも視線を神楽と恭也に向けた。

「あっ……」

 そこには笑い合う二人がいた。
 恭也の笑みは常と変わらない薄いもの。しかし、それは確かにいつもよりも柔らかい。
 神楽もまた、そんな恭也を見て顔を赤くさせているものの、その顔は蕩けていて、本当に嬉しそうで、幸せそうな笑顔がある。
 そして、何より……いつも気丈な彼女のその目には僅かな雫が浮かんでいた。

「神楽ちゃん……」

 それがどんな感情で浮かんだものか、手に取るようにわかってしまう。
 銀時もまたジャンプを広げながらも、そんな神楽の顔を眺め見た。

「そりゃあ幸せだろうさ。いつか欲しいって願ってたもんが、今目の前にあんだからよ。それがたとえ一時だけの偽物でもな。よくあるラブコメにある設定、お前が言ったことだろ?」
「……それは」
「まあ、ラブコメ漫画なら主人公と周りの人間が、そりゃァ間違ってる、つくられた感情だって必死こいて止めんだろうけどな。けど人間ってなァよ、どうしたって真っ白なまま生きられるやつなんざいねェんだ。それが間違ってるってわかってても、止められねェこともあんだよ」

 銀時は、言いながら今度こそ視線をジャンプに戻す。

「仮にあいつが止まらなくても、俺ァ止められねェし、止めたくもない。たとえ恭の記憶が消えたあと、あいつが罪悪感を覚えることになってもな。それでも幸せは感じられるだろうさ。将来がどうなるかわからねェんだ、あと少しの時間ぐらい、あいつが今まで恭を想ってきたうん万分の一ぐらいは報われてもいいだろうよ」
「銀さん……」

 新八はそんな銀時を見て、それからまた二人に視線を戻した。
 恭也は横になる神楽の額に手をおき、優しく撫でていた。神楽はそれを目を瞑って受け入れている。
 見ようによってはいつもと変わらない二人。
 それはある意味真実に近く、しかし紛い物の光景とも言えるもの。だが、少女はいつか今の光景こそを真実にしたいと願っている。
 幼くても真剣で、ただひたすらに前だけを見ていた。二人は年が離れすぎていて、それが報われる可能性が低いことは、神楽自身が一番わかっていたはずだ。そして、それに恐怖もしている。それでも他の男になど見向きもしないで、ただ一人の男を見つめていた。

「そう、ですね。少しぐらい、報われてもいいですよね」

 銀時と同じく、それを誰よりも知るからこそ、新八はそれ以上反対はできなかった。



メンテ
Re: 二刀の剣士が帰る場所( ( No.9 )
日時: 2015/05/29 22:45
名前: テン




 ◇◇◇



 右手がひどく熱い。
 神楽は視線を下げながらも、自分の心臓が高鳴っているのをずっと感じていた。

「神楽、大丈夫か?」
「う、うん、大丈夫アルヨ! 私はあのぐらいでどうにかなるほどヤワじゃないネ!」

 声をかけられ、慌てて右上を見上げれば、見慣れた恭也の顔がある。しかし、そこに浮かぶ微笑は、いつもとは少し違うということが、長く共にいた神楽だからこそわかる。きっとこれが本当に好きな異性に向ける高町恭也の笑みなのだろう。
 すでに万事屋で夕食も食べ、家に帰宅する途中であるというのに、未だ恭也は惚れ薬の効果が残っていた。
 新八は多少心配そうにしていたが、帰らないわけにはいかないと、二人はいつも通りの時間に帰宅の途に就いた。
 そして、万事屋を出て早々恭也は神楽の右手をとったのだ。
 別に手を繋ぐなど初めてのことではない。神楽が頼めば――躊躇はするが――恭也は手ぐらい繋いでくれる。
 しかし、今回は恭也の方からであり、また何より――

「恋人繋ぎ、アル……」

 小さく呟きながら、再び顔を下に向け、だが今度は恭也と繋ぐ手に視線をうつすと、そこはお互いの指の一本一本が絡まっていた。
 さすがにこんな繋ぎ方は初めての上、指の一本一本に恭也の温かさを感じ、神楽を緊張させる。

「嫌か?」

 小さな呟きだったが、恭也に届いていたようで、笑みを消して神楽に聞いてくる。
 それに神楽は慌てて首を横に降った。

「そ、そんなわけないネ! その、嬉しい、アル」
「そうか。良かった」
「ウン!」

 恭也とまるで本当の恋人のように歩く。それはある意味、神楽にとって夢の一つとすら言ってよかった。
 もちろんまだ自分は子供で、他人から見ればせいぜい兄妹程度にしか映らないのだろう。だがそれでも構わない。今こうして、夢が叶ったのだから。
 恭也の今の感情が偽りであることもわかっている。作られた感情でしかないことも。だからこその罪悪感は当然にあったし、何度も心の中で恭也に謝罪した。
 それでも……


 ――離したくないヨ


 この手を離したくない。
 偽りと知っていても、作られたものだとしても、卑怯なことだとわかっていても、罪悪感に濡れても、神楽はこの時間を手放せなかった。
 それは薬のせいだからと、嘘だからと、恭也を説得することさえできない。それほどまでに神楽は今という時間が幸福であったのだ。
 そんな想いが溢れ、神楽は恭也の手を強く、強く握る。

「ん?」

 恭也は一瞬、そんな神楽に目を瞬かせたあと、再び微笑を作り、握り返してくれた。
 今の恭也は、こうも簡単に笑ってくれる。いつもと変わらないようでいて、違う微笑。それをずっと見ていたい。
 神楽の恭也への想いは、恋などというものではなく、子供には似つかわしくない愛情にも昇華していることに気付いているのは、きっと銀時だけだろう。
 恋は綺麗なもので終われる。潔癖でいられる。愛は違う。愛は欲に近く、汚いとわかっていても、駄目だと理性が告げても、それを欲するものだ。
 こうして求めていたものが隣にあって、それが嘘だからと、間違っていると、振り払えるほど神楽は見た目のように子供ではなく、汚い大人だったのかもしれない。
 いつのまに――神楽にとっては――か二人は自宅に帰ってきていた。
 万事屋から帰ってくれば、することなどほとんどない。いつもならば風呂に入り、その後は、ダイニングで一緒にテレビを見るか、恭也の部屋でまったりして眠る。恭也は庭で鍛錬。それが二人の日常だ。
 その日は風呂にこそ入っていないが、二人は恭也の部屋に直行した。

「あ……」

 そこで二人の手が離れてしまう。
 暗い部屋の中で、電灯の電源を点けようとその紐がある真下に、神楽の手を離した恭也が移動し、それを引こうとしたとき、神楽は彼の着流しの裾を右手の指で掴んだ。

「恭ちゃん……」
「うん?」

 恭也は紐から手を離して、神楽に向き直った。

「恭ちゃん」
「ああ」

 今回の惚れ薬は、相手からその効果があった時間を奪う。

「私ね、恭ちゃん」
「どうした?」
「私……」

 今の恭也が否定しないことはわかっている。きっと明日の恭也は覚えていない。そんな打算があっても、難しい言葉。
 それでも言いたい。
 神楽は目を瞑り、恭也の裾を握る反対の手で、纏うチャイナドレスの握り締めた。
 薄暗い部屋で恭也にはわからないだろうが、きっと今の自分は今まで以上に顔を赤くしているだろうというのがわかる。

「私、恭ちゃんが男の人として好きアル。愛してるネ。ずっと……ずっと前から」

 言った。
 ずっと言いたくて。でも今は言ってはいけない。自分はまだ子供だからこそ、どうしたって受け入れてもらえないとわかっているが故に、封じ込めていた言葉だった。

「恭ちゃんからすれば、私はまだ子供だけど……でも! それでも恭ちゃんが好きアル! 娘じゃイヤヨ! 妹もイヤネ! 女としてみて欲しいアル!」
「かぐ、ら……」

 恭也が驚きで目を瞬かせたのが、暗い闇の中でもわかる。
 しかし、その顔に微笑が浮かんだ。

「ああ、俺もお前が女性として好きだ。愛している」

 それは偽りの言葉。
 薬が産み出した幻想。
 明日には忘れられてしまうだろう夢。
 それを言わせてしまったことに、罪悪感が募る。
 明日になれば……いや、彼が正気に戻った時点で、自分はその罪悪感とどうしようもない空しさに後悔することになるのだろう。
 そんなことはわかっている。
 だと……いうのに――

「うぇっ……」

 嬉しくて涙が溢れてきた。
 神楽の碧眼が潤み、雫が浮かぶ。罪悪感はあるのに、申し訳ないと思うのに、明日の自分が想像できるのに、嬉しいという感情が止められない。
 好きな人に好きだと言ってもらえる、愛している人に愛していると言ってもらえる幸福。それを神楽は生まれて初めて体感した。

「恭、ちゃん……!」

 続かせたい言葉に、神楽は恥ずかしさと緊張のあまり、恭也の裾から、チャイナドレスから手を離し、今度は両手で顔を覆ってしまう。

「ちゅー……して」

 先ほどのような冗談としてではない。
 本気の言葉。
 先ほど以上の罪悪感が、胸の中を針のように刺す。もはやそれは縫い針程度のものではなく、五寸釘で打たれるにも近い痛みだった。
 今の前後不覚の恭也なら、絶対に断らないとわかっている願い。まるで酔い潰させて、共に朝を迎えるような卑怯な行為。
 しかし、それでも止まらない願い。

「神楽……」

 恭也は、神楽の名前を呼びながら、そっと彼女が顔を覆う手を優しい手つきで一つずつ解いていく。

「きょ、う、ちゃん……」

 それからその手がそっと神楽の頬を優しく撫でた。

「あ……」

 恭也の目と合う。
 そこにはいつもの漆黒の瞳。神楽がいつでも安心できる理性と優しさを湛えた光がある。
 本当に彼は今、惚れ薬にその心を侵されているのだろうかと、思わずそんなことを神楽は思ってしまう。もしかしたら彼は本当は正気で、本心から自分の告白を受け入れ、今自分に口付けようとしているのではないか……
 だが、それは都合の良い妄想だ。彼は確実に薬に侵されている。そうでなければこうも優しく頬を撫で、顔を近づけてくるわけがない。

「恭ちゃん……」

 本当にいいのだろうか。
 再び浮かぶ躊躇。

「目、瞑るんだ……」

 だが、そんなものその言葉を聞いたときには、容易く吹き飛んだ。
 こんなにも自分は理性がなかったのかと神楽は思うが、そんな疑問も顔にかかる恭也の熱い息を感じたときには、砕けて消える。
 顔を上げ、そっと目を瞑った。

「んっ……」

 そして、熱いものが神楽の唇にそっと触れる。
 触れるだけ。ただそれだけであるというのに、酷く熱い。
 ファーストキスはレモンの味、などと仲の良い友人が言っていたが、そんなことはなく、感じられるのはその熱さだけ。

「恭ちゃ……ん」
「神楽……」

 まるで啄ばむように、二人の唇は何度となく触れ、重なった。
 あの恭也が、自分に口付けを落としている。
 夢――なのだろう。
 今だけの夢。
 明日を待つまでもなく忘れ去られ、自分も忘れなければならない至福の夢だ。
 諦めるつもりはないけれど、次はいつ感じられるのかわからない、もしかしたら二度と感じられないかもしれない幸福。

「ふっ……あっ……」

 薄く目を開ければ、目の前にいつ見ても端正な恭也の顔がある。ここまで近づいて見るのは、神楽でも初めてのことだった。
 神楽はそっと恭也の背に両腕を回す。その背中は大きすぎて、全部は回らない。だからそっと背中に触れ、撫でるようにして抱き締める。

「恭ちゃん……好き……アル」
「ああ。俺もだ」

 恭也の両腕が、神楽の背に回った。こちらは逆に大きすぎて、まるで神楽は自分の全てが恭也に包まれているように感じる。
 そっと触れるだけの口付けを繰り返す。
 それは神楽の生涯において、最も幸福な時間であった。
 だが、そんな時間は終わり、ゆっくりと恭也の顔は離れていく。
 そして――

「えっ!?」

 神楽はそのままゆっくりと押し倒された。

「恭、ちゃん?」

 背中に畳のひんやりとした感触が広がる。
 それで自分が、畳の上に寝転ばされたのだと、神楽は初めて理解した。

「あ……」

 まさかと思う。
 先ほど銀時が言っていた言葉が脳裏に過ぎる。


 ――惚れた腫れたの行き着く所なんて一つだろうが


 あのとき冗談のように、その行為の名前を上げようとしたが、実際には神楽にとって未知の領域。意味は知っているが、どのようなことをするのか、わかるのは基本的な部分だけで、細部については今一つよくわかっていない。

「恭、ちゃ、ん……」

 だからこそ僅かな恐怖が浮かぶ。
 しかし、神楽はすぐに拳を握り締めた。


 ――女は度胸アル!


 相手が恭也ならば、それがどんな行為でも受け入れられる自信が、神楽にはあった。
 恭也の顔が再び近づいてくる。それに神楽はきゅっと目を瞑る。
 あとのことは恭也に任せよう、そんなことを思い、暫く待つが、しかし予想に反して、彼から何のリアクションもない。

「恭ちゃん?」

 さすがにおかしいと思い至り、目を開けた。

「うえっ!?」

 すると恭也は、神楽に覆いかぶさるようにし、彼女の肩口に顔を埋めていた。
 これが大人の関係の第一歩なのかと、一瞬慌てるが、視線を横に向け、恭也の顔を覗き込むと、その目は瞑られている。そして、口からは規則正しい息遣いが聞こえてきた。

「あり? 寝てるアル、か?」

 しかし、そんな状態でありながら、恭也は両腕に力を入れ、神楽に全体重を乗せないようにしているのは、彼らしいというべきなのだろうか。

「そ、っか」

 そんな恭也を見て、神楽は寂しそうに笑った。
 本能的にだが、夢の時間が、至福の瞬間が終わったのだと理解できる。次に目覚めたとき、恭也は全てを忘れているのだ。
 もうあのような目を、微笑を向けられることは……ない。
 少なくとも、神楽が諦めてしまえば、二度とないのだ。

「ごめんヨ……ごめんネ! 恭ちゃん……!」

 神楽は手を伸ばし、己の肩に顔を埋める恭也の頬に触れた。
 自然と涙が溢れてきた。
 やはり先ほど思ったとおり、終わったと感じると、恭也への罪悪感が胸に溢れる。それはきっとあのまま続いたとしても同じだったのだろう。もしくはもっと酷いそれに苛まれていたのだろうか。
 相手の本当の気持ちを無視した最低最悪の行為。それがわかっていても止められないのが愛情なのだと、神楽はその日初めて知った。
 そして、それを理解したからこそ、神楽は愛しい人を抱き締めて、静かに涙を流す。
 けれど……この感触をいつかまた味わいたい、そう願いながら。



 ◇◇◇



 恭也が目を覚ますと、布団の中だった。
 隣には寝巻きに着替えた神楽が眠っている。

「きょ……ちゃ……ごめ……ネ……」

 恭也の隣に眠りながらも、謝罪の寝言を紡ぐ神楽を見て、恭也は眉を寄せた。
 神楽を起こさないように、恭也は上半身を起こす。
 どうやら神楽が布団を用意し、寝かしてくれたようだが、さすがに着替えさせるのは抵抗があったようで、恭也は着流しのままだった。

「神楽……」

 罪悪感から涙を流す神楽の目を恭也は指で優しく拭う。

「覚えてる……」

 今日の醜態の”全て”を覚えている。
 神楽にしたこと、言ったことも全てだ。

「ぬうっ……」

 そのために恭也は思わず、羞恥で顔面を片手で覆ってしまう。
 穴があったら入りたい……というかむしろ自分で穴を掘ってそのまま埋まりたい気分であった。
 あんなミスで――丁度いいタイミングで五感をごっそり持っていかれたとはいえ――惚れ薬を誤飲してしまったのは、恥じもいいところではあるが、その後の行動はもう、もはや羞恥で顔を覆い隠してしまいたくなるようなものばかり。事実、今覆っている。
 神楽に何かを残したいと思ってはいたが、まさかこんな思い出を残していくことになるとは思わなかった。しかもこの己が神楽のファーストキスを奪ってしまうとは。

「いっそ忘れてくれていた方が……」

 恐らく恭也に記憶が残っているのは、源外のコーヒーのせいだろう。
 しかし、記憶こそあるが、新聞を置いたあたりで、もはや恭也の意思はなかった。いや、あるにはあったのだが、なんと言えばいいのか、まるで夢とわかる夢……明晰夢を見ていたような感覚。しかし、夢とは違い、現実だとわかるのに、身体と心の言うことが聞かなかった。
 だが、それは確かに現実で、恭也は神楽の唇に己の唇が触れた感触まで確かに覚えていた。
 忘れてくれていた方が楽だった。
 そう思うが……

「きょう……ちゃん……」

 切なげに自分を呼ぶ神楽を見て、残っていてよかったのかもしれないとも思ってしまう。

「すまない、神楽」

 それでも明日になれば、恭也は忘れたフリをしてしまう。そうでなければならないのだ。
 保護者だから?
 違う。そんなことじゃない。

「俺はもう……」

 神楽の傍にはいられないから。
 いつか神楽も、今日のことを子供の頃の淡い思い出とできるときがくるはずだ。未来の恋人には言えないだろうが、それでも甘酸っぱい初恋の思い出として、自分が残ってくれるなら、それは嬉しいことかもしれない。
 だからこそ、今は夢にしなくてはならない。忘れてしまったことにしなければならなかった。淡い思い出であるのはいい。だが、それが本当の願望になってはいけない。
 恭也には、もう未来はなく、神楽がどれだけ望もうと、彼女が思い描く関係は、恭也とは決して築けないのだから。
 もしもこの世界にずっといられたなら、違ったのだろうか。
 少なくとも神楽が己への想いに何らかの決着をつけられるまでいられたならと、思わずにはいられない。だからと言って、お前の想いは受け止められないとも告げられないのは、弱さなのだろうか。

『恭ちゃんからすれば、私はまだ子供だけど……でも! それでも恭ちゃんが好きアル! 娘じゃイヤヨ! 妹もイヤネ! 女としてみて欲しいアル!』

 それはきっと神楽の心の叫びだ。
 幼いなりに必死さに溢れた感情の爆発。
 それに答える言葉は決まっている。

「俺もお前が好きだぞ。愛している」

 それは先ほども告げた言葉。だが惚れ薬の効果にあった自分が告げた言葉。
 それは真実でもあった。
 家族として好きだ。娘として愛している。妹として何より大切だ。
 だが、

「愛しているよ。お前を」

 そこに神楽が望む、女としてはない。
 あってはならない。
 けれど、
 しかし、
 もし……もしも……

「ずっと……お前の傍にいたかった……」

 恭也に未来があったなら……
 そんな未来も確かにあって……
 きっと……神楽を受け止められたのだろう。





 結局のところ、愛染水という新たな惚れ薬の騒動は、さほど広がることなく終わった。
 その原液を作っていた組織は、何でも怪物のように強い二刀流の剣士に襲撃され、構成員の全てを半殺しにされた上で事実上壊滅したのである。またその顧客リストは、謎の人物から真選組へとリークされ、ほとんどが押収された。
 押収を免れた薬が吉原内で何度か使用されたこともあったが、しばらくの間吉原の女たちには、源外のコーヒーが配布され、その効果で惚れ薬の効果が中和されて、そこまで事件になることなく、この件は収束されたのであった。
 しかし、収束されたときには、一番の功労者であった男は、もはやこの世界に姿はなかった……
 この薬で残されたものは、ある少女への罪悪感と幸福と最後の思い出の一つ。
 たったそれだけ。
 ……それだけだったのだ。



 そして少女は、その騒動が完全に収束されたとき、ただ一人ある男を探し続け、そして同時に帰りを待ち続けていた……



メンテ
Re: 二刀の剣士が帰る場所 ( No.10 )
日時: 2015/06/10 07:09
名前: テン




 ●何もかんもが唐突。日常に割り込む唐突な終わりとしての一応はわざとなんですが、そのうち改訂、もしくは間として六.五話をぶち込んだりするかもしれません。






 第七話 離別





 惚れ薬の事件から五日が経った。
 翌日こそ神楽はどこか恭也に遠慮したり、緊張していた節があり、また時折恭也の唇を見て、顔を真っ赤にさせるということを繰り返した。その姿によって、銀時と新八が『ああ、やったな』と言いたげな表情を浮かべていたのだが、それに気付いたのは恭也だけである。
 二日も経てば、神楽もある程度心の整理をつけたのか、いつも通りに戻り、しかしそれまで以上に恭也へとスキンシップを繰り返すようになった。
 恭也の方はさして変わらない。記憶を失ったフリをし、その事実は誰にもバレていない。銀時や新八などは、そんな恭也に薬の効果があった時のことを苦しい言い訳で濁していて、むしろそれには恭也の方が謝罪したい気分であったのだが、それをできないことが心苦しかったぐらいである。
 今から遡ること四日間。今日を入れての五日間は、本当にいつも通りの日常だった。
 恭也が誰かをからかい、神楽と銀時がボケて、新八が突っ込む。
 小さな依頼をこなして、出会った真選組の者たちと少しばかり睨みあい、お登勢やたまに家賃を払えと追いかけられて……
 家に帰れば神楽と語り合い、甘えてきた彼女と共に眠る。
 幸福な、いつも通り……

「銀さん! 今日の依頼料、パチンコに使わないでくださいよっ!」
「酒にもアル」
「うっせーな。ケチケチすんなよ。倍にしてやっから」

 今日もまた迷子の猫捜しといういつも通りの依頼をこなし、万事屋に戻る途中だった。一日捜し続け、ようやく目当ての猫を捕まえ、依頼人に渡したときには、すでに空は朱色に染まっていた。
 そんな中を四人は川の横にある土手をゆっくりと歩く。

「…………」

 しかし恭也は、少し後ろに離れ、三人の会話に加わらず、黙って彼らの背中を微笑を浮かべて眺めていた。

「新八、今日はご馳走にするアルヨ!」
「駄目だよ、神楽ちゃん。最近依頼少なくて……ああ、いや、そんなこと関係なくうちは火の車なんだから。今回の依頼料はちゃんと考えて使わないと」
「ぱっつぁん、もうお前言ってること完全に主婦だぞー」
「僕をこんなにしたのはどこのどいつだ!?」

 その姿はいつも通り。
 この五日間と同じ、本当にいつも通りで……
 だけど――

「っ……!」

 耳鳴りのようなものがして、次の瞬間には目の前で騒ぐ三人の声が一気に遠くなった。足を前に出しているはずなのに、自分が歩いているのかさえわからない。目の前がまるで壊れたテレビに映る砂嵐のように揺らいでいく。身体の末端部分の感覚は最早ない。
 どうしたって心は騙せない。
 もう自分は、元の世界への未練は欠片ほどもなくなってしまったのだ。むしろここから離れたくないと思ってしまっている。
 だからこそ……


 ――ここまでか


 本能的にだが、恭也は己の存在の限界を感じ取った。
 いつ来るか、と思っていたが、こんな場面で来るとは思っていなかった。
 しかし、終わりなど得てしてこんなものなのだろう。いつもの日常に突然入り込み、割り込んでくるものだ。そうして唐突に終わってしまう。
 このまま彼らに気付かれないまま消えてしまうのが、きっといいのだろう。いつのまにかいなくなってしまった人間。それで終わってしまった方が、きっと彼らに重いものを背負わせずに済む。
 ただ最後に彼らを眺めながら、誰にも知られることなく消えていく、その方がいいはず。
 だけど、最後の我侭だ。
 このまま消えたくない。
 最後に彼らの顔を見たい。言葉を交わしたい。
 我侭とわかっても、その願いは止められなかった。

「神楽、銀、新八」

 恭也は足を止め、三人を呼び止める。

「恭ちゃん?」
「あん? 恭?」
「恭也さん?」

 三人もまた足を止め、恭也に振り返った。
 揺れる視界の中で、三人の顔を頭の中に刻み込む。決して忘れてなるものかと、この声を心に掘り込んでいく。
 そうしたとき、また視界がブレて、三人の顔がわかりづらくなり、声が聞き取りづらくなった。
 だけどいい。あとは言葉を残すだけだ。

「俺は心の底からこの世界で生きていきたいと思ってしまった。お前たちといると、元の居場所への未練が削れていった。けれど戻りたくないからこそ、過去に思いを馳せる。そんな矛盾みたいなことを繰り返していた」
「恭ちゃん、どう、したノ?」

 恭也の突然の言葉に、神楽が首を傾げる。
 だけど恭也は、それには何も答えない。

「だがもう無理だった。薄情と言われようとも、かーさんの顔も声も、美由希の顔も声も、なのはの顔も声も、フィアッセの顔も声も、もはや遠すぎてぼやけた形でしか思い出せない……どうしたってこの世界にいたいという思いが上回るだけだった」

 きっと三人には、意味のわからない言葉の数々。
 けれど、残しておきたかった。
 自分がどれだけこの三人を愛おしいと思っていたのかを。

「もう、俺はこの世界から離れたくないんだ。あの世界に未練はなくて、ただ神楽と共に幸せに過ごし、銀や新八と楽しく生きていきたい」

 それは誰もが描く夢でありながら、自分が描くには酷く身勝手な願いだったのだろう。
 だから――

「さようなら、だ」

 恭也は、意識して笑みを浮かべる。
 元々感情の乏しい恭也ではあったが、笑うという行為は彼にとって最も浮かべるのが難しい表情。
 だから上手く笑えている自信はない。だが、だからこそその印象深さに、彼らの記憶に少しでも残ってくれるならと、それを浮かべてみせた。

「恭、お前、何を言って……なっ!?」

 ようやく恭也の様子がおかしいことに気付いて、銀時は眉を寄せた。だが、いつも眠そうに垂れている目が、次の瞬間には大きく見開かれる。

「って、恭也さん!? 手が!?」

 しかし、そんな銀時よりも前に、新八が叫んだ。その目を銀時同様に大きく見開かせる。

「うん?」

 少しばかり遠い声だったが、何を言ったのか何とか聞き分けた恭也は、三人が視線を向ける右手に目を向けた。
 その手が崩れていく。まるで乾いた土が砂となって崩れていくように。サラサラと己の身体の一部だったものが空中に舞っていった。
 反対を見れば、左手も同様。

「はっ、消えるんじゃなくて、崩れるのか。どうなっているんだか。これも呪いとして恐怖させるための演出か?」

 何とも気の利いた呪いではないかと、恭也は鼻で笑う。
 もうとっくに覚悟していたことだ。自分の身体がどうなろうが、恭也は聊かの恐怖も湧かなかった。

「恭ちゃんっ!」

 状況はわかっていないだろうが、身体が崩れるという禍々しさに神楽は叫びながら駆け出そうとする。

「来るなっ!!」

 しかし、恭也にしては珍しい怒号にも似た大声に、その足を止めた。神楽でもそう聞くことがない恭也の大声。それが効いたのだろう。

「来ないでくれ」

 今近づかれたら、どうなってしまうのかわからない。もしかしたら彼らに何かしら呪いの影響を残してしまう可能性は0ではないのだ。
 自分のことはいい。だが、彼らが呪いに巻き込む可能性を少しでも残すわけにはいかない。もちろんそんなことを思うなら、最初から一人で消えてしまえばよかったのだということもわかってはいるが……
 恭也はさらに擦れていく視界に、銀時を入れた。十数年前より見慣れた銀髪が、夕暮れの光に輝いて見える。

「銀、酒と甘味はほどほどにな。ああ、甘味のレシピは俺の家に置いてある。もし食べたくなったら妙さんに……いや妙さんは無理か。まあ自分で作ってみろ。晋介たちのこと、うまくやれ。お前ならきっとできるさ。それと……前に言ったとおり、神楽を頼む。お前になら任せられるから」
「おいっ、ちょっと待てよっ! 恭! なんなんだよそりゃあ……っ!? ……おいまさか、あのとき言ってたの本当なのかっ!? 神隠し、ってなんだそりゃあ!?」

 銀時がらしくもなく、己の髪を片手で掴み、慌てている。恭也とは違う意味でいつも泰然としていたはずの彼のそんな姿を見て、思わず場違いにも苦笑してしまう。
 神楽とは違う意味で、銀時を傍で見守れないのは心配でたまらないのだが、彼のおもりは桂に任せようと、しばらく会っていない長髪の昔なじみに心の中で頼むと告げる。
 それから新八を視界の中に。
 眼鏡が夕日を反射させて、新八がいる場所は容易にわかった。しかし、その向こうの瞳は動揺に揺れているのも何となくわかる。

「新八、お前の将来の姿が見たかった。それだけは本当に心残りだ。だが、お前ならきっと道場を再興させられる。お前はお前が思っているよりも、ずっとすごい男だ。妙さんと仲良くな」
「なんなんですかそれ……! なんなんですかっ!? そんなお別れみたいなっ! どうなってるんですか!? 病院!? でもそんな症状! ああもしかしたら源外さんならっ!」

 人の身体が崩れる。そんな異様とも言える光景を目の辺りにして、新八もまたどうしていいのかわからず慌てふためいていた。
 本当に、新八の未来が見れないのは、神楽の未来が見れないのと同様に、酷く心残りだった。彼ならばきっと良い男になっただろう。そうなれるだけの素質が、彼にはあるのだから。
 そして……

「神楽……」

 さらに擦れていく視界に、神楽を収めた。
 夕暮れの色と同じ、見慣れた朱色の髪。その宝石のように綺麗に輝く碧眼。幼くも勝気な表情。それらをもうはっきりと見ることはできなかったが、見ることはできなくても恭也の心にそれらは深く刻まれていて、擦れる彼女と重なる。

「神楽……幸せに、な?」
「恭、ちゃん……待って、待ってヨ!」
「俺は、お前に出会えて良かった。元の世界に帰りたくないと思ってしまうほど、お前との生活は……何物にも変えがたいものだったよ」

 ようやく三人も、事態の異様さに置いていかれていた精神が戻ってきたのだろう。それまで以上に目を見開いていた。
 人の身体が崩れていくというありえない光景。そんなものを見せ付けられればそうもなると恭也は場違いにも思う。

「恭ちゃん!」
「恭!」
「恭也さん!」

 しかしだからこそ、もはや恭也の制止の言葉など無意味だった。三人は慌てたように駆け出そうとしている。
 しかし、そんな神楽たちへと見せつけるように、恭也の身体の崩壊は早まった。ギチギチと音をたてるように、彼の身体は崩れ、着流しに見える首元や頬にはヒビが入る。
 もはやそれはもう人の姿ではなかった。まるでマネキンが壊れていくような非現実性。
 恭也は力の入らない身体に、顔に、最後の力を込める。

「ありがとう、神楽、お前とともに過ごした年月は何よりの幸福だった。ありがとう、銀、新八、お前たちと過ごした時間は何より楽しかった」

 恭也の首を傾げるようにして、駆け寄ってくる三人の顔を最後に見つめ――

「さようなら、皆」

 本当に最後にできるだけの笑みを恭也は浮かべた。
 その瞬間、恭也の意識は全てを見せ付けられるようにゆっくりと落ちていき、その身体が崩壊していくのを自覚する。

「恭ちゃんっ!!」

 それでも最後に、番傘を投げ出して、手を差し伸べてくる最愛の人物の姿と声を、向かう先がどこであれ……決して忘れないようにと魂へと刻み込んだ。
 そうして高町恭也は……この世界から、身体も心も全て消失した。


メンテ
Re: 二刀の剣士が帰る場所 ( No.11 )
日時: 2015/06/10 07:11
名前: テン




 ◇◇◇



 サラサラと『高町恭也だったもの』が、川の方へと風に撒かれて飛んでいく。朱の陽射しを反射し、それは非現実性をもって、神楽たちの目の前から消えていった。

「恭ちゃん……?」

 恭也の身体に飛び込んだはずなのに、神楽の手の中に残っているのは、恭也が着ていた黒い着流しだけ。常に彼と共にあった二刀の八景さえも残っておらず、彼がそこにいたという痕跡はもう、その着流しだけだった。
 着流しだけが残ったからこそ、余計に恭也が突然消えた……いや、崩れ去ったことに現実感をもたせる。
 まるで出来の悪いホラーだ。

「なに……アルか、これ?」

 神楽も頭が追いついてこない。
 突然呼びかけられ、振り向けば恭也がこの前とも違う切なげな表情で笑いかけてきたときには、神楽も悪い予感はしていたのだ。
 飛び出てきたのは、意味のわからない言葉の数々と別れ。
 本当に全てが突然すぎた。
 つい先ほどまで、何の変哲もないいつもの日常を過ごしていたはずなのに、唐突に非日常が割り込んできた。だからこそ頭がうまく働かない。
 今の今、目の前で起こったことに対して、脳が処理することを拒んでいる。けれどそのままでいるわけにはいかなくて、きっとこれも日常の一部なのだと言い訳を始めた。

「恭也さんの、い、いつもの冗談だよね?」
「あ、当ったりめェだろ。人がそんな、崩れていなくなるなんて、んなこと現実にある訳がっ!」

 新八は青い顔をして辺りを見渡し、銀時もまた常日頃の泰然とした様子は消え、焦りの汗を流し、川辺に視線を向ける。
 けれど、そう、何かが違うことは、三人とも理解していたのだ。
 恭也の身体が崩れ去り、消失してしまったという事実。
 それは決して……夢幻ではないのだ。
 どれだけ非現実的な光景であっても、あれはは確かな現実だった。それがわかるぐらいに……最後の恭也の顔は真剣で、何より大切な者を見るように、三人に視線を投げかけていた。
 それが嘘なわけがない。どれだけからかうのが好きだって、悪戯が好きだって、冗談が好きだって、それでも彼はついていい嘘や冗談と、ついてはいけないそれらを理解している。高町恭也という人間を良く知る三人が、それを見間違えるわけがない。
 けれどそんなのは認められない。認めるわけにはいかないのだ。

「き、きっと私たちを驚かせるために、先に家に帰ったアル」
「い、いや、万事屋じゃないかな?」
「だ、だよなー、いや、銀さんは気付いてたよ?」

 こんなこと現実であっていいわけがない。
 人の身体が崩れ、何もかも吹き飛ばされて消えていくなどという現実。それはある意味、人の終わりとして最悪の形。それを認められるわけがない。それが自分たちの大切な者であるというのなら尚更に。
 だからこれは、恭也が自分たちをからかっているだけなのだと言い聞かせ、三人は駆け出した。
 絶対にどこかにいるはずだと。
 銀時と新八は万事屋まで走り、神楽は恭也の着流しを抱えて自宅へ。
 その中で、神楽は異様なほど自分の息が切れていることを自覚する。顔から流れる大量の汗が鬱陶しくてたまらなかった。走り方も無茶苦茶で、早く走りたいのに速度が出ない。
 途中ですれ違う人たちが、なぜか自分を振り返る。

「なんか可愛い女の子が、大泣きしながら走っていったんだけど」
「はあっ? なにそれ? 男にでもフラれたんじゃないの?」

 置き去りにした後方から、そんな会話が聞こえた。自分はそんな人物見なかったが、と場違いにも神楽はそんなことを考えたが、やはり今はそんなことはどうでもいいと首を降る。
 早く恭也を見つけて、こんな悪戯は駄目だと叱ってやらないといけない。自分が恭也を叱ったことなどあまりないので、どんなふうにすればいいのかわからないが、けれど今回のは駄目だ。そこまで怒ってはいないが、怒ったふりをしてでも叱らなければなるまい。
 だから――

「早く出てきてヨぉ……! 恭ちゃんっ……!」

 神楽は喉を震わせて叫んだ。
 あんないなくなり方ズルすぎる。からかっているだけだってわかっていても、どうしたって心配してしまうではないか。
 どれくらい走ったのかはわからない。恭也と共に歩きなれた道。夜兎である神楽が全力で走れば、さほど時間がかかるわけもない道のり。だというのに、いつの間にかもう陽が沈んでいた。
 それでも神楽は自宅へとたどり着き、転がるようにしてその中に駆け込んだ。

「恭ちゃんっ!」

 けれどそこには光一つなく……

「ただいまヨ、恭ちゃん……」

 いつもならば、それでも温かみがあったはずのそこは、異様なほど寒々としていて……

「ねぇ、恭ちゃん? いるんデショ……? 先に帰ってるんだよネ?」

 まるで恭也と共にここで過ごしてきた毎日さえ嘘であったと言いたげに……

「恭ちゃんっ!! お帰りって言ってヨっ!!」

 そこには闇だけが広がっている。
 その闇の中で、神楽の顔から大量の輝く雫が落ちて輝き、腕に抱えた恭也の着流しに降りかかった。


メンテ
Re: 二刀の剣士が帰る場所 ( No.12 )
日時: 2015/06/10 07:12
名前: テン




 ◇◇◇



 恭也がいなくなって五日が経った。
 当然ながらその五日間、神楽と銀時、新八の三人は恭也を捜し回ったし、知り合いにその所在を聞いて回り、仕方ないと警察に失踪届けも出した。どこで嗅ぎつけたのか、それを知った真選組も、仕事の傍らに手伝ってくれた。なんでも近藤が暫く前に会ったとき、妙なことを言っていたため元々心配していたらしい。惚れ薬の件で忙しいであろう月詠や妙らも、仕事先などで聞きまわってくれていた。
 けれど三人は、恭也がどのようにしていなくなったのか、それだけは誰にも言えていない。言えるわけもなかった。あのようにして人が崩れ去るなど、どうして言えるものか。
 そしてこの五日間で、神楽の憔悴が激しい。
 銀時がしばらくは万事屋に泊まれと言っても、それも聞かない。新八と妙が自分たちの家に来て休めと言っても、拒絶した。そうして毎日家で、恭也が帰ってくるのを待っている。夜も碌に寝ていないのは、その白い肌の上にできる黒い隈を見れば一目瞭然であった。
 今は何とか銀時と新八が、少しは休めとほぼ無理矢理にソファの上に寝転ばさせたのだ。それを見張るためもあり、銀時と新八もまたその場に留まる。
 万事屋に集まっている三人。それはある意味いつも通りの光景だ。だが、一人足りない。今までだって恭也が、何日か離れることなどそれなりにあった。だというのに今は酷く物悲しく感じる。
 最も憔悴しているのは神楽だが、実際には銀時と新八もさして変わらない。非現実的であった恭也が崩れていくという光景は、日が経つにつれ、忘れる所か逆に現実味を帯びさせていた。彼の身体が崩れていく姿が、何度も脳裏に過ぎり、眠ればその姿を夢に見るのだ。
 そんなとき万事屋に引き戸が叩かれる音が響いた。
 少し前までは、もしかして恭也かと一々神楽は飛び出していっていたが、もはやそんな様子はない。そもそも恭也は、万事屋の戸は鍵でもかかっていない限り叩かない。
 しかし、もしかしたら協力してくれている人たちが、何かしらの情報を手に入れたのかもしれないと、新八が応対に出た。
 暫くして、新八は一人の身なりのいい男を伴ってリビングに戻ってくる。

「悪ィけど今は取り込み中だ。依頼ならまた今度にしてもらえねェ?」

 銀時は、その男に素っ気無く言い、連れてきた新八を軽く睨んだ。
 しかし、新八が反論をする前に、男が自分は恭也の知り合いだと名乗り、名詞を銀時に渡す。そこには弁護士という職業と連絡先、事務所や男の名前やらが書かれていた。
 恭也ならば、そんな知り合いがいてもおかしくはないが、その恭也が今はいないということを少しばかり苛立たしげにやはり銀時が告げると、男はわかっていると頷く。
 わかっているとはどういうことかと問えば、そもそも恭也は男に頼みごとをしており、また事前に報告もなしに、定期連絡が途絶えたなら色々としてほしいと依頼されていたという。そのための報酬もすでにもらっていて、そうでなくとも彼には世話になったから反故にする気はないと苦笑気味に男は語った。
 今日は連絡が途絶えて八日目に当たるという。

「定期連絡?」

 新八が眉を寄せながら呟くと、男は頷き、二年ほど前まで一ヶ月連絡が途絶えれば、それが一年前には二週間になり、三ヶ月前には一週間になったという。まるで自分がいつかいなくなることを知っていたようだった、と不思議そうに語る。
 男は三人の顔を見渡し、本来ならば恭也に頼まれていた彼の失踪に関しての法手続きやそれまでの彼の財産の管理、また相続関係についての話をしにきたが、今のあなたたちにそれは酷なようだと申し訳なさそうに告げ、しかしこれだけはと、持ってきていた鞄から、なにやら四通の封筒を取り出し、テーブルの上に並べた。
 それはやはり自分との連絡が途絶えたなら、特定の人物に渡してくれと頼まれたものであると言う。
 その封筒には、それぞれ『万事屋へ』『神楽へ』『銀へ』『新八へ』と見慣れた恭也の筆跡が踊っていた。男は恭也が、まず全員で万事屋への封筒の中身に、目を通してほしいと言っていたと告げてくる。
 男はその封筒を残し、もう少し落ち着いたころにまたきますと、頭を下げて万事屋から出て行った。
 残された三人は、どこか呆然とその四通の手紙を眺めていた。
 恐らく、この手紙はある意味最悪なものだという予想は、三人ともにあった。希望を持っていたいなら読んではいけない。
 しかし、やおら銀時が万事屋へと書かれた手紙の封を開ける。

「銀ちゃん!?」
「このまんまいつまでも立ち止まってるわけにはいかねェだろっ。俺たちゃァ状況一つわかってねェんだっ……」

 咎めるように呼ぶ神楽に、銀時が声を荒くして言いながら、封筒の中を覗き込むと一通の手紙が入っていた。
 ある意味では誰もが予想通りで、銀時はその手紙を開く。
 新八は銀時の横からそれを覗き込み、神楽はどこか恐れるように近づいてこない。だが、銀時はわざわざその神楽に聞こえるように、手紙の内容を口にしていった。
 この手紙が届いたということは、自分は死んだか、どこかに消え去ってしまったか、どちらにしろもう自分はいないのだろうという出だしで、やはり恭也はあのように自分が崩れ去ってしまうことに気付いていたのだと、三人は顔を歪めた。
 万事屋全員にと残された手紙に記されていたのは、半分は事務的なこと。
 自分が消えたあとに対する問題の対処法。法関係の手続きが必要な場合、この手紙を届けてくれた男に頼ること。もし仕事で情報などが必要な場合、頼れそうな人物等々。万事屋の仕事で、生活で面倒ごとが起こったときに必要なことや役に立ちそうなこと、頼れる人物など書き記されていた。人物に関しては、事前に全て頼んであるとまである。

「あの馬鹿。んなこと口で言えばいいだろうがっ……!」
「でも、恭也さんらしいです」

 自分がいなくなったあとのことを案じているのが、それだけでよくわかる。
 そして残された半分は夢物語。
 恭也はこの世界の人間ではなく、幼い頃に呪いによってこの世界に飛ばされたらしいこと。その呪いの簡単な効果と内容。彼が本来いた世界のだいたいの概要も付け加えられていた。
 呪いの効果で実際に日に日に、この世界との繋がりが失われていることを実感していること。
 半年ほど前ぐらいには、もう自分がこの世界から消失するのは避けられないと自覚していたこと。その先が元の世界への帰還なのか、それとも死なのかはわからないともあった。
 信じる信じないは任せるが、恐らくもう二度と戻ってくることはできないだろう、という言葉で締めくくられている。

「呪い……」

 新八が呟きながら、眉間に皺を作った。
 別にそんなものがあってもおかしくはない。彼らには陰陽師の知り合いもいるし、その者たちが操る鬼なども見たことがある。何よりも、恭也のあの消え方は、確かに呪い染みていた。

「クソがっ……」

 銀時は我知らずと悪態をつく。
 どうして今まで気付かなかったのか。気付ける場面など腐るほどあったはずだ。あの深夜の酒盛りなど、まさに今考えれば、恭也からの最後の願いに等しいし、神隠しの意味も今ならば銀時も理解できる。
 ここ最近忙しかったのだって、恐らくこの手紙にある頼れそうな人物たち、というのに挨拶周りでもしていたのだろう。自分が消えてしまう。その先は生か死かもわからない状態で、最後まで高町恭也という男は万事屋を、三人を、何より誰よりも神楽を案じていた。
 十年以上の付き合いの中で、そんなことに一切気付かなかったのだ。

「恭……」

 元の世界に戻ってくれていたならばまだいい。
 だが、もし……
 あの消え方は、戻ったよりももっとまずいものに見えた。そう考えてしまう程度に、恭也の終わりは異質であったのだ。
 しかし、それを確認する術は、銀時たちにはなかった。
 そうして今度は、それぞれが自分にだけ残された封筒を取り、銀時と新八は中の手紙に目を通す。

「…………」

 神楽は、封筒をどこか呆然と眺めていた。
 崩れ去り、消失した恭也。別の世界。その世界への帰還。
 恭也が消えていく場面と、先ほどの手紙の内容が神楽の頭の中で回る。
 どうしていいのかわからなかったが、神楽は顔を歪めながらもようやく封を切り、中の手紙を取り出した。
 内容は先ほどと大して変わらない。だがこちらは半分どころかほとんどが事務的、というよりも何かあった場合に頼るべき人たちのことが書いてあった。
 夜兎の特有の病気に罹ったなら。将来宇宙に出るつもりなら。等々様々な人々、そのコンタクトの仕方。中には夜兎を診てくれ、また詳しい医者――確か闇医者でもあるらしい――を含め、神楽がすでに知っている者も多い。
 他は金銭面のことなど、生活に必要なことをどうすればいいのかなど、数枚の紙に詳しく、丁寧に書かれていた。
 それだけで、どれだけ恭也が自分を大事にしてくれていたのか、神楽にもよくわかった。
 けれど、

「恭ちゃん……なら……傍にいてヨ……」

 こんなものを残すぐらいなら、ずっと傍にいてほしかった。
 ぼやける視界の中で、神楽は手紙を読み進める。
 残るはたった一枚。
 そこまでに恭也の想いは何もない。手紙というには固く、本当に事務的なものに見えてしまう。
 しかし、最後のそこには、短いながらも恭也の本当の言葉が綴られていた。
 唯一の想いがあった。

『神楽、愛している。例えお前がこの手紙を読んでいるとき、俺が死んでいたのだとしても、元の世界に戻っていったのだとしても、本当に消えてしまったのだったとしても、それでも俺はお前を愛していた。
 心残りは、お前の花嫁姿を見れなかったことだ。お前が好きな相手ならばそれでいい。愛した男と一緒に、幸せになれ』

 愛している。
 この間の惚れ薬のときに言われた言葉。
 しかし、この手紙に綴られていた文字は、彼の本当の言葉だ。

「恭ちゃん……」

 神楽の瞳から雫が落ちてくる。それが手紙を濡らした。

「恭也さん……」

 新八もまたその横で涙を流す。

「…………」

 銀時は、ただ目を瞑っていた。しかし、その端に僅かに光るものがある。二人と違いそれが零れることはない。
 神楽は、そんな二人にも気付かず、肩を震わせる。

「や、やっぱりいつもの悪戯アル! 私たちのことからかってるだけネ! こんなものまで用意して、五日もいなくなって、恭ちゃん、大げさすぎるアル!」
「神楽ちゃん……」

 身体を震わせながら、それでも希望に縋りたいと叫びを上げる神楽に、新八は涙に濡れたままの目で、切なげに見つめた。
 その気持ちは新八にもよくわかっている。

「じゃあ、あの光景はどうなんだよ。あいつが崩れていったのは」

 銀時は、目の端にあるものを見せないようになのか、それともそれを零したくないからなのか、天井を見上げて力なく言う。
 銀時だって希望に縋りたいのは同じだ。だが、それは駄目なのだ。終わらせてやらなければ、むしろ恭也を心配させてしまうことになる。

「源外ジイさんのカラクリアル! ほら、ツッキーが来た日、恭ちゃん、ジイさんのところ行ってたデショ!? だから、そのときジイさんに手伝ってもらって……!」

 惚れ薬のインパクトで忘れかけていたこと。そこに希望を見出して、神楽は言い募った。
 それから神楽は隣にいる新八に詰め寄り、その襟元を下から手紙を持っていない左手で掴み上げる。

「新八! お前、この前ジイさんのところに聞きにいったんダロ! そのとき何か……!」
「僕が行ったとき、源外さんいなかったんだ。どこかに出かけてるみたいで」

 ほらみろ怪しいじゃないかと、神楽は涙を流したままそれでもやっぱりだと笑う。

「今度は私がジイさんのところ行ってくるアル! それで恭ちゃんの居場所聞き出してやるネ!」

 神楽は新八から手を離すと、手紙をチャイナドレスのポケットの中に突っ込んで、全速力で万事屋から出て行った。

「神楽ちゃん!」

 それを止めるように新八が手を伸ばしつつも、手ではもはや間に合わないと同じく駆け出そうとする。
 が、それを銀時の方が肩を押さえて止めた。

「行かせてやれ、今は」
「銀さん……」
「全部自分で、思う存分あいつのこと捜さなきゃ……でなきゃ今の神楽は何も信じねェよ」

 けれどそれは同時に自分の手で希望を叩き壊し、叩き折ることに他ならない。
 全ての希望を叩き壊し、叩き折ってしまったあと、神楽はどうなってしまうのか。
 銀時は、何度も己の銀髪をこねくり回すように、頭を乱暴に掻いた。

「ったく、あいつが神楽を男とくっ付けたがってた本当の理由、今更ようやくわかった」

 おそらく恭也は、こうなることも予期していたのだろう。
 神楽を狙う夜兎から守ってほしいというのも確かにあったろうが、それ以上に神楽が諦めきれない可能性を下げたかった。恭也を待ち、捜し続けてしまうことを何よりも案じていたのだ。だからこそできるだけ、神楽の中での己の優先度を、重要度を下げておきたかった。
 恋人という自分よりも重要な人間ができれば、それも容易になるだろうと。
 己を待ち続け、捜し続ける神楽を止める者。恭也が本当に神楽の傍にいてほしかったのは、そんな男であったのだ。

「あの馬鹿。本当に面倒臭ェもんばっか残していきやがって。次に会ったときは絶対ェしこたま甘味作らせてやる」

 銀時は魂の底から深々と息を吐き、全身から力を抜く。
 しかし、口の出た言葉とは違い、己が崩れ去る前の姿の友と再び出会うことは、恐らくもうないのだと、銀時は心のどこかでそう思った。


メンテ
Re: 二刀の剣士が帰る場所 ( No.13 )
日時: 2015/06/10 07:13
名前: テン




 ◇◇◇



 神楽は町を全速力で駆け、カラクリ堂まで辿り付く。そして、ほとんど蹴破るような勢いで、その戸を開け、中へと飛び込んだ。

「ジイさん!」

 カラクリやその部品、工具で溢れ、オイル臭い工房を神楽は首を振って見渡す。
 しかし、そこに源外の姿はない。新八の言う通り、数日がかりでどこかに出かけているのかと、神楽は唇を噛む。

「なんでェ、そんなに慌ててよ。こっちは四日もかけて出かけて、疲れてんだ。もう少し静かに入ってきてくれや」

 だがそんな言葉とともに、源外が奥の部屋からのっそりと出てきた。
 口にした通り疲れているのか、いつもの力がない。

「ジイさん! 恭ちゃんをどこ隠したアルか!?」
「…………やっぱ恭の字の野郎、どっか消えやがったのか」

 突然来訪した神楽の言葉。だが源外はそれに一切驚くことなく、短く嘆息して疲れからなのか肩を落とした。
 しかし、それを聞いた神楽の方は黙っていられるわけもなかった。
 神楽は突進するような勢いで源外に近づき、彼が着るツナギの襟首を掴み上げる。

「恭ちゃんどこに隠したアルか!? すぐに出すネ!」
「おいコラ嬢ちゃん! ちったァオイボレを労われ!」
「そんなんどうでもいいアル! 早く恭ちゃんを出すヨロシ!」
「知らねェよ! むしろ俺の方が聞きてェぐらいだ! どうして俺に聞きやがる!?」
「なら何で恭ちゃんがいなくなったこと知ってるネ!? ジイさんずっと出かけてたんダロ!? どうせジイさんが協力したアル! じゃなきゃあんないなくなり方……!」

 そう言葉にしている間に、襟首を掴む力が抜けていき、またも神楽の両目からぼろぼろと涙が落ち始めた。
 それを見て、源外はおいおいと驚いた声を上げ、絶句する。
 当然の反応だ。神楽が泣くところなど、源外は初めて見た。感情表現豊かな神楽ではあるが、人前で悲しみ、涙を見せることなど滅多にないし、見せる者も限られている。
 源外は、大きく息を吐き、ゆっくりと神楽の手を離させると、近くの作業台に投げ出されていた四角い板のようなものを手に取った。
 乱暴にそれを神楽に手渡す。
 神楽が渡された物に視線を落とすと、それは小さなテレビ……いや、カーナビのような形をし、液晶画面がついていて、何やら星々が映っている。
 太陽や地球が映っているところから、太陽系の映像だろう。なぜか地球の上に二つ小さな小さな光点がある。

「何、アルか? これ? 宇宙?」
「ああ、一度電源切ったから宇宙図に戻っちまったのか。脇のボタン押して、拡大してけ」
「そんなのどうでも……!」
「いいから言うとおりにしやがれ。恭の字のこと知りてェんだろ?」

 源外のそんな言葉に、神楽が顔を歪めながらも言うとおりに脇についたボタンを押すと、やはり言うとおりに画面が拡大され、地球に近づいていく。何度か繰り返すとそれは日本の地図となった。
 江戸からそれなりに離れた位置に、やはり光点が二つ重なり合うように輝いている。

「その光がある所に恭の字が……いや、少なくとも恭の字が持つ刀があるはずだった」
「どういうことアルか!?」
「オメーさんが前に言ったんだろうが。恭の字が今にも消えちまうように見えるから、そのとき見つけられるようなカラクリはないかってよ」

 確かに結構前だが、そんなことを源外に言った覚えが神楽にもある。
 丁度、月夜の下で恭也にお酌をした日。まだ一ヶ月ほと前なのに、もう遠く感じてしまうほど感じるその日が明けて、源外のところにきて、そんな話をした。
 ただあれはどちらかと言えば不安を口に出して、それを打ち消したいと思っただけにすぎなかった。その相手が源外だったのは何となくだし、カラクリの力を借りられれば捜しやすいのではないかと、そんなことを単純に考えたにすぎない。
 不安はあっても、本当に恭也がいなくなるとまでは、考えてなどいなかった。

「この前恭の字が来たときに、ちーとばかしあいつの刀二本ともに細工をさせてもらって発信機をつけた。宇宙のどこにいようが見つけられる、とまでは言わねェが、それでもこっちから近づいていきゃーいずれは見つけられる、そんな代物だ」
「じゃあっ!」

 この光点の場所に恭也がいる。あの恭也が八景を手放すわけもない。
 しかし、源外は再び大きく息を吐いた。

「もう行ったんだよ」
「え?」
「五日前の夕方辺りか? たまたまメンテナンスのためにその受信機をいじってたら、いきなり光点がその場所に移動しやがった。まるで瞬間移動したみてェにな。んなことありえねェ。だが、故障なら原因をとっとと探るのがカラクリ技師だ」

 一応その前に、恭也と神楽の家にも行ったが、誰もおらず仕方ないと話を聞く前に、受信機が反応している場所にまで向かったという。本ならばそれでも本人たちの帰りを待って、と考える場面であろうが、カラクリに関しては妙なところを追求する男であるため、ある程度手間や無駄になっても構わないという結論からだろう。

「けどなーんもなかったぜ」
「何、も?」
「ああ。ただの原っぱだ。恭の字の姿どころか、あの刀すらねェ」
「……そんな」

 僅かな希望が断たれたと、神楽は膝をつきそうになるが、今はそれに耐える。

「どこアルか、ここ」

 神楽は光点を指差して問う。
 江戸よりも離れた海沿いの場所、というのはわかる。しかしそれ以上拡大しても、江戸からほとんど離れたことがない神楽には、具体的な場所があまりわからない。

「海鳴っっていう本当に小せェ村だ。江戸から中途半端に離れてるのと、山と海に囲まれて交通の便が悪ィ。だから文明開化に乗り遅れちまったか、元々乗るつもりもなかった田舎だな」

 だから行って帰るだけで四日もかかったと源外は言う。
 しかしそんな源外のことなど神楽は気にしていられない。
 海鳴、という名前を聞いて神楽は目を見開いた。

「恭ちゃんの……故郷」
「なに?」
「海鳴って、恭ちゃんが自分の故郷だって言ってた場所アル!」

 随分と前、神楽の生まれ故郷である夜兎族が住む星の話をしていたとき、流れで恭也の故郷を聞くと返ってきたのが、そんな名前の場所だったのをはっきりと覚えている。
 生まれは違うし、ほとんど定住もしていなかったが、故郷と呼べるのはそこぐらいだろうと恭也はどこか懐かしそうに語っていた。しかし同時に、もう帰ることもないだろうとも続いたのを覚えている。
 偶然にしては出来すぎていた。

「ジイさん! これ借りるアル!」
「あ? 別に構わねェが、どうするつもりだ?」
「私が直接見てくるアル! ジイさんはもう歳のせいで耄碌してるネ! 私が恭ちゃんを見つけ出してくるヨ!」

 言うが早いか神楽はもう駆け出し、からくり堂から飛び出ていく。

「お、おい! ちったァそっちの事情話してけ! 恭の字はどうなったんだってんだ!?」

 そんな源外の声が後ろから聞こえてくるが、神楽は答えることなく走る。
 一度万事屋に戻るという選択肢すら思いつかず、そのまま急いで自宅まで駆け戻った。
 家に戻るとまるで漁るようにして、恭也の部屋の箪笥の引き出しを乱暴に開ける。そしてさらに隠し板の下に隠された封筒を取り出し、その中にある現金……一万円札を十枚ほど抜き取った。
 元々このお金は、もし恭也が仕事など帰りが遅くなったり、非常事態が起こった場合に使うよう言い含まれていたものだ。そして、神楽にとって今が非常事態である。
 さらに少しばかり小さいが、リュックを用意し、その中に何日分かの着替えなどを詰め込んだ。
 急ぎに急いで僅か十数分で全ての用意を追えたとき――

「あ……」

 ダイニングのテーブルの上に、大事に畳まれて置かれた恭也の着流しが目に入る。

「恭ちゃん……」

 あのとき残った恭也の全て。神楽はそれを持ち上げて、顔を埋めた。
 もう残り香は僅かで、恭也の存在が遠くなったのを感じてしまう。それでも恭也が一緒にいてくれるような錯覚を覚え、神楽はリュックに入れることなく、それを自らの腕で持っていくことを決めた。
 そうして神楽は玄関へと駆ける。
 だが靴を履き、外に出ようとしたとき、その足が止まった。
 神楽は身体を振り返らせ、玄関からダイニングを視界に入れた。

「いってきますヨ……」

 当然ながら返事はない。
 それが突きつけられるのはわかっていたのに、言わずにはいられなかった。

『ああ。いってらっしゃい』

 そんな言葉が返ってくるのを期待して。
 けれどそんな返事は当然なくて……
 神楽は唇を噛み締めると今度こそ玄関の引き戸を開けて、再び駆け出していった。


メンテ
Re: 二刀の剣士が帰る場所 ( No.14 )
日時: 2015/06/10 07:15
名前: テン




 ◇◇◇



「それで神楽ちゃんを行かせちゃったんですか!?」

 突然万事屋に訪れた源外に、新八がお茶を出し、それから話を一通り聞き終えると、その新八が大きく声を上げた。

「仕方ねーだろ。あの嬢ちゃんが全力で走ってって、俺が追いつけるとでも思ってんのか?」

 こんなオイボレに無茶言うなと、ソファに座った源外が出されたお茶を啜ったあとに嘆息する。

「それは、そうですけど」

 言いながら対面に座る新八は肩を落とした。
 しかし、神楽が一人で遠出をしたことなどほとんどない。心配してしまうのも無理はなかった。

「あの猪突猛進娘が」

 事務机の椅子に座る銀時もいつもと変わらないように見えるが、眉間に寄った皺から間違いなく神楽を心配しているのが伝わる。

「で、銀の字、どういうことでい? 俺ァ今一理解してねェんだ。恭の字がどうなったのか詳しく話せ」

 源外が顔を上げて言うと、銀時はどうしたものかと悩む様子を見せたが、軽く息を吐くと立ち上がった。
 そして、源外に先ほど恭也から届いた手紙のうち、万事屋に届けられたそれを手渡す。
 源外とくにとやかく言うことなく受け取ると、その内容に目を通す。
 数分にで全ての内容に目を通すと眉間に皺を寄せた。

「呪い、ねェ」
「信じられねェか?」
「はっ、ほんの二、三十年前だって、空から宇宙人が飛んでくるなんて思っちゃいなかったぜ。それに比べりゃ呪いだのなんだのの話なんて、昔からそこら中に転がってらァな。その一つが本当だった、ってだけの話だろう」

 鼻で笑って源外は言う。しかし、すぐに短く息を吐いた。
 何より恭也は、確かに呪いやらの方向性で嘘をつき、人をからかう人間ではあるが、そこに己を絡め、他者を悲しませる人間ではないだろうと、源外は苦笑する。

「しかしまあ、俺のからくりでも別の世界じゃ見つけられねェわな」
「です、ね」

 手紙の内容を信じるなら、恭也の元いた世界はこの世界に近く、だが少しだけ違う世界のようだ。環境や歴史などはだいたいが似通っているという。
 つまり源外のカラクリに反応したのは……

「恭の字は今、近くて遠い場所にいるってわけだ」

 まるで薄い紙一枚で遮られた鏡の世界。
 隣あった場所にいる。
 カラクリに反応があった場所に、確かに恭也はいるのだろう。少なくとも彼の刀はあるのだ。しかし、この世界のそこにはいない。
 いる場所はわかっていても、永遠にたどり着けない場所。

「でも、恭也さんは生きててくれてる。それだけは間違いないですよね?」
「……確認のしようなんざねェけどな」

 恭也とともに消えた八景の反応がある以上、恭也が生きている可能性だってあるだろう。
 あのような人間の終わりからかけ離れた最後を見ていた銀時と新八は、恭也が無事ではない可能性も考えていた。
 しかし、今は無事の可能性が僅かでも出てきたのだ。それだけで源外のカラクリには意味があったと言えよう。

「けど、神楽にとっちゃァ、嬉しい事実でもねェだろうよ」
「そう、ですね。どちらにしろ会えないんじゃ、神楽ちゃんにとってはどちらでも変わらない」

 銀時と新八が沈んだ声で言い合う。
 神楽は海鳴という土地に着いたとき、再び希望を砕かれる。きっと彼女自身だって心のどこかでは、そう思っているはずなのだ。
 それでも希望に縋って……
 本当なら今すぐ神楽を追いかけるべきなのに、それができないのは、つまりはそういうことなのだ。
 ただ単純に二人は、その姿を見たくないというだけで。

「俺ァ嬢ちゃんが泣いてるとこなんて初めて見たわ。見た目はともかく、変なところで子供らしくねェからなァ」
「俺たちだってそう見ねーよ。見ても大抵恭絡みだ」
「神楽ちゃん、恭也さんのことになると感情的になりますからね」

 実の兄に対してだってかなり冷めているところがあるというのに、恭也に対してだけは感情豊か。それが神楽という少女なのだ。

「その恭の字がいなくなっちゃァな」

 だからこそ、恭也がいなくなったならばどうなってしまうのか。考えただけでも恐ろしい。
 それは銀時も、新八も考えていることだ。
 身内ではない源外でさえ、それを想像して顔を顰めていた。

「嬢ちゃんは、嬢ちゃんのままじゃいられねェか」

 源外の言葉に、二人は答えなかった。
 それは答える必要もないからなのか、それとも単純にその事実を受け入れるのが怖かったからなのかは、二人揃って自分でもわかっていないだろう。

「なら、もう一度俺が会わせてやるとするか」
「あ? ジイさん?」
「源外さん?」

 源外の突然の宣言に、二人は揃って目を丸くする。
 すると源外はわざとらしく肩を竦め、歯を出して笑うと胸を張った。

「カラクリ技師としちゃあ認められねェのさ。呪いにできてカラクリにできねェなんてよ」

 そうしてゆっくりとソファから立ち上がり、去って行こうとする。
 しかし、リビングの前で立ち止まると、ゆっくりと振り向いた。

「まだどんな方法になるかはわからねェが、いつか必ず嬢ちゃんをまた恭の字に会わせてやらァ」

 もちろん恭也が生きているなら、だけどなと、一応の現実も突きつける。それはきっと長く生きて、色々なものを見てきたからこそ言えるはっきりとした言葉。
 それを聞いて、銀時は先ほども見上げた天井を眺める。

「頼まァ、ジイさん」

 銀時はいつも通りにぶっきらぼうに言う。
 新八もまた視線を下に向けた。

「お願いします、源外さん。お金が必要なら頑張って稼ぎますから」

 言いながら新八は頭を下げる。
 しかし、そんな新八に源外は、『とるなら恭の字からとらァ』という言葉を残して、万事屋から出て行った。
 残された二人は、同時に深く息を吐く。
 しかし、唐突に銀時が立ち上がった。それに合わせて新八もまた立ち上がる。

「銀さん……」
「行くか」
「はい。神楽ちゃんを迎えに行きましょう」
「たくっ世話の焼ける。また恭に会わせるまでは俺が面倒見なきゃいけねーの?」
「面倒見られるのは銀さんのような気もしますけどね」
「るせーよ」

 できることなら自分たちだって、もう一度恭也に会いたい。だが、自分たちはもう会えなくてもいい。けれどその代わりに神楽だけは、再び恭也に出会えることを純粋に祈る。
 そうして二人は立ち上がり、恭也の代わりに彼女を迎えに行くために、ゆっくりと歩き出した。


メンテ
Re: 二刀の剣士が帰る場所 ( No.15 )
日時: 2015/06/10 07:16
名前: テン




 ◇◇◇



 目の前に広がるのは、源外が言っていたように、確かに原っぱだった。
 長く手入れがされていないのか、あたり一面身長の高い雑草に覆われ、他に目立つものは何もない。

「恭ちゃん……ここにいるアル、か?」

 受信機の光点は確かにここを指し示し、神楽の現在位置である中心部とほぼ重なっていた。
 しかし、何もない。
 そもそもの所、源外の言うとおり本当に何もない田舎の村。それがこの海鳴という土地だった。
 列車を乗り継いでも途中からは徒歩になり、幾つもの山を越えて――源外はどこかで車でも借りたのだろう――、夜兎族である神楽でも半日走り続けてようやくたどり着いた場所。やはり村自体は暢気な田舎の村。
 ここに来るまで出会った人間もさほど多くなく、そのほとんどが老人だった。

「恭ちゃん……」

 何度受信機と今いる場所を確認しても、答えは変わらない。

「恭ちゃん……!」

 神楽は、唇を噛み締めると、彼の名前を呼びながら、手に抱えた恭也の着流しが汚れないように注意しながらも、雑草の中に入っていく。
 邪魔な雑草を踏みしめ、時には飛び跳ねて辺りを確認し、恭也の名を呼んだ。
 そうして何度も受信機を拡大し、完全に中心部と光点が重なり合った場所にたどり着く。
 けれどそこにはやはり何もなかった。
 小さな岩が一つ置かれているだけで、人の姿もなければ、神楽も見慣れた八景の二刀があるわけでもない。
 本当に何もないのだ。

「あ、あぁ……」

 神楽は手紙の内容を思い出す。
 近い世界であり、遠い世界。神楽が触れられないこの場所に、きっと恭也がいるのだ。
 けれどここにいるとわかりながら、神楽には触れることができなければ、喋りかけることさえできない。

「こんなの……ずるい……アル……」

 神楽の身体が力なく崩れ落ち、その両膝を土に付けた。

「ずるいヨ! 恭ちゃん! 別の世界だなんて、そんなの!」

 少女は現実を思い知る。
 この世で最も大切な人は、最早この世界のどこにもいないのだと。
 縋れる希望はもう何もなく、できることも何もない。
 月夜の晩に、必ず見つけ出すと言っておきながら、もうどうしようもないところまで、全てが叩き壊され、叩き折られた。
 神楽にはもう何も残されていない。

「会いたい……会いたいヨぉっ! 恭ちゃぁんっ!」

 けれどたった一つ残された彼が最後に纏っていた着流しに顔を埋めて、ただ泣いた。



 こうして本来ならば出会うはずのなかった二人の世界は簡単に崩れる。
 残ったものは思い出とその胸の中の想いだけ。
 すでに帰る場所を一度失った二人。
 もう一度手に入れたはずの、絶対に失いたくないもの。
 けれど消えた剣士も残された少女も、再び帰る場所を失った……


メンテ
Re: 二刀の剣士が帰る場所 ( No.16 )
日時: 2015/06/18 13:51
名前: テン






 最終話 回帰






 恭也が目を覚めすと、目の前には知らない天井が広がっていた。
 ただ真っ白いだけの味気一つもない天井。見慣れた自室のそれではなく、万事屋のそれでもない。

「こ……こ……は……」

 声を出すと、異様なほど喉が痛かった。
 だが、喉の痛み以上に、その声の異様さに恭也は思わず顔を顰める。しかし、今度はそうすると顔面に微妙な痛みが走った。

「あ、ああー……」

 痛みを慣れたものと精神力で押さえ込み、もう一度声を出してみる。
 それはやはり思った通り、多少しゃがれているというのを無視しても、聞きなれた自分の低い声ではなかった。異様とも言えるほどに高いのだ。まるで声変わり前の子供のようだった。
 今度は手を上げてみる。顔面と同じく、どうしてかそれだけで引きつるような痛みが、腕の筋肉に走った。

「…………」

 その手を見て、何の冗談だと再び顔を顰める。
 眼前に映る己の手。それはもはや骨と皮しかない。まるで長期間の入院でやせ細ってしまった病人のようだ。しかし、それだけではない。純粋に手が小さい。
 まるで子供の手だ。

「まさ、か……」

 喉が痛むが、それでも目を見開きながらも声が出てしまう。

「ぐっ……」

 力の入らない全身に、それでも活を入れて起き上がる。
 やはり全身に痛みが走るが、それも気合で無視した。
 辺りを見渡すと、小さな個室で清潔感のある真っ白な部屋。窓際には花が飾られている。そんな部屋の中央にあるベッドに恭也は寝かされていた。
 カーテンは完全に閉じられていて、今が夜なのか昼なのかもよくわからない。
 あたりを見れば、色々な機械が置かれ、そこから伸びる管や線が恭也の身体のあちらこちらに繋がっている。

「病院……」

 部屋の清潔感と、その機械類で、恐らくここは病院だろうと予想がつく。
 しかし、それは今はいいとその部屋を見渡し、ようやく探し物が見つかった。それはすぐベッドの横の棚にかけられていて、元々病院の備品であるのか、それとも誰かがかけたのかはわからない。
 鏡。
 恭也は、その鏡を迷うことなく覗き込む。

「何の……冗談だ……」

 そこに映る自分の姿を見て、恭也は愕然とした。
 頬はこけ、目は僅かに窪んでいる。しかし、それ以上の驚きとして、その顔には幼さがあった。日々見慣れた己の顔ではなく、”かつて”見た己の顔。
 その鏡には、子供の高町恭也が映っている。
 そう、それは丁度、あの世界にたどり着いた頃の己に近い年頃。
 まだ完全に声変わりする前。父が死に、家族を守ると息巻いて、美由希を強くすると言い聞かせ、そうでありながら守りたい者たちを心から追い出して、ただ強くなることに邁進していた。高町恭也の人生の中で、最も歪み、同時に恥じ入るべき時分の己。
 何がなんだかわからず、恭也の全身から力が抜けた。
 ベッドに倒れこむと、その拍子に胸に吸盤のようなもので張り付いていた線の一つが取れて、脇にある機械が甲高い音を上げる。
 それに鬱陶しいと眉を寄せるが、それをどうにかするほどの気力もなければ、体力もない。
 そんなときに一人の女性が部屋に駆け込んできた。服装を見るに、看護師だろう。

「すみません……それ消してもらえませんか……」

 まだ喉が痛むが、それでも音の方が鬱陶しいと、声を出すと看護師が驚愕した。

「た、高町恭也君!? 起きてるの!?」
「ええ、この通り……」

 そう答えると、看護師は目を見開いて慌てて部屋の外に出て行った。

「いや、だから……」

 機械からはまだ鬱陶しい音が鳴り響いている。
 それに恭也は思わず嘆息し――

「そういえば銀はナースが好きだったな」

 場違いにもそんなことを呟いた。
 しかし、その名前が己の口から出て、恭也は深く目を瞑る。

「帰ってきたのか……」

 状況は今一理解できない。なぜ子供に戻っているのかなどその最たるものだ。
 だが、感覚的に何となくわかる。この世界は元の世界だ。あの江戸という町が現存する世界ではない。
 恭也の今目の前に広がる世界は――

「神楽……」

 それはつまり彼女と二度と会えないという現実だった。



メンテ
Re: 二刀の剣士が帰る場所(6/10 七話・離別更新) ( No.17 )
日時: 2015/06/18 13:52
名前: テン




 その後が大変だった。
 医者と数人の看護師が飛び込んできて、医者に様々な質問を浴びせられ、その間に看護師は血圧を測ったり、熱を測ったり……
 それが終われば検査。
 何時間と拘束されて、それから開放されたあと恭也は状況を聞いたのだが、医者は話を濁すばかり。ついにはそれは保護者の方から聞いてほしいといわれる始末。
 保護者とはなんだ、と恭也は頭を抱えたかったが、それすら身体が鈍くできないのがなお辛い。いや、何となく頭の中にその可能性はちらついていた。だが、それを認めるのが怖かったのだ。
 そうして元の部屋に戻されて十分ほどすると、廊下からまたも複数の廊下を駆ける音が響く。
 またも看護師たちかと思うが、気配は三つでそのうち二つはやけに小さい。一人はまだ子供、さらにもう一人は赤ん坊ではないかと思う。

「恭也!?」
「恭ちゃん!?」
「にー」

 入ってきたのはやはり三人。
 長い栗色の髪の女性と黒い三つ編みの少女。そして、女性に抱かれたまだ一歳かそこらの赤ん坊、というよりも幼児。
 その三人を上体を上げながらも見て、恭也は眉を寄せた。

「誰だ……?」

 咄嗟に出た言葉がそれだった。
 何となく見覚えはあるような気はする。しかしそれはおぼろげで、誰であるのかわからない。
 恭也の訝しげな問いに、女性が涙を溜める。それは恭也の言葉にというよりも、安堵のためというのが何となくその雰囲気から伝わった。

「あんたねぇ。ようやく目が覚めたっていうのに、今度は記憶がないなんていうんじゃないしょうね!?」
「……恭ちゃん大丈夫?」

 少女の呼ぶ恭ちゃんという言葉に、恭也は顔を顰める。
 その呼び方は、神楽を思い出させた。そのために胸に何かが刺さるような痛みを感じてしまう。
 だが、そう、いたはずだ。神楽よりも前に自分をそう呼んだ人物が。

「まさ、か……」

 先ほども出てきた言葉が、再び恭也の口から漏れた。
 目を今までにないほど見開きながら、恭也は三人をもう一度よく見る。
 確かに、やはり何となく見覚えがあるというのはわかった。もう遠くに捨ててしまった遠い過去。神楽とともに過ごした五年の間で、記憶の中から薄れ、消えていき、挙句には輪郭程度しかなくなってしまった人物たち。
 ある種の恭也の罪の証。
 それが目の前の人物たちと重なった。

「……もも、こさん? 美由希、なの、は……か?」
「桃子さんって……長く眠ってたから記憶が混乱してるのかしら? 大丈夫?」

 桃子と思われる女性は、なのはを抱えながら心配そうに恭也の顔を覗き込み、問う。

「恭ちゃん……」

 美由希もまたベッドまで近寄って、泣きそうな顔で恭也を見上げていた。
 恐らくはまだ桃子は二十代前半。美由希はまだ十になったかなっていないか。なのはは生まれて一年か。
 それはつまり……恭也が知るかつての彼女たちの姿。十数年経っても変わらない家族の姿だ。ありえるわけがない。なのはに至っては、もう高校に通っていたっておかしくない年齢のはず。
 鏡に映った自分を見たときは、若返ったのかと思った。だが、きっと違う。
 心の中でちらついてはいた可能性。

「時間……が、経ってない?」

 思わず心の中の疑問が口についてしまう。
 だが、その言葉に桃子が言いづらそうに眉を寄せた。

「お医者さんからはまだ言ってないって聞いたけど、もしかして聞いていたの?」
「……何が、だ?」

 恭也が問い返すと、桃子はさらに言いづらそうにし、腕が疲れたのかなのはを抱きなおすと、恭也の目を真っ直ぐに見た。
 罪悪感からむしろ恭也の方が、その視線から逃れたくなったが、それよりも桃子の口から言葉が紡がれる方が早い。

「恭也、あなたはね、半年間眠り続けてたの」

 恭也は今度こそ喉を詰まらせた。


 ――半年?


 それはどういう意味だ?

「あなたは道場で倒れてて……」

 この世界に帰ってきて半年という意味か。

「疲労なんかは確かに溜まっていたらしいけど、でも病気でもないのにそのまま目覚めなくて……」

 けれど状況の全てが否定する。

「原因不明のまま半年間、あなたは病院で眠り続けていたのよ」

 それが今日目覚めたって聞いて、こうして飛んできたのよ、と桃子は再び目に涙を溜めた。

「…………」

 どんな反応も返せない。
 それはつまり、ただ半年間自分は眠り続けていただけだということで、そうであるならば自分は……

「馬鹿、な」

 恭也は再びの己の手を見た。
 見慣れたはずの手は、小さなものへと変わり、豆が何度も潰れて硬くなっていたはずの皮膚は、確かにまだ僅かな硬さこそ残すが、先ほどまでと比べても、子供だった頃と比べても、見た目は随分と柔らかそうになっている。
 身体もほぼ全てが痩せ衰えて、鍛えた全ては無に帰していた。
 それこそが半年という時間、自分が動くことなく眠り続けていた証明ではないか。
 だがそう、それでは先ほどまで見慣れたと思っていたあの大きな手はなんだったというのだ。
 あの世界にいた十数年は。神楽と共に過ごした五年は。

「ゆ、め?」

 あの世界は己が作り出した夢。
 神楽は妄想であったとでも言うのか。
 自分は別の世界になど行ってはおらず、成長もしておらず、ただ眠っていただけだった。
 そんなわけがない。
 しかし、そう否定しても、目の前にまるで変わらないかつての家族がいて、自分はこうして痩せ細っている。
 それとも今が夢で、自分はあの世界で眠っているとでも言うのだろうか。


 ――わけがわからない


 それが今の恭也の中にある全て。

「恭也?」
「すまない、かー……」

 再び母と呼ぼうとして恭也は声を詰まらせた。
 先ほど自然と名前で呼んでしまったのは、きっと罪悪感だ。その罪悪感が桃子を母と呼んでいいのかと訴える。
 この罪悪感さえ妄想の中で生み出したものかもしれない。しかし、それでも今は無理だった。

「いや、すまない。起きてから検査ばかりで疲れてる。休んでもいいだろうか?」
「……わかった。私もお医者さんと話があるし、またあとでくるわ」
「ああ。美由希たちも……わざわざすまないな」
「ううん、恭ちゃん、ゆっくり休んでね」
「ああ」

 桃子の腕の中にいたなのはが、別れの雰囲気を察したのか手を大きくふった。だが恭也は、それに何かを返すこともできない。
 三人は名残惜しそうに病室から出て行った。
 それを見送って恭也は力が抜けたようにベッドに寝転ぶ。

「酷いな、これは色々な意味で……」

 何がどうなっているのかはわからない。
 元の世界に戻ってきたのか、それともそれ自体が夢だったのか。
 しかし、それでも彼女たちを一度捨てたという罪悪感は確かにあって、あれ以上あの三人を見ているのは辛かった。
 何より今の桃子を見ているのは辛い。
 もう――それが夢であったかはどうであれ――十数年前の昔がどうだったのかよく思い出せず、比べようもないが、それでも桃子の頬はこけ、その顔には隠しようのない疲労が滲んでいたのがわかった。
 計算してみれば、半年という自分が眠っていたという期間を含め、父である士郎が死んでまだ一年と半年程度しか経っていないということだ。
 なのはも生まれて中々目を離せない時期だろう。そうであるのに、家族を養うためには桃子が働く必要がある。そのための翠屋もまだ完全には軌道にのっているとは言いがたいはずだ。
 そんな時期に自分が原因不明で長期間入院していたのだ。入院費だってかかるし、その世話もしてくれていたのだろう。寝たきりである以上、ある程度の世話は必要だ。
 その重労働から滲み出る疲労が、完全に隠せていなかった。

「俺は……」

 一度捨てた家族。
 そのはずだ。
 もし自分が十数年経ったこの世界に帰って来ていたらどうだったのだろう。余計にその十数年、桃子たちに迷惑をかけたのだろうか。
 そして自分は……

「もし元の世界に戻ったら……ずっと考えていたはずなのにな……」

 いつかは戻ってしまうという覚悟……いや、諦念があったからこそ、そのときはどうするのかを考えていた。
 少なくとも高町家に帰るという選択はなかったし、選択肢にすら浮かばなかった。一度捨て、何もかも忘れた自分がどうして戻れるのかと。
 何より、すでに長い時が経ち、皆が皆、それぞれの生活をしていると思っていたのだ。そこに今更異物が入り込む余地はないと思っていた。
 だから今度はこちらの世界で、あちらの世界に戻る方法を探す。
 一度捨てたものである以上、もう振り返ることはできないと思っていた。

「…………」

 今更ながら自分が何を捨てたのか突きつけられた。
 恭也自身の不可抗力ではあった。誰だって彼と同じ状況に陥れば、むしろ彼よりも早く帰還を諦め、あちらに定住することを考えたはずだ。呪いの性質上、皮肉なことにむしろ恭也だからこそ、帰還に時間がかかってしまったとさえ言える。
 だからこそ、仕方のないことだ。
 しかし、そうやって自分に妥協できないのが、高町恭也という男だった。

「それでも俺は……」

 目を瞑れば神楽の笑顔が思い出せる。
 もう一度彼女に会いたい。
 その願いを消すことはできない。
 恭也の感覚では、つい先日までそれこそが彼の生きる意味であり、全てであったのだから。
 だが、そのために桃子たちをもう一度捨てるのか? いや、捨てられるのか?
 例えばまだ彼女らが恙無く暮らせていたのならば、迷わずそうできたかもしれない。だが、そうではないことを目の当たりにしてしまった。
 ここで自分が、本当に姿を消してしまえば、あの三人はどうなってしまうのか。
 そこまで考えて、恭也は首を振る。

「……駄目だな。今何を考えてもマイナス方向にしかいかない」

 状況がよくわかっていないのもそうだし、あの世界が本当にあったのかという疑問。さらに桃子たちの状況を突きつけられて、いかに恭也でもいきなり整理できるわけもない。
 そう思ったとき、急激に眠気が襲ってきた。
 恭也はそれに抗うことはせず、身を任せたのだった。


メンテ
Re: 二刀の剣士が帰る場所(6/10 七話・離別更新) ( No.18 )
日時: 2015/06/18 13:52
名前: テン




 ◇◇◇



 結局のところ恭也は一時的に全てを棚上げにした。
 病院にいては、どうしたところでできることなど、考えることだけだった。考えることは重要だとは思っているが、考えるだけしかできない状況でそれをしても深みにはまるだけだと結論付けた。
 検査は幾度となく繰り返されたが、結局のところ眠っていた理由も不明、目覚めた理由も不明で終わる。
 それから恭也は、ただリハビリにだけ力を入れた。
 マッサージなどはしてくれていたそうだが、半年間まともに動いていなかった身体は、完全に衰え、歩くことさえままならない。どんな結論を出そうが、このままではどうにもならない。
 そうして恭也は驚異的な努力と回復力で、たった二週間である程度歩けるようにまで回復させ、医者を驚かせる結果となる。無論それも何とかで、普通に歩行できるまで持っていくのにはさらに一週間かかった。
 そうして介護なしに行動できるようになり、恭也は自宅療養に切り替わる。無論、それは完全に寝たきりだった人間が回復にかかった時間としてはやはり驚異的だった。
 とにかくそうして恭也は、十数年ぶりの高町家に戻った。
 もはや記憶の中からほぼ消えかけた家を見ても、さほど懐かしさを感じることはない。しかし、それでも心のどこかで覚えてはいたのか、家の間取りは何となくわかった。
 恭也は自宅に戻ると同時に、桃子たちに適当に言い訳をして、自らの部屋ではなく道場に直行。
 そして、そこにあったそれを見つけた。

「八景……」

 神棚の下の掛台に置かれたそれを手にとる。
 何でも恭也が道場に倒れていたとき、八景もまた鞘に入ったまま恭也のそばに落ちていたらしい。
 久しぶりに掴んだ二刀の小太刀は、やはり恭也のその手によく馴染む。
 そうして、筋力が衰え昔のように自然にとはいかないが、それでも静かに抜き放った。
 そこには見慣れた刀身。
 かつて戦場を共に駆けた相棒の姿が確かにある。

「…………」

 その刀身を見て、さらに腕にかかる八景の重さを感じながら、恭也は息が刀身にかからないように天井を見上げたあと、深く深く息を吐いた。
 そこには隠しようのない安堵がある。


 ――やはり……夢ではなかった


 八景の重みを感じ、恭也が思うのはそれだけだった。
 刀というのは痩せるものだ。
 無論、観賞用としてただ飾っておくだけならばそんなことはない。
 だが、物を斬り、人を斬れば、どれだけの達人が使おうとどうしたって刀というのは極僅かな刃毀ができる。それを研ぐことで直すのだ。
 そうして研げば研ぐほど、当然ながら刃は痩せ細る。つまりは人を斬った分だけ、刀は痩せ、同時に軽くなっていく。
 あの世界で人を、天人を、夜兎を斬って、斬って、斬り捨てた。
 何百、何千、何万と。
 無論、全てを八景で斬ったわけではなかったし、予備の小太刀はいくつも持っていた。それでもやはり最も使用頻度が高かったのは八景だ。
 八景は鍛えられてすでに数百年という年代物だが、こうまで何かを斬り殺した御者は恭也しかおるまい。
 故に八景は、恭也が握ってから急激に軽くなったのだ。
 今の八景の重みは、あの世界で感じ慣れたそれだった。いくら恭也の筋力が落ちていようが、久しぶりに握ろうが間違いようがない。
 見える刀身は、確かに十数年前よりも見慣れていた痩せた刀身だった。
 あの世界が本当にあったのだという自分の記憶以外の確かな物証がそこにあるのだ。これで安堵しないわけがない。
 己の刀で夢かを見分ける。これほど高町恭也らしいこともないだろう。

「どうする、かな」

 それはこれからのこと。
 今の自分は……この世界をもう一度捨てられるのか。
 僅か一ヶ月少々で、恭也の気持ちは揺らいでいた。
 忙しいであろうに目覚めた恭也を甲斐甲斐しく介護してくれた桃子。士郎が死んでから、泣くことを止めたはずの美由希だったが、恭也が少し眠るだけでまた目覚めるのかと不安で涙を濡らしていた。なのはは細かいことはまだわかっていないだろうが、純粋に恭也へと甘えてくる。
 目覚めた日に考えたことは正しく、桃子の多忙さは目に余る。しかしそれを子供たちに見せないように努力しているようだった。
 ”恭也よりも年下の彼女”が、そうまで頑張って己たちを庇護しようとしてくれている。
 美由希もまたそんな桃子を支えようと、幼いながらもなのはの世話をしているようだ。
 そんな彼女らをもう一度忘れることができるのか。

「神楽、俺は……」

 恭也は八景を握り締める。
 それでも彼女にもう一度会いたいという想いは聊かも衰えてはいない。
 だが、同時に桃子たちを捨て置いていけないという感情が生まれ始めているのも確か。しかし同時に、それが本当に家族への優しさからくるものなのか、ただかつて一度捨ててしまったことへの罪悪感からくるものなのかはわからない。
 彼女たちに対する罪悪感は、今なおを膨れ上がり続けていて、まともに顔を見れないことも多々あった。
 今、目の前に、あの世界に戻る方法を提示されたなら、恭也は迷うことなく戻るだろう。だが、これ以上の時間を桃子たちと過ごし続けてしまえば、それを選べるかの自信はない。
 多少でも動けるようになった今すぐにも、桃子たちから離れるべきだと思うのに、罪悪感と、もし自分が本当にいなくなったとき、桃子たちがどうなってしまうのかという考えに囚われ実行することができない。
 それでも――

「お前に会いたい」

 この想いはきっと永遠に持ち続けるのだろう。
 だが、何よりも彼女を選び続けることはできるのだろうか?
 人の心は時間とともに移ろう。それは誰よりも恭也が知っている。
 再びあの世界に戻る方法が見つかったとき、自分は神楽を選び取ることができるのだろうか。
 いや、そもそも戻る方法自体があるのか。
 恭也は、目を瞑り神楽の姿を思い浮かべ、唇を噛み締めた。



メンテ
Re: 二刀の剣士が帰る場所(6/10 七話・離別更新) ( No.19 )
日時: 2015/06/18 13:53
名前: テン

 ◇◇◇



 ………………
 …………
 ……
 時の流れは早い。
 早すぎたとすら言える。
 恭也がこの世界に帰還し、瞬く間に時は流れ、彼は――少なくとも肉体年齢は――二十歳となっていた。
 その時を恭也も、無為に過ごしてきたわけではない。
 まず再び身体を鍛えなおした。やはりあの世界はあったのだという証拠に、恭也は身体が出来上がった時点で、ほぼ迷うことなく御神の技を放つことができた。身体が覚えていた、というのとは逆。頭が覚えていて、それを再び身体に覚えさせたというのが正しいだろう。
 かつての約束はすでに忘れかけていたが、それでも美由希の願いを受け入れ、弟子にとり、鍛えた。恐らくもう少しで皆伝までいくだろう。
 長期の入院とリハビリで、学年は一つ遅れたが、学校も出た。今は大学の一年である。
 正直大学に入るつもりはなかったのだが、桃子に説得されて、というのが本当のところ。未だ彼女たちへ変わることなく……それどころか日に日に深まる罪悪感を持ち続ける恭也は、どうにも家族の頼みというのが断りづらいのだ。
 去年は色々なことがあったが、今年はそれに反してそれなりに平穏な生活を送っている。

「…………」

 そんな恭也は今、大学の帰り、海鳴臨海公園にきていた。
 海風は多少肌寒さを感じさせたが、着こんだ黒いジャケットがそれをある程度遮断してくれる。
 最初は、着流しを中心とした和服以外に袖を通すのは違和感があったものだが、今ではそれも慣れた。
 今の自分の姿を見れば、あの世界の親しい者たちは驚くのだろうか。
 そんな益体もないことを考えながらも、恭也は堤防の上の柵に片手を置き、沈んでいく太陽が染め上げる朱色の空と海を眺める。
 恭也は朝日が昇る時間と、太陽が沈む夕暮れ時が好きだった。朝日と夕暮れの朱色は彼女の綺麗な髪を思い出させてくれるから。
 あの世界にもう一度戻りたい。彼女ともう一度会いたい。
 その想いはずっと持ち続けた。
 だからこそ呪いについて、長期休暇の度に全国を調べて回った。しかし、未だ呪いそのものについては詳しくはわかっていない。
 呪いを調べる過程で、多くの超常の現象を見て、超常の存在と出会い、戦いもした。それでもあの世界に戻る方法も見つからなければ、呪いの完全解明には至らなかったのだ。
 ある程度のことはわかったが、そのある程度の中に再びあの世界に戻れる方法がないのであれば、恭也にとっては解明できていないのと同じだ。
 そうしてあの世界について調べれば調べるほど、今度はこの世界の桃子たちへの罪悪感が募る。
 ずっとそんなことの繰り返し。

「……本当に決めるべきなのだろうな」

 恭也は朱色の黒が混じる空を見上げて小さく呟く。
 時の流れは無情で、同時に優しかった。それはそう、あちらで彼女と共に過ごした時間と同様に。
 言ってしまえば、あのときとは逆の現状。
 家族と過ごせば過ごすほど、あちらの世界が遠くなる。
 だがあのときとは違い、恭也は彼女のことを忘れていない。
 あの世界にたどり着いたときは子供であり、それとは違いこの世界に戻ってきたときの恭也は、身体こそ子供に戻っていたが、精神は成熟していたというのも理由だが、同時に忘れないように努力したからだ。
 彼女との思い出を振り返り、彼女の顔と声を何度も脳裏に浮かべ続けたからこそ、未だ忘れることなくいられる。
 しかし、呪いを調べるのと同様に、その行為が桃子たち、この世界の家族に対しての罪悪感を注ぎ足す。
 嫌な悪循環だ。
 そんな現状をそろそろ変えるべき時に至っていた。
 すでにこの世界でも成人し、あらゆることを自分の意思でできるようになった。これから本当にどうしていくべきなのかを決めるときなのだ。
 全てを諦めるのか。
 この世界を選ぶのか。
 それでも彼女を求めてまだ足掻くのか。

「神楽……」

 目を瞑ると彼女の笑顔が今なお脳裏に浮かぶ。
 そんな彼女に恭也は――





 >>20-21 心の中でそっと最後の別れを告げた。

 >>24-25 会いたいと願いながら、今の家族をもう一度捨てることはできないと唇を噛んだ。

       この世界の全てを再び捨ててでも、もう一度会いたいと願った。
メンテ
Re: 二刀の剣士が帰る場所(6/10 七話・離別更新) ( No.20 )
日時: 2015/06/18 13:54
名前: テン





 エピローグ一






(さようなら……神楽)

 沈みいく太陽に向かって、恭也は目を瞑ったまま心の中で別れを告げた。
 それは諦めにも等しい別れの言葉。
 決してこの世界を選んだわけではない。決してこの世界の家族を選んだわけではない。
 だが、恭也の中に燻る諦念が、それを心の中とはいえ言わせてしまった。


 ――もうあの世界に戻る方法はきっと見つけられない


 そんな諦めが確かにあったのだ。
 いくら努力しても近づかない再会。
 世界という壁はあまりに厚くて、むしろ遠くなる一方。
 あちらの世界でもそうだった。どれだけ探しても帰還の方法はわからず、諦念に包まれていた頃、『彼女』と出会った。
 どれだけ願っても届かないものを追い続けられるほど、人間というのは強くない。それをよくよく恭也は知っていたのだ。
 それでも諦めず、自ら超常の存在に近づいて、それに打ち勝ち、脅すようにして様々な情報を手に入れていた時期もあった。
 しかし、それでも無理で。気付けばもう神楽と共に過ごした年月よりも時が経過してしまう。
 恐らくもう、自分は限界だという認識が、恭也にもあったのだ。
 『彼女』との再会は敵わず、家族への罪悪感で心は磨り減る。
 家族との時間は、決して逃げ場にはならなかった。
 『彼女』に会いたいという想いは変わらない。前にも思ったとおり、この想いは永遠に恭也が恭也である限りもち続けるだろう。
 それでももう……

「神楽っ……すまないっ……」

 せめて『彼女』が、幸福であることを願って……
 自分のことなど忘れて、それこそ結婚でもして、自分の子供を抱き締めて……
 どうか幸福に生きてほしい……
 そんなことを願うことしかできないのだ。

「さようならっ……神楽……っ」

 自分が諦めて、ようやく『彼女』も諦めてくれる。
 そんな気がして、そう願って、恭也は唇を噛み締めて、今度こそ永遠の別れを口にした。
 そして、それは同時に家族との別れの言葉でもあった。



 ◇◇◇



 恭也は、あの夕暮れに別れを告げたその次の日に、大学を辞めた。また同時に、高町家を出て、海鳴すら離れ、一人で暮らし始めたのである。
 無論、家族には何度も止められた。だが、こればかりは恭也も首を縦に振ることはなかった。
 あの世界への帰還を、『彼女』との再会を諦めたからと言って、一度家族を、この世界を捨てたという事実と罪悪感は、決してなくなることはない。
 『彼女』を諦めるということは、今の家族が逃げ場になりかねない。それだけは嫌だったのだ。『彼女』を諦めたから、今度は今の家族を、と考えられるほど恭也は物事をそんな簡単に割り切れない。
 だからこそ、あの世界への帰還を諦めることは、同時に家族との別れでもあったのである。
 家族とも別れ、恭也は護衛の仕事とたまに入る諜報の仕事で生計をたてて過ごした。あまり人と関わることもなく、実家に帰ることもなく、一人で過ごす。
 それをある種の罰と恭也は思っていた。
 家族を捨てた罰。
 最も大切な人を諦めた罰。
 だからこれでいいと、己の現状に何かを思うことはない。
 別に悲劇の主人公を気取る気などないし、そんな己に酔っているわけでもない。罰を受けるというのは、それはつまり許しでもあるのだから。許してほしいが故の罰なのである。
 海鳴を出て五年もしたころ、恭也は一人の女性と出会う。
 護衛対象者の親戚であった恭也よりも二つ年下の女性。
 朱の髪色をし、碧眼を持ったその女性は、『彼女』を思い出させた。
 最初に言っておけば、別にその女性と『彼女』を重ねたわけでは決してない。ただ単純に、その髪に目がいってしまった、というだけだ。顔付きなどもわずかに似ていたが、あくまでそれだけで、それ以上の何かは恭也にはなかった。
 ただその際に目が合った。それがある意味二人を繋げたのだ。
 女性の一目惚れであったらしい。
 護衛の関係上、パーティーやイベントなどで異性と出会うこともそれなりにあり、似たような話は何度かあった。しかし、それを受け取ることなどそれまではなかったのである。内輪のパーティーではなく、社交界のパーティーなんてものに出てくる女性相手に、一晩限り、なんてこともできるわけもない。
 ただそのときは、少々他のときとは違った。
 まずその女性と知り合うきっかけとなった護衛対象者は、それなりに恭也と親しかったというのがある。よく仕事も請け負うし、仲介役になってくれることもあった。
 その人物が繋ぎとなり、会わないか、と言われればはっきりと断るわけにもいかない。断るにしても、その人物の顔に泥を塗らないよう一度は会うしかなかったのだ。
 しかし、その一度で十分であった。
 海鳴を出てから、仕事関係以外のプライベートで他人と親しくなることを避けていた恭也にとって、その触れ合いは中々に貴重である。特に仕事の関係者からの紹介であれ、本人はまったく関係ないのがより良かった。
 この数年をずっと一人で生きてきた恭也には、その僅かな他者との触れ合いも新鮮であり、その居心地の良さも彼の心を擽る。
 一度会うだけのはずが、そんな当初の考えはすぐになくなり、二人は逢瀬を繰り返し、出会って二週間もした頃には本格的に付き合い始めた。
 付き合い始めてからも、大したことがあったわけではない。至って普通の恋人関係。
 恭也の仕事の特殊さも、危険さも理解を示してくれていて、心配こそすれ、止めてきたりはしない。その分、日常の中で献身的に支えてくれた。
 さらに一年後には、籍を入れ、かくしてその女性は恭也の妻となる。
 結婚後も平凡の一言。恭也の職種こそ平凡から逸脱していたが、それ以外はかつてほど妙なことに巻き込まれることもない。別の世界などそれこそありえなかった。
 そして――

「……やはりかなり遅くなったな」

 恭也は小走り気味に長い廊下を歩きながら、嘆息して呟いた。
 つい先ほどまで仕事で海外まで出ており、妻とはもう三週間会っていない。
 恭也自身は時期も時期で断りたかったのだが、むしろ妻の方が自分は大丈夫だからと、恭也を送り出したぐらいだ。
 しかし、やはり傍にいてやるべきだったと、恭也は今更ながら後悔している。
 恭也は受付から聞いていた部屋に直行し、ドアを軽くノックしてから扉を開けた。
 そこは白い部屋。
 かつて恭也も何度か世話になった――無論、まったく別の場所でだが――ことのある場所。
 白い病室。
 自分が入院していたときは、そのただ白いだけの部屋がいやに味気なく、閉塞感を感じていたものだが、今は酷くそれが清潔感があって安心させてくれる。

「遅くなった」

 恭也は、未だ慣れない笑みを浮かべて、病室のベッドの上で上半身を起こす女性……己の妻にそう言う。
 妻は病衣を纏い、長い朱色の髪を三つ編にして後ろに流していた。疲労が残っているのではないかと恭也は思っていたが、少なくとも顔にその色は出ていない。

「本当にすまない」

 恭也はベッドに近づいて、言葉通りすまなそうに眉を寄せる。
 すると妻は、恭也とは違い太陽のような輝く笑みを浮かべて、そんな恭也に首を振ってみせた。

「気にしないで、仕事だもの。あなたこそ怪我は?」
「ああ、大丈夫だ」

 恭也は頷いたが、その視線は妻の腕の中に注がれて動かない。
 妻の腕の中には、生まれたばかりの赤ん坊がいた。
 つまりは恭也との子供。恭也が仕事に出ている間に生まれた二人の子供だ。
 予定日より少しばかり早い出産となり、当然ながら恭也は立ち会うことができなかった。というよりも、海外にいたせいでそのことを知ったのさえ、彼女が産んでからという男としては頭を抱えたくなる体たらくである。
 しかし、妻はそのことをまるで責めない。
 ただ微笑みながら、腕の中の赤ん坊を恭也に差し出す。

「抱いてあげて」
「あ、ああ」

 恭也は、目を瞬かせながらも、己の子供を受け取る。
 赤ん坊のなのはの世話をしたこともあったが、それも恭也の感覚では三十年近くも昔の話。さすがにもう思い出すこともできず、赤ん坊を抱き上げるなどほとんど初めてのようなものだ。
 身体というよりも頭の重さに戸惑い、その後頭部に手をあて、壊れ物を扱うように抱き上げた。
 そして、その顔と目を見つめる。
 女の子だった。
 僅かに生える産毛は、妻のそれと同じく朱色をしていて、目もまた同じく碧眼。
 女の子の髪色やその質、目は父親から遺伝することが多いと聞くが、どうやら彼女は妻のそれを引き継いだらしい。
 自分のそれに似てしまえば、ただ目つきが悪くなるだけだろうから、安心してしまう。

「あぅ」
「あ……」

 己の子供が少し笑ったように見えた。
 その笑顔が、一瞬『彼女』に重なったように見える。
 それを見て、思わず恭也の頬が緩んだ。
 さらにそんな恭也を見て、妻も優しく笑っていた。

「あなた? 本当にその子の名前、私が決めていいの?」
「ああ。俺にはネーミングセンスがないからな」

 何よりも、今重ねてしまったように、きっと自分がつけようとしたならば、一つしか思い浮かばない。
 しかし、それはいけないと思うのだ。
 だから自分は決めない方がいい。
 すると妻は大して悩むことなくその名を紡ぐ。

「神楽……」
「っ!?」

 思わず恭也の目が見開かれた。
 妻は不思議そうに首を傾げて、恭也の反応には気付いていない。

「どうしてかしら? その名前しかないって、その子の顔を見たときから決めていたの」

 心底不思議そうに言う妻。
 まるでずっと昔から決められていたかのように、すんなりとその名が出たという。

「…………」

 だが恭也は、妻のそんな言葉を遠くに聞きながら、己の腕の中にいる自分の子供を見つめる。
 不思議なことなどこの世界には、実はありふれていた。そのことを恭也はよく知っているのだ。
 そんな不思議の只中にいたこともあったし、今こうして己がこの世界にいること自体が、もしかしたら本来ならありえない不思議なことの筆頭だったのかもしれない。
 ならば今、腕の中にいるこの子は……


『いつでも、私が言ってあげるネ!』


 遠いいつかに聞いたそんな言葉を思い出す。
 まさかそのためにここまで来たというのだろうか?
 都合のいい妄想。そう割り切ることもできる。
 しかし、それでも――

「神楽……」

 初めまして?
 違う。
 これからよろしく?
 そうじゃない。
 言うべき言葉はきっと一つだ。
 やっと、やっと彼女に言えるのだから。

「ただいま……神楽」
「あーっ!」

 神楽がその紅葉のような手を伸ばし、恭也の頬に触れた。
 そこには自分は大丈夫だから、安心して欲しいという想いが溢れているように感じる。
 『彼女』に包まれているような気さえした。
 そして――



『お帰りヨ! 恭ちゃんっ!』



 確かに恭也は十数年ぶりに、『彼女』の声を聞いた。
 恭也はようやく帰るべき場所へ帰れたのだ。




メンテ
Re: 二刀の剣士が帰る場所(6/10 七話・離別更新) ( No.21 )
日時: 2015/06/18 13:54
名前: テン







 ◇◇◇






 これより先はある種の蛇足である。
 剣士の旅は終わった。
 故に進む必要はない。
 しかして、残された少女の軌跡は確かにここにある。



 それはある世界、ある時、ある場所で。

「ぷうっ!」

 少女は椅子に座ったまま己の頭に被さっていたそれを、息を大きく吐き出しながら外した。
 それは工事用のヘルメットのようなものではなく、無骨な鉄製の何か。形こそヘルメットに酷似しているが、頭のどころか顔の半分近くを覆うほど大きく、あらゆるところに妙な配線が取り付けられ、その配線は近くに置いてある大きなカラクリに繋がっている。
 少女はそれを外したあと、蒸れた頭に風を通すために何度も頭を振り乱す。
 すると俗に言うツインテールと呼ばれる二つに束ねられた長い朱色の髪が、大きく揺れた。
 まだまだ幼さを残すが、その白い肌と碧眼に彩られた顔はひどく美しかった。その身に纏う足元に火花を散らした柄の黒いチャイナドレスは、身体のラインがわかりやすく、大きな胸とくびれた細い腰が彼女のスタイルを物語り、足にギリギリまで入ったスリットから覗く太ももは艶かしい。
 そこらのアイドルが――どこぞのアイドルオタクの眼鏡が怒り狂いそうな表現ではあるが――裸足で逃げ出す極上の美少女がそこにいた。

「本当によかったのか、嬢ちゃん?」

 そんな彼女に向かって、白い髭をはやし、ゴーグルをつけた老人が問いかけた。

「あっちなら今すぐにだってあいつに会えんだぞ?」

 老人が顎で指し示す先には、やはり大きなカラクリがあるようだったが、それにはカバーがかけられていて、中身はわからない。
 少女はそれを見ながら首を横に振った。

「……あれは駄目アル。それは私が許せないネ。もう恭ちゃんに余計なもの背負わせたくないアル。悪戯とか好きなのに、変なところで真面目だから、きっと今だって罪悪感を覚えてるに違いないヨ」
「そうかい」

 あの男を一番良く知る少女がそう言うなら、もうこれ以上は言わないと老人は頷いた。
 あの装置ができたのは、すでに一年半以上前のこと。しかし、それを少女にその仕様ごと教えた一年前に、絶対に使うなと言われたのを老人は思い出す。
 老人はヘルメットのようなものを少女から受け取り、それを軽く何度か小突いた。

「このカラクリのデメリット、覚えてるな?」

 老人の言葉に少女は小さく頷き――

「忘れたアル!」

 両手を腰に当て、顎を上げつつ堂々と言い放った。

「胸張って言ってんじゃねェ! 何度説明したと思ってやがる!」

 思わず老人はなれないツッコミをしながらも、ほとんど髪のない頭を掻く。
 とはいえ、あれから二年も経って、ようやくこの少女がらしさを取り戻しつつあることに老人は内心で安堵もしていた。それにこのヘルメットのようなカラクリが、少しでも作用してくれていたならさらに嬉しいものだ。

「とにかくこの装置で、おめーの記憶や想いを『あっち』に送った。『あっち』にそれを受け取れるような奴がいるなら、きっと意味はあるだろうさ」
「『あっち』の私、アルな?」
「ああ、そうだ。まあ、いるなら、だけどな。いなくても少しの言葉ぐらいならあいつには届くだろうさ。あとはお前も『あっち』のことを拾っちまうようになってるだろうから、そのへん気をつけろよ」
「ウン」

 この装置はそういうものだ。意味があるかはわからない。けれど彼と少女の繋がりを消さないためのもの。
 形のない記憶と想いを送り、そしてそれを受け取るカラクリ。
 だが、そこにはデメリットが存在した。

「それなりに実験して、『あっち』と『こっち』とじゃ時間の流れ方が違うってのがわかった。けど今回ので、『あっち』に盛大に干渉しちまった。そのせいでさらに時間の流れに差が出ちまった可能性もある」

 老人は言って、近くにあったさらに別のカラクリに手を置いた。
 それは先ほど少女が使うなと言ったカラクリとはまた違うもの。これも完成こそしているが、未だ使うことができない代物。

「『こっち』が早くなってるってこたーねェだろうが、これを使えるようになっても、下手すりゃあいつが俺よりも年上になっちまってる可能性だって十分にあるぞ」

 時間の流れまで”今は”干渉できないと老人は言う。

「まあ、なんならタイムマシンぐらい作ってやるけどよ」
「ジィさんが言うと洒落になってないアル。私は別に過去を変えたい訳じゃないヨ」

 この老人が、そのぐらい作り出すとわかっている少女は、思わず半眼で言い放つ。
 しかし、少女はそれをすぐに崩すと笑った。

「関係ないネ。ジイさんになってようが、恭ちゃんは恭ちゃんアル」

 どんなに外見が変わっていようと、少女にとって『彼』は『彼』だ。その想いは決して変わらないという自信があった。

「それにあいつに女ができてる可能性……それこそ結婚してる可能性だってあるんだぜ?」

 そんな少女に、老人は試すように言った。
 しかし、それは確かに事実でもある。いつか会えたとしても、十年、二十年と経っていたなら『彼』にそんな存在ができていてもおかしくはないのだ。
 だが、少女は勝気に笑う。

「そのときはそのときアル。正々堂々真正面から……」

 その笑みは、『彼』が『こっち』にいたときと変わらない笑顔――

「その女から恭ちゃんを寝取ってやるネ! これからは女にだってNTRを感じさせる時代アル! 私は若さで勝負するヨ! さらに銀ちゃん秘蔵のエロ本とバナナとアイスで培った手練手管を恭ちゃんに見せてやるネ!」

 そんな笑顔で、少女は拳を握ってそんなことを言い放つ。

「女が拳握り締めて言うことかよ!?」

 しかも本気で言っているであろうことが、余計に性質が悪い。
 仮に『彼』に家族ができていようが、少女は突っ走るだろう。愛人上等とも言いかねない。
 この少女は、”その程度”の障害で参るような想いを抱えてはいない。
 『彼』がいなくなって一年、老人から希望を貰ってさらに一年。一年絶望を体験し、一年希望を体験し、二年を生きた少女は、それでもその愛情を育み続けたのだ。
 きっと『彼』にはそんな希望はなくて、もしかしたら今頃諦めてしまったかもしれない。だが、それならば自分が諦めないと少女は誓ったのである。
 少女はこの二年間で、どれだけ己が『彼』に愛されていたのかを実感する毎日だった。その愛情を少しでも返したい。
 どれだけの時間が流れようと、自分は『彼』を愛し続け、いつか必ず再会するのだと。
 そのとき『彼』がどうなっていようと、関係ない。自分の想いの全てをぶつけるだけ。

「はあ、オメーさん、町の若い連中や真選組の連中に随分と言い寄られてるそうじゃねーか。ちったー女らしくしたらどうだ? いや、二年前と比べりゃあスタイルとかは女らしくなったけどよ。もう少し中身をな」

 少女は昔から確かに美少女ではあったが、その身体は幼児体型、同時に顔も幼すぎて年下からはともかく、同年代や年上の男からそこまでモテるというわけではなかった。
 しかし、二年経ってその現状は一気に変化した。
 希望を見出したここ一年で、一気に身体は成長して女らしさを強調するようになり、顔も幼さを残してはいても、二年前と比べれば急速に大人っぽくなった。
 色気こそまだまだ足りないが、極上の美少女という表現に嘘偽りはなく、今の少女はありえないぐらいに異性からモテる。
 とくに二年前の彼女を知っている者は、さらにその反応が顕著だ。たった一年でこの変化だ。さらに数年もすれば美女になるのは確定的。そんな少女をどうして無視できよう。
 男など即物的なものだが、彼女の変化を見ていれば未来すら欲しくなる。
 二年前、常に彼女の傍にいた男ももはやいない。
 言い寄る男は数知れず。
 そのために彼女に告白して撃沈した男の数は三桁を越える。昔からの知り合いだろうが、一切の容赦なく少女は全て一言の元に切り捨てた。

「そんなん知らんアル。私は……」
「あいつ以外の男には興味ねェってんだろ? その台詞ももうここいらじゃ有名になってるぞ」

 老人が言うように、男を振るときのその文句は、もはやこの町では有名である。
 少女は、一人の男しか見ていない。他の男など塵芥。彼女の中で男とは、『彼』と身内とそれ以外の三種類でしかないのだ。
 それ以外の男に告白されても、毛ほども情は動かない。
 身内はそもそも少女がどれだけ『彼』を愛しているか知っているからこそ、彼女を女として見ることはなかった。
 昔からファザコン、ブラコン気味と言われていたが、今はそんなものを突き抜けてしまっていた。

「それよりも、それ、あとどのくらいかかるアルか?」

 老人が手を置くカラクリを見ながら少女は問う。

「前にも言ったが、もう一つのと一緒でカラクリ自体はできてらァ。ただやっぱりエネルギーの問題だ。もう一つの方はさほど食わないんだけどよ、こっちは逆に食いすぎる。このままエネルギーを溜め続けて、たぶんあと二年か三年はかかるぜ?」
「……やっぱそうアルか」
「だから言ったじゃねェか。これを使うより、待った方がいいって。デメリットの方がでけーんだからよ」
「それでも送りたかった、届けたかったのヨ。二年分の私の想いを……恭ちゃんに私は大丈夫だって安心してほしいアル」
「……そうかい」

 老人は珍しく優しげに笑って頷いた。

「あと三年、長いアルなぁ」
「すまねェな」
「なんでジィさんが謝るネ。むしろ感謝してるアル」
「そう言ってくれると嬉しいがね」

 少女と老人は笑い合う。
 一頻り笑い合ったあと、少女は立ち上がった。

「そろそろ帰るアル」
「おう、もう遅いから帰り気をつけろよ。あと女の一人暮らしなんだ、家でも気を付けとけ」
「誰に言ってるネ?」

 言いながら少女は部屋の入り口に立て掛けられていた番傘を持ち上げる。
 昔よりも重く、太くなったそれは、彼女の怪力で振り回されれば、大の男もひとたまりもない。

「……それもそうか」

 老人は苦笑して、それでも気をつけろと送り出す。
 そうして少女は老人の店を出て、すでに何度も家や仕事先から通いなれた道を、天上に見える月を見上げながら歩き始めた。
 月はかつてのように少女を照らす。
 あのときのように隣に『彼』はいないけれど、なぜか今は彼が隣にいてくれるような安堵が広がった。
 そして――


『ただいま……神楽』


 そんな声と、『彼』の微笑む顔が確かに脳裏に浮かぶ。
 それはきっと幻でも幻聴でもない。きっとあのカラクリは成功したのだろう。

「おかえりヨ! 恭ちゃんっ!」

 だから神楽もまた見上げる月へと向かって、満面の笑みで言った。
 大丈夫。大丈夫だ。
 この微笑みを、声を感じ取ることができるなら、自分はまだ頑張っていける。
 だから――

「いつか、私にも『おかえり』って言ってね、恭ちゃん」

 彼女もまたいつか帰るべき場所に帰るのだ。





 エンド一 娘 終




 ……蛇足の方が長い。
 ノーマルエンドでございます。

メンテ
Re: 二刀の剣士が帰る場所 ( No.22 )
日時: 2015/06/22 07:54
名前: テン


 ●戦闘描写恐怖症を取り除くために書いたものです。ですのでかなり荒いかと。
 恭ちゃん最強ものになってしまってます。うーん、恭ちゃん苦戦ものがよかったのですが、この設定だと無理。
 また今回は銀魂要素ほぼ皆無。
 美沙斗がちょっと精神的に苛められてます。というか、恭ちゃんも苛めながら苛められてます。
 そういうのが苦手な人は注意です。
 番外編なので二文字タイトルではありません。





 番外編一 剣鬼対人喰い鴉






 暗い廃ビルの一室。
 窓が剥ぎ取られた穴から差し込む月明かりに照らされる二人の剣士。
 青年剣士と女剣士。
 お互い黒一色の服を纏い、やはり両者共にその両手には小太刀と呼ばれる刀が握られている。
 顔つきや雰囲気も良く似た二人だったが、その顔に浮かぶ表情は、今は真逆と言えた。
 青年は何の感情も浮かべず、ただ観察するように相対する女性を見つめ、疲労の一つすら浮かんでいない。
 対して女性は、眉を寄せ、疲労で滲む汗すら拭けず、相対する青年から目を離さない。それは青年とは違い、目を離した瞬間、己が負けることを自覚しているからに他ならなかった。

「はあっ……はあっ……はあっ……」

 女剣士――御神美沙斗は荒い息を繰り返し、目の前に立つ男性……いや、人間の形をしただけの怪物を見つめていた。
 まずい、本当にまずい。
 裏に入っての十年で……否、御神美沙斗の人生で、ここまでの怪物は初めて出会う。認めたくはないが、己の夫や兄すらも目の前の怪物は越えている。
 怪物の名を高町恭也。旧姓不破……不破恭也。
 美沙斗の兄の息子。美沙斗にとっては甥に当たる人物。


 ――強すぎる


 その甥を相手に浮かぶのはもはやそれだけだ。
 確か娘と三つ違いのはずだから、今はまだ二十歳になっていない。下手をすればまだ学生のはずだ。
 そのはずの甥が、己を圧倒している。
 何をどう”間違えれば”ここまで強くなれるというのか。
 不破士郎はもう随分前に死んだ。それはつまり恭也には師というものが存在しないはずたった。そうであるというのに、本来のものとは少々異なるとはいえ、こうも御神流を操っている。それだけでも驚嘆に値するというのに、この強さである。
 美沙斗にとって、そこまで難しい仕事ではなかった。いかに世界的歌手のコンサートとはいえ、平和な日本の警備員程度、美沙斗相手ではお話にもならない。だが、フタを開けれてみればこれである。
 この仕事を終えれば、宿敵の情報が得られる。
 復讐に終わりが見える。
 そんなときに出会ったのが、ターゲットの身内であるというこの甥と……そして娘。
 その存在だけでも美沙斗の心をかき乱したというのに、さらにこれだ。


 ――負けるわけにはいかない!


 ここで負ければ、この十年以上の時が無駄になる。これまで犠牲にしたものが無駄となる。
 それは認めるわけにはいかないのだ。

「かぁっ!」

 数メートルあった間合いを高速の踏み込みを以って一瞬で無とする。
 元より刺突を得意とする美沙斗は、高速の間合い詰めを得意とする。一歩と見せながら二歩三歩と詰める技法。所謂『縮地』と呼ばれる技術。
 相手の呼吸にすら合わせ、神速を使わずとも相手に認識させずに懐へと飛び込む。

「殺ぁっ!」

 気合一閃ならぬ気合一突。
 腰の捻転と背筋の力を全て込められた必殺の刺突。奥義のそれではないが、それでも幾人もの熟練の戦闘者相手に何もさせずに屠ってきたそれは凶悪の一言。
 それが恭也の肩目掛け飛び込もうとした瞬間――

「ぎっ!」

 顎に衝撃を受け、勢いに負けて首を後ろへと反らされ、天井を強制的に見上げさせられる。
 しかし、恭也は何もしていない。防御もかわそうともせず、また迎撃の態勢すらとっていない。肘や膝を動かすような大きな動作はなかったはずだ。
 一体何が己の顎を強打したというのだ。
 そんなことを考え、視覚外、思考の外からの攻撃に美沙斗が、目を見開いていたが、敵を視界から外す、それはまずいと強引に首へと力を入れて、恭也へと視線を戻す。
 だが、彼は舐めているのか、それとも美沙斗が身内だから手加減しようとしているのか、追撃はなかった。
 美沙斗が首への負担でムチウチ気味の痛みに顔を顰めたとき、視界の隅に小さな何かが映る。


 ――小石っ……!?


 それは小さな小さな小石。
 美沙斗の皮膚を抉ったのか、僅かに血が付着していて、それがむしろ彼女を攻撃したものだという証拠でもあり、だからこそその存在に気付いた。
 だが、こんな一センチ未満の小石をぶつけられた威力ではなかった。こんな小さな石が、人間の頭を跳ね上げるに至る力はいったいどれだけのものか。
 再び驚きで目を見開きかける美沙斗だったが、そんなものはあとにとっておけと己に活を入れて、小太刀を一閃。

「…………」

 恭也は難なく己の小太刀を切り上げ、弾き飛ばすが、その剣速が最早異様の一言であった。こともあろうに、この青年……”美沙斗の斬撃を見た後に斬撃を放っておいて”、彼女のそれに追いついたのだ。

「くっ!」

 その事実に背中に汗が流れる。
 間違いなく、美沙斗は今、恭也に恐れを抱いていた。
 ありえない。相手も同じ御神の剣士だというのに、その戦闘理論が欠片ほども理解できないのだ。
 しかし、ここで負ければ目的が遠くなるという焦燥感から、美沙斗の両腕が動く。
 斬撃に次ぐ斬撃。
 二刀による乱舞。
 剣の結界。剣の壁。
 相対する者を微塵へと変える高速の斬撃。
 だが、目の前の怪物には通用しない。
 同じく二刀の斬撃の結界によって、斬り落とし、斬り弾き、斬り飛ばす。一切の斬撃が恭也には入らない。届かなかった。
 それでも止めることはできないと、さらに速度と回転を早めようとしたとき――

「っ!?」

 甲高い音をたてて、逆に美沙斗の両手から小太刀が弾き飛ばされた。

「なっ!?」

 何だ今のは。
 いきなり、いきなりだった。
 それまで美沙斗と同じ速度、力だった斬撃が突如として変化した。視認できない速度。腕で押さえ込めない力。
 美沙斗の両手から離れた小太刀が彼女の後方の地面に落ちて、再び甲高い音を上げた。
 その瞬間、美沙斗は腕に巻いたバンドから手首のしなりだけで飛針を抜き、恭也へと投擲。
 恭也がそれを小太刀で振り払っている隙に、後方へと飛び退いた。
 正確には隙をついたわけではないだろう。単純に恭也が見逃したのだ。そうでなければ武器を失った相手をむざむざ再び武器のもとになどいかせない。飛針を払いながら突進もできたはすである。
 その事実を受け止め、美沙斗は恭也から目を離さないようにしながらも、腰を落として小太刀を拾うが、やはり彼はまるで妨害はしない。

「くっ……」

 手から武器を離して決着。漫画などによくある描写だが、現実にはそうあることではない。当たり前だ。武器がなくなれば終わり……殺される。そんなことは誰でも理解できることだろう。だからこそ、どんな衝撃がこようとも武器だけは放さない。それは生存本能とも言えるものである。
 それがありえるとすれば、よほど実力に差……それこそ素人と熟練レベルの差があるか、もしくはよほど奇抜な攻撃であったかだ。
 この場合後者だ。ただ奇抜というよりも、ありえないというような攻撃。
 確かにただの斬撃だった。それは美沙斗も認めよう。だが、ありえない速度、ありえない力で放たれた斬撃。
 それがまるで、激流に流されてきた丸太に衝突したかのような衝撃を美沙斗に与えた。むしろあのまま小太刀を握っていたなら、その力を受け流せず、小太刀の方が折れていただろう。それを本能的に察したからこそ、むしろ力を流すために指の力を緩めるしかなかった。
 美沙斗は小太刀を回収するために離れた位置から、恭也の姿を確認する。
 男子の平均よりも高い身長を持ち、その身体つきは引き締まっているとはいえ、あんな力を込められるほどの膂力があるとは到底思えない。つまりは何かしらのカラクリがあるはずなのだ。
 だが、そのカラクリがまったく見えない。
 美沙斗は息を整え、左手の小太刀を逆手に握り、腰を下げ、右肘を引きながら曲げて小太刀を引き絞るように構える。
 この体勢から放たれる技は一つだ。
 これまでは美沙斗もできれば甥である恭也を殺したくないと、致命傷になりそうな部位を攻撃するのは避けてきた。だが、もはやそんなことを言っている場合ではない。
 狙うは人体の急所が揃う正中線。かわせなければ死に、かわせたとしても、刺突である以上、右か左かにかわすしかない。かわされても派生したそれを向かわせる。
 美沙斗は震脚を以って地面を弾き飛ばす勢いで、弾丸の如く恭也へと向かう。
 背筋と突進の勢い、腰の捻転によって極限まで弓に引き絞られる矢が開放されるかのような勢いで、恭也へと無慈悲な死の刃が迫る。


 ――御神流奥義之参・射抜


 長射程、超高速の奥義。これに迫れるのは同じ奥義である虎切ぐらいしかあるまい。
 先ほどまでとは違い、確実に自分を殺せる場所へと向かってくるそれに、恭也はどう対応してくるのか。

「っ!?」

 戦い始めてからかれこれ何度目の驚きか。
 何を思ったのか、恭也は左右にかわすでも、小太刀で迎撃しようとするでもなく、むしろ前進してきた。
 高速で、ではない。まるで悠然と一歩を進む。
 そして――

「馬鹿、なっ!」

 美沙斗は、小太刀を突き出した体勢のまま止まっていた。派生させることすら思い浮かばない。いや、派生させることができない。
 美沙斗の刺突は止められていた……恭也の二本の指に。
 第一関節と第二間接が曲げられ、まるで猫手になったような形。その人差し指と中指の間に、小太刀を挟まれ、それ以上動かない。

「刃取り……!?」

 確かに御神流の中にそんな技はある。だが、それを実戦で使う化け物を美沙斗は初めて見た。両手で真剣を受け止める俗に言う真剣白刃取りなどよりもよほど難度が高い……むしろ、実現可能なのかとさえ思える技。
 相手の攻撃を見切れても、受け止めるためには莫大な握力が必要となる。

「いやっ!」

 力業だけで止めたのではない。指の間で刃の腹を滑らせ、勢いと力を完全に流された。形は刃取りに近いが、その内容は御神の術理ではない。しかし、それは本来の刃取り以上の危険な行為。少し滑らす勢いや角度をズラせば指が落ちる。
 また如何に剣勢を受け流したとはいえ、それでも受け止めるには多大な握力が必要なはずだ。
 いや、そもそも美沙斗の突進の力すら受け止められている。無論、これは指を軸にしているだけで、全身の力で止められたものだが、それでも指を刀身から離さないというだけで、かなりの握力が必要だ。
 やはり彼は、見た目からは考えられないような怪力だとでも言うのか。
 戦闘中に驚愕するなど、余分なことであることはわかっていても、今の美沙斗はそれを止められない。
 そんなときに部屋の外から、地面を踏み鳴らすような音が聞こえる。


 ――足音!? 増援か!?


 発生源の方向に視線を向けるような馬鹿な真似はしないが、しかし美沙斗の意識の一割か二割が持っていかれた瞬間、小太刀から指が離され、風きり音すら上げずに恭也の蹴りが彼女の肩のやや下の上腕にめり込んだ。

「がっ!」

 真横へと吹き飛ぶが、転がるようにして勢いを殺す。
 薬のせいで痛みはないが、今ので腕にヒビぐらいは入ったかもしれない。
 しかし今はそれ所ではないと立ち上がりながらも、目の前の敵に集中し、解いていた心を広げるが、付近に増援などいない。しかし恭也の蹴りは確かに、その音に美沙斗の意識が僅かでも向くことを前提にされたものだった。
 つまりは罠だ。
 どうやったのかはわからない。事前に準備していたのか、それとも即興か。

「なんという錬度。なんという老練さ……そして、なんという怪物染みた御神の剣士……!」

 美沙斗は、先ほどから目の前に敵として立つ甥の異様さに圧倒され続けていた。
 まだ二十歳にもなっていないはずなのに、一つ一つの技は美沙斗よりも研ぎ澄まされ、戦術は戦闘経験豊富なはずの美沙斗ですら引っかかる。必殺の奥義は容易く真正面から止められた。
 間違いなく目の前の甥は……美沙斗よりも強かった。そして、恐らく戦闘経験さえ、その量、質共に美沙斗を軽く上回っている。でなければこんな戦術思考はできなければ、何の躊躇もなく指で刀を止めるなどという荒業はこなせない。

「くっ……」

 神速を使うか。そう自問して、美沙斗はすぐさま却下した。
 駄目だ。それだけは。
 先ほど、神速を使ってすでに叩き潰された後なのだ。
 あれはもう確実に、美沙斗よりも深い神速(場所)にいる。こちらが神速を使えば間違いなくあちらも神速を使う。それは避けなければならない。
 舐めている、親戚だからと手加減しているのかどうなのかはわからないが、相手がまだ叩き潰す気になる前に叩かなくてはならない。
 悔しいとすら思えない実力差。舐めてくれているなら、どうかずっとそのままでいてほしい。そうでなければ付け入る隙すらなくなってしまう。
 人喰い鴉、そんなふうに呼ばれ、十年以上戦い続けた美沙斗よりも、目の前の甥は遥か上だというのだ。
 一体、たった二十年以下の人生をどう生きればこんなふうになってしまうのか。
 ……
 しかし、美沙斗は知らなかった。
 目の前に立つ甥が……高町恭也が遠い世界において、剣の鬼とまで呼ばれていたことを。
 戦場に在りながらも返り血すら浴びず、相対する全ての者を切り伏せ、頭を垂れさて王の如く侵攻する剣の鬼。
 故に剣鬼の王。
 その名に偽りなく、遠い世界において白夜叉と並んで半ば伝説扱いにまでなってしまった存在。
 十数年を戦い続け、その戦闘経験は美沙斗を軽く超え、元攘夷志士として人間……地球人以上の存在とも長く戦い続け、一人の少女を守るために最強の戦闘種族と戦い続けた男。
 そして、この世界にて数年の間、さらに己を練磨し続け、呪いを求めて多くの化け物とも戦ってきた剣士。
 それが今の高町恭也だった。


メンテ
Re: 二刀の剣士が帰る場所 ( No.23 )
日時: 2015/06/22 07:55
名前: テン



 ◇◇◇



 美沙斗に怪物と断じられた恭也は、態度には一切出さず、内心でのみ嘆息した。
 別に怪物云々に嘆息したのではない。怪物、化け物扱いなどいつものこと。本当の怪物や化け物にも言われたことがあるだけに、もはや今更な台詞であった。

(どうしたものか)

 目の前の叔母に勝利することはさして難しくない。むしろ本当に殺す気であったならば、これまでに十回以上は殺している。
 これは単純に美沙斗よりも恭也の方が強いというのももちろんある。
 そもそものところどれだけ外見が若くとも、中身はすでに美沙斗よりも年上なのだ。そして、その生きた年月の濃さもまた彼女以上である。
 戦力差が数十倍の戦場を駆け抜け続け、自分よりも身体能力が高い者と戦い続けた十数年。こちらに帰って化け物たちと戦い数年。二十数年に渡って戦い続けた経験。さらにその経験を持ちながらも、三十年以上の戦闘知識を以って鍛え上げられた全盛期とも言える若い肉体。
 いかに十年近くを裏社会で戦い続けた美沙斗と言えど、今の恭也に届くわけがない。もはや才能どうこう以前の問題である。
 美沙斗は恭也が二十歳以下の子供と油断していたのだろうが、前述の通り美沙斗よりも恭也は年上なのだ。
 同時に恭也が御神の剣士として異質すぎているのも原因だ。
 美沙斗がかつて慣れ親しんだ御神の剣士たちと恭也は違いすぎる。だが、すでに彼女の中には、恭也は御神の剣士であるという先入観を作ってしまっていた。だからこそ、御神の剣士の中にはない戦い方を真の当たりにして、反応が遅れてしまう。
 恐らく何より困惑しているのは、時折発揮される怪力とも言える力と速度だろう。
 原理は単純。
 神速だ。
 とはいえ、身体的な負担はそれほどない通常の神速とは違うもの。
 通常の神速を常時神速と呼ぶならば、これは瞬間神速とでも呼べばいいのか。
 通常の神速は数秒間から十数秒の間、人間の限界を越えた動きをするならば、この瞬間神速はただの一撃に人間の限界を超えた全力を込める。僅かコンマ数秒だけ、動くためでも、見切るためでもなく、ただ一撃の攻撃力と速力だけを増大させるためだけに神速に入るのだ。
 一対一ならば通常の神速で十分。十数人程度が相手ならば、一回の神速で皆殺しにもできるだろう。だが、恭也がかつていた戦場で相対した敵の数は、そんな単位ではない。何千という敵が溢れていた。恭也一人で数百を同時に相手取ることなど日常茶飯事。
 そんな中でたかだか数秒から十数秒間、人間の限界を超えた動きができる、などというのは、大したメリットにはならない。
 恭也は総合計で一分を越えて神速で戦えるが、それでも同じこと。その間で殺せる数はせいぜい二百から三百ぐらいだ。そして、時間を全て使い切れば、その日はもうまともに戦うこともできなくなるだろう。それでは足りないのだ。
 そうした中で編み出したのが、この瞬間神速であった。
 ただの一撃のためだけ。そのためだけに神速に瞬間的に入り、身体のリミッターをやはり瞬間的に開放する。
 ただの一瞬。そのために肉体の損耗や疲労は、通常のそれよりも激しくない。
 無論、最初に思いついたときは、そう簡単にいくものではなかった。
 脳への負荷と、時間が短いとはいえリミッター解除を何度も繰り返すのだから、神速の使った直後のようなではないが、数十回使うと通常の神速以上に、後に頭痛や全身の倦怠感が残ることが多かったのだ。
 言ってしまえば瞬間的にオンとオフを何度も切り替えるようなもの。電気機器が通電させるためオンにする時が、一番負荷がかかり、また電力を使う理屈と同じである。
 しかし、この男は生活の中でさえ、度々神速に切り替えることを繰り返し、身体を無理矢理それに適応させてしまったのだ。むしろ日常の中でもできる鍛錬として、克服した日数はかなり少ない。
 慣れによってより少ない電力で通電させ、ソフトとハードへの負担を極限にまで下げてしまった。今では一日百以上の攻撃をこの瞬間神速で行いながら、それでも神速一回分程度の損耗と疲労に抑えられる。使用後の頭痛と倦怠感も、さほど気にならないところまできた。
 本来ならば速度と見切りにこそ目が向けられる神速を、一撃の力と攻撃速度にだけ方向を向けた御神の術理からかけはなれた恭也の固有技。
 恭也の人生の集大成とすら言える秘儀。
 美沙斗の顎を強打し、頭を跳ね上げた小石は靴の上に乗ったそれを神速というリミッターが解けた脚力により、足首の力のみで跳ね上げたもの。後だしで斬撃を放ちながら相手を越えてしまう剣速も、斬撃のなか混じる超重斬撃も、指と全身で美沙斗の刺突と突進を止めたのも同じ原理。
 神速を使えば、ただ走るという行為によって生じる余剰による力で、コンクリートであっても踏み砕く。それの余剰分も含めて意識して全て力へと変換したもの。
 それらが瞬間神速だった。
 無論、美沙斗がもし神速に入っている状態でなら、受け止められる代物だ。しかし、御神の剣士として神速に慣れすぎた彼女は、むしろ御神の剣士だからこそその原理に気付けない。神速へと入れば感覚ごとその領域にシフトしてしまうが故に。
 恭也にとって有利である点ばかりの戦い。よほど油断しなければ、そう簡単に結末が覆ることはない。
 しかし――

(どうしたものか)

 内心で同じことを繰り返してしまう。
 ”殺す”ことは簡単にできる。しかし、それでも美沙斗を”倒す”のは中々に難しい。
 これまでの攻防から、美沙斗が何かしらの手段で、ほぼ痛覚がなくなっていることがわかっている。そんな彼女を戦闘不能にするのは殺す以上に難度が高い。
 足を折っても、彼女は気にせず走るだろう。腕を折っても気にせず攻撃するだろう。肋骨を折っても気にせず動き、下手をすれば内臓を傷つけかねない。
 確かに恭也の方が強いが、だからと言って勝負を決める方法がないのだ。
 漫画のように相手の意識だけを奪うというのは簡単ではない。
 よく漫画である行為、横隔膜への打撃で呼吸不全にして気絶させるというのは、そのほどの打撃は下手をすれば内蔵を破裂させる。延髄への攻撃で脳震盪を起こさせるというのは、それほどの衝撃は下手をすれば首の骨を折る。そうした行為は、実の所失敗すると呆気なく対象を殺してしまう。当たり前だ、それらの部位は人間の急所なのだから。
 できないわけではないが、相手がよほど油断でもしていなければ無理だ。

「復讐か……」

 そんな膠着した状況で、恭也の口から何気なく出た言葉。

「っ……」

 それに美沙斗も僅かに反応を示した。
 御神家を滅ぼした者たちへの復讐を誓った叔母。それを叶えるために、フィアッセたちを狙った彼女。
 恭也にとっては、ほぼ思い出すこともなく、追憶もすることがなかったがために、御神家壊滅もまたもはや古い消えかけた記憶。
 名前は思い出せても、その技を使う姿は思い出せても、顔は思い出せず、思い出はもはや消えた。故に御神家を滅ぼした者たちももう遠く、憎悪もなければ怒りもない。どうでもいいとしか言えなかった。
 そもそも美沙斗を覚えていたこと自体、奇跡であっただろう。もっとも思い出せたのも、彼女が御神流を使っていたからで、消去法でしかない。顔を覚えていたわけでもないし、彼女との思い出も霞んだ霧の向こうであった。
 何にしろ、恭也には美沙斗の復讐心は、どうしたって理解できない代物だ。とはいえ狙ってきたのがフィアッセたちでなはければ邪魔もしなかっただろう。

(晋介、とはまた違うか)

 あの男は、復讐心に囚われているというよりも、もはや破壊願望に囚われていた。御神美沙斗のそれとは違う。

「俺はすでに一度、この世界を、家族を捨てた身だ。そんな俺はあなたを責められる立場に本来ない」

 復讐のために過去を捨て、娘を捨てた叔母に、ご大層な説教を垂れることは、今の恭也にはできない。
 同じく一度この世界ごと家族を捨てた恭也が、美沙斗に言えることなど本来ならば何もない。今、戻る方法を提示されたなら、美沙斗を無視してでも、戻るという選択をするかもしれない己が、どうして彼女を非難できようか。
 けれど――

「俺はあなたが羨ましい」

 二人には決定的な違いがあった。

「なにを……っ!」

 それを侮辱ととったのか、美沙斗は激昂しかけたが、すぐにそれを飲み込んだ。
 きっと恭也の目を見たから。
 爛々と嫉妬に輝く恭也の黒い瞳を。

「あなたは戻れる。あなたは選べる。何もかもを」

 彼女は”戻れる”のだ。
 自らが選べば、今すぐにでも戻れる。その手段もなく、戻れないという絶望だけを味あわされて、選ぶことすらできない自分とは違う。
 自分は『彼女』の元に戻れないというのに、叔母は娘の下へといつでも戻れるのだ。ただ覚悟するだけで。

「目の前に、手に届く所に、自分の大切な者が、帰れる場所があるというのに、ただ目を背けている」
「違う! 私は龍を滅ぼして! そうして静馬さんたちの墓前に花を添えると誓ったんだ……!」
「そんなことはいつでもできる」

 その瞳に熱すぎる熱を宿して、だがそれとは対照的に、淡々と、ただ淡々と冷たさすら感じさせる声で恭也は切り捨てた。
 瞳に宿る熱に気圧されて、美沙斗が一歩後退さる。

「あなたは全部を選べるんだ。復讐する方法など、いくらでもある。視野を狭めているのはあなた自身だ。美由希に会いながら、復讐したって構わない。復讐がまだ終わらずとも、美由希とともに墓前に花を添えることなどいつでもできる」

 確かに死んだ人間は取り戻せない。だけど未来への選択肢などいくらでもあって、その全てすら選べるというのに、そのことにすら気付かない。彼女に迫られたそれは二者択一などでは決してないのだ。全部だって選べてしまう。
 生きているのにその人の傍に行けず、しかしそれを求めて今の家族を裏切り続けるという行為を繰り返している自分とは違いすぎて……

「私は……! 無駄にしないと誓って斬り捨ててきたんだ! 今更それを……!」
「俺はあなた以上に殺してきましたよ。もう何人斬ったのか覚えていない。見てください」

 言って、恭也は右手に握った八景を掲げてみせる。
 痩せ細った刀身が、月の光を浴びて光る。そこにはもはや妖刀の如き、蠱惑的な妖しさすらあった。
 まだ大丈夫だとは思うが、それでも念には念をと、もう二刀一対で使うことを止めてしまった。同時に砕けては色々な意味で困るからと。

「八景……」
「あなたもよく見た小太刀。龍鱗と対になる刀。まだ保つとは思いますが、次の代に受け継がせることはできないでしょう」
「そこまでそれが……痩せ細るほど……」
「ええ、斬りました。斬って捨てました。俺の勝手で殺しました」

 恭也はそのことに関しては罪悪感もなく言い切り、八景を下ろすと鞘に戻してしまう。

「けれど俺はそれでもそのことを後悔はしないし、無駄にしないなどとも言わない」


 ――なぜなら意味がないから


 恭也はそう過去に斬り捨てた者たちを、再び今言葉で切り捨てる。

「そんなものはただの方便だ。己の勝手で殺しておいて、無駄にしないなどどんな慰めになる。それがただ目を背けているだけでないというのなら、なんだと言うんです?」
「そんなこと……!」
「ある。もし自分の復讐に正当性を感じるというのなら、それすら胸を張ればいい。そこまでできなくても、世間的には正しくなかろうと、己にとって正しいのならば、目を背けることじゃない。それすらできないのなら、ただの詭弁にすぎない。とっくの昔に無駄にしてるんだ。あなたはその斬り捨てた者たちのせいにして、振り返りたくないだけでしょう? 胸に燻る罪悪感を見ようとすらしていない」
「違う!」

 美沙斗は恭也の言葉を振り払うようにして間合いを詰め、右の小太刀を一閃。
 しかし、速度はあってもそれまでの正確さが嘘のような稚拙に塗れた斬撃だった。
 恭也は、瞬間的に神速を発動。先ほどのように右手の指の間で難なく受け止め、さらに左手の小太刀の柄底を伸びきった美沙斗の肘に下から叩き込んだ。
 痛みがなかろうと逆関節から流し込まれた衝撃による痺れは、逃がすことはできない。その痺れが手にまで伝わり、美沙斗は容易く小太刀を取り落とす。
 その小太刀をもう拾わせないと、恭也は軽く後方へ蹴り飛ばした。

「そうして無意識に罪悪感から逃げるのは楽でしょうね」
「……れ」

 恭也だって、罪悪感から今まで何度逃げ出したいと思ったか。それでもそれは”まだ”できないと、受け入れ続けてきた。

「あなたは楽な道をただ歩き続けてるだけだ」
「……まれ」

 だから心底あなたが羨ましいと、恭也は無表情に語る。

「俺もあなたのように目を背けてみたい」
「黙れェェェぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」

 恭也の言葉に、もはや我慢ならなかったのか、美沙斗は激昂し、残った小太刀ではなく、それを失った右手を握り締め、ただ力任せに恭也の額を殴りつけた。
 鈍い音が暗く薄汚れた部屋に響く。
 滅茶苦茶な握りこぶしだっただけに、親指の爪でも当たったのか、恭也の額の皮膚が裂け、顔が鮮血に染まった。その血が鼻筋を通り、地面へと零れる。

「美沙斗さん、自覚があるから怒るんでしょう?」
「なら……ならどうしろと言うんだ!? 奴らを滅ぼさないと、戻ることも進むこともできない!」
「さっきも言いましたよ。あなたはまだ、今残った全てを選べる場所にいる。選択肢すら与えられていない俺とは違う。戻りたいならば、戻ればいいんです」
「そんなこと!」
「誰かが許す許さないじゃないんですよ。あなたが選ぶか選ばないか、なんです。俺は目の前にある贅沢な選択肢から目を背けないでほしいだけです。その上で、あなたが美由希を捨てたとしても俺は非難などしない。できるわけもない。逃げるなと言っているわけでもない。選択を迷ったっていい。逃げるという選択すらせずに、数ある選択肢そのものから目を背けてほしくない」

 恭也は、選べるというのなら心底選びたい。

「ああ、俺だって心底選択肢があったならと思う。あいつに会いたいとただ願い続けて、けれどそれは家族への裏切りだと心が締め付けられる。ずっとそんな状況で、何かを変える選択肢すらない。今はただ必死にどちらも選べるように足掻き続けるしかない……!」

 あちらの世界とこちらの世界。
 神楽と家族。
 それを選べる状況ですらない。だって神楽を選んだとしても、その彼女の元に向かう方法がそもそもないのだから。
 いつかそんな状態に限界が来ることはわかっている。

「けれどあなたは違うでしょう……!?」
「きょう、や」

 美沙斗には、恭也がどんな状況かなど欠片ほども理解はできないだろうことはわかっている。いや、どんな人間だろうが、恭也に共感し、理解できる者などいない。
 けれど言葉は届いてくれていると信じている。

「美沙斗さんは全てが手を伸ばせば届く。美由希の元に戻ることなんて意思一つでいつでもできる。復讐が冥いものだなどと、独りになって行わなければならないものだと誰が決めたんですか? 真っ当な方法でだってそれはできる。そんなことは無理でこれまで通りの方がいいというのなら、それらから目を背けてもいい。けれどそれを自分の意思で選ばなければ、あの人たちに花を手向けたときに、あなたはあの人たちの前で後悔することになる」

 美沙斗の未来が、わかりすぎるぐらいに恭也にはわかる。
 ただ恭也はその選択肢がほしいと延々と足掻き続け、美沙斗は選択肢から目を背け続けてきた。根本的な立ち位置は違っても、その選択肢に悩まされてきたのは、二人とも同じなのだ。

「だから今は眠ってください」

 恭也は額を打ち抜かれたまま鞘に戻した八景の柄に手を置く。
 そして――

「次に目覚めたときは……本当の選択を。その答えを俺に教えてほしい」

 その言葉とともに、誰の目にも斬線すら終えない速度で抜刀され、解き放たれた銀閃が唯一直線に美沙斗へと向かっていった。



 ◇◇◇



「人喰い鴉も存外使えねェなァ」

 路地裏から向かいの廃ビルの出来事……男と女の剣士の戦いの全てを双眼鏡で覗いていた男は、嘆息気味に呟いた。
 人喰い鴉の監視役。彼女が仕事を全うできたかを見届ける役目を負った男は、それができなかったことを確認した。
 見る者が見れば、裏寒いと感じる笑みを浮かべ、男は甲に龍の刺青が入った手で、その内に弄んでいた何かのスイッチに触れ、何の躊躇もなく押した。
 しかし――

「なに?」

 彼が見つめる先に、何ら変化は訪れない。
 馬鹿なと双眼鏡を、今まで向けていたその場所よりも、上へ下へと移動させる。

「探しているのはこれか?」

 そのそんな言葉とともに、床に何かが落ちる音が響いた。
 男が双眼鏡を投げ捨て、声のした方向に視線を向ける。

「なっ!?」

 そこに死神がいた。
 黒一色の服を纏い、その両手に小太刀を握り、無表情に立つ男。
 その足元には、箱状のなにか。
 男はそれに見覚えがあった。
 何かあった際に、もしくは用済みとなったときに、人喰い鴉を抹殺するため、あの女が根城にしていた廃ビルにしかけられた爆弾の一つ。

「とっくの昔に……それこそ俺たちが戦い始める前に、あのビルに設置されていた爆薬は全て解体させてもらっていた」

 それはつい先ほど、人喰い鴉という化け物を屠ったさらなる怪物。
 その怪物はほとんど間を置くことなく、男の前に現れた。
 瞬間、男は逃げることだけを考え始める。
 男はそもそもそこまで強くない。あくまで爆弾の設置技術や、観察力だけが高いだけ。人喰い鴉を子供扱いして何もさせず勝利したような化け物に、対抗できるような力はない。いや、そんな人間、彼が所属する組織内にすら一人としていなかった。
 だからどんなお涙頂戴をしてでも生き残る。
 男は目の前の死神に泣きつき、隙を見て逃げ出そうと画策していた。

「ああ、それと……俺は美沙斗さんのように甘くはない」

 だが、そんなことはできるわけもない。

「え……?」

 なぜなら男の首はすでに宙を飛んでいたのだから……

「この爆弾は、お前の死体を隠蔽するのに活用させてもらうとしよう。それとお前の腕はもらっていくぞ」

 男の耳に、そんな言葉が届いたとき、その意識は真っ暗な闇に閉ざされたのだった。



 こうして剣鬼と鴉の戦いは呆気なく終わった。
 その後の未来がどうなったのか、鴉はどのような道を選んだのか。
 それは詳しく語るまでもない。
 時折高町家の縁側に座り、お茶を飲む人物が一人増えた。
 ただそれだけのこと。








 言い訳
 簡単ではないと断言しつつ意識を落とす恭ちゃん。まあ、あれです、言葉攻めで動揺させた結果かと。
 恭ちゃんもエンド一で逃げたと言えば逃げたのですが。限界ゆえに自分から選択肢を無理矢理作った結果と言えます。仮に、銀魂世界に戻る方法がある、という状況なら、あの選択肢だけはなかったでしょう。まあ逃げるにしても自分で逃げることを選びなさい、とも。
 ちなみにこの作品の恭ちゃんは神速を一回十秒以上使えます。
 小説版の静馬が十秒だったらしいので、それ以上です。膝の怪我もないので、四回以上使えます。普通に化け物ですね。とはいえオン・オフの過負荷がないためというのが一番の理由ですが。
 この恭ちゃんはもう士郎たちも越えてますが、本人は気付いていないというか、他の作品と違いあまりそのへん気にしてません。


メンテ
Re: 二刀の剣士が帰る場所 ( No.24 )
日時: 2015/07/01 06:31
名前: テン



 エピローグ二



 恭也は唇を噛み締め、柵の上に置いた手に力を入れ、振り下ろす。
 柵の上に叩きつけられた手から、痛みと痺れが返ってきた。

「くそっ……!」

 『彼女』に会いたいという想いは聊かも衰えてはいないのだ。いや、むしろ時間が経つごとに、その想いは溢れてくる。
 妹であり、娘であった存在。どうしてそんな『彼女』を忘れられるというのだ。
 だけど――

『恭也、お願い! 味見して!』

 この世界の家族の元に戻って過ごしたこの数年のとき――

『恭ちゃん、私強くなる!』

 その日々は確かに罪悪感に塗れていたけれど――

『えへへー、おにーちゃん!』

 それでもその毎日は懐かしくて――

『ただいま、恭也』

 暖かかった。

「っ!」

 大切だった者たち。
 遠い昔に捨ててしまった家族との生活は辛くて、けれど懐かしく、その笑顔を確かに守りたいと思った。
 ……そうでなければ、今もまだ家族の傍にいるわけがない。
 そうして生きれば生きるほど、かつて捨てた世界は再び広がっていく。
 新たな家族と出会って、新たな友人と出会って。
 『彼女』に会いたいという想いは衰えていないのに、どうしたって思い出す時間が減っていく。
 それはかつてもあったこと。
 かつては仕方がないのだと思った。時間が経ちすぎた。大切な者が多くなってしまった。免罪符はたくさんあって、その者たちとの時間が長くなれば、過去を追憶する時間は少なくなっていき、そうして記憶さえ奪われていく。
 再び、それを繰り返すというのか……

「かぐ、ら……!」

 それを避けるためには、今、再び家族を、世界を捨てる必要があった。
 けれど……

「でき、ない……」

 あのときは割り切れた。きっともう戻れない。何より『彼女』の方が大切になってしまったからと。
 けれど、こうして戻ってきてしまって、再び家族との思い出を埋めていった今は……優柔不断だと言われようが、もうそんな簡単に割り切ることはできない。
 けれどそれはつまり……

「神楽……俺は……」

 『彼女』との本当の別れを意味した。
 どちらかしか選べない二者択一。あちらの世界に戻る方法はなく、まだその選択肢すらないと先延ばしにしていたこと。
 未だにあの世界へと赴く方法が見つかっていないのは変わらない。だが、選ぶことはもっと早くにできていたはずだ。

「もう……あの世界のことは……」

 あの世界に戻る方法を探すこと、それ自体を……

「……あきらめ――」

 言葉にしようとしたとき、ポケットの中が揺れた。





「…………」

 恭也は、ふっと全身から力が抜けるのを感じる。
 一つ息を吐くと、ポケットから揺れの原因である黒い携帯電話を取り出した。
 これもある意味運命か。恭也はまるで自分の選択を、決めようとした未来を、止められたような気さえしてしまう。
 画面を覗けば、そこには美由希の名前が表示されていた。
 一瞬、出るかを迷ってしまう。別に悪ふざけという意味ではなく、今の心情で他者と会話をしても苛立ちが募るだけのような気もする。
 しかし、何かあった可能性もある以上それもできない。恭也を抜かしても、高町家の中には明確に狙われる可能性がある者が、少なくとも四人いるのだ。確率論で言うならば、さほど大きいものではないが、しかしその可能性がある上に一人はかつて本当に狙われた以上、無視はできない。
 恭也は通話ボタンを押し、携帯を耳に押し当てた。

『恭ちゃん! 緊急!』

 美由希の叫びにも似たその言葉を聞いて、恭也の今までの荒れた心情は一瞬で凪へと戻る。
 先ほどまで先を迷っていた男は、もはやいない。いるのはただ一人の剣士。
 どんな感情も戦いの場や、それに近時した緊急事態となれば一瞬で心をニュートラルに戻してしまう。それだけ突発的に訪れる非日常に慣れてしまった明確な証だった。
 思考は一気に緊へと移る。

「被害と状況は?」
『人的被害はなし! 襲撃じゃなくて泥棒!』

 まくし立てるように美由希が返してくる。風を切る音も同時に聞こえてきて、彼女が駆けながら電話してきているのがわかった。
 しかし、泥棒? と恭也は眉を寄せる。

『それも金銭的な被害じゃなくて、物的な方! 恭ちゃん、今八景どっち持ってる!?』
「影打の方だ」

 耐久性、というよりもより長持ちさせたいという問題から、二本同時に持つことを止めた恭也の小太刀。
 今現在も片方をジャケットの下へとわかり辛いように鍔を外して仕込んでいる。

『じゃあ真打持ってかれた!』

 続いた美由希の言葉に、恭也の眉間にさらなる力が入った。同時に思わず舌打ちしてしまう。
 これが奪われたのが金銭であったというのなら、警察に任せて終わりとしてもよかったが、八景を持っていかれたとすればそんなわけにはいかない。
 小太刀。刀。つまりは人を殺すことができる武器だ。それを他者に渡して被害が出た、などということになれば目も当てられない。
 相手が誰であれ、最悪殺害してでも回収しなければならなかった。

『ごめん! 正直、どうやって恭ちゃんの部屋に侵入したのか全然わからなかった。いきなり恭ちゃんの部屋に気配が現れて、レンたちと踏み込んだら……!』

 恭也の舌打ちが自分に向けられたと勘違いしたのか、美由希はすまなそうに言う。

「すまん。責めているわけではないし、謝罪はいらん。しかし、お前たちにそこまで接近を許すほどの手練か」

 本当に目的は八景だったのか?
 そもそも八景が目的だったならば、恭也たちの素性も知っている可能性が高い。
 ならば……

「お前、今追っているのか?」
『追ってるけど、ほとんど見失いかけてる。心で何とか追ってるけどその範囲から出られそう!』

 美由希から逃れるほどの足。その泥棒というのが、それだけでまともでないという証明と言える。
 普段は天然ボケというか、運動音痴のような動きを見せる美由希だが、御神の剣士として恭也に育てられたその本当の肉体的スペックはかなり高い。こうして駆けながらも淀みなく会話ができているのが、その大きな証拠だろう。
 少なくともこそ泥程度では逃げおおせることなど不可能だ。

『後姿しか見てないけど……ごめん、ちょっと勝てる気しない』

 美由希ははっきりとそう言い切った。
 まだ御神の剣士として完成したわけではないが、恭也が手塩にかけて育ててきた美由希が、今こうもはっきりと勝てる気がしないと言わしめるような相手は、この人外魔境たる海鳴にもそうはいない。

「相手が明確に八景を狙ってきたというのなら、誘いの可能性もある。どこへに向かっている? 俺が変わろう」

 その言葉に、美由希が安堵の息を漏らしたのがわかる。
 それは別に勝てない敵と戦わなくていいからではなく、恭也ならば絶対にどうにかできるという信頼であることは間違いなかった。それはこの数年で再び恭也が美由希との間に築いた信頼の証である。

『一直線に臨海公園の方向に向かってると思う』
「都合がいいというか何と言うか、今俺がそこにいる」
『本当? なら……』
「ああ。相手は俺がする。お前は逃げられないように塞ぐようにこっちへ誘導してくれ。到着しても、暫くは近寄るな」
『わかった』

 当たりを見渡せば、日が落ちかけていることもあり、見える場所に人はいない。いつもはあるいくつかの出店も、この時間には終わっているようだった。
 とはいえここは目立つのは間違いなかった。最悪、さらに他の場所に誘導する必要もあるかもしれない。

「それで相手はどんな見た目だ? さすがにそのあたりもわからないと」
『性別は女』
「ふむ」

 別におかしいとは思わない。強い女性も、身体能力が男よりも高い女性も見慣れている。恭也の――あちらとこちらでの――三十年以上の人生の中で知り合った女性の大半は、そんな人物ばかりだ。
 なので驚きはない。

『身長はたぶん、一六五前後くらい』

 女性の平均よりは高いが、高すぎるというわけではない。
 これで見分けるのは無理だろうと、恭也は口を開かないことで美由希に先を促す。

『さっき言った通り後姿しか見てないから……でも服とか特徴的だった』
「服?」
『うん。すごい際どいスリットの入った黒いチャイナドレス。ちょっと変形した感じだけど』
「…………」

 チャイナドレス。
 夜兎の民族衣装でもあるそれ。それは『彼女』を思い出させる象徴の一つだった。
 恭也もその色が似合うと発言したことから、『彼女』は赤色を好んだ。だが、赤しか持っていないわけではない。稀に恭也とお揃いだと黒いそれに袖を通すこともあった。
 そんなわけがないと、恭也が首を振る。

『なんか裾部分に……花火、かな? そんな感じの柄があったと思う』

 しかし、続いた美由希の言葉に、恭也の喉が詰まる。

「………………火花」
『え?』
「花火ではなく、火花ではないのか?」
『ん? えと、確かにそうだったかも……色とりどりって言うよりも、もっと無骨な感じだったし、火花の方があってるのかな』

 今度こそ恭也の目が見開かれた。
 まさか。
 そんな馬鹿な。
 恭也の脳裏にそんな言葉ばかりが過ぎる。
 『彼女』はそんな柄の服を持っていなかった。むしろそれを好んで着ていたのは、『彼女』ではなく己の方で。

「髪……」
『え?』
「その女性の髪はどんな感じだった!?」
『きょ、恭ちゃん?』

 恭也らしくない荒げた声に、美由希が戸惑いの声を上げる。
 だが、恭也はそんなことを気にしていられない。

『え、えとフィアッセぐらいの長さで……色は……』
「…………」
『凄い綺麗な朱色だった。あとへんな……大きな傘を持ってたけど。あれたぶん和傘かな?』

 携帯を取り落とさなかったのが、自分でも奇跡だと恭也は思った。
 違う部分は多々あれど、その特徴は……



メンテ
Re: 二刀の剣士が帰る場所 ( No.25 )
日時: 2015/07/01 06:34
名前: テン





「恭ちゃん……」

 異常なほどの焦りにも似た感情で、今の今までその接近に気付かなかったのは、御神の剣士としては失格だったのかもしれない。
 今まで聞いていた妹と同じ呼び方。しかし違う声で背後からその名を呼ばれたとき、恭也の息は止まった。
 その声に今度こそ恭也は携帯を取り落とす。
 恭也が知るよりも大人びた声音。だが、それでもその声は確かにかつて毎日聞いていたもの。
 目を見開いて、しかし恭也は後ろを振り向けない。

「こっち向いてヨ、恭ちゃん」

 しかし、その人物は後ろを振り向くことを促す。

「…………」

 恭也は、目を見開いたままゆっくりと身体ごと顔を後ろへと振り向かせた。

「恭ちゃん」

 そこにいたのは、足元の裾に火花をあしらった黒いチャイナドレスをまとい、右腕に恭也が見慣れた八景と彼女の身の丈よりも大きい巨大な番傘を、左手に付け外し可能なカーナビのようなものを抱えた見たこともない美少女。
 歳の頃は、おそらく今の恭也の肉体年齢とさほど変わらないか、少しばかり下と言ったところか。
 恭也も遠いいつか、見覚えのあるぼんぼりのような髪留めを右側にだけつけ、その長く朱い美しい髪が海風に揺れつつも、彼女の髪と同じ色の夕暮れの光を反射していた。
 肌は異様なほど白く透き通っていて、暗くなり始めたというのにその白い肌もまた夕暮れの光に照らされて浮かび上がっている。
 顔の輪郭は、女性特有の僅かな丸みを残しながら流麗な線を描く。大きな目は僅かに鋭さを持つが、その美しい碧眼と大きさからそれが悪印象にならないどころか、より美しさを惹き立てている。流れるような鼻筋、その下にある小さな口から零れ出た恭也を呼ぶ声は高く澄んでいた。
 十分に平均を上回る大きな胸に、括れた腰。黒いチャイナドレスの深いスリットから覗く太ももは色気を感じさせる。
 日ごろからフィアッセなどの世界的な美女や他にも似た美少女を見慣れている恭也からしても、その少女は彼女たちに比べても負けないほどに美しく、またそこらのモデルと比べてもスタイルが整っていた。
 僅かな幼さを残し、美少女と美女の中間にいて、美少女と言い切っても良かったし、美女とも言ってもいいというなんとも不思議な美しさ。
 恭也の知らない、見たこともない少女だった。
 しかし、それでも確かに恭也が知る『彼女』の名残もある。

「…………」

 恭也はらしくもなく呆然と少女を眺め、動くことができない。
 しかし、少女は抱えていたカーナビのようなものと番傘を投げ出し、八景だけを抱えて、一歩一歩恭也に近づいてきた。
 一歩近づくたびにその碧眼に雫が溜まっていく。

「恭ちゃん……」

 とうとう恭也の目の前に立った少女がその手を伸ばす。
 その美しく長い指が、恭也の頬をなぞる。

「恭ちゃん、恭ちゃんだ……夢じゃない本物の恭ちゃんアル」
「…………」
「少し雰囲気変わった? なんか若くなった感じがするヨ。あ、別に前が老けてたわけじゃないアルヨ?」
「…………」
「和服じゃない服、見るの初めてじゃないけど、何だか私たちの世界のとも違って新鮮ネ。こっちの世界はこんな感じが普通なの? でも恭ちゃん、銀ちゃんと違ってクールだし似合ってるアル。もちろん和服だって凄く似合ってたヨ?」
「…………」
「何か言ってヨ、恭ちゃん」

 まくし立てるように言う少女に、恭也が何も返せないでいると、彼女は下から目を見つめてきた。
 かつて聞きなれた声、口調。かつても見た潤む碧眼。向かい合ったとき、かつてよりも近づいた顔の距離。かつて見慣れた色の、しかし見慣れない長さの朱色の髪。変わらないものと変わったものが確かにそこにはあった。
 恭也がそっと手を伸ばし、少女の腰に触れる。
 夢ではない証明として、確かに触れた感触があった。
 手に力を入れて抱き寄せると、少女は抵抗しないどころか、自分から恭也の胸の中に入り込み、その頭を擦りつける。

「かぐ、ら……」
「うん……神楽アル」
「かぐら」
「うん、恭ちゃんの神楽ネ」
「神楽……!」
「うん! ここにいるヨ、恭ちゃん」
「神楽!」
「うん! 私はここにいるアル! 恭ちゃんの目の前に!」

 じょじょに手に力が入る。
 間違いなく、美しく成長した『彼女』……神楽が、恭也の腕の中にいた。

「恭ちゃん、恭ちゃん、恭ちゃん……!」
「神楽……っ!」

 先ほど世界ごと諦めかけた神楽が、自分の胸の中にいる。そのことが信じられず、恭也は何度も彼女を呼び、抱き締める手に力を入れた。
 それは神楽も同じなのか、何度も恭也を呼び、頭を彼の胸に擦りつける。
 そして、再び神楽は顔を上げ、恭也の顔を見上げて、自らの腕を彼の後頭部にもっていき――

「んんっ!?」

 強引に頭を下げさせると、やはりやや強引に恭也の唇へと己の唇を重ねた。
 触れるだけの上、力強く押し付けてきて、歯がぶつかるという拙いものだったが、以前にも一度だけ感じた暖かい神楽の感触に、恭也は再び目を見開く。
 しばらくの間固まっていたが、ようやく神楽の顔が離れた。

「ぷはっ! ごちそうさまヨ!」
「ごちそうさまって、お前……」
「再会したら絶対にこうするって決めてたアル!」

 涙を溜めながらも、神楽は子供のように白い歯をむき出しにして笑う。それはまだ幼いあどけなさすら残る笑顔。
 それは恭也の知る神楽の笑み。
 ようやく今目の前に居る神楽と記憶の中の神楽が完全に重なった。

「あー、何だ、幾ら父親のような相手だからと言っても、男にこういうことをするのはどうかと思うぞ?」

 しかし突如として色々なことがありすぎて、頭がうまく働かない恭也は、昔を思い出しながらそんなことを言ってみる。

「よく言うアル。今から考えると、恭ちゃん、私の気持ちなんて気付いてたんデショ?」
「…………何年経ったんだ? 今、幾つだ?」

 恭也は神楽の問いには答えず聞き返すが、神楽は特に気にした様子もなく、笑顔で答えた。

「だいたい五年アル。まだ十八だけど、もうすぐ十九ヨ」
「俺の一つか二つ下か……何にしろ恋人の一人ぐらいいてもいい年頃だろう?」
「恭ちゃん、やっと再会したのにまだそこに拘るアルか? 私は恭ちゃん以外の男に興味ないネ。キスだって恭ちゃんにしかしたことも、されたこともないアル」

 された、というので恭也はわずかに顔を顰める。恭也からすれば随分前のことになった情けないとさえ言える自体を思い出す。
 しかし、自分以外とはしたこともないという発言に安堵してしまうのは、父親や兄としてなのか、それとも別のところからくるものなのか、恭也としても微妙だった。
 それに気付いているのかいないのか、神楽は首を傾げた。

「それより、恭ちゃんの一つか二つ下ってどういうことヨ?」
「……こっちの世界に戻ったとき、身体が子供に戻っていてな。今は肉体年齢的には二十歳だ」
「うわ、本当に若返ってた。恭ちゃんってホントなんでもありアルな。きっと銀ちゃんが羨ましいとか騒ぐネ。でも恭ちゃんと歳が近くなったなんて、変な感じ。恭ちゃんからするとどのくらい経ったカ?」
「八年か、九年か? 微妙だが」

 眠っていた期間を含めると恐らくは九年ほど。含めないのであれば、八年ほどと言ったところだろう。

「だからまあ、中身的にはもう三十後半近くの中年だ」
「そうアルか。でも私は気にしないヨ」

 五年と九年。
 二人の間には、それだけの時間が流れたのだと、両者そろって自覚する。
 神楽は恭也と共に過ごした時間と同等の時間。恭也はその倍近くの時間。それだけの時間が二人の間に横たわった。
 その五年の間を聞きたい。きっと神楽もそうなのだろう。
 話したいことはたくさんあった。それがまとまらない。

「どうやってここに?」
「源外のジィさんのカラクリアル。それでこの世界に送ってくれたネ」
「はは、さすがは源外さんか」

 二つの世界で自分が諦めかけたものを作り出してしまうとはと、恭也は珍しく声に出して笑った。

「この世界に来たのはともかく、どうして俺がここにいるとわかったんだ?」

 美由希の話し方からすると、ほぼ一直線に家からここまで走ってきたのだろう。それはつまり恭也のいる場所を把握していたということだ。

「八景ヨ。何か前……私からすると五年前だけど、ジィさんが恭ちゃんに八景を借りたときに、二本ともに発信機をしかけてたらしいアル。それが世界を超えても有効だったネ」

 恭也にとっては八年か九年前。確かにそんなこともあったとおぼろげながら思い出せる。もっともそれも、その後に起こった惚れ薬の事件が印象深すぎて、それに付随して思い出せる、というのが本当のところだが。
 刀身などには何の問題もない。ならば茎と柄の間あたりに仕込んだのだろう。源外ならばいくらでも気付かせない方法などあるはずだ。九年経ってもまだ稼動しているというのも恐ろしい。

「その発信機のところに送られたんだけど、片方の八景だけで恭ちゃんいないし、それでもう一つの方をあれで追ってきたヨ」

 神楽は恭也の胸の中からは一切出ずに、先ほど投げ捨てたカーナビのようなものを指差した。
 なるほどと納得するが、すぐに恭也は眉を顰める。

「お前、帰る方法は?」
「ないアル」
「おい……」

 あっさりと言い切った神楽に、恭也は思わず目を見張った。

「一応ジィさんがカラクリで色々考えてくれてるけど、それがいつ完成するかなんてわからないアル。世界同士を繋げるのはそれだけ難しいって」
「なんでそれを待たなかった!?」
「だって恭ちゃんに会いたかったネ」
「神楽……」
「こっちの世界の方が、時間が流れるのが早いのは最初からわかってたアル。だからこそ早く来たかったアル。記憶や想いを送るのだって諦めたネ」

 つまり彼女は――

「大丈夫ヨ。銀ちゃんにも新八にもアネゴにも、ちゃんとお別れ言ってきたアル。みんな行ってこいって笑ってくれたヨ」

 あちらの世界の全てを捨ててきたのだ。

「なんで……」

 自分は先ほどあちらの世界を捨てかけたというのに、彼女は恭也以外の何もかもを捨ててここに来た。

「だって……恭ちゃんが居ないと、私は生きてないアル」

 生きていられないのではなく、生きていない。
 それは同じようで違う意味。
 その言葉は、恭也への想いで溢れている。

「俺は……あの世界とこの世界を天秤にかけて、あの世界を……お前を捨てかけた……!」

 そんな自分が、どうして神楽のこんな想いを受け止められるというのだ。
 しかし、そんな叫びにも似た言葉に、神楽は苦笑した。

「やっぱり変なところで真面目アルな、恭ちゃんは。どうせこの世界の家族にも罪悪感もってるんデショ? 子供に戻ってたなら余計に」
「っ……」
「どっちにしたって、そんなの仕方ないアル。私と恭ちゃんじゃ状況が違うネ。だって私は恭ちゃんがいなくなって一年も経たないうちに、ジィさんから希望をもらってたアル。カラクリはもうできてる。あとはエネルギーを溜めるだけだって」

 だからあとは時間を待つだけだったと神楽は言う。
 長く感じた時間だけれど、それでもその向こうで再び恭也と出会えることが確定していた。希望があった。
 何の希望もなく、そして家族の傍に居た恭也とは違うと首を振る。

「お前にも銀や新八たちがいただろう」
「カラクリのこと聞いた次の日には、もう言ってたアル。私はいつか恭ちゃんの世界に行く、戻ってこれないかもしれないって。二人も受け入れてくれて、いつかはって言うふうに接してくれたネ」
「…………」
「だから、恭ちゃんは悪くないヨ。もし恭ちゃんがこっちの世界に帰ってきてすぐに、私と同じようにあの世界に戻る方法があって、時間はかかっても戻れるってわかったら、そのときは覚悟を決めてくれたデショ?」
「かも、な」
「時間ってそういうものヨ。この五年で良くわかったアル。その人によって感じ方が違うんだって。希望があった私の五年と、希望なんてなかった恭ちゃんの九年は等価じゃないアル。それを一緒くたにしたら卑怯ネ」

 恭也は大きく息を吐く。
 やはり五年は長い。
 あの無垢であった少女が、こんなにも心も身体も大人になってしまうほどに。

「約束、したデショ?」
「約束?」
「『覚悟しとくヨロシ! 恭ちゃんがどっかに行っちゃっても、必ず見つけ出してやるアル!』」

 笑顔を浮かべながら、神楽は言った。
 その瞬間、恭也はいつかの神楽が酌をしてくれた月見酒をはっきりと思い出す。
 あの日、確かにそんなことを言われ、恭也もまた見つけてくれと言った。
 あのときの少女は美しく成長した。心も身体も強くなった。
 きっと言い寄る男は多かっただろう。もしかしたら恭也を追おうとする彼女を止めようとした男だっていたかもしれない。
 けれど――

「だから……これからもずっと傍に居てもいい?」

 神楽はあのときの約束を守るために、この五年を生きた。必ず見つけ出すという宣言の前に恭也の口から出た言葉を信じて。

「あのとき……言っただろう?」
「うん。でももっかい言ってヨ……」

 恭也は神楽の顔から視線を離し、天上へと向ける。いつの間にか夕暮れは完全に沈み、あたりには完全に夜の帳が下りきっていた。
 そして、恭也の視線が向かう先に、闇の中に浮かぶ丸い月がある。
 世界は違えど、あのときと同じ月が二人を照らしていた。
 その状況に恭也は苦笑すると、視線を戻して再び神楽を抱き締める腕に力を込める。

「ずっと……傍にいてくれ。俺の傍にずっと」
「うん……うん! 私はずっと恭ちゃんの傍にいるアル!」

 神楽も八景を持ったまま、恭也の背に手を回して力を込めた。

「恭ちゃん……」
「うん?」
「ただいまヨ」

 恭也の顔を見上げ、神楽は笑いながら言う。

「…………」

 そういえば、あちらでは言われてばかりだったような気がする。けれどいつだって神楽は恭也の元に帰ってきてくれていた。
 そんなことを思い出す。

「おかえり、神楽」
「ウン!」

 そうして、神楽は長い時間をかけてようやく帰るべき場所に……恭也のもとへと帰ってきたのだ。






 エンド二 未来へ 終

メンテ

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