Re: 黒衣(仮投稿) ( No.395 )
日時: 2009/08/25 10:49
名前: テン





大河は学園長室にいた。
その部屋はそれほど物が多いわけではないが、やはり賓客を招くことを想定してか、清潔であり、日常生活から離れた嫌みにならない程度の豪華さが窺える。
そして、何か雰囲気的な重さを感じさせる部屋だ。

(まあ、部屋がどうこうって言うより、この人がいるだけで雰囲気が重くなるからなぁ)

大河はそんなことを思いながらも、その部屋の主であるミュリエルを眺めていた。
彼女は机の前にあるあまり豪奢ではないが、年代を感じさせる椅子に座り、手を組んで何やら考え込んでいたのだが、すぐに大河の目を見つめた。

「いいでしょう」

いつも通り重々しい口調で言うミュリエルに対し、大河は思わず口を大きく開けた。

「マジっすか?」
「あなたから言ってきたことではないですか」
「いや、そうっすけど、そんな簡単に許可をもらえるとは思ってなかった」

大河はポリポリと頭を掻き、説得するために考えていた言葉を頭の中から一気に消去した。

「まさかあなたが禁書庫に入りたいなどと言うとは思っていませんでしたが」

そう、大河がミュリエルに頼んだのは、彼女が今言ったように、禁書庫に入る許可をくれということだった。

「あー、別に中の本が読みたいってわけじゃないっすよ?」
「わかっています」
「なんかサラッと納得されるのもイヤだな」

まるでお前が真面目な本など読むわけがないだろうと、言外に言われているような気がしてならず、大河は思わず顔を顰めた。まあ、それは事実でもあるのだが。
ミュリエルは気にした風でもなく続けた。

「モンスターと戦うため、ですね?」

言いながら、ミュリエルは睨むようにして大河を見つめた。
だが大河はそれに気圧されることなく、深々と頷いて見せたのだった。





大河編

第三十三章





ミュリエルの言う通り、大河が禁書庫に入る許可が欲しい理由は、モンスターと戦うためだ。
禁書庫は造りこそ単純だがかなり巨大であり、隠し扉や階段が多くあって、深く、大きい。この間の探索では回らなかった場所もある。そういった所には、まだモンスターが残っているだろうし、適当に本を開けてやれば、その中からモンスターも出てくるだろう。
ある意味、一番近場……それも日帰りで、簡単に実戦が経験できる場所だ。


Re: 黒衣(仮投稿) ( No.396 )
日時: 2009/08/25 10:50
名前: テン


だからこそ大河は許可が欲しいのだ。

「ただし、いくつか条件があります」

条件と言われ、大河は僅かな苛立ちから内心で舌打ちした。

「……なんですか?」

だが、それを面には出さないようにして聞き返す。
もっともまだ十と半ばを少し過ぎたほどでしかない少年が隠そうとする感情。そんなもの彼の倍近くを生き、様々な人間を学園長として見てきたミュリエルにはお見通しだ。
しかし、それを咎めようとはしない。

「難しいことではありません。むしろ簡単です。あそこへ行く時間は放課後の二時間のみ。休日でも午前か午後の二時間、どちらかだけと限定します」
「まあ、そんなもんすか」

確かに休む時間は必要だし、いくらなんでも恭也のように何時間も戦ってなどいられない。だからこそ大河は簡単に頷いた。

「行く場合は必ず私かダリア先生に報告をし、帰ってきた時も帰還の報告をすること」
「そんなガキじゃないんすから」
「あなたが行く場所は本来危険な場所なのです。二時間というのも、もし二時間経っても帰還の報告がなかった場合、救出なり何なりを検討しなければならないからなのです」
「……わかりました」

何なりという部分で、下手したら見捨てられるかもしれないな、と大河は考えたが、まあそれはそれで仕方がないと納得した。
実際、ミュリエルは状況によっては大河を見捨てるつもりだ。しかし、それを口に出して言うことはない。その程度の覚悟は大河にもあると思っている。

「次に、もし貴重な書物があった場合は、報告、もしくは持ってきてください」
「簡単な字しか読めないんすけど、まあそれっぽいのがあったら持ってきます」

大河には興味がないものであるが、ミュリエルにとっては有用なものがあるのかもしれない。自身で言うように、大河はまだこの世界の字を簡単にしか理解できないが、適当に持ってこればいいかと頷いた。

「他に条件ってあるんですか?」
「最後は……質問です。条件の通り、これに答えられないならば、許可は出せません」
「なんすか?」
「なぜあなたは実戦を経験したい……いえ、強くなりたいのですか?」

つまり動機だ。
実戦を経験したいのではなく、なぜ強くなりたいのか。


Re: 黒衣(仮投稿) ( No.397 )
日時: 2009/08/25 10:51
名前: テン


救世主になるため、破滅を倒すためだ、と言ってもミュリエルは納得しないだろう。ついこの間まで、大河は救世主になるための努力などほとんどしてこなかったのだ。それらを今更動機にもってくるのは無理がある。それは大河自身よくわかっていた。
同じ理由で、自分の身や未亜を守るためでも納得しない。その努力を見せるべきだった時は、むしろ禁書庫から帰ってきたときだっただろう。無論、恭也たちがいなくなったことで、そんなことを考えている暇がなかったと言ってもいいが、むしろ大河が敵……モンスターを相手にしたのはそのときだけなのだ。
そこまで考えて、大河は再び頭を掻いた。別に隠す必要はないのだ。

「恭也と戦うためです」
「……そうですか」

大河の言葉にミュリエルはやはり驚いた様子もなく、ただ頷いて返しただけだ。
実際驚くほどのことではなく、彼女は予想していた。

「あいつと戦うには、今のままじゃ駄目だ。まだ背中だって見えやしない。だからあいつに追いつくためには、もっと戦うしかない。そうやって強くなるしかない」

それは一種の覚悟だ。この世界に訪れた頃にはなかった大きな覚悟。
大河の続く言葉を聞き、ミュリエルは大きく息を吐き出す。

「わかりました。条件はそれだけです」
「じゃ、いいんすね?」
「ええ」

ミュリエルは頷いてから目を瞑る。
それを見て、もう出ていってもいいだろうか、とも思いながら大河は首を傾げた。
ミュリエルからの反応がないので、やはり部屋から出ようかと大河が足を浮かせかけた所で、ミュリエルは目を開く。


Re: 黒衣(仮投稿) ( No.398 )
日時: 2009/08/25 10:52
名前: テン


「これは条件というわけではないのですが、もう一つ聞きたいことがあります。先ほどのとは違って言いたくなければ言わなくてもかまいません」
「なんすか?」

浮かせかけた足から力を抜き、大河が問い返すと、ミュリエルは再び彼の目をじっと眺めた。

「なぜその方法なのですか? 強くなりたいというのなら、二足草鞋になりますが傭兵科の授業を受けてもいいですし、剣の専属のコーチをつけてもかまいません」

その質問は、大河にとって別に答えられないものでもなく、答えたくないものでもなかった。

「あー、まあ、単純に破滅と戦うってだけならそれでよかったんすけどね。つっても、それだけでんなことしようなんて思わないでしょうけど」
「あくまで高町恭也と戦うためですか」

正直に言ってしまえば、大河にとってすでに破滅はオマケだった。
今、大河が何より重要視しているのは仲間を守ること。これは恭也に託されたものだ。それ自体に不服もあるが、あの宣言を反故にするもりは大河にはない。
そしてその次に恭也と戦い、勝ち、自分たちの道がまだ繋がっていることをわからせてやること。破滅や救世主のことなど、もはやそれ以下の優先順位でしかないのだ。

「今の状況から言って、たぶんそう遠くないうちに、破滅は動いてくる。そのときは……目的はわからないけど、きっと恭也も動く。だから時間もあんまりあるとは思えない」
「でしょうね」


Re: 黒衣(仮投稿) ( No.399 )
日時: 2009/08/25 10:52
名前: テン

ミュリエルも、恭也たちと救世主候補たちの間にあった会話を、彼ら自身から聞いている。それを考えれば、破滅との戦いが起これば、彼らが動くことは間違いないというのは理解している。
破滅と救世主は言ってしまえば表裏一体。破滅が現れれば救世主が現れる可能性も高いと誰でも思うだろう。ならば救世主を誕生させたくないと言う恭也たちも必ず動く。現れないのならば、逆にその他の理由があるという証拠だ。

「その破滅が本格的に動くのが……いつになるかわかるわけないっすけど。仮に半年後だったとして、その半年間、俺が傭兵科に入っただけで恭也の技術に追いつけると思いますか?」
「……無理、でしょうね」

むしろ傭兵科の者たちに追いつくことすら不可能だろう。
召喚器を持つ大河の方が、傭兵科の生徒たちよりも……それこそ比較できないほど強いことは間違いない。だが、単純な戦う能力という意味では、大河は傭兵科の生徒たちにも遠く及ばない。
二年間の初期課程すらこなしていない大河が、いきなり傭兵科に混じること自体土台無理があるのだ。召喚器により強化された体力や身体能力で彼らを倒すことはできても、その技術に関しては、傭兵科の者たちとすら相当の差がある。
対して恭也の戦う技術は、その傭兵科の生徒たちと比べても、やはり相当の開きがある。こちらは恭也の方が遙かに上だ。
元より傭兵科では、個人よりも集団で動くことを教えることに力を入れていた。これは傭兵科たちが卒業したあとの進路が、大抵は王国軍になるからだ。軍では個人の技量よりも、集団での動き方が良く、統制の効く人間の方が重宝される。


Re: 黒衣(仮投稿) ( No.400 )
日時: 2009/08/25 10:53
名前: テン


そういうところからも、個人に特化した場合、恭也に勝てる生徒……どころか、教師を含めてもいないと言い切ってもいい。むしろ王国軍の者たちの中でさえ、恭也を越える者はいないだろう。
大河も小手先の技を覚えることくらいはできるかもしれないが、あの恭也に小手先の技など意味をなさないどころか、逆にそこをつかれる可能性すらある。

「んじゃ、半年間、剣を誰かに教わったとしたら?」
「少なくともあなたに恭也さんよりも数倍以上剣の才があり、コーチをしてくれる人が、恭也さんレベルでもなければやはり無理でしょう。もっとも私は剣などの知識はあっても、使った経験があまりありませんから予想にすぎませんが」
「恭也にどれだけ才能あるのか知らない上、俺にんな才能あるとは思えないし……というかいるんすか、そんな剣士?」
「私が知る限りでは、この学園どころか王都にもいません」

ミュリエルにとって恭也はむしろ教師をしてもらいたいぐらいの逸材であったのだ。まあ諸々の事情で叶わないことであった。もし彼が正規の手段でこの世界に来たか、手元に置いても安全だとわかるものがあったなら、どんなに金銭……もしくは他世界でも価値があるような宝石を積んででもスカウトしたかもしれない。
召喚器なしで救世主候補に対抗する存在などそうはいないし、それこそミュリエルが求めていた人材だったからだ。なんとしても仲間に引き入れていただろう。自分の知る全てを教えてでも。


Re: 黒衣(仮投稿) ( No.401 )
日時: 2009/08/25 10:53
名前: テン


ミュリエルの記憶の中でも単純な剣術のみで恭也に対抗できる者は少ない。
ミュリエル自身も相当な実力者であり、恭也同様に召喚器なしで救世主候補たちに対抗することができるだろう。今の彼らならば五分五分か、もしくは六〜七割ぐらいの勝率と言ったところか。
そんなミュリエルが恭也と戦うシミュレートを脳内ですると、勝率は一割を切る。どうやってもあの神速というのに対応できない。いくつか神速を潰す戦術や魔法もあるが、神速だけを意識すれば、そのほかのもので押し切られる。かといって魔法で狙撃しようとしたとしても気付かれるだろう。彼は本当に死角が少ないのだ。いつ、いかなる時でも戦える。
平和な世界に生まれがら、その平和に埋もれず、己を危険な場所へと置き、常に危険を意識して自らを鍛え続けていた男。
平和な世界でそれだけの力を得て、さらには戦い続けたからこそ、彼の戦う覚悟はこの世界の誰よりも上なのだろう。
そんな彼を大河が追い抜こうとすれば、それこそ一年や二年では足りない。今からでは技術に関しては追いつくことすら無理かもしれない。
攻撃力、速さ、瞬発力……身体能力という意味では、ほとんど大河の方に軍配が上がる。強いのは確かに大河たち。だが勝つのは恭也だとミュリエルもはっきりと言えた。

「確かに実戦に勝る経験はありません。ただ無駄に訓練を行うより、得るものは多いでしょう。ですが、それは同時にある程度の訓練をこなした者がすることでもあるのですよ」
「わかってますよ。どれだけ戦ったって、恭也が今まで剣を振ってきた年月を越えることなんてできないって」

そんなこと大河とてわかっているのだ。いや、大河はもしかしたら他の誰よりも恭也の強さを理解しているかもしれない。恭也の『本気』を体感し、同じ世界出身だからこそ、あの強さは異質なものであり、生半可な努力で手に入れられるものではないと。


Re: 黒衣(仮投稿) ( No.402 )
日時: 2009/08/25 10:54
名前: テン


周りの人たちが平和に生きていくのを眺めながら、恭也自身はその平和を享受せず、ただひたすら強くなるために血の滲む訓練を繰り返してきたのだと、今の大河には理解できる。
それをたかだか数ヶ月程度で越えようとするのが、どれだけ無謀であり、傲慢なことかも。

「ですが戦闘能力で言えば、あなたは決して恭也さんと比べて劣っているというわけではありません」

召喚器を持つ大河は、決して恭也に劣っているわけではない。それは彼だけではなく、他の救世主候補たちも同じだ。彼らは普通の人間を大きく越えた力を持つのだから。

「俺もそう思ってたんですけどね、この前カエデと二人がかりで負けたんっすよ?」
「状況を聞きましたが、別にあなたたちは負けたわけではないでしょう」
「まあ、引き分けみたいな感じですけど、それだってカエデと二人がかりで何とかです。俺一人じゃどうにもならなかった。怪我は負わせたけど、あのときのあいつはその前に殺そうと思えば俺たちを殺せた。その上俺たち二人と戦っても余裕な感じだったし、怪我を負ってもそれでも難なく立ち上がった」

大河の話を聞いて、ミュリエルはそれはないだろうと、心の中で反論する。
間違いなくスペック的に比較してしまえば、恭也よりも大河の方が上なのだが、彼は巧いのだ。単純な戦闘技術だけでなく、相手の精神を揺さぶることにも長けている。戦闘技術だけでなく、己の全てを使って戦う本当の戦闘者。
余裕というのも、決して本当に余裕なのではなく、余裕を見せているだけだろう。それだけでも人の精神を揺さぶることができると彼は知っているのだ。それは生半可な胆力と精神力でできることではなく、彼の精神力が大河たちを大きく上回っているということでもある。
戦闘にかける決意と覚悟が根底から違いすぎるのだ。
そしてそれらで負けた大河たちは、実力の全てを出し切ることができなかったのだろう。本人たちは出し切ったと思っているだろうが、本当に出し切っていたならば、大河とカエデが二対一で負けるとはミュリエルには思えない。
相手に本気を出させない。それは戦いの中では基本中の基本でもある。わざわざ相手に全力にならせる必要などない。むしろどうやって全力にならせないようにするかが重要なのだ。
それらで恭也は自らよりも強いはずの二人を同時に相手にし、引き分けにまで持っていった。

Re: 黒衣(仮投稿) ( No.403 )
日時: 2009/08/25 10:54
名前: テン


身体能力以外の差があるからこそ、大河が彼に追いつくのは難しい。そういった成長というのは、下手をすれば単純に戦う技術を手に入れるとよりも難しいかもしれないのだから。
しかしだからといって、大河やカエデが恭也に劣るわけではない。何度も言うようだが、身体能力という意味では、大河たちは完全に恭也を上回る。それだけにものを言わせたとしても、戦い方の組み立て方次第では、恭也を打倒できるだろう。もっとも、その組み立て方自体が、恭也に届かないからこそ負けたとも言えるが。
そういう組み立てを考えるという意味では、確かに実戦を経験するというのは有用だろう。

「…………」

そうまで考えて、それらをミュリエルは大河に伝えなかった。それらは口で言ったところで伝わるわけがないからだ。大河自身が気付くしかない。

「わかりました。質問は以上です」
「ういっす」

自分で言った言葉に、若干情けなくなった大河は肩を落としながら返事をする。
しかしそれもすぐに首を振ることで気合いを入れ直した。
その差を埋めるために、彼は許可を取ったのだから。

「とりあえず結界の解除や、あなた用の鍵の複製をしますので、二、三日時間をください」
「了解です」

できるだけ時間を有効活用したい大河ではあったが、ずっと封印されていたような場所だ、今日は許可をもらえただけでも前進と考えるべきだと、ミュリエルに頷く。
話はこれで終わり、ということで大河は退室との挨拶をすると、今度こそ足を動かした。


Re: 黒衣(仮投稿) ( No.404 )
日時: 2009/08/25 10:55
名前: テン


だが、部屋を出る前にもう一度ミュリエルの方へと向き直った。

「学園長は恭也たちをどう思ってるんですか?」
「この学園の学園長としては、彼らが破滅の手先なのかもしれないと疑っています。もしくは救世主反対派」
「そんなもんまであるんすか」
「生きた英雄を欲しない人も多いのですよ、この世には」

それを聞いて、救世主なったら命を狙われる可能性もあるんか、と救世主になれる可能性を持つ大河は軽く息を吐いた。
それが見事に的を射ていることには気づかず、大河はもう一度失礼しますとミュリエルに告げてから部屋を出たのだった。


◇◇◇



ミュリエルは、大河が出ていってしばらくしてから、またも深々とため息を吐いた。
彼女は、本当は大河の頼みを断ろうとしていた。なぜなら、彼女個人としては救世主候補たちが強くなりすぎるのは容認できるものではなかったからだ。いつかそのうちの誰かと戦うことになるかもしれないから。
だからこそ、ミュリエルは救世主クラスの授業を中途半端に行い……だが、それでもおかしくない理由をつけて半ば放置していた。
ミュリエルは戦闘経験という意味では、それこそ恭也すら上回る。だからこそ、救世主クラスの授業が異質であることを理解している。いや、異質であるというよりも、救世主クラスの授業を受けているだけでは、強くなるのに限界が早々と来るのだ。そういう形にしたのは他ならぬ彼女だ。
ミュリエルとしては、救世主クラス自体をなくしたいと思ったこともあるが、この学園は救世主養成学校ということになってしまっている。それを放棄してしまえば、王国にとって金食い虫であるこの学園を存続させること自体が難しくなってしまう。それにミュリエルの目的からして一応はこのクラスが必要であったし、来る破滅との戦いではやはり救世主候補という武器をなくしてしまうのはおしかった。
ミュリエルがアヴァターへとリリィを連れて訪れて、一教師としてこの学園に赴任した当時は、救世主クラスというものは存在しても、救世主候補は在籍していなかった。あらゆる世界を見ても、召喚器を持つ者自体が本当に少ない上、当時はまだリコ・リスもおらず、他世界から救世主候補を呼び寄せることができなかったため、当然と言えば当然だ。


Re: 黒衣(仮投稿) ( No.405 )
日時: 2009/08/25 10:56
名前: テン


そしてそれから幾年か経ち、ミュリエルが学園長になったころ、リコという初の救世主候補であり、同時に赤の書を持つ強力な召喚士が入学したことで、本当に救世主クラスが動き出した。
とはいえリコ一人ではクラスとして機能しない。そのため、彼女は所属こそ救世主クラスではあるが、その年齢から初期課程へと送られた。その少し後、初期課程にいたリリィがライテウスの主になったが、やはり所属こそ救世主クラスであったが、彼女はそのまま飛び級として初期課程から魔導士科に送られた。
救世主クラスが本格的に動き出したのが、ベリオが召喚されてからになる。つまりベリオは一切の初期課程を受けていない。
そしてそれから、救世主クラスの方針は、他の一般科以上の完全実践主義となった。身体能力、魔力など、召喚器を持つ彼女たちは、他の科と同じ授業では意味がなく、すぐにでも破滅と戦えるように、実践の中で自らの召喚器の特性を理解するため……という様々な『建前』のもとに。
そう、それはらは建前だ。
ミュリエルは、実戦経験が豊富だからこそ、能力の実践だけでは成長がすぐに止まってしまうということを理解していた。
それを実戦経験がほとんどないこの世界の教師たちは気づけなかったのだ。

「この建前を信じてしまう時点で、この世界の人間は平和ボケしていると言ってもいいのでしょうね……」


Re: 黒衣(仮投稿) ( No.406 )
日時: 2009/08/25 10:56
名前: テン


全員が全員そうだと言うわけではないが、そう言う者が多いのは事実。
破滅の脅威から一千年。その痕跡がこの世界には残っているため、人は戦う精神を忘れなかったが、戦い方を忘れてしまった。
アヴァターという世界は、千年に一度破滅が現れ、そのたびに文明を破壊される。もちろん根こそぎというわけではないが、文明レベルが一気に下がってしまうのだ。そして生き残ることができた人間も一握りとなる。
そんなことが何度も起きた世界。そのために州によって、異なった文化も持っていたりもした。
そして、戦いの技術もその度に消失していくことになる。無論その全てが消えてしまうわけではない。だが前回は少なくともほとんどがその後の復興や、諍いなどのゴタゴタによって多くの技術、戦術、頭脳などを失った。
今回はとくに過去の技術などが失われている。同時にそれは戦いに関することが多い。
千年前の破滅以後、大きな争いが起こらなかった時代。それはとても良い時代だ。治めていた女王たちや政治家たちが有能であったのだろう。そして、それは本来ならば良いことなのだ。戦争などない方がいい。
平和ボケというのも、悪い言葉に聞こえるが、それ自体は決して悪いことではないのだ。それはそれだけその場所が、その世界が平和だという証なのだから。
何よりこの世界の人間たちは、精神自体が平和ボケしているわけではなく、その技量が精神に追いついていないだけだ。
だが、悪く言えば、その程度で自分たちは強い。破滅だろうが何だろうが勝てると思っている節があるのだ。

話を戻すが、救世主になる可能性がある大河に強くなられるのは、本来ミュリエルの良しとするものではない。
救世主の真実を知る彼女は、救世主候補たちの誰であろうが強くなることを喜べない。


Re: 黒衣(仮投稿) ( No.407 )
日時: 2009/08/25 10:57
名前: テン


ならばなぜ、大河の頼みを受け入れたのか……

「おそらく、高町恭也に勝てる可能性が一番高いのは、当真大河……」

そういうことだ。
恭也が最初から本気で相手を倒す気にれば、ミュリエルでは相性的に対抗が難しく、リリィやベリオも同じ。カエデは戦い方がやや素直すぎる上に、ほぼ完成してしまっている。リコは少々未知数な所があるものの、恭也は彼女と訓練とはいえ一度戦っている。その中で彼女への対抗手段を用意している可能性があった。未亜もやはりリコと同じだ。
大河も二度破れてはいるものの、まだまだ彼は荒削り、強くなる可能性を秘め、その召喚器は幾つもの形に変化し、万能と言って良い能力を所持していた。つまり様々な才能を持っている。
もちろん今のままでは勝利するのは難しいだろう。大河の才能は確かに重要な要素であり、その才能だけで戦っている今もかなりの強者と言える。だが技術を学ばないのであれば、彼はずっと荒削りのまま大きく変わることはない。才能だけで戦っていれば、いずれ手痛いしっぺ返しを食らう……いや、大河はすでに恭也にそれを食らった。才能だけで戦えば、それこそ才能がない者よりも早く限界が来る。
強くなる可能性というのもあくまで可能性。
そして万能な能力というのも、実はそれほどの脅威にはなり得ない。正確には今の大河では宝の持ち腐れと言ったところだ。
その万能な能力故に、ミュリエルはある人物を思いだしていた。

「当真大河や高町恭也を見ていると、あなた思い出しますよ。本当に」


Re: 黒衣(仮投稿) ( No.408 )
日時: 2009/08/25 10:57
名前: テン


ミュリエルの古い友人に、王族とは思えないほど気さくで、少し変わった性格をした少女がいた。その少女は基本的にミュリエルと同じ魔法使いであり、そして剣士でもあったという魔法剣士。彼女は驚くほど万能であった。
アヴァターに伝わるほぼ全ての系統の魔法を体得し、さらにはミュリエルや他の仲間から他世界の魔法まで教えを請い、修得してみせた。
回復魔法から、攻撃魔法、補助魔法。それらの内容を多種多様に扱えた。同じ魔法使いとしてあまり聞きたくなかったので、ミュリエルは彼女がどれだけの魔法を使えるかを訊ねなかったが、下手をすると三桁に入るのではないかと思っている。中にはあまり使いどころがない、もしくは本当に使えないような魔法も多々あったが。
その上に彼女は剣や体術を扱うことができ、戦術や交渉術などにも長け、ある意味万能という言葉は彼女のためにあるようなものだと、当時ミュリエルは思ったものだった。
そんな彼女は特に雷系の攻撃魔法だけ、異様なほど運用が巧く、威力が大きかった。
彼女は多種多様に魔法を使えるが、魔力はミュリエルと比べると高くない。最高威力で考えれば、ミュリエルを大きく下回る。そんな彼女もミュリエルを越えるものを持っていた。その制御力と操作力。力の強弱を完璧につけ、さらに複雑に操っていた。
かつてミュリエルは彼女に、どうしてそんなにも色々なことができるのかと聞いた。
それに返ってきた返答は、

『うーん、ミュリちゃん、いーい? 戦いで万能っていうか……だいたいのことを平均ぐらいできるのはね、ある意味当然のことなんだよ。自分ができることを均等に育てて、努力していけば、誰だってできることなの』

それを聞いて、ここまでできるのはあなたぐらいだと当時は心の底からミュリエルは思った。


Re: 黒衣(仮投稿) ( No.409 )
日時: 2009/08/25 10:58
名前: テン


もっとも彼女は、当時のパーティの中では唯一それほど大きな『戦う才』を持たない人物であった。だが天才が一で覚えることを、彼女は三や五を使って覚え、さらに食らいついていく、ある種化け物じみた努力家だった。それも努力する姿をほとんど見せないから、パーティー以外の者たちからは、やはり才覚のある人物と思われていたようだが。

『まあ今更なんだけど、一点……じゃないけど、あまりにも特化型な戦い方はあんまりおすすめしないよ? 
例えば私たちのパーティーでミュリちゃんが戦線離脱したら、ある意味パーティーの頭脳と破壊力がなくなる。リアちゃんがいなくなったら回復手段と突破力が最底辺まで激減。ルビちゃんがいなくなるとミュリちゃんが魔法を唱えるまでの時間稼ぎ、守る人と援護する人、さらには陽動したりしてくれる人がいなくなっちゃうねー。そもそもリーダーがいなくなっちゃまずいし。
ミュリちゃんは魔法はとんでもないけど接近戦ほとんどできないし、リアちゃんは猪突猛進の上、なまじ回復力あるから防御が全然だめ。ルビちゃんはトリッキーな戦い方できるけど、遠距離系の攻撃は協力で発動に時間がかかるの一つだけ。だからみんなどっこにもサポートに入れないし、一人やられたらパーティーその時点で瓦解だよ? どこに穴が空いとしてもサポート入れるように他のことも平均ぐらいにはできないと。みんな自分の長所しか伸ばしてないんだもん』

つまり誰が欠けてもいいように、万能にとまでは言わないまでも、全てのことを最低限できるようになれという言葉だ。

『私はどれも一応代わりをこなせると思う。まあ、それを完全に穴埋めできる程ではないんだけとねー、あはは。でも私がいなくなってもそれほど強い影響力はないんだ。人数できつくなるかもしれないけど。
誰が抜けてもある程度影響がないようにするのは、戦闘をする集団では当然にできなくちゃいけないこと。戦いはいつ何があるかわからない。誰かが欠けたから、もう戦えないじゃ済まされないんだ。でも今の私たちはそれができない歪なパーティーなんだよ。もちろん『   』の能力のせいもあるけどね。
でも平均的に全てできるだけでもダメ。だから私はそれだけじゃあれだから、制御力と操作力は極めていこうって決めたんだよ。特に雷系。平均は当然、さらにその中から長所を一つってね』

その姿勢には当時本当に頭が下がった。


Re: 黒衣(仮投稿) ( No.410 )
日時: 2009/08/25 10:59
名前: テン


『あ、ちなみに長所とか言ったけど、昔は制御力も操作力も全然だめで、雷系の魔法も全然うまくいかなくってお城壊しまくったんだよ。私って他人にじゃなくて自分に負けず嫌いだから、苦手なものを得意に変えてみましたー。あ、あと雷のピカーって感じが好きなんだけどね。と、偉そうに一杯言ったけど、そのお城を壊した時に受けた騎士団長のお説教の受け売りでしたー』

こんなことを最後に言わなければ。
というか、どこまで本当かはわからないが。

「実際にはかなりの不精者でしたからね、彼女は。本当に大物というか。まあ、実際に大物なわけだけど」

ミュリエルは深々とため息を吐く。
努力家なのだが、無精者。相反した言葉ではあるが、その通りなのだ。今必要なことにはとことん努力し、それ以外では面倒くさがり。あとは無駄なことにも異様なほどに努力と執念を向ける。そんな人物。無駄な魔法が多かったのもそのためだ。

「そういえば、食事日記なんて書いていましたっけ」

もっと書くものがあるであろうにと、もう一度ため息。

彼女は本当に万能であったが、個としての戦闘能力は他の者たちと比べてしまえば、劣ってしまっていた。だが、その万能の力を使い、自らよりも勝るはずのミュリエルたちとすら対等に戦える女性だった。


Re: 黒衣(仮投稿) ( No.411 )
日時: 2009/08/25 11:00
名前: テン


彼女と大河を比べるならば、彼女は自らの意思で万能の力を手に入れた。
だが大河はどんな状況にも対応できる武器を持つだけ、あくまで武器が万能だったというだけだ。万能の力に振り回されているのが現状。
対して恭也はというと、

「戦いに関しては万能……に近いでしょうね」

恭也と相対するとどうしてもあの剣技に目がいってしまうが、決して彼は剣だけに頼っているわけではない。棒状の投げ物で中距離攻撃も可能だし、トリッキーな動きをし、敵を混乱させたり、混戦に持ち込んだりもできる。逆に正道な動きもこなし、神速をなしにしてもその動きは速く、それを突破力に変えることでき、体術も達人レベル。さらには霊力という遠距離攻撃と破壊力まで持つ。防御能力はともかく回避能力も高い。
どんな状況にも対応できるように、全てを平均以上にこなす。そして、最大の長所である剣は最高レベル。
単純な前衛としても万能であるし、援護役、防衛役、遊撃役としても申し分ない。唯一回復手段などを持たないが、魔法は本当の意味で才能がなければ使用できないため、そこまでは高望みだろう。だが、おそらく怪我などの応急処置や簡単な治療ぐらいはできるはずだ。
戦いにおいてなら万能……もしくは全てのことを最低限にはできる。
一人でだいたいのことをこなせるが、集団の中の一になってもどんな役割でもこなす。


Re: 黒衣(仮投稿) ( No.412 )
日時: 2009/08/25 11:01
名前: テン

対して、この学園の救世主候補たちは当然として、他の科の生徒たちも、その域には到底達していない。

「アリア、今はあなたの言葉が痛いですよ」

アリア……アルストロメリア・バーンフリート。彼女ならば今の現状をどうしただろうか。
彼女が集団内において、縁の下の力持ち的な万能とすれば、恭也は個人に特化した万能。
もちろんアルストロメリアも万能であれ、などと言っていたわけではない。足りないものを補うのがパーティ……仲間である。だが、ある意味当時のミュリエルのパーティはそれに頼りすぎていたところがあった。そして、それは今の救世主クラスも同じだ。
集団戦のとき、一人が戦線離脱をすれば、一気に能力が下がる。それがチームワークを最大の武器とする者たちの弱点なのだ。
万能であれ、とは言わない。だが、それをできないと否定してはいけないのだと、ミュリエルはアリアから教わった。
努力家であり、万能を目指した彼女に。
努力する秀才は、努力する天才には決して敵わないだろうが、何もしない天才は容易に打倒できる。
よく天才は一を教えれば十を覚えると言うが、そもそも一を教えなければ永遠に0のまま。一しか教えなければ十のまま。十のままで百を教えられた秀才を越えるのは無理だ。
今の大河たちのほとんどが一しか教えられていない天才だ。



Re: 黒衣(仮投稿) ( No.413 )
日時: 2009/08/25 11:02
名前: テン


「高町恭也が秀才なのか、天才なのかはわからないけれど……」

どちらにしろ、剣の……いや、戦う才能が高いのは間違いない。一定以上の才能がない者ではあの境地には立てない。
また、相当な……それこそ誰よりもきつい状態で努力を重ねてきたのは事実。努力できる、それ自体がまた一つの才能だ。

「本当に……厄介な存在」

何より、恭也の専門はこの世界の誰とも違う。
ミュリエルや、彼女の過去の仲間たちは大きな分類で言ってしまえば、戦いのスペシャリストたち。そしてそれは救世主候補たちが行き着く場所でもある。
対して恭也は人を倒す……いや、殺すことのスペシャリストだ。
戦いのスペシャリストと人殺しのスペシャリスト。そんなに大きな違いには見えないだろう。なぜなら人殺しであってもやることは……暗殺などは除外して……同じだ。同じ戦いであることに違いはない。
しかし、意思が違う。
ミュリエルたちは敵と戦うために強くなり、戦いの専門家になった。敵を倒すという意思は確かにあったが、その『敵』が人間だと意識したことはなかったし、実際に彼女たちの多くの敵は人の敵である異形の存在たちだった。もちろん人とも戦ったこともあるが、それでもそれらの人間と戦うと意識して訓練を積んだわけではなかったのだ。
だが恭也は元より明確に人を倒し、殺すことを前提として訓練し、戦いにおいての敵も人であるという意識の元に今まで戦ってきたのだ。
そうであるが故に、対人戦になった場合、彼の強さは際だつ。そして、相手を殺すと決めた時は誰よりも強い。だからこそミュリエルでは自分が彼には勝てないと理解していた。
なぜなら……彼女は勝てなかった。かつての仲間に。恭也と同じように、人を殺すことを常に考え、仲間のために自ら率先してそんな立場に立ってくれた女性、そして最終的には敵となってしまった女性に。

「彼が……第二のロベリアになる可能性も捨てきれない」

かつての仲間にして、最終的には敵となった女性の名を口にして、ミュリエルまたも深く、深くため息を吐いた。
フローリア学園、学園長ミュリエル・シアフィールドの苦労はまだまだ続きそうだった。